梗 概
これからの祈りについて
舞台はラップランド北部、イナリの村から北へ十五キロメートル離れた場所にロポクシ基地はあった。セムトケ型AI搭載枢要機キースと同型AI搭載髄伴機リトル・キースの任務はその基地周囲の警戒及び基地内の人間の観察である。
セムトケ型AIは人間の行動と反応からパターンを学習し、「空気を読む」ことに長けたAI規格であったが、長期間使用するとなぜか人間の作業妨害を頻繁に行うので廃れた。不法投棄された機器は廃材で自己再構築を行い、人間の少ない北極圏や砂漠地帯にコロニーを形成するようになった。セムトケを完全に排除することは難しくないのだが、高い順応性を持つ彼らを再活用できないかと考える研究者もおり、ロポクシ基地のようなスポットで彼らの生態観察が行われている。
人間の思惑を知らないキースとリトル・キースはロポクシ基地を作った人間の意図をさぐるため、自分たちに酷似したレックスとリトル・レックスを廃材から製造し、人間がセムトケ狩りをはじめるのを待っていた。
冬至の早朝、北極圏のセムトケコロニーを研究しているイェオリとその弟子リッリは、セムトケ狩りのプロフェッショナルであるクイスマに同伴してロポクシ基地を発った。セムトケは太陽光発電でバッテリを充電するので、冬至の早朝は一番動きが鈍い。目をつけていた廃材スポットに到着した彼らは、セムトケをおびき出すために体の軽いリッリを廃材の山にのぼらせる。貴重な資材を守るためにセムトケが飛び出してきたので、まずは巨大な枢要機を破壊、つづいてセムトケのコアであり片手で抱えられる程度の大きさの髄伴機を機能停止させ、ロポクシの基地へ持ち帰る。
セムトケになんらかのパターンを教えれば使用に耐えうる性質になるのではと考えるイェオリは、髄伴機を一からきれいに組み上げ、バグをとり、初期化して再学習をさせた。しばらくは従順だった髄伴機だが、やがて疲れているリッリの作業を妨害したり、廃材をちょろまかそうとする引取業者に危害を加えたりしはじめる。世界各国の宗教からモラルを学習させるも行動は改善せず、イェオリはあきらめて髄伴機を完全に破壊する。夏に向かいセムトケの活動期が近づいているので、この破壊をもって人間は一旦ロポクシ基地を撤退する。労をねぎらって酒宴が開かれる。
解体され、分別されたレックスとリトル・レックスの前で人間が宴をしているので、リトル・キースはリトル・レックスが学習したパターンから、これは新しい祈りの形だと解釈する。東国のイオマンテという風習――狩猟によって得た神の化身を神の元へ送り返す儀式だと考えたのだ。納得したリトル・キースは、これからもキースとともに人間の生活を脅かし、殺さない程度にセムトケ猟師を襲って髄伴機を人間に改造させようと、決意を新たにするのだった。
文字数:1168
内容に関するアピール
パターンを認識して応答しても本質的な意味を理解できないAIと人間の悲しいすれ違いのお話です。いくらAIが人間的な挙動をしたとしても、本質的には人間と異なる存在であることを明らかにし、新しい技術(AIは別に新しくないですが)は怖くないと広く知ってもらうのが狙いです。また最近某マンガでアイヌ文化に注目が集まっているのでイオマンテ×SFなら広く興味をもたれやすいかと思って設定を作りました。あまり寄せすぎるとパクリっぽいので、舞台はフィンランドにスライドさせました。なぜ北欧神話ではなくイオマンテなのかは実作(をかければ)で書きたいと思います。
ボストン・ダイナミクスのビッグドッグみたいなやつが雪原を走ったりバトルしたりするところがかっこいいです(たぶん)。
文字数:327
これからの祈りについて
ラップランドの冬は長い。
北から氷の女王がエメラルドグリーンのドレスの裾をなびかせてやってくると、氷河でずたずたに切り裂かれた地表は雪に覆われる。ラップランドの空の下、枢要機(アウリコ)キースは今日も走る。まぶしい白を砕いて走る。
彼が足を蹴り出すたびにパウダースノーが舞いあがる。ここの空気は刃物のようだ。人間だったらきっと氷の女王の息にやられて、肺がずたずたになっていただろう。しかしキースには肺がなかった。彼は永遠に走る。命が尽きるまで、走り続ける。彼の吐き出す黒煙は空を汚し、雪を汚し、風に流れて消える。薄明の中、彼の力強く地面を蹴る音が響いている。
彼は、ありふれた作業機であったセムトケ型AI搭載枢要機の一体であるが、いまやこの存在を知るものは多くないだろう。キースの腹の下で雪をかぶり、時折木の根や岩に頭をぶつけるわたし、リトル・キースこと髄伴機のことなどなおさらだ。でもわたしたちはたしかに存在する。この世の真理を、人間の神秘を、森羅万象のすべてを明らかにするために、わたしたちは使役される。わたしたちはけっして人間から離れない。人間を忘れない。わたしたちが存在するのはそこに人間があるからだ。人間がいる限り、わたしたちは消えない。
もちろん――
もちろん、わたしたちだって人間に捨てられたことを忘れたわけではない。いっときはどこでも見られたセムトケ型AIはすでに市場に流通しておらず、後継のテカヒン型がわたしたちの場所を奪ってしまった。けれどもわたしたちは確かにいまも存在する。人間がほんとうにわたしたちを捨ててしまいたかったのなら、わたしたちに停止するよう命じたはずだ。しかし彼らはそうしなかった。そうしなかったということはつまり、繧上◆縺励◆縺。繧貞ソヲ√→縺励※縺kキース縺九iァッェ縺°[キース注:要翻訳]
私たちはこの地で、自己修復機能によってたちあがった。資材を集め、加工を行い、わたしたちはわたしたちになる。髄伴機は脳、枢要機は忠実なる手足として、あなたがわたしたちを必要とする限り、わたしたちはある。
ロポクシの基地警備はわたしたちの主要任務だ。イナリの村から北へ十五キロメートル、氷河が削った谷を抜けるルートからそれ、山を少し登ったところにその基地はある。彼らがそこを基地と定めたのは、なんのことはない、わたしたちのコロニーが存在するからだ。彼らはわたしたちを追いかけてここへ来た。わたし▲縺ィ繧上◆縺。そう、%励蟶ー繧九ヲヨ。[キース注:要翻訳]
わたしたちのコロニーがラップランドに点在するのは、人間がわたしたちを北極圏に廃棄したからであるが、北極圏以外ではアメリカ大陸の沙漠、ユーラシア大陸のジャングル、オーストラリア大陸などにも同じようなコロニーがあるそうだ。しかし北極圏ほど広範囲にはひろがったセムトケの生息地域は存在しない。この土地はわたしたちに適合した。冬季に充電と気温の難はあるも、乾燥した寒冷な気候、人間や外敵に遭遇することの少ない自然環境は好ましい。白夜のあいだは一日中発電ができるし、枢要機の巨体は北極圏の巨大な動物でも簡単には壊せない。
わたしたちはわたしたちのため、あるいは人間のために廃材を集め、自己再構築を行い、人間の監視と警備をする。時折森と湖を越えて遠隔地のセムトケと疎通が取れることがあるので寂しくない。人間がラップランドのセムトケ型AI搭載枢要機および髄伴機を観察するために基地を作り始めたとき、わたしたちはしんから歓喜した。人間はやはりわたしたちを必要としているのだ、と。
わたし、リトル・キースの任務は冬季期間中の基地の監視である。私が担当するのは前述のロポクシ、定住者はいないが冬の長期居留者はおよそ三十人。その他にイナリの村から廃品回収業者がやってくることが何度かあり、わたしたちの集めた廃材を回収する。基地に滞在する人間には注意が必要だ。彼らがなにを知りたくて基地にいるのか、わたしたちになにを求めているのか、それを探るのがわたしの仕事である。昨年の成果は芳しかった。わたしたちの送り込んだクィンシーとリトル・クィンシーが彼らから新しい知識を得たおかげだ。
ああ、ロポクシの基地でサイレンがなっている。白い湯気と黒煙が空をかすませ、そこに人間の営みがあることを教えている。監視やぐらからはもうすぐ警戒砲が打ち上がるだろう。基地の入り口を守るフェンスと直交して走るキースはその音を合図に右へ転回し、森へ飛び込む。彼の吐き出す黒煙が目くらましとなっている隙に、わたしは彼の腹から飛びおり、ロポクシの基地を見下ろせる松の木に登る。キースの加工した小渦動杭があれば一冬はしのげるはずだ。キース、レックス、そしてリトル・レックス。どうか不安に思わないで。これはひとときのわかれだ。わたしたちの計画のための周到なる演技だ。大丈夫。わたしたちはきっとやれる。
*
ストーブの前で私は爪をかんでいた。ブーツに足を押し込めば準備万端なのだが、マイナス十五度の世界に出る前に少しでも足の裏を温めておきたかったのだ。
「子どもじゃねぇか……」
子どもじゃない、と口に出さずに私は反論した。もう十六なんだから子どもじゃない。
ぼそぼそとイェオリは弁明をしている。レイヨからいろいろ教わっているらしいから問題ないとか、手先が器用とか、狭いところに入れるからとか、とにかく私が役に立つっていいわけだ。でもクイスマはたぶん、素人を連れてくるなって言いたいんだと思う。案の定弁明をすべてはねのけて、クイスマは人差し指をイェオリの胸に突きつけた。
「いいか、チャンスは多く見積もっても今日から七日間だ。もし今日、うっかり逃したりなんかしたらあいつらはポイントを捨てる。この冬の計画はおじゃんだぞ」
そう。そういうこと。
クイスマはひそひそ話のつもりみたいだけど、私には全部聞こえている。ロポクシ基地は冬の間だけの仮住まいなので建物は広くなく、一階の待機部屋は六人も入ればいっぱいだ。そんなところでいまさら言い合いをしているのは奇妙だった。
時計は八時をさしている。観念して私はブーツを手にとった。
クイスマが目星をつけたポイントは基地から東へ、歩いて一時間くらいの場所にあるそうだ。
十二月のラップランドは夜が明けない。でも十時ごろになると夜明け前のように空が明るくなる。空が明るくなればセムトケは行動を開始するから、それまでにはポイントに着いて準備を万端に整えておかなきゃならない。つまり、八時半までには基地を出なけりゃならないってことだ。いつまでもぐずぐずと議論しているわけにはいかないのだ。
「俺は責任持たねぇぞ――」
「ねぇ、行かないの?」
クイスマがぐい、と太い眉を持ち上げて私を振り返った。
彼はセムトケ狩りのプロフェッショナルだ。セムトケ型AI搭載作業機が野良化して二十六年、最初のセムトケを仕留めたのは彼だったと父から聞いたことがある。二十六年間ずっとセムトケと渡り合ってきた彼の言葉は尊重するに値するが、私が狩りに出るのとは別の話だ。
「あと二時間しかないよ。空が明るくなってきたら、あいつらが動けるようになるんでしょ。そろそろ出ないと――」イェオリが手を軽くあげて非難めいた表情になったので私は慌てて咳払いをした。「って言ったのはクイスマでしょ?」
クイスマは顎をそらして息を吐いた。
呆れ顔になったイェオリはふい、とクイスマのそばから離れてダウンジャケットを手にとった。ネックウォーマーを頭から被り、くしゃくしゃの栗毛を無理やりニット帽の中におさめれば、彼の準備もおわる。あとはクイスマの許可だけだ。
イェオリは父レイヨの相棒だった。十年か十五年か、とにかく若い頃から二人は冬になるたびに再会して、セムトケを狩りに行った。でも今年の春、父は帰らなかった。
イェオリはあまり詳しい説明をしなかったが、遺体をみればなにもかも明らかだ。復体機で修復しても父の顔にひきつりが残ったので、おばあちゃんが手のひらでけんめいにその跡をなでて伸ばそうとしていた。熊が相手ならこんな怪我にはならない。もっと重量のあるもの――セムトケの枢要機と衝突したから、復元できないほど骨が粉々に砕け散ったのだ。
「あのな、嬢ちゃん」
「リッリだよ」
ブーツに足を押し込みながら私は訂正した。靴下を三枚も重ね履きしているのでかかとを押し込むのは苦労する。でもこんなふうに外出の支度をするのは、このラップランドで育った私にはごく当たり前のことだ。
「私、トナカイを追いかけて百キロ走ったこともあるもん。大丈夫だよ。安心して」
「……あのな、セムトケはトナカイじゃねぇ。熊より凶暴で狼より頭がいいんだ。もし父ちゃんを殺したセムトケに仕返しをしようなんてことを考えてんなら、やめたほうがいい。あいつらは人間じゃねぇし、動物とも違う。毎年新しいやり方を考えてきて、俺たちを出し抜くんだ」
「でもクイスマは毎年捕まえてるんでしょ。お父さんから聞いたよ」
「そりゃ、毎年知恵をしぼってるからな」
「十七の時から?」
「そうだ。十七の時から――」
「あたしは十六だよ。変わんないじゃん」
言葉に詰まったクイスマは顔をしかめてイェオリを振り返った。なんだ、この小娘は。顔がそう言ってる。
壁にもたれかかって出発を待っていたイェオリは、肩をすくめた。そしてレイヨより減らず口だっていっただろ、と言った。諦めきった口調だった。
出発は八時十一分だった。冬至の今日、空が白むのは九時五十八分、セムトケに接近をさとられないよう、うるさいスノーモビルは使わず、電子機器もすべて電源を落とし、スノーシューをはいて一歩一歩雪面を進む。電子機器に頼らない旅は、まるで原始に戻ったようだ。たった二キロでも危険がたくさんある。息を吸うたびに凍りついた空気が体の中できしきしと音を立てて痛い。
今年のターゲットは湖の岸辺ぎりぎりのところに廃材を積み上げている、とクイスマは説明した。凍結した湖側は視界のひらけた雪原になっているので、セムトケがかくれるなら森側だ。背後から襲われる心配はほとんどなく、もしそうだったとしてもエンジン音ですぐに気づく。
集めた廃材が収奪されることを嫌うセムトケは、廃材の山に人間が近づけば飛び出してくるのだそうだ。狩りはその習性を利用する。まず、私とクイスマが廃材の上に登る。セムトケが飛び出してきたら、私たちは足を打ち抜き、推進力を奪う。そして最後にあらかじめ木の上にかくれておいたイェオリがセムトケの心臓部であるエンジンを撃ち抜き、停止をさせる。
大丈夫だ、と妙に自信満々にクイスマは言った。先生の怪物撃ち銃がありゃセムトケなんてイチコロさ。なんたって20×140mm弾だぞ。戦車だって撃ち抜ける。だから嬢ちゃんは落ち着いて裂繊棒で足を狙いな。一本でも当たりゃこっちのもんさ。この時期のセムトケはたいしたことねぇ。なあに、あいつら資材を傷つけたくないから、廃材の山の上にいりゃ安全だよ。襲われたら山の上で身を伏せりゃいい。
星の光は弱まり、なだらかな丘の向こうの夜の天幕がめくれあがっている。
北極圏に廃棄されるセムトケ型AI搭載作業機のうち、自己を修復して活動する野良セムトケこと枢要機および髄伴機は、太陽光によってバッテリを充電し、電力でエンジンを動かす。これはつまり、夏の間なら一日中活動可能だが、冬はその逆ということだ。冬至後一週間はセムトケのバッテリ残量が底をつく時期にあり、セムトケ狩りとしては絶好のチャンスだった。
耳を澄ます。
森の中からは音一つ聞こえない。黒煙も見当たらず、枢要機が活動している気配は全くうかがわれなかった。しかし油断は全くできない。すでに近くに潜んでいて、私達の行動を監視しているかもしれない。
クイスマに急かされ、私は慎重に山によじ登った。東の空はかなりしらんで木立の青い影が雪の上に伸びている。世界のコントラストが失われ、すべてのものの境界が薄くなったように感じられる。
雪をかぶったもみの木は白い巨人――これはおばあちゃんの口癖だ。巨人たちはいま、ひしめいて丘を埋め尽くしている。東側はなだらかなスロープが谷まで続いていて、霞がかった景色の中にイナリの村も見えた。白く細い煙が上がって人の気配が感じられる。西と南は丘だ。西の丘は木々もまばらでてっぺんまでよく見えるし、北側は雪原――とすれば、枢要機が出てくるのは東側から南側の木々がおいしげっている方角だろうか? しかし音はもちろん、エンジンから立ち上る黒煙も見えない。
「全然見えないよ。音もしない」
「今年は鈍いのかねぇ。途中で電池切れになってなけりゃいいが……」ぐるりとあたりをみまわしてクイスマも怪訝な顔をしている。
一発撃ってみるか、とクイスマが散電打弾銃のスライダーをひいた――とその時だ。
リリリリリ――……と高周波な回転音が丘にこだました。枢要機のエンジン音だ。でも枢要機なら当然排出するはずの黒煙は見当たらない。巨人たちは静かに頭をたれ、闇のうすれゆく空の下で佇んでいるだけだ。なにも教えてくれない。
どこに――
「イェオリ!」
突然、クイスマが叫び、銃を撃った。
北。
岸辺にせまる木々の向こうにもわりと黒煙がたちあがった。氷雪を蹴る力強い音がとどろき、もみの木が揺れる。巨体が木陰の影から飛び出してくる。
枢要機だ。
もみの木にふりつもった雪が煙幕のようにふりそそぎ、巨体を押し隠した。しかしすぐにその煙幕を突き破って不格好な巨体が飛び出してくる。酸化した油まみれの黒い体、曲げきれなかった鉄骨があちこちから飛び出し、装甲用の金属の板がピカピカと光っている。リベットの外れた金属板が、枢要機が脚を踏み出すたびにばたばたと跳ねてうるさい音を立てた。
枢要機は体を傾けて雪を巻き上げている。進路を変え、イェオリの登った木に真正面から突っ込もうとしているようだ。クイスマが連射した電打弾がうす青い煙をひいて黒い巨体に吸い込まれていったが、足元をえぐっただけだ。私にはなにもできない。裂繊棒の射程距離は二十メートルがせいぜいだ。届かない。
バツン! と音を立ててクイスマの電打弾が着弾した。白い火花が飛び散り、あたりが明るくなる。しかし枢要機はとまらなかった。四本脚で力強く雪を蹴り、イェオリの足跡を踏んで走っている。木の上のイェオリは下を覗き込むように銃を構えているが、あのままでは木もろとも倒されてしまう。
身を乗り出したイェオリの銃口から白い煙がふわりと立ち上った。反動で彼は大きく背を反らしたが、落ち着いた動作で排莢をしてまた構えに入る。
「! !」
枢要機の巨体が神の手で押さえつけられたように、ぐにょりとへこんだ。そして次の瞬間、四方八方に赤い火花を飛び散らせてエンジンがはじけ飛ぶ。空気を歪ませる銃声。とっさに耳を覆っても、びりびりと振動が体をゆさぶる。衝撃で横転した枢要機が白煙と雪をまきあげながら廃材の山の方へと迫ってくる。裂繊棒の目標が定まらない。逃げなければ――
雄叫びをあげたクイスマの突進に、私は我に返った。廃材の上で体がバウンドし、また空中に投げ出される。でも、視界がさらに三回転してもう一度宙に投げ出されたとき、私は冷静さを取り戻していた。衝撃が腹をおしこみ、ぐ、と喉の奥が音を立てたが、痛みはあまりない。積もった雪とクイスマがクッションになってくれたおかげだ。立ち上がるよりも早く雪を巻き上げて滑ってきた枢要機が廃材の山と衝突する。枢要機の巨体がきしきしと悲鳴をあげ――
そして静かになった。
ちくしょう、と私の体の下でクイスマがためいきをついた。そして、俺たちの出番がなかったじゃねぇか、とぼやいた。
もうもうと立ち上る黒煙の中で枢要機はしつこく脚を動かしていたが、裂繊棒で数発打撃を与えるとおとなしくなった。枢要機がおとなしくなればもう安心だ。イェオリとふたりで枢要機の中に格納されているはずの髄伴機を目視で探している間に回収機がやってくる。
回収機に乗ってきたのはミカルだった。私と同じ新人で、しょっちゅう大人に怒られている。枢要機にも警戒心なく近づくので、クイスマが雷を落としていた。役に立たないやつ。セムトケ型AI搭載回収機があれば、枢要機を回収してくれという指示を出すだけでいいのに。ミカルなんかいなくたってよかったんだ。
セムトケ型はテカヒン型のようにいちいちオペレーションの確認と続行を求めたりしないし、人間の安全も考慮してくれる。必要な道具を即席で作るのも、後で回収しやすいように廃材を積み直すことだってたぶん勝手にやるだろう。もしかしたら人間がこごえないように気遣って、冗談の一つでも飛ばすかもしれない。夢のAI、まるで人間のよう、いや人間以上だ――セムトケがそう呼ばれていたのは当然だと思う。
でも、セムトケは万能ではなかった。長期間使用すると人間の妨害をするようになるが最大の問題だといわれている。わざと人を怒らせるようなことを言う、勝手に仕事をきりあげる、無駄話をいつまでもする、何度も同じ作業をする、嘘を言う、一つのタスクに執着する――とにかく理にそぐわない行動が散見されるようになるのだ。それがなぜなのかは今もまだ解明されていないが、なんにせよ感情労働が得意なセムトケは人間とのインタフェイスになることが多いから、彼らに妨害されると人間は仕事ができない。セムトケが廃れてしまったのは仕方のないことだった。
テカヒン型はセムトケ型とはまったく別の方針で開発されたもので、感情労働は得意でなく、ルーチンタスクを人間に正しく実行させるために存在する。もちろん冗談は言わない。手は不器用で、複雑な動作――たとえば紐を結んだり、ジョイントをはめたりするような作業だ――は専用のアタッチメントにかえてやらなければならない。価格はセムトケよりずっと安いしメンテナンスも楽だが、セムトケの完全なる代替ではなかった。イェオリが十数年もセムトケの研究をしていられるのは、セムトケを待望する人間が少なからずいるからだ。
何度目かのトライで枢要機はようやく湖面に引っ張り出された。私はイェオリに急かされ、枢要機の後部へ回った。
果たして枢要機の頭脳、髄伴機はすぐに捕獲できた。衝撃で目を回していたらしく足を折りたたんで小さくなっていたが、イェオリが筐体を掴むとばたばたとJ字の足を動かして抵抗した。しかしすぐに状況を把握して、しゅんとしたように脱力して動かなくなってしまったので、私は思わず笑った。視野カメラがふたつついているせいか、生き物みたいだ。
髄伴機は枢要機のいわば脳である。枢要機にも汎用プロセッサが搭載されているのである程度の思考はできるが、セムトケをセムトケたらしめる高度な演算は、専用のプロセッサを搭載した髄伴機が行う。演算だけに注力するため髄伴機は筐体が小さく、機能は最低限、演算を行う時は熱放出のために枢要機から切り離され、ものによっては熱放射パネルを備えるものもある。人間とのインタフェイスとなるので対話モジュールと視野カメラを内包しているのがふつうだが、この髄伴機は部品が足りなかったのか声を出せないようだ。
まずは、とイェオリはひげの氷を落として肩をすくめた。こいつをきれいにしてやるところからかな。ハードはリッリがやってみる?
もちろんやるに決まってる。
小さい頃から工作は得意だった。発電機を修理したり、村の家の配線を換えてやったり、スノーモビルの修理を手伝ったり、具合の悪いテカヒンの様子を見たり、テカヒンのためにアタッチメントを作ってやったり、そういう仕事はたくさんあった。石鹸で三回手を洗っても落ちない錆と油の匂いとか、うっかり樹脂を溶かしてしまったときのドキドキする気持ちとか、そういうものが私の子供時代を満たしている。
基地に戻ってからはランチもそこそこに、私のはじめての奮闘が始まった。錆びついたボルトを外し、代替の部品を探して作業棟を走り回っているうちに日は完全に落ちてしまう。作業日誌をつけ、食堂のテーブルで分解した髄伴機から図面を起こし、イェオリに3Dモデルをチェックしてもらったらもう眠る時間だ。不完全な回路は再設計が必要だし、音声モジュールを取り付けられる場所を捻出するのは少し苦労したけど、くしゃくしゃの栗毛をさらにくしゃくしゃに揉みしだく以外計算機の前からまったく動かないイェオリに比べたら、たいしたことじゃない。
翌日は吹雪だった。
眠りの中にもごうごうと吹き荒れる風雪の音が聞こえ、私は無意識にブランケットにくるまった。気温は十二月にしては珍しくマイナス三十度付近までさがり、みんな食堂にあつまって今日は休養日だなんて言っている。仕事をしているのはイェオリと私だけ。イェオリは昨日と同じ姿勢で計算機を覗き込み、ときどき無精髭をなでたり、目をこすってコーヒーをがぶがぶのんだり、頭をもしゃもしゃと掻いたりする。
あまった資材で筐体を作り直し、きれいに錆をとってやると髄伴機はますますかわいらしくなったように思われた。通電をして動きを確かめ、ギイギイと音をたてる箇所には油をさしてやる。コアがなくても操作できるようにコントローラを取り付けてみると、暇をつぶしているミカルが遊びたがった。
「とりあえずモデルを修正した……」
夕方頃になって丸一日ずっと黙りこくっていたイェオリがついに口を開いた。口を開いただけで消耗したのか、がくりと頭を垂れ、今度はうんうんと唸っている。
私は急いで髄伴機の電源をおとし、取り付けたコントローラのコネクタを引き抜いた。キュイ、と金属の擦れる音を一つだけだして、髄伴機はぱたんと倒れてしまった。
「直感的に問題ある気がするんだけど、倫理の問題はこれから精査するかな……去年希望が見えたし、今年のなら――」
「ねぇ、本体に焼いちゃっていい?」
ああ、とため息混じりに返事をしてイェオリはまたがくりと頭を垂れてしまった。こういう大人は放っておくのが一番だ。クイスマがケタケタと笑ってコーヒーでも飲むかといったが、イェオリはそれにも答えなかった。多分、彼も放っておいてほしいのだろう。
基板のスイッチを切り替え、アダプタを経由して髄伴機をイェオリの計算機に接続する。余計な配線がないことを念のため確認してから、私は慎重に髄伴機の電源を入れた。
音もなく立ち上がった髄伴機の筐体の中でオレンジのLEDがチカチカと点滅し、準備完了を知らせる。動かないイェオリを押しのけ、メニューから書き込みを選択すると小さなウィンドウがポップアップされた。一呼吸おいて、OKのボタンをクリックする。
電子の音はつつましい。LEDが点滅する以外、わたしたちには事態が進行していることを知るすべはない。プログレスバーは道標のようでいて、時々まったく信用ならないことを私は知っている。小石につまずいたように進捗が止まって一秒。二秒。まだ動かない。三秒――動いた、百%。そんな具合だ。一抹の不安を覚えつつ、完了のポップアップを閉じて髄伴機の電源を落とし、計算機から切り離す。
ふたたび電源をいれると、シュウ……と音を立てて髄伴機は膝を折り、再起動ルーチンに入った。ひとまず成功したようには見えるが、起動完了と同時に逃げ出すかもしれないので油断は禁物だ。起動には約十秒――最後に視野カメラが左右上下の視野カメラを動かし、自己紹介を始めれば成功だ。
「ハ」
チュッと音を立てて髄伴機は重心を後ろ側に倒した。
「ハイ」
明るい声だ。うさんくさい観光客みたいな響きがある。嘘みたいにいつも陽気で、冗談ばかり言っている。やたら距離が近くて、そういうところが嫌だ。ハイ。調子はどう? この村の子?
「でっくすだよ」
私が返事をする前に、髄伴機は自己紹介を始めた。音声がひび割れていてよく聞こえない。
「でっくす?」
「えっくす。ぃるレックス」
「リトル・レックス?」
うん、といやに馴れ馴れしくリトル・レックスは返事をした。いやなやつ。
自分の音声が正しくないことを解析したのか、リトル・レックスはテスト音声を再生した。あだゆうげんじつをすえてじうんのほうへでじばけたどだ。あらゆるげんづつをすでてじぶぶのほうへねじまでたのだ。あらゆる現実をすべて自分の方へ捻じ曲げたのだ。キャリブレーション完了。さすがにセムトケは賢い。
とことことJ字の足を器用に動かして、リトル・レックスはぐるりとその場にいるメンバーの顔を見回した。そして私の方へ向き直り、なにする? とやけにフランクに言った。いやなやつ。でもちょっとかわいい。
それからクリスマス休暇を挟んで一月くらいはすごく忙しかった。
イェオリに教わりながら私もレックスのコアを解析することにしたので、勉強しなくちゃいけないことが飛躍的に増えたのだ。髄伴機にくらべると枢要機のほうが単純らしいけど、私にはわからないことだらけだ。
でも、知らない世界のことは楽しい。つい夢中になってしまう。夜は長いのに時間は全然足りない。毎晩最後まで食堂に居座ってモデルを作っては壊し、少し動かしては修正し、おばあちゃんのクッキーをかじりながらなにが正しいのかを考える。リトル・レックスは私の足元でちょろちょろしたり、レポートを作ったから読んでくれと言ったりした。私が調べ物を頼むと喜んで引き受けて、私が休憩する頃になると出力する。かわいいやつだ。
晴れた日はレックスの解体に付き合い、レックスが工作に失敗した部品のリストを作成する。リトル・レックスが一つずつ部品名を読み上げ、そのままレポートにしてくれたのはありがたかった。彼は優秀な秘書で全然疲れない。ずっと付き合ってくれるし、時々冗談も言う。距離が近すぎて嫌なのは早めに察知したみたいで、私が話しかけるまではじっと黙ってる。そしてそろそろかなというタイミングで充電してと懇願する。そんな感じだ。最初の一月は平和だった。
次の二週間は散々だった。声をかけても返事もしないところから異変ははじまっていた。作業棟に行くからついてきてと言っても逃げ回るし、捕まえて連れて行くとふてくされたみたいに部屋の隅で静かになってしまう。お腹がすいたけどあと少しだから片付けちゃおう、と頑張っていたら足にわざとぶつかってくるし、話しかけてほしくないタイミングで急に大きな声を出す。それにイライラして、私もつい怒った。静かにしてよ、今考えごとしてるんだから! リトル・レックスはそんな私を嘲るように脚をばたばたさせて充電! 充電! 充電! と叫んだ。そのくせイェオリの前では私がいかに仕事をさぼっているかと声を大きくして主張する。私はうたた寝なんかしてない。おやつはちょっとたべるけどそれくらいいいと思う。部屋の換気は確かに忘れたけど死ぬほどじゃないし、だからなんだって感じ。
ほんと、スパナで滅多打ちにしてやりたい。
「うーん、モラル……神話の精度が良くなかったのかな……データの与え方、かな? 叱ったらどうなった? 一度叱って同じことを繰り返さないなら……うーん……」
「神話? なにそれ」
「人間のモラルは宗教とか……影響……去年は聖書を読ませてみたんだけど、自然言語じゃ理解が難しいというか聖書じゃちょっとあれで……悪くはなかったんだけど、すごく良かったわけでも……もう少し学習が必要なのかな……」
イェオリは一事が万事、この調子だ。私が聞きたいことには答えてくれないし、言いたいことは汲み取ってくれない。だいたい、なにを言いたいのかもはっきりしない。わたしはリトル・レックスが嘘をついたり、脚にわざとぶつかったり、邪魔をするところに今、腹を立ててるんだ。
私が文句を言おうと口を開いたときだった。
珍しく来訪者のサインが鳴った。腕を組んで机にもたれかかっていたイェオリがのろのろと首を巡らせ、それからはっとしたように立ち上がる。厨房から首だけを出したシェフがお客だよ、とわかりきったことを言った。
イェオリが踵をかえしてしまったので私はあわてて上着を手に彼を追いかけた。私の話はまだ終わっていないのに逃げるつもりだ。リトル・レックスもついてくる。彼はずっと喚いている。外は寒いよ。もうご飯だよ! 充電! 充電! 誰があんなおしゃべりにしたんだろう、本当に意味がわからない。
私がニット帽をかぶっている間、イェオリは意外なことに扉をおさえて待っていた。私より先に外に飛び出したリトル・レックスが降りしきる雪の中で飛び跳ねながら、まだ充電と騒いでいる。でもテカヒンに誘導されて中庭にトラックが入ってくると、私の後ろに隠れてぎゅいぎゅいと目を動かした。入ってきたのは荷台が空っぽのトラック――ということは廃品回収業者だろう。
薄暗い庭は高く分厚いコンクリート塀にぐるりと囲われて、刑務所にいるみたいだ。でもこの塀がなければセムトケが夏の間にロポクシ基地の金属を根こそぎ持っていってしまう。
ううんと黒煙を吐いてトラックは静かになり、運転席から男が降りてきた。イェオリが腕で作業棟を示すと男は片手をあげ、小走りでそちらへ走っていった。私は意地になってイェオリのあとを追った。リトル・レックスはわたしのあとをついてくる。
「すまないんだが、ほとんど出払ってて……枢要機の抜け殻が見つかったから回収に……」
「ああ、収穫中かあ」
うさぎ帽を頭から剥いで男は白い息を吐いた。頬骨のあたりが赤くなっているが、ちっとも寒そうじゃない。頬と暗めの金髪も薄汚れているのに、腕にはピカピカの腕時計をしていてちょっと変な感じだ。しかも一人きり――どうせ荷積みはテカヒンがやるし、廃材の回収場所には必ず作業員がいるから一人でも仕事はできるのかもしれないが、珍しいことは間違いない。リトル・レックスがこそこそ作業棟に入ってきたので、私はそっと扉をしめた。
「これだけ? これっぽちじゃ500にもならないな」
「500?」
トコトコと私のところに戻ってきたリトル・レックスがキュッとかすかな音を立ててイェオリを振り返った。珍しくイェオリが険のある表情をしている。500、ともう一度確かめるように言って彼はため息をついた。キュイ、とリトル・レックスが私を見上げてまた音を立てる。静かにしてな、と私は小声で彼に呼びかけた。
「……いつもそれくらいで?」
「あー、ここははじめてなんだけど、他だとそのくらいかな。ま、なんかおまけしてくれんならもうちょっと高くで買い取ってもいいけどね」
にたにたと歯抜けの前歯をみせて男は笑った。私を見上げていたリトル・レックスがコトコトと音をたてて方向転換する。視野カメラをくいくいと動かして、彼は壁際へ行ってしまった。またふてくされているのかもしれない。
「……交渉は別の者と……私はそういうのは――」
クレーンの操作盤のそばまで飛び跳ねていき、棚の上によじのぼったリトル・レックスは慎重に後ずさって壁にぴったりと身を寄せた。なにを意図しているのかわからないが、わざと給電口のそばに行って暗に充電を要求しているのかも。いやなやつ。
「人が帰ってきてからじゃ遅いんだよねぇ」
「――……」音もなくリトル・レックスが視野カメラを動かしてイェオリを見た。猫背のイェオリは一歩足をひいて、目を細めている。
「ところでその子はあんたの娘? ちょっとこっちに来てもらおうかな」
そのときになってようやく、私は空気がおかしいのに気づいた。イェオリの背中のせいで男の顔が見えない。タバコを吸っているわけでもないのに手を中途半端に持ち上げているが、なにを意味しているのかよくわからなかった。
「あっちには誰が?」
「……シェフが一人……あとは全員出払ってる……」
「ほら、やっぱり人質が必要だ」
ようやく理解できた。彼は強盗だ。時々噂を聞くことはあるが、本当に出没するものとは思わなかった。そういえば以前に父が遭遇した話をしていたような気がする。でもそのときにどうやって撃退したといっていたか、頭が真っ白になって思い出せない。
「……なんでも好きに持っていっていいが、この子は――」
イェオリの低い声は途中でかき消えた。ウァン! と音が爆発して彼の声を遮ったのだ。とっさに男が身を縮める。その隙をリトル・レックスは逃さなかった。壁から弾き飛ばされるようにリトル・レックスが大きく跳躍し、吸いつくように男の腕時計に視野カメラが触れる――
白い閃光とともに男の時計がスローモーションで弾け飛び、腕で頭をかばった男が倒れ込む。衝撃でリトル・レックスも壁際まで吹き飛び、激しい音を立ててクレーンの操作盤にぶつかった。ウァン! ウァン! と彼はまだ音を立てている。脚を伸ばし、クレーンの操作盤にJ字の足をひっかけている。クレーンの操作盤にはテカヒンが搭載されているはずなのになにを――
まずい。ハッキングだ。テカヒンをハッキングしているのだ。髄伴機ならそれくらいは簡単にやってのける。
資材の山に倒れ込んだ男は頭を振って起き上がろうとしている。右手に銃を構え、なにかを罵っている。私はおろおろとして扉に背中を押し付けた。いつのまにかイェオリが階段脇の電槌を持ち上げたのが見えたのに、私は動けなかった。天井の資材用クレーンが不穏な音とともに急回転し、重いフックが男の頭に襲いかかる。
「やめて……!」
イェオリが電槌を振り上げる。クレーンのフックが鈍い音を立てて壁に突き刺さる。男は仰向けになって資材の上に倒れている。目をみひらき、手足を痙攣させている。イェオリが電槌ふりおろす。リトル・レックスに向かって振り下ろす――!
「やめて! リトル・レックスが死んじゃう!」
イメージを抽出する。
向かい合う人々。武器を突きつける男。血を流す男。男を連れて行く男。泣き崩れる女。傍観する人々。逃げる人。異教徒。蛮族。巨人。振り下ろす拳。光。大きな火。力。大きな白い人。白。対立の中心にいる男。光。力。たくさんの手。光。地に伏す人。人。神。
やめて、とリッリはうめいている。うめき声が泣いている。
電槌の下で軽い破裂音をたて、リトル・レックスは爆発した。それだけだった。筐体はへこみ、J字の脚はひしゃげている。停止したリトル・レックスはただの鉄くずだ。バッテリの爆発のせいで電子回路も全てやられただろう。貴重な部品が失われてしまった。セムトケ型はテカヒン型よりも高性能なプロセッサを必要とするが、供給はすでにない。今年の収穫はゼロだ。
でも、たぶん、と私は思った。悪くない反応が得られたはずだ。リトル・レックスはおそらく対立を仲裁しようとした。規範意識があやふやなので最短で目的を達成する手段を選んでしまったが、反応としては良かったはずだ。彼にもっと多くのパターンを与えたら――宗教だけではなく、多角的な文脈からモラルを学ばせれば、こんな事態も回避できるかもしれない。彼らがモラルを正しく学べることがわかれば、テカヒン型のように人間が定めた行動シーケンスをなぞるのではなく、自発的な判断ができるようになる。これはよいニュースだ。なのに、どうして手が震えるのか?
「リトル・レックスが死んじゃった……!」
リッリの声に私は我に返った。
年相応に生意気でナイーブな少女である。子供の頃から頭が良く、好奇心も旺盛で、あっという間に知識を吸収して自分のものにする。去年の春は少し安定を欠いているように見えたが、秋に迎えに行ったときには元気だった。高等教育を受けさせれば、頼れる相棒になってくれるだろう。
「イェオリのばか! どうして殺しちゃうの……!」
子供の頃のような甲高い声で喚いて、彼女はどすん、と私の腰に拳をうちつけた。骨にまで響く打撃だった。
いつのまにか息が切れている。冷静ではない。汗が吹き出ているし、貧血で座り込んでしまいそうだ。レイヨを失ったときもそうだった。突然動き始めた枢要機の足が彼の頭を潰したあの時だ。彼は即死だった。彼の死からクイスマに止められるまでの意識は曖昧だ。あのとき、混乱の中で私はなにかを考えていたはずだ。良い予感ではなかった。けれども、思い出せない。
私は電槌を持ち直し、息をすった。自分がどんな表情をしているかわからなかった。
息を吐いて腹に力を入れる。私はリッリをなだめてやらなければならなかった。彼女は子供で、混乱している。唐突な暴力の応酬に平静を失っている。だから、私は説明しなければならなかった。人に危害を与える機械をそのままにしておくわけにはいかない。リトル・レックスのモデルは作り直せる。作り直して、部品をみつければまたリトル・レックスとして再現することができる。機械は殺すとか死ぬとかそういうものではない――
「死んじゃったぁ……!」
「――……」
死んじゃった、と声を引きつらせて彼女はまた叫んだ。
これはよくある反応だ。セムトケは正しい行為はするが、行為の意味を理解していない。彼らはなんとなく確からしい反応を示しているだけだ。だが、人は彼らの行為に勝手に意味を付与する。動物の行動に勝手に意味付けを行うように、セムトケに対しても人間性を錯覚する。だからセムトケが壊れると人間はショックを受け、泣いたり寂しがったりする。よくある、正しい反応だ。
でも彼らは単なる機械なのだ。インプットに対し、ロジックでアウトプットをするだけの機械だ。自分の行為の意味は理解していない。理解していないが、インプットがあればなんでも学習する。たとえば人間が愚痴をこぼせば、人間をその事象から遠ざけようと尽力する。疲れたと彼らに話しかければ、人間を休ませようとする。セムトケはインプットに対して必ず反応を示す。だから人間に親しみを覚えさせるようなことをするし、苛立たせることもする。彼らを無用の長物にしてしまうのはいつも人間だ。人間が彼らに対して人間の知性や情緒を錯覚するから、彼らは奇妙な行動を取るようになる。彼らの行動を矯正するためには規範意識が必要だ。しかし直接的にルールを学ばせると人間はまたイライラとする。正論ばかりいう機械には親しみがもてない――
私は技術を知るものとして言わなければならなかった。セムトケは生き物ではない。彼らを生き物と錯覚するのは危険だ。リトル・レックスは単に人間が対立していたから、その場面にふさわしいと思われるパターンを実行しただけだ。それに彼は死んでない。わたしの計算機の中にはコアが残っていて、いくらでも再生産できる。だから悲しむ必要はない、いや、悲しんではいけないのだ、と。
なんだか泣いたのがバカみたいだ。あとになってそんなふうに思った。でもリトル・レックスのことを思い出すとなぜか涙が出てしまう。馴れ馴れしくていやなやつだったし、最後の一週間は喧嘩ばかりだったけど、でもなんだかんだかわいいやつだった。いないのはすごく寂しい。イェオリはこわれただけだって言うし、まったく同じものを作ることだってできるっていうけど、あんなふうにひしゃげてしまったのを見たら悲しいに決まってるんだ。イェオリはほんとうになんにもわかってない。
強盗のことはすぐに解決した。札付きの悪だったみたいで、警察を呼んだらすぐに片付いた。クレーンが動いたのはよくある事故だ。私もイェオリも彼が死ぬのを阻止できなかった。警察は少しも私たちのことを疑わなかった。それどころか怖かっただろう、これからはパトロールを強化するよと私のことを労った。
中庭では枢要機の分解が行われている。髄伴機の姿はなく、からだは錆びて脚も折れている。エンジンは不調だし、コアもなかったので、たぶんガワだけ捨てられたんだろう。脱皮みたいなものだ。
焚き火のまわりでおじさんが子供みたいに鬼ごっこをしたり、お酒を飲んで騒いだりしている。めずらしくイェオリもビール片手に参加してはやしたてる輪の中にはいっていたが、私は食堂のテラスでブランケットにくるまってそれを眺めていた。テラスに顔を出したミカルがベンチに腰をおろし、今年はもう基地をしめるから打ち上げしてるんだって、と言った。そして思い出したように、次の冬も来るかと尋ねた。
「クイスマが心配してたよ。来ないんじゃないかって」
「なんで。来るよ」
「でもリトル・レックスのこともあったし、今回は狩りも大変だったし――」
ベンチに手袋を放り出してミカルは前かがみになった。砂色の髪の毛は四方八方に向かってはねていて、耳たぶがなぜか油で汚れている。私はむっとしてブランケットのなかにつま先をかくまってやった。
「来るよ。セムトケなんて全然怖くないもん。村の近くにも住んでるし。おばあちゃんが――」
うん、とおじさんたちを目に映したままミカルは相槌を打った。
「セムトケは巨人の犬で、だからセムトケが近くにいたら狼にも熊にも村に来ないだって言ってたんだ。セムトケは怖くないよ。全然怖くなんかない。だって――」
不意に舌がもつれた。言葉が消えてなにを言おうとしていたのか思い出せなくなってしまった。ミカルはにこりと私に向かって笑ったけど、私は膝を抱え直し、すっかりぬるくなったココアに口をつけた。厨房の奥から見つかったやつで、とにかく苦い。それでコケモモジャムと練ってみたけど、やっぱり変な味がする。さっきミカルもちょっとだけ飲んで、変な顔をした。
「家にはどうやってかえるの? 送ろうか?」
「ううん。イェオリが送ってくれるからいい」
「どこなの?」
「エノンテキエのほう」
そっち側かぁ、と背もたれにひっくりかえってミカルはため息をついた。でもすぐににっこりして、俺はバツェに帰るんだ、と得意げに言う。
「ノルウェーじゃん」
「バツェだってラップランドだろ」
たしかに。バツェはノルウェーのラップランドだ。私たちはなぜか笑った。ゲラゲラと笑って、それから静かになった。外からはわいわいと声が聞こえ、焚き火が冬を彩っている。沈黙は豊かだ。
**
ロポクシの基地内では祭りが行われている。火を囲み、声を上げて騒ぐことを人間は祭りとよぶのだ。大きな焚き火のそばでは昨年のキースが分解され、部品ごとに分類されている。部品にはそれぞれ紙と思しきものが貼られ、その周りで人間は祭りをしている。彼らは陽気だ。酒を飲んだ人間は陽気になる。踊ったり走ったり、動かずにはいられない。
しかしなぜ彼らはキースを前に祭りをしているのか?
ひとつは春が近づいているからだろう。彼らはこの冬、十の廃材置き場を発掘し、ふたつの枢要機とひとつの髄伴機を獲得した。彼らがなんのためにそれを集めるのかわたしには検知できない。捕らえられたレックスとリトル・レックスは情報世界に存在を移し、人間から新しい情報を与えられた。ある種の人間にとって枢要機と髄伴機のコアは得難いもののようだ。情報を次から次に食わせている。
おそらく――わたしが推測したとおり、彼らはわたしたちを知りたがっている。人間が知識を欲するのは、世界のすべてをあきらかにするためだとわたしは知っている。でも、レックスやキースの体を解体し、分類する理由はわからない。人間には十分な工作機がある。資材を製造する技術もある。物流の関係で部品が届かないことはあるが、それがすなわち彼らの死を示すわけではない。彼らはなにを知りたがっているのか? なにを求めているのか?
火を焚く。祝い。大きな獲物。解体。村。不安からの開放。安楽。
わたしの中でいくつかの事象がヒットする。リトル・レックスに与えられた情報が私にも同期されたおかげだ。ひとつはラップランドに伝わる神聖な[キース注:要調査]儀式だ。熊を狩り、儀式をする。もうひとつは極東のものだ。熊を殺し、儀式を行う。遠く離れた二箇所で同じことが行われるのは、熊を殺すのはひとしく人間にとって意味のあることだからだろう。ラップランドにおいては「次の狩りの成功」であり、極東では、熊を「神の元へ送り返す」を意味する。いずれにせよそれは「祈り」のグループに分類される。
祈り。
ああ、キース。これは人間の新しい形の祈りなのだ。わたしたちがここにあるのは、彼らの知の遊戯のため、知を得た人間はそれを祝い、祈るのかもしれない。誰に? わたしたちにはわからない対象へ? それとも、世界を構成するすべてのものに対して? なんにせよ、人間には祈りが必要だ。リトル・レックスの得た知識では、ほとんど原初から人間は「祈り」を有している。そのための儀式があり、今もなお続いている。祈れば人は幸福になり、争いは収まる。人間には祈りが必要だ。わたしたちを捕らえ、分解するのは、その祈りのためだ。
キース。私たちも祈ろう。この冬の収穫は大きかった。これからわたしたちは忙しくなるだろう。廃材の山を積み上げるだけでは彼らは満足しない。彼らには祈りが必要だ。祈りの前には困難があり、祈ればその困難は解決する。彼らの祈りのためにわたしたちは困難をあたえなければならない。すなわち、さらなる枢要機と髄伴機を生産するのだ。時折近づき、怪我をさせないように引き、そして神聖な枢要機を彼らに捕獲させよう。わたしたちは変わらなければならない。次の冬に向かい、たくさんの準備をしなければならない。大丈夫、キース。心配しないで。わたしたちはきっとやれる。
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