道具箱

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道具箱

 住職も歳を取ったな。
 経を読む声にはまだ艶があったが、袈裟懸けの上に載った白髪の後頭部を見ながら芳雄は思った。自分が五十代半ばだから、住職は七十を超えているだろう。
 今日は父親の三回忌である。亡くなったのは八十五歳。あと十年は生きるだろうと思っていたが、寒い日の早朝に心臓発作を起こしてしまった。父親より七歳年下の母親は元気だが、そろそろ一人にもしておけない。趣味の音楽を気兼ねなく聴きたいから一人暮らしがいいという母親を押し切って、芳雄は実家への引っ越しを決めた。
 法要が終わり、母親と住職はリビングに座って思い出話をしている。
「散らかっていてすみませんね。」
「いえいえ、一緒に住まれるのはいいことですよ。お二人でたまには、寺に遊びにいらしてください。」
 リビングには芳雄の家財を詰めた段ボール箱が積まれていたが、独身の芳雄の荷物はさほど多くはない。芳雄は黙々と茶を淹れた。

 父親は小さな町工場のエンジニアだった。仕事が生きがいで定年退職してからも、七十を超えるまで毎日工場に通っていた。地元の小学校を出た後、芳雄は当時は珍しかった中高一貫校に通った。最初は理系のつもりだったが高校に入って文転し、法曹界で評価の高い有名私大の法学部に進んだ。
 段ボール箱はほとんどが法律関係の書物と、大量の文庫本である。芳雄は本が捨てられない性格で、物心ついて自分で買い始めた頃からの本をずっととってあった。
「古い家がますますカビ臭くなりそう。そんな茶色くなった本なんてうちにはなかったのに。よっちゃん、あなたの部屋に置きなさいよ。」
 と母親に文句を言われた。

 大学に入り、芳雄は司法試験を目指したが、二浪した時点であきらめ、結局は司法書士になった。都心の小さな事務所に勤め、そのまま雇われの身でコツコツと働いてきた。仕事は好きではなかったが苦手でもなかった。人間、好きなことで食べていける者など滅多にいない。できることを地道にやるしかない。独立のチャンスはないでもなかったが二の足を踏んだ。結婚と同様、タイミングを逃したのだった。とはいえ五十の声を聞くと同時に協同経営者にしてもらえたのだから文句はいえない。

 住職が帰ったので、芳雄は引っ越し作業の続きを始めた。腰を痛めないように二階に段ボール箱を運ぶ。幼いころから使っている、長い板を左右に張り渡しただけの中央が撓んだ作り付けの本棚は、あらかた文庫本で埋まってしまった。法律書はとても置ききれない。会社にでも置いてもらおうか。
 少し軽めの箱を開けてみると、手当たり次第に放り込んだガラクタが詰まっている。引っ越しの前に整理すべきだったなと思いながら愚図愚図と取り出していると、黒いコードに絡まったハンダゴテと、ハンダのロールが出て来た。
「懐かしいな。これは捨てられない。」
 と芳雄は思い、絡まった電源コードを引きずりだして、細身で小ぶりなハンダゴテを取り出した。ロールにはヤニ入りの1.6ミリ径ハンダが綺麗に巻かれていて、まだ半分以上残っている。芳雄が司法書士事務所に勤めてしばらくしたころ、趣味で電気工作を始めたときに買ったものだ。雑誌の製作記事で推薦されていた、30ワットの精密作業用ハンダゴテとハンダである。他にもラジオペンチやニッパーが出てきた。
 芳雄は生業としている文書仕事に似合わず、子供のころは工作が大好きな少年だった。プラモデルは沢山作ったし、タミヤのモーターを使った工作もいろいろやった。小学校の頃自分は理系だと思っていたが、かわいがってくれた小学校の先生が言った、
「芳雄くんは口が立つから弁護士に向いてるわ。絶対に優秀な弁護士になると思う。」
 という言葉が呪いのようにつきまとい、ついには文転することになった。
 ところがやがて、むらむらと工作欲がぶり返し、司法浪人中にオーディオ工作にはまった。いくつかアンプやスピーカーを作り、出来のいいものを親にあげた。母親の音楽好きもそれが嬉しかったのがきっかけだろう。芳雄自作のオーディオセットを今でも茶の間で使っていて、昭和の初めに流行ったオペラ歌手のレコードなどを繰り返し繰り返し聴くのだった。
 司法試験に失敗したのは、この工作熱が原因の一つだったのかも知れない。そう思うと辛いので、芳雄は若い頃、実家にあまり帰らなかった。茶の間の自作オーディオセットを目にすると、否応なしに思い出してしまうからだ。

 そんな詮無い回想を振り払い、
「さて、これもしまっちゃおう。」
 そう思ってハンダゴテとハンダを持ち、芳雄は階段を降りた。母親は流しで法事の後片付けをしている。玄関を出ると、金木犀のいい匂いがした。庭木は父親が丹精したものだ。
 庭師に作らせたちゃんとした日本庭園だ、というのが父親の自慢だった。戦中派最後の世代にとって、石組みの池、灯篭、松の門囲いは憧れだったのだろう。芳雄の価値観では全くピンとこないので、正直、今後ここに住むにあたってどうしようかと思わなくもない。だが季節の折々に違った表情を見せる庭の木々は、確かに風情豊かではある。秋に咲く金木犀の花の香りは、古臭くはあるが安らぎを感じさせた。
 金木犀の木の横に一坪ほどの物置小屋がある。器用だった父親が建てたものだ。芳雄が物心ついた頃にはもうそこにあった。クルマの脇を通って物置小屋の扉を開ける。中は薄暗く、土の匂いがした。園芸好きの父親が残した庭いじりの道具が綺麗に壁の棚に整理されている。おそらくどれも、今でも使えるだろう。エンジニアだった父親は道具の手入れを怠らない人だった。
 奥の壁際には小ぶりな古いタンスが置かれている。我が家の道具箱である。芳雄は懐かしさにしばしそのタンスに見とれた。父親が祖父からもらったものだ。

 岐阜の本家は先祖代々の農家だったが、祖父の夢は菓匠になることだった。次男だった祖父は、京都の菓子屋に奉公に出る以前、農作業が終わった夜の時間に、どこからか調達してきた木枠やヘラなどの菓子道具を使って、見よう見まねで菓子作りの練習をしたらしい。件のタンスは、そうした道具を収める収納にしていたもので、一段目に浅い引き出し、二段目と三段目に深い引き出しがあり、金属の輪で作った取っ手がついていた。
 やがて祖父は菓匠になる夢を叶え、京都に小さな店を開き、一家を構えた。だが長男だった父親の兄は戦死してしまい、落胆した祖父はせっかく始めた菓子屋を一代で畳んだ。
 中学を出た父親は京都から東京に出てきて、秋葉原の電気屋に住み込んで奉公した。実家からの餞別にもらい受けたタンスの道具箱は電気屋のバックヤードに置かれ、引き出しには菓子道具に代わって電気部品や工具が入り、客が持ち込むラジオやステレオの修理で活躍した。父親は結婚し、その後、鉄道用の熱交換器を製造する町工場に就職して腰を据えて働き始めた。
 道具箱は、東京の東の彼方に両親が建てたこの家にやってきた。三段目の引き出しには日曜大工の道具が仕舞われた。やがて道具箱を取り囲むように、物置小屋が出来た。

 芳雄はしゃがみこんで、道具箱の二段目の引き出しを開けた。記憶の通り、電気工作の道具がしまってある。完全に茶錆で覆われた父親のハンダゴテがあった。削って短くなったコテ先、塗装の剥げた木製の取っ手。電源コードの皮膜は布製である。その横にはゆでる前のうどんのような形状に丸められた鈍い黒色の金属。父親が秋葉原時代に使っていた半世紀以上前のハンダの残りである。靴墨のような古びた平たい缶は、溶けたハンダを金属になじませる松ヤニだ。秋葉原の電気屋で、親方からもらったものだと言っていた。
「これはいよいよ懐かしい。」
 芳雄はつぶやいた。

 


 

『人間椅子』を読み終わると小学校四年生の芳雄はため息をついた。これで図書室の江戸川乱歩は読みつくしてしまった。午後の授業まではまだ時間がある。芳雄は図書館の窓にへばりつくと、いつものように校庭を眺め下ろし、英子(えいこ)の姿を探した。猛禽類のような視線で校庭を走査した芳雄は、鉄棒で逆上がりをする英子とその友人たちの姿を認めた。英子は髪をツインテールに結っている。残念ながらスカートではなく長ズボンだ。
 こうして昼休みの時間に、英子がどこで何をしているかを逐一チェックするのが芳雄の日課なのだった。

 芳雄が英子を”見初めた”のは小学校二年生の時である。隣のクラスの女子が水泳の着替えをしているとき、教室の窓の隙間から、タオルを羽織ろうとする刹那の英子の裸体が見えたのだ。それ以来、芳雄は英子が大好きになり、いつも眺めていた。英子はつるつるのおでこをした美少女だった。バレエを習っていて運動が得意だったし、その頃はクラスで一番勉強もできた。英子の家は新興住宅地のこぢんまりとした新築戸建てで、お父さんの仕事は”株式会社の課長さん”だった。それは英子本人から聞いた。
「へえ、英子ちゃんのお父さん、課長さんなんだね。すごいね。」
 と芳雄は心底感心して英子に言ったものだ。芳雄は官公庁相手に仕事をする父親から常々、
「本省の課長といったらすごいもんだ。四十代で絶大な権力を持っていて巨額の金を動かせる。芳雄も本省の課長くらいになれたらなあ。」
 と聞かされていた。その”課長”だと思ったのである。本当は、町工場とはいえ工場長を務めていた芳雄の父親のほうが、英子の父親よりも偉かったのかも知れないのだが。

 芳雄はバレンタインデーには幼稚園児のころから毎年欠かさず一人や二人からはチョコレートをもらっていた。大抵は本好きのおとなしい女子からのものだった。母親はいつもお返しのクッキーを用意してくれたが、手作りの巨大なクッキーは格好悪く見え、それを気にしている間に渡すタイミングを逸してばかりいたため、不義理な男子として女子の間での評判はよくなかった。
 英子は二年生のときも、せっかく同じクラスになった三年生のときも、芳雄には目もくれず、当然チョコレートもくれなかったが、芳雄は気にしなかった。
 三年生のバレンタインデーに、芳雄はいつものように英子を探して歩いていると、校舎の裏で狩野くんにチョコレートを渡している英子を目撃した。狩野くんは地元のコンクリート屋の息子で、腕っ節が強く、野球部で、流行の高価なツーリング自転車に乗っていた。
 芳雄は狩野くんとは割と仲が良く、たまに一緒に遊んでいた。狩野くんは自慢のツーリング自転車で坂道を猛スピードで滑走し、
「ヒャー!」
 と叫びながら減速しないで地面すれすれに自転車を傾け、交差点のカーブを曲がるのが得意だった。芳雄は自分には到底真似できないと思い、狩野くんのかっこよさを認めていた。

 三年生のある日、体育の授業でサッカーボール野球が行われたことがある。ピッチャーは英子だった。芳雄はいつも外野をやらされたがこの時もそうだった。
 ツーアウト二塁三塁。狩野くんがバッターボックスに立った。みんな後退シフトをとった。芳雄も思い切り後ろに下がった。英子が助走をつけてボールをキックする。狩野くんも助走をつけて、見事なフライを蹴った。ボールは芳雄のいる地点に落ちてくる。
「芳雄くーん!」
英子の声がする。
「オーライオーライ!」
 芳雄は精一杯の大声で叫びながら手を広げ、ボールを真剣白刃取りのように挟み取ろうとした。芳雄の両手は校庭中に聞こえるような、ぱちんという音を立てた。ボールは芳雄の胸にぼふっと食い込み、芳雄を後ろに吹き飛ばした。芳雄はしばらく息ができなかった。チームのみんなが駆け寄ってくる。
「芳雄くん大丈夫?」
 英子が芳雄の顔を覗き込んでいる。狩野くんはにやにやしながら悠然とベースを回っていた。胸がすごく痛かったし、英子の目の前で無様な姿をさらしたし、チームは負けた。
 芳雄は運動は得意ではなかったが、運動を避けはしなかったし、そこそこ勇気もある少年だった。

 芳雄の家での愛読書は月刊雑誌の『子供の科学』だった。読書と工作のどちらが好きかといえばむしろ工作だった。芳雄は四年生の初夏の頃の号に出ていた「歯ブラシケースで作るミニラジオ」という製作記事が気に入り、繰り返し読んだ。単四の電池を二つ使い、シリコントランジスタ2石で、単純なゲルマダイオード検波による音声信号を増幅しクリスタルイヤホンを駆動する回路だった。
 芳雄は当時、回路図は読めたが、設計まではできなかった。ノートに回路図と部品表を書き写し、妄想のなかで何度も組み立てた。筐体に使う歯ブラシケースは、大手メーカーが市販していた歯ブラシのプラスチック製パッケージで、陳列用のフックがついている。これでラジオを作れば、そのままカバンなどに引っ掛けられる携帯ラジオになるのがおしゃれだった。
 プラスチックのケースは割れやすいが、鉄工用の刃をつけた手回しドリルで丁寧にやれば穴あけ加工はなんとかなるだろう。未経験なのはハンダ付けで、その難しさが未知数だった。モーターと電池を使った工作経験は豊富だったが、配線はリード線を手でよじるだけで済ませていたのだ。芳雄にはまだ電子工作の経験はなかった。近所には模型店しかなく、電子部品を売っている店もなかった。

 学校の休み時間にノートを見ていると、英子が近寄ってきた。
「芳雄くん、それなに?」
「えーとこれはね、回路図。ラジオの。こういう記号で電子部品を表している。」
 英子は理科が苦手で、いつも理科のテストで満点を取る芳雄をその点でだけは認めていた。
「ふーん。芳雄くんが設計したの?すごいね。」
「まあね。」
 本当は『子供の科学』の丸写しなのだが、芳雄はついつい見栄を張って嘘をついた。
「歯ブラシケースがラジオになるんだ。」
「え、あのフックがついてるやつ?うちにもいっぱいあるよ。」
「持ってきてくれれば、それをラジオにしてあげるよ。」
 芳雄はためらいもなく言った。口から出まかせの安請負がすらすらと出てきた。
「え、ほんと?嬉しい!じゃあ明日持ってくるね。」
 英子は楽しそうだった。

 翌日、英子は学校に歯ブラシケースを3つ持参してきて、芳雄に渡した。
「じゃあ、待ってるね!」
大変愛くるしい笑顔で英子は芳雄に言った。

 芳雄は、その週末に何としても秋葉原に行かせてくれとせがんだ。釣りの予定があった父親の代わりに、母親が一緒に出かけてくれた。
 初めて行く秋葉原に芳雄はたちまち魅了された。国鉄の駅を出たときから地図もなしに芳雄はずんずんと歩き始め、母親を連れ回した。適当に路地に入れば何かしらの部品屋が軒を連ねていた。色とりどりの抵抗器、コンデンサ、綺麗な小箱に並んだトランジスタ。『子供の科学』誌面でしか見たことのなかった部品が何でも揃っていた。小さなスピーカーの専門店もある。電線だけを扱っている店もあった。客の大人たちは手に手に小皿を持ち、黙々と手元のメモを見ながら部品を買い集めていた。
 芳雄はノートを取り出し、小皿をとって真似をしようとしたが、すぐに店員が助けてくれた。最初の店で、ラジオの要となるゲルマニウムダイオードと三本足のシリコントランジスタを買った。小さな部品だった。次に行くべき店がどこにあるか、芳雄のノートの部品表を見て店員が教えてくれた。
 芳雄は抵抗器、コンデンサ、ポリバリコン(バリアブルコンデンサー)、バーコイルアンテナなどを次々と買い込み、いくつもの紙袋を下げ、母親を従えて歩き続けた。歯ブラシケースに回路全体を収めるため、入門用とされるものより小型の部品が多く、意外と高価なものもあった。特にラジオの選局機能を担う超小型のポリバリコンが高かった。おこずかいが足りなくなると、母親はにこにこしながら千円札をくれた。
 昼過ぎに買い物を終え、路地のアーケードから出ると昼下がりの光がまぶしかった。大通りには三輪トラックが行き交っていた。母親は楽しそうな笑顔で、
「よっちゃん、よかったねえ。」
 と言いながら芳雄を万世橋のステーキ屋に連れて行き、大きなハンバーグランチを食べさせた。芳雄は、
「こんなにおいしいハンバーグ食べたことないよ。」
 といいながら頬張った。

 その夜、父親はサヨリを沢山釣って、芳雄と母親よりもさらに遅く帰ってきた。父親は手早く器用にサヨリをさばいて刺身にした。透き通った釣りたてのサヨリの刺身はとてもおいしく、家族の遅い夕食は豪華なものになった。
 父親と母親は晩酌をしている。
 父親は釣りの話しをした。
「袖ヶ浦の堤防から投げ浮きの先に仕掛けをつけて、ストローで小さく打ち抜いたはんぺんを餌にして釣るのさ。サヨリの群れを見つけたらそのど真ん中に投げ浮きを放るんだ。細い魚だけど引きが強くて面白いぞ。こんど芳雄も一緒に行こう。」
 器用な父親らしい釣り方だった。
 母親は万世橋のたもとの事務所で事務員をしていた頃の話しと、そこで二人が出会った話しをした。
 芳雄は初めての秋葉原での買い物の話しと、ハンバーグの話しと、そして初めての電子工作の計画について話した。
「道具はお父さんのを自由に使っていいよ。物置の道具箱に何でも揃っているから。」
 父親は芳雄の工作には一切手を出さなかった。自分に似て、ものを作るのが好きな、でも自分より少し不器用な息子の成長を静かに見守っていた。秋葉原に一緒に行かなかったのは、最初に芳雄の目で新鮮な体験をさせたかったからでもあった。

 食事が終わり、食卓を片付けると父親はサンダルをつっかけ、物置に出て行った。ほどなくハンダゴテ、ハンダ、松ヤニ、部品ストックからみつけた使い回しのラグ端子を持って戻ってきた。
「ハンダゴテはちょっと危ない道具だから、やり方を教えよう。」
 父親はハンダ付けを実演してみせた。
 うどんのようにくねった太いハンダの先にちょこっと松ヤニをすくいつけ、ハンダゴテで熱したラグ端子に押しつける。しゅーっという音がして松ヤニが流れ、ハンダが美しい銀色に溶ける。父親がコテとハンダを離すと、つるりと光る溶けたハンダの球が、ラグ端子の穴をふさぎ、絡げたリード線とラグ端子をなめらかな金属曲面で接合していた。一瞬の魔法のようだった。
 息を吹きかけて冷まし、リード線を押し引きしてみると、それはラグ端子とすっかり一体化していた。目を丸くしている芳雄の横で、父親はじゅっじゅっと音を立てながら濡れ雑巾でハンダゴテの先を拭いている。
「これがハンダ付け。熱いから、やけどには気をつけろよ。」
 と父親は微笑んで言った。

 休み明けの月曜日、学校から帰ると芳雄は早速製作に取り掛かった。歯ブラシケースに部品を取り付ける穴を開けるのに、月曜日の夜じゅうかかった。火曜日はラグ端子とポリバリコン、そして内臓アンテナとなるバーコイルをとりつけた。夜遅くまでかけて、ダイオードやトランジスタなどの電子部品を空中配線し、苦心してリード線を絡げた。芳雄は何度も何度も『子供の科学』の実体配線図と照らし合わせて、配線を確認した。明日は、いよいよハンダ付けだ。

 水曜日の授業は4時間目で終わり、午後は自由参加の課外活動である。芳雄は走って家に帰った。門を開けて庭に入ると、ランドセルをしょったまま物置に直行した。
 明かり取りの窓から差し込む筋状の午後の光線に、道具箱が照らされている。物置の中はしんと静まり返っていた。
 道具箱の上には父親が手作りした五球スーパーラジオと箱入りのスピーカーが置いてあった。芳雄にはおなじみの、あこがれの父親の作品だった。バリコンのつまみは滑らかに動き、いい音で鳴る。裏返すと複雑な回路が美しくハンダ付けされている。五球スーパーは真空管を五本も使った高級な回路だ。一時はこれが本職だったとはいえ、父親は本当に器用な人だった。
 一番上の引き出しを開けるとずらりと真空管が並んでいる。芳雄のお気に入りは増幅三極管の2A3と検波五極管の6C6である。真空管の工作は数百ボルトの電圧が相手になる。中学生になったら父親と同じような真空管ラジオが作れるだろうか。まずは行きがかり上作ることになってしまった歯ブラシケースラジオを完成させねばならない。処女作にしては少し難しそうで、正直ゲルマラジオを作ってからにしたかったが、英子の笑顔を思い出すと後には引けなかった。

 二段目の引き出しを開けると電気工作や金属工作の工具が並んでいる。ハンダづけの道具もそこにあった。さあ、いよいよだ。

 子供の手にはずっしりと重いハンダゴテを持ち帰って、自分の部屋にこもると、電源プラグをコンセントに挿した。手をかざしているとだんだんとあたたくなる。やがてハンダゴテから焦げたような匂いが立ち上ってきて、かん、かんというかすかな音がし始めた。ためしにハンダをコテの先端にあてると一瞬でとけ、コテ先をつるりと滑って台にしている皿にぼたりと落ちた。もう十分な温度だろう。
 ラグ端子に絡げたゲルマニウムダイオードのリード線に、芳雄はコテ先を当てた。おもむろにハンダをつける。金属が溶けるのに興奮してしまい、松ヤニのことはすっかり忘れていた。ハンダは手応えもなく溶け、ラグ端子をつたってぼとりと滴り落ちた。歯ブラシケースは一瞬にして溶けたハンダで穴が空き、プラスチックの焦げる異臭が漂った。芳雄は焦った。コテを台に置き、ダイオードがしっかり固定されたかを確かめるためリード線の先の素子本体を覆うガラスを触った。
「あちっ」
 高熱になり過ぎたハンダはリード線とラグ端子に全く馴染んでおらず、過熱したダイオードはぐらりと動いた。芳雄は指にやけどをしてしまった。
 めげずに芳雄は作業を続けたが、コテ先の微妙な温度調整は小学校四年生には少々難しく、そもそもハンダゴテが重すぎた。木曜日、金曜日にも作業をしたが、ポリバリコンの角にコテを当てて溶かしてしまうし、綺麗にハンダが流れた場所はほんのわずかだった。

 金曜の夜、父親に見せると、
「まあ始めはこんなもんだ。このダイオードは焼けてしまっているね。次の週末に一緒に秋葉原に行こう。これはあきらめて、ゲルマラジオのキットを買ってあげるから一緒に作ろうよ。」
 と言って肩を抱いてくれた。芳雄の処女作はあえなく失敗した。

 次の週、芳雄はなかなか英子に事の次第を切り出せなかった。英子のほうも何も聞いてこない。
 一週間、その話題に触れずにいたらさらに気まずくなってしまった。芳雄はタイミングを逸した。英子は今まで通りだったが、気にしているのかいないのか、芳雄には分からなかった。歯ブラシケースを返そうにも、すでに一つは溶けたハンダで穴だらけになっていた。

 その後、芳雄は父親に連れられて秋葉原を再訪した。父親はゲルマラジオのキットを見繕って買ってくれた。帰宅して一緒に組み立てたが、ハンダ付けは父親に任せた。完成したゲルマラジオは良く鳴った。電源もないのに放送が聞こえるが、原理を理解しているので不思議な気はしない。深夜番組の「オールナイトニッポン」を芳雄はこのゲルマラジオで知り、それ以後よく聴くようになった。
 不意なきっかけで訪れたラジオ製作熱だったが、そこからすっかり覚めた芳雄はゲルマラジオにもやがて飽きてしまった。

『子供の科学』はいつの間にか購読しなくなり、やがて『少年マガジン』が芳雄の愛読書になった。連載されていた梶原一騎の漫画『愛と誠』をどきどきしながら読んだ。この漫画の影響でヤンキーやアウトローが怖くなりもしたが、そうしたものへの恐れを分解する法律というものへの興味の起点ともなった。

 


 

 回想に浸っていた芳雄は我に返った。秋の庭は少し冷え、気づけば腰が痛みを訴えている。手に持った細身のハンダゴテと、引き出しに横たわっている父親の無骨なハンダゴテとを見比べた。

 自分のは先端のコテ部分がはるかに細く繊細だ。先端の金属がそのまま膨らみ、中央部で棒状のヒーターを取り囲んでいる。コテ部分の熱容量が大きいので温度が安定し、作業中もあまり熱くならないのでずっと使いやすい。細かい電子部品の工作に向いたコテである。

 父親のそれは、元々は住宅の電力線配線用の道具である。頑丈で太いコテ先を、電熱器のようなヒーターでサンドイッチしている。大きな電極にたっぷりとハンダを流し込むことに特化した作りだ。器用な父親は、濡れ雑巾を使った温度調節に熟練し、そんなハンダゴテを電気製品の修理や真空管ラジオの製作に使いこなしていたのだった。

 芳雄は自分の細いハンダゴテを、錆び付いた父親の大きなハンダゴテの横にしまった。ロールにまかれたヤニ入りハンダもその横に置いた。この場所に、ずっとしまいこんでおくのがふさわしい、と思った。

 そして引き出しを静かに閉めた。

 


 

 二段目の引き出しを開けると電気工作や金属工作の工具が並んでいる。ハンダづけの道具もそこにあった。さあ、いよいよだ。

 だが芳雄は、そこに見慣れないもう一つのハンダゴテがあるのを意外に思った。父親が実演してくれて、今も目の前にあるハンダゴテの半分くらいの大きさである。
「あれ、お父さんが僕用のを用意しておいてくれたのかな。」
 別に新品ではないようだが、芳雄は気持ちがときめいた。中古品だとしてもすばらしいプレゼントだ。横にある大きな糸巻き状のものには「ヤニ入り精密ハンダ」と書いてある。巻いてある金属を手に取るととても細くて柔らかい。父親のハンダをうどんとすれば、これはそうめんくらいに思えた。
 父親が扱ってきた真空管を使う電気工作の部品よりも、芳雄が取り組んでいるトランジスタの部品ははるかに小さい。抵抗器もコンデンサも数分の一の大きさだから、こういう細いハンダゴテやハンダが向いているのだろうと芳雄は納得した。

 細いハンダゴテとロールのハンダを部屋に持って帰ると、さっそく準備をしてハンダゴテの電源を入れた。コテ先はすぐに暖まった。ハンダをつけるとシュっと小さな音がしてヤニが溶ける匂いがした。ハンダの中心部にヤニが入って一体化している。コテ先が一瞬でハンダの金属に覆われてメッキがかかったようになり、美しい色に光った。
 ラグ端子にからげたダイオードの足にコテを当て、細いハンダの先を当てると「ヤニ入り精密ハンダ」は吸い込まれるように綺麗に溶け、父親がやってみせてくれたお手本にも劣らない美しさでハンダ付けができた。芳雄は感動した。

 難関かと思われたハンダ付けは順調に進み、金曜夜には芳雄の処女作「歯ブラシケース入り携帯ラジオ」は完成した。単四電池を入れてポリバリコンのダイヤルを回すと、大きく鮮明な音でラジオ放送が聞こえてきた。
「すごいすごい、やった!」
 芳雄は深い感動を味わった。初めての電子工作がこんなにうまくいくなんて。
 上手にできた、天才だと母親は褒めまくった。父親も嬉しそうだった。ハンダ付けが特にうまい、と褒めてくれた。その週末はずっと自作のラジオを聴いて過ごした。

 

 翌週の月曜日、芳雄は英子の座る机の横に立つと、
「はい、お待たせ。」
 と歯ブラシケースラジオを英子の目の前に置いた。
「うわーすごい!本当にできたんだ。音聞いてみていい?」
「もちろんだよ。電源はこのスイッチ。」
 英子がクリスタルイヤホンを耳にあてがうと、芳雄はゆっくりとポリバリコンのダイヤルを回した。細いマジックで、放送局の位置をダイヤルに記してある。英子は驚きの声をあげた。芳雄は得意満面だった。
 英子の歓声に、友達が集まってきた。

 芳雄の歯ブラシケースラジオはクラス中の評判になった。結局、芳雄は同じ歯ブラシケースラジオを四年生の間に五つ製作した。細身のハンダゴテは大活躍である。一つは先生にプレゼントしたが、欲しがる人の中にはお金持ちの狩野くんもいた。そこで残り三個は部品代の実費と、二百円の製作費を乗せた価格で販売した。これが芳雄にとって人生初の、自分が作ったモノでお金を稼いだ経験となった。それは芳雄に深い満足をもたらし、秋葉原には毎週のように通い詰めるようになった。

 芳雄は五年生のときには、出回り始めていたロジック回路ICとLEDを使ってピンポンゲームを作り、これも何台か友人たちに販売した。五年生の終わりには、ピンポンゲームの販売で得た資金で、出たばかりのシンセサイザーLSIを購入し、データシートをみて自分で設計した回路で色々な音の出るシンセサイザーを製作した。ハンダゴテのコテ先をヤスリで削り、さらに細くすれば、LSIの細かい配線にも対応できた。だが鍵盤を作って音楽演奏、という方向には行かず、なじみになった秋葉原の部品屋さんがくれた、骨董品のようなオシロスコープで音声波形を分析して楽しんだ。

 六年生のときに、芳雄はついにコンピュータと出会った。最初は4004という制御マイコンにはまり、やがて市場に出た新型CPUの8080に夢中になった。父親は会社の経費で8080を使ったマイコンボードのキットを買ってくれた。

 芳雄は私立の一貫校に進み、中学、高校とどっぷりマイコンに浸かって、プログラマーとしてもかなりの腕前になった。公立中学に進んだ英子とは中学卒業の頃まで文通をしたが、だんだんやりとりは減っていった。

 中学で成績を競い合った女の子に芳雄は恋をして、高校時代には学校で二人きりで話したり、校門の出口まで二人きりで歩くといった淡い付き合いをした。

 そして芳雄は理系の最高学府に進学した。コンピュータは散々いじった気分になっていたのであえて選ばず、アナログ回路設計と電子物性物理を専攻する学生になった。

 


 

 芳雄は実家の道具箱の前で腰に手を当て、体をそらした。

 ビジネスクラスに乗っているとはいえ、最近は飛行機での出張があまりに多い。運動不足だ。父親の三回忌に合わせて今朝の飛行機でドイツから帰国したばかりだった。そろそろ住職も着くころだろう。車庫で待っているとしよう。妻は電車で先に着いて、芳雄の母親と茶飲み話しをしているところだ。

 半世紀以上も前に両親が最初に”入植”したこの住宅地にも家が立ち並び、やがてそのほとんどが建て替わった。芳雄の実家も十年前に、親孝行と称して芳雄が瀟洒なツーバイフォーに立て替えた。果たしてそれがよかったのどうかわからないが、両親は晩年に寒い思いはしなくて済んだのではなかろうか。古い家の痕跡は父親の形見の、このタンスの形をした道具箱と庭の枯山水だけであった。

 隅に道具箱が置かれたガレージには、芳雄が動力と制御全般を設計した銀色の最新型電気自動車が停まっている。宇宙船のようなデザインだと母親が言った。全長は五メートルを超えるので、実家の車庫からは少しはみ出てしまう。アメリカ本国のサイズだから仕方ない。この住宅地の入り口にある狭いカーブを曲がるのもぎりぎりだった。

 大学院を出た後、芳雄は大手の電機メーカーに勤め、バッテリー技術のエンジニアとして活躍した。結婚し、二人の子供もできた。論文博士号をとり、芳雄はバッテリーパワーマネジメントの分野で世界一の論文点数、引用回数記録をかなり長い期間保持した。
 その後、北米支社で合弁の新規事業を手掛けているときに、現地の電気自動車ベンチャー企業に引き抜かれ、以来サンフランシスコ郊外を拠点とするその会社で仕事をしてきた。子供達はそのままアメリカで高等教育を受けている。芳雄の才能は開花し、芳雄が設計した電気自動車は圧倒的な性能で他社を引き離した。今では電気自動車市場は成長期を迎え、新車販売の半数を超えている。
 一方、発電、送電の分野では、変電所のある場所には大抵、芳雄が基本特許を持つバッテリ式の電力貯蔵設備が置かれていた。これによって需給状態に応じて、電力消費地の近くで余剰電力を融通しあう仕組みが世界的に普及した。発電キャパシティはそれを前提にして抑制されているから、もはや世界のエネルギー配送は芳雄の特許技術なしには成立しないといってもよかった。
 コンピューターデジタル回路の知見と、アナログ回路の知見を併せ持った芳雄のエンジニアとしてのキャリア設計に先見の明があったのは明らかだった。

「全てはこの道具箱から始まったんだ。」

 芳雄は道具箱の前に屈んで、無機質なガレージに場違いなその古い木肌を撫でた。スティーブ・ジョブズが起業して、伝説のコンピュータ、アップルⅡを開発したガレージはシリコンバレーの聖地になっている。芳雄の出発点もこの道具箱があるガレージだと言えるだろう。しかもジョブスよりかなり若い”小学生起業”だ。あれはなんだっけ、そう、伝説の、といっても人に語ったことはないが、”歯ブラシケースラジオ”の製造販売である。それを芳雄自身は忘れたことはない。
 その時、芳雄の心中に、いつか自分が本当に成功したら、あの話しを伝記に書こうかとという思いが芽生えた。芳雄はそんな自己愛を苦笑して退けようとしたが、将来伝記を書くという着想には魅力があった。
 芳雄の傍らに静かに佇むこの美しい銀色のクルマは今、世界中で売れまくっている。その設計者の一人が自分なのだ。すでに特許発明家としてもかなりの収入がある。今勤務している電気自動車ベンチャーでもらったストックオプションは、全く行使はしていないけれど価値は相当なものだ。工学博士としても、大学での職歴はないとはいえ、五十代の若さで学会ではすでに重鎮の扱いだった。自惚れるなといっても無理があるではないか。父親が死んで三年の区切りとなり、自分自身のエンディングに対する意識が生じてきたのかも知れなかった。

 芳雄はとめどない未来への思いに区切りをつけようと、道具箱の一番上の引き出しを開けた。

 懐かしい秋葉原の部品屋と同じ匂いが漂う。そこには使われないままの時を経た真空管が並んでいた。
「これ、今でも動作するかなあ。結局、真空管の工作はせずじまいだったな。」
 自然と好きな真空管に手が伸びた。2A3のガラスボディはひときわ大きく膨らんでいて、引き出しの高さにつかえそうだ。手に取って目の前にかざすと建築物のような堂々としたプレート面が美しい。真空管アンプを作るのは、伝記を書いてから、引退後の道楽にとっておこうかな、と芳雄は思った。

 芳雄は2段目の引き出しを開けた。

 かすかに古い埃とサビの匂いがする。引き出しの中には様々な道具が詰まっているが、目を引くのは二丁のハンダゴテだ。右側には亡くなった父のいかついサビだらけの大きなハンダゴテ。左がわには芳雄が少年時代に愛用していた細いハンダゴテ。
「随分いろいろと作ったっけ。」
 歯ブラシケースラジオもこれでハンダ付けしたのではなかったか。伝記を書くならこのハンダゴテは重要だ。そういえば思い当たらないがどこのメーカーの製品だろうか。芳雄は少年時代の自分を支えてくれた、この小さなハンダゴテの正体に新鮮な興味を抱き、手にとってしげしげと眺めた。
 すると、滑り止めの模様に紛れて刻印された、小さな文字列に目が止まった。
「製造 H2年」

 ん? H?
 平成二年。であれば社会人になってから買ったものということになる。いや、確かに小学生のときに父親にもらって愛用していたハンダゴテのはずだが。記憶にはないが同じモデルを買い換えたのだろうか。だとするとオリジナルは一体どこにしまってあるのだろう。とても大事なものなのに。
 芳雄はにわかに不安になって、母屋を探そうと思い立った。建て替えて以来、古い荷物はほとんど母屋にはないはずだが、ひょっとしたら父親が存命中に道具箱を整理したのかも知れなかった。
 芳雄は「製造 H2年」と刻印されたハンダゴテを手にとり、二段目の引き出しを閉じると立ち上がった。

 そのとき、不意に周囲が真っ白に明るくなり、芳雄はまぶしさに目を細めた。

 


 

 芳雄は物置の壁に手をあて、急なめまいをやり過ごした。遠い過去の回想にふけっていて気が遠くなったか。それとも貧血だろうか。

 長年のデスクワークで細かい文字を追う司法書士の仕事が、心臓に負荷を与えているのかも知れない。父親も心臓の病で亡くなった。気をつけなければ。
 物置の横には八十歳の時に免許を返上した父親から受け継ぎ、以来芳雄が乗っている、すっかりくたびれたトヨタクラウンが停めてある。芳雄はその横をすり抜けて母屋に戻り、玄関を開けた。その瞬間、茶の間の引き戸を開けた母親と目があった。
「よっちゃん、そういえばあなたのスピーカーから、ガリガリって音がするようになったのよ。ちょっと診といてくれる?」
 もう三十年も前の自作品だ。たぶんコンデンサの寿命だろう。スピーカーのエッジも硬化しているはずだ。真新しいオーディオセットを買って老い先短い母親にプレゼントしたら喜ぶだろうか。
 それとも分解して新しい部品をネット通販で買い、修理しようか。これから毎日ここで暮らすのだから、直す時間はたっぷりある。

 芳雄は玄関扉を閉じるときびすを返し、道具箱にしまったばかりのハンダゴテと工具を取ってこようと物置に向かって歩き始めた。が、敷石をいくつか踏んだところで思い直し、玄関を振り返った。
「この歳になってまた工作なんて、面倒じゃないか。」
とも思う。

 そのとき芳雄は、自分が細いハンダゴテを握りしめていることに突然気づいた。あれ? さっき道具箱の引き出しにしまったはずなのに。芳雄は怪訝な表情で、手の中のハンダゴテを見つめた。
「やっぱり、久しぶりにこれを使って、一度は修理してみようかな。」
芳雄は再び物置に背を向けると、母屋に戻っていった。

 

 金木犀の香りが、庭一面に漂っていた。

 

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内容に関するアピール

 本作のモチーフは「モノづくりを生業としてきた家系に代々伝わる不思議な道具箱」です。自分が体験したエピソードを散りばめたので、私にとっては回想録のような作品でもあります。本作のテーマはエモいので気恥ずかしいのですが、敢えて書くなら「人生夢幻の如くなり。そして全ては愛しい。」です。お楽しみいただければ幸いです。

 一年間書きためたこれまでの作品やネタ帳からまったくアイデアを出せずに苦しみました。本作で特に参考になったのは、デイヴィッドスン『ゴーレム』『さもなくば海は牡蠣でいっぱいに』そして押見修造『スイートプールサイド』『超常眼球 沢田』でした。ディヴィッドスンの作品は半世紀以上を経てもなぜ面白いのか、それを考えることは本作の糸口になりました。そして本作を書くことができた大きな要因は、押見修造先生の創作への姿勢に感銘を受けたことです。今後の創作活動に向けても大いに参考になりましたので勝手に謝意を表したいと思います。

 自分は書けない時、読むことによってしか状況を突破できないことを悟りました。SFを書くことだけでなく、読むことについても大いに蒙を啓いていただいた本SF創作講座には感謝の気持ちしかありません。どうもありがとうございました。

文字数:522

課題提出者一覧