梗 概
番号を公開した男
和泉清隆は死のうと思った。しかしその前に、所有物を処分せねばなるまい。
和泉は大学教員をしている。大学の専任講師として、主に法制史の講義をしている。こんな調子だ。
「『所有』って不思議なものですよね。例えば皆さんが持っているパソコン、少し前までは、自分の持ち物だからといって、どこかに登録する必要はなかったんです。法律上、自分の持ち物であることの登録が必要だったのは、土地とか建物とか、いわゆる不動産だけだったんです。しかし、21世紀の初頭に分散型台帳という仕組みが考案されて・・・」
もちろん、こんな法制史なんて退屈な講義を聞いている奴なんていやしない。目の前の、大講義室の最前の席で必死にノートを取っているあの女の子なんかは極めて例外だ。
講義を終えて、単純な事務作業を行なった後、和泉は東京都内のワンルームマンションに帰宅する。出迎えてくれる人は誰もいない。和泉が出迎える人も誰もいないのだが。そして和泉の生が尽きるまで、その状況に変わりはなさそうなのだが。
部屋を見渡す。狭い部屋には大量の本と脱ぎ散らかした衣服と、飲みかけのペットボトルや食べかけのレトルト食品がある。もしくは、それ以外には何も無い。
やはり和泉清隆は死なねばなるまい。問題は、身辺整理である。
そこでふと思い立った。番号を公開してしまおうと。
現在の所有権制度の仕組みでは、地球上にある知的財産を含めた全てのモノについて0から9までのアラビア数字とAからZまでのアルファベット、合計36の記号を48桁並べた数によって配番されている。その番号はモノの所有者しか知ることができない(知らせてはいけない)。そしてモノを売買・譲渡、その他諸々の移転を行うためには、モノを渡したい相手の公開鍵を使って暗号化することで、世界規模で接続された台帳上で特定の相手に特定のモノ渡すことが可能となる。
従って、番号を知っている=モノの所有者であるということなのだから、和泉が番号を全世界に向けて公開することによって和泉の所有物の番号を知ることができた者は、自動的にそのモノの所有者ということに・・・。
番号をネット上に放送してから1時間ほどは、何も生じなかった。当然のことだ、番号をわざわざ放送するなんて、「釣り」以外の何であろうか。しかし勇気ある者が、蔵書のうちの一冊の所有権の移動を始めた。移転が完了したのを見届けた他の者達が、次々と和泉の所有物の移転を我先にと始める。直に台帳上で登録されている和泉の所有物全てはこの世界の誰かの所有物となり、和泉は無一文となるだろう。
和泉は睡眠薬を腹のなかに流し込み、ベッドに横になる。このベッドもそう時間が経たない内に、誰か見ず知らずの人間の所有物になっているだろう。睡眠薬が十分に効いている内に叩き起こされるのは嫌だから、せめて差し押さえがなされるのは時間を置いてからにして欲しい、と思う。
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内容に関するアピール
仮想通貨/分散型台帳の解説をいくつか読んでいて一番腑に落ちたのは、現在の不動産登記制度の延長線上に分散型台帳を位置付けるものです。
つまり、分散型台帳とはデジタル署名による公開台帳上での所有権移転履歴であり、現在の法制度では単一の中央政府が管理している法務局で、不動産の権利者が登記されているのに対し、分散型台帳制度では管理者が分散化される、というものです。私はこの考えを更に延長したいと思います。
つまり分散型台帳で記録されるのは、何も「通貨」に限定されず、ありとあらゆるモノが含まれるべきなのではないか、この世界のありとあらゆるモノが台帳上で取引履歴が記録されるべきなのではないか、ということです(このように考えると、分散型台帳を仮想通貨というよりもIoTに近づけて考えることになるでしょう)。
従って、「仮想通貨を題材に」という趣旨からはかなり遠く離れてしまいましたが、私なりの「仮想通貨」理解を経由した上での、短編小説となります。
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