生き物、死に物

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梗 概

生き物、死に物

天明年間、下総の国潮来に住むタエは、素性の知れない男と添い遂げた。

タエの家は米問屋を営んでいたが、その男は、見たこともないぼろを着、懐に雄の三毛猫を掻い込んで来た。船乗りで米相場の物見になりたいと言う。
 水戸藩内の米は、常陸米と呼ばれ豊作の年には見向きもされない。しかし凶作知らずに採れるために、天明二年以来、引きも切らず江戸の商人が訪れた。日本橋で決まる江戸の米相場は毎日変動する。江戸者と渡り合うために、馬と物見台の伝令を使って、いち早く値動きを知っておく必要があった。
 物見の人間は、遠目が利く船乗りが務めるものだが、恐ろしく退屈であるのに重責を負う仕事である。自分で売り込みに来る者は少なく不審がられたものの、男は一里先まで遠目が利き、雇われる。タエの観察では、男の顔の潮焼けは不自然で、言葉遣いは近郷になく優しかった。
 タエは顔に痣があり、いつも頭巾をかぶっているが、閉ざされた生活を疎んじ、船乗りの話を聞くことを好んだ。そして男がそろばんができることを知り、男の方はタエが貝殻の穿孔に水を垂らして水滴レンズを作り、物を拡大して見る知恵があることを知る。
 遠い国で、遠い彼方に子供だけを連れて行く迎え船があるのだと男は語る。草木の移植が子苗ほどうまくいくように、子供だけが健やかに送られるのだと。

男は仮想通貨によるエネルギー危機を止められない未来から送られて来たアンドロイドなのだった。仮想通貨は世界の電力の大半を消費するほど膨れ上がり、しかし維持しなければ文明も破綻する状態にあった。その中で他の星系に人間を送るために、男は過去に送られてきたのである。指導者としての資質を持ち汚染物質を持たない人間を未来に送ることが男の任務だった。

その計算能力で帳場に加わった男は、商いの駆け引きでも信頼を得、手代の扱いになる。それはタエの父が徹底して商人であったため、タエを任せられると値踏みしたからでもあった。
 江戸の眼鏡職人にレンズを磨かせ、遠めがねを大量に作らせ、物見係を任せる二人。やがて銚子沖から江戸に向かう船に、人身売買の禁を破り童女が乗せられて来るようになる。飢饉の東北から、手形も整えずに海路で運ばれて来たのだ。
 銚子から江戸に遡上する者は、途中潮来で一晩過ごす。男は童女たちに握り飯を見せ、線香一本の火が消える間食べずに我慢できた者を買い取る。

やがて月食の晩、童女たちを連れて、男は船に乗り込む。「お迎え」は、人の寄り付かない広大な川原で、巨大な真珠貝のように光り揺らいでいた。タエは同行をこいねがうが、成人は連れて行っても心身を損じると言われる。
 娘の一人が、それでは男も行っては駄目だと言う。そして、猫を抱き、三毛も一緒だからと童女たちを連れて真珠貝の輝きをくぐって消える。

握り飯を食わなかった女の子たちは、どこに行くのだろう。どうか、思い切り遠くへたどり着いてとタエは願う。

二人は施米を重ね、引き取り育てた子には米相場の帳面ばかりが残された。

文字数:1232

内容に関するアピール

 昨年も受講しておりました私は、第一回課題で「米が人間を支配する話」を書きました。今回、米は日本の基軸通貨だったなあ、ということで、また米です。
 天明飢饉の米相場の狂乱ぶりは、現代も続く飢餓輸出でした。凶作地域ほど米作を強制して、挙句収穫は藩外に売りさばいていた。状況を読んでうまく利ざやを稼いだ商人も、打ち壊しに会いだいぶ殺傷されたようです。
 一方現在、仮想通貨の電力消費はバカバカしいほどです。ブロックチェーンに支えられた仮想通貨は、国家の経済支配から人間を自由にしてくれるのかと思っていました。しかし、このままでは電力の安い国の将来性を奪ってしまうのではと思えてなりません。ビットコインだけで世界総発電量の5%を消費しているという報道には驚きました。
 米が取れないから米ばかりを作るように強制し、収穫は取り上げて売り飛ばす近世と、投機と消費ばかりに傾きながら止められない現代社会を重ねたいと思います。また近世を舞台に拡大レンズと米相場が関係する風景を、SF的に面白く書きたい。
 未来から送り込まれたアンドロイドが子供を選別するのはマシュマロテストです。目の前のマシュマロを15分間食べずに我慢できた幼児は成功者になる率が高いとされて来ました。最近信頼性に疑問が持たれてしまった手法ですが、幼くても尊敬したくなる子供がいるのだ、と感じさせてくれるテストでした。そんな子に遠い宇宙で人類の未来を継いで欲しいです。
 題名は「生き金」「死に金」から付けました。

文字数:629

課題提出者一覧