梗 概
鳥の数え方
小学校の時にいつも縁側で、おじいちゃんが庭で飼っているニワトリを見ながら、飛鳥は自分の名前を「飛べない鳥」だと思った。なにをやってもどんくさくて、勉強も出来ない。友達からも出来のいい弟からも馬鹿にされる。おじいちゃんは世話をしながらニワトリを「可愛い、可愛い」と優しそうな顔で言う。飛鳥はその顔を見るのが好きだ。その癖に、おじいちゃんはニワトリの事を「ピーちゃん」と呼ぶ。「ピーちゃん」は、6羽いても10羽いても、みんなまとめて「ピーちゃん」と呼ぶ。
少し寒さを感じる春のある日に、駅のすぐ傍の神社のお祭りで、ひよこを買った。売られている中で一番綺麗で青にカラーリングされたひよこだった。「すぐに卵を産むよ。」と店番のサングラスを掛けたおじさんが、煙草をふかしながら言っていた。飛鳥は自分のニワトリは「よしこ」という名前を付けた。おじいちゃんはニワトリ小屋に蒲鉾板でよしこの名前を書いてくれた。けれど、ひよこはトサカが生え出した。ニワトリ小屋の名前はいつの間にか人の字が無理やりはめ込まれて「よし夫」になっていた。だけど飛鳥はよしこのことは「よしこ」と呼ぶことに決めた。
飛鳥が通勤途中に住宅地を歩いている時に、民家のさびれたベランダを見上げると、古びて汚れた鳥籠が置いてあった。その鳥籠は既に遺物だった。空を飛んで行った鳥は、4種類の可能性がある。一つ目は、生命としての鳥、次に、ロボットとしての鳥、そしてCGとしての鳥、最後にAIの鳥。それらが混在する世界になった。だけど、葬り去るのが一番難しいのは、記憶の中の鳥だ。
大人になった飛鳥は、大手機械メーカーで事務員の仕事をしている。彼女は午後から有休をとる事にした。の会社では自社開発中のAIのコピーロボットが、従業員の有休取得などの際に、代用して働く。社員は自分の仕事をデータにして、AIコピーロボットに読み込ます。コピーロボットは彼女のデータだけではなくて、元々会社の仕事マニュアルも取り込んであるので、仕事は飛鳥よりもコピーロボットの方が優秀なはずだと、その5分間の間、飛鳥はいつも考える。経費削減に開発されているAIコピーロボットは、社会がまだAIと人間のワークシェアリングを推奨しながら、開発を模索している。それが今のところ共存として穏便に機能している。だけどいつ方針が変わるかわからない。飛鳥は自分のデータをコピーする際に、少しだけAIコピーロボットが失敗するように間違ったデータをわざと入れる。飛鳥の同僚は大体飛鳥と同じような心配をして、少しずつ間違ったデータを入れる様にするので、AIコピーロボット稼働中は、何かしらの仕事のミスをする結果になる。そのミスがロボット機能によるミスなのか、人為的なデータ誤入力によるミスなのか、今のところ結局わからない。
文字数:1158
内容に関するアピール
AIの科学技術と経済発展の思惑で想像される現実は、経済が絡み過ぎていて、どこか胡散臭いです。一方で、AIの技術の根幹にある「物事を認識する」という事それ自体が、とても興味深く、それは身近な事として、AIの技術を繋ぐように思いました。また、AI技術のシンギュラリティはベーシックインカムやワーキングシェアと合わさって、新しい社会構造が生まれるのではないかと思ったりします。それは経済発展やAI開発の目的が現実的過ぎる事による、ユートピアでもディストピアでもない世界です。
主人公は自分に自信がないOLの女性です。AIから遠そうな彼女の、人でもAIでも認識をめぐるおかしさと、社会に組み込まれたAI技術との付き合い方などを描く物語が書きたいと思いました。
文字数:324
鳥の数え方
飛鳥が通勤途中に住宅地を歩いている時、古い民家のさびれたベランダを見上げると、古びて汚れた鳥籠が置いてあった。毎日見ている風景の中に、その鳥籠が存在している事に、その日初めて気が付く。その鳥籠は大分と前からそこに置きっぱなしになっているのは明らかだった。置かれているケージの周りには、茶色く腐りかけた木製の廃材があり、その上に水色のボロボロのビニールシートがごわごわに畳まれて、さらに上に四角い大きなケージが置かれている。そのケージ中には、エメラルドグリーンのプラスティック製の吊り下げ式の止まり木が設置されたままで、エメラルドグリーンの色はひとまわり白くなっている。ゲージ全体が雨ざらしの汚れと風化で、格子の線自体はとても細いのに、面をもって錆びた様子をしている。その上を定期的に朝の鳥が、曇り空の下飛んでいく。その鳥籠は既に遺物だった。
さっき空を飛んで行った鳥は、4種類の可能性がある。一つ目は、生命としての鳥、次に、ロボットとしての鳥、そしてCGとしての鳥、最後にAIの鳥。それらが混在する世界になった。
だけど、葬り去るのが一番難しいのは、記憶の中の鳥だ。
子どもの頃、飛鳥のおじいちゃんは庭でニワトリを飼っていた。もっと昔、おじいちゃんのお父さんが作ったニワトリ小屋の原型が庭に元々あった。おじいちゃんのお父さんは早くに亡くなってしまったらしいので、だいぶん長い間ほったらかしになってしまっていた。建てつけの木材がボロボロになり、金網にも穴があいて、中に埃が溜まっていたけれど、おじいちゃんが定年退職をしたのを機に、ホームセンターで材料を買ってきて、きれいに直したのだった。おじいちゃんは農協から最初に6羽の雛を買ってきた。どれも雌鶏で、一羽が一日1つずつ卵を産むので、飛鳥、弟、父母、おじいちゃんおばあちゃんの6人家族の食卓には、毎朝目玉焼きが1つずつ出された。半熟の黄味に焼かれた目玉焼きは、とても美味しい。
だけど、いつの日か卵が余り始めた。お母さんとおばあちゃんは台所で、「なんだかおかしいわね」という。おじいちゃんはにこにこと知らん顔をしていた。ある日、飛鳥がニワトリの数を数えてみると、6羽だったニワトリはいつのまにか8羽になっていた。
おじいちゃんはいつも縁側でニワトリの世話をしながら、ニワトリのことをしきりに「可愛い、可愛い」という。その癖に、おじいちゃんはニワトリの事全部まとめて「ピーちゃん」という。6羽でも8羽になっても、たとえ10羽になったとしても。ニワトリを庭に放して散歩させた後、小屋に戻す時には「ピーちゃん、おいで」と言って、小屋の中にビーちゃん達が入っていくのを促すために、自分がまず小屋に入る。するとニワトリはだいたい半分以上は、おじいちゃんと一緒に小屋に入って行く。小屋の外に残ったのは、少し離れた所にいるニワトリや、性格が穏やかなニワトリで、おじいちゃんはそれらも捕まえて小屋の中に仕舞う。
飛鳥はぼんやりとニワトリを見ながら、自分の名前は「飛べない鳥」だと思った。なにをやってもどんくさくて、勉強も出来ない。友達は優しいけれど、なんとなくうまくしゃべれないし、出来のいい弟の武司からは馬鹿にされる。お母さんとおばあちゃんは仲がよくて、ぺちゃくちゃおしゃべりをしているけれど、女同士でも飛鳥にはわからない話ばかりで盛り上がる。おじいちゃんがニワトリを可愛がるのを見ていると、自分も褒められている気がして安心した。飛鳥は縁側でよくニワトリの絵を描いた。
少し寒さを感じる春のある日に、駅のすぐ傍の神社のお祭りで、ひよこが売られていた。青い水槽に入れられたひよこはカラフルな色で、赤や青や紫や緑の色をしていた。黄色もいたけれど、薄黄色いひよこ色に、人工の黄色が上塗りされていて、沢庵みたいな濃い黄色だった。電気照明で照らされた部分が暖かそうで、実際にみんなその部分に集まって、肩を寄せ合っていた。いろんな色のひよこが集まって、団子みたいになっている様子は少しグロテスクで、だけど可愛かった。
「すぐに卵を産むよ」とサングラスを掛けた店のおじさんが、煙草を吸いながら飛鳥に向かって言う。サングラス越しに、おじさんは、あまりひよこの方は見ていない事が何となくわかった。おじさんの体全体が退屈そうだった。ひよこは、家を出る前に渡された祭用のお小遣いと同じ値段だった。くじやゲーム、屋台の出店の綿菓子や飴やたこ焼きなどを見る前の、一番入口にひよこはいた。飛鳥は売られている中で一番綺麗に青のカラーリングがされたひよこを買った。
ひよこを手のひらに持つと、とてつもなく大事なものが手の中に入っている気がした。手のひらの中で、もぞもぞと動く感触が、とても嬉しい。いつも眺めたり、絵に描いていたものは、暖かいものだった。他の屋台も祭りも見ずに、飛鳥は急いで家にひよこを持って帰ると、お母さんは「早かったわね。忘れ物したの?」と不思議がった。飛鳥はとっさに手の中の青いひよこを隠す様に閉じた。でも遅かった。ひよこはずっと鳴いているので、お母さんもすぐに青いひよこに気が付いた。その後、飛鳥は動物を勝手に買って来た事で、お母さんとおばあちゃんに交替で、小言を言われた。2人はいつも別々に同じことを言う。その日も晩ご飯の前にお母さん、晩ご飯の後ほうじ茶を飲んでいる時におばあちゃんだった。だけど2人は、晩ご飯の天ぷらのつなぎに使った2個の卵は、こっそり増えたおじいちゃんの2羽のニワトリの所為であることには、まだ気が付ついていない。
おじいちゃんの庭のニワトリ小屋に青いひよこは仲間入りした。飛鳥は青いひよこはピーちゃんとは違う気がしたので、ニワトリはよしこという名前にした。名前の最後に「こ」がつく名前に飛鳥は憧れていたからだ。蒲鉾の板に青いひよこの名前を書いて、小屋の入り口の上に掲げた。蒲鉾はわざわざ買ってきた。おじいちゃんが商店街の練り物屋でいいやつを買ってきてくれた。おじいちゃんは飛鳥のひよこのよしこと飛鳥を両方みながら、とても嬉しそうだった。その日の晩ご飯は蒲鉾が入った美味しい茶碗蒸しだった。
よしこはすぐに、青いひよこではなくなった。青いカラーリングが薄まり、普通の優しいクリーム色になった。格好よさはなくなったけれど、見慣れてしまうとそれも悪くない。しばらくすると、よしこの頭には、次第に赤いトサカがにょきにょきと生えてきた。途中のトサカの形はすこし気味が悪い。だけど、黄味のある卵も一向に産まない雄鶏であることは、飛鳥にとっては既にどうでも良くなっていた。少しだけ、よしこの卵で茶碗蒸しを食べてみたかった気もするけれど。ニワトリ小屋の名札に書かれた、よしこの文字の「こ」の字の間に、無理やりに「人」の字を当て込んで、いつのまにか「よし夫」になっていた。はじめは、おじいちゃんが気を効かせて書いてくれたものだと思っていた。だけど、自分のにわとりを全部まとめて「ぴーちゃん」というぐらい名前に頓着しないおじいちゃんが、他人のにわとりの名前を気にする訳がない。あと残る考えられる原因は、武司の仕業だ。飛鳥は武司に文句を言ってやる代わりに、いつまでもよしこのことは「よしこ」と呼ぶことに決めた。
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4種類の鳥の一つ目は、生命としての鳥だ。一番馴染みのある自然本来の鳥だ。記憶の中には、生命の鳥しかいない。だけど、今は他にもあと3つ鳥には種類がある。わかりやすさでいくと、次はロボットの鳥だ。ドローン技術で小さな鳥型のロボット鳥が生まれた。ロボットの鳥には、物体がある。だけど、CGの鳥は、物体がない。物体は無いけれど、表象がある。チェシャ猫の様に、笑いだけを残して消えていくのは、CGの鳥だ。最後のAIの鳥は、ディープラーニングの末に生み出された。蓄積された技術は、物体も表象ない。実体としては、骨抜きならぬ、骨も羽もそれ以外も、あらゆる物が足りていない。便宜上、ロボットの鳥と同じくドローンに掲載されることになる。
それぞれの種類の鳥が生まれた経緯は、生命の鳥の間で流行った、パンデミックに原因があった。春先から鳥の奇行がよく目撃された。
「グワル クワル」酒焼けした喉から発せられる、ガラガラとしたダミ声が響いてくる道路を飛鳥は歩いていた。末尾は巻き舌の微かなルの発音。そうやって鳴くのは、朝の良く晴れた空の下、電信柱の上にいるカラスだった。どこで呑んでいたのか、徹夜明けなのか、理由はさておいてみて、そもそも論として、こんな早朝から起きているんだったら、それだけでの三文の得だ。得した三文でまた呑みに行く様な、粋なカラスだったりしないだろうか。千鳥足のカラスがちっとも明日も考えずに千鳥格子の帽子をかぶって、朝の街に消えていく。黒いカラスが、白い眩しい朝の光の中に消えていく姿は、壮観な気がする。
見掛けた千鳥カラスについて、歩きながら飛鳥は考えていた木曜日は、生ごみの日だった。道路に置かれた黄色いごみ袋が沢山並んだ。その内の一つが、カラスによって荒らされていた。カラスは何かのトレーに入った、恐らくトレーの中身ごと捨てられていた、唐揚げか、さつま揚げか、初めて見た時は、本当はそれはホタルイカのように見えた。茶色から紫の様な色の3センチくらいの小さい破片がいっぱい入っているトレーをつついて、カラスは一生懸命美味しそうに食べていた。朝食中のところ、さっき消えたはずの三文千鳥ガラスが、ホタルイカガラスをすごい勢いで襲った。
またその日の午後は、自転車で移動中だった。前方にまた朝方に出し遅れてゴミ収集車の回収漏れになって置き去りにされた普通ゴミの袋を突いているカラスがいた。袋に穴を開ける音は、尖がったくちばしがビニールの張りを突き抜ける、気持ちの良い音だった。そこにまた、別のカラスが一羽舞い降りてくる。とてもドスの利いた、聞いた事の無いような声で鳴き出す。そしてとうとう、実際にカラスはカラスに攻撃が開始され、追い立てられた方のカラスはすぐさま近くの電線に逃げた。避難したカラスはくちばしにゴミ袋の中から見つけた些細な戦利品を挟んでいる様だった。けれど、すぐさままた追いかけてきた、さっきの凶暴カラスによって、背後上空から猛烈な攻撃をされる。漁ったカラスは驚いて、くちばしに挟んでいたものと思われる、薄っぺらな白いモノがひらひらと舞い落ちて行く。
ふと前を見ると、地面にのたうち回って羽を頻りに動かす、灰色の蛾がいた。急に視界に入ってきた蛾のギリギリ脇のところを、自転車の車輪は通り過ぎた。
それは、鳥パンデミックが大々的になる前の、路地のカラスの光景だった。動物によくある縄張り争いによる攻撃とあまりかわらない。元々鳥が鳥を食べる事は一般的に報告されていたし、飛鳥もよくあることだと思っていた。だけど、目撃頻度が違っていて、多すぎたのだ。そして、その鳥たちの攻撃は、一般的な自然界で起きている様な、一方的に殺すという目的のものではなかった。一番の問題だったのは、鳥が鳥を襲い、その襲われた鳥がさらにどんどんと別の鳥を襲っていく、謎の連鎖現象だった。それは、日本の路地だけではなく、世界中の各地で起きている現象として報告された。世界中の鳥類学者は調査に乗り出し、その現象が都会の中の人がたくさんいる目に着く所でも、アマゾンの奥地のような、人の目が介入しないところでも同様に発生している事が鳥類学会で報告され始めた。
鳥同志の頻繁な激しい襲撃の原因は、「鳥ゾンビウィルス」によるものだという事がニュースで流れるまでには、時間はそれ程かからなかった。かつて生命としての鳥の間で流行った、「鳥インフルエンザ」よりも更に悪質なウィルスだ。要するに、鳥をゾンビにしていくウィルスである。その新しく発見された恐ろしいウィルスの詳しい解明はこういうことだ。
鳥ゾンビウィルスは、感染した鳥の行動に影響のない脂肪組織からまず侵食していく。血、次に筋肉を少しずつ汚染していき、内臓を食い、最終的に鳥の神経や脳にまで及んでそれらの組織を破壊する。汚染された鳥は、最初の段階では表面の見た目は普通の鳥と変わらない。元気がなく、動きが遅くて、反応が鈍いので、少し弱っているのかなと感じる。それから次第に、みるみるうちに鳥の小さな目が白目をむいて、体の自由が利かなくなっていき、最終的に、鳥の意思とは関係がない奇行にはしる。そういった具合に、ゾンビ化した鳥は別の鳥を攻撃していくのだった。攻撃された鳥は傷口から鳥ゾンビウィルスに感染する。
しかし、鳥ゾンビウィルスの感染ルートは、他の一般的なウィルスと同じく、発症前の鳥が潜伏期間中に日常生活を送ることにも存在する。他の仲間の鳥たちと戯れることが感染源になるのだ。噴水から溢れ出る水の線に、顔ごと突っ込んで、くちばしから水を飲む鳩がいる水飲み場や、電線に止まったカラスが何食わぬ顔で白い糞をする路地も、ベランダに置いてある植木鉢に入れた土で、お正月から雀が砂浴びをして、他人の家のベランダ一面を砂まみれにするベランダも、あとで近寄って見ても何も落ちていないように見える地面に、なぜか鳩と雀がどんどんと集まって増えてあるいている様な休日の公園前の歩道も、そこに一羽でも鳥ゾンビウィルスに感染した鳥がいれば、日常自体が非常事態という状況になるのだった。
飛鳥は夜にベランダで歯磨きをしながら、さっきまで観ていた人間のゾンビ映画について考えていた。映画の中のゾンビの世界が、鳥を舞台に繰り広げられていく。人間を対象にするゾンビ映画の醍醐味は、逃げる側の生きながらも生命が終る恐怖へのスリルの共感があって成り立つ。鳥同志のゾンビ攻撃の場合も、攻撃力そのものの生々しさと、そこから逃げる鳥の持つスリル感は共感があるような、ないような曖昧な気分だった。
飛鳥はベランダにある植木の様子が見るのが好きで、部屋着で出て、先日植え替えたバジルやパセリの植木鉢を見ながら歯を磨く。植え替えたあとにきちんと根付いているかが気になって、様子をじっくり見ていると、路面に面したベランダの下を、携帯電話を片手に喋りながらTシャツを着た男が、こちらを見る。飛鳥の部屋は、マンションの2階の部屋だった。大通りから脇に入った場所に位置するマンションの前の道は、人がそれなりに通る。道を歩いていく人は、ベランダにいる飛鳥を見る人もいれば、ただ前を向いて歩いていく人もいる。道路とベランダの距離感が丁度よい。
昼間は、斜め向かいがガレージで、社用車を置いている近くのガス会社の社員の雑談。その反対側の斜めには寺があり、勝手口から出入する年配の男性、小学校が近くにあるので、小学生の野球チームの男の子3人組、ママさんバレー帰りの親子連れ、近くには観光客用のドミトリーがあるので、そこへ出たり入ったりするスーツケースの音は、朝や夜に良く聞こえる。だいたい朝は南に向かって、夜は北に向かって音がする。大きなスーツケースをガラガラ言わせながら、韓国語や中国語、もしくは英語などで楽しそうに会話をして、数人向かって通過する外国人もよく目撃する。大きな犬を3種類、連れている女の人は、連れていく犬が3匹もいたら、1匹の為に行くよりもなんだかお得感や達成感がより充実している気がする。
通行人を観察するのは楽しいけれど、マンションの住人に見られるのはできれば避けたいと思う。そう思った途端、黒いきっちりとしたスーツを着た男の人が帰ってくる。歯磨きを片手に持った飛鳥と目が合った気がした。暗いし離れているので、見えていないかもしれない。こちらも暗くてあまりよく顔が見えない。よく見かけるその住人は、いつも夜遅い時間に帰って来て、疲れた顔をしている気がする。帰ってくるタイミングは、飛鳥が歯磨きや洗濯物を干している時だったりする事が多い。お互いにただの日常生活を送っているだけで、悪い事をしている訳ではないのに、なんとなく気まずい思いをする。
鳥ゾンビウィルスのまた1つの特徴は、感染して死に至った鳥の死体が、人の目に着くそこら中に散乱することだった。普通鳥が死ぬときは、人知れず森や山の中などの、夜のねぐらで動けなくなって死んでいく。それが、どこでも鳥が死んでしまうようになった。飛鳥のベランダも前の道でも、鳥が死んでいるのを見かける事が何度かあった。鳥にしてみても、予期せず感染し、予期せず死んでいく。バタバタという擬音語は、鳥が飛んでいく音ではなくて、鳥が倒れて死んでいく音になった。
鳥ロボット誕生の当初の目的は、道端などの人目に着く鳥の屍を回収するためだった。感染した鳥の死骸を片付ける作業を人の手でする抵抗感と、二次被害の防止だった。だけど実際にはそれよりも、ねぐらで死んでいった人目につかない鳥の死骸を回収し葬る事で、感染拡大を予防する事の方が、ロボット鳥の役目としては効果的だった。なぜなら、そういう場所には人間が分け入って行くわけにもいかない反面、骸を放っておいてしまうと、鳥ゾンビウィルスの感染源として十分に機能してしまうからだ。
出来るだけ、自然現象に任せて死骸も放置しておくべきだという意見もあったけれど、どんどんと深刻度を増していく鳥ゾンビウィルス被害は、鳥の種全体が絶滅してしまうのではないかと懸念された。そうなる前の対策として、当然の事だと考える意見が優勢だった。
飛鳥は山の中の森にある、鳥のねぐらを探しに行った。その日は電車とバスを乗り継いで、早朝から山に行った。梅雨の最中に前日が雨だったけれど、朝から良く晴れている日だった。気温がまだ上がらないうちに、近くの集落の田んぼや、山の斜面の方から蛙の鳴く声がガコガコいう。何匹もいるので、木霊か共鳴音かというくらいに、その音が反共している。かなり大きな声で鳴いている。鳴き方からして、2、3種類くらいいそうだ。姿が見えない蛙の声も、これだけうるさいと、飛鳥も物まね叫びでもしてみようかとか、何か叫んでも誰もいない山の中なで良いのではないかとか、色々ちょっと思った
都会のちょっと薄暗い部屋で雨のせいで一日過ごしていた先日、飛鳥はちょっと大声を出してみたい気分になったのを思い出す。いつも居心地はいい部屋だけれど、何故かその日は叫びたい気分になった。けれど、先日の部屋の中とは違って、山の中の見晴しのいい場所では、気分がすっかり晴れやかになって、改めて叫びたい気分ではなくなっている。
隣の部屋に住んでいるおじさんが演歌を歌う唄声が、定期的に飛鳥の部屋に聴こえてくる。最初に歌が聴こえて来たのも、雨の日の夜だった。普段開けている窓が閉まっていたので、余計と壁越しに聞こえてくる歌声が大きかった。だけど、お酒でも飲んで、酔っ払って気持ち良さそうに歌っている所を想像すると、水を差す気にもなれずに、放っておくことにした。それから一カ月に1回くらいのペースで隣のおじさんの歌謡ショウは行われている。隣のおじさんは一度だけ見た事がある。でもほとんど顔を覚えていない。顔を知らない人の唄声だけ聞こえてくる。
日が照らない朝の間の森の中で集まって鳴いている蛙は、ちょっと薄暗い方が居心地はいいようで、午前中はずっと鳴いていた。蛙の声は、日が昇っていくにつれて、小さくなっていった。本当は鶯の鳴き声が聴こえてくるはずが、今年は聴こえてこない。
夜が早くやって来て山が暗くなる前に、数本の限られた帰りのバスに無事に乗れた。バスに揺られながら、3時半頃の夕方手前の時間帯は、太陽が西に傾く途中、まだ明るく照っていたけれど、どことなく黄色と赤の光が混ざった感じがしている。森に生えた真っ直ぐな杉林を照らして、木が木に落とすまばらな影と差し込んでいる光の斑が落ちて、森が斑模様になっている。そういう斑になった影の中に、鳥のねぐらがありそうだった。
その内に、その生命の鳥の危機的な状況を悼むため、CGの鳥が生まれることになった。物騒になった空の世界を、逆手にとって注目したのが、大手企業だった。自社宣伝のために鳥型のCG広告を空に飛ばす様になった。企業側の表向きは、鳥ゾンビウィルスによって死んでいった鳥たちの慰霊のためのCG鳥の飛行という事だった。お盆の行事の送り火の一種である、灯籠流しの意味合いを模倣していた。生命の鳥がどんどんと少なくなっていっている空にCGの鳥を放つ事で、亡くなっていった鳥の安らかな永眠と、殺伐とした空模様を少しでも和らげようという思いが、HPで語られていた。
だけど、本当のところは、大手広告代理店が仕掛けた、広告戦略だった。鳥ゾンビウィルスの猛威によって、人々の関心が鳥や空にある今のうちに、そして生命の鳥が少なくなって空が空いているうちに、目立つ宣伝効果としてCGの鳥を飛ばす事を思いついた。それを名のある有名企業に売り込んだ形だった。それが大当たりしたのだった。
はじめCG鳥はとても地味なものから始まった。灯籠流しの様に、空を海や川に見立てて、和紙で作った四角い籠の真ん中に蝋燭を灯して流す、灯籠流しの要領で、パラパラとCG鳥を飛び立たせていくものだった。それが、灯籠は和紙を染めずに蝋燭の火そのものが黄色く映って流れていくのもあるけれど、だんだんと和紙を染めた、赤や青や緑や紫など色付きの灯籠があるように、いつしかCG鳥も普通の鳥を模したものではなくて、アマゾン奥地の秘境にも存在するのかしないのかわからない様な、意匠の凝った鳥が飛び立つ様になっていった。
飛鳥が勤めている下請け仕事の多い小規模広告代理店でも、その余波をうけて、ここ1カ月はCG鳥広告の委託業務ばかりを請け負っている。飛鳥もCG鳥に関わる作業に毎日取り掛かっている。細々と経営している飛鳥の会社もちょっとした特需だった。日々更新されてくPCやCGの技術やデザインのトレンドなどの最新を追いかけて、まやかしみたいな広告の仕事になって追われる。
今、毎日どこかの空でCGの鳥が飛んでいる。CG鳥そのものに広告主の名前が書かれている訳ではないけれど、ネットや新聞、電車内の吊革広告などで、どの場所に・いつ頃・どういう企業がCG鳥を飛ばすか、について告知する。CG鳥はその飛んでいく個体の姿や集合体の美しさや作り込まれた技術で競う。青い空を彩るバリエーション豊かなその光景は、さながら昼間の花火のようだった。
ロボット鳥の活躍を持ってでも、鳥ゾンビウィルスの猛威は収まる兆しが一向になかった。
鳥ゾンビウィルスがさらに問題が深刻になったのは、人間への影響に発展した場合の懸念だった。当初からその懸念はささやかれていたけれど、世界的にあからさまに人に半信半疑の恐怖を意識させるようになったのは、「鳥ゾンビウィルスの発生は、人為的な無差別テロの失敗によるものではないか」というネット上で流れ続けているフェイクニュースに対して、世界中の政治家たちが真面目に議論の対象にする様になってからだ。ニワトリの様に、地上のある特定の地域で生息しているのではなく、鳥は世界中の空を自由に飛んでいくので、ウィルス感染の広がりが大きいからだ。汚染物質を世界中に広げるには、格好の媒体となる。それに、鳥ゾンビウィルスは、鳥の種類に対する境界がなく、広がる。鳥ゾンビウィルスの猛威を考えると、フェイクニュースもどこまでフェイクと信じていいのか、人々は不安になっていった。実際のところ各地で大量の鳥が、無残な形のゾンビとなり、無惨に死んでいく光景がフェイクニュースの広がりにも後押しをした。鳥ゾンビウィルスは、感染鳥や感染経路との接触から人間に感染し、人間をゾンビ化させための布石だとされた。
原因が解明されない状態のままでは、テロ疑惑は都市伝説の様なもので、鳥ゾンビウィルスは自然発生とするのが一般的な有識者の見解だった。だけど、どちらにしても、個体数がどんどんと減少していく鳥に対して、種が絶滅する前に、早急に対策をとる必要が迫られた。また、鳥ゾンビウィルスが、いつ人間に感染して、人体に対する影響がどのようなものになるか、ウィルス学者の間で懸念されたからだ。人間に対して、ゾンビ化する事はないという意見と、ウィルスの人間への耐性は、鳥の間で起きているここ数カ月の死闘の現状を思案すると、一瞬の猶予のない事態であり、安心できないとする意見に分かれた。各国首脳の国際会議で対策検討の結果、AIの鳥が世界の共同発明される提案が採決された。
国際会議の方針は端的にいうこうだった。「世界中に散らばった感染鳥は、殺処分対象とする」。そして問題は、どれがすでに鳥ゾンビウィルスに感染した鳥で、どれがまだ未感染の鳥か、人間では判別が難しい。そこで、AI技術が活用されることになった。
まず、鳥ゾンビウィルスに関する膨大なビッグデータが集められて、ディープラーニングが行われる。それによって、鳥ゾンビウィルス感染鳥と非感染鳥を見分ける事に高確率で成功した。このAIと生命に関する技術は、AIの医療分析技術の応用だった。癌患者の膨大なビッグデータを分析し、個別のカルテを解読して、その癌患者個人の病状に合った治療法を提案する。このAI技術の利用はすでに確立されたものだった。AIの医療分析により、すでに何百人もの患者がAIの提案する治療法を採用することで、癌が完治させられている。中には末期癌の患者もいた。実例からの応用技術のため、鳥ゾンビウィルス感染実態を識別する技術を開発する事は、それ程困難な事ではなかった。
ただ癌患者へのAI技術の応用が生命を生かすための技術であり、鳥へのAI技術の応用が、生命を殺すための技術であることは、倫理的観点から議論の焦点になった。しかし、殺すといっても、ゾンビに感染した鳥は、すでに本来の鳥としての生命が終っていると考えられるべきだという意見が優勢だった。蔓延する鳥ゾンビウィルスの猛威の現状に対して、優先されることになった。未感染の鳥は殺さずに、保護をしなければならないとする条件が、ささやかに付与された。
そして、そのAI技術をドローンに搭載した、AI鳥が誕生したのだ。AI鳥はドローンで世界各地を飛行拡散し、実際の鳥に近づき、目の前の鳥が、感染済か未感染かを判別し、ウィルス感染した鳥であると識別されると、同じくドローンに搭載されたビームで殺処分する。鳥の死体は鳥ロボットによって回収される。
AI鳥によるゾンビ化された鳥の処分は、「生命を元に人工的に創造した鳥」と、「かつては生命だったけれど生命意志のなくなった鳥」という、疑似生命同志の対立構造となった。
AI鳥の開発に関わった技術者の有名な動画がある。何万回も再生されたその映像に映る技術者は、カジュアルな服装で、もじゃもじゃの髪の毛の丸眼鏡を掛けた40代後半の男性だった。膝に抱えた猫の背中をなでながら、彼はとても満足そうに、こう語る。「AI鳥は鳥ではない。最初にAIが認識したのは、猫だった。そして、最初にAIの捕獲対象物が鳥になったという事実は、AIは表象の猫を認識していただけでなく、猫の本質的な特性をも認識していたのだ。そして、彼らAIは猫そのものになった。」羽の生えた猫に搭載されたAI技術は、現段階で最も実用的なAI技術の使用例の1つとなった。
AIを開発してきた主に先進国の技術者たちは、自国経済の発展のために開発してきたAI技術を、世界中に広がる鳥ゾンビウィルスを食い止めるために平和利用に転用した事を誇りに思っていた。AI鳥は世界中に放たれた。開発者が多い、アメリカや中国、ヨーロッパや日本はもちろんのこと、南米のアマゾンや東南アジアの熱帯雨林などにも放たれた。むしろ、自然豊かなそれらの地域の方が、鳥ゾンビウィルスの感染にしても、AI鳥にしても、影響が大きかった。
自然の摂理としては、弱肉強食の上位に属する鳥が減少することで、他の捕食生物が一旦増加する。しかし、増えた生物は、食料がなくなり、再び自然淘汰する。だけど、より豊かな自然は、より複雑な自然であり、複雑であればあるほど、半ば強引に人工のAI鳥を放った事は、先進国の優位性が保たれた政治的行為と主張する意見もあった。
ベランダ栽培の植物は、秋になってバジルやパセリなどが花を咲かせて、種が出来はじめていた。一年草のそれらの植物は、毎年花を咲かせて実を付ける。その種を採っておいて、来年春先に植えると、また芽が出て育つ。そろそろ今年のベランダ栽培も終りに近い。飛鳥がベランダを少し片付けていると、いくつかある大きさの素焼きの植木鉢の間に、羽が完璧な形で残っているアゲハチョウが現れた。とても綺麗な形をしているので、ハッと驚く。どこかにまた飛んでいきそうだけれど、飛ぶことはない。死骸である不気味さが少し意識に入り込む。だけど、昆虫は鳥や哺乳類と違って、物体としてロボットに少し似ている気がする。指でつまみあげた、止まっている物体としての蝶の羽には、黒い縁取りに細かな枠組みがある。枠の中は、薄い黄色に色づけられる。黒だと思っていた所に黒に影が付いたような青い色をした模様もある。黄色の色の濃さが所々少し異なるのは、種としての特徴ではなくて、左右の羽を見ると、個体の持つ劣化した経過の様だ。とても綺麗な羽をしている。四枚の羽はアゲハチョウだけど、間近で見ると体の本体のデザインは意外に細かなたくさんの毛で覆われていて、蝶よりも蛾のイメージにだんだんと近くなる。口の形が丸まっていて、触覚が長細い事を確認すると、やはり蝶でしかない。
ベランダには栽培中の落ちたレモンの葉や土や、干した洗濯物から落ちた髪の毛や鳥の羽など、細かなゴミが出ている。それらを部屋に適当なところに転がっていたレンタルDVDのビニル袋に入れていく。レモンの葉で、ゴミの中が、とても良い甘酸っぱい匂いになる。ベランダの片づけ作業が終る頃に、迷ってから飛鳥はその袋の中にアゲハチョウを入れてしまう。
部屋のゴミ箱に入れたそのビニル袋を、飛鳥は度々取り出す。ゴミと一緒になったアゲハチョウを取り出して観察する。一度捨てるつもりで、ビニル袋に入れてしまったアゲハチョウの羽には、皺がヨレヨレと付いている。それでもアゲハチョウの羽の形の不思議はそのまま残っている。指に黒い粉が移る。生きていたものは死んでからも執拗に何かを残していく。
政治的議論は平行線のまま、AI鳥の効果がどこまで現れているのか研究段階のまま、今度は次第に、AI鳥が鳥だけではなく、人をも襲うという報告が度々なされるようになる。はじめはすぐさまAI鳥の故障による誤作動ではないかと疑われた。けれど、襲われた人を調査すると、その人物が鳥ゾンビウィルスに感染している事がわかった。人が鳥ゾンビウィルスに感染しはじめた。ネズミより先に人を襲うようになったAI鳥が、他の動物を襲う場面も報告される。鳥ゾンビウィルスが種を超えて感染し始めた。
だけど、その頃には鳥ゾンビウィルスのワクチンがようやく開発されたのだった。そのワクチンを接種する事で、残った鳥も人も他の動物もゾンビ化は免れるだろう。AI鳥は感染鳥を発見する機能はそのままに、殺処分用のビームではなく、ワクチンを搭載することになった。AI鳥に感染を認められたゾンビ鳥は、ワクチンを投与されて、鳥としての生命を維持する事に成功した。AI鳥は死神から天使になった。
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空の世界は静かになった。解決策に目途が立った鳥ゾンビウィルス騒動は、問題が解決の方向に向かうと、1カ月経てば世間の話題としては、すっかりと下火になった。道端や公園で見かける鳥も、以前と同じように何食わぬ顔で、降り立った地面を散歩して、また飛び立っていく。
冬が始まろうとしている空は、どこまでも高くて澄んだ青さが伸びている。点描のうろこ雲と薄い線を束ねた巻雲が、広い青空に細やかな純白の模様をつけている。
「あ、ニワトリが飛んでる。」
ベランダの下で声がした。飛鳥が覗くと、いつもスーツを着て疲れた顔をして帰ってくる同じマンションの男だった。でも今日はジーパンとチェックのシャツを着て、明るい空の下で見る彼は、疲れた顔をしていなかった。いつもより若くて、飛鳥と同じくらいの年の青年だった。
「君が描いたの?」
「うん、そうだよ。実家で飼ってたニワトリ。」
「ウィルスで死んだの?」
「飼っていたのは、もっと昔の話」
「そう。なんかいいね。シャボン玉を飛ばしてるみたいだ。」
すでに時代遅れのCG鳥を、飛鳥はベランダから飛ばしていた。昔縁側で書いた様な、青いひよこのよしこやクリーム色のよしこ、赤いトサカの生えたニワトリのよしこ、それからおじいちゃんのたくさんのニワトリピーちゃんの絵を、何枚も描いた。そしてそれらの絵を全部、空に何羽も飛ばしていた。飛ばしたCGの鳥は、空のある一定の高さになるとふっと消える。全盛期に飛んでいたCG鳥は、製作技術がもっと高度だったけれど、飛鳥の家のパソコンに入っているCGソフトの技術はそんなものだった。単発的に一羽飛んだら次の一羽、とCGの鳥が拙く飛んでいく。休日の午後の光景だった。
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