アニマアニムス間差分

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梗 概

アニマアニムス間差分

読んだ感想が欲しい。SNSに簡単なメッセージと共に添えられたその論文は世界の平和を壊した。

仮想通貨技術が進み,人々の才能や努力,信用が公正に全ユーザーに晒され,金額化された。通貨台帳は全ユーザー端末で並列分散的に管理されるため,銀行などの管理主体は存在せず,取引はユーザー同士が直接行う。ユーザーは複数の口座を持ち,それらを使い分けるようになった。学校や仕事などで取引する表(実名)の口座(アニマ)と,趣味などで取引する裏(匿名)の口座(アニムス)に大きく分かれた。人々にとって個人の価値が全ユーザーに晒されることは公平性の面からは理想に思えたが,常に評価の目に晒されることは萎縮をもたらした。そのため,人々は自らの価値をアニマとアニムスに分け,それらを使い分けることで心の安定を保った。

主人公マコトはアニマを意図的に平均額にしていた。貧困層や富裕層は少数派になるため注目の的になるからだ(あくまで残高が正規分布すると仮定した場合だが)。彼は窮屈さを嫌った。多数の平均に紛れることで評価の目を逃れ,実世界での自由を獲得していた。必要以上に期待されたり憐れまれたりしなければそれに応えなくていい。マコトはゲームでのアニムスに才能と努力を傾注し,富豪になりつつあった。アニマでは平民を装い,アニムスでは富豪を目指す毎日がマコトは気に入っていた。ゲーム内でライバル(ヒカル)がいることも刺激になっていた。

しかし,タカシ・アンドウと名乗る正体不明の人物が一つの論文を発表し,世界は激変した。彼はアニマアニムス間の差分を数値化するプロトコルを一部伏せて発表した。アンドウはある国の大統領を名指しし,差分を示した。表と裏の顔のあまりの乖離に人々は反発し,大統領は失脚した。アンドウの論文には,一部伏せているプロトコルを今後開示すると書かれていた。

プロトコルの全開示に壊滅的な損失を受ける人々がアンドウの暗殺を目論む。伏せられていたプロトコルをいち早く解析した暗殺集団(アーキタイプ)がアニマアニムス間差分の著しい人々を洗い出し味方につけようとした。

お前の平和も壊れる。アーキタイプからマコトは連絡を受ける。アニムスを使ってアンドウを暗殺せよ。道具はこちらで用意し,方法の詳細は追って指示する。マコトは回答する。暗殺はしない,プロトコルの公表は阻止する。

マコトにとってルールが明確なプラットフォームでプレイするのは得意だった。アーキタイプの指示はチュートリアルから始まり全てゲーム化されていた。マコトはゲーム中盤で苦戦し,味方を一人増やすことをアーキタイプに要求する。ライバルだったユーザー(ヒカル)が参戦する。

ヒカルとともにゲームクリア直前までたどり着いたマコトはアンドウの正体を知る。マコトとアンドウの閉ざされたクラウドダイアローグ。殺さなくていい,ただ消去するだけだ,とアンドウは言う。マコトはそれに応える。

文字数:1200

内容に関するアピール

聖人君主はいるだろうか。表では「先生」と呼ばれる人間が,裏では低俗な振る舞いをしているケースを私はいくつか知っている。人間の表と裏の顔が白日のもとに晒されればいいのに,という私の妄想を課題提示を受けてSF小説にしようとしたのがこの梗概だ。

Twitterでアニメアイコンを用いてどうしようもないツイートをしているアカウントが実社会では真面目に働き,反対に,正論で聞こえの良い言葉ばかりを用いているアカウントが実社会では碌でもないことをしている。前者だけでなく後者も,つまり,表と裏の顔の乖離が激しい人に私は人間としての魅力を感じる。そのような人の物語を実作でも書いてみたいと思った。

冒頭の問題だが,私は聖人君主はいると思う。しかし,それは偉人レベルのごく少数なケースだろう。いや,本当は確信が持てない。光の輝きが増せば増すほど,闇も応じて濃くなる。聖人は闇を下々の人間に開示していないだけかもしれない。

文字数:400

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アニマアニムス間差分

1.るぶだぶ

気がつくと私は海の中をたゆたっていた。そこは陸からも海面からも海底からも遠い場所だった。どちらが海面でどちらが海底なのかも分からなかった。
 注意深く感覚のセンサーを働かせると,海水が拍動していることに気がついた。

るぶ,だぶ……,るぶだぶ……,るぶだぶ…,るぶだぶ,るぶだぶるぶだぶ

その拍動に私は身を委ねる。深く深呼吸をする。拍動が緩やかになる。私の呼吸に合わせて気泡が落ちていくのを見て,この場所の上下を認識した。
 めまいの予感がした。大丈夫,ここは私が生まれた場所だ。あるべき場所へ帰るのだ。
 何かの群れが川のように流れていた。私もそこに合流する。
 瓶詰めの手紙と鍵を左右の手にそれぞれ握りしめていた。それらは私の手を離れ海面に向かう。その光景を眺めていた。最後まで見届けたかった。
 私は群れに合流し,私は私でなくなった。私たちとなった。そして名前を失った。

2.瓶詰めの手紙

これはその瓶詰めの手紙に署名を入れて書いた内容である。より正確には手紙というよりメッセージ,テキストと表現したほうが良いかもしれない。このテキストは私が入手した記録を元に作成したものだ。
 時には誰かの視点を借りて可能な限り物語の形式をとった。本来なら推敲に推敲を重ねるべきだが,私には時間が残されていなかった。内容の完成度よりも最低限の形式と速報性を重視した。これが人々の目に触れ,何らかの証拠になればいいのだが。
 このテキストの目的は,陽の当たらない世界の,ある領域に,光をあてることだ。デリケートな話題を含むため,固有名詞は改変してある。

3.クロール

プールサイドには水分補給用のペットボトルが置かれていた。ラベルには海洋深層水と印刷されていた。マコトはクロールでプールを縦断していた。彼は泳ぐのが上手だった。誰に手ほどきを受けたわけでもなく,最初にプールに入った時から上手かった。担任教師が注目し,地区大会に出場させた。それなりの成績をおさめた。だが上位の大会では惨めな成績で終わった。出場させるにあたって専門性を持った誰かが事前に十分に指導すべきだったのだ。勝手に期待され,勝手に憐れまれた。本人もその気になり,そして後でそのことを恥じた。マコトは人前で評価されるのを嫌うようになった。彼はプールからあがった。適応する世界を変えた。

4.仮想通貨

世界は変わった。小規模なメーリングリストに投稿された一つの論文によって。サトシ・ナカモトと名乗る正体不明の人物が仮想通貨に関する論文を発表した。その後,仮想通貨は少しずつ,しかし確実に,世界に浸透した。通貨台帳は全ユーザー端末で並列分散的に管理されるため,銀行などの管理主体は存在せず,取引はユーザー同士が直接行う。政府による管理,発行の独占,課税もない。権威による支配から解放された自由な取引が行われるようになった。その代わり誰も守ってくれない。
 仮想通貨はモノのインターネット化だけでなくヒトのインターネット化とも相性が良かった。人々の才能や努力,信用が公正に全ユーザーに晒され,金額化された。取引情報は暗号化され全ユーザーに公開され誰かが証人となる。証人になるには暗号の復元が必要なため,計算能力が求められる。約10分に1度の台帳更新時に,最初に正解にたどり着いた者だけが報酬を受け取ることができる。
 もちろんリアルマネーがなくなったわけではない。仮想通貨に平行にしてリアルマネーもレガシーとして存在する。これだけ電子的な情報のやりとりが進んでも,今でも手紙のやりとりがなくならないのと同じだ。手紙に蝋で封印がしてあればありがたみが増し,第三者に読まれていないこともわかる。手紙は書かれた内容の情報量の割には電子的な通信と比べて,速度も費用も大幅にかかる。それにもかかわらず,例えば冠婚葬祭に関することは遅い情報のやりとりが適している。パーティの招待状や出席の返事には通信費用の高さと通信速度の遅さに価値があるのだ。リアルマネーもそのような時に使われる。このテキストでは光があたりにくい仮想通貨に焦点をあてている。以下,マネーに関する用語は仮想通貨のことだと思って読み進めて欲しい。

5.アニマとアニムス

人々にとって個人の価値が全ユーザーに晒されることは公平性の面からは理想に思えた。実際に透明性のある評価によって政治家などの権威は抑制された。極端な表現をすれば,仮想通貨の普及が閾値を超えた時,権威は一度リセットされた。権威の悪しき恐竜たちは絶滅した。しかし何事も良い話だけでは終わらない。負の側面もある。常に評価の目に晒されることは人々に萎縮をもたらした(健康情報などは倫理的な面から金額化対象から除外された)。人間は透明な部屋で生活することはできないのだ。
 そのため,人間は不透明な部屋に隠れた。歴史は繰り返される。アダムとイヴが知恵の実を食べ,自らが裸であることに気づき,いちじくの葉を腰に巻いたのと同じだ。知恵の代償にはいちじくの葉が必要なのだ。いちじくの葉としてユーザーは,透明な口座とは別に不透明な口座を持ち,それらを使い分けるようになった。自然にそれらは,学校や仕事などで取引する表(実名)の口座(アニマ)と,趣味などで取引する裏(匿名)の口座(アニムス)に大きく分かれた。人々は自らの価値をアニマとアニムスに分けることによって,心の安定を保った。
 実体のある世界は海面上,バーチャルな世界は海面下にたとえられる。それらが人間の意識,無意識を連想させるため,無意識の部分(バーチャルな世界,海面下)はユングの集合的無意識の用語からアニマ・アニムスと呼ばれた。ユングの元々の定義ではアニマは男性の中の無意識的女性性,アニムスは女性の中の無意識的男性性を表す。ただ,今となってはユングの原著は忘れ去られていた。元々の定義とは一致しないかもしれない。言葉は時代とともに変遷する。現代の東方の三賢者たちによれば,アノニマス(匿名)のように語呂が良かったから,誰かがアニマアニムスという語順で呼び始めて定着したと言われている。しかし,実際に名詞に性別を与える文法がいくつかの言語には存在するため,意味論的,形式論的,音韻的な規則のいずれかによって,慎重にアニマアニムスの名前が口座につけられた可能性も否定できない。
 アニマもアニムスも一般のブラウザで情報を閲覧することはできない。それぞれ専用の通信手段(ソフトウェア)があり,それぞれに対応した名前がつけられた。すなわち,実名での仮想通貨のやりとりはアニマを使わないとできないし,匿名での仮想通貨のやりとりはアニムスでしかできない。
 先述の通り,バーチャルな世界は海にたとえられる。実名性と匿名性を軸に考えると個人情報が紐づけられた世界は海の表層部分,匿名性のある世界は深層部分に対応する。もっとも世界はそんなに単純ではない。完全に匿名性が担保された世界はない。そこにはグラデーションがあり,いくつもの断層がある。もし匿名でありたいならば,海の深い場所で慎重に息を潜めつつ,居場所を変え続けていなければならない。そのようにしていたとしても,ただ見つかりにくいというだけだ。
 仮想通貨の発明者と言われているサトシ・ナカモトはなぜ正体不明でいられたのか(仮想通貨に限らず誰を発明者とするかは諸説あるが)。当時ウェブは既に発達していた。さらに,サトシが投稿したのは暗号学のためのメーリングリストだった。身元を特定するにはむしろ最適な環境だったのにもかかわらず,彼は正体不明でいられた。そして消息を絶った。彼と表記したが,サトシが男性なのか,そして個人なのか集団なのか実名なのかも不明のままだ。はたしてこのようなことがありうるのだろうか?もしこれを私が再現するとすれば,必ずしも全員がお互いに顔見知りというわけではない専門家集団に,人の出入りもある環境を用意し,そこでディスカッションをしながら同時編集で論文を書いてもらうだろう。そうすれば,個人では自分の貢献度やメンバー全員を知ることができない。そのような環境を用意した者でさえ,結果として書かれた論文の著者を誰にすれば良いかわからない。グループだとしても誰から誰までを著者に入れれば良いかわからない。当事者にとっても正体不明となる。暗号学を駆使すれば他にもサトシの正体不明性の再現方法はあるかもしれない。

6.海流

ウェブが誕生した時,そこはリアルな世界とは違った本音を記述できる場所だった。ユーザー数が増えるにつれ,プライベートな場所は狭くなっていった。元々プライベートだった場所はパブリックな場所になった。プライベートビーチに顔が見える範囲を超えた多数の人間が押し寄せる。そこはもうプライベートな場所ではない。裸で過ごすことはできない。一部のユーザーは本音が吐ける空間を求めて排他的な会員制のサイトを作る。そこでようやくプライベートな記述ができるようになる。しかしそこはまた,会員が増えるとパブリックな空間に変わっていく。同じことの繰り返しだった。人々は居心地の良い場所を求めて移動する。
 海流のようだ,と私は思った。プライバシーが脅かされ海流が上昇し,海の表層部分に押し流されそうになると,プライバシーを求めて下降する。海流が生じる。私たちは海流に乗る魚の群れだ。

7.開拓

群れの魚の中にはより新鮮な空気,栄養を求めて新しい海へと針路をとる者もいる。群れでは守られもするが,一方で,自由はなく競争も激しい。そしてなにより退屈だ。そこから飛び出し新しい海を開拓する者が出てくる。開拓は過酷だが,生き延びたものが手にする富は莫大だ。富とは自由に好奇心が満たせる環境と刺激だ。人々の好奇心を満たす栄養素は下層に沈殿する。寒流に乗って海底まで行けば豊富な栄養にありつける。ただし,海底は闇に閉ざされ,危険な者たちもいる。

8.闇

その闇サイトは8BTCと呼ばれる。「8ビットコイン」と間違って呼ばれる場合もあるが,正しくは「8ビットちゃんねる」だ。もちろん古い時代の「2ちゃんねる」が由来だ。しばらくすると2ちゃんねるの2倍の凄さを謳い文句に「4ちゃんねる」ができた。後は時代とともに数値が倍々ゲームで増えていき,現在では256(8ビット)までになった。8BTCだ。4ちゃんねる時代の投稿者名アノニマスが,8BTCではアニマアニムスになった。仮想通貨の2種類の口座をつなげた名前だ。4ちゃんねる時代に顔を隠すために使われたガイ・フォークスの仮面は,8BTCでは「カオナシ」の仮面となった。カオナシは古い日本のアニメ映画「スピリテッド・アウェイ」に出てくる情けないキャラクターのことだが,元の情報は今では忘れ去られた。異国の宗教じみた悲しげな見た目が,名前と顔を隠したい人たちに気に入られた。4ちゃんねる時代のガイ・フォークスでさえ発端となった映画「Vフォー・ヴェンデッタ」を皆が観ていたかどうかは疑わしい。仮面だけがひとり歩きする。
 闇サイト8BTCでは,あらゆるものが取引される。法で禁止されている薬物やポルノが人気だ。特にポルノは深刻な問題だ。未成年者がポルノコンテンツを供給すると高額で取引される。未成年者は自分の行為についての道徳的判断が十分にはできないため,本来は保護されるべき対象だが,ここは保護が届かない場所なのだ。責任能力のある年齢の者達が,身元を明かさないように慎重に取引する場合でさえ,コンテンツに含まれる生体情報や環境情報などによって身元が特定されてしまうことがある(誤認のケースもあるが)。身元の特定がなされた場合,現実世界での本人周辺の人間に,わざわざコンテンツを送りつけて,その反応を楽しむ者たちがいる。こいつは裏でこんな姿になっているぞ!そのようなことのために,いやむしろ,そのようなことこそを求めて,闇まで降りてくるのだ。名前と顔を隠して。
 そして本人特定を楽しむ闇の住人の一人が,後に本人特定されることになる。狩る者もまた狩られるのだ。

9.マタイ

学生の場合は学校の学業成績やスポーツ,ボランティア活動などがアニマ(実名口座)の残高に反映される。取引金額には年齢や経験,能力に応じた相場がある。著しい成績をおさめると,例えば中学生でオリンピックに出場すると,その残高は莫大に増える。そこで貧富の差が生まれる。コミュニケーション能力によってヒエラルキーが形成された時代もあったが,現代ではアニマ残高によってヒエラルキーは形成される。具体的な数値によって上下の地位が示される。信頼に足る何らかの価値を持たないと残高は増えない。
 スポーツ成績優秀者には大会に出場する権利が得られ,アニマをさらに増やす機会が与えられる。優秀でない者は雑務や課題を与えられ,少ないアニマしか与えられない。時間もアニマで取引される。アニマ残高の高い人ほど取引される時間は高くなる。

持つ者は与えられ,富を手にする。持たざる者は手にしている物さえ取り上げられる。

これは『新約聖書』「マタイによる福音書」13章12節から引用したものだ(いくつかある版を複数参照し,私が現代語に訳した)。
 現代風に解釈すれば,アニマを増やす工夫なり努力の仕方を知っている人は富み,増やす方法を知らず,ただ消費していくものはアニマ貧者になるということだろう。このような現象は古くからマタイ効果として知られている。瑣末なことかもしれないが,マタイは12使徒の一人で税の徴収人であり,先の言葉はイエスの発言なので,マタイ効果という名称は私には不適切に感じる。言葉は不思議だ。
 それはさておき「マタイによる福音書」で「持たざる者」が「手にしている物」とは,いったい何だったのだろうか。持たざる者が手にしている物,これは矛盾した表現だ。
 「持つ者は与えられ〜」の一節はイエスが船の上に座り,岸に立っている人々に話して聞かせた話だ。それは種まきのたとえだった。種は神の御言葉であり,畑は人間の心であった。種をまいてもそこが畑ではなく道ばたであれば種は取られてしまう。種を畑にまけば実を結ぶ。逆算して考えると,持てる者とは畑を持っている人,持たざる者とは畑を持たない人のことだ。

マコトは水泳においては「持つ者」であったが,「与えられず」,富を手にしなかった。畑を持っていても種を持たなかったのだ。彼にはそもそも神の御言葉がなかった。悲劇だ。勝手に期待され,本人も期待し,畑からの収穫を待ちわびた。もちろん収穫はない。種をまかなければ芽は出ない。
 だが彼は人知れず畑を耕し続けた。もう人前で収穫を待つのはやめよう。そして種を探そう。その種は他者や神から与えられるものではない。地域も時代も聖書とは違うのだ。種は自らの内面にある。それを見つけ大切に育てる。

10.ガルフ

ガルフ戦争が起きた時代,オブジェクトを実体ではなくディスプレイで確認して,銃撃やミサイル発射の操作をした。その様子が「ゲームみたいな戦争」と表現された。戦争に限らずディスプレイ上での操作が当たり前になってからは,「ゲームみたいな」という表現は使われなくなった。現在の状況を過去の人が表現するとしたらゲームみたいな現実と表現するかもしれない。もちろん現在,誰もそのような表現は使わないが。
 ガルフ戦争には湾岸戦争という訳が当てられるが,ガルフは格差,隔たり,深淵という意味があり,多義語である。ガルフ戦争には貧富の差や,国境,人間の本質のような問題意識が込められていた。

11.ゲーム

水泳をやめたマコトはゲームに夢中になった。しかし,社会的な立場としては学業が本業で,ゲームは内緒でやっている副業だった。1日に集中してゲームができる時間は準備運動を含めてせいぜい2〜3時間が限度だ。仮に時間があったとしても集中して最大限のパフォーマンスを発揮できるのは結局同じくらいの時間だろう。集中力を必要としないタイプのゲームは別かもしれないが。
 ゲームをしていることは学校でも家でも内緒にしていた。他者から期待されないためだ。マコトにとってゲームは最優先事項であったが,学校生活や家族との時間も疎かにしなかった。ゲーム時間を確保するために,宿題を効率よく終わらせる工夫をした。勉強自体は嫌いではなくゲームの役に立つこともあるので好きだった。しかし,自主的な目的もなく他人から与えられた宿題をするのは苦痛だった。だから宿題を早く終わらせるには工夫が必要だった。これはタイムアタック型のゲームなんだと考えるようにした。勉強で1位になる必要はない。むしろ目立ちたくない。ゲームの方で心地よいプレッシャーを感じるようになったマコトにとって,宿題はプレッシャーを感じずに気楽に消化できるものでなければならない。
 マコトは宿題を自分の適性に合わせて難易度別に分けた。その分けたもの一つひとつをゲームのステージに見立てた。ストップウォッチを視界の隅の目立つ場所に配置した。タイムアタックに限らずゲームは間違えると先に進めないが(もちろんチートは別だ),宿題は間違えても先に進める。マコトは宿題をタイムアタック的に消化した。ストップウォッチは開始ボタンを押して停止ボタンを押すまでの時間を一人で競うだけでも元々楽しいのだ。もちろん答えを見るのはチート行為だ。それに宿題が解ける学力がなければ成績が下がり目立ってしまう。それは避けたかった。間違えてもいいから最大限チャレンジし早く終わらせることを目的とした。間違えたところは答えを見て確認した。自己採点も宿題だった。そして何よりも,まず先に宿題を終えてさえいれば,万が一ゲームのプレイ姿を家族に見られても「宿題を終えて何もすることがないので気晴らしにやっている」と言い訳ができるのが安心材料になった。

ゲームにも色々な種類があるがマコトは人間同士が参加するゲームが好きだった。一人でやるゲームや機械を相手にやるゲームも好きだったが,不特定多数の人間が参加するゲームが特に好きだった。普段の生活で他人からどう見られるのかを気にしている分,匿名で多くの人間の中で自由に振る舞いたいという願望があったかもしれない。

12.キャンセリング

ゲーム前のウォーミングアップとして,マコトはプレイヤーがいないフィールドと道具のみのモードで探索することを常としていた。地形の把握などの実利的な意味もあったが,まず世界に自分をなじませる儀式が必要に感じた。また,世界に生き物が自分しかいない感覚が好きだった。人工物と自然だけが残って生物がいない世界を探索できるとしたらこんな感じなんだろうなと思った。このモードはチュートリアルの一つに過ぎない。多くの人がざっと流して通りすぎるようなこのモードを,マコトはパフォーマンスを上げるためのイメージトレーニングやウォーミングアップに使って,それを日課としていた。

ノイズキャンセリングで自室のノイズを消す。雑音が遠のく。きゅいーん。これまで特に意識していなかった空調のわずかな音など遠のく。自室から自分が遠くに飛ばされる感覚がする。きゅいーん。世界が入れ替わる。アバターの足音が響く。射撃の練習をする。目をつぶって回転し止まる。射撃対象に対して体の向きはデタラメだ。目を開けて自分から対象までの角度(差分)を最短で戻し,照準を合わせ引き金を引く。それを繰り返す。最後に目をつぶって深呼吸し,願掛けの呪文を唱える。

南無…

「何ぶつぶつ言ってるんだよ」
 突然クリアな声が耳元で聞こえて驚く。
 「な,なんで勝手に」
 「プライベートモードになってなかったから。灯台下暗しなんじゃない?」
 ヒカルだ。マコトのゲーム内でのパートナーだ。

13.アニカアニティア

「祇園精舎の鐘の音はアニカ・アニティアの響きがする」
 教室で教師が平家物語を解説している。
 「アニカ・アニティアとは,仏教用語で何事も永遠には続かないという意味です。鐘の音と言っても,その時代の実物の祇園精舎には鐘は存在しなかったと言われています。実際にはない鐘の音が響くというのは哲学的でクールだと思いませんか?」
 とその教師は言った。その教師の言葉がはじめからなかったかのように教室に響きわたる。これがアニカアニティアの響きか,とマコトは思った。

14.オメガ

諸行無常を響き渡らせたその教師の眉間には常に深い皺が刻まれていた。教師というのはストレスフルな職業だ。最初はストレッサーに対した時だけ反応として皺が寄っていたのだろう。それが常時,皺が寄り皮膚に刻まれたのだ。ダーウィンが人間と動物の表情を研究した時から,その種の皺は確認されており,後にメランコリック・オメガと呼ばれた。オメガは大文字か小文字かどっちだったっけな,とマコトは思った。見事な表情だ,まるで仮面みたいだ,と彼は思った。

15.デザイナー

集団内で突出すると外れ値とみなされ排除されやすい。謎の力だ。学校ではそのような力に振り回されたくない。ここは自分で望んで参加しているプラットフォームではない。初めから謎の力が加わりにくい大多数,平均付近に身を隠していた方が安全だ。力が加われば自分の意思にかかららず反発の力が生じる。反作用だ。ここでそのようなエネルギーを消費するのは無駄だ。最大限,自分の貴重な限りある資源,エネルギーは自分が望んで参加したプラットフォームで使いたい。

ヒカルはボードゲームデザイナーの国際コンテスト上位入賞者だった。彼はその業績で特待生として入学した。彼が作ったゲームはすぐに出版契約になり,ベストセラーとなった。彼は特待生の特権の学費免除を辞退して学費を納め,奨学金も返還した。それでも彼は周囲に妬まれた。なんでお前だけ特別扱いなんだよ!ヒカルは定期試験さえパスすれば通常の授業は出ても出なくても,遅刻早退も自由だった。その特権は手放さなかった。ゲームデザイナーとしては当然だ。だがその当然の特権さえも気に入らない人間がいたのだ。

時別な人間は時別な扱いをされて然るべきだとマコトは思ったが,同級生はそのようには思わなかった。特別な領域にいる人間は自分たちのように広く分布している領域に招き入れたいらしい。嫌いなのか好きなのかわからないな。ノイジーに感じるならシャットアウトすればいいのに。
 マコトはヒカルがデザインしたゲームのテストプレイヤーになっていた。マコトがヒカルの肩を持つのはそのことが影響しているかもしれない。マコトは入学時の自己紹介にゲームが好きと言っていた。葉っぱを隠すなら森の中だ。他にもゲーム好きの同級生は何人かいた。その中からヒカルはマコトを指名した。「こんな言い方は失礼かもしれないけれど,君の学業成績は平均だから,テストプレイヤーには最適なんだ」とヒカルは言った。「聖人君主様には逆らえないな」とマコトはおどけて見せた。「それを言うなら聖人君子でしょ」とヒカルは笑った。今にして思えばだが,ヒカルは森の中から特別な葉っぱを見つけたのかもしれない。当時のマコトには知る由もなかった。
 ヒカルがデザインしていたボードゲームは戦略を重視しつつも運要素を取り入れてプレイヤーの能力に関わらず勝ったり負けたりするところが魅力だった。チェスや囲碁のように実力が最大限反映されるゲームもある。一方で,すごろくのようにサイコロの目でゲームの進行が運によって決定されるゲームもある。ヒカルが好んでデザインしていたのは能力と運がバランスよく作用して誰もが程よく勝ったり負けたりして楽しめるゲームだった。ゲームバランスを調整するためにマコトが指名された。
 ヒカルはゲームのデザイナーなので,当然,戦略は誰よりも熟知している。そこで,初心者(未発表段階のゲームは開発者以外は誰もが初心者だ)のマコトを相手にしても,戦略を熟知している自分が勝ったり負けたりするか,ゲームバランスを調整していた。マコトは運要素のあるゲームよりは実力がそのまま反映されるゲームを好んだが断るのも波風が立つので引き受けていた。ジャンルは違えど,一人のプレイヤーとしてプラットフォーマーについて知っておくのも後で役に立つと考えた。

「本当はデザイナーはテストプレイすべきではないんだ。ゲームの都合の悪いところを隠そうとしたり自分の戦略を試そうとしたりするからね。そうすると本来あるはずの可能性がテストされないまま本番,つまり,出版社へのプレゼンや出版後のことだけど,ええと,本番を迎えて失敗する。でも自分はそのことに自覚的であればデザイナーがテストプレイすることには意味があると思う。実際にプレイしてみないとプレイヤーの気持ちはわからないし」

ヒカルは周囲からの期待と妬みをうまくマネージメントすることができずに,学校から去った。窮屈な世界だ,とマコトは思った。

何かがひっかかる。特別な人間と繋がりたいと思った。周囲の人間は退屈すぎる。彼は特別だった。彼が去った後,マコトは連絡を取ってみた。連絡先は変わっているかもしれないし,自分はブロック,ミュートされているかもしれない。
「元同級生のマコトです。実は君と友だちになりたい。一度でいいから君が作ったゲーム,テストプレイではなく正規版のゲームを一緒にやりたい」
 返事は来なかった。当然かもしれない。自分だったら一切関わりたくない。その場では何一つ力になれなかったのに,後出しで安全圏からメッセージを送った自分を恥じた。心にわだかまりが残ったまま1週間が過ぎた頃,返信が来た。彼の両親からだった。ヒカルは自分で返事ができる状態ではないが,君のことはよく話題に出ていた。ただ今はそっとしておいてほしい,と。なぜ自分のことが話題に出ていたのか分からなかったが,ヒカルに自分が認識されていたことが嬉しかった。と同時にその場で味方になれずに彼が去らねばならなかったことを悔いた。マコトはすぐにお礼の返事を出し,それ以降,連絡を取ることはなかった。ある出来事に巻き込まれるまでは。

16.チャット

チャットベーターとはチャットとマスターベーションをかけ合わせた造語だ。ウェブ越しに多数の観客の前でおしゃべりをしながら(リクエストに応じながら)自慰をする人たちのことだ。彼女ら(もちろん男性もいるのだが,ここでは便宜上,女性代名詞を用いる)は観客からの投げ銭で生計を立てている。無料のポルノサイトが溢れる中(これはあくまで私の観測範囲での推測だが,無料有料の区別はさておき,ポルノサイトは全ウェブの3〜4割を占め,これは昔から現在に至るまで変わらない),観客から自主的にお金を投げてもらうのは容易なことではない。ある程度のコミュニケーション能力がなければ成り立たない。彼女らは実生活では決して見せない姿をウェブ越しにさらけ出し,人前では(親しいパートナーの前であっても)決してしない行為を実演する。バーチャルな(かりそめのという意味ではなく本来の実質的なという意味において)人間を実演するのだ。私には説明が難しいのだが,監督が役者を撮るタイプのポルノにはない「リアルさ」に観客は魅了される。ポルノスターのような容姿,体型,演技はむしろ統計的な外れ値として認識されリアルだとは受け取られない。平均的な容姿,体型,行為だと実質的に観客が感じるものが一つのジャンルとなっておりオルタナティブ・ポルノと呼ばれている。昔は平均的でない性癖を対象としたポルノの呼び名であったが今では言葉の意味が変わってしまった。
 日常的に実名で目にするおびただしい情報は社会的に賞賛されたいという欲求によって汚染されている。裏の顔の方に居心地の良さを感じる人間もいるがどちらも人間の本質だ。
 大量にあふれた情報の中で差別化を計らなくてはならない。単に服を脱いで身体を露出し性器を触るだけでは面白く思われない。フリーライダーとは別に投げ銭をよこしたユーザーだけが閲覧可能なコンテンツを用意する必要もある。
 彼女たちのような人々は昔は管理されていた。特別な部屋の使用料。投げ銭の手数料など。それが仮想通貨によって変わった。手数料は取られない。その代わりに誰も守ってくれない。ファンからの要求にどこまで応えるか自分で決めてそれを守る必要がある。
 アバターセックスは気軽にできる。50代の男性が10代の女性になることも可能だ。かわいらしくセクシーな振る舞いに長けたユーザーや,それを求めるユーザーにとっては居心地がいいかもしれない。しかし、それはリアルではないのだ。
 チャットに集う人々は,街ですれ違うごく平均的で,そして少し勇気を出せば手が届きそうな,リアルなガールフレンドを求めている(繰り返しになるが,ボーイフレンドを求めるユーザーもいるが,ここでは便宜上,ガールフレンドとする)。そういう女の子の平均的だけれど個性的なその子らしい感じ方,表現の仕方,恥ずかしがり方に人々は魅了されるのだ(演技は完全には排除できないかもしれないが)。
 無数のユーザーにとっての一人のガールフレンド。絶対に会えない。ガールフレンドにとって無数のユーザーはボーイフレンドではない。実際にボーイフレンドは別にいて,カメラを回している男だったりするのだ。
 リカも投げ銭で生計を立てる「ガールフレンド」の一人だった。彼女の魅力は他人にも自分にも内面を偽らないように努めているところだった。投げ銭をはずむ常連ユーザーとは映画や音楽の話題も共有した。
 彼女はネットは死んだ。誰かが特定したのだ。

17.エクスポストステガノグラフィ

ホクロや顔などが写った画像が流出した場合,生体認証に使われる情報をコピー,加工し,偽の情報を少しずつ紛れさせる。秘密にしたい情報そのものは取り消せないが,どれが秘密にしたい情報なのかは事後的に隠せる。これが,エクスポスト・ステガノグラフィだ。葉っぱを隠すなら森の中。その森をあとから作り上げる。実物の森を作ることに比べれば,バーチャルな森を作ることは簡単だ。葉っぱのあるところだけでなく,葉っぱがないところにも,森を,国を,星を,太陽系を,銀河系を作る。その中から葉っぱを探すのは簡単なことではない。もっともバーチャル世界では不可能ではないのだが。

話題がそれた。時間がない。話を本題に戻さなくては。

18.差分

タカシ・アンドウと名乗る正体不明の人物が一つの論文を発表し世界は激変した。海の表層部にあるSNSに簡単なメッセージにその論文が添付されていた。彼はアニマ・アニムス間の差分を数値化するプロトコルを一部伏せて発表した。タカシはある国の大統領を名指しし,差分を示した。表と裏の顔のあまりの乖離に人々は反発し,大統領は失脚した。タカシの論文には,一部伏せているプロトコルを今後開示すると書かれていた。権威は再びリセットされつつあった。
 失脚した大統領は,闇サイト8BTCで活躍する有名なユーザーだったのだ。ポルノコンテンツ供給者の身元を特定して,周囲の人間にばらまくタイプのユーザーだった。身元を特定された被害者の中には自殺者もいた。当然,大統領は失脚した。
 その昔,老いる前にセックスしよう,をキャッチコピーにしたマッチングアプリの会員情報が漏れ,自殺者が多数出た。自殺したのは広義の聖職者たちだった。セックス目的のマッチングアプリ会員情報が漏れた時と同様,タカシの論文によって困るのは「聖職者」だろう。アニマとアニムスを紐づけるだけでも十分なインパクトがあるが,それらの差分を取ることはさらにインパクトがあった。

19.天誅

タカシ自体は大統領を名指しして差分を示しただけで,大統領のアニムス(裏の顔)までは公表していなかった。タカシの論文をきっかけに,懸賞金サイト「天誅」で大統領の裏の顔が懸賞にかけられた。イゾウ・オカダなる管理人がトップページに「五行詩」(といってもセンテンスが5つあるだけだが)が記載されている。

指名せよ
 懸賞額を示せ
 天誅を下す時期を予言せよ
 予言的中せしもの懸賞金を得る
 予言の成就の可否は天のみぞ知る

天誅というのは身元の特定のことだ。指名,懸賞額の提示(と支払い),時期の予言は別のユーザーが書き込む。それぞれのユーザーは「全体の結果」について責任を負わなくて済む。異なる意図がたまたま全体の結果を生んだだけだ。タカシが名指しした大統領がサイトに書き込まれた。懸賞額はタカシが受け取ったとされている。その後に名前がいくつか続いている(その中にはタカシも含まれている)。これを書いている現在,まだその後の予言が成就した形跡はない。

オンライン脱抑制という現象がある。仮想世界では現実世界にはないオルタナティブな自己の実現を目指す。そのために現実世界で抑制されている欲望が仮想世界では解除されやすい。多くの人間にはそういう傾向がある。現実世界での栄光が輝けば輝くほど,仮想世界での闇は深まる。失脚した大統領のそのうちの一人だった。
 アニマ・アニムス間の差分を示すということは脱抑制を許さないという思想が背後にあると考えることもできる。もちろん思想なき好奇心という可能性もある。

大統領はどのようにしてポルノコンテンツ供給者の身元を特定したのか。彼は光沢のある材質に反射した写り込み(例えばカメラマンなど)を解析することによって被害者の身元を特定し,周囲の人間にそのコンテンツを送りつけていた。隠すべき葉っぱがわからなければ森は作れない。そもそも隠せない。大統領は8BTCではGGG(グレア・ガラス・ガーディアン)という有名人であった。

20.しゃちほこ

タカシはプロトコルを一部伏せていた。今後,全て開示する,と論文には書かれていた。プロトコルの開示に困る人間はたくさんいる。その人間たちは匿名で集団を組織し,アーキタイプと名乗った。そしてタカシの開示前にプロトコルを秘密裏に補完した。アーキタイプはアニマ・アニムス間の差分が著しい者たちを洗い出し,タカシと思われる人物を見つけた。同時に,差分の激しい者たちにタカシを暗殺させようとした。

マコトはアーキタイプが指名した人物の一人だった。タカシを暗殺せよ。マコトは断った。関わりたくない。アーキタイプはマコトを脅した。お前の日常は壊れる。アニムスを晒す。マコトは譲歩した。暗殺はしないが,プロトコルの開示は阻止する。

アーキタイプによれば,タカシは「ばしゃばしゃ小隊」というゲームに突然現れて,上位ランカーになった。このゲームは昔からあり,いくつもの版を重ねて今に至る,最もポピュラーなガンシューティングゲームだ。4人でひとつのチーム(小隊)を組み,2チーム(計8人)に分かれて対戦する。子どもが遊べるように暴力的な要素は可能な限り排除され,ガンはウォーターガンで,色のついた水が発射される。ガンは短射程連射型と長射程単射型があり,カスタマイズできる。ただし,両者はトレードオフの関係にあるので,連射スピードを重視すれば射程距離は短くなる。射程距離の長さを重視すれば次の射撃までの時間も長くなる。長射程で連射できる「良いとこ取り」のガンはない。
 味方でも敵でも良いのだが,一度でも対戦したことがあればお互いに連絡をとることができる。そこでアーキタイプはマコトにタカシとの接触を試みさせた。ランクが近い者同士がゲームでマッチングされるからだ。タカシは戦歴なく突然現れたため(いわゆる「チーター」だ),連絡を取れる者がいない。マッチングされるのを待たなければならない。
 ばしゃばしゃ小隊にはいくつかのルールがあるが,アーキタイプが指定したのは「しゃちほこ」だった。ルールがしゃちほこの時にタカシが現れるというのだ。
 フィールドは点対称で,2チームはお互いに最も離れた場所からスタートする。スタート地点が自陣(相手にとっては敵陣)になる。フィールド中央(対象点)に置かれたしゃちほこのオブジェクトを奪取し,敵陣の指定ポイントに運ぶというルールだ。しゃちほこは,頭がトラの海獣のことで,尾ひれを天に向けて常に背を反らしているのが特徴だ。ガンで撃たれた者はスタート地点(自陣)に戻される。しゃちほこを持っているプレイヤーが撃たれると,しゃちほこだけその地点に残され,プレイヤーだけがスタート地点に戻される。撃たれてからスタート地点に戻されるまでの間には,ペナルティとして遅延時間が生じる。その間はフィールドに撃たれたプレイヤーがいなくなるので,同じチームにとっては不利になる。 

マコトがランクを維持できるようアーキタイプは味方チームとして入ってきた。敵は選べないが友人同士でプレイできるよう味方は指定できるようになっていた。音声でプレイ中も指示した。アーキタイプの指示は的確だった。敵の位置や人数,誰がやられて誰が生き残っているか。しかし,マコトは違和感を覚えた。「野良」でマッチングされたユーザーでチームを組んでプレイすることはよくあり,音声で報告し合うこともあれば音声報告なしでプレイすることもある。マッチングは同じランクで行われるが,相性があり,散々な結果になることもあれば上手くいくこともある。勝ちを重ねていくとランクは上がっていく。同じランクでマッチングされた野良チームで勝ちを重ねる(あるいは上位ランクを維持する)には味方の特徴をつかみ,サポートしたりされたりすることが大事だ。アーキタイプの場合は特徴がつかめない。顔が見えない。原因は「ランク」が自分とかけ離れていることだろう。かなり上か,かなり下なのではないか。マコトにとってアーキタイプは未知のプレイヤーだった。

マコトは上位ランクを維持できなくなった。マコトはアーキタイプに味方を自分で選びたいと主張した。アーキタイプは受け入れた。マコトはヒカルに連絡をとった。ヒカルは参戦した。味方チーム4人のうち,他の2名はその時々でマッチングされた野良プレイヤーが入るよう設定した。
 タカシはなかなか姿を現さなかった。マコトが一人で相手チームを全員倒し,一時的に相手チームが不在になった時に,ヒカルがしゃちほこを敵陣に置いて勝利した次のマッチングで姿を表した。
 マッチング後,ガンの調整やフィールドの下見のために,一定時間の猶予がプレイヤーには与えられる。マコトは本番に備えて入念にウォーミングアップした。

21.対話

タカシとの対戦後,マコトはすぐに連絡を試みた。指定場所に一人で来い,と返信があった。そこは誰からも介入されない場所とのことだった。

予防注射みたいなものだよ。とタカシは言った。
「死に至る毒性のウイルスや細菌よりも軽いものを事前に摂取することで免疫系が作用し,来たる本番に備えるという仕組みだ。私が今回やったことは,私がやらなくてもいつか誰かが同じことをする。それならば私が先に軽い毒となり,世界が本当に壊れないように免疫をつけてもらう。君は毒を排除する免疫系だ。と言っても私だって死にたくはないし,この世界から排除されたくない。ただ私が死んだことにしてほしい。そうすれば世界は安心するとともに,来たる本番の毒に備えて本番の免疫系を構築するだろう」

私は生身かもしれないし,実体のない電子的存在かもしれないし,複数の個体の集合みたいなものかもしれない。死刑の執行と同じだ。ボタンは押すけれど,実際に誰のボタンが死に至らしめたのかは分からない。だから安心していい。私を殺しても実際に殺人をしたかどうかは誰にもわからない。

可能性が0でないなら。とマコトは言った。
「押せるわけがない。たとえ誰にもわからないとしても0でない可能性を抱えたまま残りの人生を送りたくない。死刑執行人には向き不向きがある。自分は向いてない。そういうことには関わらずに平穏に暮らしたい」

まるで人なんて殺したことがないみたいな言い方だな。とタカシは言った。
「君がこれまで行なっていたゲーム。ネットの世界でも深い層の世界だったはずだ。そこには君が思いも寄らない人々が巣食っている。その中にはバーチャルではなくリアルなゲームを楽しみたいという連中もいる。ゲーム内のアバターとプレイヤーの肉体とをリンクさせ,アバターが死んだらプレイヤーも死ぬ。そういう装置を作ることは難しくない。簡単な電子工作でできる。ゲームオーバーになったら実物の銃の引き金が引かれる,あるいはナイフが飛び出す。そのようなスリルを楽しむ連中が君の戦歴の中にいなかったと確信できるのか?」

ハッタリだ。

確かにハッタリかもしれない。この世界は全てがハッタリであると言えるかもしれない。いくつかの可能性が並行する世界。君は既にそういう世界に住んでいるんだよ。

それ自体がハッタリかもしれない。

そのようにメタに考えるのも悪くない。しかしいずれにしても,私を消さなければ君は「死ぬ」。私を消せば君は生きる。しかも実際に私が死んだかどうかは誰にもわからない。君を巻き込んだのはすまない。しかし決して悪くない提案だと思うのだが。

マコトの手に銃が現れた。その銃にはゴッド・ガンと刻印されていた。神殺しの銃?神を気取っているのか?お前みたいな人間が一番嫌いなんだよ。望み通り消してやる。

そうこなくては。バーチャルな処刑場を用意しよう。

22.雲海

暗やみの中,仰向けに寝ている。トンネルの向こうから一筋の光が見える。光が闇を侵食し,視界全てを支配する。眩しい。視界は白を通り越して金色に光り輝く。グラデーションが生じ,それらが波打つ。目を開けろ。

金色に光り輝く雲海。その海面に浮かぶ小舟の先に扇が固定されていた。「これがマトだ。那須与一」と小舟に乗ったタカシは言った。

ここは誰にも介入されない場所だ。しかし透明な瓶の中だ。誰もが見ることができる。しかし誰も手が届かない。ボトルシップの船と小人だ。この状況は長くは続かない。コルクを抜きピンセットが差し込まれるのも時間の問題だ。人々が見ているのはディスプレイではない。ディスプレイを見て操作しているお前を見ている。操作自体を見られながらお前は俺を撃ち抜かなければならない。

灯台元暗しなんじゃない?ヒカルの声が聞こえた気がした。足元を見た。透過越しにヒカルの姿が見えた。「聖人君主をやっつけろ!」と吹き出しに書いてあった。おかげで震えがおさまった。ありがとう。ヒカル。

ゴッド・ガンはレーザーサイトつきの銃だった。レーザーがマトにあたっている時に引き金を引けばいいのだが,レーザーポインターを使ったことがある人間ならポイントを固定することがいかに難しいかわかるだろう。距離に応じて手の振動によるブレも大きくなる。さらに,レーザーをマトに当てるとセンサーが働きマトは逃げる。逃げるという表現がふさわしい生物のような動きだった。弾の数は6発。マコトはレーザーサイトを振り回しては固定を繰り返した。一呼吸目をつむり,目を開けて同じことを繰り返した。試し打ちを4発行った。そして,もう一呼吸した後,目をつむった。

南無八幡大菩薩(なむはちまんだいぼさつ),我が国の神明(しんめい),日光権現(ごんげん),宇都宮,那須の湯泉大明神(ゆぜんだいみょうじん)。願はくば、あの扇の真ん中、射させてたばせたまえ。

目を開けると同時に,マコトはレーザーを当てたマトが逃げるその差分を読んでマトを撃ち抜いた。生物のような静と動の動きが仇となった。センサーが働きマトが動いた直後に隙ができる。そのわずかな隙を貫いた。
 マコトは残り2発の弾でマトを打ち抜き,タカシを撃ち抜いた。那須与一もマトを射てから敵を射た。撃ち抜かれた扇がひらひらと不規則な軌道を描いて舞い落ちた。
 なぜマコトはマトだけでなく,タカシまで撃ったのか。本人にも合理的な説明はできないのかもしれない。人間の勘なのかもしれない。レーザーサイトを振り回してレーザーがタカシに当たった時に銃が「敵」と認識したのかもしれない。

歓声とともに透明なガラスが割れ,海が引き,現実が押し寄せる。

23.真と光

約束通り,マコトは解放され,その後は以前とかわらない日常を過ごしているはずだ。タカシを撃ち抜くリアルな姿は世界中に晒されてはいなかった。透明な瓶は,実際には一方通行で,内側からは外が見えるけれど,外からは中が見えないようになっていた。外からは巨大な不透明な瓶が浮かび,ラベルに「誰かがタカシと対峙している」とだけ示されていた。それでも世界中の人々が押し寄せていた。

ヒカルはどうしているだろうか。彼はゲームのデザインを続けているはずだ。

二人のその後の活躍を見届けたかった。

24.注

このテキストはマコトが6発目の引き金を引いてから,私に当たり判定が出るまでの時間に生成された。

タカシ|

文字数:18152

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