遠い未来の誓約(うけい)

選評

  1. 【宮内悠介:4点】
    シンプルな雛形を使ってSFを書くトレーニング、という課題に答えていた今回唯一の作品ではないかと思う。文体も安定していて、じっくり丁寧に物語が書かれていて、この点は私が真似できない部分でもあり、好感が持てた。また、梗概を読んで内容を知っていたにも関わらず面白く読めた。
    「ここまで文明が衰退するだろうか」といった細かい疑問はあったものの、修正可能であると思う。日本神話が「誰もが知っている物語」なのかという問題はありつつ(そうであってほしいけれど)、ずっと神話性を保ちながら続いていくのが良い。逆にそうだからこそ、好みの問題とは思うが、「アンドロイド」という表記は出さないままでもよかったかもしれない。

    【浅井愛:2点】
     課題に対してパーフェクトに答えられている作品。読み進めるうちに、作品世界のディテールについてもっと詳しく知りたくなったが、その情報をあえて削ぎ落としていくことで神話性が担保されて、見せるべきポイントだけが明るく見えるように工夫されている。
     タロース人については最後までミスリードさせたほうが面白く、途中で人間ではない存在だということが暗示されてしまうのはもったいないのではないか。冒頭に出てきた「亡者」が別個に存在するのかも気になった。

    【大森望:1点】
     うまくまとまっている。作者の長所が活かされていて、得意ワザを使いつつ弱点をあまり見せないような梗概の作り方をしていたのが効いている。ただ、日本神話がベースで「タロース人」という言葉が出てくるのは少し違和感がある。SFネタの説明になってからはやや興醒め。むしろ、もっとSF色を薄めて、ファンタジーに見えるけれど実はその背後にSF的なロジックが……というタイプの小説にしたほうが効果的だと思う。

    ※点数は講師ひとりあたり6点ないし7点(計19点)を3つの作品に割り振りました。

梗 概

遠い未来の誓約(うけい)


遠い未来。戦争を経て人口の激減した地球では、人間よりもアンドロイドのほうが多く活動するようになっていた。
しかし人間とアンドロイドは争うこともなく、ごく平和的に共存していた。
人間側はアンドロイドがいてこそ、この世界の平和と文明は保たれていると信じていたし、アンドロイド側も自分らを生み出した人間に対してそれなりにリスペクトがあったからだ。
それでも、異なる種族が長く共存することは難しい。そのため、両者は姻戚関係を結ぶことを決める。
繁殖は出来ないものの、この時代でも婚姻は信頼関係を築くために有効な方法だったのだ。


その頃のアンドロイドは人間とまったく変わりのない機能を備えており、性行為すら行うことが可能となっていた。両者の違いはもはや、その「寿命」のあり方のみだった。
技術の発展により故障という概念から逃れ不老不死を得たアンドロイドに対して、短命で老いる人間。
その二者が共存するようになって数十年。
ほんの少しずつではあったが、両者の関係は悪化していった。
人間は減る一方だというのに、アンドロイドの数が増えて来たのだ。どうやら、どこかでアンドロイドを生産している工場が稼働しているらしい。


このままアンドロイドが増え続ければ、いずれ彼らのみが住みやすい世界となってしまう。
そんな中、再び婚礼の儀式が行われることになる。
そこで人間の代表であるミヤマは、娘であるサクヤとナーガの二名をアンドロイド代表であるギノという青年に嫁がせることにする。
美しいサクヤに対して、ナーガは醜い娘だった。もし二人を娶ればアンドロイド側に人間に対する敵意はないことと見做し関係の修復を測るが、もし美しいサクヤだけを娶れば、アンドロイドは信用できないとし、争うつもりだった。
そんなミヤマの思惑にも気づかぬギノは、サクヤだけを娶り、ナーガのことを拒絶する。


その結果、ギノは『死』をインストールしてしまう。
サクヤの子宮には、アンドロイドの不老不死機関を停止させるコンピューターウィルスが隠されており、ナーガの子宮にはそのウィルスを破壊するワクチンが隠されていた。
両者と性行為を行えばアンドロイドはそのウィルスにかからないが、美しいサクヤだけを娶ったために、不老不死を失ったのだ。
「美しさだけを追い求め身の破滅を招くのは人間もアンドロイドも一緒」
地球の主導権をアンドロイド側にもたせていては危険だと判断したミヤマたち人間は、ギノが死ぬまでの間、バレないように少しずつそのウイルスをアンドロイド側に広めていく。
表向きは彼らの繁栄を願い服従するふりをして娘たちを差し出しながら、その娘たちにウィルスを仕込む。
全ては、アンドロイド優位の世界を覆し、人間主導の世界を取り戻すため。
この時代、人間とアンドロイドの差は「寿命」だけで、その性格もあり方も考え方も同じなのに、アンドロイドを排斥するために人類は立ち上がったのだった。

文字数:1193

内容に関するアピール

日本神話の、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(ニニギノミコト)と、木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)、石長比売(イワナガヒメ)のエピソードを元にしました。

「私が娘二人を、一緒にさしあがえたというのも、イハナガ姫のほうはその名前の示すとおりに、天神の代々の御子のお命は、雨が降り風が吹こうとも、びくともしない岩のように、とことわに揺らがずましますようにと、またコノハナノサクヤ姫のほうは、その名前の示しますとおりに、桜の花の咲き匂うように栄えますようにと、このようにうけいの誓を立てて、さしあげたものでございます。それにもかかわらず、今、イハナガ姫をお返しになり、コノハナノサクヤ姫のほうのみをお留めになったのですから、天神の御子のお命といえども、桜の花の散るように、脆くはかないものとなりましょう。」
現代語訳 古事記(訳:福永武彦)

神話の中では、美しいコノハナノサクヤビメを選んだニニギが悪いというように描かれているように見えますが、
二つあったら良いほうを取りたい。美しい娘は欲しくても醜い娘はいらないと思ってしまうのが人というものではないだろうかと考えておりました。(神ですが)
それでも人間は、自分の考えを棚に上げて、正しいことばかりを口にする生き物だと思っています。
だから今回は、汚い人間が「正しいこと」を盾にとって、他人を貶める物語にしました。

文字数:582

遠い未来の誓約(うけい)

ホウ、ホウ、と鳥の鳴く声が聞こえる。
日の落ちて暗くなった森の中を、ヤタは懸命に走っていた。
この時期は、夕暮れになったらすぐに帰らなくてはならなかったのに、きのこ狩りに夢中になっているうちに、時間を忘れてしまったのだ。
家に帰れば、両親が熱々の料理を作って待っていてくれる。ヤタは懸命に家の光景を頭に浮かべたが、それでも一人の心細さを無視することは出来なかった。
日の暮れた森には、亡者が出ると言われている。
百年前、この地で多くの人が命を落としたと言われていたのだ。
なにがあったのか、まだ十一のヤタは知らない。十七になり成人之儀を済ませたらようやく、知らされることになっているのだ。
ただ聞かなくても、想像することは出来る。
戦か。それとも、災害か――。なんにせよ、ここら一帯は多くの人が無念の死を遂げた場所なのだ。幼い少年にとって怖い場所でないはずがなく、ヤタは可能な限りの早足で森を走った。
この森を抜ければ、開けた丘に出る。その丘を下れば、ヤタの暮らす街の灯りが見えるはずだ。
木の根や石を踏んで転んでしまわないように、懸命に走る。そうして、ようやく木々の群れを抜けて開けた丘へ出た時だった。
そこでヤタは、世にも美しいものを見た。
暮れたばかりの藍色の空の下。
蛍が舞う仄白い月灯りの元に、白い着物を身にまとった黒髪の幼い少女が立っていたのだ。
肩から流れ落ちる髪は黒く艷やかで、白磁のようになめらかな肌の横顔は作り物めいて美しい。
ヤタとさほど変わらない年齢に見えるのにその立ち姿はやけに色っぽく、ヤタは息をするのも忘れて彼女に魅入った。
――日の暮れた森には、亡者が出る。
学堂で日々語られる噂話が耳の奥に甦ったが、ヤタは怖いとは思わなかった。少女がどれだけ人離れして見えたとしても、可憐さに、見惚れていたのだ。
「君は、誰?」
気がついたら唇を開いていた。ヤタの言葉に驚いて、はっと少女が振り返る。その目が怯えに浮かんだのを見て、ヤタは問いかけたことを後悔した。
彼女を怖がらせるつもりはなかった。ただ、彼女と話したかっただけなのだ。
「僕は、ヤタ。中ツ町に住むキトの子だよ。……君は、どうしてここにいるの?」
慌てて名乗ると、少女はおどおどとしながらも答えた。
「……蛍が出るって聞いたの」
答えてくれたことにほっとしながら、ヤタは笑った。
「蛍なら、あっちの田んぼのほうにいるよ」
右のほうを指差して言った後、ヤタは遠慮がちに申し出た。
「良かったら、案内しようか」
彼女に喜んで欲しい、その一心だった。しかし、彼女は首を横に振った。
「ううん、いい。でも、ありがと」
翠の目を細めて、少女はふわりと笑った。
澄んだ夜風が彼女の髪を掻きあげていく。
その瞬間ヤタは悟った。恋というのはどういうものか。人はどんな時に恋に落ちるのかということを――。

***

砂塵が吹き荒れる。
荒涼とした砂丘に身を伏せて、十七になったヤタは眼下に広がる砂地を睨みつけていた。
その視線の先にあるのは、なだらかな砂の斜面。なにもないはずの砂肌を、ヤタはもう一時間も見張っていた。
頭をすっぽり覆うように日除けの布を被っていても、じりじりと照りつける強い日差しの持つ熱は、容赦なくヤタの体力を奪っていく。
それでもヤタが動かず砂地にじっとしているのには訳があった。あの砂地の奥にヤタが探しているものがあると聞いたからだった。
夜の獣のように獰猛に光る金色の瞳で眼前を睨みつけながら、唇を噛みしめる。ヤタの頭には、昨晩聞いた言葉が繰り返しこだましていた。
――タロース人らの隠れ家が、キド砂漠の中にあるかもしれない。
タロース人とは、ヤタたち人間とは少し異なった人種の名前だった。
見た目は、人間と変わらない。人と同じように食事も睡眠も必要だが、ひとつだけ人と違うところがあった。
それは、寿命で死なない、ということだ。
刺されれば負傷もするが、それで死ぬことはない。怪我をしたら血を流す人間と違って、タロース人たちは道具でその体を修理することができ、それ故に死ぬこともなく長生きしてきた。その代わり、タロース人たちは人間と違って繁殖が出来ない。
性行為によって快楽を得ることは出来るが、子種を作ることも、子を孕むことも出来ないのだ。
寿命を持たない代わりに繁殖出来ないタロース人と、繁殖出来る代わりに寿命の短い人間。この世界では、似て非なる二種族が危うい均衡の元共存していたのである。
しかしヤタは、十七になり《成人之儀》でこの世界を取り巻く真実の歴史を知った時から、タロース人の存在を疑問視していた。
二百年前。人間とタロース人はどちらが支配権を持つべきかをめぐって争ったと言われている。その結果人口は激減し、文明は著しく低下した。
かつては電気と呼ばれる動力があり、生活の基盤に機械というものがあったらしいが、今ではどちらもほとんど残されていない。伝承の中で、語られるのみだ。
しかしそんな中で、タロース人たちはそれらの文明を密かに保持していると言われていた。タロース人たちのほとんどは戦争以前から生きているし、なにより彼らの脳は人間のものとは比べ物にならないぐらい記憶力が良いのだ。
寿命がなく、記憶力の良いタロース人。明らかに自分らよりも優れている人種と人間が共存出来ていたのは、ひとえに彼らが繁殖出来なかったためだ。
しかしこのところ、何故かタロース人らはその数を増やし続けていた。今やカッサ町に暮らすタロース人たちの人口は、人間の倍にもなろうとしているのだ。
遠くから旅をしてきたタロース人らがこの町に移住してきたのだと彼らは言っていたが、本当にそれだけでここまで増えるだろうか。
いつしか、人間たちの間では噂が流れるようになった。タロース人らは、特殊な環境下でしか繁殖できないため、どこかにもう一つ町を持ってそこで人口を増やしているのだ、と。
しかし、いくら探してもその証拠は得られなかった。それでも、彼らは増え続けた。
数を増やすタロース人に対し、人間たちは少しずつ危機感を募らせて行った。同じだけの数だから共存出来てきたのだ。片方が増えすぎると、均衡が崩れる。タロース人らの住みやすい町に変えられるに決まっているからだ。
もはや僅かな抵抗として人間が出来るのは繁殖することだけだった。しかし、それにも限度はある。なにより、あまり急激に人口を増やせば食糧難に陥る危険性があった。この世界には荒れた地が多く、実りを得られる土地は多くないのだ。
そのため、ごく一部の人間たちはタロース人の秘密を暴くための組織を作った。十七になり真実を知ったヤタが属すようになったのも、そうした一派だった。
《成人之儀》で聞かされた戦争の歴史やタロース人の実態に嫌悪を示し、彼らに反感を抱いたヤタを、従兄が誘ってくれたのだ。
ヤタが入っているのは、《白い槍》と呼ばれる集団だった。槍は人間を貫けば赤く染まる。だが、血を持たないタロース人を刺しても色が変わらない。そのためについた名前だった。
タロース人らは、また以前のように戦を起こすつもりなのではないか。
かつての文明技術を、彼らは専有しているのではないか。
このままでは、人間は居場所を失うのではないか。
成人之儀があるまで、タロース人は長年見た目が変わらない人種なだけなのだと信じてきたヤタは、恐怖に突き動かされるようにして、《白い槍》の一員として働くようになった。
《白い槍》の一員になってからずいぶん経ったものの、まだ若いヤタには出来ることが少なかった。だから今回、斥候としての役目を自ら買って出て、町から歩いて二日もかかる場所にあるキド砂漠までやってきたのだ。
ここで何がしかの成果を上げることができれば、同士らにも一人前として認められるだろう。――つい最近成人之儀を終えたばかりのヤタのことを、仲間らは子供扱いしてばかりなのだ。
その時、高い位置に登った日の光を受けて、なにかがきらりと光った。
はっとして、ヤタは目を凝らした。息を詰め、身動きしないように体を固くする。
じりじりと照りつける光が、ヤタの体力を奪っていく。それでも、動かなかった。石のように固くなりながら見つめ続ける。その時もう一度、砂漠の中ほどのほうでなにかが光るものがあった。
(あれは……)
目に映るものに、ヤタは息を呑んだ。タロース人と思しき人影がなにもないように見える砂丘の斜面から表れ、そして二輪の不思議な乗り物に乗って去って行ったのだ。
遠くてあまりよく見えなかったが、間違いない。――あそこの斜面には、扉かなにかがあるのだ。
あの下に、タロース人らの隠れ家があるかもしれない。あそこで彼らは、繁殖しているかもしれないのだ。
もう少し近づいて、扉があるか確認すべきか。
しばらく悩んだ後に、ヤタは引き返すことに決めた。
手柄を立てたいという気持ちは強かったが、遮るものひとつないあの場所へ、誰にも見つからずに行くことは不可能だろう。もし行って、あちら側の見張りに見つかれば、今日の収穫は全て無駄になるのだ。
無闇に相手を警戒させないほうがいい。
そう判断すると、ヤタは音を立てないように身を低くしながらそこから立ち去ったのだった。

***

綺麗に整えられた石畳の上を、砂っぽいマントを被ったまま歩いて行く。
二日かけてキド砂漠からカッサ町へ戻ってくると、ヤタは中ツ区にある家には戻らず、拠点地のある上ツ区へと真っ直ぐに向かった。
このカッサ町は、山に囲まれた小さな町ながらに、三つの居住区に別れていた。上ツ区と中ツ区、そして下ツ区だ。
上ツ区は裕福な者が住み、中ツ区は中流の家の者が。そして、下ツ区は貧しい民の暮らす居住区となっている。しかし実際には上ツ区にはタロース人が、下ツ区には人間が、そして中ツ区にはその両者が主に暮らしていた。
タロース人には、寿命がない。そのために知識も豊富で、どうしたって人間らよりも裕福になるからだ。
大人になり、その事実に気づいたこともヤタに不信を抱かせる原因となっていた。
苛立ちを覚えながら、自分の住む地区よりも見事な邸ばかりが並ぶ小さな通りを歩いて行く。高価な瓦屋根も、塀で覆われるほど大きな敷地も、どれもが庶民には許されないものばかりだ。
そうして歩みを進め、大通り近くへやってきた時だった。
しゃん、しゃん、と鈴の鳴るような音が遠くから近づいてくる。
何事かと大通りへ続く角を曲がってみると、そこは大勢の人でごった返していた。興奮した口ぶりでなにかを囁き合いながら、誰もがなにかを覗こうと必死になっている。一体何事かと思った時、赤い旗が翻るのが見えた。あれは、花嫁行列が通る時に掲げられる旗だ。遠くからでは家紋も見えないが、この見物人の人数の多さを見る限り相当に立派な家の婚礼であることが分かる。
一体誰が結婚するのだろう。束の間記憶を巡らせたヤタは、すぐに思い出した。
(そうか、《婚礼之儀》だ――)
砂漠へ出かけていたせいで忘れていたが、今日は五年に一度行われるタロース人の男と人間の女が契を交わす《婚礼之儀》の日取りだった。
人間とタロース人は、共存するようになってから互いに敵意がないことを伝えるために、それぞれの有力者同士の間で婚姻を結ぶようになっていた。
姻戚関係は、血による絆よりは弱いものの、他人との絆よりもずっと強い。二つの種族は争いを回避するのに最も適した方法として、《婚礼之儀》を生み出したのだ。
今年の《婚礼之儀》で花婿となるのは、タロース人の中でも特に裕福だと言われている、上ツ区に居を構えるギノという男だった。そしてその相手は、人間にしては珍しく上ツ町に邸宅を持つミヤマという男の娘だったはずだ。
ミヤマには、十六になる娘が一人いると聞いている。しかし、裕福な家の娘は街へ降りてくることは滅多になく、ヤタはその娘の顔はおろか、名前すら知らなかった。
一体どんな娘がギノに嫁ぐのだろう。興味を惹かれたその時、近くからわっと歓声が上がった。どうやら、花嫁を乗せた輿がちょうど差し掛かったところらしい。どうせなら、ひと目見てみたい。そう思ったヤタは人垣の後ろから背を伸ばした。
その瞬間、ヤタは目を見開いた。
紙吹雪が舞い、音が遠ざかる。
(そんな、まさか――)
ヤタの目の前を、花嫁の乗った輿がゆっくりと横切っていく。
腰まで真っ直ぐ伸びたたおやかな黒髪に、白磁のようになめらかな肌。
生地をたっぷりつかった白く輝く婚礼衣裳に身をまとっていても分かる。帳の開いた輿に乗っていた娘は、ヤタが初めて恋をした少女と、そっくりだった。
しゃらん、と彼女の頭の宝冠の飾りが音を立てる。
目を疑いながら、ヤタはよろよろと人をかき分け行列へと近づいた。しかし見れば見るほどに、初恋の少女と似ていた。
いや、似ているなんてものではない。僅かに憂いを帯びた淡い翡翠の瞳も、ふっくらと柔らかそうな唇も、記憶に焼き付いているものそのものだ。
他人の空似ではありえない。――彼女こそ、自分の初恋の少女だった。
それは、初恋の少女に再会した喜びが、失恋の絶望に変わった瞬間だった。
時の流れは元に戻り、残酷なほど早い速度で彼女を乗せた輿が遠ざかって行く。人々は、もう少し彼女を見ていたいとばかりにその輿を追って歩き出した。
それでも、ヤタは動けなかった。呆然としながら、行列を見送る。
二重、三重に響く鈴の音を聞きながら立ち尽くしていたヤタだったが、その時背後から再び鈴の音が響いてくることに気がついた。足音が、少しずつ、少しずつ近づいてくる。振り返ると、衣裳を違えたもう一つの行列がそこにはあった。
今通り過ぎた行列の男らは、白い着物を身にまとっていた。だが、こちらの行列の男たちは浅葱色の着物に身を包んでいる。
だが、行列の並びも鈴の音も装飾も、前のものと変わらなかった。
赤い旗が、翻る。――これも、花嫁行列だ。
「なんで、二つも……」
異なる二家が同日に婚礼を上げる時は、こうして花嫁行列が続くこともあった。行列の練り歩く行程は決まっており、どうしてもかぶるからだ。
しかし、今日の行列は《婚礼之儀》のためにものだ。一体、何故。
思わず口をついて出た疑問に、すぐそばにいた老婆が鷹揚と振り返る。
「おや、あんた知らないのかい。ミヤマ様の娘御は双子だったから今年は二人共嫁がせるんだって話だよ」
「双子!? そんな話は――」
聞いたことがない。そう言いかけて、ヤタは口をつぐんだ。そういえば、聞いたことがなかっただろうか。ミヤマの家には、生まれつき体の弱い娘がもう一人いるのだ、と。
「まさか、噂の……?」
「ああ。お体が弱く外に出られないのだと聞いていたが、どうやらナーガ様もお輿入れ出来ることとなったようだね」
「ナーガ……?」
「これから来るのがナーガ様。それで、今通ったのがサクヤ様だ」
(サクヤ――)
初恋の少女の名前を知り、再び胸がじくりと痛む。
けれど、悲しんでばかりもいられなかった。今聞いた話に、驚いていたからだ。
双子が嫁ぐなんて前代未聞だ。今まで、こんな例があっただろうか。
それだけ、ミヤマはタロース人らと強い絆を結びたいと思っているのか。――力をつけつつあるタロース人らに娘を差し出し、媚を売りたいというのだろうか。
吐き気を覚えながら目の前を通りすぎる行列へ視線をやり、やってくる輿を見上げる。その瞬間、ヤタは完全に言葉を失った。
俯いた顔は、僅かに髪に隠れている。だが、それでも分かるほどにナーガの肌は酷く爛れており、彼女の面差しはぞっとするほどに醜かったのだ。

4
花嫁を乗せた輿は上ツ区をぐるりと巡り、ひときわ大きな邸の門をくぐっていった。
ナーガ付きの侍女ツクバは、ナーガが輿から降りるのを手伝いながら、訪れた邸の佇まいに一人ひそかに感心していた。
タロース人の家は人間の家よりも機能ばかりを追求して趣がないと言われていたが、とんでもない。蓮の花の浮かんだ大きな池も、そこにかけられた朱塗りの橋も、耳に届くせせらぎの音も、どれもが風雅で美しい。
これほど立派な邸に、ナーガが嫁げるとは思わなかった。《婚礼之儀》で娘を差し出すことが以前から決まっていたミヤマの家の娘であっても、焼けただれたような顔をしたナーガは、嫁ぐことなく一生自邸の中で過ごすこととなると思っていたのだ。
歓迎を示す楽の音が、邸の中から聞こえてくる。
ギノは、道理の分かった良く出来た男だと聞いている。きっとナーガのことも、サクヤと同じに愛してくれるだろう。ナーガの顔は醜いが、その心根は湧き出たばかりの水のように清らかで、喋る声は鈴を振るうように可憐なのだ。
ちらりとナーガの顔を盗み見ると、彼女は緊張した面持ちで邸宅を見つめていた。
もうすぐ、もうすぐこの邸の主と相見えることとなる。
タロース人ら特有の美貌を持つと噂の青年、ギノ。
彼はナーガを見た時、どんな顔をするだろうか。微笑み、彼女に手を差し伸べるだろうか。
そうであって欲しいと、ツクバは祈った。
ナーガはずっと孤独だった。
だからこそ、この婚礼で幸せになって欲しかったのだ。

しかし、ツクバの祈りに反して、現実は残酷だった。
広間に通されたナーガを見て、ギノは行列を見ていた野次馬らと同じく顔を歪めたのだ。
――汚らわしいものを見た、というように。

***

広い畳の部屋に、はらはらと桜の花びらが舞い込んでくる。
ギノからナーガのために与えられた部屋は広く、置かれた調度品もどれもが滅多に見られないほど高級なものばかりだった。柱も家具も黒の漆塗りとなっており、そこに施された彫金は嘆息するほどに美しい。
それだというのにツクバは、憂いていた。
ナーガが輿入れをしてから十日も経つというのに、一向に、ギノのお渡りがないからだ。
(サクヤ様のほうには、毎晩のようにお渡りがあるというのに)
原因は、考えないでも分かる。ギノはナーガの醜さを厭忌しているのだ。
初めて顔を見た時、ギノは嫌悪感を隠そうともしなかった。どうしてこんな人間を連れてきたのかというように責める眼差しで従者らを睨み、そしてサクヤの手だけを取って歩いて行ってしまったのだ。
そのあからさまな拒絶に傷ついたのか、ナーガはその晩行われた宴席の出席を拒んだ。そこで祝福に訪れた来客らに花嫁としてのお披露目があるにも関わらず、である。
本来であれば、行かないと言うナーガのことをギノが呼びに来るべきであった。本人が来ないまでにしても、使いをよこすべきだったのである。
しかしギノは、なんの反応も示さなかった。
ナーガがこの邸に訪れたことを忘れているかのように振る舞ったのだ。
それから、ツクバはギノの姿を見ていない。
彼は一切この部屋を訪れなかったし、ナーガが部屋を訪れようとしても必ず拒絶したのである。
いっそ、彼が淡白なタロース人だと信じられたら良かっただろう。
だが、そう信じられないわけがあった。サクヤ付きの侍女たちの口から、双子の妹は寵愛を受けていることは聞いていたからだ。
人間の中でも特に愛らしい面差しを持つサクヤのことを、ギノはいたく気に入ったらしい。それを裏付けるように、毎日のようにサクヤの元には贈り物が届いていた。
高価なものが入っていそうな漆塗りの箱や、抱えきれないほどの花がサクヤの部屋に運び込まれて行く。それだけでなかった。ギノがサクヤの部屋を訪れていることを裏付けるように、毎晩彼女の部屋からは喜悦の声が聞こえてくるのだ。
ここまで知っていて、寵愛が偏っていないと言うことが出来るだろうか。
愛することが無理だったとしても、せめて夫としての務めを果たして欲しいとツクバは思った。
《婚礼之儀》は、体を重ねることで成し遂げられる。タロース人との性交では子を孕むことはないが、それでも絆を作るために交わることは必要な行為だったのだ。
毎晩彼が訪れないことを、ナーガはどう思っているのだろう。サクヤの嬌声を聞くたびに、彼女はどんな気持ちになっているのだろう。
もはやこの日常に飽いてしまったのか、ナーガが部屋の中にいることはほとんどなくなった。ツクバも気づかないうちにふらりと部屋を出ていき、食事の時間にならないと戻らなくなってしまったのだ。きっと、散歩で気を紛らわせているのだろう。
他人に醜い顔を見られないように布で覆い、たった一人で従者も付けずに歩くナーガはどこまでも痛ましい。それでもナーガは一切悲しまず、不満も口にしないのだ。
(確かに、ナーガ様は美しくはないですが……)
しかし心根だけはサクヤよりもずっと真っ直ぐに育ったと、ツクバは思っていた。病弱で部屋に閉じこもってばかりの彼女の面倒を、ここ数年ずっと見てきたのだ。
話せば、彼女がどこまでも思いやりのある娘かが分かるだろうし、彼女の叡智さや声に潜んだ穏やかな優しさに気づくはずだ。
それだというのに、ギノはサクヤの外見ばかりを見て、内面を見ようとはしない。
(所詮、タロース人も人間と同じね……)
彼らがどこか無機質に見えても美醜の価値観は変わらないのだと、ツクバが一人密かに落胆していた時だった。
「ツクバ」
鈴を振るうような声が聞こえ、ツクバははっと我に返った。部屋の戸口には、布で顔を覆った女の姿がある。ナーガだった。
「ナーガ様! お帰りなさいませ」
手をついて彼女を迎え入れると、ナーガは興味なさそうに部屋を見て、立ったまま言った。
「……ギノ様からなにか連絡はあった?」
昨日と同じナーガの台詞に、ツクバはぎくりとした。邸を散策して帰ってくると、必ずナーガは聞くのだ。ギノからなにかなかったか、と。
「い、いいえ。なにも……」
「そう」
首をすぼめながらツクバが応えると、ナーガは興味なさげに答えた。物憂げな眼差しを、つい、と廊下へ向ける。
「今日も、特に人が来る様子もないわね」
「ナーガ様、それは――」
慰めの言葉をかけようとしたが、間に合わなかった。
「今日で、もう十日。……そろそろ、いいか」
最後だけ独り言のように低く呟いて、ナーガはツクバのそばへと歩いてきた。その美しい翠の瞳が、真っ直ぐにツクバのことを見据える。
「ツクバ。支度をしなさい」
珍しく、強い口調だった。
「支度、とはどういうことでしょう」
嫌な予感を覚えて問うと、ナーガは弱々しく微笑んだ。
「ここに、私がいる必要はないわ。お父様の元へ帰りましょう」
「そんな! ナーガ様、でもそれは……」
《婚礼之儀》で嫁いだ娘は、離縁することを許されない。これは、人間とタロース人との絆を深めるための儀式であり、ただの結婚ではないのだ。
しかしナーガは首を横に振った。
「私はまだ、《婚礼之儀》を終えていないわ、ツクバ。そうでしょう?」
彼女の言葉に、はっとする。
そうだ。ナーガは宴に顔を出してはいないし、ギノと体を重ねてもいないのだ。
「最初から、ギノの花嫁にはサクヤしかいなかったの。そう、思うことにしましょう」
ナーガは、ただただ静かに言った。その目に浮かぶのは、怒りか。それとも、悲しみか。
「ギノ様の考えは、よく分かったわ。だからもう、いいの」

***

夜の闇を、踏む。
ヤタは、一人ギノ邸の塀の外に身を潜めていた。
夜の寒さがヤタの足元に忍び寄る。冷えきって動きが悪くならないようにと、ヤタは塀に身を寄せて息を殺しながらも足を組み替えた。
カッサ町の夜は寒い。古い昔、春の間は夜も暖かかったというが、今は違う。昼は午睡を誘うような暖かさだというのに、夜になった途端一気に大気は冷えるのだ。
しかし、じっと塀に身を触れさせていると、肩からじんわりと暖かさが伝わってきた。ギノの邸では暖を取るために多くの火を焚いているのだろう。
上ツ区でしか許されないような贅沢に、再びヤタは苛立ちを覚えた。
(そんな贅沢も、すぐに出来ないようにしてやる)
《白い槍》の一員であるヤタが今晩ここにいるのは、ギノの家の帳簿を盗み見るためだった。
ギノ家の金の動きが、妙だ。
そんな情報がもたらされたのは、一昨日のことだった。ギノの営む店に潜り込んでいた同士が、店の仕入れと在庫の帳尻が合わないと気づいたのである。
巧妙に隠されてあったが、ギノの店の金は少しずつどこかに消えていっていた。
最初は誰かによる着服かと思ったが、すぐにそれは違うと分かった。ギノ以外には出来ないようなごまかしの後が残っていたからである。
もしかしたらギノは、仕入れに金を使うふりをして研究施設に金を流しているかもしれない。そう考えたヤタたちは、危険を承知でギノの家を調査することを決めた。
幸いなことに、ギノは嫁いだサクヤに夢中で夜は仕事場によりつかないと聞く。この好機を逃す手はなく、だから身軽さを誇るヤタが夜に忍び込むこととなったのだ。
タロース人の邸に潜り込んだのは、これが初めてでなかった。だから、今回もうまくやれるだろう。そう思ったが、計画の時間が近づくにつれヤタの鼓動は緊張で早くなっていった。
ギノの邸には、サクヤがいる。
花嫁行列の様相を思い返して、ヤタは拳を握りしめた。
もう一度サクヤに会いたい。そうすれば、彼女が本当に初恋の少女なのかが分かる。
(でも――)
サクヤの寝所には、ギノがいる。きっと彼女はギノに、組み敷かれている。
それにもし、彼女が自分を忘れていたら。
想像すると息が苦しくなったが、同時に早く開放されたいともヤタは思っていた。
他人に嫁いだ娘を慕っていても、苦しいだけだ。だから想いを断ち切るためにも、他人と臥所を共にするサクヤを見たいと思った。
仕事のついでに、少し覗くだけだ。
ついに決意をして、ヤタは塀を見上げた。先に鉤のついた縄を、懐からたぐり寄せる。
いよいよ、鉤縄を塀に向かって投げようとしたその時だった。
「待ちなさい」
背後からかけられた声に、ぎょっとして振り返る。
暗い路地の先。そこには、恰幅の良い裕福そうな中年の男――サクヤの父であるミヤマの姿があった。
「ミヤマ、さん……」
どんな顔をすれば良いのか分からず、咄嗟にヤタは鉤縄を背中に隠した。
闇にまぎれて、見えなかったはず。そう思っても、安心は出来なかった。それに、彼は言っていたのだ。待ちなさい、と。
柔和そうなミヤマの顔が急に恐ろしくなり、ヤタはじりじりと後ずさった。
「すいません。俺、急いでて」
掠れた声で呟いて、踵を返す。
しかし、ミヤマは堂々たる足取りで近づいてきて、いとも簡単にヤタの手を掴んだ。
「君に、折り入って話したいことがあるのだ。――私の家に、来てくれるね?」
それは確認ではなく、命令だった。
もしかしたら自分は、罪を問われるのかもしれない。暗澹とした気持ちでそう考えながらも、ヤタは頷いたのだった。

連れて行かれた場所は、ミヤマの邸の中でも特に奥まった部屋だった。
人の気配が、減っていく。そのことに徐々にヤタは不安になっていった。
見つかったのは、忍びこむ前だった。厳しい尋問されるはずはない。しかし、人目をはばかるように邸の奥に連れて行かれた以上、これはすぐに済むような話ではないことが用意に想像出来た。
ギノの家に忍び込んでなにをする気だったのか聞かれるのか。
それともまさか、彼はヤタがどのような組織に属しているか知っているのか。
不安が堪えきれなくなり、声を出そうとする。しかしその時、ミヤマが振り返った。
「ヤタ君。君のことは、よくよく調べさせてもらったよ」
朗らかとさえ言っていいような声で話しかけられ、ヤタは大きく目を見開いた。今彼は、なんと言った? 動揺を出さないように、懸命に唇を固く結ぶ。
しかしミヤマは、ヤタのそんな反応はお見通しだったと言わんばかりに微笑んだ。
「そういうところは、良くないな。君は顔に感情が出過ぎだ。だが、他のところは悪く無い。なにより、慎重なところが良い」
「なにが、言いたいんですか」
追い詰められた動物が威嚇するようにヤタがミヤマを睨みつける。そんな彼を、ミヤマは憐れむような眼差しで見た。
「慎重で良かった、と言っているのだ。君のその慎重さがなければ、我々はキド砂漠で君を殺さねばならなかったのだから」
キド砂漠のことを知っている。ヤタが、タロース人の隠れ家を探していたことを彼は知っているのだ。
急速に脈が早くなり、ヤタは今すぐ逃げ出したくなった。
得体が知れない。この男は、一体なんなのか。
味方なのか敵なのかすら見極められずヤタが硬直していると、ミヤマは安心させるようににっこりと笑った。
「私は、君を高く評価している。素直で、働き者だ。だから秘密を教え、私の仲間になって欲しいと思っているのだ」
ミヤマは部屋の奥の壁にかかっている布を押し上げると、石壁に描かれた文様の中心に親指を押し込んだ。
その途端、ピッと耳慣れない音がして、岩壁からさっと光が差す。その光をミヤマが覗きこむと、照合が完了した旨を伝える無機質な声と共に岩壁が横へと引き開けられた。
「さあ、来なさい。私の秘密を、伝えよう」
岩壁の奥に続く道に、ミヤマが入っていく。
暗く、恐ろしい道だった。
けれどもう、引き返せない。
喉を鳴らして唾を飲み込むと、ヤタはその道へ足を踏み出したのだった。

ゆるやかに下っているような暗い道を、そろそろと歩いていく。
明かりは最低限、前を歩くミヤマの持つものしかなかったから、ヤタは転ばないよう壁に手を当てながら慎重に歩くしかなかった。
岩壁の、ごつごつとした感触に指がひりひりと痛んでくる。
そろそろ暗い中歩くのにも飽いて来て、恐怖よりも苛立ちのほうが大きくなってきた頃、ようやく前方がぼんやりと明るくなった。
ようやく、という思いと、ついに、という恐れを同時に抱きながらその光目指して歩いて行く。そして開けた場所に出た途端、ヤタは思わず感嘆の声を上げた。
そこは、眩しいほど青白い光で照らされた、大きな部屋だったのだ。
これだけの明るさを保つためには、相当な油を仕様するはずだ。物珍しさに辺りを見回したヤタだったが、その部屋の異様さに気づき改めて驚嘆した。
床はつるつるとした妙な素材で作られており、天井には油の必要ない明かりがついている。天井に埋め込まれた明かり。あれは一体、なんだというのだろう。
「蛍……?」
光源が分からず呟くと、ミヤマの声が響いた。
「あれは、ライトと呼ばれるものだ。旧文明の技術だよ」
「旧文明の、技術? なんで、そんなものが……」
それは全て戦で失われたはずだ。しかしヤタが指摘するよりも先に、ミヤマは続けた。
「地下には、このような施設がまだいくつか残っている。そのほとんどはタロース人らに占拠されてしまっているがね。だが、ここはずっと封印されていた。血筋による認証が必要だったからタロース人にも見つけられなかったのだ」
しかし先代――ミヤマの父は、蔵に隠されていた古文書の暗号を解き、ここを発見出来たのだと言う。
すらすらとミヤマの口をついて出る言葉に、ヤタはうまく反応できなかった。あまりに急すぎることで、驚く余裕すらなかったのだ。
「ここで私は、多くのことを知った。ごらん、これを」
ミヤマは四角い黒い漆塗りの箱のようなものに近づいて行くと、そこから出ている突起を押した。その途端、羽虫が飛んでいるような音がして、目の前の黒い鏡のようが輝く。
(なんだ、これは……)
原理が全く分からなかった。驚いて後ずさったヤタをミヤマが満足気に振り返る。
「これは、モニターというものだ。幻を映す板だと思えばいい」
そして、とミヤマは黒い箱を指差した。
「この箱には、旧文明の知識が詰め込まれている。問いかければ、疑問に応えてくれる箱だ。これで、私は《成人之儀》でも伝えられない歴史を知ったのだ」
(《成人之儀》でも、伝えられない歴史……)
目の前の光景に圧倒されるばかりで、ヤタはやはりなにも言えなかった。凍りついたように立ち尽くすヤタに、ミヤマが口を開く。
「君は知っているかね? タロース人らは機械で出来ているということを。彼らを作ったのは、我々人間の祖先であったということを」
「え――?」
驚きに、ようやく声が出た。
躊躇いながら、問いかける。
「作ったって、どういうことですか?」
「言葉のままの意味だ」」
苦々しく言い捨てて、ミヤマはその目に怒りを燃え上がらせた。
「タロース人などと名乗っているが、彼らは生物でも人種でもない。カラクリ人形のように仕組みで動く存在。かつてはアンドロイドと呼ばれていた物体だ」
言っている意味が分からず、一瞬反応が遅れた。
ミヤマの言葉がじわじわと理解出来てきてようやく、ヤタは息を吸い込んだ。
(嘘だ)
到底信じられない。そう思ったが、言葉が出なかった。
しかし、同時に浮かぶ考えがあった。ずっと蓋をして見ないふりをしてきた、考え。それらが、蛇が鎌首をもたげるように少しずつ浮上してくる。
ずっと、異様だと思っていた。
寿命がないこと。血が流れないこと。修理出来ること。誰もが美しいこと。記憶力が並外れて優れていること。
どれを取っても、自然の摂理に反している。同じ人型だというのにこうも人間と違うものかとずっと思っていたのだ。
(でも――)
電気も機械も、どれもが想像の域を超えない。手にして、見てみたことがないのだ。
だが、カラクリ人形なら知っている。ただの木で出来た、ネジを巻くと動く人形だ。
まさか、タロース人らがそれだというのか。――彼らに血が通っていないのは、彼らがただの物体だったからというのか。
「戦争以前、アンドロイドらは人間に使役される存在だったそうだ。まあ、人間が作ったのだから当然だな。だが、そのことに不満を持つアンドロイドたちが出てきた。同等の権利を有するべきだと、主張するようになったのだ」
そうして、戦は起きた。
初めは、双方の納得する場所に落とし所を作るため。やがては、どちらか一方の要求のみを通すために。
戦は何年にも渡り、高度な文明は滅びた。昔の兵器は、今とは比べ物にならないぐらい破壊力が高く危険なものだったのだという。
「タロース人らは、我々の中でも有識者や技術者ばかりを選んで殺したとこの箱は言っていたな。かつての文明を、途絶えさせたかったのだろう」
「なんで……」
目の前のモニターと呼ばれたものも、油のいらない明かりも、どちらも優れたものだ。失わせる必要はなかったはずなのに。怪訝そうな顔をするヤタに、ミヤマは問いかけた。
「我々人間が技術を失った状態で、タロース人らだけがその知識を持っていたらどうなる?」
どきりと、心臓が嫌な音を立てた。
(まさか)
ヤタの頭に浮かんだ考えを見透かしたように、ミヤマは頷く。
「そう。彼らは、かつての技術を保有することで、特権階級を手に入れたかったのだ」
「そんな……」
もしそれが本当だったら、許せない。自分たちが、日々の暮らしを良くするために必死に考え、工夫を凝らしている間も彼らはそれを遥かに飛び越えた知識を有しているのだとしたら――。
ヤタの目に仄暗い怒りが閃いたのを見て、ミヤマは満足気に微笑んだ。
「だが、彼らのその地位も、もう終わりだ。あの男は、ナーガと《婚姻之儀》を行わなかった。我々の試練に、負けたのだ」
「どういうことですか?」
急に話の向きが変わったことに、ヤタは戸惑った。
「私とて、無闇に争いを好むわけではない。だから、ギノが誠実さを見せればしばらくはなにもしないつもりだった。《婚礼之儀》によって我ら人間とタロース人の間で本当の意味で絆が結ばれている間は、よしとするつもりだったのだ。だが、ギノは美しいサクヤだけを選び、醜いナーガを遠ざけた」
疲れたように、ミヤマはため息をついた。
「このことで、彼は証明してしまった。アンドロイドは不完全な存在であること。美醜にこだわること。役目を放棄して感情を優先することを」
そんなタロース人らが増え続ければ、どうなるか。おそらく人間にとっての幸せな未来は待っていないだろう。だから、とミヤマは愛おしそうに黒い箱を撫でた。
「私はこの箱で得た知識で、サクヤの子宮に彼らの命を奪わせるようなウイルスを仕込んでおいたのだ。そして、ナーガの子宮にはそのウイルスを破壊するワクチンを仕込んだ。二人と《婚礼之儀》を行えば、ギノは今までと変わらない生でいられるはずだったのだ」
「ウイルス? ワクチン……?」
「ウイルスは病。ワクチンは薬と捉えればいい」
ヤタにとって分かりにくいと思われる言葉を置き換えながら、ミヤマは説明を続けた。
「この病に感染すれば、彼らは少しずつ体内の機能を停止させていくだろう。本人も他人も気づかないうちに。やがて、修復も不可能なほどその体は蝕まれ、機能は停止する。タロース人が、死ぬのだ」
死ぬ。
それは、人と変わらなくなるということだ。
死なない、タロース人。彼らが死を知ったら、どうなるのか。
いつしか、ヤタの額には汗が浮かんでいた。言葉を発することも出来ず、ただ立ち尽くす。大変なことを聞かされているという自覚があった。
「……何故、こんな話を、俺にするんですか」
か細い声で問いかけると、ミヤマは幼い子供によく聞かせるように言った。
「私が君の働きぶりを気に入ったということもあるが、なにより私の娘がお前なら信頼できると推薦したからだ」
ミヤマの娘。まさか、サクヤだろうか。
さわさわと、潮騒のように血潮が沸き立つ。
ミヤマの声が、遥か遠くから聞こえてくるような気がした。
「私はこれから、このウイルスをタロース人らに広めるつもりだ。そのためには、共に動き信頼できる人間が欲しい。《白い槍》のヤタよ。――お前は、どうする?」

***

その後、どのようにしてミヤマの邸を後にしたのかは覚えていなかった。
ただ、もう少し考えさせてくれと伝えたのだけは覚えている。その場で即答するには危険な誘いだった。第一、彼の話が真実とは限らないのだ。
混乱する頭のまま足の赴くままに歩き――気がつけば、ギノは町を出て野原のほうまでやってきていた。多分、無意識のうちに自分の家から、賑わいのある方から遠ざかろうとしてしまったのだろう。
済んだ夜風が、熱くなった頭を冷やしていく。
ミヤマの思惑に反して、一度は怒りを覚えたものの、ヤタは完全にタロース人らを憎むことが出来なかった。それほどの技術を持つなら、人間はとっくに絶滅させられてもおかしくないと思ったからだ。
しかし、タロース人らはそうしなかった。
《婚礼之儀》を行い、人間との絆を大切にする。
文明を失わせ、自分らが優位に立ちながらも共存する。その有様は、異様だ。けれども、残酷だとは思えない。
ヤタがそう思ったのは、ミヤマの家で見た旧文明の技術を目の当たりにしたせいだった。
もし本当にあれほどの技術を今のタロース人らが持っていたとしたら、もっと人間とタロース人の格差は広がっていたはずだ。
それなのに実際は、上ツ区と中ツ区、下ツ区程度の格差しかない。技術の差はなく、あるのは貧富の差ばかりなのだ。
タロース人らは何故、均衡を保とうとしたのだろう。
何故、人間とタロース人が共に生きられる社会を作ったというのだろう。
もしかして、彼らは今もまだ人間に逆らえないのではないだろうか。
人間が、タロース人らを作ったと言っていた。だから、彼らは権利を欲しながらも、心の底から人間を嫌い排除することが出来なかったのではないだろうか――。
その時、ひときわ強い風がヤタを襲った。音を立てて、マントが翻る。
風に誘われるように空へ顔を上げたヤタは、今晩が満月なことを知った。白い月がヤタを照らす。
あの日も、こんな月夜だった。初めて、あの少女と会った夜も――
郷愁に似た感情を覚えて、ヤタは目をつむった。月が、自分にまたあの少女の姿を見せてくれないだろうかと祈りながら。
ゆっくりと、瞳を開く。その瞬間、ヤタは言葉を失った。
風にそよぐ草花の中。そこには、黒髪の少女が立っていたのだ。
彼女の着た白い着物が、月光に照らされて淡く輝く。
「サクヤ!」
思わず叫んで、ヤタは走った。どうしてここにいるのか。ギノに嫁いだのではなかったか。今頃、ギノと同衾しているのではないか、と。
しかし近づくにつれ、一つの違和感を覚えてヤタは眉根を寄せた。
十日前、花嫁行列で見た少女と、なにかが違う。
サクヤの瞳は、こんなにも美しい翠色をしていただろうか。もう少し、薄い色をしてはいなかっただろうか――。
「……いや。サクヤじゃ、ない……?」
迷うように足を止めて呟くと、彼女の顔にぱっと喜色が浮かんだ。翠の瞳が、嬉しそうに輝く。
「私を見てそう言った人は初めてだわ、ヤタ」
その声は、鈴を振るうよう。
何故彼女は自分の名を知っているのだろう。
自分が見ているのは月の化身だろうかと思いながらヤタが立ち尽くしていると、彼女は風になびく黒髪を片手で押さえながら、微笑みを浮かべた。
「私は、ナーガ。――サクヤの、双子の姉よ」
「ナーガ?」
予想もしていない名前だった。
「でも、だって君は……」
醜かったはず。その言葉を飲み込んだヤタだったが、ナーガには言葉の続きを察して自嘲を浮かべた。
「あれは、仮面よ」
「仮面……?」
「薄い皮で作った、偽物の顔。全ては、ギノを欺くためよ。お父様から、聞いたのでしょう? 私たち双子がギノに嫁いだわけを」
甘く優しいナーガの声に、緊張が高まっていく。ヤタが頷くと、彼女は言った。
「私たちが双子として生を受けた時、お父様はこの計画を思いついたの。この家から、タロース人に娘を嫁がせることは決まっている。ならば彼らを試してみたらどうか、と」
こうしてナーガは、生まれた時から醜い娘だということになった。顔を仮面で覆い、邸の中でのみ暮らすようになったのだ。
この事実を知るのは、ナーガを育てた乳母と父親、双子のサクヤしか知らない。ナーガが十歳になってから身の回りの世話をするようになったツクバすら、この事実は知らなかったのである。
四六時中仮面を覆い、醜い顔を他人に見られないように部屋の中で書物や教師らのみを相手に過ごす。
ろくに外へ出られないのは退屈だったが、それでも知識を吸収する喜びがあった。
それに、ごくたまにサクヤが身代わりを演じてくれた。だから辛くはなかったとナーガは言った。二人の違いは、瞳の色の薄さだけ。他に差はなく、暗い部屋の中であれば誰も見分けがつかなかったから、二人が入れ替わるのはごく簡単なことだったのだ。
「だから、あの日私は夜こっそり部屋を抜けだしたの。どうしても、蛍を見てみたかったから」
風が、頬を撫でていく。
優しくたおやかなナーガの声が、耳朶を打った。
「ナーガ」
掠れた声でヤタは囁いた。
「君だったんだね」
ナーガは、答えなかった。ただ、薄く微笑んだだけだった。
「ねえ、ヤタ。あなたはどうするの?」
どう、とはミヤマの誘いのことを言っているのだ。
ナーガに再会できた喜びの興奮が、先ほど聞いた恐ろしい事実に痺れていく。
「……本当に、タロース人らを滅ぼす必要はあるのかな」
自分の問いかけは、幼いものだったかもしれない。それでも、聞かずにはいられなかった。問わずにはいられなかった。
「もし、タロース人たちが共存を目指していたら……。かつての文明は危険なものだから、あえて封印していたのだとしたら――」
今の関係を壊したら、なにかよくないことが起きるのではないか。タロース人らが技術を隠しているのには意味があって、しかしそれを知る前に自分たちがタロース人たちを絶滅させてしまったら大変なことになるのではないか。
先ほどから頭を占めている考えを口にすると、ナーガはきょとんとして、それからクスクスと声を立てて笑った。
「本当にあなたって素直なのね」
まるで無知さを指摘されたような気がして、一気に顔が熱くなる。
「私、あなたのそういう所が好きよ。でも、タロース人が平和を願っているだなんて私は思えない」
草を踏んで、ナーガはヤタに一歩近づいた。
「最近になって急にタロース人らが人口を増やしはじめたのは、なぜ?」
「それは――」
ナーガが、ぐっと顔を近づける。間近に迫った黒々とした睫毛を瞬かせて、ナーガは言った。
「もしかしたら、あなたが考える通り彼らは初めは共存するつもりだったのかもしれないわ。でも、人も、アンドロイドも考え方なんてそのうち変わる。自分で考える力を持っていれば、ね」
翠の瞳は、まるで海のようだった。底が見えない、遠く深い海。
「アンドロイドは、学習する。きっと、こう思う個体が出てきてもおかしくないわ。――この世界を、アンドロイドだけのものにしてしまおう、と」
ねえ、と優しい声が耳をくすぐる。
「ヤタ。あなたは、どうする?」
唇が触れそうな距離で、ナーガが囁く。
吐息が、唇を撫でる。
ヤタは、言った。――君の言うとおりにする、と。

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