新説:人魚姫

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梗 概

新説:人魚姫

時代は中世。副航海士・カルは捕鯨船に乗っていた。ある航海の途中に大嵐と直面し、船が大破することによって遭難することとなった。
かろうじて捕鯨用の小船にひとり乗りこむことができたカルだが、船から持ちだしてきた食料では幾日ももたないことがわかっていた。食料は底をつき、カルは船に縛りつけられていた捕鯨用の銛を使い、魚捕りに挑戦する。だがロープ付きの銛で鯨を突き、逃げ弱らせた鯨にとどめを刺す捕鯨とは違い、水上からの銛を使っての漁はうまくいかない。やがてカルは命綱もないのにもかかわらず、海中への漁に繰り出すこととなる。だが手づかみでの漁はうまくいかない。そもそも潜った水域が悪かったのか魚には恵まれていなかった。そして彼は目当てにしていた魚群とは別の”魚”を目にすることとなる。
その”魚”の様子は、上半身にヒレを持ってはいたが人間のようであり、下半身はまるで鯨のようにのっぺりとした、しかし赤い表皮に覆われていた。そして水中にきれいな歌声を響かせながら、すいすいと泳いでいた。カルは死を目前とするなかの幻覚と幻聴を体験したのだろうかと思いつつ、何も捕れずに船上に戻った。翌日、カルは跳ね回る魚の音を聞いて目を覚ます。昨日目撃した”人魚”のしわざか。カルは推測しながら人魚に感謝を伝えるため、そして魚を捕ってくれないかと頼むために夜通し人魚を待つことにした。人魚は朝方になって現れた。
人魚はカルが起きていたとは思いもしなかったのだろう。驚いた様子で海へ帰ろうとした。だがカルの呼び止める声にふたたび海上へと姿を現した。カルは言葉が通じないことがわかったが、それでも人魚の声を美しいと思ったことを思い出し、声色も使いながら身ぶり手ぶりで感謝の思いを表現する。そして食べ終わった魚の骨を使い、もっと魚がほしいとお願いすることになる。
果たして願いは伝わったのか翌日もまた人魚は現れた。カルは再び魚を食べることができ、人魚とも会話を試みる。そんな日が幾日か繰り返される中、船は少しずつ流されていった。やがてかすかに陸地が見えてきた。カルは人魚にそのことを伝える。人魚もそのことはわかっていたようで、気を落としたのか海中へと潜ってしまう。カルもまたショックを受けたが確かに人魚は陸へと上がれないのだからと諦めた。
だが再び、人魚は現れた。そして今度は船上に上ろうとしている様子なのだ。カルは驚いたが人魚を船の上へと引き上げた。人魚が伝えるところによれば、人魚自身も陸へと連れて行ってほしいのだとカルは読み取った。だがこのままの姿では陸には上がれない。カルは思案するうち、そういえば今日の魚を食べていないことを思い出す。人魚のほうを見ると人魚はヒレを使って自らの下半身を指し示していた。察するに下半身を食べてほしいと伝えているように思えた。カルはナイフを取り出すと人魚の下半身に近づけた。人魚は抵抗せず、ナイフは表皮に突き刺さる。カルは切り出した身を口にする。人魚を見ると痛みに耐えながらもそれを受け入れているようだった。
カルは思う。どこまで人魚を刻むのか。仮に下半身をすべて食べてしまったところで人魚は人として生きられるのか。それとも途中で死んでしまうのだろうか。

文字数:1322

内容に関するアピール

人魚姫の物語は「ある国の王子が海のそばを家来と一緒に馬に乗っていたところ、海のほうからきれいな歌声が聞こえてくるのを耳にし、見ると岩礁に上半身が人間で下半身に尾ひれがついた人魚の女が歌っており、一目ぼれした王子は人魚に声をかけ、また人魚のほうも王子に惹かれていく。ただ人魚は陸に出ることができない、王子もまた海に出ることができない。そんな中、人魚のもとに魔女があらわれ、魔女は人魚の声と引きかえに下半身を人の形に変えてやるともちかける」とぼくが読んだ話はこういう話でした。結末は人魚は晴れて人間になったけれど、でも王子にとっては美しい声こそに惹かれていて、結局ふたりが寄り添うことはなかったという悲喜劇でした(どうも元のアンデルセンによる原作は違うようです*1。ぼくが幼少のころに読んだ話は結末はともかく、内容が改変されていたみたいです)。
ここでは悲劇性の強調のため、物語の骨子を入れかえました。海難した状況では半人半魚の人魚の姿には感情的により接近してしまう(人には親しみを、魚には自在さを)が、しかし陸が見えてくると我々との差異に、その存在を受け入れられなくなる。そして今度は魔法使いは現れない。
人魚はその美しい声を保ったまま、人間を模すことができるのかという物語がここに出現するのです。話の衣にはミステリを使い、その味は異形のSF(Sea Fiction)となるでしょう。

*1 Wikipedia – 人魚姫 – https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%AD%9A%E5%A7%AB

文字数:659

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