梗 概
傍観者
左手をかけていた岩が崩れ体が宙に浮く。身体運動がすぐさまAIによる自動モードに切り替えられる。右腕の筋肉が普段の数倍の力で収縮する。人工的に引き起こされた「火事場の馬鹿力」。僕は岩肌の僅かな突起に指をかけぶら下がる。
「大丈夫か」
頭上から弓岡が呼びかける。
「ああ、問題ない」
少し先の未来。人は皆、脳にシリコン製のAIを埋め込まれる。AIは脳内のニューロンと一体化。それによりAIによる身体のコントロールが可能となる。AIは、平常時はスリープ状態。脳内の過剰なシナプス発火を検知すると起動。宿主がパニックに陥り自己コントロール能力を喪失したと判断し、通常のシナプス回路を遮断、強制的に身体のコントロール権を宿主からAIに切り替え、最適であると判断する行為へ身体運動を導く。このAIの導入により、パニックによる事故、発作的な暴力、突発的自殺などが大幅に減少した。
僕はかつての登山部仲間、弓岡に山に誘われる。岩壁を登り一息つくと、弓岡は「傍観者」という都市伝説について語り始める。「傍観者」とはAIに常時身体のコントロール権を奪われた人。外から見ているだけでは、その行為が本人とAI、どちらの意志によるものか区別がつかない。「傍観者」は、この世界を眺めているだけのただの観客。
そして同級生だった優の話。優は登山部の合宿中に足を滑らせ滑落。優とアンザイレンをしていた弓岡も彼女と共に崖を滑り落ちる。弓岡はAIによる「火事場の馬鹿力」により滑落を止めるが、優は弓岡と繋がれたまま宙吊りになる。弓岡のAIは二人分の体重を支えきれないと判断。ザイルを外し、優は命を落とす。
しかしそれは表向きの話であると弓岡が告白する。あるとき弓岡は、優が「傍観者」であることに気づく。そして優を身体という檻から解放してやりたいと考え、その機を伺っていた。優が宙吊りになったとき、弓岡は冷静なまま、自分の意志でザイルを外した、と。
「優に対する罪悪感から『傍観者』という都市伝説を持ち出し、その死を解放と理由付けることによって楽になろうという自己欺瞞だ」と僕は指摘。それを聞いた弓岡は僕にのしかかり、首に手をかける。「お前も『傍観者』だ。俺が解放してやる」
「僕は自分の意志で生きている」
「お前は『無自覚的傍観者』だ。AIがお前の手を動かし、その後お前は自分に手を動かすという意図があったと遡及的に思い込む。自分が『傍観者』であること認められないがための自己欺瞞だ。お前にとっては、原因と結果がすべて逆。そしてそのことに決して気づかない」
首にかかった手が力を強める。意識を失いかけた時、AIに身体のコントロールが移る。「火事場の馬鹿力」で弓岡の腕を振り払い、その勢いのまま崖の下に突き飛ばす。
身体コントロールを取り戻した僕は、自分の手をじっと見つめる。弓岡の「お前は『無自覚的傍観者』だ」という言葉が、いつまでも耳を離れない。
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内容に関するアピール
テーマは「AIによる身体のコントロール」です。精神的に混乱し、正常な判断が困難なとき、代わりに適切な行為を導いてくれる。一方で、計画的な犯罪や、熟慮の末の自殺を止めることはしない。自らの意志で決定する限り、どんなに愚かな行為でも、その自由を尊重する。そのようなシステムを考えてみました。ただ、ストーリーにうまく絡められなかったな、というのが反省点です。実作を書く機会があれば、このシステムについてもう少し掘り下げてみたいと思います。
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