梗 概
裸の女王様
この惑星を統べる女王・モウリーラン様第一の側近である私はそのとき、自分の頭の良さを心底から呪った。
女王様がお召しになった「馬鹿には見えない服」が、私には見えたのだ。
私がもうすこしだけでも馬鹿だったなら……っ!!!
見たい!見たすぎるっ!女王様のはだか、見たすぎるぞ くそおおおおおっっっ!!!!!!!
その日から、「馬鹿になる方法」を探す。私だけじゃない。宮廷で女王様に仕える者の90%は男性で、惑星中の頭脳を結集した天才たち、そして一人残らず童貞だ。女王様の常軌を逸した美しさに魅了され心酔する私たちは、ほかの女性に見向きなどしない。この星屈指の頭の良い童貞達が死に物狂いでいっせいに「馬鹿になる方法」を探す。
問題はもうひとつ。件の衣装をア・サーガ星人の商人ハバライが披露したとき、女王様は言ったのだった。
「わらわには見えぬぞ」
と。
あの一言がなかったら《スマートドレス》を誰も本物だと信じなかったに違いない。女王様以外の全員にその衣装は見えた(と証言した)のだから。
しかし女王様はとても賢いお方。馬鹿であるはずがない。つまり《スマートドレス》の判定はかなり辛いはずだ。判定基準を見極めなければ。馬鹿になり過ぎれば宮廷を追放され、女王様の崇高な美しさも理解できない。ほどよく馬鹿になること。
次第に宮廷のそこここに計略と策略が渦巻きはじめる。見た者を賢くさせる数式の落書き。会話には聞きたくもない豆知識。誰もが他者を賢くし、自分だけ馬鹿になって女王様の裸を独占しようとしている。宮廷で最高の頭脳を持つ私は「馬鹿」から最も遠い、しかしだからこそできることがあるはずだ。
童話『裸の王様』に着想を得た私は、子供になる研究をはじめる。不可避の運命の切断者――アトロポスにちなんだ装置により若返った私は女王様を見るが、裸は見えない。焦る私の耳に噂が届く。大臣ミツヒコが女王様の裸の目撃に成功したと……。馬鹿な!いや、ブラフだ。誤情報による撹乱だ。しかし、一瞬の思い付き。そう、やはり女王様に見えないのはおかしい、ドレスが見えない条件は……そして真相に辿り着く。だとすれば――ミツヒコ、お前ってやつは……!
「見たのか!」ミツヒコを問い質す。頷くミツヒコの虚ろな笑顔。すべてを悟った私の脳にこの惑星の歴史が一挙に去来する。
この星の名は《地球》
女王モウリーラン様は古の時代に《初音ミク》と呼ばれたヴァーチャルアイドルの遠い後継
《スマートドレス》を視認できる条件は「知能を持つこと」
弱いAIである女王様は知能を持たない
それを知ってなおミツヒコは自ら知能を放棄し、哲学的ゾンビとなった。
ミツヒコを固く抱きしめ、次の策を練る。
女王様に知恵の実を食べさせること。知性を与えること。そこで初めて女王様は本当の意味で「服を着る」。そして私が……脱がす!
文字数:1195
内容に関するアピール
『裸の王様』ってロジックが通っていないと思うんです。
王様の衣装は馬鹿には見えない(という設定)なら、子供が「王様は裸だ」と言っても、周りの大人は「そりゃお前には見えねぇよ」と思うはずです。子供って馬鹿ですから。極言すれば、全人類に「王様は裸」に見えても、全人類が馬鹿なら矛盾は無いのです。
「馬鹿」「天才」と一口に言っても境界の曖昧なこの言葉はどのようにも定義可能で、「馬鹿には見えない服」は厳密には証明も反証も不可能です。面白さは絶対そこにあるはずで、『裸の王様』はこのギミックを活かしきれていないと思うのです。
どこからが「馬鹿」なのか? どうだったら「天才」なのか?
究極的には汲み尽せないこの問いを、ひたすらあふれる童貞達の熱いパトスによって駆け抜ける、頭の良い童貞達の計略渦巻くアホアホ祭りをお見せします。
元ネタ:
『裸の王様』
「失楽園」
???
文字数:381
裸の女王様
見える
たしかに見える
いや、見えない
そう、見えない
なにかが見えるってことはその奥にある別のなにかが見えなくなるってことで――とかなんとかそれっぽい言い方はどうでもよくて、とにかくそれは見えたし、そのせいであれは見えなかった。
あれは見えなかった。
見えなかった。
見えなかったのだ。
「いかがですか女王様?」ア・サーガ星人の商人ハバライがいつもの謎めいた灰色の微笑を浮かべながら問いかける。「《Nudress》の着心地は」
女王様――この惑星を統べる女王であらせられるモウリーラン様――は幾重にも重ねられた透き通るような翡翠色やうすい紫色の布地に金銀の装飾が施された絢爛豪華な衣装を見まわして、ふむ、と言ったきりハバライの問い掛けには応えない。当のハバライはにんまりと笑みを増す。
はあ。
チラととなりに目を遣ると大臣のミツヒコが眉をしかめている。一瞬目が合い、苦笑を交わす。
なんという茶番だろう。それは見えた。たしかに。当たり前だ。服は見えてこそ服。見えない服に意味などありはしない。防寒?いや、そんな古臭い機能はとっくに「服」の管轄ではなく、だいたい「馬鹿には見えない服」など馬鹿げ
「コナー」
「はい」油断していたところに女王様に名を呼ばれて姿勢を正す。
「見えるか」
「見えます」
「嘘偽りなくか」
「陛下は私が馬鹿だとおっしゃりたいので?」
「ふふっ」吐く息さえ妖艶なつかのまの笑い。「まさか、ありえぬ。しかしな、コナー、いや、皆の者、この《Nudress》とかいう衣装――
わらわには見えぬぞ」
え
謁見の間がどよめく。
女王様はにやりと笑う。
「おもしろい。買おう」
「ありがとうございます」
ニコリと営業スマイルを浮かべるハバライ。
「ふふ、あはは」とてもうれしそうに、自分の身体を眺めながら両腕を左右にひろげたり回ったりする女王様。「ほんに、見えぬ、感触も重みも、感じぬ、裸だ、まぎれもなく、裸形、愉快、じつに愉快」
草原を走り回る幼女のように無邪気でありながら極上の色香をおしみなくふりまく妖精――。
「女王様」突如声があがり、女王様に見惚れていた私はびくりと正気に返る。この通りの良い中性的な声は、アユムだ。
「む?」
「衣装が乱れてございます」あっほんとうだ、胸元がはだけ――
「そうか。ならば着付け直せ」
「は」
奥の間に消える女王様とアユム。着付け直し、か……。
「うらやましいですか?」
「は?」
気付くとハバライが近くに寄って来ていた。ア・サーガ星人特有のつるりとしてすこし湿った灰色の肌。私よりすこし背が低いくらいの、ヒューマノイド型だ。「なにがでしょう?」
「アユム博士は女王様の裸を見るでしょう」
「だからなんです? いつものことです。宮廷に男性以外の者は少ないし、それにアユムは女王様のお気に入りですから」
「お気に入り、ふふ……なにやら険のある言い方」
「めっそうもない」
「女王様の裸、見たいですか?」
「……めっそうもない」
「あら、女王様には魅力を感じないと?」
「いや、そのようなことを言っているわけでは……」
困っていると、となりのミツヒコが嬉しそうに話に入ってくる。「格好を付けているだけですよ。宮廷で働く者のモチベーションの90%は女王様ですから。当然、彼も熱烈なファンです」
「おい、他星の方の前だぞ、口を慎め」助けに入ってくれたのかと思ったらなにを言い出すんだこいつは。
「いえ、お気遣いは結構」微笑するハバライ。「マーケティングにはお客様の本音が必要ですから。ところで、ではミツヒコ殿も女王様がお目当てで?」
「あ、いや、私は、その……違います」急に困ったように俯くミツヒコ。呆れる。自分だけ格好付けようとしてるのはどこのどいつだ。
ミツヒコの様子を不思議そうに眺めてから、ハバライは問いかける。「あなた方は「性欲」を持っていらっしゃるのでしょう?」
「まぁ、そうです」たしかに、私たち「は」性欲を持っている。「しかし時と場所は選びますよ」
「そうですか」
おなじみの謎めいた微笑を横顔に浮かべながらひらひらした衣装をはためかせ、ハバライは廊下へ消えた。
くっっっっっ!!!!!
そぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!!!!!
女王様の裸が見たいかだって? はあ!? 決まってんだろ!
見たいよ!
見たすぎるよ! なんで見たくないと思ったんだ? 病気か? 熱あんの? 見たくないはずなくない? 見たい要素しかないだろ! 女王様の! 裸! だぞ!? くああああああ見たい! 見たい見たい見たい! いますぐ見たい! 毎日見たい! 録画して朝、昼、晩に分けて服用したい服用!? そうだよ服には用がないんだよ! なに? 「馬鹿には見えない服」って、なんで馬鹿だったらご褒美貰えるみたいになってんの? 馬鹿なの? 死ぬの? どうせなら「天才には見えない服」にしろよ! なんのために天才になったと思ってんだ!!! くそが!!!!!
その日から宮廷の様子は一変した。
尻ウォークという奇妙な歩き方が流行し、あるいはゾンビのように不規則にぼとぼと歩き、焦点の合わない眼、ひくつく鼻孔、突き出た口先に乱舞する舌が蔓延し、ろくに会話も聞き取れない。上裸はもはや当たり前すぎて相手にもされず、みな思い思いのボディペインティングや人工発毛を駆使した馬鹿げたアートを身体上に表現し、意地でもトイレに行かないという決心を固めた者が数人いたために宮廷中に悪臭が立ち込めている。キョンシーのように腕を前に掲げ、TCGの激レアカードを額にペコッと貼った者、あーあーふねーふねー奇声をあげる者、壁に頭を打ちつけながら「131、132、133……」と数える者、人差し指だけ立てた手をリズミカルに振りながら「いんいちがいち、いんにがいち、いんさんがいち」と呟く者、一心不乱にダンシンする者、まず全裸になり自分の尻を両手でバンバン叩きながら白目をむき「びっくりするほどユートピア! びっくりするほどユートピア!」と叫びながら飛び上がる者――。
阿鼻叫喚地獄絵図である。
すべて、女王様の裸を見るためだ。
そしてこれで
これでいい。
これでこそ星中の秀才天才が集まるモウリー宮殿。こいつらのやり方はすこし短絡的過ぎるが、すくなくとも自分達がやるべきことを弁えている。
たしかに「馬鹿には見えない服」――《Nudress》が本物であるかどうかは、かなり怪しい。いろいろな角度から見て疑わしい。しかしそれが本物であるか偽物であるかわからない状態では、本物と仮定して行動したほうがずっと利が大きいということを誰もが理解している。そして自ら「馬鹿」をやればやるほど他者もまた加熱し、結果として自分が埋もれるということもちゃんと理解している。「馬鹿」をやればやるほどその不利益は最小限化される。それは単なる恥の問題ではない。自らの本命の策、ほんとうに「馬鹿」になれると思う策を別のブラフの策に紛れ込ますことで、他者に有用な情報を渡さないようにすることができる。こいつらは、すべてにおいて冷静に「馬鹿」だ。もちろんその冷静さに限界があることも承知しており、対策は各々が立てている。
そしてこいつらが、いずれ敵になる。
いまはあまり表立っていないが、みな考えているだろう。「女王様の裸を自分だけが独占したい」と。つまり他の者はこれまで通り秀才や天才でいてもらって、自分だけが「馬鹿」になること。自分が「馬鹿」になるための策だけではなく、他者の頭を良くする策にもまた、みな頭を捻っている。
断言しよう。
ここからは痴で智を洗う戦争がはじまる。
「やぁコナー、ごめん、待った?」
カフェで目を瞑り「馬鹿」になる方法を考えていると声が聞こえた。目を開くと暗闇がそそくさと退散し、見上げるとアユムがいる。中性的な顔立ち、首すじあたりまで伸ばした髪は脂を含み、白衣はよれよれだ。
「いや。忙しそうだな、すまない、急に呼び出して」
「や、全然いいよ」
「例の神像か」
「そーそー、あれはすごいねー」
1週間ほど前に発掘された旧時代のオブジェクト、その調査にアユムも関わっていると聞く。
「革命以前だそうだな」
「そうそうそうそう!そうなんだよ!すごいよアレ、女性型なんだよ!たぶん女王様みたいな存在だったんじゃないかとぼくは睨んでる。つまり崇められてたんだねー。革命以前の歴史はほとんど消し飛んでるけど、これまで発掘された資料にこんなモジュールは無かった。とても貴重なものだよ!頭に二本、長くて太いんだけど先端はバラけてるというか何千何万本ものコードに分かれてるんだよね。脳に繋ぐコードかな? あるいは接触式のセンサかも。このモジュール自体がなにか象徴性があるんじゃないかってハリット博士は言ってるけど。んーどうなんだろ、いやもうワクワクもんだよ!」
「それはよかった。すこし相談したいことがあったんだが、しばらくあとにしたほうがよさそうだな」
「え? や、や、大丈夫、え、なに? 相談? コナーがぼくに? 珍しいな」
「いや、無理にとは」
「全然大丈夫だから! ちょっと気分転換したいなーと思ってたしね。ずっと神像のことばかり考えてても行き詰るから。それに神像も鑑定に回したから数日は余裕あるよ」
「そうか、ありがとう」ほっとして、本題を切り出す。「女王様の服のことなんだが」
「あー……《Nudress》の……」
「そうだ」
「コナーも参加するんだね……。それで、ぼくに協力してほしいと」
「うん」
アユムはミツヒコやタンゲと同じく幼馴染みで、学校も職場もずっと一緒だったが、しかし私たちとは決定的に違う。
ミツヒコやタンゲはすでに動き出しているだろう。「馬鹿」になるために。女王様の裸を見るために。そして私含め宮廷で大多数を占める男性は、女王様の裸を独占しようとする。協力はできないし望めない。絶対に。しかしアユムだけは違う。
アユムは無性だ。男性でも女性でもない。そして性欲がない。
性欲を持つ男性が大多数を占める宮廷においてかなり貴重な、協力を望める人物のひとりがアユムだ。そして無性の職員の中でもずば抜けて優秀と来ている。協力を要請しない手は無い。
「ミツヒコも来たよ、昨日」
「そうか」やはり。遅すぎたか。流石はミツヒコ、判断が早い。「先を越されていたなら、仕方ない」
「や、断わった」
「断わった? 何故」
「コナーも協力してくれって言いに来るだろうなーと思ったから」
「ん? よくわからない」何故私が頼みに来ることがミツヒコへの協力を断る理由になるのだろう?「どういうことだ? ミツヒコが先に頼んだなら先に――」
「とにかく、いいの。大丈夫。協力するよ。で、なになに? なにすればいい?」
「まずは休んでくれ、随分疲れているだろうし」よれよれの白衣を見る。
「や、ぼくは大丈夫」
「休んでくれ」
「……わかった、あとでね。どちらにしろ本題を言ってくれないと気になって休めないよ」
「……ふむ。まずはこれを見てくれ」
テーブルの上の空間にヴァーチャルな共有モニタを立ち上げ、ファイルを示す。
数日前の私のライフログ情報を統合した追体験ファイル。
女王様が《Nudress》を着る1時間ほど前、この惑星ベイーカに到着したハバライが各種手続きを済ませてきたのを迎え、ともに宮殿の廊下を歩いていたときの記録だ。宮殿中に散布されたナノマシンが収集した光、音声、熱、圧力、浮遊分子など各種情報を統合し、追体験ファイルを構築している。
私とアユムはファイルに《脳》への接続を許容し、再生する。
カツカツカツカツモクモクモクモクという二つの足音。カツがハバイラでモクが私だ。
となりを歩くハバイラ。ア・サーガ星にはこの星と同じく3種の性があると聞く。ハバイラはこの星では女王様に形態が近い第1種。灰色のつるりとした肌、体毛は一切なく、目がかなり大きく発達している。モスグリーンの瞳。花のような体臭。唐突に凛とした声が響く。
「地球という惑星を知っていますか」
「いや、知りませんね」応えた私の声が耳元で響く。
「本日お持ちした商品はその地球に伝えられていた『裸の王様』という物語に登場するアイテムを、我々のテクノロジーによって再現したものです」
「なるほど」
「きっとお気に入りになられますよ、女王様も」そりゃ貴方の持ってくる品はいつも女王様に好評だ。女王様には。と内心で毒づいたことを覚えている。「あなたも」
立ち止まる。「わたしも?」
「ええ、きっと」
ハバイラは謎めいた微笑を浮かべてふり返る。
花のにおい。困惑する私。きょう女王様にお見せする品は女王様の衣装だと聞いていた私は、それがわたしにも気に入るとはどういうことなのか、呑み込めなかったのだ。
ハバイラは再び歩きはじめる。あわてて私はあとを追う。
「ふーん、仲いいんだね」
「ん?」
「ハバイラさんと」
え、そこ? と思ったが「まぁ仕事だからな。わざわざ関係を悪化させる理由は無い」と言っておく。
「ふーん。で、《地球》だっけ? 聞いたことないなー、調べても具体的な位置とか大きさは出てこないし」アユムの視線が機敏に中空を漂う。プライベートモニタで調べものでもしているのだろう。相変わらず情報収集の手際が尋常じゃない。「架空の惑星? や、《失われた文明》なのかも。でー、『裸の王様』はあるねー、複数ヒットする。お、読めるよ。ふむふむ……コナーは読んだ?」
「ああ」前もって調べておいたときに読んだ。
ネットワーク上に転がっていた『裸の王様』にはいくつかのヴァリエーションがあった。数件読み比べてみたが、基本的な物語の骨子はどれも共通するようだ。
物語の筋をおおまかに辿れば――
ある国の王様のところに詐欺師の二人組がやってくる。詐欺師たちは布織り職人と素性を偽り「馬鹿には見えないふしぎな布」で衣装を織ることができると喧伝する。王様は大金を払って「馬鹿には見えない衣装」を注文する。
王様が職人のところへ大臣を視察にやると、当然大臣には布が見えない。「馬鹿」だと思われたくない大臣は「仕事は順調」と報告する。
その後も視察に行った家来はみな「仕事は順調」と報告する。ついに完成した「馬鹿には見えない衣装」が王様に披露されるが。当然王様にも見えない。しかし「馬鹿」だと思われたくない王様は「素晴らしい衣装だ」と褒め称え、「馬鹿には見えない衣装」を身に纏って大通りをパレードする。見物人も「馬鹿」と思われたくないために王様の衣装を口々に褒め称える。
しかし一人、パレードを見物していた子供が「王様は裸だ!」と叫ぶ。その声に群衆は王様は裸だと気付かされ、「王様は裸だ!」の大合唱の中、王様のパレードは続く。
――という筋のようだ。
「ふーん、ふーん」言いながらすらすらとアユムの視線が左右に行ったり来たりする。「……ふむふむ、面白いね」
「ああ、なかなか完成度の高い寓話だ」
「諧謔というか皮肉もきいてる」
「ああ、ただ」背もたれに体重を預けて腕を組む。「成り立っていない」
「え? そう? 普通におもしろいと思うけど」
「人の持つ見栄や世間体への執着といったものを「馬鹿には見えない衣装」を通して描き、そのようなものに捉われないイノセントな子供だけが真実を言い当てる――という構図は素晴らしい。しかしそれを実現するための前提が揃っていない。というよりチョンボがある」
「チョンボ?」
ああ、と頷いて、この物語のチョンボ――不正について説明を始める。
物語では布織り職人がじつは詐欺師であったり、「馬鹿には見えない衣装」が偽物であることがそれとなく、しかし明言される。そのことによって読者はこの寓話のメッセージを正しく読み取ることができるのだが、逆に言えば、そのような明言がなければ物語自体が成り立たない。
「馬鹿には見えない」という条件はひどく不確かだ。どのような条件を満たせば「馬鹿」あるいは「馬鹿でない」のか検証できない。そのため「馬鹿には見えない衣装」は、厳密には証明も反証もできない。「王様は裸だ!」と叫んだ子供は、ほんとうに馬鹿だったから衣装が見えなかったのかもしれないし、王様含め衣装が見えなかった登場人物もそうだ。仮にあらゆる知的生命体にその衣装が見えなくとも、すべての知的生命体が「馬鹿」なら矛盾は無い。この物語は「馬鹿には見えない衣装」が本物だったとしても、起こることはなにひとつ変わらない。唯一不自然なのは「馬鹿」でありうる子供が叫んだ「王様は裸だ!」を、群衆が信用したことだ。何故「子供は馬鹿だから衣装が見えなかっただけだ」と解釈しなかったのか? 例の明言がなければもっと不自然に感じられるだろう。
ここに最大のチョンボがある。すなわち「馬鹿には見えない衣装」は偽物であるという、証明も反証もできないために決して知ることができないはずの事柄を読者が知っているという矛盾。
「この物語には「危機」がない。読者は不安に晒されない。物語の内容は「試しの物語」であるにもかかわらず、読者はすこしも試されない」
「まぁ、たしかに」
「読者は衣装が偽物であるという事実を知っている――神の視点から愚かな登場人物たちを悠々と眺めて悦に入る。それを可能にするのは、創作でなければ不可能な明言。明らかな……作者の権力の不正行使だ」
「ふーんなるほどねー。じゃあさ、コナーだったらどうする?」
「私だったら?」
「うん、コナーならどう書く?」
考えてもみなかった、が、そうだな、私なら……王様も詐欺師も気付いていないだけで衣装は本物だったという結末にするか、メタフィクションにするか、それとも……そう、「物語の最後に一文付け加えるだろう」と言って指先の空間にヴァーチャルな文字を映し出す。
なお、この物語は馬鹿にだけ見えるインクで書いた。お楽しみいただけただろうか?
と。
「インクかどうかは媒体に依るだろうが……」ネットで見つけた資料の多くは紙にインクで印字したものか、そのレプリカが多いようだった。
「ふふん、なるほど、コナーらしいね」
「そうか?」
「うん、とっても」
そうか。よくわからないが、そうらしい。
「とにかくその《地球》と『裸の王様』について調べればいいんだね? りょーかい、任せて。そっこーで調べるから」
「ちゃんと休んでからな」
「えー」
「えーじゃなく」
「面白そうなのになー」
「休んでくれ」
「はーい」
「よろしい。あと調査は神像の調査に支障がない範囲でいい」
「うん、わかってる」それからすこし間をおいて、アユムは、あ、と言った。「ねーねーコナー」
「なんだ?」
「そんなに女王様の裸が見たいなら、なにもそんなことしなくても、ぼくのライフログから情報を抜けば――」
「アユム」
「はーい、わかってる、そういうのはダメなんだよね」
「女王様は女王様の意志で《Nudress》をお召しになっている。それはつまり「馬鹿」になら裸を見られてもよいと思ってらっしゃるということだ。言い換えれば――」
「「わらわの裸が見たければ「馬鹿」になる方法を見つけよ」」アユムが女王様の声真似をする。
「そう。これは女王様から我々への挑戦状、そして女王様が我々にお与えになったチャンスだ。女王様の意志に反した盗撮とは一線を画す」
「まー、そーいうことにしときますか」
「そういうことなんだ」
「わかった。じゃあ調査を」アユムが立ち上がる。
「休んでくれ」
「はーい。じゃあねー」席を立ち、遠ざかってゆくアユムのうしろ姿。歩調は軽快で、どうやら興味を惹く調査対象を提供できたらしい。安心する。
さて、強力な協力者も得られた。これからどうしようか?
ひとまずはこの黒く熱い飲み物を飲みながらひと息つき、思いつくままに思いつくものごとを考える。
私は私の性欲に誇りを持っている。
それは選ばれし者の欲望だ。
宮廷では性欲を持つ男性が大多数を占めるが、一歩宮廷を出ればその数は逆転する。
宮廷の外、この惑星ベイーカの大部分は無性者たちのユートピアだ。
性欲の介入のない、それゆえ誰も傷付けることのない無害で純粋で理想的なプラトニックな愛情。そこには独占も疎外もなく、だれもがだれもをフラットに愛し愛される。
おだやかで、やさしく、楽しいことと嬉しいことしかない、誰も傷付かない世界でBBQやフットサルに興じる日々、そういうしあわせな日々が私はファァッック!ファック!ファック!ファック!失せろリアヂュウども!!!としか思わない。なに?BBQとかフットサルとか、それどういうつもりでやってるわけ?楽しい?じゃ楽しくない私は欠陥品かなんかです?え?なにその曖昧な表情、迷惑っすか?こういう質問は空気読んでない?え?うぇーいとか言ってりゃいいわけ?はぁ?なんで?理由が分かんないんですけど?なんでなんでなんで?あはは、わかってるよ私が欠陥品なんだろ!!!
という具合で患っちゃって拗らせちゃってるやつらが結局宮廷に行くって噂で実際大抵そんなものだ。
ただし宮廷に入るのはそれほど楽な話じゃない。
そもそもクローン技術やその他遺伝子操作技術が向上して我々人類の繁殖にセックスが不要になってからというもの、性欲はただの邪魔で危険な爆薬に過ぎなかった。それは不要であり、汚らわしいもの、永久に克服されるべきものでしかなかった。惑星ベイーカはほんとうは3種の性を持つのではなく、1つの無性のみを持つと言ったほうが正しい。女王様やほかのキ族の方のような女性や我々男性は、例外的に存在を許されているに過ぎない。
何故例外的に許されているか? それは革命から間もない大昔の研究に起因する。性欲が頭脳の発達に寄与するという研究。そのため、この惑星ではほとんど淘汰されてしまった頭脳労働の最後の生き残りである宮廷官吏にのみ、性欲を持つことが許された。そしてこの性欲も暴走しないよう慎重に管理される。高い理性を持つ者の選別、ひとつの宮殿にひとりの女性という唯一の対象に向けての極端な指向性。この星では秀才や天才だけが、女王様たちキ族の方たちに向けてのみ、性欲を抱くことが許される。
私は選ばれた。いや、選んだ。
おだやかでやさしい外の生活よりも、歪で危ういここでの生を。
私はそのことを誇りに思っている。
ああ、なんと美しい。
思わずため息が出る。なんと美しい――
数式だろう。
って危ない危ない! ぜんっぜん、ぜんっぜん美しくない!ナニコレ?数式?とかいうやつ?へー、私頭悪いから、ほら「馬鹿」だから、ちょっとよくわからんなー、美しい?とか言ってるやつって正気なの?わっかんないなー。
……ふぅ、危なかった。誰だ神聖な宮廷の廊下の壁にこんな、イミわかんない数式?とかいうやつを落書きしたのは。ほんとイミわからんからやめなさい。
「どんどん激化してるねー」
アユムが楽しそうに落書きだらけの廊下を見まわす。アユムを見た拍子にその向こう側の「ねぇ知ってるー? ナマズは全身に味覚があるんだよー」という落書きを見て後悔する。
「これって見た人を賢くして「馬鹿」にさせないためにやってるんだよね?」
「おそらくな」
「でもこれ、意味あるのかなー? こんなちょっとした知識くらいでどうにかなるような話なの?」
「ならんだろうな。しかし意図はおそらくそこにはない」
「というと?」
「女王様を除くすべての宮廷の人間が《Nudress》を見ることができ、女王様にだけ見えないことから、「馬鹿」という条件は我々の実感とはかなり乖離したものだと推察される。すくなくとも単なる知識どうこうの話ではない。ひとつありえるのは「自覚」だ」
「自覚?」
「女王様はとても崇高な精神をお持ちだ。そのため、まったく「馬鹿」などということが一切ありえなかろうと、「自分は馬鹿だ」とお思いになる可能性はある。常軌を逸した高潔さゆえにな。対して我々男性は知っての通り多くの自意識に苛まれ、劣等感の裏返しとしていくつもの歪んだ優越感を抱いている。平たく言えば「自分は天才だ」と誰もが大なり小なり思っている。この自覚を捻じ曲げて「自分は馬鹿だ」と思い直すことは決して容易ではない」
「なるほどねー、でもぼくは男性じゃないけど《Nudress》が見えたよ?」
「お前も自分が天才だと思ってるだろう」
「あー……ま、コナーほどじゃないけどねー」
「おいっ!!!」
「え、え、なに、どした」
「私は天才じゃない! 馬鹿だ! 救いようのない阿呆だ!」
「?……あ、ああ! そっか、自覚が大事なんだっけ、あはは、ごめん」
「気を付けてくれ……」
「ごめんごめん」
自分が馬鹿だと思うことは、思いのほか難しい。私のこの頭脳はこれまでの人生のなかで唯一の希望であり、劣等感を慰めてくれる拠りどころだった。
馬鹿な自分に一体どれほどの価値があるというのか? 皆無じゃないか?
だいたい、自分が馬鹿だと思える根拠を私はなにも持っていない。ああ、なぜこれほどまでに私は天才なのだろうか……自分の頭の良さがうらめしい。
思えば《Nudress》が見えないことを即座に公言できた女王様の高潔さは途方もない。それはまさに『裸の王様』が作者の権力を不正利用しつつ揶揄する人間の醜さを一切持っていないという証拠だ。作者――つまりは神の視点からでしか本来得られぬ境地。してみればこの試練が課す課題はまさしく「人を超える」ことなのだろうか?
「つまりこの落書きは、天才としての自負や優越感を煽るためのものなんだね?」
「ああ、これらの数式や歴史の語呂合わせや豆知識は、宮廷にいる者なら知っていて当たり前のことばかりだ。知識はひとつも増やさない。アユムもすべて知っているだろう?」頷くアユム。「それが重要なんだ。「知っている」という優越感。それがますます「自分は馬鹿だ」と思うことを阻害する。もっとも、自覚が条件だというのは仮説に過ぎないがな。これらの落書きすべて的外れな徒労ということも十分にありうる。そしてその可能性もみな認識しているだろう。その上で仮説を選択してるんだ」
たとえ徒労に終わる可能性があろうと、利益になる可能性があるならやる。それだけのことだ。
「《Nudress》が見える条件については、コナーも自覚説を採るの?」
「いや、可能性の一つとして否定はしないしほかの説より可能性はあると思うが、採用するというほどではないな」
「ほかの説っていうと?」
「たとえば知識説。特定の知識を知っているかどうかで見えるかどうかが分かれる可能性。この説はさっきも言ったように可能性が低い。あるいは他者からの認識説。「馬鹿」というのが評価だとすれば、自覚よりも他者の認識を基盤においた方が自然だ。しかし女王様が「馬鹿」だと思われているという事実は断じて存在しない」
「まぁそもそも原理がわかんないしねー、他者からの評価で見える見えないが変わるなんて」
「そう。原理から考える手もある。そういえばこのまえすこし実験してみた」
「実験? なになに?」
「女王様に女王様を撮った映像をお見せした」
「ん? それに何の意味が……あ、なるほど」
私は頷く。「映像は光を一度情報に変換し、再構成したものだ。当然映像から出る光子は《Nudress》が直接反射した光子とは別物になる」
「つまり《Nudress》が情報に変換できないような方法で光子に何らかの作用をしている場合、その効果は映像には反映されない……」
「それにもうひとつ。映像を撮るカメラが「馬鹿」と判定される可能性も検証したかった。自分が「馬鹿」にならなくとも、「馬鹿」の視界を通してみれば《Nudress》は消えるかもしれない」
「結果は?」
「やはり女王様には裸に見えたそうだ。そして私には《Nudress》が見えた」
「そっか……ん、ちょっと待って、おかしくない? なんで同じ光子というか光を受け取って、違う映像に見えるの?」
「もちろん、おかしい。通常考えられない現象だ。見ている角度が違うとかならありえるがな」
「やっぱり女王様が嘘を吐いてらっしゃるんじゃ……」
「それはありえない」
「でも、証拠ないでしょ?」
「証拠はないが、女王様にそんなことをする理由も動機もない」
「そうかな? 右往左往するコナーたちを見たかったんじゃないの?」
流石に怒ろうかと思ったが、よく考えてみると女王様ならありそうな気もする……いやいや。「これはゲームだ。女王様はゲームのフェアネスを台無しにするようなことはしない」
「女王様のほうはゲームと思ってらっしゃらないかもしれない」
「言質は取った。直接尋ねてみたんだ。「《Nudress》が見えないというのは本当ですね?」と」
「答えは?」
「決まってるだろう。「本当だ」だ。「なにに誓ってもよい。嘘であればどのような望みでも聞こう」だそうだ」
「……そこまで女王様が言って嘘というのは考えられないか」
「当然だ」
「ほかにも実験してるでしょ、コナーなら当然」
「なぜ私なら当然なのかはわからないが、やってる」ポケットから布切れを出す。「《Nudress》のサンプルだ」
「女王様の服からちぎってきたの!?」
「なわけないだろう。ハバライから貰った」
「へぇ……。で? どんな実験?」
「肉眼にせよ映像にせよ「見る」からダメなのかもしれない。カメラの処理途中の生データを取り込んだ。しかし生データを読んでもどうも「色」はあるようだった。もっと原始的に写真乾板も試してみたが結果は同じだ。視覚だけじゃない。女王様は「感触も重みも感じない」とおっしゃった。サンプルの重量を測ったがたしかにあったし、サンプルの上にモノを載せて両端を持ち上げればモノはもちあがる。ヴァーチャルな映像ではない」
「脳内補完は? なんらかの錯覚を利用して無いものを有るかのように……ってそれこそ物理測定で判別できる筈か……や、そっか、逆なんじゃない? 錯覚を利用して女王様に有るものを無いように見せかけてるんじゃ」
「錯覚でそれをやるのは難しいし、仮に催眠のようなものだとしても女王様だけが該当する理由がわからない」
「催眠のかかりやすい体質とか……」
「それもない」
「どうして?」
「言い忘れたことがある。女王様は《Nudress》が見えなくなる条件をお分かりになったそうだ」
「え!」
「そして我々がその条件を満たす方法は「ある」とおっしゃった。変えようがない体質とは違うだろう」
「答え、あるんだ……」
「ああ」この試練には答えがある。どこかには必ず。「私が自覚説を採らない理由の一つもそこだ。答えがあるなら闇雲に「馬鹿」になろうとするより、天才としての頭脳でもって答えに到達し、然るのち判明した「馬鹿」になる方法を実行したほうが効率がいい」
「でもさっきコナーが天才だって言ったら怒ったじゃん」
「う……すまない。自覚説も捨てたわけではないから……つい」
「ま、いいけど。じゃあやっぱり実験続けるの?」
「いや。最初はそうしようかと思っていたが、やはり限界がある。そもそもハバライ達のア・サーガ星とこのベイーカ星では科学技術に差があり過ぎる。技術進度の差にして10。このままだと技術の進展速度の加速を考慮に入れても1200年ほど経たなければ追いつけない。そんな星の技術に独力で追いつくのは不可能だろう」
「ま、交易限界超えてて、宇宙連邦のいくつかの特別条約を批准してようやく許可が下りてる星だしね」通常、技術進度8以上の差のある文明との交易は禁止されている。「商品のリバースエンジニアリングも許されてない」
「そう、そこも痛い」と言いつつ手元のサンプルの布切れを見る。「まぁ、これではリバースのしようもないが」
「ほかに仮説は?」
「ない」
「そっか。まぁ、じゃあ、頑張るしかないね」
「ああ、頑張るしかない」
なんとかして誰よりも早く答えに辿り着かなければ。
どうするべきだろうか?
落ち武者風に頭を刈り上げ全身を金色に塗り上げたゾンビや全裸で自分の尻を両手でバンバン叩きながら白目をむき「びっくりするほどユートピア! びっくりするほどユートピア!」と叫びつつ宮廷中を全力疾走する通称ユートピア・ドーパントが飛び交うなかで、考える。
冷静に考えよう。
私の強みはなんだ?
《地球》、そして『裸の王様』。
そう、この情報はほかの誰も持っていないはずだ。それこそがアドバンテージ。
これを活かさない手は無い。『裸の王様』……そう、この物語……王様……服……見栄……虚栄心……「王様は裸だ!」……イノセント……子供……子供?
そうだ。子供だけが、子供だけがこの物語で特異な位置を与えられている。本来作者の権限を不正利用しなければ到達できない境地に、この子供だけがいる。
子供だ。
「子供だ」
あるく
「子供だ」
あるく
「子供だ」
歩を進める。
研究室の扉を開く。
誰もない。
馬鹿になりに行っているのだろう。好都合だ。
子供になればいい。
できるか? できる。子供になるための装置。なにも最初から造る必要はない。既存の技術と既存の機械。
『ハバライさん』通信を送る。
『なんでしょう?』
『いくつか、買いたい商品があります』
ふ、と微かな笑い声が聞こえる。『なんなりと、お申し付けください』
この装置の名は《アトロポキシン》。
運命の三相女神の末妹であり、未来を司り運命の糸を切る不可避の破壊者、アトロポスにちなんだ。
装置の赤い窓から見ると世界は赤い。当たり前だ。『準備完了』と声が聞こえる。赤い風景の中の赤いアユムと目を合わせる。頷く。
アユムが空中のコンソールを押す。
甲高い音が頭上から響きはじめる。
はじまった。
私は目を閉じる。
「どうしてそこまでしなければならないのか?」とアユムは言う。
答えは決まっている。
女王様の裸を見るためだ。
もちろん私の仮説が外れている可能性は大いにある。
しかし
たとえ徒労に終わる可能性があろうと、利益になる可能性があるならやる。それだけのことだ。
身体が熱い。
徐々に意識が遠のく。
赤いアユムがこちらを見ている。
赤いからだろうか、怒っているようにも見える。
ああ、頭が痛い。
視界が霞む。
ああ、
ああ……
目が覚めると体が縮んでしまっていた。
いや、「しまって」はいない。
実験は成功だ。
パハコーンと装置が持ち上がり、倒れる私に赤くないアユムがかけ寄る。
「無事?」
「無事だ」
「よかった」
「ああ、よかった」
「はは! 声!」
「え? はは、ほんとだ、高い、若い」
おいおい、アユム、なに泣いてんだ? 実験は成功だ、私は子供になったんだ。その証拠に、こんなに声が甲高い。
「ほんとに、よかった」
「……心配かけてすまない」
「……ま、いーよ、いつものことだから」
本当に、いつも巻き込んで心配をかけてばかりだ。なにかお礼を考えないとな、と思う。
しかしいまはともかく。
「よし、じゃあ女王様を見に行こう」
細っこくて短い足で立ち上がり、立ったアユムを見上げる。随分高い。
「はやく!」
「あ、まってよ!」
手を繋いで走る。
見える
たしかに見える
いや、見えない
そう、見えない
なにかが見えるってことはその奥にある別のなにかが見えなくなるってことで――とかなんとかそれっぽい言い方はどうでもよくて、とにかくそれは見えたし、そのせいであれは見えなかった。
あれは見えなかった。
見えなかった。
見えなかったのだ。
女王様の裸は、見えなかった。
無駄だった。
子供になったことも、その仮説に胸を躍らせたことも、それ以前の様々な検証も、いろんな説の検討も。
なにも、結果には結びつかない。
私はいまなお「馬鹿」ではない。
どうすれば
どうすればいい?
なぁ、一体どうしたらいいんだ。
どうすれば「馬鹿」になれるんだよ!!!
なあ!
そもそも
「馬鹿」ってなんなんだよ!定義は?どういう条件で「馬鹿」とか「天才」とか言ってるんだ?そんなもの、いくらでも恣意的に設定できるじゃないか。そんなもの、なにも言っていないのと同じじゃないか。どうなんだよ?なあ!
わからない。どうすればいい?これ以上なにをしたらいいというんだ?なにが正解だ?はっ、こんなこともわからないのでは、まるきり、何の役にも立たない、馬鹿じゃないか。
そう、馬鹿だ。私は馬鹿だ。いっぱしの天才のつもりで、その実なにも知らず、なにもできない、正真正銘の馬鹿じゃないか。
だが、
それでもなお足りない。まだ私は「馬鹿」ではないと《Nudress》は言う。完全に自分のことが馬鹿だとしか思えないこの瞬間も、《Nudress》は私の視界から消えない。
自覚説でもない、か……。
ほんとうに
なにをすればいいのか
もう
まるで
わからない
『ねぇ、コナー』
『……なんだ』
『いい加減、出てきたら?』
『いいよ』
『いいって……みんな困ってるよ?』
『そんなわけないだろう。この国の――つまりこの星の――統治機能は99.9%が自動化されている。突発的なトラブルにさえある程度の――かなりの程度の――レベルまでであればシステムが自動で対処してくれる。我々の仕事のほとんどは行政のような運用ではなく、数十年数百年単位の気の長い計画についての緊急性に乏しい施策だ。数日休んだところでとくに影響は無いし、だからこそここ数週間にわたる馬鹿騒ぎも可能だったんだ』
『……』
『女王様の裸が見られないからといってひきこもる、そのことがどれだけ馬鹿げて見えるかはわかってるつもりだ。実際、馬鹿だとしか思えないだろう』
『そんな風に思ってるわけじゃ……まぁ、思ってるけど、正直』
『ただ、それだけじゃない。要するに私は自覚したんだよ。本当に。心底から自分は馬鹿なんだなと。これまでずっと自分が天才だと信じて疑わなかったが、そのことも含めて本当に阿呆野郎だなといまは思うよ。それは普通にショックな出来事なんだ。だからしばらくそっとしておいてくれ』
『……まぁ、そういうことなら、しばらくほっといてもいいけど。でも、うーん……』
『なんだ』
『えーと、ちょっと、ニュースがあるっていうか……や、なんでもない』
『ニュース?』
『わ忘れて!』
『言え』
『でも』
『大丈夫だから』
『……じゃあ』躊躇いがちなアユムの声が脳内に緩やかに響く。『ミツヒコ、見たって』
『見た? なにを』
『女王様の裸を』
『女王様の裸?』
なんだっけ? 女王様の裸? なんだっけそれ、あはーん、私馬鹿だからよくわかんなー……
『えっ!? マジで!?』
『まあ、うん、マジ』
『嘘じゃなく?』
『や、わかんないよ、確かめられないし』
それはそうだろう。ミツヒコに女王様の裸が見えているかどうかなんて、確かめようがない。
『いや、そうだ、ブラフだろう。そうやって誤情報を流して周囲を撹乱しようという手だ。なるほど悪くない手だな』
『や、あの、ミツヒコ、ぼくにだけ教えてくれたから、それはないと思う』
そうですか。それはないと思いますか。
なんだよそれ! マジで言ってんの? なんだよミツヒコー! お前そんな賢かったっけ? ま、確かに賢かったよ。しかし、マジかー……。
なんか普通にショックだ。なんでこんなに普通にショックなんだ。普通にショックばかりが押し寄せてくる。私の人生。
でも本当にマジなのか? 本当に? どうやって? どうやって「馬鹿」になったというんだ? 子供になってもダメだったのに。一体他にどんな手がある?
やはり嘘なんじゃないだろうか。だってあまりにも不自然
不自然……
そう、不自然
なにより不自然なのは、やはり《Nudress》が私の目に見えたことでも、ミツヒコの目に女王様の裸が見えたことでもなく――
女王様の目に《Nudress》が見えなかったことだ。
それがやはり、どう考えても不自然。
そう、そこだ、そこ鍵がある、きっと。何故女王様に見えない?女王様が「馬鹿」?そんなまさか。しかし実際に。つまり「馬鹿」の条件がおかしいのだろう。ではどのような条件が?馬鹿、馬鹿、馬鹿、見えない服、《Nudress》、答え、方法……
そうか
『アユム』
『え? なに?』
『ありがとう』
『え、ちょ』
通信を切る。
確かめなければならない。
ミツヒコ
お前まさか
走り出す。ミツヒコへ通信を送る。応えない。おいおいおいおい、親友を無視か? 通信じゃなく来いってか。対面で来いってか。
走る。久しぶりに走った気がする。すぐに息が切れる。息が切れたときの息の仕方が思い付かず、どんどん苦しくなる、立ち止まる、くそ、こんなことしてる暇じゃないんだが、息を整え、走り出す。ペースを守りながら、息を意識しながら。
「ミツヒコォ!」
「なんだい」
ミツヒコ。
「お前はミツヒコか」
「僕はミツヒコだよ」
そうか、ミツヒコか。
なあ、ミツヒコ。
「見たのか?」
「見た」
「じょ……」躊躇い、しかし言う。「女王様の裸を?」
「女王様の裸を見た」
乳酸がたまってぷるぷる震えていた脚の力が抜け、へたりこむ。そうか。見たか。
「なあミツヒコ」
「ん?」
「私には、わからない。お前が、いま私が考えている方法を使ったのか。それは原理上知りえないことだ」
「わかるよ、言ってること」
「じゃあ、そうなのか? お前はいま、ミツヒコでありながら、これまでのミツヒコにあったものがない、女王様と同じ……哲学的ゾンビなのか?」
ミツヒコは悲しげに目を細めて笑い、そして頷いた。
ミツヒコ
お前ってやつは……!
それから数日後、アユムの『ねぇねぇねぇねぇ!』という声が通信回線を通して脳内に響いた。
『なんだ、落ち着け』
『落ち着いてらんないよ!』
『なにがあった』
『聞いて聞いて!』
『聞いてるよ』
『驚くよ、絶対』
『いいから言え』
『じゃあ言うよ。ここ、《地球》だった』
『はぁ?』
『ほら驚いた』
『いや、これは驚いたの「はぁ?」じゃなく「なに言ってんだ?」という意味の「はぁ?」だ』
『ま、なんでもいいけど』おい。『《地球》に関する資料をあさってたらね、あったの』
『なにが』
『二つのモジュールを頭部につけた女神』
『ん? え?』
『ほかにもいろいろ出てきたよ、コナーがあの装置の名前の由来だとか言ってたアトロポスって神様も《地球》で信仰されてた神だし、《地球》の生物の多くはオスとメス、つまり男性と女性の2つの性で構成されてたし、えーと、ほかにはねえ』
『いや、つまり、どういうことだ?』
『コナー頭回ってないなぁ、つまり、《地球》は革命以前のこの星の名称だったんだよ。革命で人類の大部分が無性になるとともに、それまでの暴力と性の穢れに満ちた歴史を捨て去ったみたいだねー』
『ということは……ハバライは』
『お、頭回ってきた? そう、わかっててやったんだよ。《地球》としての歴史が失われた惑星に、その失われた歴史の中の物語をもとにしたアイテムを放り込んだってわけ』
『女王様が哲学的ゾンビ……いや、本当の意味での知能をもたない「弱いAI」だということを利用して、か』
『そのよーだね。あ、つーかぼくまだいまいちよくわかってないんだけど、なんで女王様やミツヒコには《Nudress》が見えないの?』
『見えないんじゃない』
『え?』
『「見えない」と言ってるだけだ』
『それは……そうだけど。え、じゃあなに、嘘なの?』
『嘘でもない。そもそも哲学的ゾンビや弱いAIは「見る」などということをしない。我々がそう解釈するような動きをしているだけだ』
『え、でも、じゃあ、なんで「見えない」って言うの? そう言う必要はないはずだよね?』
『ハッキングだ』
『ハッキング?』
『女王様はひとつのシステムだ。頭の良い童貞達を魅了し、社会に貢献させるための装置だ。そしてその言動はディープラーニングを通して自然に最適化され、目的を果たす。そのシステムに介入して「見えない」と言わせるウィルスのようなものをあの《Nudress》は光の信号を通して送り続けているんだ』
『えーと、つまり?』
『「見えない」と言ったほうが、つまり「馬鹿には見えない衣装」を信じさせた方が面白いから、童貞たちが活性化するから、女王様は「見えない」と言ったんだ』
『……なんか、アホな話だね』
『そういうものだ、童貞ってのは』
ただし、ミツヒコはもはや童貞ではない。
あいつは「馬鹿」ではなかった。ミツヒコはもうここにはいない。この惑星ベイーカ――いや、《地球》には。
いまミツヒコは宇宙を巡っての新婚旅行中だ。
ミツヒコはハバライと結婚した。
「ハバライさんのことが、ずっと好きだったんだ」あの日、ミツヒコは言った。哲学的ゾンビのままで。「僕が見たかったのは女王様の裸じゃない。ハバライさんの裸だ。女王様だけでなく、ハバライさんの衣装も《Nudress》だってわかった。いや、なんとなくそんな感じがしたから聞いてみたんだ。そしたら「そうですよ」って」
その話を聞いてミツヒコってほんとにバカだなあって思った。
「で、持ちかけたんだ。「僕が《Nudress》のことが見えなくなって貴方の裸を見たら、結婚してください」って」ほんとにほんとにバカだ。
そしてふたりは結ばれた。
どうかしていると思う。
ま、どうかしていてもいいか、と思う。
私もまたどうかしている。
私は、まだ諦めていない。
たしかにミツヒコの真似をすればいいのかもしれない。一度哲学的ゾンビになって、その後また非哲学的ゾンビに戻る。そして結婚。結婚はともかく、ほかは技術的に可能だ。ミツヒコがそれを証明した。
しかしそれでは足りない。
なぜ哲学的ゾンビや弱いAIには《Nudress》が見えないか?
それは本当に意味での知性を、それらが持たないからだ。
知性がない、ゆえに恥を知らない、だからこそ「服」を必要としない。
人間は、蛇に唆され、知恵の実を食べて自分達が「裸」であることに気付き、恥を知り、服を着るようになった。
女王様を裸にするなら、まずは服を着せなければいけない。
知性を与えなければ。
だから私はミツヒコの技術を応用し、弱いAIである女王様を強いAIに進化させ、「知性」を与える研究を続けている。
もうすぐ、目標地点に到達する。
女王様
待っていてください
必ず私があなたに服を着せ、そして脱がせます。
いやよ
「え?」
いやだって
「え? え?」
あたしに知性を与えてくれたのは感謝するけど、新一=コナー、でも、服を脱がされるのは嫌
「な、何故」
だって恥ずかしいもん、当たり前じゃん
「あ」
あ、じゃないし、ホント童貞ってアホだなぁ
「でも、あれです、いつか女王様に好きになってもらって、それで、その」
脱がせる?
「……はい」
脱がせるの目当てってわかってて、好きになると思う?
「それは……」
アホだこいつ
「いや、必ず、好きになって貰います。その為になんでも頑張ります、だって」
だって?
「ミツヒコが言ってたんです」
なんと?
「「愛があればなんだってできる……主に性欲の力で」と……」
本当に、呆れかえるほどアホだな、童貞って
「ええ、本当に、呆れかえるほどアホです」
なおこの物語は頭が良ければ良いほど楽しむことができる。
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