西中之島の昆虫たち

選評

  1. 【小川一水:5点】
    虫、虫殺し、嘘、鼠の死骸、目に飛び込む虫などの不快なモチーフの散らばる序盤。改行が少なく文頭の一字下げもないので、読んでいて息継ぎしづらい。吐き気を催す不快な女。
    これらのおかげで、この物語がひどく面白いSFであることに気づくまでに時間がかかった。もったいない。時間ループと生物進化をからめた着想は秀逸だ。
    一見さんお断りのこだわりの店を目指すなら仕方ないが、そうでないのなら客が暖簾をくぐる瞬間からもてなすようにしなければ。店の看板である開幕の虫を、もっと風変わりで奇妙に。不快でもいいから。正しサエには愛させて。次々に現われる虫が日本の辺地で普通に見られる変わりばえのしない虫ではないことなど、読者のほとんどにはわからない。自分も途中まで実在の虫だと思って読んでいた。そうでないと気づいたのは湖に浮かぶ蝶からだ。この蝶は結局、何を食べている? 教えてほしい(もてなしてほしい)。
    前半のヤエの長い独白が偏屈で冗長。この子を好きになれない。好きになれる人物とは、「何かを好きだと言っている人」だ。虫が好きならもっと率直に好きだと述べさせる。彼女が初めて好きだと言うのは、検索したらアセチレンランプの香りだった。それだけでもアセチレンランプとはよいものであるかのように読者は感じる。でなくて、虫だ。虫愛づる姫は虫を愛すると言うから可愛いのだ。
    そして後半で現れる超常現象の予兆としての形を、もっとはっきり振りまいていったらどうか。
    淡々と語られる結末がハッピーエンドであることが、読み手に全然伝わらないのでは残念じゃないか。
    ところで、この物語の舞台である1930年ごろの日本で、生物進化についての認識は作中にあるほどまで進んでいたのだろうか? 些細なことだとは思うが。

    【小浜徹也:8点】
    完成された作品。いくつかアドバイスがあるとすれば、ネタは非常に良いが、やや駆け足だった。タイムリープ設定が登場して以降は、読者に対しても「わかるでしょ」という感じで、説明が十分になされていない。少し語り口はぶれているが話芸としてはしっかりしたものをもっているので、そこに独特の色気みたいなものが加わるとともっと良くなると思う。

    【大森望:4点】
    梗概から想像した以上にちゃんと面白くなっているが、それでも、いきなり実作から読むとわかりにくい部分があるのではないか。もうすこし読者サービスをしたほうがいいかもしれない。無限ループによって昆虫をどんな形にも進化させられるというアイデアに対して、作中にこれに驚く役割の人物がいないので、さらりと流されてしまうのはいかにももったいない。エレガントではあるが、せっかくのアイデアなので、もっとSF的に盛り上げる工夫をしてもよいのでは。

    ※点数は講師ひとりあたり9点ないし10点(計29点)を3つの作品に割り振りました。

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梗 概

西中之島の昆虫たち

ヒゲキリオトシブミ
オトシブミ科、体長5mm~8mm。他の多くの昆虫と同様、西中之島固有の昆虫である。背中の中ほどに白い斑点が見られるほかは赤褐色をしている。オスは触角の中間の節にコブがある。メスの触角は非常に短いのが特徴で、成虫になった後、自ら触角を切り落としてしまうためだという。この習性について詳しいことは全く分かっていない。

昭和十八年七月、鹿島ヤエは熊本県某所にある西中之島を訪れていた。昆虫学者を目指していた兄の代わりに昆虫採集のため熊本に立ち寄った彼女は、小さな集落のみがあるこの島の興味深い昆虫の生態をたまたま知ることとなる。村の大きな屋敷に泊まらせてもらっていた彼女は、真田昭雄という一人の青年と懇意になる。彼は病弱で洋画家になるための練習を続けていた。数多くの作品があったが、すべて模写だった。有名作品ばかりだったが、絵画に詳しくない彼女には、何かその作品に引っかかる部分があった。
彼女はこの村の昆虫を数多く採取した。不思議なことに、どれも本土の昆虫とは微妙に異なる姿形、異なる生態をしていた。ほんのわずかな距離しか離れていないこの島で、なぜこのように多様な固有種が存在しているのだろうか。
ある日、彼女は森の中で「モナ・リザ」を見る。
彼女は昭雄の作品の中にモナリザがないことに気づく。

モナリザガ
ヤママユガ科、前翅の長さ約40mm~60mm。幼虫は透き通った緑色をしており、山林に生息しているが個体数は限られている。その少ない個体がおそらくたった一つの、数十頭もの集団を形成することがあり、幼虫の食物であるバラ科の樹木に止まる習性がある。その斑紋が寄り集まったときにちょうどレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」とまったく同じ姿になることからこの名がつけられた。

モナリザの微笑が飛んでいく。今まで一度も会ったことのない女が泥だらけの手でその蛾を捕まえると、ちょうど口元に当たるよう持ってきてみせる。どこかに消えてしまった彼女を追って森の奥まで進むが見つからず、帰れなくなってしまう。彼女は野宿する。
翌日目覚めると彼女はなんとか真田家の屋敷にたどり着く。しかし様子がおかしい。誰も彼女のことを知るものがいない。なんとか昭雄さんを見つけて尋ねると、今は昭和十七年の八月だという。時間が巻き戻っているのだ。
モナリザの絵がないことを指摘された昭雄は顔色を変える。「そぎゃんこつ、誰にも話しなすな。あん絵は、セツば見せっとかけちょるんよ」
屋敷にはセツという名の狂人が閉じ込められていた。彼女は同じ時間を何度も何度も繰り返している、そう主張しているのである。なんとか彼女に出会ったヤエは、彼女がある夜を境にタイムリープを繰り返していることに気づく。そしてその夜、外に出ている全ての生物は一度だけタイムトラベルを起こしてしまう。人間や馬が巻き込まれた場合、それはただ単に一年を重複して過ごすだけだ。だが昆虫は世代を変えタイムトラベルを繰り返す。その結果進化の道筋が大幅にずれてしまったのだ。彼女は牢の外に簡単な日よけだけで野ざらしになっているモナリザの絵を見せる。あそこに止まっていたただの蛾が、進化したのだ。彼女はヤエの兄のことをしきりに尋ねる。彼女の兄だけが、彼女の話を信じたのだ。
セツは彼女のことを、いつも死んでいた妹さんだと言う。不安を覚えたヤエは手紙を書く。すると返事が返ってくる。妹が姿を消して数週間後、兄が死んだというのだ。兄はセツのタイムリープが病気で先が短い昭雄への思いに原因があることを突き止めながら、それを利用し、解決を先延ばしにしていた。タイムリープが起こる限り、いつか何かの機会に、妹はこの島にやってくる。そこで妹は、兄が作らせた昆虫を目にすることができるのだ。
ヤエは一枚の絵を昭雄から譲り受けこの島を去る。船には大量の標本が積まれている。彼女は島を離れる前にセツに会い、今度タイムリープした時すぐ、この絵も一緒に飾ってもらうよう頼めないかと彼女に頼む。船が港から離れる。
迷った彼女は服を脱いで飛び込むと、島へ泳いで戻り始める。

文字数:1678

内容に関するアピール

おもてなしとは「歓待」です。それは知らない人を招き入れることです。星新一の簡潔な文体、個性を抑えた登場人物、これらは星が、自分の想像の届かないような人物であっても作品を楽しめるように配慮した結果でしょう。もっとも仕事帰りにバーに立ち寄るサラリーマンのような人物造形は、今ではあまり見られないものになってしまいました。確かに彼もまた、昭和の時代の中で生きざるを得なかった作家であるわけですが、しかし、彼がその限界の中で日本語を使ってどれだけ多くの客を招き入れるか考えたこと、このことは見習うべき事実です。
今回図鑑の記述のようなスタイルを挿入したいと考えています。『鼻行類』や『平行植物』のような架空の博物学をモチーフとして作品の中に取り込むことで、数千年前の人間やサラリーマンが絶滅した後の世界の人間にとっても理解できる描写を得ることができますし、同時に、このような「架空の博物学」そのものが、「このような生物が存在する世界」という、この作品が存在する以前には全く存在しなかった顧客を呼び寄せるはずです。そしておそらく「架空の博物学」とは、何よりもまず学問である以上、事実が書かれているのですから、それを読む私たちは、「その文章が全く想定していなかったお客様」となることでしょう。
物語については、架空の昆虫という存在を成立させるために考えました。一応こちらもおもてなしがモチーフです。

文字数:591

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西中之島の昆虫たち

ツヤハナムグリ亜種 鞘翅目コガネムシ科、体長22mm。
大型のハナムグリで、鞘翅は光沢のある緑色に白斑を持ち、五月から八月にかけて樹液や熟した果実に集う。同種は九州から沖縄にかけて生息しており、色や斑紋には変異が多い。翅端は丸みを帯びている点でシラホシハナムグリと異なり、また、後翅に紫色の光沢があることでシロテンハナムグリと区別される。

 

 
毒瓶に、ぽとりと落ちた虫。
いじらしく六本の足を動かして管を登ろうとしている。
だけどガラスでこしらえてある毒瓶には、彼の爪を立てる場所がどこにもなくて、足を振り回してみてもどうにもならず、それならばと翅を広げようとしたところでもう全身に毒が浸みこんでしまっていて、彼は、ハナムグリの雄、ほどなく足を縮こませ、何もかもあきらめ、がらくたになって死んでしまう。
鈍い緑色の光を反射させている宝石のようなハナムグリをじいっと硝子管越しに私は見つめる。背中にちりばめられた、控えめな、黄色い星。九州のハナムグリは、きれいだ。エナメルを塗ったみたい。なんだか胸が苦しくて、息を吐いて、そうして私は、自分が息を止めていたことに気づく。
足元の綿にしみこませてあるのは、青酸カリである。
青酸カリは甘酸っぱい味がする、と聞いたことがある。死ぬ前に味わう最後の香り、毒林檎の味。などと言ってみれば、ああ、ずいぶんと女学生らしいものですが、あいにく今の私は九州のそのまた西、西のはずれのぽかんと浮いた島の、森の中。八月の陽気で大いに汗を流し、虫を捕らえているのです。私の体から漂うのは、アルコールのいやらしい臭い。毒ガス代わりに使って虫を殺したり、針に刺せない小さな虫をアルコール漬けにしたり、昆虫採集には、兎角アルコールが要り様で、なんだか、これでは酔っぱらってるみたい。女学生だなんて、とんでもない。お父さんの息。
お父さん、と口に出して言ってみる。おかしな子。
夏は、蝉。
九州の蝉は鳴き声が、おそろしい。大きい声で、怒鳴り散らすようだ。一本調子で、つまらない。
黒砂糖とお酒を煮詰めて作ったとてもおいしそうな蜜を、椚の幹に塗りたくる。小さな島で一番、大きな木だ。根元には新発売の蠅取りリボンを幾重にも巻いて、こうすれば、蟻には手も足も出せないのだ。
これで、よし。
蝶が一羽。
ひらり、ひらりと坂を上るように、蝶が、陽の当たる蝶道から外れ、こんな場所までやって来る。来てはいけない場所に来てしまって、でも、あんなにおいしそうな匂いがする。雄に比べてくすんだ色、オオムラサキの雌。この地方では、珍しい
左手をそっと宙に、差し出す。指についている蜜の匂いに、ほんの少し混じった汗とアルコール。彼女が私の指に吸い寄せられていく。
私は右手の親指と人差し指で静かに左手の蝶の、胸を掴み、わずかに、ほんのわずかに力をこめる。
二度、三度。
それだけで蝶は死んでしまう。
三角紙を開いて、寝かしつけるように蝶をしまう。蝶は、いやだ。かわいらしい。できれば殺したくない。殺さずに、そっと指の上で、ずっと私のものにできればいいのに。何十、何百、いったいどれほど命を摘み取れば、私は蝶を殺すことに慣れてしまえるのだろうか?
指先にまだ、蝶の魂がこびりついてる気がする。

 

オオムラサキ 鱗翅目タテハチョウ科、体長55mm。
日本全国に生息するが、九州においては個体数がそれほど多くはない。幼虫はエノキを食樹とし、越冬して六月から八月にかけて成虫となる。雄は美しい紫色の表面を持つ翅で知られるが、それと比較して雌は地味な茶色の翅である。

 

 
こうしてくよくよと悩みながら、しかしそれでも虫を殺し集めることについては決してやめないのだから、私はずいぶん勝手なものだ。無責任である。虫たちだってきっと、浮かばれない。坂を下りて森を抜け、真っ青な蜜柑が並ぶ畑を歩きながら、私はさっきまでの気分をすっかり忘れてしまいたく、自分を、やけむちゃに批判してみる。批判しながら、でもまたさらに逆のことを考える。悩みを押し殺して、忘れてしまったように振舞うことが、虫を殺めた責任を取ることだとしたら、私は、なんだかそれも、正しくないような気がするのである。どうしてこんなにくるくると、私の考えは風次第で、変わってしまうのだろうか? これでは結論がどこにあろうとも私は到底、正しくなどなれそうもない。
こんな気質だから、私はこんな辺鄙な島で、虫取りに追われているというのに。足を止めて、お屋敷脇の小さな祠に手を合わせる。風が吹いても、ぴんと立っていられますように。
兄が前島正雄さんと親しくなられたのは雑誌の投稿を通じてである。何度かお手紙をやり取りして、私も見せてもらったのだけど、アオスジアゲハの美しい絵、兄さんは、自分で描いたわけでもないのにその絵を自慢なさるものだから、おかしくて笑っちゃった。その方が何でも、大層珍しい虫をいくつも見つけて、ことによったらこれは新種かもしれない、君は僕よりずいぶん虫狂いらしいし一度ぜひ我が家に見に来てくれと、まるで神田辺りにお住いのように仰るのだけど、呆れたことに、熊本なのだ。それでも兄は虫のことならばと出かけるつもりだったらしいけど、他の研究でどうしても手が離せない、虫の卵を探して毎日毎日馬糞を突き回しながら、そうだ、静子、お前が行けばいいなどと言い始め、いったいこの兄は何を考えているのかしら、おかしなものである。だけど正雄さんに、それならそう、いらっしゃい、と言われてのこのこ出かけていく私も、もっと、おかしなものである。夜行列車に揺らり揺られ、話では正雄さんは天草の大きなお屋敷の住まいだとか、ところがやって来てみれば、正雄さんは美術学校に行くため絵の修練中、この西中之島で女中の町子さんと二人きり、もう一年も過ごしているのだと聞く。話がちっとも、合ってない。
しかし私は兄の代わりに虫を見に来たのだ。なんでもその島こそが話に聞いた、珍しい虫の宝庫らしい。私だって兄ほどじゃないけど、じゅうぶん、虫狂い。幼いころは兄の図鑑を勝手に引っ張り出して、飽きもせずに眺めていたものである。資格はある。私はお米と味噌を山ほど積んだ船に相乗りし、とうとう、西中之島に来てしまった。二、三日の滞在のつもりがもう一週間。ほら、日に焼けて真っ黒。呑気な両親もそろそろ心配になってきたかと見えて、このところ手紙が毎日船に乗ってやって来るけど、ええ、構うものですか。蜜柑が夕陽と同じ色に染まって、すっかり甘くなってしまうまで、私はここにいたって、いいんだ。
自由である。昭和六年の、一生に一度の経験である。
島には正雄さんと町子さん、それから蜜柑の世話をする方々が毎日訪れるだけだ。使われてない部屋がいくつもある大きな家は、小さな島には不釣り合い。
正雄さんはおかしな人だ。風采も話し方もとても感じがよろしい方なのに、どこかとぼけた調子で、立派なご両親を上手く丸めこんでしまって、こうして一年も絵を描いて過ごしている。
一年ということは、美術学校の試験は、もうとっくに終わって、ひと巡りしてしまっているのではないかしら、と思う。それなのに、
「なに、こういったものは、才能で決まるものですよ。真面目に勉強したって、ちっとも偉くなんかなれない」
などと言って、私に、えばってみせる。
正雄さんは、今、頑張って洋画に取り組んでおられる。頑張っていらっしゃるのだけど、ちっともはかどってない。何も構図が浮かばないので、毎日、模写をして過ごしている。洋画の印刷された絵葉書を見ながら、本物そっくりの作品を仕上げてしまうのである。
ほんの小さな時分から、正雄さんは本当のお屋敷で、この島で、絵筆を取り、何十枚も大作をものにしてしまっている。
「どれも、人の物まねですよ」
なんて言いながら、得意なのだ。時には私に絵を見せながら、やれ印象派だの、やれルネサンスだの、講釈を垂れる。参ってしまう。きっと私は東京からやって来たお嬢様で、だから、当然絵画にも造詣が深い、そう、思い込んでいるのだろうし、私が、はい、はい、なんて調子を合わせてしまうものだから、ますますおかしな具合になってしまう。絵なんて、私、モナリザぐらいしか知りません。ここにはモナリザがない。
となると、嘘つきな私が、悪いのかしら。とも思う。
でもほら、さっきからあの通り。正雄さんは、私の前ではあんなふうな言葉遣いで、かしこまっているけども、町子さんや、蜜柑を育てておられる方の前では、くにの言葉をすっかり明けひろげに出してしまって、
「こん夏ば暑かけん、蜜柑ばよう取れっとよ」
なんて。
私もふだん町子さんとお話しするので、今ではすっかりこのくにの言葉にも慣れてしまったのだけど、正雄さんは決して私の前でくにの言葉を使わない。皆と話している時でも、私の姿が見えるなり、やあ、と笑われて、そして話を終わらせてしまう。その笑顔には後ろめたい恥じたところなど少しもないので、私は、すてきな笑顔だと思うのだけれども、でも、やっぱり、私の前では黙ってしまわれる。私に、なぜか気を使っているみたいだ。いわばこれも、嘘である。
私たちは、薄絹みたいな嘘を身にまとって、ここで暮らしているのだ、とも言える。そう考えると、何とも寂しい。薄絹ごしの感触が、とても肌触りがいいものだから、なおさら寂しくなってしまう。いったい、正雄さんは絵筆を止めてぼんやりと庭の様子をご覧になるとき、何を考えて、そして、どちらの言葉で考えているのだろう。
いけないこと。なんだか、気持ちが沈んでしまう。

 

サカサハネカクシ 鞘翅目ハネカクシ科、体長5mm。
黒色で触覚は太く、鞘翅は青藍色で光沢がある。またハネカクシ科の特徴として鞘翅が短く、腹部の大部が露出している。後翅は巧妙に折りたたまれており、これを開いて飛翔する。腐敗物に集まり、特徴として脚の関節が逆を向いており、後ろ向きに歩く。翅によって飛翔する際は頭のある前方に向かって移動する。
また足先からは蠅のような分泌物が出ていると考えられており、これによってガラス様の壁においても自由に歩行することができる。外敵に襲われた際はむしろ翅よりもこの脚を使用して逃げる。また腹部からは臭気のある液状の分泌物を放出する。

 

 
町子さんから嫌な顔をされて、受け取った腐った鼠の死骸。
こうしたものは硝子瓶に入れて、そのまま埋めてしまうのだ。この時瓶の口を地面と水平にしておくのが肝要である、だなんて、私の読んだ本には書いてあった。
「あんたはきっと、私が道んとこ寝んたわとってもばちくり返して虫ば取っとっとよ」なんて町子さんには言われてしまった。たぶん、そんなことはしない。ひどい臭いがするぼろぼろの腐肉をかき分ければ、爪の先ほどの小さい甲虫が、いくらでも取れてしまう。神様になったみたいだ。
だけど私、ちっとも神様らしくない。
虫のことはすべて兄から教わった。兄は幼いころから大学まで昆虫を愛好してやまない性質で、双子の私もなかば強引に、なかば自ら面白がって虫集めに興じてきたわけだ。女の子におかしな遊びを教え込ませるものじゃないと、ずいぶん両親からは小言をいただいた。まったく、私は罪深い。ひどいものですよ。
おや、何匹か硝子瓶から這い出して逃げ出すものがいる。
あわてて吸虫管を用意しようとしたのだけど、逃げられちゃった。仕方がない。それに死骸に向かって息を吸い込むのは、やりきれない。こんなことをしていて、きっと、病気になってしまう。
枝を踏む音がして、吉田さん。吉田さんは奥様と蜜柑の世話をなさっている。あちらの畑からこちらの畑、そこの脇道を抜けるのだ。こんにちは、と挨拶すると
「ん」
と返事をなさって行ってしまう。
この場の私の格好は簡単服にテニス帽、これなら小さな山に登るようだけど、その上から割烹着を着ているので何ともちぐはぐかもしれない。こちらに来て、鏡を見ながら初めて自ら髪を切ってみた。思い切って短くしたのだが、ことのほか上手く切り揃えられたので、美人である。それが、ん、では、嫌じゃありませんか。失礼しちゃう。でも、吉田さん、ご夫婦で正雄さんとお話しされているのを何度かちらりと伺っているので、決して、悪い方ではないのだ。そう考え直すと、さっきの、ん、にも、なにかしら人柄が感じられて、私は、別に嫌われているわけでもなさそうである。先日も、私が地面に落ちた蜜柑のうっすら黄色づいたものを集めているのを見ていて、やはり何も言わなかったけれども、お茶を一杯頂いた。
なんだ、腹を立てることはなかった。かえって、あさましい。まるで自分が嫌われていないことを、いちいち確かめたがっているみたい。
きっと吉田さんは、正雄さんと違って嘘をつくのが苦手なのだ。正しくは、嘘を使いこなせない。人によって嘘が使いこなせないとは、どういうことなのだろうか。教養によるものだろうか。風が、さらさらと森の葉を揺らす。教養だなんて、持ち出した、私はなんて嫌らしいんだろう。人からもらった、両親から、兄から、学校の先生やいろんな人から与えられてもらった、教養なんて、ただ、それだけのものじゃないか。得意げにそんなものを持ち出したって、私のものじゃ、ないんだ。気をつけよう。

 

ミナモアゲハ(ニシナカノジマアゲハ) 鱗翅目アゲハチョウ科、前翅長60mm。
水生の蝶である。クロアゲハに似て後翅に尾状突起を持つ。幼虫は白蝋物質を分泌し、ミズキを食し樹上にて過ごす。羽化する際に水生へと環境を変化せる。なお本土においてはクロアゲハとの交雑種が見られるが、交雑種には以上のような習性は見られない。また習性においてはアゲハチョウのそれと比較して、むしろ全く類縁関係にないアゲハモドキガに近い特徴が散見されるが、触覚が櫛状ではなく棒状で先端が太い、後翅裏面の付け根に翅刺がないなど、明確にアゲハモドキガとは異なる種に属している。

 

 
私が見つけたもの。不思議な蝶。
水の上に、翅を広げて漂ってる。
池は、天水を貯めておくためのものだ。こんな小さな島では、水というものはふつう、井戸を掘っても出てきやしない。船で運ぶか、空からもらうしかないのだ。だけどこの池は本当に大きいので、何か、特別なのかしら。正雄さんの家にも池があるが、ほんのちっぽけで、鯉が一匹、つまらなそう。こちらは、夏の暑いさかりだというのに、ちっとも小さくなっていない。そして、澄んでいる。底に沈んだ枯葉まで。森の奥にあって、冷たくて、蜜柑栽培にも使う貴重な池なのだ。大きなミズキの枝が池の半分を覆うように張り出していて、私はこの島に来たばかりの時分に、蛹から浮かしたばかりの蝶が、ぼとん、ぼとんと池に落ちて、そのまま水面で羽を伸ばしていくのを大層面白がって眺めたのである。こんな蝶はまったく、初耳だ。近しい種のものも聞いたことがない。
正雄さんにも尋ねてみたのだが、本来、絵の練習をするためにこの島に住んでいるのだから、この池の様子までは見たことがないそうだ。「しかし、それにしても」と正雄さんは続ける。「この島には幼い時分から何度も遊びに来ているし、当然池だって知っている。そのような珍しい昆虫がいれば、いくら無頓着な僕でも気づかないはずがないのだがね」
首をかしげる。「何にせよ、昆虫学上の大発見だ。静子さん、あなたのお兄さんに手紙を書いて、そしてよく調べなさい」
この意見に私は大いに触発されたのだ。兄からの手紙にもやはり「新奇なるがゆえ殊の外精緻に観察するべし」と書かれている。
貴重な水の代わりに私が持ってきたのは、まだ真っ青な蜜柑。間引いた蜜柑は砂糖漬けにすると美味しいらしいのだけど、ナイフを入れて舐めてみると、酸っぱくて、口がきゅうってなる。面白い。
水生の昆虫と言えばゲンゴロウやアメンボ、タガメなどであろう。しかし鱗翅目の水生昆虫など聞いたことがない。その名の通り翅が鱗粉で覆われているので、到底水生に向かないはずであるが、観察してみると翅一面にロウ状の分泌物が付着しているのが分かる。黒色で、つやつやしている。蝶の特徴として体が華奢であるのだが、普段水面下に沈む部位には白い毛がびっしり生えていて、やはりこれもロウである。この毛の間にどうやら空気を貯めておくようなのだ。
足を動かして泳ぐようだが余り泳ぎは得意とはいえない。ではどうして移動しているのかというと時折翅を立て、その翅で風を受けて進むのである。なんて面白い。
食性については不明な部分も多い。私は最初、もしかして、水面に浮かんでいるのだから水に落ちた花の蜜を吸っているのではないかしらと考えたのだが、そのような花は見当たらない。となると水面に浮かんでいる理由は、休むときに外敵から身を守るためであろうか。池の淵に止まって、体を乾かしているようす。これから花を探すんだろうか。
乾くまでの辛抱なのである。
なんとも無防備なので、つまんで捕まえてしまう。
蝶の表情、表情と言ったらおかしいかしら。なんだかとぼけていらっしゃる。ロウの翅は触っても、鱗粉が落ちないのだ。足がわずかに宙を掻く。学生の頃、友達の天竺鼠を抱かせてもらったのを思い出した。この子には温もりもなければ、抱くこともできない。すぐばらならになってしまうだろう。だけどこうして人の手に委ねられ、逃げることもかなわず、だけど殺されもしない、そういう生き物というのは、皆、どこかしらとぼけているものだ。
近くにぽつねんと、一輪だけ咲いていた槿の花に止まらせる。
神様の気まぐれ。いや、神様なんて持ち出してもらっちゃ、神様だってきっと困る。どうも私は、自分の手に届かない、あれこれの観念を、すぐに使いたがる。私の気まぐれ、私は、気まぐれなんだ。蜜を吸ったらうんと遠くにお逃げ。きっと次は、殺して針で串刺しにしてしまう。

 

タテハネメマトイ 双翅目ショウジョウバエ科、体長2mm。
メマトイは極小の蠅であり人畜の目を狙って飛び込む習性があることからこの名がついた。涙中の成分や目脂を好んで栄養とする蠅である。通常蠅は水平方向にのみ飛翔し垂直方向への移動、その場での静止は不可能であるが、この蠅の翅は垂直方向にねじれており、逆に垂直方向にのみ飛翔し、風に乗って人畜の目に達する。視界外から突然目に飛び込んでくるので注意が必要である。他のメマトイと同様、東洋眼虫の媒介主となって人畜に病害を与える恐れがある。

 

 
私は蝶について一日調べ物をしていたので、気がついてみればもう陽が落ちかけているのだ。私は森を抜け、なおも考える。あの蝶はどこから来たのだろうか。
西中之島は小さな島である。周囲には天草の他の島があり、無人島も多い。すぐそこに島があり、八代の内海が広がっている。このような環境で、固有の種がいるなんて、考えられない。
例えば台風だ。風に乗って台湾などから珍しい昆虫が飛来することなどがある。いわゆる迷蝶である。その内の何頭かがたまたまこの島に居ついたのかもしれない。台湾には珍しい虫が多いと聞く。
しかしあのような蝶は台湾にもいないのではないかと思う。発見されていないだけでどこかの山奥にひっそりと暮らしているのだろうか。私は風に飛ばされた蝶の冒険を考える。あるいは、海を泳いでやって来たとか。蝶の群れが翅の帆を立て、潮の流れに乗って日本までやって来る。痛快だ。ふざけている。まさか、そんなことはありえない。確かに水面には蜘蛛や蟷螂はいないかもしれないが、あれでは逆に魚に食べられてしまう。あの池で蝶が自由に浮かんでいられるのは、たまたま天水を貯めておく池で、魚など一匹もいやしないからだ。つまりは奇跡なんだ。
しかもあのミズキの枝だって、たまたま池の上に張り出しているが、あれも、奇跡である。よくよく奇跡が重なっている。考えてみると納得いかないことばかりで、そもそも、あんな蝶自体が納得のいくものではない。なのに現に存在していてひらひら飛んでいるのだから、またもおかしくなる。新種なんだろうか。もしそうなら私の名前をつけてやろう。標本を手に、兄さん、正雄さんと、私が並んで、新聞の写真に納まってるんだ。私の名前というのは、少しふざけすぎたから、島の名前をとった名前で。あれこれ想像した光景が、馬鹿馬鹿しくて、すっかり気に入っちゃった。
家に戻ってお夕飯をいただく。町子さんは大変だ。道楽者二人を抱えて、しかも私の来る前は、正雄さんと二人きりで過ごしていたのだ。「やだね、そぎゃんこつ何もありまっせんよ」と町子さんは言うが、私はそんな意味で言ったんじゃない。これでは私が不潔みたいだ。
「僕は何も遊んでいるわけじゃないんだ。確かに未だ美術学校への入学は果たせていないが、それはむしろ僕の志が高い部分に原因がある」正雄さんは真面目ぶって、お茶漬けをたべていらっしゃる。「両親だって、僕の判断を尊重しているのだ」
「ほんにまあ、正雄さんはあごが立つ」町子さんが茶化す。正雄さんは不機嫌なふりをして、お茶漬けをもくもくと口に運ぶ。私は天草のお饅頭をたべて、ああ、なんて馬鹿馬鹿しいんだろうと思う。世間では満州がどうだの騒がしいらしいのに、ここだけ、ぽかんと世の中から切り離されたみたい。私たち、こんなことではいけないのかしら。
「なに、僕らには僕らの役割というものがあるのです」
呑気なひとだ。

 

ヘビゾウムシ 鞘翅目ゾウムシ科、体長21mm。
ゾウムシの中には口吻が非常に発達したものが存在するが、このゾウムシは口吻がその体調の七割以上を占めている。灰色と黒色のまだら模様で、フジやクズなどのマメ科植物につく。非常に長い棒状の口吻の中間部分から触手が飛び出しており、脚部は根元が太い。緩慢な動きで、食性から見ても全体的に要領を得ない体型をしている。空力学上飛ぶことが非常に困難であると思われるが、一応飛翔し、灯火に向かって集まる習性が確認されている。

 

 
夕食をたべおわったら私だけ虫の採取の続きである。
木の間に張られた白い幕に、アセチレンランプのとても強い光を当ててあげる。準備をしてから家に戻り、今日捕まえた昆虫を展翅板に固定したりアルコール漬けにしたり、三角紙に包んでナフタリンといっしょに仕舞い、兄に手紙を書く。お風呂に入る。私はまだ、寝間着に着替えない。正雄さんがおやすみの挨拶を言いにいらっしゃる。
町子さんは女中部屋で縫物をしてる。その明かりも消えたころ、毒管をうんと用意し、提灯を取り出し、私だけ先の場所に戻るのだ。
そうしておけば、ほら、たっぷり虫が集まっている。なんだか、あさましいくらいびっしり。蛾や、甲虫がいくらでも捕まえられてしまう。お鼻がとても長い、あまりにおかしな恰好の象虫が何頭もしがみついていたので、一頭、爪先で幕から引き離そうとすると、爪が幕に引っかかって外れない、しめたとばかりに翅を広げて飛び上がろうとしたものの、重心が崩れて後ろ向きにひっくり返って落ちて、見えなくなってしまう。これは上手く逃げられたのかしら。滑稽な虫だ。悲しくなってしまう。私だけがほんの遊びでここにいて、他の虫たちは誰もが、必死なんだ。
アセチレンランプの、硫黄の臭いが好きだ。かすかにシュウシュウと音を立てるのが好きだ。橙色の豪勢な炎が、時々身悶えして影が震える。お明神様の縁日だ。私が鼈甲飴に夢中になっている時も、兄は境内の木陰で、珍しい種類のカマドウマを見つけて喜んでいたっけ。べたべたした夏の夜。相変わらず蝉の声が、やかましくて、まるでジャワの熱帯雨林にいるみたい。もっと静かな場所で、やはり汗を垂らして、今時分でも馬糞をひっくり返している兄を思う。
ばふり、と風を受けて幕がはためいて、私は初めて気づいた。
誰かいる。
幕の反対側、小柄な髪の長い女の人の影。
風が止み、押さえつけられていた蛾やキリギリスがはっと逃げ出していくつかの影が消える。
町子さんでも、吉田さんの奥様でもない。他に誰もいない。いるはずがない。私が立ち上がると、その影はずいぶん私より小柄で、着物を着ていて、笑っている。くすくす声が聞こえる。葉を踏む音が聞こえる。
姿が光の中に消えていく。遠ざかっている。
私は走り幕の裏に回る。見回す。誰もいない。確かに誰かいた。森の奥、何かが動いたかも、でも見えない。踏まれた葉、いいえ、これでは分からない。提灯を手にしようとして幕を見た私は、あっ、と悲鳴を上げる。
女の人の顔。
違う。これは。

 

モナリザガ 鱗翅目ヤママユガ科、前翅長約65mm。
幼虫は透き通った緑色をしており、山林に生息しているが個体数は限られている。その少ない個体がおそらくたった一つの、数十頭もの集団を形成することがあり、幼虫の食物であるバラ科の樹木に止まる習性がある。その斑紋が寄り集まったときにちょうどレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」とまったく同じ姿になることからこの名がつけられた。成虫には口吻がなく、寿命は短い。

 

 
目、鼻、額、頭。確かにこれはあの、モナリザだ。顔の欠けたモナリザがアセチレンランプの橙の光を背にして、ちょうど私の顔の高さで浮かび上がっている。
もっと近くに寄って観察する。指で翅に触れると勢いよく震える。指に鱗粉がつく。これは塗られたものじゃない。彼らはぴったりと体を寄せ合って、それがまったく、絵画みたい。わずかに見える隙間から覗いた白い布がとても目立つ、けど、これが木の幹だったら? 隠れているんだ、と思う。枯葉に擬態するのと同じ、こうすれば、見つからないと思ってる。全く、理解できなかった。絵画に擬態して、どうするのか。美術館に生息する蛾、なんて、きっと、誰も理解できない。美術の先生からひらひら逃げ回る。
莫迦。
違うのだ。私は今、何か違うものを見ている。これはダーウィン先生の進化論とか、そんな風に説明できるものとは思えない。考えられるのは、そう、例えば品種改良。おもしろい姿の犬や、美しい花を作るみたいに、誰かがこうやって蛾を。そんなことができるのだろうか?
でも実際に、こうしてじっとしている。ということは、誰かがしたのだ。きっと。正雄さんも当然知らなかったこと、では誰が。
生きたまま捕まえたい。
私はついさっき追いかけようとした女の人のことをすっかり忘れてしまっていた。捕虫網を用意しようと引き返し、引き返そうと一瞬目を放したときに蛾が一羽布を離れ、それはちょうどモナリザの瞳の部分で、私は反射して手を伸ばすのだけどもちろん蛾は捕まらず、真っ暗な森に向かって消えていく、その蛾の向かう先に女のひとが立っていたとき、だから、私は大層驚いた。知らないひとだった。華奢で、真っ白で、寄れた着物姿で髪は伸ばしたまま、裸足だった。暗い中で目だけがぎらぎらと光っており、私はなぜか、この女は狂犬病にかかっているのだと思った。
彼女は飛んで行ったものと別の蛾を、泥だらけの手に持っていた。
ああ、そんな風に持ったら蛾は傷ついてしまうのに。ぞんざいに翅をつまみあげていて、蛾は、彼女の手の中でばたばたと苦しそうだ。
彼女は蛾を持つ手を、ちょうど自分の顔の高さまで持ち上げる。するとモナリザの口の部分が、ちょうど彼女の顔にかぶって見えるのだった。けど、それは雑にぶら下げたものだから、ひどく歪んだ笑みに見える。
彼女はそのままの格好で動かなかった。
私に向かって、蛾を差し出しているのだと気づいた。
彼女が一歩、後ろに下がった。私が前に一歩、進んだから。彼女は踵を返して裸足のまま真っ暗な森へ入っていき、私は、提灯を持ってその後を追いかけた。訳も分からず、無我夢中だった。
何やら低く不気味な、知らない虫の鳴き声がする。

 

ナキカナブン 鞘翅目コガネムシ科、体長20mm。
緑色の光沢のある鞘翅を持ち、後足の基節間の距離はカナブンに似て離れている。主に樹液に集まり、雄の後翅は非常に長く鞘翅からはみ出しており、飛翔能力を持たない。その場で大きく羽ばたくことによって翅を振動させ、この振動音によって雌を誘い交尾を行う。鞘翅目においてはカミキリムシの一部が鳴き声を出すことが知られているが、その役目としては警戒音であり、雌との交配を目的としたものではない。鳴き声は低い唸り声のようであり、セミやコオロギなど他の鳴き声を出す昆虫に比べて非常に地味であるが、独特の周波数であり、空気中よりもむしろ木の幹を通じて伝わってくるので、耳を木にぴったり寄せればその鳴き声を明瞭に聞き分けることができる。

 

 
森の中を私はずいぶん彼女を求めてさまよった。誰だか分からない、だけど、何でだろうか。私は彼女が、何か私が考えている以上の秘密を持っているように思える。おかしい。まるであの恰好、莫迦みたいじゃないか。何でこの島にいるのだろう、何であの虫を持っていたのだろう。そもそもこの島には、なぜああも奇妙な昆虫がいるのだろう。なぜモナリザなのだろう。モナリザ。そういえば正雄さんはモナリザの絵を持っていらっしゃらなかった。前に聞いた時、人にあげてしまったと仰ってて、でも、どこか変。お二人は何か、関係があるのだろうか。もしそうならそれは、きっと悲しい物語に違いない。
水の流れる音がする。足が止まる。おかしい。島に川はない。用水路には毎回使う時にだけ、少しずつ池の水を流している。こんな夜更けに誰が水を使うのか。だけど水の音は、池に向かうにつれてだんだん大きくなっていく。
確かに池の水がさざ波立っている。提灯を、ついっと動かして水面を探ると、確かに水が真ん中に向かって流れていて、私はもっと池の奥を見ようと、提灯を突き出した。そうして、本当に驚いてしまった。
水面が、まるで布をつまみあげたように、真ん中の部分で、ぴんと持ち上がっているのだ。
丁度高さは私の腰のあたり、そこに向かって池の水が吸い上げられて、漏斗をひっくり返したような形、私は提灯を突き出して漏斗の根元がどうなっているか見ようとしたのだけど、真っ暗で、何も見えない。試しに枯葉を落としてみると、水面を回りながらあっという間に水と一緒に宙に浮きあがり、消えてしまった。何かが水を吸い上げてる。それなのに池の水がなくならないのもおかしなことだ。
もっと遠くに提灯を掲げようとして、落としてしまう。
ああ、やってしまった。拾い上げようにも、池は真黒だ。明日探すしかない。あのおかしな何かに吸い上げられていなければいいけど。これ以上どうしようもないので私は立ち上がるが、そうして、今度は私の体がおかしなことになっている。
光っていたのである。
私の体はぼんやりと黄色い光を発していた。私の手のひら、腕、ということは顔もだろうか。服はまったく光っていない、体だけがぼんやりと、わずかに、しかしほんとうに光っている。蛍のよう。よく見ると草むらのあちこちでも、同じように何かが光っている。その一つのほんの小さな点が私の腕にとまり、目を凝らしてみると、それは蚊だった。潰す。
理由は分からないが、これは便利である。提灯なしでも、帰れる。
腕をまくってまっすぐ前に突き出すと、心持、前が見えるような気がする。草や虫のいくつかが光っているので、私はそれを見ながら、何とか地形を思い出す。そうして進んでいると、またもやおかしな発見をした。何か球のようなものがあちこちに浮かんでいるのである。握りこぶし大の大きさで、非常に緩慢な動きで、綿くずのように漂っている。それが時々光を遮るので、私は気がついたのだ。試しに枝で突いてみる。
枝がぐいと強い力で引っ張られ、手を離れ、闇の中に音もなく消えてしまう。
何やら嫌な予感がする。
正体が分からないが、これは、とんでもないものではないか。
あわてて足元の光る草を一本引き抜く。すると草はみるみるうちに光を失ってしまう。役立たず。大ぶりの枝を探す。先ほど水を吸い上げていたのも、きっと、同じものだ。何かを強い力で引き込んでしまうものが、辺りを漂ってる。分かってること、空気はほとんど吸い込まないということ。辺りで木が折れてたり倒れたりしていない、だから木には影響を与えないということ、だけど私がぶつかったら、どうなるか分からないということ。とにかくこの枝を振り回しながら歩いて、何とか家までたどり着かないと。
「やめときなよ。無駄な努力だと思うよ?」
振り返る。
あの女が、私を突き飛ばす。
何かが私の足首に触れる。
平衡感覚がなくなって地面に倒れると思ったらそこには地面がなくて、ぐるぐる回る。回りながら、私は、ぽん、と気を失ってしまった。

 

 

 

ヤドナシアリ(ニシナカノジマサスライアリ) 膜翅目アリ科、体長4mm。
ヒメサスライアリやアミメアリ、グンタイアリなど定住する巣を持たない蟻も一部には存在するが、このヤドナシアリのように完全に巣を持たない蟻はおそらく類がない。黒色で、岩盤上の開けた場所に生息し、昼夜を問わず集団全体が常に移動し続けている。女王蟻が一つの集団の中に複数存在する多雌性の蟻であり、特徴として女王蟻の足や触覚が全て働き蟻によって切り取られていることが挙げられる。幼虫、蛹、そして女王は常に働き蟻によって運ばれている状態にある。別種の蟻を捕食したり、動物の死体などを食す。

 

 
さっきから陽の光が当たってる。
ひんやりとした岩に体を寄せて蟻が歩いているのをじっと眺めていた。
種類まではよく、分からない。黒い小型の蟻が白い卵や幼虫を抱えて黙々と移動してる。私の腕の上を這いずり回る。可愛い幼虫を持っているので、払いのける気にならない。我慢している。
そうして、裸で横になっている。なぜ裸なのだろう。分からなかった。
なぜ屋外で、裸で岩場に寝そべっているのか。
これはおかしいのでようやく私は体を起こす。呑気なものだ。呑気というか、頭がぼうっとしていた。眠気をひきずる頭で薬でも盛られたのか、なんて考えてる。そんなの、猟奇事件だ。身体には傷一つないので、その心配はなさそう。
いや、それどころではない。
肌が白い。そもそも腕が真っ白だった。まったく、日に焼けてない。髪が伸びている。指で触ると、ぎしぎしとつっかえる。いや、そもそも爪、まるでお化けみたいに伸びてしまっている。すぐそばに磯があって、大きな天草の島が見える。
つまりここは反対側、吉田さんが使っているから入ってはいけない場所だ。確かに柵がある。でもあの柵、磯のずっと手前で切れていて、話が違う。柵があるから磯には入れないと、正雄さんから教わったのに。やはり何事も自分の目で見てみないと駄目なんだ。
困ったことに着るものが何もない。
だから私は海に飛び込んだ。こうしておいて、服は、なくしてしまったって、誰かに見つけてもらってそう言うしかない。そう考えて私は島の周りをぐるりと回って船着き場まで泳ぎついてしまったのだけれども、誰の姿も見えない。正雄さんは確か、昨日の晩、写生に出るから弁当を用意してくれとか、町子さんに言いつけていたはず。でも、少なくとも海岸沿いにはいない。
水が存外冷たいし、泳ぎ疲れちゃったので、上がる。
歩いて家に戻るしかないなんて。
泥棒猫みたいに辺りをうかがいながら慎重に。こんな格好、絶対に正雄さんには見せられない。普段のなんてことない道、裸だと長い。蚊に刺されやすい。幸い道のあちこちに、根ごと引き抜かれた雑草が散らばっていて、裸足でも歩きづらくはなかった。家に着いたので私はお庭から直に自分が使っていた居室の障子を開く。
ない。
私の荷物がない。行李がない。バスケットもない。出してあったパラフィンも、展翅板も、標本もないし、当然服もない。
誰かが片付けてしまったのか。部屋は空っぽだ。
どうしようもないではないか。
私は途方に暮れた。そんな余裕、なかった。廊下を誰かが歩いてこちらに向かってくる足音が、それに話し声、これは正雄さんと町子さんだ。襖がぱっと開いたのより若干早く私は障子をぱっと閉じたけど、気づかれてしまった。
「誰ね」
近づいてくる。
身を隠す場所がどこにもない。
障子が開く。
私は池に駆け込んでいる。
膝を抱え、裸で池の真ん中に座っている私と、私の周りで泳いでいる鯉を、ぽかんと、正雄さんが見ている。
おしまいだ。何をやってるのか。私は自分の失態に泣きそうになって顔を伏せる。おまけに池の底はぬるぬるしている。気持ち悪い。
「静子さん!」
血相を変えて正雄さんが池に飛び込んで私を抱きしめたので私は大層びっくりしてしまう。大丈夫、心配しなすな、心配しなすな、くにの訛りで囁きながら町子さんにお湯とタオルを用意させる。とんでもないことだ。私はただ、きっと、うっかりしていただけで、それが恥ずかしかっただけなのだから、別に大事ではないのだ。それを説明しようとするのだが、何も聞かずに正雄さんは、心配しなすな、心配しなすなと、私を落ち着かせようとする。もう私は、落ち着いてる。
私は泳いでいて、服を盗まれて気が動転しただけだと言う。話を簡単にしなくっちゃ、しょうがない。
「誰が」
昨晩出会った女の人相を伝えた。
「ああ、俶か」
俶の奴、ほんに仕様のなかとぶつくさ呟く。「ありゃあ莫迦だけん、あんまり付き合いなすな。静子さんば、今大事な時期だけんね」
大事、つまり大変な時期。
「静子さんも急いで治さそうとせんでよか。兄さんば亡くして、急に立ち直れるわけもなし、ゆるくしてたらよかたい。ゆるく」
私は町子さんに連れられて、池から出て、風呂場に向かう。足跡で廊下が汚れてしまう。私は足跡のことを気にしながら、ぼんやりと、兄が亡くなったとはどういうことだろうと、頭の中で繰り返し、考えていた。

 

ダマサレムシ(カミキリネジレバネ) 撚翅目ネジレバネ科、体長3mm。
ネジレバネは寄生昆虫の一種であり、代表的なものにスズメバチに寄生するスズメバチネジレバネが知られている。体長はどの種もごく小さく、雌は蛆状の形態のまま蜂の体内から出ずに一生を過ごし、オスはハエに似た形状で飛び回る。成虫には口がなく雄の成虫はわずか数時間の一生の間に雌を探し当て交尾を行う。
このダマサレムシはスズメバチに擬態するトラフカミキリにのみ寄生する昆虫である。トラフカミキリは体長20mm、黄色の鞘翅にある黒い帯によってスズメバチに擬態していることで知られているカミキリムシであるが、その腹部からダマサレムシの雌が一部顔を出している場合がある。ダマサレムシの雌は目も口も足もすべて退化しており、運よく雄が飛来するのを待ち構えている。生態としてはスズメバチネジレバネとほぼ変わりがなく、しかし宿主はスズメバチではない。いわば蜂だと思い込みカミキリムシに寄生しているのである。

 

 
兄は死んでいた。私は兄が死んだために気が狂っていた。
自動車事故だった。気が動転し、高熱、うわごと、奇行を繰り返すようになった私は、複雑な経緯の後、兄の友人である前島正雄さんのお宅に伺うことになったのであった。昭和五年五月の出来事である。以来三か月、私はここにお世話になっている。
昭和五年である。
一年前。
まるで本当に私の頭がおかしくなってしまったのかしらと思ったが、取り寄せてもらった新聞には信州で浅間山が噴火したと小さく書かれており、これは確かに一年前、東京でも新聞で読んだもので、まったく記憶していた通り。まるで千里眼だ。私は千里眼ではないので、畢竟昭和六年から昭和五年へ時間がさかのぼったことになる。しかもさかのぼってたどり着いた場所は、私の知っている場所と、微妙に食い違っている。
ここでは兄が死んでしまっていた。
兄さんが。
何もわからないが、何かを訴えれば訴えるほど、正雄さんは悲しそうな顔をするので、二三日過ぎると、私はあきらめてしまった。
両親からの手紙をいくつか読んだ。兄のことは何も書かれていなかった。手紙で聞いてみようかと思ったが、便箋の端に、涙のにじんだ跡があったので、やめた。
荷物は別の部屋にあった。虫取りの道具は何も入っていなかった。
行李の底に、制服姿の兄の写真があった。
日記をつけておけば良かった。この世界の私が、兄さんが死んで、どれだけ悲しんで、どのように心が壊れてしまったのか、私は自分で見て確かめたかった。観察したかった。
何もわからないまま、ただ、兄が死んだことをぼんやりと受け止めなければならなかった。
私はばったりと虫への興味をなくしてしまった。
俶さんは正雄さんの妹で、私は、正雄さんに妹がいたこと、島の反対側の小さな小屋に住まわされていること、何も知らなかった。
「あたいみたいなんは、恥だと思ってるんだよ」
彼女は狂人だった。少なくとも正雄さんは、俶さんについてそう思い込んでいた。この家も元々、俶さんのための家だった。と言ってもこれでは、島に閉じ込めておくようなものだ。俶さんは家には住まわず、海の見える場所に勝手に小屋を作って住んでいた。正雄さんは家族中から疎んじられ、腫物扱いされていた俶さんをかばい、そうして、この島に居つくことに決めたのだ。道楽でこの島にいたわけではなかった。
開け放たれている小屋には、正雄さんの描いたモナリザが置いてある。こんな所にあったのだ。
「モナリザ? へえ、この人そんな名前なの。外国の人?」
俶さんはもともと千里眼の持ち主だった。幼いころはよく、なくした財布を見つけたり内緒の立ち話の言い当てたりして、驚かれ、次いで気味悪がられていた。
読み書きは苦手だった。数も、両手を使ってでしか数えられなかった。そして成長すると千里眼の力は消えてしまった。
ある夏の日、いつものように俶さんは真夜中の森で遊んでいると、突然例の光と闇に襲われたのだ。俶さんの場合は、身体の光が最後急に強くなり、そして一気に光が消えて身体ごと闇になってしまうのだと言う。「神様だよ」と俶さんは、こともなげに言う。「あの祠の神様がやったんだ」
そうしてやはり彼女も、一年前に引き戻されていたのだ。
「裸で?」
「裸? 全然」
彼女は説明してくれる。時のさかのぼり方には二種類あるのだ。私のように身体ごとさかのぼる場合には、すべて裸になってしまう。このさかのぼり方は一度しか経験できない。一方俶さんのさかのぼり方だけは特別で、いわば魂だけがさかのぼり、昔の体の中に入ってしまうのだ。これは毎年繰り返される。魂が戻るのだから、体が傷ついたり死んでしまっても、輪になった時間から逃れられない。そんな言い方だと、もしかしたら実際に死んで試したのだろうか。恐ろしい。俶さんは何度くらい、この昭和五年八月に戻されているのか尋ねたら、「無限」と答えた。
そんな馬鹿な。数も数えられないとさっき自分で言ってたのに、無限という概念にたどり着くなんて。
「でもこの島、変な虫がいっぱいいるでしょ? あれはつまり、この島での時間の流れがおかしくて、何度も行ったり来たりしてる証拠なんだよ」
進化論。ダーウィン先生の説だ。確かに虫ならば、草と違ってそこらに投げ出されても平気だし、一年、生涯に一度だけの繰り返しと言えないような繰り返しでも、世代を重ねられる。しかしそれでも、あんな風に進化するなんて、少なくとも数万年は必要なんじゃないか。当人はけろりとしている。最低数万歳。信じられない。
それにしても、こんな風に思ってしまうのは失礼だけど、学校にも行ってないのに進化の仕組みを知ってるなんて。
「お兄様に教えてもらったんだよ。静ちゃんのお兄様に」
お兄様。
兄がこの島に来たことがあるのか。
「だって正兄いとお友達なのはお兄様でしょ? お兄様が来る方が自然じゃない。本当は静ちゃんが死んで、お兄様が悲しむんだよ。それをあたいが慰めるの。それで仲良くなる。だから本当は静ちゃんよりお兄様の方が好きなんだけど、今回はしょうがないよね。お兄様は一番好き。正兄いなんてあたいの話全然信じない。莫迦扱いなんだ。お兄様は違った。あたいの話を信じて、ずっと頭が良くって一緒にあたいのこと考えてくれる。何回会っても毎回そうなんだ。静ちゃんは五回くらいしか来てないけど、お兄様ほど頭良くない。お兄様が一番好き」
結局私は俶さんのこと、すぐ、嫌いになった。気持ち悪かった。私の知らない兄の話を勝手にして、私も知らないのに兄と親しくなって、それも無限の繰り返しの中で、何回も、何回も別の兄に会って、そのたびに毎回仲良くなって。この女は兄さんをたぶらかしてるんだ。兄さんや私は、巻き込まれただけだ。あなたとは違う時間の流れにいるはずなんだ。兄や私は、本当は死なないはずだった。
この女が突き落としたんだ。
彼女はもう、大手を振って出歩くようになった。正雄さんも結局、俶さんを、私のいい話し相手だと思うことにしたみたいだ。
「ありゃあ言葉遣いも、静子さんに会うてすぐ変わっとったい。きっとよか影響ば貰っとらす」
正雄さんは、俶さんのためも思っていたのだ。私の治療と彼女の治療を、いっぺんにやろうとしているのだ。うまくいきっこない。そもそも私は、兄が死んでいることをだんだん受け入れていくので、心は、どんどん悪くなってしまうのだ。なのに彼女は兄の話をつづけた。私が喜ぶとでも、思ってるんだろうか。気狂いだ。ある日など、私を崖に連れてって、こう言ったのだ。
「ここでね、あたいとお兄様が心中したの」
あの顔! 私は悔しくって、突き落としてやりたくなった。吐き気がした。兄さんが、こんな女と、何回も会って、私の知らないところで、知ってるはずがないんだ、別の場所での話だから、でも、本当に、私は兄さんがそんな不潔な真似をする可能性を、考えることも嫌だった。兄さんは立派な人だ。それが心中だなんて! 俶さんを助けるため? こんな女死んでしまえばいい!
私は泣きわめいた。泣きわめいて、そうしてそれが、俶さんに見せつけるためだけに泣いていること、しんから自分の怒りと悲しみで泣いてるんじゃなくて、ただ俶さんを困らせたかったこと、俶さんが、兄さんをどんなに必要としていたかということ、だって、俶さんに何が起こっているかを本当に信じることができたのは兄だけだったから、それは仕方なかったこと、全部、分かっていた。ずるい涙だった。ずるい涙は、普通の涙と同じ味がした。メマトイが飛んできた。くしゃみした。
俶さんは泣きじゃくる私を抱きしめてくれた。しょうがないって感じだった。私も嫌だったけど、仕方なかった。そうやって私は、兄さんが死んだことと、俶さんの存在に、慣れていった。
病人であることに慣れてしまった。お荷物だった。絵の話もしてもらえなかったし、町子さんも冷たかった。
兄さんもこのような目に遭ったのだろうか。思えば可哀そうな兄さんだった。
俶さんは、兄と何度出会っているのだろうか。
小屋に、本が転がっている。ファーブル昆虫記だ。「あたいはひらがなだけだから、ところどころしか読めないけど。お兄様が、正兄いから本をもらって、僕と出会った時、一ページずつ読んで聞かせてもらえって。そうすれば何回会ったか分かるって。あたいはそれだけは、何があっても絶対忘れないようにしてる」
狩人蜂が蛾の幼虫を殺さず、眠らせる場面だという。探してみると222ページである。
二百二十二回。
無限の前では、案外少ない数。
「まず、あの夜に外にいないと駄目なんだよ。それで会えても、私の話を全然信じなかったら駄目だし」
だからあの蛾を作ったのだという。「お兄様がね、木にとまった蛾の話をしてくれたの。白い木が多い処には白い蛾、黒い木の処には黒い蛾が集まるんだって。だからああして絵を置いておけば、そこにとまった蛾は周囲の環境? に適応するんだって」
気の長い話だ。蛾がそんな風に適応するなんて、いったい何万年も時を経なければならないのだろう。そしてその間、途切れ途切れでも、二百二十二年連れ添うということは、きっと、とてつもないことだ。
「ねえ静ちゃん、あたいは本当に、お兄様がいてくれないと駄目なんだよ。もしお兄様が来てくれなかったら、正兄いが言うとおりに、あたいは、頭がおかしくなってたかもしれない。二百二十二のお兄様は、それぞれ別のお兄様だけど、あたいにとっては、静ちゃんにとってのお兄様と同じ、たった一人の、お、王子様みたいなひとで」
なんて厚かましい子なんだろうと思う。羨ましい。
「だから静ちゃんにも嫌われたくない。五回会って、五回とも怒らせて、東京の女の子って、みんな静ちゃんみたいにすぐ泣いちゃうの? あたいだって静ちゃんを泣かせたくないんだ」
それは理解できる。この子は素直なだけなんだ。素直だから、何も考えずに本当のこと言って、莫迦扱いされてしまう。莫迦扱いされたって、いいんだと思ってる。ずるい子だ。気がつけば最初にあった憎しみは、もうすっかり溶けて流れてしまった。
だけど、違う。私はやっぱり、それは違うと思う。やっぱり俶さんは、私や兄に最初から出会うことはなかった。たった二百二十二回しか会ってない兄に、こんなに甘えてしまうなんて、駄目だ。これは混乱なんだ。何万回繰り返されてようと、これは、間違ってる。しゃんとして、終わらせないと。
「静ちゃんも、なんだかお兄様みたいなこと言うんだね」寂しく笑う、こんな風に俶さんが笑うなんて、初めてだ。「だけどそれは、二人が時間を行ったり来たりするのでなく、ただ単に一度戻るだけで、すぐまたまっすぐな時間の流れに戻るからだよ。無限に終わらないものに巻き込まれたら、そんなこと言えない」
無限じゃない。こんなの到底、無限なものか。あなたが数えるのをやめてしまうくらい昔から閉じ込められてるのは分かる、けど、せいぜい一億年も経っていないはずだ。虫も植物も、もっと高等になってたっておかしくないんだ。それに時をさかのぼる規則だって、まだ分からないことが多い。例えば細菌。細菌だって、昆虫みたいにどんどん時をさかのぼって、それで進化してなきゃ、おかしいんだ。もしそんなことがあったら、この島の人間はみんなコレラのうんと酷いやつで死んでしまってる。
なぜか昆虫までの大きさのものしか、時をさかのぼれない。
「そう言えば、ずっと前にお兄様が、同じ話をしてたかも」
そうだろう。私にだって、この程度なら分かるのだ。

 

 

 
九月になった。さしあたり、私は神様を何とかしなければならなくなった。
とは言ってみたものの、まったくお手上げだった。私は二百二十二回のうちで兄が知ったことを少しずつ俶さんから聞き取らなければならなかった。
「分かんないよ、なんかすごくいっぱい喋ってた。難しくて覚えてらんない」
私は正雄さんの書架から本を抜き出して俶さんに色々教えた。驚いたことに私の兄は、俶さんに字を教えようとは考えもしなかったみたい。とにかく、一万年かかってもいいから少しずつ覚えること。
ともかくあの闇の塊、あれは完全に人智を越えていて、天狗の神隠し、神通力、そういったものの類としか思えない。私も兄も全くそういった非科学的なものは信じてない。けど、少なくとも今の科学では説明がつかないし、科学の進歩は目覚ましいけど、たった一年の間にあの怪異を説明できるまでに進歩できるとも思えない。
念のため、祠を開いて見る。
何も入ってない。
「俶の奴がせせくるもんだから隠したばい」
神様を勝手に動かして良いのだろうか。なんて言ったって、原因がこんな場所にあるなら、兄さんは悩まない。大きなスズメバチの巣が裏にあって、でも、打ち捨てられたものだった。つまらない
違う。神様の仕業って、そういうことじゃない。
頭を切り替えよう。原理が分からなくたって、法則が分かれば対処できる。例えば俶さんと私たちとで時間のさかのぼり方が違うこと。うまくすれば、俶さんを堂々巡りから抜け出させられる。他にも、水と空気で闇の起こした反応が違うこと、屋内に闇が入ってこないこと。二百二十二回の内に少しずつ、観察は積み重なっているはず。
兄はいくつかの実験をしていた。俶さんを島の外に連れ出したこともあった。失敗だった。二人で身投げした。俶さんだけが目覚めた。あのモナリザの顔をした蛾もつまりは、実験の一つなんだ。何かを試そうとするたび私は兄のことを思い出したが、それは最初の悲しさとはまた別の感情だった。きっと悲しさは薄まると、別の感情になる。それはむしろ私を癒すのだ。私はまたこの頃、虫が好きになった。
虫を集めることで、精神を落ち着かせるんだ。
正雄さんも虫集めには賛成してくれた。道具を貸してもらう。
ついでに髪も自分で切った。美人である。
とはいえ、神様の正体については、俶さんからあらかた話を聞いてしまっても、結局何も分からなかった。「少なくとも、あたしには何にも教えてくれなかった。他のことはさ、私が知らね、知らねって言っても無理やりしゃべってくるんだ。なのに神様については、なんにも」
虫を集めても、誰にも見せるものがいなかった。私は正雄さんに虫を見せてあれこれ説明した。話してみてわかったのだが、正雄さんはもともと、それほど虫に興味があるわけではなかった。絵を描くことが根っから好きで、だから、兄さんに付き合ってくれていたのだ。それだけの仲なのに、心が衰弱していた私を引き取ってくれて、ますます申し訳ない。
「気にせんでよか。ゆるく治させなせ」
正雄さんは優しい。あまりに優しくて、ときどきうっすら嘘の幕が見えてしまうのだけど、私は言葉に甘えた。正雄さんの道具は、あの日に私が置いてきてしまった道具よりずっと少なかった。毒管の数は足りてないし、標本箱も小さものが一つきり。
胴の中央右寄りに、針を刺す。
そうして作ったスズメバチの標本をしっかりと見ていると、発見がある。腹がこぶ状に膨れているのだ。
これは寄生虫である。きっとほじくり返せば乾燥した幼虫が見つかるだろう。
と。
私の頭の中を何か、つん、と突くような。
はて。
スズメバチと言えば祠。祠と言えば神様、神様とは何か。分からない。
分からないのであれば、と思う。いっそ決めつけてしまっても良いのではないか。
例えばこの寄生虫などはどうか。
俶さんには幼いころ、神通力があったという。神通力というものが何なのかはさておき、そのような人智を越えた力があるならば、虫が持ったって、寄生虫が持ったっていい。いいはずだ。人が人を越える力を持つなら、虫だって、虫を越えた力を持つ。
神様、人智を越えた闇、何か目に見えないものだと思っていたが、なんだ。何も根拠なんて、ないじゃない。私はありえないものと取っ組み合ってるんだから、少しぐらい考え方の、羽目を外したって、いいんだ。それに、神様が、虫より小さなものを感知できないこと。なるほど、神様が虫ならば、虫より小さなものは見えないのかもしれない。
九月。九月のスズメバチというのは一番恐ろしいものではないか。私は身震いすると捕虫網とありったけの青酸カリ、アルコール、袋を持って森に分け入りスズメバチの巣を見つけだし詳しい説明は省くが手に汗握る死闘の末ついに女王蜂を捕らえることに成功する。
採取管に入れ持ち戻る。これからである。
少量のアルコールを嗅がせて弱らせ、続いてもう一度アルコールを、今度はスズメバチに直接注射する。これでスズメバチは死んだ。死んだはず。生き返ったら大変だ。
果たして腹が奇妙に膨れている。縫い針で突いてみる。
縫い針が指から奪い取られる。
吸い込まれた。
展翅板に固定したスズメバチが目の前でくしゃくしゃに潰れてしまう。小さな、ほんの小さな黒い消し炭様のものがふわりと、私はびっくりしてしまって後ずさるのだけど、なんだかそれは元気がなくて、そのまましぼんで消えてしまった。
目を皿のようにし床を探してみたけど、何も落ちてない。
夢みたい。だけど展翅板には針だけがぽつねんと残されてる。
つまり。
やっぱりそうだったのだ。
私は一人で顔を押さえてくつくつと笑ってしまった。
驚いた。これなら、話はずいぶん簡単になってしまうではないか。来年の夏が来るまでに島じゅうのスズメバチを殺してしまえばいい。なぜ兄さんは、これほど簡単なことに気づかなかったのかしら。私は運動靴に履き替えて、駆けて出ようとする。俶さんに教えてあげよう。
コオロギの鳴き声がする。東京のコオロギより鳴き声の拍子が早くて、これが、タイワンエンマコオロギというものなのだろうか? 足を止めて、つい探してしまう。図鑑でしか見たことのない昆虫を見つけるのは、楽しいもの。
図鑑。そう、コオロギをまとめたページの右隅に。
兄さんの図鑑。
あの図鑑は、兄さんのものだった。
つっかけた運動靴を履きなおしもしないまま、私は突っ立っていた。私は兄さんを思い出した。そして兄さんがもういないということも思い出した。コオロギの姿は見えなくて、鳴き声だけが、耳に流れ込んできた。兄さん。私よりずっと虫が好きで頭が良くて、なのに、何で神様の正体に気づかなかったのか。分からない。分からないけど、今、虫を見て兄さんを思い出して、分かった。
違うんだ。
きっと、気づいてた。
気づいてて、知らないふりをした。
俶さんを助けることを、いつの間にか、やめてしまっていたんだ。
幼いころの、図鑑を見ている私。兄さんがうんとせがんでお父様に買ってもらったやつ、私はそれを、昼下がり、兄さんに黙ってこっそり引っ張り出して、だけど堂々と書生机に乗せて読みふけってる。美しい昆虫。美しいご本。
私はその背後に兄さんがいるのに気づいていない。大切な図鑑を勝手にめくってる私を、叱りもせずに、兄さんが、見守っているのにも気づいていない。
そうだ、きっと気づいていないだけで、兄さんはそこにいた。
私が虫を見て兄を思い出すように、兄も虫を見て私を思い出していたんだ。この島のおかしな昆虫の一匹一匹、すべて、兄さんが私を思って作り上げたもの、そういうことだったんだ。時間が巻き戻るたびに死んでいった私の一人ひとりを思い出すため。そしていつか私がこの島にやって来たとき、虫を作り上げた兄さんの一人ひとりを、私が思い出すため。
かわいそうな俶さんは、いいように使われていただけだった。俶さんが何度も時間をさかのぼれば、それだけ私は、私と兄さんのいた世界は、数限りなく増えていくのだから。たとえこの島に来たとしても、俶さんと出会わなければ、私たちの誰も死にはしない。私が死んでしまった場所、兄さんが死んでしまった場所は、無限にある場所のほんのわずかな可能性に、どんどん薄まっていく。そうして誰も死ななかった世界で、兄さんは、別の場所にいた兄さんが伝えた、蝶の形をした私の魂を、そっと指先で摘み取る。
もちろん何も証拠はなかった。何度もここにやって来た二百二十二人の兄が、同じ発想をするとも思えなかった。
では二百二十八番目くらいの、私は?
私は、どうするの?

 

ヒゲキリオトシブミ 鞘翅目オトシブミ科、体長5mm。
背中の中ほどに白い斑点が見られるほかは赤褐色をしている。オスは触角の中間の節にコブがある。メスの触角は非常に短いのが特徴で、成虫になった後、自ら触角を切り落としてしまうためだという。この習性について詳しいことは全く分かっていない。

 

 
私は結局、俶さんに自分の発見を教えられなかった。
そもそもスズメバチを一匹殺してみただけでは、寄生虫の正体も、なぜこのような生態に至ったのかも分からない。死骸も消えてしまった。いや、仮説ならいろいろ立てられる。例えば生存競争の一つの戦略として、この寄生虫は繁殖力や広範囲に分布することではなく、何度も同じ時間を繰り返すことを選択したのだ、とか。だけど確かめる術はない。
そういうことじゃない。もしかしたらあの寄生虫は、スズメバチだけでなく、あらゆる昆虫に寄生できるのかもしれない。もしかしたら私や俶さんも感染していて、例えば暗闇になるのは雄、光るのは雌だとか。そうだとしたら? 島ごと焼き払う? もし島の外にこの寄生虫が逃げ出していたら? 小さな島だ、この島独自の生態系など本来、ありえない。分かってないことが多すぎた。
そういうことでもない。ないんだ。分かってる。
本当は、解決してしまうのが怖かった。
兄さんが死んでしまった、この世界のまま時が進むことに耐えられなかった。本音では私は、時間をさかのぼりたかった。兄さんの死なない世界に戻れるまでやり直したかった。それが無理ならせめて俶さんに、永久に同じ時間をぐるぐると回らせた方がましだった。俶さん一人で、この島の生き物を全滅させることなど、教えたってできっこない。
私は両親に手紙を書き、東京に帰る約束をした。
俶さんはけろりとしていた。また会えるかな? 分からない。昭和六年八月十五日は、何でもない日だった。それを越えたら俶さんの存在はどうなってしまうのだろう。案外、無限の循環が終わってしまった後の俶さんが、けろりとした様子で暮らしているのかも。ずるい想像だった。虫がいいんだ、私は。俶さんが何も思ってないのをいいことに。
「そうだ、それから最後に絵を選んで」
絵。
「あのモナリザって人の絵みたいな蛾と別に、静ちゃんの好きな絵の模様の蛾を島じゅういっぱい増やしたら、もしかしたら、島に来てすぐあたいの話を信じるかもしれない。そしたら一緒に時間を越えなくても、静ちゃんと好きな絵のことで知り合いになれるじゃない? ファーブルの本と、モナリザと、静ちゃんの絵を正兄いから貰うの」
私は、俶さん、あなたは私と知り合いになっちゃいけない、そう言いたかった。私はあなたと知り合いになることが、そんなに嬉しくはなかった、やっぱりそれはどうしようもなく、そうだった、だから私はあなたを利用したんだ、そう伝えたかった。だけどそんなこと、言えない。
嘘をつくことにした。
私は正雄さんの絵の中にあったつまらない踊り子の絵のことを教えた。
吉田さんの船に一緒に乗せてもらうことにした。
吉田さんはいつどこで出会っても、やっぱり無口だった。変わらないものがあったっていいんだ。私の膝の上にはきれいに標本にした昆虫が並んでいる。珍しい虫はずいぶんナフタリンと一緒に荷物に包んである。兄の昆虫狂いを私がまねしたら、両親は何て言うだろうか。ええ、構うものですか。
正雄さんと町子さんが見送りに来てくれた。俶さんは来なかった。あれからまた、俶さんは独りぼっちになってしまうのだろうか。
船のエンジンが、ばたばたと騒々しい音を立てている。二人の姿がゆっくり、だんだん小さくなっていく。
「天草じゃ、前島さんのお屋敷に行くと?」
吉田さんが急に私に話しかけた。
ごく普通だった。今まで喋らないようにしていたんじゃなくて、たまたま、ちゃんと喋る機会や話題がなかっただけ、みたいに話しかけてきた。別に無理して、変わらないように振舞ってたわけじゃない。当たり前だ。私も普通に、はい、と答えた。
突然、私は、俶さんに、この堂々巡りを俶さんが終わらせたいのかどうか、普通になりたいのかどうか、一言も尋ねたことがなかったのに気づいた。
膝の上の硝子の標本箱を私は床に置く。
「戻ってください」私は声をあげる。「戻って!」
「どぎゃんしたと? 忘れもんとな?」
私は服を脱いで海に飛び込み、島に向かって泳ぎ始めた。

 

以上の西中之島の昆虫については東京帝国大学農学部学生であった大川勝氏、その妹である大川静子氏によって残された標本と記録のみが現存する。九州本土にクロアゲハとミナモアゲハの交雑種が見られるほか、わずかに1971年、近隣の瀬島にてタテハネメマトイの亜種が採取されたのみである。西中之島は1931年8月、原因不明の火災によって島の森林、農園、家屋が全焼、これらの昆虫についてはその後一切の存在が確認されていない。地質学的に見ても西中之島にこれだけの固有種がいたとは考えられず、これらの昆虫については大川氏らによる創作との疑いも当初から存在した。1936年には東京帝国大学の石川彌一郎理学博士による鑑定が行われており、最終的には2008年のDNA検査において全く独自の種の標本であることが確認されたが、その生態記録については研究者の間でも信憑性に欠けるものであるという見方が大多数である。大川勝氏は1946年満州において病死、静子氏も1945年3月10日の空襲で亡くなっている。
資料については故前島俶氏のご厚意によるものである。

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