梗 概
三度目の創世記
先月40歳の誕生日を迎えたカイリは、毎朝空を見上げるのが日課となっている。全身にやわらかに降りそそぐ陽射しは、現実の太陽光なのか脳内映像の見せる光なのか区別はつかないが、いつもカイリを清らかな気分にしてくれる。
隣人で元同僚のカレンが、生後半年になる赤ん坊を腕に抱きながら、「カイリももうじきパパね」と声をかけてくる。
カイリは決して朝陽を浴びるために空を眺めているわけではない。上空を行き交うドローンの中に、桃型のカプセルがないかを探しているのだ。
東歴201年、西暦に換算すると2300年。この地球には、外見は人間とそっくりなArtificial Humanが暮らしている。人間にそっくりとは言っても、ほとんどのAHはピンとこないだろう。彼らは人間を神話の中の人物としてしか認識していない。
AHは20歳で成人し、それから20年働き、40歳で退職する。40歳になると、子育て期に突入する。40歳の誕生日から三ヶ月以内に、造人局でつくられた胎児が桃型のカプセルに入って送られてくる。原則一人につき一人の子どもが届けられ、その子が成人するまで責任をもって育てなければならない。60歳になり子育てを終えると、自動的にプログラムが終了し、死を迎える。AHの一生は60年と定められ、人口が一定に保たれるよう造人局でコントロールされている。
カイリは、余生の20年の子育てを楽しみにしていた。そしてまた、20年後に控えた死を、ある種敬虔な心もちで待ち望んでいた。それは多分、仕事柄カイリの心にノン・キリサトの精神が深く浸透していたからであろう。
カイリは成人してからの20年間、考古学者として国立人類研究所に勤めた。35歳で研究所の所長にまでなったエリート学者だった。
考古学とは、AHの祖先とされる人間についての実証研究をおこなう学問である。カイリたち(カレンも一緒だった)の研究内容は、一言で言えば、なぜ人間が絶滅しAHが誕生したのかを明らかにすること。人間の歴史の終焉とAHの「創世記」を描き出すことだった。
西暦2097年、東洋帝国管轄下の日本で、「モモタロウ・プロジェクト」という極秘プロジェクトが発足する。ノン・キリサトは、このプロジェクトの主導者とされている。「モモタロウ」が意味するところは未だ明らかになっていないが、AHの胎児が桃型のカプセルに入って届けられるのは、ここに端を発する。ノン・キリサトは、人間の身体にAIを埋め込んだAHの胎児をつくり、それを長期間保存することのできる子宮内環境を整えた桃型のカプセルを開発した。西暦2100年に第1号が完成し、AH生誕のその年を東歴元年と定めた。人間はその後急速に人口を減らし、およそ百年後に絶滅した。
200年前の史実が次々と明らかになってゆく中で、しかし、ノン・キリサトとは一体何者なのかということは、実はよく分かっていない。ひとりの人間なのか、AIなのか、あるいは・・・・・・。
得体の知れぬノン・キリサトには、しかし、言葉によって人を惹きつける力があった。カイリもノン・キリサトに魅了され、20年間研究にのめり込んだのだった。
カイリのもとに桃型カプセルが届き、子育てをはじめてから三ヶ月ほど経ったある日のこと。カイリと隣人のカレンのもとに、もうひとつずつ桃型カプセルが届いた。人口調整のために、稀に二人目の子どもが届けられることがある。二人揃って同時に二人目の子どもをもらったことに多少の違和を感じつつも、二人とも子どもが増えたことを喜んだ。二人は早速初期設定に不備がないかどうかを確認する。
「『ノン・キリサトの三カ条』を言ってごらん」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
いくら話しかけても、二人とも沈黙したままだ。設定に不備を認めたカイリとカレンは、すぐさま造人局に問い合わせた。返ってきたメッセージは、次のようなものだった。
国の重要機密事項として知らせていなかったが、ノン・キリサトの『モモタロウ・プロジェクト』によってつくられたと思われる桃型カプセルで、誕生年月日が200年後に設定されているものが2つあった。今朝方送ったのがそれである。「200年後には人間がどういう生物だったのか、もはや分からなくなっているだろう。人間と全く同じように成長するAH〈アトム〉と〈イフ〉をつくったので、育てて研究に役立ててほしい」というノン・キリサトのメッセージも残されている。ついては、長年人間の研究に従事してきた二人に子育てを託したい。
そうしてはじまったカイリとカレンの子育ての日々は、驚きと発見の連続だった。AHと違い人間にはゼロから言葉を教えなければならないので、どうしたものかと試行錯誤の日々。カイリとカレンは子育てによって得られた新しい知見を次々と発表し、AHの世界における人間の研究は、ノン・キリサトの目論見通り飛躍的に進んだ。
時は経ち、アトムとイフは無事成人し、子育てを終えたカイリとカレンがいよいよ最期の時を迎える段になって、イフに異変が起きた。彼女のお腹が膨れはじめたのだ。お腹は日に日に大きくなっていく。悪い病気ではないかと心配するカイリとカレンに対して、アトムとイフは心配無用と言い張る。
「もうすぐ赤ちゃんが生まれるのよ」
カイリとカレンは、アトムとイフが本当の人間かもしれないという可能性に思い至らないまま、静かに息を引き取った。
文字数:2209
内容に関するアピール
100年後には訪れるかもしれない全脳エミュレーションの時代、人間の脳を完全に模倣したAIが現れたとき、両者を分かつのは、生死の制約を受けた身体をもつか否かという点に尽きるでしょう。そのときAIは、人間の身体をもってみたいと思うかもしれません。逆に人間は、永遠の意識というものへの憧れを、畏れながらもきっともち続けるでしょう。互いが互いに惹かれ合い、いつかどこかでAIと人間の身体は融合するかもしれません。そうして純粋な人間というものはこの世から消え去るかもしれません。そのとき、人間がどのような生物だったかということは、案外あっさりと忘れ去られてしまうのではないかと思います。情報技術の変革は目まぐるしく、いまインターネット上に保存されているデータには未来の技術ではアクセスできないという事態は、容易に想像がつきます。フロッピーディスクに保存されたデータを、今ではもはや確認できないのと同じように。いつの時代も、情報はどんどん化石化していきます。
さて、そんな事態を見越して、純粋な人間を後世に残す仕掛けをつくる者がいるとしたら、それをするのはAIなのか人間なのか、どちらなのでしょう。つまり、人間の価値を真に理解し守ろうとするのは、どちらなのでしょう。AHの世界にアトムとイフを送り届けたノン・キリサトの正体は、私にもまだ見えていません。それはきっと、小説を書く中で見えてくるはずです。実作では、ノン・キリサトをめぐるエピソードの数々や、カイリがそれに魅了されていく様子を丁寧に書き込んでいきたいと思います。
文字数:656