梗 概
Crafting for you
規定のカリキュラムを修了した市川からんは、生まれ育った都市(プラント)を離れ、都市(コロニー)の平井家で「家政婦」として働き始める。『主人』平井博俊(ひろとし)との挨拶を済ませたからんは、『お嬢さま』平井悠姫(ゆき)に紹介される。『お嬢さま』を一目見た瞬間、からんは自分が彼女を殺害するイメージを幻視する。戸惑いを顔に出さないように努めながら「よろしくお願いします」と頭を下げるものの、『お嬢さま』はからんを一瞥したきり何の反応も返さない。そんな彼女に対して、からんはかすかな「殺意」を抱く。
『お嬢さま』への「殺意」はいっこう消える気配を見せなかった。もやっとした違和感程度の日もあれば、強烈な衝動に突き動かされそうになる日もあった。からんは自分の設計(デザイン)に疑問を持つ。【クラフト】である自分が「人間」に「殺意」を抱くなどありえない。からんにはそれが設計上のエラーとしか思えなかった。自分のジーンコードのスキャンを出身プラントに依頼するが、返ってきた結果は「異常なし(オールグリーン)」。わだかまりを抱きつつも、からんはそれを受け入れるほかなく、「殺意」は錯覚にすぎないのだとと自分に言い聞かせる。
「殺意」を抑えながら、平井家のために、『お嬢さま』のために懸命に働くからんは、あるとき、平井家の秘密に触れてしまう。博俊はBS(Blind Signature)というセキュリティシステムの開発者として名を成していたが、その基礎となるプログラムを書いたのはすべて『お嬢さま』とその母親だった。母親が病でこの世を去った今、システムの根幹を完全に理解していると言えるのは、『お嬢さま』の他には誰もいなかった。それゆえ、妻と娘の功績を自分で独占したい博俊に『お嬢さま』は軟禁されており、彼女は生まれたときから孤独だった。
秘密を知ったからんに『お嬢さま』は本心を打ち明ける。家族以外の他人とほとんど接することなく育ったせいで、どうやって打ち解ければよいのかわからなかったのだという。友人になってほしいという彼女の申し出を、からんは快く受け入れる。二人の距離が縮まっていくなかで、からんは『お嬢さま』――悠姫に対する「殺意」がすっかり消えていることに気づく。
やがて、悠姫にも母親と同じ病気が発症する。それは恒常性機能に異常をきたす不治の病だった。博俊は彼女の頭脳が失われることだけを心配していた。病床で悠姫は母親の死に様がどんなに悲惨だったかを語り、何かを訴えるような目でからんを見つめる。彼女が何を求めているのか、からんにははっきりとわかった。そのとき、からんの心に久しく忘れていた「殺意」が湧き上がってくる。気がつくと、からんは悠姫の首を絞めていた。声にならない声で「ありがとう」とつぶやきながら、悠姫は逝く。自分の行為に戦慄しながらも、不思議な充実感に満たされたからんは、己の本質を理解する。
文字数:1205
内容に関するアピール
もしも、人間のために作られた「アンドロイド」が殺したいという感情を人間に抱いたとしたら、それはエラーに違いないでしょう。本作の主人公もそう考え、自分が生まれた目的と「殺意」の間で思い悩みます。しかし、「アンドロイド」(作中では【クラフト】)の本質的な部分、人間の奉仕者としての側面が徹底的に強調されたなら、「殺意」も異常ではないのかもしれない――そんな予感からこの物語は生まれました。
作中で主人公は『お嬢さま』に同情も共感もしません。ただ彼女のことが「よくわかる」だけです。限りなく人間に近いけれど、決定的に異なる存在としての主人公を、「殺意」という感情を軸にして描いてゆきます。
あまり明るい結末ではありませんが、二人が友人として過ごす泡沫の時間はとても大切なひとときであるため、丁寧に描写していきたいです。
文字数:354