梗 概
勅使河原宏信による平成29年の振り返り
寝室に光が射し込んできた。選ばれたことを知ると、勅使河原宏信はベッドを抜け出してひざまずき、かしこみかしこみ、儀式用の透過盤を掲げ、明りを頭上に受ける。透過盤の目盛りを仰ぎ見て自分が間違いなく選ばれたと確かめると、勅使河原は記憶が身体中に満ち満ちてくるのを感じた。
心覚えの「番」が回ってくる、すなわち記憶力が一日限りで充溢するのは今年で3回目だと、勅使河原は思い出す。この人口規模の都市では珍しいほどの高頻度だ。光による記憶の充填が終わり外に出ると、相変わらずとなり星が空を覆い、常夜が続いていた。
深い忘却の霧に覆われ、数分前の出来事も忘れてしまう一般の人々を導くため、勅使河原はその日限りの官僚組織が出来上がっているであろう町の北辺中央に乗用車で急いだ。
普段、勅使河原は防人として自動小銃を肩にかけ遠くの暗い海を日がな眺めつつ、言い伝えや説話の類を読んだそばから忘れる生活を送っている。
「間違いではないのか」勅使河原を覆うように立ちはだかった大男が不機嫌そうに聞く。「間違いで番の自覚をもち、担務を‘思い出す’ことなどあるはずがない」勅使河原は反論する。番として覚醒した人々は自分が「一日官僚」としてどのような務めを果たすかも一緒に思い出すが、どういうわけか、役目がダブってしまったようだ。
小堀と名乗ったその大男と勅使河原は一緒に行動することになる。非番の人々は身体の反射神経を活かした「転身」と呼ばれる方法で貧弱な記憶力でもってしても最低限の生活を営むことができるが、それ以外の各種の差配は番人の仕事だ。
大内裏官房付を仰せつかった勅使河原は、大納言清澄の面倒をみる。昨日誰に夜這ったかさえも覚束ない彼の代わりに、前夜と整合性の取れた短歌をこしらえ、意中(とされる)の女性のもとに導く。「その方ではございません、こちらの女性です」。一方、小堀は大納言を待ち受ける女性の世話を引き受ける。結果的に小堀との間で懸想文をやりとりしていることに勅使河原は馬鹿馬鹿しさをおぼえる。
道行く人が自分は迷子かどうかを一緒に考えてあげたり、転身を身に付けずに成人してしまった人々を介護する施設を訪ねたりして、日が暮れる。
防人の任に戻った勅使河原はしかし日を置かずして、また番を受けもつことになる。同日の番人たちの話を総合すると、選ばれる頻度は徐々に高まっているようだし、役職のダブりも多くなってきているようだ。
また光が差した。勅使河原は思い出す。西方の大国が巨大な光を発する新型爆弾の実験を繰り返していること。偽の光で番がたくさん回ってくるのか。
番人の役目として参加自由の歌垣を勅使河原たちは催す。通常の暗がりでのしめやかな歌垣と違い、爆弾の煌々とした明かりのもと、人々はあけすけに性を開放し、狂騒の暗黒盆踊りが開幕する。
断続的な光の放射のなか、読んできた物語の記憶が勅使河原のなかで像を結びはじめる。なぜ、世界が常闇となったか。その昔、となり星に住まう天上人が咎人の姫を連れ帰る折、天蓋を空に敷いた由。
こうも明るいと天上人の目算も狂うであろう。焦ってこちらの星を暗く塗りつぶしたいのか、黒い光がとなり星から降り注いでいるように見える。
明るくなると人はなぜ羞恥を捨てるのか。それとも記憶を取り戻すと性に奔放になるのか。ぼんやり考えつつ、勅使河原は歌垣へと一歩踏み出した。
文字数:1377
内容に関するアピール
日光を浴びると記憶力にポジティブな影響があるそうです。犬の短期記憶は5分ともたないそうです。とすれば、光が記憶にとって不可欠な要素である常夜の世界があるとして、その世界における人間は犬並みの記憶力しかもたなければ面白いのでは、などと発想しました。
思いついた時点では映画『メメント』+『ダークシティ』という趣になるかな、と思っていましたが、明後日の方向に向かいそうです。
「常闇」の語感のせいで、平安時代の風俗が入り込んでしまいました。季節ごとの催しを挿入できればとの色気があり、このタイトルとしました。平成29年でなく万延元年でも天正10年でも可です。
本来なら二重惑星の片割れから規則的に振り注ぐはずの光が、何故いろいろな人のところに射し込んでしまうのか、というエラーを背景に、できるだけ異様な世界を描写できればと思います。
文字数:361