「定点観測」〈第三惑星、其の弐百五拾六/壱千弐拾四〉

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梗 概

「定点観測」〈第三惑星、其の弐百五拾六/壱千弐拾四〉

今来栖久(いまくるす ひさし)は死産であった。
胎内で十月十日を順調に過ごし、これである。しかも母体も亡くなった。

こんなはずはない。泣き崩れる父親を見下ろしながら、「今来栖久」と名付けられることがさだめられていたはずの生命(いのち)の残滓は決意する。

このエラー、きっと正してみせよう、と。

まず、自分が何者なのかを知ることだ。久はなにゆえ自己に意識がやどり、成人なみの思考が可能なのかを訝しむ。ヒトの意識は肉体に随し、後天的に得られるものとの立場は広く知られる。翻り、肉体は母親ともども火葬に付され、だのに思考は成人男子の視点を持ち得たままに持続する。

まず、これがおかしい。霊魂主義(スピリチュアリズム)はなじまない。

ならば自分は何者かにより描出なされし模倣体というのが妥当な線だ。「今来栖久が順調に生育したら持ちうる人格」だとか。そこで久は鏡を探す。機械によって視点を得るならカメラを有した何かが映りこむはずだ。
しかし鏡にはなにも映らない。光学迷彩を駆使する端末なのかも判別できず、謎は深まる。

自分は機械か、霊魂か。はたまた地球上の知性体とは異なる論理存在によってすくいあげられたのか、なんなのか。

久は「答え」を欲しがった。これではエラーを正すどころか、他者と意思の疎通も図れない。おまけに久の時間は久が目にする世界と進みが異なるらしく、ここまで思考を進める間に父親の皺が増えていることを知覚する。恐慌をきたす間も時間は流れ、父親はついぞ他の女を愛することなく病に没する。

正さねばならぬエラーがまた増えた。久は決意を新たにするも、父親という、視点を置くべき「座標」を失ったことによるものか、思考の精度が落ちていくことを自覚する。生を享けることのなかった彼にとっては「父親」が感情のよりどころとなる唯一の存在であったのだ。

自己を保とうと久が集中する間も街の景色は進みを早め、タイムラプスのごとくに移り行く。意識が希釈されていくことを受け容れるまでにはさらに数百年の時が過ぎ、「久の意識」で観測不能なほどに加速していた。

もはやエラーの修正なぞは叶わない――かすかに残った意識を集めて久は考える。なおも加速していく景色に久は仮説を立てる。「ああ――自分はカメラにされたのだ、きっとそれ以上でも、以下でもない」

もはや自身で検証するもできない事実を受け容れて、今来栖久の模倣意識は発狂する。

文字数:989

内容に関するアピール

(誤った)ファーストコンタクトものである。

精密な設計図をもとに「エラーが/から起きる」物語ではなく、とあるエラーを契機にそのまま破滅へ突き進む。ここでは、「致命的なエラーはリカバリー不可能」という絶望感を醸し出せたらと考える。理由も背景も作中で語る必要はないため行間で匂わせることを目論むが、主人公がたどりつく仮説はおおむね当たっているとの想定である(ただし、その存在の出番はない)。

アピール文としては以上であるが(約200字)、以下、蛇足としての裏設定を記す(約600字)。

ガス状知性体は地球に「同志」を派遣した。
ただし、「それ」は、人間が伸びた爪を切るような感覚で「自己」から切り離しただけの、一種の触手のようなものである。

「それ」は地上の知性と同化して、表に出ぬまま地球の営みをじっと眺めるためのものだった。「それ」は分化し、およそ数百の地点に降り立って、人間をはじめ様々な知性に同化した。

今来栖久と同化しようと試みた知性体もそのうちのひとつであった。
せっかくならば、生誕から同化してみようかと試みたのだ。

しかし誤算は、同化する際の些細な誤りによって、久と名付けられるはずだった個体が死亡したことだった。ガス状知性体は、停止する前の久の脳機能を走査した上で、久のありうべき生育未来にわたって人格をエミュレートすることによって、「自己」とした。

このことによってガス状知性体の思考レベル・認識できる知覚レベルが人間の枠組に制約されてしまい、「正しく景色をとらえること」ができなくなっていく。
(とはいえ、それは知性体の能力に制限がかかっているだけの話であるから、知性体が映す地球の様子は正しく本体へ送信されている)

やがて制約レベルである「久」の意識が摩耗・消失することで、ガス状知性体がもつ本来の知覚レベルは取り戻される。すなわち久が迎える二度目の死は、知性体にとっては本来の力を取り戻す瞬間でもあり、「それ」にとっての「エラー」は解消されることとなる(むろん、それを久の意識は知る由もないのだが)。

文字数:851

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