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梗 概

全身黒ずくめの、見るからに屈強そうな男は、枯れ葉の様な見すぼらしい、鋭利な目が印象的な男に言った。

「なあ君、君はあの触れられぬ森に憧れを抱かないのかい?」

「無理さ。たちまち奴らに捕まって、ここに戻されてしまうだろう。
それよりも、彼は外を知っている貴重な男だ。彼にもっと詳しい話を聞いてみようじゃないか」

僕たちはここに住んでいた。決して居心地の悪い場所では無かったが、何か不思議な力が働いて、誰もここから出る事が叶わなかった。空はいつでも青く澄んでいたし、7つの太陽は暖かく、川は枯れることもなく生きていくのに困る事は何一つなかった。ただひとつ、誰も出られない、という点を除いては。そしてこの周辺をぐるっと囲む、それはそれは美しい森があった。見えない壁に阻まれて誰も到達する事は出来なった。その森を僕らは憧れと畏れを込めて「触れられぬ森」と呼んでいた。

僕は、たった一度だけここから抜け出した事があったのだ。それは、いつも決まって雨が降る水曜日の夕刻。雨に備えて木の陰でじっとしていた僕は、あの忌々しい青い空の一部が外れて、そこから雨粒が落ちるのを目にしたのだ。気が付いたら、僕はそのすっぽりと空いた穴へ、空の外へ、飛び出していた。

『あの日僕が見たものは、とてもじゃないけど口で言い表せるようなものじゃないよ。
まず、あの空は偽物で、空の先…つまり外の世界だが、見えない壁の向こうに触れられぬ森が存在しなかったんだ。
そして代わりに広大で空虚な白い空間が広がっていたんだよ。』

『僕はあの偽物の空を超えれば見えない壁を飛び越して、あの森にたどり着けると思っていたのだけど、
どうやら森は外側の空間の更に外側を、グルッと囲んでいるのでは無いかな』

「しかし君、それでは筋が通らないじゃないか。見えない壁の向こうに見えるあの森を、どう説明するんだい?」

『それは、きっと奴らの不思議な力を使っているのさ。考えてもみてくれ。
奴らは見えない壁の中と外を自由に行き来しているという噂あるし、姿かたちは似ているがどうも話が通じない。
僕たちをここに閉じ込めた原因でもある気がする。何をしていても不思議は無いさ。』

「確かに奴らは何を考えているのかサッパリ分からない、ありえる話だ」
忌々しそうに枯れ葉男が言った。

「 なあ諸君、改めて相談なんだが…」
黒ずくめは、一呼吸おいてこう切り出した。

「私は次の雨の日に、あの森を目指そうと思っている。」

こうして3人は、決まって雨が降る水曜日に空から抜け出す。冷たく静謐で広大な広間、数々の死体が吊るされた恐ろしい部屋、観た事もない恐ろしい連中が隔離された檻。見えない壁、異形の植物、恐ろしく声をもった土竜、黒ずくめも、枯れ葉男も、森に辿り着く前に力尽き、命を落としてしまう。僕はこの、恐ろしい土竜の腹の中で、妙な居心地の良さを感じていた。だんだんと意識が遠のき四肢の動きも鈍くなる。

「ああ、やはりあの森へたどり着くなんて、到底無理な話だったのだ」

-数か月後

目を覚ました僕は、奇妙な場所に立っていた。あたり一面、不可解なガラクタの山に覆われているが、どうやら檻の外に出られたようだった。見上げた空が、あの、忌々しい格子状の空ではなく、真っ青な美しい空だったからだ。

『さて、これからどうしたものか…。あの森を捜しに行こうか』

〇〇科学館の大型のエコシステム・ゲージから抜け出した冬越えをするタマムシの一種、「ブプレスティス・スプレンデンス」は太陽の光を全身で浴びて、七色に光る翼で飛び立った。

文字数:1444

内容に関するアピール

この話は、ある自動化された科学館のエコシステム・ゲージの中の昆虫が、科学館の外へ抜け出すという話です。彼らのいう「奴ら」とは、エコシステム・ゲージを管理する小型の昆虫ロボットで、虫の管理やデータ収集を行っています。外の空間では、科学館のちょっとした自動化施設が脅威として襲い掛かります。「ブプレスティス・スプレンデンス」というタマムシの一種は30年と長寿の種で、彼らが土竜と表現した自動掃除機によって吸い込まれてしまいますが、冬越えをする種である事から、廃棄場で息を吹き返し、科学館から抜け出すことに成功します。今回、自分がどいった作品を「好き」なのかを見つめなして話を考えました。その結果、幼少期の記憶や体験が大きく好きに関係しているのではと考え、かつて昆虫少年だった自分と、生体から生態に興味は移ったものの未だに関心が高い「昆虫」をテーマにストーリーを考えました。ただし、最初から昆虫が主人公と分かっては面白くないと思い、エコシステムの人工太陽や施設のロボットと、まるで人間が対峙しているかのような手法を取りました。

文字数:460

課題提出者一覧