カルネアデスの星

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カルネアデスの星

 

「星の作り方、教えてやろうか?」

話を振られたとき、俺が思い浮かべたのは一つの式だった。

「EC+W/R」

意味は知らない。でもこれは、俺が知るたった1つの作り方だ。

誰もが自分の手で星を作りたがる。恒星、惑星、衛星、褐色矮星……宇宙には佃煮にしても余るほどの星があるのに、わざわざ自分で作らないと満足できないのだろうか。佃煮だって買いに行けば済むものを、わざわざ家で煮炊きするのだから、同じようなものなのかもしれない。ただし、星を作るのは佃煮ほど簡単ではない。政府や多くの金持ちが莫大な費用を投じ実験を繰り返したが、満足のいくものが出来た試しはない。もちろん、単なる観測機器を人口「衛星」「惑星」と呼びたきゃ別だ。だけどあんなのは星じゃない。

人工惑星の歴史は、事故と失われた命の歴史だ。軽々しく星の作り方を講釈する輩は、たいてい眉唾なのだ。

とはいえ、狭い船倉では話し相手は大事にしなきゃいけない。たとえ相手が汚らしい鼠であっても。

「大事なのはコア部分ができた後なんだ。ガスが外側に向かって広がる力よりも、中心部分に向かって凝集するための重力が上回っていないと……」

「難しい話はごめんだ」

「だろうな。お前に分かるように説明してやるよ」

面倒なやつだ。適当な返事を考えている俺に、続きを話したくてたまらなさそうな声が聞こえてきた。俺に食いかかるような、嫌らしい表情だった。

「いいか?大事なのはこれだけだ。はじめチョロチョロ、なかパッパ……」

暇つぶしのジョークに心の中で突っ込みを入れた時には、話をしていた鼠は撃ち殺されていた。難民船にすし詰めにされた生き物は、命をもっているとはみなされない。でも、さすがにこれはひどい。

1人の人間が立っていた。警備用の光線銃を構えている。手首に装着する、銃身の短いタイプだ。鼠を狙ったわけではなさそうだ。俺を跨いで、背中側にある何かを調べている。金属製の物体のようだが、大きすぎて全貌がつかめない。

得体のしれない物体を検分していたと思ったら、人間は、怯えている難民たちの中に突然分け入った。金属体から鳥類の仲間まで雑多な生きものがひしめく中、人間の赤ん坊らしきものを拾い上げた。あやすわけでも、連れて行くわけでもなく、上から下まで入念に調べている。ケツのところを覗きこんでいる人間に、隙が生まれた。

扉が開くと、同じく5人ほどの警備隊が現れ、赤ん坊を抱えた人間を射殺した。光線の眩しさに、赤ん坊が落ちたのか、他の難民に助けられたのか、見届けることができなかった。

不運なことに、光線の一部が燃えやすい積み荷に当たったようで、周囲は炎に包まれた。船倉は大混乱に陥った。難民船では、自分の身は自分で守るしかない。目ざといやつは、隣の区画に逃げ込んだ。だが、俺は移動が得意ではない。小さすぎるから、皆が駆け込んでいる扉にたどり着くのに半日はかかる。

誰かが、床の搬入口兼脱出口を開けた。飛び出したからといって、命の保証はない。いつも俺たちには最悪の二択しか残されない。わずかな可燃性の気体を使い切ったのか、火災は収束に向かっているように見えた。だが、人間が消火に駆けつけてくれるわけはない。もたもたしているうちに、俺たちのいる区画全体が、難民船から切り離された。

俺は隣にいた誰かとともに、ぎりぎりのタイミングで脱出口から出て、結局宇宙空間に放り出された。

周囲はひたすら暗く、他の難民の姿はなかった。俺は宇宙空間を猛スピードで移動していた。現在地も方向も分からず、いつ生を終えてもおかしくなかった。切り離された区画は、小惑星の破片にでもぶつかったのか、あっという間にバラバラになった。

宇宙空間の長距離移動では、遅延、迂回は当たり前で、難破や不時着、襲撃も珍しくない。ただ人間同士で撃ち合うのは初めて見た。

まだ生きていた。そして生きていることに少々疑問を抱き始めていた。何の準備もなく宇宙空間に放り出されたら、短時間で息絶えるものだと思っていた。だが実際には、落下時のエネルギーによって四方八方に拡散する船の残骸をすり抜け、大小様々な小惑星を回避し、事故があった位置からかなり離れた場所を移動している。いくら俺が小さいとはいえ、変だ。

冷静に周囲を360度確認すると、おかしな点に気づいた。俺自身の意思と関わりなく、障害物を巧みに避け、軌道を微調整している。誰かに操られているようだ。

少し離れた場所を植木が飛んでいた。まだ生きているらしく、体をくねらせている。鑑賞用の植物ではないようだ。交信を試みたが上手くいかなかった。お互い速すぎるし、遠すぎる。この植木にも俺と同じ物理的な力が作用しているらしい。

徐々に俺と植木の距離が縮まっていく。飛来物が減少してきた頃を見計らって、交信を試みる。俺は、生成通信機(Machine of Generative Communication)、通称「通信機」をオンにした。

通信機は、単なる通信機ではない。宇宙のあらゆる生命体が、何らかの言語体系あるいは記号をもっていると仮定し、相互の交信を可能にする。翻訳の機能ももつが、翻訳不可能な言語をもつ者同士が話をしているときにこそ真価を発揮する。周囲の状況や所有者の体温、脈拍などを把握し、コミュニケーションを生成するのである。例えば「あーあーあー」と「げっ?ぐわっ?おっと」という意味不明のやり取りを「見て見て見て」「え?流れ星?どうでもいいし」という会話に変換する。ディスコミュニケーションが蔓延する宇宙空間で共生を可能にする画期的な機械なのだ。

言語や記号、あるいはそれらの連なりをどのように表現するか、生き物の数だけ方法がある。羽を震わせる、葉を揺らす、模様を造る、隊列を変える、匂いや化学物質を放出する、これら様々な音声や行動、痕跡を言語らしきものに変換する。

俺は人工バクテリアだから、周囲の環境を知覚するための人工知能が搭載された、球体の培養器に入っている。通信機はその表面に張り付いている。俺の思考は、俺自身とこの人工知能が補完し合うことによって形成されている。培養が知覚した情報をもとに、他者と交信する。

俺の言語は、簡単に言えば動きだ。培養器の中で、這うように形を変えるのだ。極めて小さいからまだ良いものの、全身を使ってコミュニケーションをとる姿は、正直恥ずかしい。相手の言葉を聞くときも大変だ、音声での会話が音声によって返ってくるように、動きによる会話は動きによって返される。だから俺は話すときも、相手の言葉を理解するときも、ふるふる、うねうねと動いてる。非常に間抜けだ。知能は高度でも、身体は原始的なのが泣き所だ。

通信機は、しょせん通信機が各話者の発話を整理し、コミュニケーションを擬制しているにすぎない。見たことのない生命体が何を言おうとしているかなんて、およそ理解できるわけがない。俺たちは危機的状況になっても、機械がでっち上げた会話に頼るしかないってことだ。

「私は生きている、私は生きている、私は生きている……」

返信があった。しかし自分から始めたにもかかわらず、交信を絶ちたくなった。早口で聞き取りにくい。すぐ目の前でまくし立てられているようだ。

「そっちも難民船から落ちてきたのか?なぜあんなことになってしまったんだ?この板は何だ?」

うるさい。こっちは長台詞は苦手なんだ。それに、板とは何のことだ?

「初めまして。私は……」

「え、うわ、うわっと、ちょっと、おい」

植木が勝手にパニックに陥ってしまった。隕石の粒でも飛んできたか。初対面なので、あくまで礼儀正しく振る舞うことにする。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫だ」

心配してやったのに、強がりを言いやがる。

「私はあなたと同じ難民船の生存者です。あなたの姿も確認しました。ただ私の姿はとても小さいので、たぶん確認できないと思います」

「いや大丈夫、認識した。確かにとても小さい」

適当なことを言うな。自慢じゃないが、元は1マイクロメートル以下だぞ。

「お聞きしたいのですが、さきほど言っていた板とは何のことですか?私とあなたがこうやって生き残ったことと何か関係があるのですか?」

「もう少し近くなったら話せると思う」

植木がそう言った途端、体が裂けるかと思うほど強い引力を感じた。加速し、同時に植木の姿がぐんぐん大きくなっていく。俺たちは強い力で引き合っていた。気がつくと、植木がすぐそばにいた。苔に覆われた幹から10~20本ほどの細い枝が伸びている。葉はないが、蕾らしきものがいくつか枝に付いている。

「それです」

植木に指摘されるまでもなく、数十メートル離れた場所に、1枚の板が浮かんでいた。速度が落ち、その存在を捉えることができるようになったものの、薄い板であるため、遠近感を欠く。

「あ、こんにちは」

「どうも」

忘れていた挨拶を交わし、俺と植木は再び板と向き合う。訊かなければならないことは山ほどあるはずなのに、いや、山ほどあるからこそ通信する気が起きない。共通の話題はこの板しかなさそうだ。

「これが俺たちを助けてくれたんでしょうか?」

「助けるという意思を持っていたのかは分からないが、強い引力を持っていることは確かだな。自然に存在しているものではなく、人工物だと思う。どうだ?」

口調や語尾は通信機が適当に選択したものだから気にしても仕方ないが、今からずっとこの偉そうな調子で聞こえると思うと、やや憂鬱になる。

「詳しいことは何も分からないけど、とにかく、俺たちは生きている」

徐々に表現を横柄にしてみたが、伝わっているだろうか。

「そういうことだ。申し遅れたが、私はモウジョウ科ジャイアントシーズニング55型だ」

「何て呼べばいい?」

「名前のとおり呼んでもらえればいい」

「わかった」

俺は心の中で「植木」と呼ぶことに決めた。

「君の名前は?というか、君は何だ?」

「説明すると長くなるんだが、俺は人工多機能型細菌の一種で、もともとは生態系を発生させる…」

「長くなりそうだ」

「短く言えば、バクテリアだ」

「バクテリアだと?自分をどう認識するかは自由だが、呼び名はそうだな、粒…いや、チビでいいか?」

「好きなように呼んでくれ」

実際俺の姿は小さすぎて「見る」ことは難しい。植木は「見て」いないから、俺がいることが分かるのだろう。

「チビ、なぜ私達だけ助かった?」

俺は植木の問いかけに答えることができなかった。力の仕組みを知らなければ、今後板のせいで命を落とすことだってあるだろう。見方によっては、板の引力に捕われたともいえる。

「私は板との交信を試みたが、反応はなかった」

「生きてはいない?」

「黙っているだけかもしれない」

反応がないからといってコミュニケーションの可能性を否定することは難しい。ましてや、知性の存在や生命体である可能性は捨てることはできない。

「あっちのほうにいるあいつらも、黙っているだけかもしれない」

植木は何かを指し示していた。枝がいっせいに同じ方向を向くわけでもなく、植木が指すものを特定するのに時間がかかった。

板から等距離の位置に、2つの物体が浮かんでいた。

「岩石?」

「金属かもしれない」

「もう一つは……氷?」

「水かもしれない」

「交信してみるか?」

交信機は機種が異なっても互換性があり、結果カバーする言語や暗号の範囲も広い。岩石や水と話したことはないが、相手が俺のようにAIや知覚を補完する機器と組み合わさっていれば可能性はある。

「生きてるかー」

「通信開始しました。どうぞ」

植木の第一声が乱暴だったので、形式的に補足した。

「こちらは難民船に乗っていた、何と言うか、バクテリアと植物です。そちらは?」

「液体型コンピューターです。なお、今は個体です」

どういう存在か理解できなかったものの、知性をもった生命体であることは理解できた。

「岩石からも交信があったみたいだ」

通信機には「変換不可能」と表示されている。「交信なし」とは異なり、相手からの通信はあるが、解読できない、あるいは他の言語に変換できないという意味だ。岩石も何らかの知的生命体である可能性が高い。

「お隣の岩石さんはお友達?」

「いえ、初対面です。それに彼は工業用ロボットで、鉱石を運んでいるだけみたいですよ」

「工業用ロボットなら、交信できるんじゃないんですか?」

「壊れたんじゃねえのか?」

通信機が適当に調整する口調に苛立ってしまう。

「とにかく、4体ともこの板のおかげで助かったってことだな」

植木の呟きが、出会って間もない俺たちに小さな連帯感を与えた。これからどうなるかは分からないが、とにかく考える時間ができた、話し合う余裕が与えられた。移動する速さもかなり落ちて、周囲の状況を確認できるまでになった。

「僕は液体コンピューターで、周囲に水分を纏っています。名前は、型番しかないので、液体(liquid)の頭をとってリーと呼んでもらってます」

リーがさっと自己紹介を済ませると、俺たちの注意は工業用ロボットに向けられた。

「もしもし、生きていますか?聞こえていますか?」

岩石が持ち上げられ、現れたロボットの表面が3回赤く光った。何らかの返答だと思われる。続きを期待したが、それ以上何も起こらないまま、岩石は元の位置に収まった。

「今のは、何ですか?」

俺はもう一度問うてみたが、岩石は動かない。

「何らかの応答じゃないか。何か伝えようとしてる」

意味のある内容をやり取りできたとはいえないが、お互い生きていることを確認できただけで良しとしよう。

他の3体と意思の疎通を図れたところで、急に船酔いが戻ってきた。培養器に閉じ込められたまま乗り物に乗り続けるときつい。

「酔わないか?」

「アルコールに類するものは摂取していない」

植木には通じなかったようだ。

「ずっと移動しているとほら、気分が悪くなるだろ?」

「言っている意味がよくわからない」

粘ってみたがだめだった。船酔いを理解させるところから始めなければならない。

「僕は酔いますよ、ただ平衡感覚を完全に制御しているので酔わないだけです」

リーが割り込んできた。共感に感謝したいところだったが、自慢を織り交ぜてくるのが癇に障り、「そうなんだ」とだけ応答した。

「光ってるぞ」

植木のいうとおり、ロボットが3回赤く光った。船酔いするのか?まさか。単に会話に加わりたいだけかもしれない。とりあえず「ありがとう」とだけ返した。

板は俺たちを四隅から等距離の場所に配置し、離さない。すぐ横を小惑星や様々なゴミが落下、通過していくが板に引き付けられることはない。俺たちは選ばれたのだろか。命拾いした喜びと、行く先への不安に加え、わずかに恍惚感を覚えた。

太陽系の外に向かって人間による実効支配が拡大するなか、人間以外の生命体は道具でしかない。だから中途半端に知性や感覚を与えられた生命体は、自らの役割は何なのか思い悩むことになる。

ロボットの呼び方を考えないといけないな。この瞬間、一番どうでもいいことを考えながら、俺は宇宙空間を比較的ゆっくり移動していた。

 

 

俺が抱えるわずかな故郷の記憶には、水のある風景が点在している。俺はたぶん、特別な人工バクテリアなのだ。人工惑星に撒かれて、99%は進化することなく死滅する他のバクテリアとは違うのだ。俺は自分のちゃちな自意識をそう慰めてきた。

俺は例のロボットを「寝坊助」と名付けることにした。赤く光るしか能のないやつだと思っていると、通信機からかすかな音の連なりが聞こえてきた。断続的で、濁った音の連なり。大きくなったかと思えば急に消える。限りなくいびきに近い音だった。本当に眠っているわけではないだろうが、気持ちよさそうだ。外観はほぼ岩石なのに、少し親近感を覚えた。

板がどこへ向かっているのか見当もつかない。そもそも難民船がどこへ向かっていたのか、なぜあの船に乗せられたのかも分からない。誤解を避けるために言っておくと、他の生物の体内にたまたま存在したとか、空中を舞っていたものが付着したわけではない。俺は型番が付された人工バクテリアなのだ。譲渡、売買されたか、盗み出されたか。俺を創りだした人間たちの意図が介在していたのだろう。

「やることがないな」

植木がぼそりと言った。同感だ。寝坊助を除いて互いの自己紹介を終え、雑談のネタも尽きた。通信機を介してのやり取りでは、会話が爆発的に盛り上がることもない。共通の話題は板に関することだが、近づくこともできず、分からないことが多すぎて話が続かない。

「あの船、行き先はどこだったんだ?」

「さあ、どこかの人工惑星で死ぬまで働かせるつもりだったんだろ」

会話が一往復で終ってしまった。植木もリーも生みの親である人間に不信感を抱いているようだった。リーは人工知能の一種だから、自律的な意識が芽生えるのも分かるが、植木は純粋な植物なのだろうか。さっき一通りの説明を聞いたが、正直言って、理解できたとはいえない。

「なんで木なのに喋ったり、考えたりできるの?」

「その質問に答えるためには、喋る、考えるとはどういうことか、という点から説明しなければいけない」

俺は話を振ったことを後悔し始めていた。

「今こうやってコミュニケーションをとっているのも、通信機があってのことだ。そして通信機は、意識を直接読み取るわけではなく、外面に表れた振動や温度変化を言語として捉えているにすぎない」

長くなりそうだ。

「だから私が応答したつもりでも、それに対しそちらが意味のある再応答をして初めて、意思の疎通がかなったことを確認できるわけだ…」

俺が植木の話に応答する気を失いかけたとき、突然大きな揺れに襲われた。板との距離が、無理にS極とN極を引き離そうとした時のように大きくなり、数倍の勢いで元に戻った。周囲の風景に大きな変化がないところをみると、揺れたのは俺たちだけのようだ。

植木もリーも寝坊助も、バンジージャンプの後のようにぶらぶらと近づいたり離れたりしている。

「どうなってんだ?」

「わからん」

船酔いするバクテリアである俺は、培養器の感覚が戻るのを待った。培養器の大きさは直径7ミリほどだから、ごくわずかな平衡感覚の話だ。

「あれは何ですか?」

板の上に何かが乗っかっていた。宇宙服に包まれたその生き物は、嫌というほど目にしてきたものだった。

人間だ。

人間は、俺たちのように引力の影響を受けていないのか、必死に板にしがみついている。防護服には、手のひらに吸着するための仕掛けがあるようだ。そうでなければ、移動する板に振り落とされる。

船酔いは落ち着いたが、板の速度が不安定になった。ランダムに加速と減速を繰り返している。進行方向も変わった。人間の重みで舳先が下がったわけではないだろうが、下降している。面倒だ。

「邪魔なものを振り落とす力はないようだな」

「どうでしょう。斥力は作用しているけれども、彼が頑張っているだけかもしれません」

「落ちるのを待つしかないな。我々自身が板に近づけない」

植木とリーのやり取りから、人間には、一刻も早く消えてほしいという思いが伝わってきた。4体ともそう願っていることを疑う様子はない。

俺だって人間が好きではない。だが目の前に落ちた人間は、どう見ても助けを求めている。手を差し伸べなければ、振り落とされるのは時間の問題だろう。もちろん、人間が出現したことで、俺たちの行く末が危うくなっているのも事実だ。

通信機に雑音が混じる。人間が俺たちとの通信を試みているようだ。残念ながら、俺たちに備えつけられた通信機では、人間とやり取りすることはできない。なぜって、人間がそう設計したからだ。監視する際、人間が創り出した有象無象、ペットか実験道具でしかない生物の声が聞こえないように設計した。いくらチューニングしても無駄なのだ。何度も人間へのメッセージ伝達を試みた俺が言うのだから間違いない。

もし人間が発しているのがSOSだとしたら、人間から助けを求められる立場になったかと、感慨にふけりたい気分だ。ただSOSを発しているのに雑音に変換される様子は滑稽でしかない。通信機を使えない寝坊助の方が賢く見える。

「これまで人間にされて嫌だったこと」

「踏まれた」

「折られた」

「無視された」

「燃やされた」

寝坊助、3回点滅。

「小惑星に埋めこまれて知らない恒星系に飛ばされた」

「マイナス200℃の……」

「もういいんじゃないか?」

植木の呟きから唐突に始まったゲームを一時中断させた。これでは結論は一つしかないし、解決策が導かれるわけではない。

「仮に元々この板を作ったのが人間だとすれば、目の前にいるこいつには俺たちが受けている引力が作用しない、という点は興味深い」

植木の言うとおりだ。仕組みはともかく、俺たちがこの板の周りに集結したことには、何らかの意味があるのだろう。

寝坊助が3回光った。岩石を持ち上げ元の位置に収めるかと思ったが違った。背負った岩石に赤く短い線が入った次の瞬間には、切り取られた礫が人間に向かって投げつけられた。持ち上げる動きしかできないと思われたアームの片側がしなることで、時速200キロは出ていた。だが投球場所が不安定だったせいか、礫はうつ伏せになった人間の頭上を飛び越え、植木のすぐそばを通過し、暗闇に消えた。

「投石とはアナログだな」

「何するんですか!」

真っ先に反応したのはリーだった。寝坊助からの応答は当然なく、リーの制止を理解できているのかもわからない。人間が寝んねしている様子を、愚痴を言いながら静観するつもりだったが、そういうわけにはいかないようだ。

「あの宇宙服を見てください。CS1001、私たちが乗っていた船です」

CS(Cargo Ship)と船体に記された船は、貨物だけでなく生物などあらゆるものを運ぶ。

「だとしたら、何だ?」

植木が冷たい口調で問う。リーが急に態度を変えたように見えたのだろう。

「今、この人間を攻撃すべきではありません」

「みんな人間が嫌いなんだ。いいじゃないか」

「そういう問題じゃありません。この人間は、私たちがどこに向かっているのか、知っているかもしれない」

なるほど。難民船にどんな生物が乗っていたのか、どこへ向かっていたのか、俺たちは何も知らない。船倉に詰め込まれ、物として扱われ、途中で壊れたり絶命しても気にも留められない。たまに人間がやってきて、型番や注文票を確認して帰っていく。

「人間は嫌いだ」

植木は、反論にならない呟きの後、ゆっくりと語り始めた。途中意味不明な箇所もあったが、そこは通信機のせいにしておく。

植木は、難民船の中で発芽し、人工惑星「アルボル」で育った。アルボルは仮設型と呼ばれる旧型の人工惑星だ。仮設型とは、生命体が存在しない既存の惑星にドームを設置し、実験的に様々な生物を繁殖させ、生存範囲を段階的に拡大するタイプである。仮設型は元からある惑星を勝手に占拠して「人工」と名乗る厚かましいものだが、人間のやることだから仕方ない。

アルボルは植物の生育に力を入れていた。ドーム内にはあらゆる種子、苗、球根が持ち込まれ、交配が繰り返された。特に注力していたのは、能動的に交配や遺伝子組み換えを行う植物である。人間や人工知能を組み込んだロボットがいなくても、自ら環境に適応し、進化できる植物が求められていた。その中で生まれたのが、植木のような知覚及び意思をもち、ある種の思考が可能な植物である。植木は、1本の枝として荒れ地に残されても、時機を待ち、自ら判断し、大木に成長することができる。ただし成長は予め与えられた養分を使用するため、生涯に一度しかできない。タイミングを誤れば、命を落とす。

ほとんどの植物は、適切な環境を得ることなく、実験途中で放置され、枯死した。人間は、食料となる果実を実らせるもの、実験成果やサンプルとして有効なものだけを持ってアルボルを去った。成育環境を維持する機能を失ったドームを、アルボルの乾燥が襲った。

植木は数少ない生存種の一つだ。だが、実もなく花も咲かず、中途半端に意思を備えた植木は結局失敗作とみなされた。

「人間の好きなところ」

「水をくれる」

「充電してくれる」

「そうだな、何だろ……」

答えが続かない。

「ほらみろ」

植木が勝ち誇ったように言うので、俺は思ってもいないことを口にした。

「人間は俺のことが好きだ。だから俺も人間が好きだ」

「だろうな」

適当に行ったのに同意を得てしまった。植物の考えることはよく分からない。

寝坊助による投石は断続的に続いていた。何発か当たったものの、人間がへばりついている位置は変わっていない。

「みなさん、好きとか嫌いとかそういう問題じゃないんです。人間にもいろいろな人がいます。そこにいるのがどんな人間なのか確かめてみるというのはどうですか?敵対する、あるいは私たちを支配しようとする人間、私たちが嫌というほど見て来た人間なら、私が責任をもって排除します」

「どうやって確かめる?」

「こうやってな!」と言ったかどうかは知らないが、リーが説明を始めようとした途端、寝坊助が放った一投が、人間の頭部を直撃し、ヘルメットに大きな穴が開いた。酸素が噴き出し、人間の身体が小刻みに震えている。非常用ボンベに切り替えているのだろうか、割れたヘルメットが、クリスマスの電飾のように、黄色く点滅している。

「やってくれたな」

寝坊助は得意そうに、赤く3回光った。

「ここが惑星の上なら、とっくに廃棄処分にされているところですよ」

寝坊助はリーの言葉に動じる様子もない。何を考えているのか相変わらず不明だが、雑音が増えたところをみると、反論しているか、勝ち誇っているに違いない。

「死んでしまったようですね」

「死んでたんじゃないのか?」

俺も植木の意見に賛成だった。ヘルメット内部の様子はわからないが、酸素が漏れ出したにも関わらず、何のリアクションもないのは不自然だ。穴が1つ開いたぐらいで即死することはない。俺たちのやり取りが聞こえたのか、寝坊助はいつの間にか石に戻っていた。死体が落ちてきて張り付いただけか。つまらん。

「良いやつなのか、嫌なやつなのか、確かめようがなくなったな」

植木の口調は、嫌味よりも虚しさを多く含んでいた。

「いえ、逆にやりやすくなりました」

自信に満ちたセリフを吐くと、リーはすぐに行動を開始した。

まず、リーを包む液体あるいはリー自身が一瞬で固体となった。細い氷柱のような姿に変形した液体が、ヘルメットの穴が開いた部分に到達する。次に氷柱の先端が一滴、融けて液体に戻り、ヘルメット中に入っていった。二粒、三粒と次々に防護服の中へ入りこんでいく。板の引力で近づけない俺たちは、リーの変わり身を眺めることしかできない。

固形物となったリーが説明することには、濃度1%の液体コンピューター10mgで、20テラバイトの情報を保存することができる。雨粒のように人間の表面を流れることで、体温からスケジュール帳に書かれた文字まで、あらゆる情報をスキャンし取り込むのだ。

「彼は、カショーにいたようです」

カショーは、木星の周囲のトロヤ群に存在する小惑星を改造した、仮設型人工惑星の一つだ。惑星を掘削し、すり鉢状の巨大なクレーターを造り人工の屋根で覆う、はずだった。大小様々な掘削ロボットが動員され、穴が掘り進められたが、幾度となく爆発事故が起こり、居住地は未完成のまま放置されることになった。何体もの掘削ロボットが岩石の下敷きになり、墓場のような外観を呈している。以上、リーが読み取った情報を口述したものである。

寝坊助が赤く光っていた。3回どころではなく、目をパチパチさせるように点滅し続けている。

「知り合いか?」

植木がからかうように言った。寝坊助はカショーから来たのかもしれない。人間が生まれた惑星も、少なくとも人間が生きることのできる場所ではなくなった。故郷の惨状を競うのはごめんだが、目の前の人間に石を投げつけたくなる気持ちは理解できた。

「これは何でしょう?」

データを掃き出し続けていたリーが、説明を止めた。

「四角い箱があって、中がくり抜かれていて、その中に球体の容器が収まっています。外側の素材は分かりませんが、中の容器は金属製のようですね。金属の種類は不明」

「何を見つけたんだ?」

「設計図です。文字情報がわずかしかないので、用途も描かれた時期も分からない」

「手がかりが少なすぎるな」

「はじめチョロチョロ、なかパッパ」

「何だそれ?」

「分かりません。でも、そう書かれてる」

どこかで聞いたような、でもどこだったかは思い出せない。俺たち三体が考え込んでいる横で、寝坊助が思い切りの良い大暴投をやってくれた。破片は板の真上に向かって勢いよく飛んでいく。

何してんだよ……と石の行方を追っていると、懐かしい物を見つけた。頭上をゆったりと航行していたのは、俺たちが乗っていた難民船だった。

 

 

トッポギのような難民船が、止まっているのかと思うほどゆっくりと通過していく。細長い筒状の船体は、ワープ航路の形状に沿って造られたものだ。船体を輪切りにするように、20のブロックに区切られている。一番前方のブロックには人間が乗り、後方のブロックは食料や消耗品を乗せた倉庫だ。

これは偶然なのか?この再開も板のお導きなのか?

俺たちだけではない。目の前にいる人間も同じ船に乗っていたとすれば、何らかの理由で船を逃げ出してきたのかもしれない。

「どうする?」

「乗る」

威勢よく返事をしたものの、安定を欠いた板が船との距離を広げているのは明らかだった。

「こいつとはお別れだな」

「スキャンは途中ですが、止むをえません」

「頼んだぞ」

植木の一言が、誰に向かって発せられたものかは明らかだった。寝坊助が放った物体を、視覚で捉えることは難しかった。さきほどまでの礫と違い、寝坊助が投げたのは、トックのように岩石を薄くそぎ取ったものだった。板に吸い付いていた人間の両手首がきれいに切断され、両手を失った人間の身体は、板に弾き飛ばされるように、一気に舞い上がった。

人間は、真上を通過する船に吸い込まれるように上昇していく。

「羨ましいですね」

「俺たちも何とかしないと」

人間を切り離した板は、ずり下がっていくような進路を改め、蛇行するような動きも止まった。ただ船とほぼ平行に進むため、船に近づくことができない。

俺は両手を残して去った人間の行方が気になっていた。宇宙を漂う様々な屑の一つになるのだろうか。故郷を追われ、船を追われ、死後に掴まったなんだかよくわからない板も追われ、どこへ向かうのだろうか。

「なあ?」

俺は人間の無常を思う気持ちをシンプルに表現してみた。

「は?ぼーっとしてる場合か」

しかし、植木は思ったより情緒のないやつだった。

強い光を感じた。船の底が開いている。船内の光が漏れ出したわけではない。監視用のサーチライトがぐるぐると周囲を照らしている。

「俺たちか?」

「まだ分からない。かなり距離があるからな」

「様子を見たほうがいいでしょう」

俺たちはいつも様子を見るだけだ。板の引力のせいで逃げも隠れもできない。寝坊助が赤く3回光った。

「やめろ」

寝坊助はやめない。救難信号を出しているつもりなのだろう。身動きがとれない以上、板ごと回収してもらうのは一つの手だ。もともと俺たちは板といっしょに船倉に置かれていたのだから。

サーチライトの光が人間の頭部をかすめた次の瞬間、鋭い光線の束が人間の身体を貫いた。

「やばいっ」

低い音程に変換された植木の呟きが聞こえたときには、人間の身体は、腕も足も頭もすべて細かい塵になった。さっきまで目の前にいた誰かは、完全に消えてしまった。難民船の乗船口から、警備にあたる人間が直接攻撃したのだろう。手首に装着するコンパクトなものではなく、船に備え付けられたごつい方の銃だろう。実際に撃つのは初めて見た。恐ろしい威力だ。

「バックアップをとっておいてよかったですね」

携帯端末が故障したのと変わらないリーのコメントに頷きつつ、再び人間の無常に思いを馳せた。浮上してくる様子が、助けを求めて近づいてきたように見えたのかもしれない。難民船はいつも乗車率200%だ。ワープ航路に入る大事なタイミングで、いくら人間といえども、負傷者を回収している余裕はない。階級や所属を確認してうえで始末したか、あるいは死んでいるのを知っていたか。

板に張り付いたままの二本の手が、俺たちに決断を迫っていた。むやみに近づけば同じ目に遭う。しかしこのチャンスを逃せば、俺たちは永遠に宇宙を彷徨うことになるかもしれない。難民船がワープ航路に入る今が、好機であるのは間違いなかった。向かうはずだった場所へ行くことができる。それがどこかは知らないが。

寝坊助からリーへ順にサーチライトの光がかすめる。心なしか他の3体との距離が開いたように感じる。板は膨張し、丸みを帯びていた。ライトは舐め回すように板を照らしている。

「通信機は使えないか?」

「これだけ離れていると難しいだろうな」

寝坊助の救難信号は続いていた。船は俺たち4体ではなく板に関心があるらしい。調査のために接近してくれたら交信のチャンスを窺うこともできるが、ワープゲートは目の前だった。

「やむをえん」

植木はそう言って、身体から生えていた一本の枝を切り取り、そこに何本かの傷をつけた。どうやら俺たちが使ってしまった救難信号に代えるようだ。

「原始的な手段だが、人間なら理解可能なはずだ」

植木が放ったか細い枝は、ゆらゆらと船へ近づいていく。10年経たないと届かないのでは、というくらいの速度だ。寝坊助の投げた石、粉々になった人間、植木の腕…なぜ引力を逃れることができるのだろうか。勢いをつけて投げたから、というだけでは説明がつかない。

逃げていく風船を眺めるように、海に流した瓶詰の手紙に祈りをこめるように、俺たちは1本の枝の行方を注視していた。だが、枝など見ている場合ではなかった。

船が落ちてくる。そのことを確信したときには、既に30度以上は傾いていた。船尾が押し下げられ、筒が横から斜め、さらには縦へ向きを変える。

「どうしたんでしょうか?」

「分からん」

船といっしょに、いろんなものが落下してきた。多くはコンテナで、中には工具や食料が詰め込まれている。人間だけでなく、植物や工作用ロボットの姿もあった。第2の植木や寝坊助は、俺たちの仲間になることなく、足下の暗闇に消えていった。

「事故か?」

「いや、あまり考えたくはないが、こいつのせいかもしれん」

植木の考えていることは、たぶん俺と同じだ。

「出火しているようにも見えない、唐突すぎる」

コンテナが板を直撃し、鈍く弾んで一つの面が開いた。大量の穀物が流れ出て、板の上を滑り、飛散した。胸が締め付けられた。

「もし板が船を引き寄せているのだとすれば、私たちはぺしゃんこになってしまいます」

寝坊助が岩の下に隠れた。その程度で防ぐことができるのか?俺にも分からない。小さすぎると自分が死んだことにも気づかない。人工バクテリアとして育てられた俺の宿命だ。板とともに移動することは、自分自身の航路を選べないということだ。

船の最後部から紐のようなものがぶら下がっている。人間と植物と荷物が、船からこぼれ落ちまいと必死に誰かにしがみついている。

「なぜ船を引き寄せようとする?今度は船とおしゃべりか?」

俺の問いかけに誰も応えてくれない。

船底から垂れていた紐は徐々に長くなる。すると人間は分かりやすい行動に出た。区画と区画の間に切れ目が入ったかと思うと、船の最後尾の区画が切り離された。救命艇が出されるわけでもない。ただ捨てられたのだ。

切り落とされた最後尾は板から離れた場所を落ちていく。板の引力は全く関心を示さない。そして、板は完全に動きを止めていた。落ちてくる獲物を待つかのように。

「あの船の中に、引き寄せたいものがあるんだろう」

「引き寄せたいもの?この板には好き嫌いがあるのか」

「僕たちは好かれてるんですよ、たぶん」

リーは人間から読み取った情報の解析を続けている。板に関わる情報も含まれているかもしれない。

難民船が完全に垂直になった。最後尾を切り離したため、ケツの部分は接続部品が丸出しだ。船の中はおそらく大変な騒ぎだろう。でかい船と硬い板の対決に巻き込まれた俺たちは、為す術がなかった。

さらに悪いことには、船酔いが始まった。安定していた板の引力が揺らいでいた。上下左右に揺さぶられている。

難民船は必死に上昇し、体勢を立て直そうしていた。板は船を丸ごと引きずり下ろそうとしている。反対方向の強い力が一直線上に作用し、板も船も瞬間的に静止した。もし俺が人間みたいに多彩な音を聞き分けることができたら、今頃、エンジンの爆音と悲鳴で耐えられなくなっていただろう。

均衡状態はごく短いものだった。船は垂直の状態から20度ほど傾きを取り戻した。船に呼応するように板が傾き始めた。岩の下に隠れていた寝坊助も顔を出した。船は角度をつけて、ワープ航路に飛び込むことを狙っているようだ。直進して航路の入り口のリングに入るには、まだ角度が足りない。2つ、3つと後部の区画が切り離された。船体を軽くしているのだろうが、まだ十分ではない。落ちていく区画に、誰も乗っていないことを祈るものの、そんなわけはないことを俺は知っている。

「みなさん、この板に張り付いていた人間の死因がわかりました」

「酒の飲み過ぎか?」

「こんなに揺れててよくしゃべる気になるな」

植木と俺の軽口を気にも留めず、リーは説明を続けた。

「バクテリアの異常繁殖です。脳内に寄生していたようです」

バクテリアだって?反応せずにはいられなかった。

「そのバクテリアってのは、どんな種類だ?」

「そこまではまだわかりません。あの人間が、自らを侵した生命体の種類を知っていればいいのですが」

俺の仲間かもしれない。実験室で大量で生まれる俺たち人工バクテリアに、本来自他の区別はない。一塊であっても無数に散在していても、一つだ。だが俺には、培養器のおかげで、自己を一つの個体として認識する能力がある。

人工バクテリアだと名乗ったときの反応はだいたい冷たい。病原になる種も多いし、人間に寄生することもある。はっきり言って嫌われ者だ。あからさまに拒否反応を示さないやつでも「白濁している感じが、それっぽいな」とか、「小さいし、いいんじゃない?」とか、そんな程度だ。やがて俺は自分が人工バクテリアであることを隠すようになった。

人間に寄生していたのが人工バクテリアなら、単なる一症例と考えるべきなのか、あるいはもっと別の見方があるのだろうか。

「他にもあるんですが、いいですか?」

「ちょっと待て」

リーの説明を遮った植木の身体は、既に45度以上傾いていた。寝坊助も背中の岩石が持ち上げられる格好になり、おろおろしている。船の推進力が、板の引力を上回り始めていた。大きく傾いたまま、しかし航路に入ることができるだけの角度を維持したまま、船は着実にワープゲートに近づいていく。

ゲートは無人、無料のタイプだから、油断はできない。入って出たら有毒ガスに包まれるなんてこともありうる。人間には、難民船のために高速航路代を支払ってやろうなんて気はさらさらない。

板の方もただ引きずられているわけではなかった。少しずつ船との距離を縮めている。

「これ、どうなるんだ?」

「僕たち、船に戻れるかもしれません。戻った時、生きてるかどうかは分かりませんが」

船首がワープ航路の入り口を通過した。輪の上部ぎりぎりだ。同時に厚く丸くなった板が船の最後部に接触、衝突しようとしていた。輪切りにされた区画が、目の前で打ち捨てられていく。落下する船室から飛び出して、あっという間に見えなくなったのは倉庫に蓄えられた食物と、放射状に落ちていく白い鼠たちだった。

「ぶつかるぞ!」

植木の声は、今までにないくらいの大声に変換された。しかし身体に受けた衝撃は不思議なものだった。どこまでも沈み込むクッションと言えばよいのか、信じられないほど跳ねるトランポリンと言えばよいのか、引力から自由になったと錯覚するほど飛び上がり、振り回された。

楕円形に変形した板は、船の最後尾に付けると、そのまま直進し始めた。歓迎してハッチを開けてくれたわけではない。入船許可もない。板がゴリゴリと自身を船体にねじこみ、厚い金属製の扉を潰し、押し入っている。ノックしてから入れというのは無茶でも、これはあまりに強引だ。

扉は破られた。視界に入ったのは、恐れおののく人間や、様々な生き物たちだった。

「帰ってきたぜ」

慌てて言ってみたものの、あっさりと船内のパニックにかき消された。

板の直径は船の直径に何とか収まる程度だ。それだけでかい板が乗り込んできたのだから、逃げ延びたと思っていた人間は慌てふためくことしかできない。板に銃撃を浴びせるのも仕方ないだろう。板はびくともしない。一方、俺たちはか弱い生命体だ。

「ここです!」

リーの声はよく通る感じに変換されて羨ましい。板の中心部には空洞が生まれていた。刻々と姿を変える板に、意思のようなものを感じずにはいられなかった。難民たちが、狭い船内で板を避けようとして板に潰されたり、船外に押し出されたりする様子は悲惨そのものだったが、難民船なんていつもこんなものだ。俺たちは引力の間を泳ぐように空洞に近づいていく。引力ははっきりと弱まっていた。俺たちを空洞部分へ誘っているのか?俺たちはよほど、この得体の知れない板に好かれているらしい。

「この穴は何だ?」

「知るか」

何本も枝を失い、満身創痍の植木は不機嫌そうだった。寝坊助は背中の岩石が引っかかり入るのに苦労したが、文字通り身を削って逃げ込んできた。リーもせっかく得たデータをいくつか捨てざるをえなかった。

板に包まれた俺は、ようやく周囲の様子を確認する余裕を得た。通信機が阿鼻叫喚を雑音に変換し、植木たちと会話するのも困難だった。区画を切り離す方法で凌ごうと試みているようだったが、板が芯のように船内を突き破っているため、接続部分を着脱することさえできなかった。

船首へ向かって、銃を捨てて逃げる警備の人間の背中が見えた。次の区画へ入る扉はもちろん閉め切られている。蹴躓いたのか、やがてその背中は消えた。おそらくぺしゃんこになったに違いない。もう一度言う、難民船はこんなもんだ。だけど死にたいと思ってるやつは一人もいない。全員、どんな手段を使っても生き延びたい。当たり前だ。

この板は恐怖を与える存在なのだ。正体が分からないからというだけではない。生命の根源を脅かす物体なのだ。難民船の倉庫番が扱える代物じゃない。だから、捨てられて、戻ってきた。

俺たちはなぜ選ばれた?たぶん、板のそばにいたからいっしょに捨てられただけなのだろう。ただそんな説明じゃ納得できないのが生物ってものだ。何のために生まれてきたのかという問いは、人間の専売じゃない。

板は前進するのを止めた。難民船は板を深くめり込ませたまま、ワープ航路に入った。

 

 

リーは一言でいえばゴミだった。

仮設型ではない人工惑星の建造、つまりゼロから星を生み出すために、多くの犠牲が払われた。初期に実施された実験の多くは、既存の小惑星に、巨大な金属の塊を衝突させて、そのエネルギーで惑星を誕生させようというものだった。現在では、衝突によって惑星が生まれると考える学者は少数派だが、当時は最も期待が寄せられていた手法の一つだった。

実験は遠隔操作で行われるため、衝突現場に人間はいない。そのため実験の様子を伝え、失敗を見届けるための観測機が何台も配置される。衝突の瞬間に生じる巨大な衝撃波によって、ほとんどの観測機は砕け散る。実験空間の周囲に、何層にも配置されているため、最も外側に浮かぶ機体が最後の測定を行う。その機体でさえ、データの漏えいを防ぐため人間の手で破壊される。

リーは一番実験場に近い観測機に組み込まれた人工知能だった。小さくて優秀な集積回路だ。本来なら影さえ消滅する存在だった。だが運悪くというべきか、無傷に近い状態で生き残り、宇宙空間を漂った。同じく実験場のゴミだった液体コンピューターを拾い集めながら。用済みになっても、与えられた職務を忘れることができなかった。難民船に紛れ込んだときには、抱えきれないほどの液体コンピューターに包まれていた。

「人間から見れば破片の一つ一つが動いているか停止したかなんて、どうでもいいんでしょうね。機械は壊れた時点で死んだとみなされるんです」

「佃煮にした魚の一匹がもし生きてたとしても、気づかずに食っちまうだろうな」

「……ツクダニって何ですか?」

くだらない会話を交わせる程度には、俺たちは落ち着きを取り戻していた。船はワープ航路を航行中だった。ワープが一瞬で終るのは高い料金を払う有料航路だけで、無料の航路は下道を走るみたいに時間がかかる。全く知らない場所に出ることもある。そして、けっこう揺れる。

人間が、遠目に俺たちのいる穴を覗きこんでいた。侵入者をどうやって捕えようか思案しているに違いない。一見すると袋小路のようだが、俺たちは板に守られている。

「撃ってみろよ」

人間には聞こえないものの、からかい半分で言ってみた。

「やめろ」

植木にたしなめられたが、散々俺たちを振り回した板が今安心感を与えてくれているのは間違いない。覗きこむ人間の数が増えた。一斉に引っ込んだと思ったら、何本もの光線が板の内部に跳ね返った。

「どういうことだよ」

板には傷一つつかなかったが、光線が板の中に侵入したことが驚きだった。あらゆる物を寄せ付けなかった斥力はどこへ消えた?

「来るぞ」

警備の人間が次々と穴の中に入ってきた。もう少し穴を小さくしてくれていれば、侵入されることはなかっただろう。板は、人間たちを迎え入れているようだった。

筒状の穴の両側から挟み撃ちにされ、俺たちはあっさり人間の手に落ちた。正確に言うと、俺以外は捕まって、俺は小さすぎて気づかれなかった。通信機があるから見つかるだろうと観念したものの、通信機も人間から見れば極小である。俺だけ穴の中に取り残されても仕方ないので、植木にくっついて捕まることにした。

3体をぐるりと光の輪が囲んでいた。確かに手錠をかけるより簡単だ。お縄を頂戴した俺たちのために、見知らぬ生命体たちが渋々道を空けてくれた。植木に似た、もっと血色の悪い植物が、葉を落としながらだるそうに座っていた。両側に積み上げられた岩石も、通信機を持てば喋り始めるかもしれない。鉄屑と見紛うロボットが俺たちの前を横切ろうとして人間に踏まれた。死んだか?と思って振り返ると、のろのろと反対側へ渡っている。鳥類が何羽か集まって抱えていたのは、人間の赤ん坊だった。どんな旅を続けてきたのか、想像もつかない。

区画を5つ通過すると、円形に机と椅子が並べられた会議室に着いた。一般的な難民船と同じであれば、この3つ先が操縦室で船の船首だ。この船は半分以上の区画を失ったことになる。目の前には銃を持った警備の人間が4人、加えて船長か副手か、とにかく偉そうな人間が真ん中に立っていた。

余談だが、なぜ人間はこんなに外見が似ているんだ?全然見分けがつかない。100年も生きないから年齢の違いもわからない。はっきり分かるのは死にかけと生まれたての人間だけだ。性別も外見から判断することは難しい。ただ聞いた話じゃ、かつては外見も肌の色ももっと多様だったらしい。

「俺たちは、これからどうなるんだ?」

「さあな」

俺たちの扱いは案外雑だった。光の輪に囲まれたまま部屋の隅に置かれ、一顧だにされない。俺の横には、コーヒー豆の袋が置かれていた。この豆は話すことのできる豆だろうか?通信機による会話は錯覚といっても良いのだけれど、反面あらゆる物体とのコミュニケーションを欲してしまう。

人間と会話することはできないし、俺たちは人間の言葉が分らない。顔を近づけているから何かを話し合っているんだろう、時々俺たちのほうを見るから俺たちが話題に上っているんだろう。その程度だ。

「あっちの倉庫にいるよりいいんじゃないか」

植木が半ば諦めたように言った。元の場所に戻ってきたと言えばそのとおりだ。

「リー、さっきみたいに人間の頭に侵入することはできないのか?」

「この輪がどのくらいの範囲をカバーしているかによります」

簡単に潜り抜けたり、跨いだりできるものではないだろう。

「そういえば、死んだやつの頭から得た情報で、まだ言ってないものがあるんだろ?」

「ええ……」

植木に訊ねられたリーは2つの情報を俺たちに伝えた。

一つが人工惑星カショーで行われた実験に関する記録だった。寝坊助の故郷で仕事場だった人工惑星だ。

「カショーで行われていたのは、単なる仮設型人工惑星の建造ではなかったんです」

多くの掘削ロボットをスクラップにしながら、どでかい穴を掘っていたのはなぜなのか。カショーで行われていたのは新型人工惑星建造のための実験だった。ニッケルなどの金属や水素などのガスを凝集する方法は各地で行われている方法と同じだ。しかし多くの人工惑星は数百万年の時間がかかる凝集の過程を短縮することに失敗していた。

「EC+W/R」

「何だその式は?」

説明を続けるリーに思わず植木が突っ込みを入れた。俺は驚いた。でも黙ってリーの説明を聞く。

「分かりません。この式の明確な意味は人間の頭の中にはありませんでした。おそらく人間自身も式の意味を知らなかったのでしょう」

Eは電力(Electric power)、Cは……分からない、Wは仕事量(Watt)、Rは抵抗(Resistance)……。俺自身、知っていると口にするにはあまりに心許なかった。

「これは人工惑星の建造に関係する式なのかもしれませんね」

式を分解して解釈しても、今のところ意味はとれない。人間も同じだったに違いない。この式だけでは不十分だ。リーの話によれば、カショーで行われていたのは、密閉した巨大な容器の中で、惑星に必要な物質を最小限集め、極小の惑星を作った後、容器とともに最大限膨張させるというものらしい。

「この板が、惑星を造るための容器になるのか?」

俺の問いに、リーはいくつかの可能性を挙げた。

「カショー自体を容器にする、掘っていた穴を容器製造の鋳型にする、既に容器は出来上がっていて深い穴のなかで実験を繰り返していた、あるいはその全てかもしれません」

いくつかのディベロッパーは、小さな星の原型を作ることには成功していた。だがそこから大きく育てることはできない。小惑星に留まるもの、逆に急膨張してガスの塊になってしまうもの。後者は周辺の惑星や航路を危険にさらすためディベロッパーには管理責任及び賠償責任が伴うが、不法投棄される惑星の残骸は多い。わずかなガスと金属、鉱石で莫大な土地の権利を得られる。そんな文句につられ、人工惑星に投資する人間は後を絶たなかった。

「おまえはカショーにいたから何か知ってるんじゃないのか?」

寝坊助は、植木の質問に雑音で返すことも、3回光ることもしなかった。

「あいつの頭の中をその液体でスキャンすることはできないのか?どうせ通信機で会話できないわけだし」

「できます。みなさんの頭の中だって同じようにスキャンできますよ。ただやりたくないだけです」

「どうして?」

「自分の頭の中を覗かれたくないんです。だから他の生物の頭も覗きたくない」

死んだ人間やいろんな生き物の頭をスキャン……と言いかけてリーは言葉を切った。誰にでも言いたくないこと、やりたくないことはある。

「3つめは?」

沈黙を打ち消すように植木が確認した。間をとってからリーが再び説明を始めた。

「この船に人間は1人もいないそうです」

虚を突かれたが、すぐに意味を考え始めた。素直にとれば、目の前にいる5人の人間は、人間ではないということになる。

「人造人間か?噂には聞いたことがある」

「こんなに精巧な人造人間ができたという話は聞いてない」

植木が冷静に否定した。人間を造るのは、星を造る以上に難しい。土地と金のことしか考えていないように見えても、人間は案外複雑な構造をしているみたいだ。

「関連する情報はないのか?」

「情報が未整理で、持ち主が強く記憶している部分をお話ししているだけなので」

「落ちてきたやつの死因は、バクテリアだったよな?」

「そうですね」

「ここにいる人間の頭もバクテリアに侵されている可能性はないか?」

俺も植木と同じことを考えていた。人工バクテリアといっても種類は様々だ。みんな仲間や親戚というわけではない。俺みたいに良いやつもいれば、人間の頭の中に入り込んで悪さをするやつもいる。ただし人工バクテリアが人間の身体に入り込んで、この船を占拠しているとしても、俺たちの敵か味方か判断するのはまだ早い。

「敵の敵は味方、なんでしょうか?」

他の難民とは別に、俺たちをこの部屋に隔離したこと、まだ誰も殺されていないことを考えると、人間の頭の中にいるバクテリアと交渉する余地は残されている。でも、どうやって?

「聞こえますかー」

リーが大胆な行動に出た。なるほど、相手が人工バクテリアであれば通信機を使ったコミュニケーションが可能かもしれない。ただ相手が乗ってこなければ周波数を合わせることは難しい。さて、上手くいくか。

「聞こえますかー」

俺も植木も寝坊助も、黙って相手の反応を待つ。この部屋には、人工バクテリアを頭に飼っている人間5人と俺たちしかいない。通信機をもった難民たちと混線する可能性は低い。

「聞こえる」

返事があった。

「何、聞く?」

なぜか片言だった。通信機が生成した口調だからどうしようもない。意味がとれるだけましだ。

「あなたたちは、人間の頭の中にいるんですか?」

「そうだ」

「あなたたちは、人工バクテリアですか?」

「そうだ」

頭の中にいると主張する人工バクテリアは、姿が見えない分、よけいに不気味だ。とても自分と同種の生命体だとは思えない。バクテリアたちは、リーの質問に答える形で、少しずつ自己紹介を始めた。

バクテリアは、人間の頭に入り込むことで人間の基本的な行動をコントロールしているものの、感情や信条を完全に支配するには至っていないとのことだった。味方同士で撃ち合うように仕向けたり、「人工バクテリア万歳」と発声させることはできても、人工バクテリアに服従させることはまだできていない。他方、理性的な思考や計算、計画といった面については徐々に人間の思考を支配しつつあった。

「挑戦、あるのみ」

殊勝な言葉に共感しそうになったが、やり口には同意できない。寄生するタイプの生物はたくさんいるが、このバクテリアと人間の関係は共生ではなく、支配、被支配の関係だ。訊きたいことはあったが、リーに交渉の窓口を1本化する。

「私たちを捕まえて、どうするつもりですか?」

「おまえたち、守る」

「守る?」

「おまえたち、必要。あれが、そう考えた」

片言で長尺の説明が続いたが、大まかには次のような経緯らしい。

人工バクテリア、正式名称は人工多機能型細菌A5型。A5と聞くと理由もなく高級な印象を受けるが、人工バクテリアの中では初期の型で、だからこそ機能が細分化した最新型よりも生存率が高い。人工バクテリアは、植物に進化する可能性も秘めているため、人工惑星における生態系の基盤として開発が進められた。しかし人工惑星そのものがとん挫しているため、進化の機会を与えられないまま冷凍庫で眠っていた。

さらに悪いことに、一部の型が病原となるウイルスに変異したことが確認され、まとめて焼却処分されることになった。死ぬわけにはいかない、という意識がその当時あったかはともかく、本能のままに脱出する方法を探した。炎の中から自分たちを救い出してくれるのは、自分たちを創り出して焼き殺そうとした人間しかいなかった。バクテリアたちは、人間の身体を救命艇にして生き延びた。

高度な分化、発達能力を持っていたバクテリアは、人間の脳に寄生することで、思考やある種の言語を手に入れた。人間の舌を使って話すことができる一方で、人間の身体から一歩出ると、単細胞生物に戻ってしまう。通信機を使って「人間」と話しをするという貴重な機会を得られたのも、数奇な進化の過程のおかげなのだ。

さて、そんな彼らの野望は?

「私たちの星、造る」

バクテリアたちは、人間の思考だけでなく記憶を手に入れようとしていた。彼らが目をつけたのが、人工惑星の設計図と製造方法だった。人間が苦心して積み上げた実験の成果を利用し、自分たちの安住の地を作ろうとしているのだ。バクテリアたちは、建設現場や実験場を行き来する資材運搬船や、労働者を運ぶ難民船に目をつけた。技術者や高官が乗船する機会を窺い、有望な計画を探し続けた。そして見つけたのがあの板だった。

「勝手に探して、集める。星に必要なもの。あれ、賢い」

俺たちが予想したとおり、板はカショーで製造された人工惑星を造るための容器らしい。最大の特徴は、予めインプットされたプログラムに沿って、惑星を造るために必要な材料を自ら集めることができる点だ。宇宙を漂いながら水素、ヘリウムなどの気体や金属、鉱石を集めてくるのだ。唐突に、魚を釣ってくるまな板、小麦を収穫する製パン器という喩えが浮かんだ。

バクテリアの言うことが本当なら、俺たちは何らかの意味で、惑星を造るのに必要な存在だということになる。寝坊助はカショーから来たし、いかにも貴重そうな岩石を背負っているから、ロボットとしての末路はともかく、星の一部になる可能性が高い。リーも、情報を獲得するのに大きく貢献している。植木はどうだろう。よく喋る、リーダーシップがある……まだ分からない。できた後ならともかく、恒星や惑星が誕生する過程に植物が居合わせたら、焼け死ぬかバラバラになるかのどちらかだ。

「俺も、何かの役に立つのか?」

「知らない。あれの考え、わからない」

リーとバクテリアの会話に割り込んだが、大した答えは得られなかった。

「EC+W/Rという式を知っていますか?」

「知らない」

嘘っぽいが、こう片言では嘘か本当か判定するのも難しい。

「あなたたちは、星の作り方を知っているのですか?」

「知らない。全部、板、知ってる」

バクテリアたちが人間の知識や記憶を完全に入手できていないだけなのか、板をつくった人間でさえ板がどのような行動をとるか把握できないのか。

「はじめチョロチョロ、なかパッパ」

バクテリアが口にした言葉に俺は再び驚いた。難民船で聞いた他愛のないジョーク、隣にいた鼠の軽口が蘇った。

「それは、どういう意味ですか」

「火加減」

「それは知ってる」

「チビ、知ってるのか?」

「星の作り方とどう関係あるか聞いてるんだ」

「火加減、大事。最初すごく熱い、次に大爆発、でも、星、バラバラ、ならない」

もしかすると板は単体では星を造ることができないのかもしれない。何か加熱する装置が必要なのだ。

「で」

「で?」

「フローガ、いく」

難民船の行く先は人工惑星フローガだった。

フローガは着工当時最新の工法で建造が進められた人工惑星だ。フローガの設計者は、天然の星が誕生する過程を忠実に再現する方法を採った。ガスの塊を作り、鉄やニッケルを中心とする塵を凝集させ、星のコア部分を形成し、水や酸素、窒素など人間が必要とする物質の誕生をまつ。本来なら100万年以上かかる過程を、別の惑星で作ったガスや金属を持ち込むことで短縮できるはずだった。

ガスの塊はできた。だがその後が続かなかった。陸地の種はあちらこちらに誕生したが、どれも星全体の地層にはなりえない脆弱なものだった。小さな塊のまま、重力に抗うことができず、ガスの溜まった中心部分へ落ちていく。あるいは、外側へ飛散してしまう。内と外、2つの方向に働く力のバランスが完全に崩れてしまった。

残った塊も期待された速度で周囲の塵を取り込むことができない。お粥のようにドロドロと融けた中途半端な「陸地」が高温のガスの中を浮遊している。ガスの塊からいかにして物質が集まり、大きく育つのかという長年の疑問が解消されないまま着工したことが失敗の原因だった。

造成作業は、移動式の足場で行われる。払い下げの宇宙ステーションを改造したものだ。耐熱服と称する宇宙服を着ても、熱さで30分と作業を続けることができない。死亡事故は日常茶飯事で、ガスを吸引したり、規定以上の時間作業することで焼け死ぬ例が多い。

一番の問題は、何のための作業なのか誰も分からなくなっていることだった。当初は金属や岩石を収集し、再度陸地の造成に着手すると言われていたが、現在は調査のための収集、異常の有無の監視、点検へと名目が変わっていた。作業を止めて、滅びるに任せるのが良いのは皆わかっていた。地権を記した紙切れが、それを拒んでいた。

「いっしょ、造る。おまえたち、大事、たぶん」

「誘われてますが、どうしますか?」

「どうするって言っても、輪っかに縛られてる状態じゃどうしようもないだろ」

植木の返答は至極もっともだ。

「いっしょ、探す」

バクテリアはそう言うと、突然俺たちの拘束を解いた。

「あと一つ」

「あと一つ、何が必要なんですか?」

「知らない」

鉱石と液体コンピューターと、植物とバクテリアがいる。正直、寝坊助以外は何に必要なのか判然としない。

「ガスだ」

「ガス?」

「最初の種をつくるためのわずかな気体が必要だ。だが、どこにあるのか見当がつかない」

自由に動けるようになっても、どこへ探しに行けばいいのかわからない。原初の惑星を構成する主な気体は水素とヘリウムだ。もしこれらの気体が船内のどこかに溜まっているとすれば、爆発の危険がある。

「ガス、探せ」

ガスをどうやって探すんだよ、と言いかけたところで、バクテリア人間の背後の扉が開いた。

あっという間だった。隣の区画に潜んでいた、バクテリア人間と同じ格好をした普通の人間が十数人現れ、バクテリア人間を全員射殺した。俺たちに向けて何か言っている。何度も言うように、俺たちには人間の言葉はわからない。

俺たちは金属で編んだ網で捕獲された。バクテリア人間と比べて、ひどく原始的だ。

「短い自由時間だったな」

「まあ、ここで死ぬことはあるまい」

板の話をきいたせいか、植木には余裕があるようだ。

人工バクテリアに話しかけてみたが、返事はなかった。脳といっしょに死んだのか、息を潜めて脱出の機会を窺っているのか。しかし人間たちは非情だった。船底の脱出口を開けると、バクテリア人間の遺体を船外に投棄した。さよなら、仲間たち。

人間は俺たちを留め置いたまま、次の区画へ向かった。

「板ですね。下手すればこの船ごと爆破して板と我々だけ連れ去る気かもしれません」

「だけど、まだ材料が揃ってないんだろ?」

「今ごろ必死に探してるんじゃないですか?」

難民のいる区画へ捜索に向かった十数人とは別に、次々と同じような格好をした人間たちが乗り込んできた。

「こいつらは本物なのか?」

俺が尋ねると、植木は間をおいた。まさかバクテリア人間を見分けられるのか?。

「数と隊列からみて、政府軍を装った賊ではないようだ」

「そっちね」

「何?」

「いや、何でもない。じゃあこの船も……」

「取り囲まれてる。俺たちは投降寸前だ、だけど大丈夫」

自信に満ちた植木の姿は少し大きく見えた。いや、実際に植木は大きくなっていた。

船全体が揺れた。板が動き出したようだ。また多くの生命体が死ぬ。だがこの船はフローガに向かっているのだ。フローガで労役に従事させられて、生きて帰ることのできる者はほとんどいない。90度以上傾いた船室が、徐々に平衡を取り戻す。人間たちは難民の区画を次々切り離して、船を守ろうとしているのだろう。

どさくさに紛れて、植木は既に高さ2メートル、幅も50センチを超えていた。1度しかできない成長とはこれか。

「出るぞ」

そう言うと、植木は金属の網をかぶったまま脱出口から飛び降りた。俺たちも網に引きずられるように道連れだ。

目に入ったのは、俺たちがいた船を取り囲む巡航艦だ。ボロボロになった難民船を撃ちたくてたまらないように見える。だけど艦隊の横を落下していく生き物や、区画の残骸には全く反応しない。

板は、板ではなく巨大な球体になっていた。後から分かったことだが、それは球ではなく上部が大きく開いた巨大な釜だった。ワープ航路を落ちていくというのは不思議な感覚だと思ったら、俺たちは既に航路を抜けていた。このまま消えてしまうのなら、所詮俺たちは必要のない存在だったということになる。成長し続ける植木も、タイミングを間違えたということになる。リーの姿も、寝坊助の光も見えなくなった。

しかし、釜になった板はしつこかった。俺たちは、三度釜の底で再会した。あの世に行っても連れ戻されそうだ。

「大丈夫、ですか?」

「俺は大丈夫だ。寝坊助は、やばいかもしれないな」

寝坊助はロボット部分の脚が折れ曲がり、ボディが斜めに歪んだまま元に戻らないようだった。落下中に難民船の残骸に衝突したのかもしれない。それでも岩石を手放さないのは、寝坊助というより釜の執念だろう。とりあえず背中の岩石だけが戻ってきた、ということにならなくてよかった。

「植木は?」

「上です」

瞬く間に巨大化した植木は、蓋となって開いた釜の上部を塞いでいた。びっしりと張り巡らされた枝と葉は、蓋の役割を果たすのに十分だった。俺は植木の正式名称を思い出した。モウジョウ科ジャイアントシーズニング55型。まさに名は体を表すだ。

「すごいな、植木」

とりあえず話しかけてみた。

「正直、こんなにでかくなるとは思わなかった」

「巨大化して、中に入れなくなっただけ、ということではないんですか?」

「そうだとしたら悲しいが、成長するタイミングは間違いじゃなかったと思いたい」

しばらく眺めていたいほど見事な成長ぶりだ。

「それよりおまえら、そこにいる新メンバーに気をつけろ」

最初植木が何のことを言ったのかわからなかったが、光が何度か差し込み、「新メンバー」の身体を通過したところで、何者かわかった。

それは人間の赤ん坊だった。わずかに体を上下させながら眠っている。もしかすると難民船で何度かみかけていたかもしれない。

「人間の赤ん坊が、こんなところで眠っていられるのか?」

「普通の人間ではないと思います」

「またバクテリア人間か?」

「バクテリアが頭にいてもいなくても、人間は宇宙服なしで、宇宙空間に生きることはできません」

「じゃあ、こいつは何だ?」

「調べてみましょう。ただ……」

「何だ?」

「ちょっと休みませんか?」

俺はリーに同意した。難民船はフローガに近づいている。生きるのがバカバカしくなったと言えば言い過ぎだが、これだけ振り回されたら戦略を立てる気も起こらない。明るすぎるフローガの光が、植木の隙間から釜の底に差し込んでいた。

 

 

 

俺は自分がどこで生まれたのか、どこで育ったのかはっきりと覚えていない。おそらく、多くの菌や植物と同じく、実験室の試験官か水槽だろう。培養器の番号を探り当てたところでそれは故郷と呼べるものではない。だから俺は自分の先祖が生まれた場所を故郷だと決めている。俺の先祖は地球で生まれた。金色に輝く大地で。

板は遂に巨大な釜になった。俺たちは釜の底から、蓋となったビッグな植木を見上げていた。寝坊助はぴくりともしない。死んでしまったのか、通信機で話しかけても反応はない。背負った岩石に押しつぶされるように、じっと横たわっていた。リーは収集したデータの解析を続けていたが、焦っていると同時にどこか上の空だった。

「人造人間って、どれもこんな感じなのか?」

「この赤ん坊は、人造人間といっても外観が人間に似ているだけで、極めてシンプルな構造のロボットだと思います。赤ん坊の姿かたちをしているのも、無用な疑いや攻撃を避けるためなのでしょう」

人間、バクテリア人間、人造人間。人間にもいろいろな種類がある。

「問題はこの人造人間の中に何が入っているかですね」

目の前には、俺から見れば巨大な赤ん坊が眠っている。板、もとい釜が呼び寄せた5番目の仲間は、人造人間の赤ん坊だった。素っ裸のまま、仰向けの姿勢で眠っている。自分がなぜここいるのか、考えても無駄に思えてきた。

「フローガは目の前だ」

「植木、無理して喋らなくていいぞ」

「うるさい」

元の植木がどの辺りにいるのかも分からないくらい枝葉が繁茂している。通信機は一番堅いところで守っているから大丈夫、というのが植木の説明だった。

厚い釜の中にいても、熱を感じた。外の様子を眺めることはできないが、「焼死体」の異名をもつ人工惑星フローガの入植ゲートに到着したようだ。フローガは、造成を担当したバーニングフロンティア社によれば、あと1か月もすれば地権者の入植を開始できるとのことだった。そう記載された広報のページが50年以上更新されていないのだから、どんな状況かは想像がつく。

「熱い!」

植木が焼け落ちるのは時間の問題だろう。フローガでは人間だろうが植物だろうがろくな死に方をしない。

「植木、外はどんな感じだ?」

俺はからかうように尋ねた。命尽きるまで喋っていれば良いではないか。

「審査待ちで船が渋滞している」

建設現場あるあるだった。強制的に人手として徴収しておきながら、なかなか中に入れてくれない。早く作業に参加したくてたまらない者など皆無だから、引き返したくてたまらない。なのに勝手に踵を返すと、現場を取り仕切る、ならず者あがりの監視員に容赦なく撃たれる。じっと息を潜めて、死ぬための列に並ぶしかない。

「うおっと」

びっしりと張り巡らされた植木の枝に生物が引っかかっていた。枝の隙間から前脚や尾の一部が見える程度だが、毛に覆われているところをみると哺乳類かもしれない。

「助けてくれ」

「無理だ」

「中に入れてくれよ。そうすれば助かるんだろ?」

「諦めろ」

通信機を通じて植木と枝に引っかかった生き物の会話が聞こえる。植木が通さなくても、釜が中に入るのを許さないだろうと思っていたら、案の定釜の斥力によって宇宙空間へ放たれた。枝を掴もうとする前脚に哀しさを覚えなかったわけではないが、フローガの周囲は逃げ出した生物であふれている。一匹救ったところで、どうにもならない。

「俺もそろそろだ」

植木の声は弱々しいものだった。釜は順調にフローガへ向かって移動していた。板状だった時よりも速度が落ちたように感じたが、すっぽりと包まれているせいだろう。難民船に乗っていると時間が止まったようなのに対し、吹きっさらしの状態で板の周囲に浮いていた時は全身で板の速度を体感していた。

「俺たちはこのまま焼け死ぬのか?」

「死ぬのは間違いありません。僕たちの推測が正しければ、今からここで起きることは、生死を超えた事態です。でも、まあ、死にます」

「リー、おまえはどうやって死ぬ?蒸発するのか?」

「僕は重合体というものなので…と説明する元気がないので一言で言うと、水のように沸騰して気体になるわけではありません。でも、まあ、死ぬんです」

俺たちは灰になるためにここにいるのだろうか。リーが説明したとおりだとすれば、何らかの役割が与えられているんじゃなかったのか?

「この赤ん坊は、何を隠し持っているんでしょうね?」

リーの問いかけに、俺は自問自答を中断した。釜が難民船を破壊してでも探し出したのが、この赤ん坊だ。

「殺して中身を確認するか?」

「道具がありません。我々は、物理的には非力に過ぎます」

リーが液体を這わせてスキャンしたものの、大した情報は持っていなかった。プログラムに従って、惑星を造るのに必要な物体を引き寄せるんだろ?案外アルミ缶とスチール缶を分ける磁石と同程度の能力しか持ってないということなのか。

「熱い……って言うと余計熱くなりそうだから言いたくないけど、熱い」

植木が燃え始めていた。フローガの周囲は可燃性のガスで満ちているため、燃え方も派手だ。火のついた枝葉は釜の力によって宇宙空間に飛散していく。黒焦げになりながら俺たちに話しかけようとするのも植木なら、消えていく灰も植木なのだ。通信は間もなく途絶えるだろう。

「最後に何か言い残したいことはあるか?」

「おまえこそ何かあるだろう?」

聞き返してきやがった。最後まで虚勢を張るつもりか。

「いいんだよ、おまえの方が先に死ぬんだから」

「……そうだな」

植木は少し間をとってから呟いた。

「さっきの犬っころ、助けてやればよかったな」

植木の中心部分が一気に崩れて吹き飛んだ。植物としての面影はなく、最後の姿は大きな炎の塊でしかなかった。

植木が消えて目の前に現れたのは、荒れ狂うフローガの姿だった。直径7000キロの星において、移動式の作業場など小さな粒にすぎない。赤、オレンジ、黄色、黒と色彩が変化し続ける表面は、労役に従事する全ての生命体に死を覚悟させるに十分だ。

恒星にも惑星にもなり損ねたフローガは、目を背けようとする者や、恐れおののきながら近づいて来る者に問うている。自分は何のために生まれてきたのかと。

ガスが吹きあがり、想像以上の速さで大きな岩石や金属片が表面を移動すると同時に、重力に耐え切れず中心部分へ落ちていく。釜の底から見上げるフローガは、遠近感が失われたことも手伝って、すぐ目の前にあるように感じられた。

「あれ」

見上げるとひらひらと植木だった燃えかすが舞い落ちてきた。釜が発生させる強い力の間をすり抜けて、火がついたままの枝が釜の底にぽとりと落ちた。

「はじめチョロチョロ……」

リーの独り言が妙にはっきりと聞こえた。

ガスが周囲になくなっても、植木は熾火のごとく燃え続けていた。植木の熱に刺激されたのか、眼前に迫ったフローガの熱さに我慢ができなくなったのか、赤ん坊がごろりと寝返りをうった。赤ん坊はこんなにスムーズに寝返りをうつものなのか?いつもなら植木に訊ねるところだが、そばで燃えている植木は答えてくれそうにない。あいつなら、人造人間だから何でもありだろ、とでも答えるだろうか。

赤ん坊は目を開いた。俺の何倍もあるその姿に可愛さなど微塵もない。人造人間に会うのは初めてだ。動きが読めない。赤ん坊はのそのそと俺の方に向かってくる。極小で培養器に入った俺は移動するのが苦手だ。

「こいつ、何する気だ?」

「彼は決まった目的のために動いているだけです。彼が動き出したということは、あと少しだということです」

釜はゆっくりと上昇していた。フローガの中心部分へ突っ込んでお陀仏かと思いきや、釜はフローガの表面を這うように上っていた。赤ん坊と目があった気がした。俺のことが見えているのか。幼い眼は、小さな容器と小さな生物を捉えていた。

「チビさん」

「何だ」

「こんな時に申し訳ないのですが、チビさんに言っておかなくてはならないことがあります」

「だから何だ」

「チビさんは、人工バクテリアではありません」

俺は突然自分について断言され、返す言葉を見つけられなかった。

「何を言ってるんだ?」

「チビさんが何者であっても、私には関係のないことです。だからとっても大きなお世話なんですが、みんなもうすぐ死ぬかもしれないと思うと、言わずにはいられなかったんです。チビさんは、なぜかは知りませんが、自分のことを人工バクテリアだと思ってますよね?」

「違うのか?」

「違います」

「じゃあ、俺は何なんだ?」

「米粒です」

「米粒?」

「米の粒です」

「それは知ってる!」

違う、俺は人工バクテリアだ。確かに俺たちは人間みたいに自分のアイデンティティーを常に確認し、修正することはできない。外見も思考も俺たちを作った人間に与えられたものだ。だけどバクテリアと米が違うことくらいは分かる。

「僕の推測では、容器が問題だったと思うんです」

「どういうことだ?」

「チビさんが入っている培養器は、人工バクテリア用のもので、そこに米粒であるチビさんが入れられて、他の人工バクテリアといっしょに管理されていた」

頭の整理がつかない。俺は人工多機能型細菌で、人工惑星が完成した暁には、全ての生命の根源になるはずじゃなかったのか。米の粒って、単に人間に食われるだけの、頬とか足の裏にくっついてるだけの、およそ宇宙空間では生存できない存在じゃないか。俺は人間の脳を支配した、あのカッコいい人工バクテリアの仲間じゃないのか?

「チビさんが米粒でもバクテリアでも、僕たちとしてはどちらでもいいんですけど、チビさんが最初から自分は人工バクテリアだって言い張るから、そういうことにしておこうかって」

「俺が米粒だとしたら……」

「米粒ですよ」

「うるせえ!米粒だとしたら、俺は何のためにここにいるんだ?惑星を作るのに必要な物が集められたんじゃないのか」

「確かに、今の時点では何の役にも立たないし、米が育つような人工惑星は今の技術じゃ造れないでしょうね」

「じゃあ俺はなんでここにいるんだよ!」

米粒の俺が絶叫したときには、俺の目の前に赤ん坊の口があった。死角から近づいてきた赤ん坊の右手が俺をさらい、口の中へ運ぶ間、俺はどうすることもできなかった。俺は赤ん坊の口の中でごろごろと転がされた。味わっているのか、異物を排除しようとしているのか、とにかく匂いを感じられないことに感謝した。

俺は死を覚悟した。自分がどうでもいい米粒であることをまだ受け入れられていなかったが、この世に未練はない。外ではリーが「チビさん!」と泣いているのだろうか。「米だから食われたんじゃね?」と笑っているのだろうか。いずれにしても、さようなら。

「おかえりなさい」

さよならは少し早かったようだ。俺はものすごい勢いで赤ん坊の口から吐き出された。培養器ごと釜の底に激突し、転げまわった。事態を把握できない俺にリーが教えてくれた。

寝坊助が、赤ん坊の額めがけて渾身の投石をしてくれたのだ。礼を言おうと寝坊助の方を見ると、寝坊助はパッパと2回点滅した。そして、その後2度と光ることはなかった。

「おぎゃあああああああああああああ」

赤ん坊の泣き声に、釜全体が揺れた。赤ん坊は口とケツからガスを吐き出している。

「やっぱり単純なつくりでしたね」

「俺と寝坊助の連携プレーだな」

水素とヘリウムだろうか。釜の中をみるみるうちにガスが充たしていく。

釜はフローガの極点に到達しようとしていた。燃え盛る炎の上に、ちょこんと釜が乗っかる。ガスが高温の炎に変わり、多少使ってしまったが、寝坊助が運んできた岩石が融け、惑星のコアを形成していく。凝集の過程を短縮するとはいっても、俺たちは見届けることはできない。釜は計算どおり、拡散するガスと金属を抑え込み、中心部分を形成することができるのか。結果が分かるのはずっと先の話だ。

「赤子が泣いたら蓋をとれ」

「赤子が泣いても蓋とるな、です」

俺はやっと自分の故郷を思い出すことができた。水にあふれた、金色に輝く大地。

「僕が思うに、チビさんは人間にとっての希望だったと思うんです。チビさんは、自分たちの故郷となる惑星を失って、人工惑星の建設を性懲りもなく続ける人間たちの理想なんです。

人工惑星の建設が成功しないのは、技術的な問題だけじゃありません。一番大きな理由は、人間が地球に似た惑星を造ろうとしてきたことです。生きていくためだけの惑星なら、現在の技術でも造ることはできます。でも彼らは、地球と同じ、いや『地球』を再び造ることを求めてやまない。だから多くの犠牲を払ってでも星をつくり続けるんです。彼らは宇宙のどこかでもう一度コメが育つと本気で思っています。そう思わなければ、人間はこの宇宙で生きる意味を失ってしまう。チビさん、それこそがあなたがここにいる理由です」

最後に語ってくれリーの言葉が、正しい推測なのか、何のために生まれて来たのかうじうじ悩んできた俺が聴いた幻聴なのか、それはわからない。ただ俺が知っている式の意味はわかった。

「EC(電気炊飯器 Electric Cooker)+W(水 Water)/R(米 Rice)」

米を炊くように惑星を造りたいのか、創った星で米を炊いて食いたいのか。どちらにしても人間は俺のことが好きでしょうがないらしい。コメが栽培できるかできないか、当の米粒にはどうでもいいことだが、せっかく星を造るなら、俺も植木もリーも寝坊助も、みんなが乗っかることのできる星がいい。1つの星にしがみついたり、他のやつらを犠牲にするのはもうたくさんだ。

俺はもうすぐ吹っ飛ぶ。本来の使命を果たすのは難しいようだ。釜の上部を見上げると佃煮にしても足りないほどの星が輝いていた。

 

文字数:32574

内容に関するアピール

単なる寓話ではなく、SF小説としてどのように成立させるか?これが本作の大きな課題でした。

本作におけるSFとしての軸は、人工惑星の建造をめぐるストーリーです。本作にいう人工惑星は、本文にあるように、現在一般的に言われる人工惑星=主として恒星の周囲をめぐる人工衛星のような観測機器及びその残骸とは異なります。恒星や惑星の成り立ちを基に、人間の手で星を造ることができるようになった、という仮定のもと、単なる小惑星の開発から、星の誕生の再現へと進むという展開を辿っています。主人公たちが巻き込まれた製造方法は、比喩としての側面もありますが、惑星の成り立ちに関する様々な知見を反映させました。

もう一つが、コミュニケーションをとることができない者同士が、機械によって仮構された会話を媒介として、そこに加われない者も含め、絆を深めていくという展開です。こちらは、人間でない主人公が語り手であることも含め、本作がフィクションであることに大きく依拠している面はあるものの、単に話せる存在と設定するのではなく、SF小説としての説明を試みました。

 

他方、本作の魅力の中心が寓意にあることも確かです。

一つは、終盤で説明されるように、星を造るという作業そのものが、地球という特定の惑星への固執をモチベーションにしており、それゆえ失敗を続けているという背景です(おそらく本当に人工的に惑星を造るのであれば、典型的な星とは別の機能的な場になるだろうと思います)。

もう一つは、人間を「人間」と一括りに表記し、人間以外の者に名前を与え、主たる登場人物とした点です。人間という存在を相対化することを意図しています。

 

そして最後に、何よりも、コミカルな冒険小説として楽しんでもらえれば嬉しく思います。

文字数:729

課題提出者一覧