梗 概
人間のようなもの
舞台は地球が寒冷化した未来の東京。
海岸線の後退した東京湾岸部の工事に全国から労働者が集まり、かつて海底だった泥地に家を建てて住み着いた。再三の強制撤去も効果なく、肥大化したスラムは葦原と呼ばれた。
葦原の片隅に「よろず診療」を掲げる糠月診療所があった。
糠月医師の悩みの種は、診療所に看護師がいないこと。給料は相場の倍で募集しているが、毎日水路に死体が浮くほど葦原の治安は悪く、希望者が来ないのだ。
AI研究者の西村博士と女性型アンドロイドのマリが診療所に来る。
募集を見て、マリを看護師として住み込みで働かせてほしいのだと言う。
マリは看護師の機能に加え、命令すれば医師としての処置も可能な最新機種。リースでも看護師の給料の10倍は必要だろう。
募集の通り、相場2人分の給料をマリに渡せば十分だと西村は言う。
開発中のAIの実地試験らしいが、詳細は語らず。
西村の目的を気にしつつ、糠月はマリを雇う。
マリは診療所の仕事を的確にこなし、糠月の食事まで作る。
美味いが、材料はどうしたのか聞くと、マリの自腹。
それ以降、給料とは別に食費を渡す。
糠月「渡した給料の使い道は無いのか?」
マリ「ええ、とくにありませんわ」
糠月診療所が格安で行う娼婦の健康診断で、マリは評判になる。
事故で大勢運び込まれ、マリは治療も行い、患者を全員救う。
妊娠初期中期の中絶手術の助手としても、マリは良く働く。
糠月は中絶した胎児の遺体を診療所の離れに移す。
糠月は遺体を移植用に培養し、その売り上げで診療所をまかなっている。
中絶手術をするごとに、マリは塞ぎこみがちになる。
“訳ありの客”が来る。
20代半ばの立派な青年と、泣き腫らした目の10歳ほどの華奢な少女。
少女は臨月の妊婦で、青年は中絶を依頼する。
妊娠22週以降の堕胎は法で禁止されている。
糠月は里親制度など提案するが、青年は首を振る。
診察すると少女の骨盤はあまりに狭く、器具を挿入しての中絶では、胎児を取り出せない。
糠月「帝王切開だな」
マリ「私が超音波で破砕すれば、患者の腹部を切開せずに吸引法で摘出可能です」
糠月「吸引法では母体の安全が確保できない。それに、何もせずに取り出せば産声を上げる。法律ではまだ人間じゃないが、人間のようなものだ。君はこの処置をするべきではない」
マリ「…………わかりました」
青年と少女に帝王切開で中絶すると伝え、翌日の手術のために2人とも診療所に宿泊する。
翌朝、糠月と青年はマリの作った朝食を食べ、睡眠薬で眠ってしまう。
糠月が目覚めるとすでに昼すぎで、青年はまだ眠っている。
糠月はマリが吸引法を試みただろうと考え、手術室へと駆け込む。
少女は麻酔で眠っており、腹部には横一文字にうっすらと手術の跡。
マリは新生児を産湯に浸けている。
マリ「私、お給料の使い道を見つけましたわ」
西村博士の目的は果たされたのだと糠月は思う。
マリは母親のような笑みを浮かべ、赤ちゃんを抱きあげる。
文字数:1200
内容に関するアピール
ロボット工学三原則を備えた強いAIが人間社会で活躍するなら、各種法律もインストールされ、三原則における「人間」も法律に基づいて定義されるだろう。
堕胎に関する日本の法律では、妊娠22週以降は妊婦が希望しても、母体に危険がある場合を除き、まともな病院では中絶手術は許可されない。
では闇医者での臨月の胎児の中絶にAIが立ち会う例ではどうか。
法で一定の権利を認められた胎児、もうすぐ人間になる人間未満の存在が人間によって害されるとき、ロボット三原則第一条の解釈によっては、AIは胎児を守るように行動するのではないだろうか。
実作では、プログラムによって規定された行動が、まるで愛や思いやりのためになされたかのように見える、美しさと気味の悪さを、糠月医師とマリの対話から読者に意識させ、できるだけ後味さわやか、かつ疑問が残るように仕上げたい。
文字数:369