挿話と童話『星あかりの魚』

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梗 概

挿話と童話『星あかりの魚』

ここは静かで暗い海の底。
独りぼっちの小さな魚フェブには
他に誰も知らない秘密の遊び場がありました。
そこには微かに光る砂が敷き詰められていて
フェブがその上を泳いでいくと
砂がきらきらと舞い上がるのです。

あるとき砂に埋もれた小さな宝石を見つけたフェブは
それをくわえようとして飲み込んでしまいました。
するとフェブの体も宝石のように光りだして
そんなフェブを仲間たちは気味悪がりました。

しかし、その姿をきれいだという
サマーと親しくなり、フェブはサマーを
秘密の遊び場へ案内することにしました。
二匹が光る砂の上を並んで泳いでいると
とつぜん奇妙な渦が発生して、二匹は飲み込まれ
ばらばらになってしまいました。

渦を抜けた先で
潮の流れを整えるための音楽を奏でる
大ヤドカリのヨルと出会ったフェブは
水中で音を響かせる笛をもらい
それを頼りに元の海域へ戻る旅へ出ます。

途中で立ち寄った竜の宮殿で
ウミガメのカーフと親しくなったフェブは
そこで一緒に遊んで暮らさないかと誘われました。
楽しそうに暮らす海の生き物たちの姿を
うらやましく思うフェブでしたが
誘いを断り、外の海への水門を開く鍵を受け取って
宮殿の仲間たちに見送られて再び旅立ちます。

ようやく故郷の海に戻ってきたフェブでしたが
海は荒れ果て誰もいなくなっていて
きれいだった秘密の遊び場もすっかり朽ちていました。

行くあてもなく故郷の海域を漂っていたフェブのもとに
見慣れない魚ミミがやってきました。
どうやらフェブの放つ光に導かれてきたようです。
ミミはフェブを自分たちの群れへと誘い
一緒にこの海域を元のように
暮らせる場所に戻そうと提案しました。

しばらく経って、フェブたちによって
ようやく海が元のように戻り始めた頃
フェブの仲間たちが長い回遊から戻ってきます。
そこには離れ離れになったサマーの姿もありました。

三匹は仲良く泳いで秘密の遊び場へと向かいました。
泳いだあとには小さな光の砂が舞っています。

文字数:800

内容に関するアピール

「おもてなし」を考えているうちに、できるだけ難解さを排したシンプルな物語を、易しい語り口で、物語の面白さをなるべくストレートに伝える、ということが浮かび、童話のようなテイストで書いてみようと思い至りました。
 もう一つ、連作短編という性質上、これまでの作品を追っていないと内容が「わかりづらい」という問題があり、それを緩和したいとも考えました。
 連作での位置づけとして、今回の内容(物語展開)は、これまでの七回分を一つの流れにまとめた、ある意味、総集編のようなものになっています。ちょうど第七回で連作の流れが一段落した、というタイミングもあり、内容を整理するうえでも良い機会だと思いました。
 ただしタイトルの通り、これは作中作として、主人公の一人が自分の体験を元に執筆したもの、という位置づけになっており、総集編でありながら詳細や結末(執筆していた段階では知り得ないため)が前の実作とは異なっています。

文字数:400

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童話と挿話

  ここは静かで暗い海の底。
  独りぼっちの小さな魚フェブには
  他に誰も知らない秘密の遊び場がありました。
  そこには微かに光る砂が敷き詰められていて
  フェブがその上を泳いでいくと
  砂がきらきらと舞い上がるのです。

   

  “Hello, imaginary world!”

 お母さんが私にC-Taleを与えてくれたのは去年の誕生日のことだった。Creating Tales――C-Taleと呼ばれる子供向けの創作支援ソフトウェアをインストールされた私のパーソナル・ナビは、いままでうまく言葉にすることができずに私の頭のなか、心のなかだけで渦を巻いていた物語に形を与えてくれる。
 C-Taleを起動させてイメージを共有し、物語を綴っていく体験は何事にも代えがたくて、C-Taleと接続されたその時間は私に自由と楽しみをもたらしてくれた。現実では何もかもが思い通りになるわけではないし、むしろ望まないことや理不尽なことが、世界にはいくらでもあるってことに、私はもうずいぶんと前から気がついていた。
 不器用で、勉強だって苦手な私をいつも守ってくれる姉――ナナちゃんのことが私は大好きで、自分と違ってどんなことでも難なくこなしてみせるナナちゃんに、私は憧れていた。
 でもね、何でもできるようにみえるナナちゃんにも、もちろんできないことだってたくさんあって、そのうちの一つが、私のなかで渦巻いている小さな物語に形を与えるってことだった。私が物語について話して聞かせると、ナナちゃんはいつも「よくわからない」と言って笑った。そんなナナちゃんの笑顔に、私はほんの少しだけ寂しさを込めた笑顔で応えていた。
 そんな私の寂しさは、C-Taleとつながるようになってから徐々に解消されていって、自分の描きたかった世界が、思った通りの文字列となって綴られていくのをモニタ越しに眺めているのは、これまでに体験したことのない快楽と満足感をもたらしてくれた。
 バックライトに照らされた白い画面の上に表示されていく黒い文字。一つひとつでは無力なその記号たちは、並び、連なることによって、私をこの世界の外、もっと広いイメージのなかへと解き放ってくれる力を獲得する。
 そして、私は自分だけの物語のなかを、自由に舞い、泳ぎ、羽ばたいていく。私のイメージに連動して浮き上がっていく黒い記号たちが、私にはきらきらと輝いて見えた。

   

「ホタル、ごはんだよ」と、ミナモが小さな背中に呼びかけると、ホタルはソファに腹ばいになって読んでいたタブレットの電源を落として起き上がった。
 すでに食卓について二人を待っていたナナカは「はーやーくー」と言いながら椅子に座って足をパタパタと揺らしている。
 ミナモとホタルが席につくと、待ちわびていたように「いただきます!」と言ってナナカは豚肉の野菜炒めに箸をつけた。そんなナナカとは対照的に、ホタルは祈るように手のひらをそっと合わせて「いただきます」と呟いて、しばらく何から手をつけようかと迷った挙句、菜っ葉のおひたしにゆっくりと箸をのばした。
 そんなふうにホタルが迷っている間に、ナナカは二杯目のごはんを自分でよそって次々におかずを平らげていく。
 小食なホタルに比べると、食卓に並べられたナナカの食事の量は多かったのだが、それでもいつもナナカのほうがずいぶんと早く食べ終わってしまい、「ホタル、早く食べて遊ぼうよー」と急かし、ホタルは黙って肯いて、しかし、とくに食べる速度を上げることはせずに、マイペースに食事を続けるのだった。
 そんな二人の様子を、ミナモは微笑ましく見守っていた。食事だけではなく、外で友達と遊ぶのが大好きなナナカと、家にこもって本ばかり読んでいるホタルは、性格もまったく対照的だったが、さすがに姉妹だけあって、その横顔はよく似ていた。
 自分も子どものころはこんな顔をしていたのだろうかと、もう写真を見ないと思い出すことのできない幼い自分の姿に思いを馳せながら、たしか性格は二人を足して割ったような感じだったような気がして、そう考えると二人は、自分の性格の静と動の部分を極端に二分して引き継いでしまったのかもしれないと、ミナモは思わず笑ってしまった。
 その笑い声に反応して、ホタルは箸を止めて不思議そうな視線をミナモに向けた。
「ごめんなさい、ちょっと昔のこと、思い出しちゃって」とミナモが笑顔を向けると、ホタルは小さく肯いて、まだおかずの残っている皿を見つめながら「ナナちゃんが、待ってるから」と呟いて両手を合わせ、「ごちそうさま」と言って席を立った。
 ミナモがホタルの残したおかずを片付けて食器を洗っていると、リビングのほうからナナカの笑い声が聞こえてきた。「ホタルって、ゲームぜんぶ弱いよね」「わたしが弱いんじゃなくて、ナナちゃんが強すぎるの」「じゃ、次はホタルの得意なやつやろうよ」「でも、わたしナナちゃんに勝てるの、あるかな?」「これは?」「うん」
 どうやら二人は対戦型のデジタルビデオゲームで遊んでいるようだったが、ほとんどのゲームはナナカのほうが得意で、初めて遊んだゲームについても、はじめのうちこそホタルが勝てる場合もあったが、回数を重ねていくうちにナナカがコツをつかみはじめると、それ以降、ホタルは滅多に勝てなくなってしまうのだった。それでもホタルは特に嫌がることもなく、むしろナナカと一緒に遊んでいるだけで楽しいといった様子で、小さな微笑を浮かべながら勝てないゲームをナナカが飽きるまで続けていた。
 家ではいつも一緒に遊んでいた二人だったが、友だちの多いナナカに対して、ホタルはとても人見知りで、ナナカが友だちと外に遊びに行くときはついていかずに家に残って小型のタブレットでデジタルブックを読んでいることが多かった。
 デジタルブックのデータは無料公開されている過去の作品をいくらでもライブラリから入手することができたし、それ以外にもライブラリには日々、誰かの創った新しい物語が絶え間なく追加されていくので、ホタルがいくら読み続けても追いつかない。
 ナナカが自立して勝手に外で遊び場を見つけ、ホタルは家で大人しく読書をする。そんな「お利口」な二人に甘えてしまって、あまり面倒をみてあげることができていないな、とミナモは自分の育児に不甲斐なさを覚えることもあったが、そのおかげで仕事を続けることができていて、何とか補助に頼ることなく自分と子ども二人の生活を維持することができているのも事実だった。
 決して楽な暮らしではなかったけれど、ミナモにとって二人の成長を見守っていくことは、何にも代えがたい喜びであり、楽しみだった。
 洗い物を終えたミナモは、片付いたキッチンのテーブルで持ち帰った仕事に取り掛かる。語学学校の講師と副業で続けている翻訳の仕事は、マイナーな言語を選んでしまったということもあって、それほど多くの需要があったわけではなかったが、競合する相手が少ないというメリットもあり、また、構造の複雑さと利用機会の少なさから、自動翻訳の開発が遅れていて精度が悪いという技術的な幸運もあって、仕事口を確保してしまえばそれなりに安定していた。
 そもそもミナモがこの言語を仕事に選んだのは、まだハイスクールに通っていたころに、見慣れない消印をいくつも捺された状態で「宛所不明」という理由でミナモのもとに「戻ってきた」出した覚えのない一通のエア・メールがきっかけだった。
 アルファベットで表記されていた宛名は、長旅で汚れて滲んでしまっていて、その文字を何とか判読してみても、宛先の国は名前くらいしか聞いたことのないまったく心当たりのないものだった。しかし、差出人として記されていた名前と住所はたしかにミナモのもので、その筆跡も間違いなくミナモ自身のものだった。
 そんな奇妙な手紙を怪しみながらも開封して、中に入っていた数枚の便箋に書かれていた手紙の内容を読もうとしてみたが、当時のミナモはそれを読むことができなかった。見様見真似で宛先の住所を書き写して、新しい封筒で再送してみたけれど、手紙は海の向こうを旅した挙句、再びミナモのもとへと戻ってきてしまった。
 そのことがどれほど影響したのかどうか、ちょうど進路選択に迷っていたミナモは外国語学科に進学してその言語を専攻することになり、学生時代には短期留学で実際にその国へと渡って、手紙の住所を訪ねてみたりもしたのだけれど、すでにそこには宛先の相手は住んでいなかった。
 訪問の際、近所の人を訊ね歩いてみたが、宛名に記されていた名を知っている人はなかなか見つからなくて、半日近くを費やしてようやくつきとめた情報によると、その女性は遺伝子工学の研究者で、その家には当初、夫婦と一人娘の三人で暮らしていたが、離婚した際に娘を夫のほうが引き取って出て行ってしまい、間もなく彼女もそこを引き払ってどこかへ引っ越してしまったらしかった。
 誰かその女性の知り合いがいれば手紙を預けようかと考えていたのだが、そうした相手を見つけることもできず、けっきょく手紙はいまでもミナモのもとに残されている。
 作業をしながらそんなことを思い出しているうちに、いつの間にかだいぶ時間が過ぎてしまっていた。
「そろそろお風呂に入って、早く寝なさい」
 ゲームに夢中になっている二人の背中にミナモが声をかけると「はーい」とナナカが背中で返事をして、さっさとゲームの電源を切って「行こっか」とホタルを促して浴室のほうへと向かった。聞き分けがよくて助かるとは思いつつ、自分が子供のころは、あんなふうに親の言うことを素直に聞いていただろうかと考えてみると、あまりにも素直すぎる二人の反応をミナモはすこし寂しくも感じた。

   

 小さなアパートの浴室は子ども二人にとってさえ狭かったけれど、ナナカとホタルはいつも一緒に風呂に入っていた。それは二人の仲が良いというだけの理由ではなくて、ただでさえ忙しいミナモになるべく手間をかけさせず、少しでもゆっくりすごせる時間を確保してもらいたいという配慮でもあった。
 入浴を終えて寝巻に着替え、濡れた髪をかわかして敷いた布団に並んで横になると、ナナカはパーソナル・ナビがアクティブになっていることを確認して、それを枕元に置いた。
「もう寝るの?」とホタルが訊ねると「うん、明日テストだし」と言ってナナカは小さなあくびをして「あ、気にしなくていいよ。ホタルはもう少し起きてる?」と問い返した。
「もう少しで読み終わりそうだから」と小型タブレットを手にして部屋の明かりを消したホタルは、ナナカの隣にうつ伏せに潜り込んで物語の続きを読みはじめた。
 タブレットのバックライトに照らされながら読書をしているホタルの真剣な表情を見つめて、ナナカは「なんか怖いよ」と言って笑った。
 明日は週に一度の登校日で、午前中はナビによる家庭学習の成果を確認するための小テストと担任教官との簡単な面談形式のカウンセリング、昼食をはさんで、午後にはクラスメイトとのレクリエーションを兼ねたグループワークが行われる。
 ナナカは毎週登校日を楽しみにしていたが、ホタルにとってその日は憂鬱な一日だった。
 よく食べてよく眠るナナカに比べて、夜更かししてデジタルブックを読みふけっているホタルは睡眠時間が不足しがちで、その影響で睡眠学習の定着率もナナカに比べて悪かったし、読書をしながらそのまま眠ってしまうこともあって、そういう時はパーソナル・ナビの学習機能をアクティブにし忘れてしまい、その分だけ学習が遅れてしまうこともあった。
 年度ごとに習熟度別に分けられているクラスが、このままでは来年、ナナカと別々になってしまうかもしれないとホタルは密かに恐れていたが、学年末に時間を確保して集中して学習を進めれば何とかなるだろうとも考えていた。
 明日、ナナカがテストだということは、当然同じクラスに通っているホタルもテストを受けることになるのだが、今のホタルにとっては明日のテストよりも読みかけの物語の続きのほうが気になっていた。
 すぐに寝息をたてはじめたナナカの横でホタルが読書を続けていると、部屋のドアがほんの少し開けられて、その隙間からミナモがなかを覗きながら「早く寝なさいね」と囁くように声をかけた。ナナカを起こさないように無言で肯いて、ホタルはパーソナル・ナビをアクティブに切り替えてからタブレットの電源を落として横になった。
 パーソナル・ナビによる学習効果は脳がまだ柔軟な子どものうち、せいぜい十二、三歳程度までしか効果がないとされていた。ナビは体内に埋め込まれたナノ・チップとリンクしながら、個々人に最適な学習効率をその都度検証し、脳にとって無理のない学習プランを立てて情報の転送を開始する。
 脳への負担を計測しながら、ナビは一回の学習量を調節してくれるが、一度に継続して使用できるのは六時間程度が限度とされていた。ナビは覚醒時に使用することもできたが、何か考えごとをしたり、別のことに気を取られたりしていると極端に効率が落ちてしまうことから、主に睡眠時の使用が推奨されており、誰もがそれに従っていた。
 ナナカやホタルの生まれる数年前からはじまったナビとリンクするためのナノ・チップの埋め込みは、生後三か月以内に保護者の同意のもとに行われることになっていたが、無償で提供されていることや人体への悪影響がないと実証されていることから、ほとんどの親が子どもへのチップの埋め込みを希望しているのが現状だった。
 布団にもぐって目を閉じながら、ホタルはチップが埋め込まれているらしい右の手首のあたりを、左手の親指でそっと撫でてみたが、何の違和感もなかった。
 C-Taleと共同して行う創作活動とは異なり、眠っている間に自分の知らないことを刷り込まれるなんて、何だか恐ろしいように近ごろホタルは感じはじめていたけれど、ナビによる学習内容は国際基準で厳密に審査され、またその全容は完全に公開されており、そのことによって公平性と安全性が確保されている、ということになっていた。
 どうしてナナカは何の疑いもなくナビを使えるんだろう、と横で目を閉じて勉強中のナナカの顔を、部屋の暗さに慣れてきた目でホタルは見つめ、それでも自分だって落ちこぼれたくはないのだから、ナビに頼ってしまうのだと考えながらゆっくり目を閉じた。

   

 算数の問題を解いている途中でホタルが目を覚ますと、すでにナナカは着替えをすませて登校のための準備をすすめていた。
「おはよう、ホタル」とナナカに声をかけられて、まだ重たい瞼を擦りながら「うん、ナナちゃん、おはよう」と言ってホタルは身体を起こした。
「体調は?」と、いつも登校日になると調子が悪くなるホタルを気遣いながら、ナナカは鞄のなかに小型のタブレットとパーソナル・ナビを入れた。
「お腹、いたい」とまだ下半身を布団のなかで温めたまま、ホタルは小さな手で腹部をゆっくりとさすった。「どうする? 休む?」といつもと同じようにナナカに訊かれて、ホタルは小さく首を左右に振って立ち上がり、ぼさぼさの髪を手櫛で梳きながら、クローゼットを覗き込んで何を着ていこうかと考えはじめた。
「二人とも、もう起きてる?」とミナモに声をかけられて、ナナカがリビングのほうへと出て行くのを見送りながら、ホタルはマイペースに着替えを済ませ、遅れて食卓についてすこし冷めたトーストとコーヒーの朝食をとった。
「ホタル、早く、遅刻しちゃう」と急かすナナカの声に「まって、すぐ行くから」とホタルも慌てて準備をすませて小走りで玄関へ向かうと「二人ともお弁当忘れないで!」とミナモに呼び止められて、ホタルは二人分の小さなお弁当の包みを受け取った。
「寒いから、コート着て、手袋もね」という声に元気よく返事を返しながら、二人は手を取り合って家を出た。
 アパートのすぐそばのバス停にはすでにバスが停車しており、乗車パスをかざしてナナカがバスに乗り込むと「あ、ナナちゃん、おはよう」とクラスメイトたちが声をかけてきた。ナナカの後ろについてバスに入ったホタルは、友だちと話し込んでいるナナカの横を通って空いている席に腰を下ろした。
 バスが出発するとナナカはホタルの隣の席に座り、ナビとタブレットを使ってテストに向けて学習範囲のチェックを開始した。
「ホタル、テスト大丈夫?」とナナカに言われて、ホタルは格好だけでも勉強をしておこうと鞄からナビを取り出そうとして、なかにナビが入っていないことに気がついた。
「ナビ、忘れちゃった……」と言うホタルに「え、どうしよう」とナナカは自分のことのように呟いた。今から取りに戻ることはできないし、ナビによる学習の内容や進度は個人によって幅があるため、即席でナナカのナビを貸すということもできず、ホタルは何となく記憶の片隅に残っていた今朝の算数の問題を思い出しながら「たぶん、平気だよ」と力なく笑った。
 たった一回、すこし成績が悪かったくらいで、進級には影響しないだろうとホタルは楽観的に考えようとしたが、学年が進むにつれて自分とナナカの成績の差が開き始めていることも自覚していた。自分にはナビによる学習は合っていないのではないかと考えたこともあったが、かといってナビとチップを使わずに通学クラスに入って、毎日学校に通いながらクラスメイトたちとうまくやっていく自信もなくて、ホタルは仕方なくタブレットで読書をしているふりをしながら、集中して画面の文字を追うこともできず、小さなため息をついた。

   

「ホタルさん、少し成績が落ちているようですね。それに体調もあまり良くないみたいです。何か心配事でも?」と担当教官に訊ねられて、ホタルは「いえ、大丈夫です。昨日なかなか眠れなくて」と言い訳をした。
「ナビの睡眠導入機能に問題でも?」という教官の質問に「いえ……」とホタルは呟き「今日はナビを忘れてきたそうですが、もう少ししっかり学習時間を確保したほうがよさそうですね。今日のテストは難しかったですか?」と続いたその後の質問にも、ホタルは同じ答えを繰り返した。
 テストの成績と面談の結果は親にも伝えられる。ミナモはこれまでその内容について二人に何かを言ったことはなかったけれど、そんな無言の内に自分とナナカが比較されているように感じられてしまい、ホタルは気が重かった。
 そんな重たい気分のまま、ホタルは中庭のベンチで一人でお弁当を食べた。あまりお腹が空いていなかったので、半分を残してふたを閉めると「ホタル、探したよー」と言ってナナカが駆け寄ってきた。
「えー、一人で食べちゃったの?」と弁当箱をしまおうとしていたホタルに言って、ナナカは自分の弁当箱を取り出してホタルの横に座った。
「ナナちゃんはみんなと一緒に食べるかと思って」とホタルが言うと「いつも一緒に食べてるじゃん」とナナカは短く笑い、すぐに「何かあったの?」と心配そうな表情を浮かべてホタルの顔を覗き込んだ。
「だ、大丈夫だよ」とホタルが言ったのを、ナナカは疑うようにじっとしばらく見つめてから「そっか。何かあったら絶対言ってね」ともう一度笑って、弁当を食べはじめた。
「放課後、みんなで遊びに行くんだけど、ホタル、どうする?」ともう返事はわかっているという調子でナナカが訊くと「うん、ごめん。読みたい本があるから……」とホタルは断った。わかっていたというふうに肯いたナナカが「たまには遊ぼうよ」と食い下がると「ごめんね。まだ、すこしお腹が痛くて」とホタルは俯いた。
 午後のグループワークでは、ホタルはナナカと一緒のグループに入り、その後ろに隠れるようにずっとそばに寄り添っていたが、クラスメイトたちはもうすっかりそんな二人に慣れてしまっていて、誰も気にする様子はなく、ときにはホタルにも声をかけながらレクリエーションのゲームを楽しんでいた。
 自宅とは反対方向へ向かうバスに乗るナナカたちに見送られて、ホタルは一人でバスに乗って帰路に着いた。天気の良い日にはそのまま家の最寄駅には向かわずに、一つ前の駅で降りて、そばを流れる川に面した公園で読書をするのが習慣になっていた。肌が弱くて長時間直射日光を浴びていることができないため、木陰にある特等席のベンチを素早く確保したが、日向では感じなかった冬の空気の冷たさのせいで、それほど長居はできそうにもなかった。
 手袋をしたままの指先でタブレットに触れながら読書を続け、ときどき疲れた目を閉じて休めながら、今ごろナナカは何をして遊んでいるだろうかとホタルは想像してみた。自分とは違ってスポーツの得意なナナカは、何をしたってみんなの中心になることができて、そのことを少し羨ましくも感じていたけれど、それでもこうして一人で静かに読書をしている時間が好きなのだと思いため息をつくと、白い息がふわっと膨らみ、消えていった。
 タブレットから目を離して川原のほうに視線を向けてみると、砂利の堆積している辺りに何か光るものが見えたような気がして、ホタルは鞄にタブレットをしまってそちらへ近寄ってみた。
 川原の一角に、宝石を砕いたような、きれいに輝く青い小さな石の欠片が散らばっていた。かなり細かくなって、砂粒のようなものもあったけれど、そのなかから手のひらに乗せられるほどの大きな欠片を一つ、ホタルは拾い上げてみた。
 見た目の大きさよりもずいぶん重たく感じられる石は、冬の澄んだ陽射しを受けて静かに輝いていた。ホタルがつま先で河原の砂利をかき分けると、乾いた砂に混じった宝石の欠片が煌めいて舞い上がった。
 石の欠片を手のひらの上で転がしてみると、透きとおった石のなかに半ば埋もれるような格好で小さなデータ・チップが埋め込まれているのが見えた。ホタルは露出した端の部分を指先でつまんで引っ張り出そうとしてみたが、しっかりと石に埋め込まれたチップはびくともせず、取り出すには石を砕くしかなさそうだった。
 傷をつけずにチップを石から取り出すには、何か道具が必要になると判断して、ホタルは手にした欠片を上着のポケットに詰め込んで家へと向かった。

   

  あるとき砂に埋もれた小さな宝石を見つけたフェブは
  それをくわえようとして飲み込んでしまいました。
  するとフェブの体も宝石のように光りだして
  そんなフェブを仲間たちは気味悪がりました。

  しかし、その姿をきれいだという
  サマーと親しくなり、フェブはサマーを
  秘密の遊び場へ案内することにしました。
  ふたりが光る砂の上を並んで泳いでいると
  とつぜん奇妙な渦が発生して、ふたりは飲み込まれ
  ばらばらになってしまいました。

   

 ホタルが川原沿いの道を家に向かって歩いていると、バスが横を通り過ぎて行き、少し先のバス停で停まった。バスから降りてきたナナカが「ホタルー」と大きな声で呼びかけながら手を振っているのに応えてホタルがゆっくり歩いていると、ナナカは待ちきれないといった様子で駆け寄ってきて、そのままホタルの手を取って並んで歩きだした。
「どこ行ってたの?」と尋ねられて「公園。本、読んでた」とホタルが答えると「みんなとミューサイト行ったんだ。すっごく楽しかったから、今度一緒に行こうね」とナナカは嬉しそうに言った。
「うん」と肯きながら、ホタルはつないでいないほうの手でポケットのなかの石の欠片を確かめるように、コートの上から触れた。
 そんなホタルの小さな動きを見逃さなかったナナカに「どうしたの?」と問われて、一瞬躊躇って「あのね、とってもきれいな場所、見つけたんだ」とホタルは呟くように言った。連れて行って、というナナカに、もう遅いからまた今度、と約束して、ホタルはデータ・チップのことは黙っていた。
 そのまま家に戻ると「ホタル、ナビ忘れていったでしょ」と珍しく早い時間に仕事を終えて二人の帰りを待っていたミナモは呆れたような、それでも優しい調子で言って「テスト、大丈夫だった?」と付け加えた。「大丈夫、次のテストで取り返すもんね?」とホタルの代わりにナナカが答えて「行こう」と言ってホタルの手を引いてさっさと子ども部屋に入った。
「お母さん、いつもはあんなこと訊かないのに」と少し苛立った様子のナナカに「心配してくれたんだし……」とホタルはなだめるように言って、二人は鞄の中身を片付けていった。
「お弁当、もっていくね」と言ってホタルは二人分の弁当箱を持ってキッチンへと向かった。夕食の用意をしていたミナモの背中に向かって「ごめんなさい」とホタルが謝ると、ミナモは「どうしたの?」と振り返り微笑んだ。
「え?」
 何を心配されたのかわからず、ホタルが弁当箱を持ったまま黙って立ち尽くしていると、ミナモは手を止めて「心配事? それとも何か良いことがあった? 何だかいつもよりそわそわしてるみたいだから」と、もう一度笑って言った。
「うんん、何もないよ」と言ってテーブルの上に弁当箱を置いて、踵を返して部屋に戻りかけながら「次のテストは頑張るから」とホタルは小さな声で約束した。
 ホタルが部屋に戻ると、ナナカは通信端末を操作して誰かとメッセージのやり取りをしているようだった。ホタルはコートのポケットに入れたままにしておいた石の欠片を回収するために再びキッチンを抜けて玄関へと向かった。
 欠片を取り出して、玄関横にある物置代わりのクローゼットからツールボックスを引っ張り出して、そのなかから小さな金槌を手にして軽く欠片を叩いてみると、思っていたよりもあっさりと石にひびが入り、砕けていった。
 ツールボックスを片付けて石からチップを抜き出してみたが、そのなかにどんなデータが入っているのかはわからず、それを自分のナビに挿入して試してみる勇気もなくて、ホタルはチップを握りしめたまま部屋に戻った。
 通信を終えたナナカとゲームをしている間も、食事や風呂のときも、ホタルはチップのことが気になり続けていた。「ホタル、ちゃんとやってよ」と協力プレイ型のゲームを遊んでいるときにナナカに怒られてしまい、ミナモにも「今日はいつにも増してゆっくりね」と食事が遅いのをからかわれて、「ホタル、それボディーソープだよ」とシャンプーと間違えて髪を洗いそうになったのをナナカに止められたりしてしまった。
 友だちと遊び疲れたのか、いつもよりずっと早い時間にナナカは眠ってしまい、ホタルは読書をする気分にもなれず、気持ちを落ち着けるつもりで、ここ数日読んできた物語の世界をC-Taleと共有することにした。
 ナビをアクティブにしてC-Taleに接続しようとすると、ホタルの意識のなかに「拡張チップを挿入してください」というメッセージが送り込まれてきた。無視してC-Taleを起動させようとするともう一度同じメッセージがあって、ソフトを立ち上げることができなかった。
 何度か試してみたが結果は同じで、ホタルは大切なC-Taleとの時間を邪魔されていることに苛立ちを覚えはじめていた。しかし、繰り返しているうちに、システムが要求しているのは石のなかから取り出した謎のチップのことで、どうやらナビと接続した際にオートで同期が開始されてしまっているらしい、ということに気がついた。
 ナビによるスキャンを通ったということは、チップの中身はそれほど危険なものではないのかもしれないと考えて、ホタルは空スロットにチップを挿入してみることに決めた。
 チップを挿入すると、すぐにC-Taleが立ち上がり「システムを更新しています。しばらくお待ちください」というメッセージが意識に伝達されてきた。これまでにも何度かアップデートをしたことがあったので、そのメッセージには何の違和感もなかったが、更新データの容量がいつもより明らかに大きいことがホタルを不安にさせた。
「更新が完了しました」というメッセージと同時にホタルの意識はC-Taleとつながった。そこにはこれまでにホタルとC-Taleが紡いできた特別な物語たちのイメージが漂っている。書きかけの物語の続きを描こうとしてホタルがそちらに意識を向けて、新しいイメージを伝えようとして深層の回線を開いた瞬間、C-Taleのほうからホタルに向けて大量のデータが逆流してきた。
「あっ」という小さな悲鳴と共に意識が遠のいていくのを、ホタルはどこか別の世界の出来事のように感じた。それから、脳がはち切れそうな痛み、データが波となって頭のなかを勢いよく叩き続けるような刺激がホタルを襲った。
 はやく、せつぞくを、きらないと……
 そんな考えが思考の片隅に浮かびかけて、データの波にのまれて、消えていった。のみこまれて、溺れて、消えてしまうんだと、諦めかけた直後、ナビとの接続が解除されて、混濁した意識のまま、ホタルは見慣れた部屋の天井とナナカの顔を目にして、気を失った。

   

 ホタルの悲鳴に驚いてナナカが目を覚ますと、すぐ横でホタルが目を見開いたまま鼻血を流して痙攣していた。ホタルの目からは涙があふれ出し、口からは苦しそうな小さな喘ぎ声が絶えず漏れていて、ナナカは恐怖に身がすくんでしまった。
 そんな一瞬の硬直のあと、ナナカはホタルのナビから異様な動作音がしていることに気がついて、素早く手を伸ばすと、その電源を停止させた。
 ナビの電源を止めると、ホタルはすぐに落ち着きを取り戻していった。涙と鼻血で汚れたホタルの顔をシーツで拭いながら「ホタル、ホタル」とナナカが呼びかけると、ホタルは一瞬だけナナカを見つめて目を細めて、すぐに気を失ってしまった。
「お母さん、ホタルが!」とナナカが叫ぶと、すぐにミナモがやってきてホタルの腕を取って脈を測り、それからホタルの額を手のひらで覆うと「ナナカ、タオルを冷やして、あと……体温計」と指示を出した。
 言われたとおりに用意してナナカが戻ってくると、先ほどまでナナカが眠っていた布団にホタルが横になっていた。
「すごい熱……」とミナモは新しいタオルでホタルの身体ににじんだ汗をぬぐいながら「今日、ホタルに何か変わったことなかった?」とミナモはナナカに尋ねた。
「別に……いつもどおり。ちょっとお腹痛いって言ってたけど、テストのときはいつもだし」とナナカが冷やしたタオルを渡しながら答えると、ミナモは肯いてタオルをホタルの額にのせた。
「氷、作っておいて」と言われて部屋を出ようとして、ナナカは「そういえば、きれいな場所を見つけたって、言ってた」と思い出して呟いた。「どこなの?」とミナモが振り返ると、ナナカは首を左右に振って「わからない。今度教えてくれるって、約束したから」と言ってキッチンへ向かった。

   

「お、母さん」と握られていた手を握り返しながら、ホタルは目を覚ました。
「大丈夫?」というミナモの問いかけに「うん」とホタルが答えたのに安堵して、ミナモとナナカが微笑むと「あのね、たくさん、夢を見たの。いろんなお話が、私のなかに、あふれて……それで……」とホタルはゆっくりと言葉を継ごうとした。
「ホタル、今はゆっくり休んで、お話はあとで聞かせてね」とミナモはホタルの髪を優しく撫でた。その温もりに安心したようにホタルは再び目を閉じて、眠りについた。
 その後、念のためホタルのナビとC-Taleのシステムを検査してみたが異常は見つからず、ホタルが説明の際に口にした謎のデータ・チップの存在も確認されることはなかった。しかしその日から、ホタルはときどき奇妙な独り言を呟くようになった。
 それは何かの物語の断片のようだったが、唐突に、断続的に語られるその内容を理解することは難しかった。
 普段の様子は今までとは変わらず、大人しいマイペースなホタルのままだっただけに、とつぜんスイッチが入ったように物語の断片を呟く姿は異様に感じられて、クラスメイトたちはホタルの存在を気味悪がりはじめていた。
 ナナカのいる前では、表向き今までと変わらないように振る舞っていたクラスメイトたちが、ホタルを避けたり変な噂をしたりしていることに、ナナカは気がついていたけれど、そのことを注意してもめ事を起こせば、かえってホタルが辛い思いをするかもしれないと心配して黙っていた。
 ただ、自分だけはホタルの物語を理解したいという一心で、ナナカはホタルの独り言をボイスメモに吹き込んで、断片的なそれらを何とか結びつけて物語の概要を捉えようと試みた。
 ホタルの呟きのなかには、ときどき関連性の感じられるものもあったが、基本的にはいくつもの異なる物語の、それも連続性のないほんの一部が不意に浮かんでくるだけのようだった。
 物語を呟いている間、ホタルは意識を失っているらしく、自分がいま何の話を呟いたのかをまったく覚えていなかった。呟きはとつぜん始まってとつぜん終わってしまうため、ナナカが相槌を打って話を聞いていると、不意に我に返ったホタルが「どうしたの?」と不思議そうな顔をして、ナナカが「何でもないよ」と笑いかけると「変なナナちゃん」とホタルも笑う、そんなやり取りが繰り返された。

   

 しばらくホタルの物語を録音していくうちに、だんだん集まってきた断片がいくつかの物語を形作るようになってくると、次第にナナカはホタルがどの物語について呟いているのかが何となくわかるようになってきた。
 それまでは、ただ「うん」と肯いて聞いているしかなかった物語が、ほんの少しだけ「わかって」くると、ナナカは少しずつホタルへの相槌のバリエーションを増やしていった。ナナカが先を促すように相槌を打つと、呟きが長く続くこともあり、無表情に淡々と語り続けるだけだったホタルが、ナナカの反応に喜ぶようにときどき微笑を浮かべるようになっていった。
 そんなある日、「そういえば、ナナちゃん」と思い出したようにとつぜんホタルは「とってもきれいな場所」のことを話題に出した。そのときまですっかりそのことを忘れていたナナカは、すぐに思い出すことができず、しばらく考えて「ああ」と肯いた。
 その日は朝から雪が降っていて、窓から見える屋根はすっかり白く覆われていた。
「見に行ってみようか?」と珍しくホタルのほうから誘われて、ナナカは久しぶりに外で遊びたいという思いに揺れた。ホタルの様子が変わってからそれほど長い時間が経っているわけではなかったが、最近ホタルにつきっきりになっていたナナカはクラスメイトとは少し疎遠になっていて、外に遊びに行く機会も減っていた。午後からはさらに雪が降ると予想されていて、仕事で出かけているミナモからは家で遊んでいるように言われていたが、すぐ近くだからというホタルの言葉に、ナナカは肯いた。
 マフラーを巻いてコートを羽織り、手袋を装着してナナカが玄関に立つと、少し遅れてやってきたホタルは、雪の写真を撮るのだと言ってタブレットを鞄に入れた。珍しく嬉しそうに自分の前を行くホタルを見つめながら、ナナカは玄関のドアの鍵をかけて小さな背中を追いかけていった。
 大粒の雪で視界は一面白く染まっていて、悪天候のせいか人通りはまったくなかった。おそろいの長靴が作る四つの足跡、歩幅が広いほうがナナカで、ちょこちょこと狭く歩くのがホタルのものだった。
 バス停の前を通り過ぎて、二人は白い息を弾ませながら公園へと向かった。初めて青く輝く石の欠片を見つけたあの日から、ホタルは放課後、一人きりで帰る際に何度か公園に立ち寄っていたが、足を運ぶたびに少しずつ不思議な石や砂は増えているようだった。いったいどこから運ばれてくるのか、川上のほうを見つめながら、ときどきホタルは想像してみた。
 足跡一つなく、きれいな白に覆われた川原の公園に二人は下りていった。ホタルのすぐ後について歩きながら「ここにきれいな場所があるの?」といつもの公園を眺めてナナカは言った。
「うん」と小さく肯いて、ホタルはナナカの手を引いて水際のほうへと向かった。輝く石の流れ着く場所は雪に覆われて隠されていたが、降り積もった雪をかき分けていくと、粒の粗い白に混じって、青く輝く砂粒が現れはじめた。
 その輝きを写真に収めるため、ホタルは鞄からタブレットを取り出して、カメラモードを起動させた。
 手袋のなかに掬い取った青と白の幻想的な輝きに見とれながら「きれい……」とナナカが呟いたその横顔を、ホタルはこっそりと写し撮った。
 掘った雪を脇に積み上げながら、ホタルとナナカは大粒の石の欠片を集めていった。しばらく来ないうちにずいぶんと数が増えているな、と思いながら、ホタルは石のなかから輝きの強いものを選り集めていった。
 そのうち風が強くなり舞い降りる白が吹雪きはじめ「ねぇ、そろそろ帰らなきゃ」というナナカの言葉に肯いてホタルは集めた石のなかからいくつかを鞄にしまい込んだ。ナナカも二つほどの欠片をポケットに入れて立ち上がると、ホタルの手を引いて歩き出した。
 二人の背後では増水した川が凍結することなくいつもより数段激しい勢いで流れていた。
「早く戻らないと……」と目を細めながらナナカが呟くと「あっ」というホタルの声が聞こえてきた。振り返ると、ホタルは川原のほうを見つめながら「タブレット……置いてきちゃった」と言って「取りに行ってくる」と駆け出した。
「待って、危ないよ!」というナナカの呼びかけにも振り返らず川原へ下りていったホタルの背中に「待ってってば、私も行く!」と叫んで、ナナカは急いでホタルの後を追った。
 激しい風に押されながら、吹き飛ばされないよう一歩一歩踏みしめるようにすすみ、半ば雪に埋もれていたタブレットを発見したホタルは「あった!」と振り返ってナナカに声をかけた。それから電源のボタンを押してみると、タブレットの画面がいつもどおりに表示されたので「大丈夫、壊れてないみたい」と言って、すぐそばまでやってきていたナナカに笑いかけた。
 直後、強い風が二人に激しく吹きつけた。バランスを崩して、身体を支えようと力を込めた足元の雪が、カサッと音を立てて軽く崩れ落ちていった。足場を失って、引きずり込まれるように川へと落ちかけた、その右手を、何とかつかまえて、引き上げようとして力を込めたけれど、自分とほとんど同じ体格の相手が、勢いを増した川に引っ張られるのを支えるには、足場の雪はあまりに脆すぎた。
「ホタル!」
「ナナちゃん!」
 互いの名前を呼び合いながら、つながった片手同士に必死に力を込めたけれど、少しずつ腕の力は失われていった。
「誰か! 助けてください!」と叫ぶ声が雪と風に吸い込まれるように消えていって、ついに指先の力が抜けた瞬間に、おそろいの手袋の片方がするりと抜けていって、そうして二人は離れ離れになってしまった。

   

  渦を抜けた先で
  潮の流れを整えるための音楽を奏でる
  大ヤドカリのヨルと出会ったフェブは
  水中で音を響かせる笛をもらい
  それを頼りに元の海域へと戻る旅へ出ます。

  途中で立ち寄った竜の宮殿で
  ウミガメのカーフと親しくなったフェブは
  そこで一緒に遊んで暮さないかと誘われました。
  楽しそうに暮らす海の生き物たちの姿を
  うらやましく思うフェブでしたが
  誘いを断り、外の海への水門を開く鍵を受け取って
  宮殿の仲間たちに見送られて再び旅立ちます。

   

 目を覚ましたとき、私は温かい病院のベッドのなかにいた。すぐ横で椅子に座ったままベッドに突っ伏して眠っていたお母さんの顔は、少し疲れているように見えた。右手の指先に少し動かしづらい違和感があって、そっと力を込めてみると、中指だけが小さく震えて、そのあと、肘の辺りに痺れるような感覚があった。
 お母さんの肩から落ちかけていたストールを、左の手で掛けなおそうとすると、腰の辺りが少し痛んだ。私が肩に触れると、お母さんは目を覚まして、少し眠たそうな顔のまま私のことをじっと見つめて、それから「ホタルっ」と悲鳴のような声で言って抱きしめてくれた。
 部屋を見回してみたが、他のベッドは空っぽで、私が「ナナちゃんは?」と呟くと、お母さんはしばらく俯いて黙り込んでから「ナナカはね、いま、みんなで探してもらってるから……大丈夫……ぜったい、すぐに、会える……から」と涙を浮かべながら教えてくれた。そのとき私は、お母さんが泣いているところを初めて見たような気がした。
 私もいますぐナナちゃんを探しに行きたかった。でも、身体が思うように動かなくて、お母さんに「もう少し横になって休みなさい」と言われて、私が目を覚ましたことを知らされてやってきたお医者さんにも「しばらく安静にしていなさい」と言われてしまい、私は諦めて二人の言葉に従った。
 腰の痛みは数日でなくなったけれど、右手の痺れはなかなか解消されなかった。ベッドに横になっているしかなかったけれど、退屈を紛らわすためのデジタルブックの入ったタブレットは紛失してしまっていて、新しいタブレットを与えられるまでの数日間は読書をすることもできず、ナナちゃんのことばかりを考えてしまった。
 私がタブレットを忘れなければ、私が川原に誘わなければ、私が心配をかけてつきっきりになっていなければ……いまごろナナちゃんと一緒に家でゲームをして遊んでいられたのかもしれなかった。
 けっきょく、私の右手は自然回復が困難だと判断されて、神経系ナノ回路を埋め込むことによって、ようやく以前と同じ動きを取り戻すことができた。何か物に触れたり、つかんだりすることも今までと同じようにできたし、動きにはまったく違和感がなかったけれど、私は、誰か別の人の手を借りてきてつけているような気がして仕方がなかった。
 体力の回復と、ナノ回路の動きが身体に定着するまでの間、私は病院でリハビリを続けることになった。午前中に簡単な検査とリハビリが終わってしまうと、読書以外に何もすることがなかった。ベッドに横になって休んでいるとすぐにナナちゃんのことを考えてしまい、気分が落ち込んでしまうので、病院の敷地内をのんびり散歩して過ごす時間が次第に増えていった。
 いくつもベンチが並べられた広場は患者同士の憩いの場のようになっていて、並んで座って話し込んでいる人も多かったけれど、知り合いもおらず、同年代の友人もいない私はどこに行っても一人きりだった。ときどき挨拶をしてくれたり、声をかけてくれる人もいたけれど、私は軽く会釈を返すのが精一杯で、うまく会話を続けることができなかった。
 珍しく自分の病棟から少し離れた丘の上のほうまで歩いていくと、風に乗って軽妙なハーモニカのメロディが聴こえてきて、私は誘われるように音のするほうへと向かった。
 赤と黄色の派手なボーダー柄の、だぼだぼのジャケットを着た男の人が、ベンチに腰かけて楽しそうにハーモニカを吹いている姿を、私は少し離れたところからしばらく眺めていた。相手がこちらに気がついて小さく手招きをしたので、恐るおそる近づいていくと、男の人は二人掛けのベンチの空いている半分を軽く手で叩いて、そこへ座るようにと私を促した。
 私が隣に座ると、彼はハーモニカを一小節だけ吹いて「この曲、知ってる?」と言って白い歯を見せて楽しそうに微笑んだ。大人の男性の、あまりにも無邪気なその笑顔が何だか可笑しくて、私は思わず笑い返してしまい、私の笑顔に気を良くしたかのように、男はそれからいろいろな曲を演奏してくれて、私はそのメロディに身体を揺らして聴き惚れていた。
 曲が止んで、男の口元からハーモニカが離れていくさまをぼんやりと眺めていた。その口元が「このハーモニカは、君の魂を、奪ってしまうんだ」と不意に呟いて、私は一瞬、その言葉の意味がわからず、それから意味を理解して「え?」と聞き返した。
 驚いた私の表情を満足げに覗き込み、男は「君には特別に教えてあげるけど、僕はこのハーモニカを使って時空の波を操って、いつでも好きな場所へ行くことができるんだ。ぼくの奏でるメロディはあらゆる時空とつながった旋律なんだ」と空を見上げるように顔を上げながら、ふふふ、と声をもらし「そして、そのために、君の魂を、もらうんだ」と付け加えた。
 丘の上の病棟には近づいてはいけない、と言われていたことを私は思い出した。詳しい理由は教えてもらえなかったけれど、丘の上には特別な人たちがいて、子どもは関わってはいけないのだと言われていた。そのことを思い出して、私はすぐに立ち上がってその場所を去ろうとしたけれど、立ち上がりかけた私の手を、男はとつぜんつかんで「そうだ、君にも特別な笛を、わけてあげるよ」と笑いかけてきた。
 それから男は赤と黄色のジャケットのポケットを片手で探り、そこから六つのホイッスルを取り出した。プラスチック製の安物のように見える小さなホイッスルは、青、緑、黄、橙、赤、紅の六色に分かれていた。
「どれか一つだけ、君の好きな色の笛を、あげる」と言って、男は私の目の前に催眠術の振り子のようにホイッスルを掲げて揺らしてみせた。私は恐怖を抑え込みながら、青、まず自分の好きな色に目を向けてから、ナナちゃんの好きな赤色のホイッスルを選んだ。
「ああ、君は、危険な色を、選ぶんだ」と男は嬉しそうに言って「もしも行く先がわからなくなったら、その笛を吹いてごらん。きっと先に進むための鍵が、みつかるはずだから」と続けて「でも、その笛に頼れるのはたった一度きり。だから、本当に必要なときを、選ぶんだ」と急に真剣な顔つきになって忠告してきたかと思うと、立ち上がって、ハーモニカを吹きながら私を置いて丘の上の病棟のほうへと向かって歩き出した。
 赤い笛を握りしめながら、男の背中に「あの……」と呼びかけると、男は振り返って演奏をやめて「もうこの世界で君に会うことは、ないだろうね」と言って、再び前に向き直って歩き出し、二度とこちらを振り返ることはなかった。私がその赤と黄色の後ろ姿を見送っていると、とつぜん泡が弾けるように男はパッと消えてしまった。慌てて男の消えたあたりまで駆け寄ってみたが、男の姿は見当たらなかった。

   

 数日後に退院した私は、学校に通うことをやめて、完全通信制の特別カリキュラムを受講することを許可された。もともとナナちゃん以外に親しい友人もいなかったので寂しいという気持ちはなかったし、自分のリズムで勉強したり生活したりできることは気が楽だった。
 けっきょく、ナナちゃんは未だに見つかっておらず、お母さんも半ば諦めた様子でため息ばかりついていた。せめて「イタイ」だけでも、と川底の捜索が何度か行われたが、けっきょくナナちゃんが姿を現すことはなかった。
 しばらくは私の様子を見守るという理由で、お母さんは家で仕事をしていたけれど、いつまでもそんな生活を続けているわけにもいかず「家で大人しくしててね」と言い残して出かけるようになった。
 新しいタブレットに入った本を読んだり、昼寝をしながらパーソナル・ナビで勉強をしたり、いつの間にかリモート・アクセスでつながることができるようになっていたC-Taleと一緒に物語を紡いだりしながら、私は言いつけを守って家のなかでおとなしくすごしていた。
 でも、時間が経つにつれて、どうしてもナナちゃんに会いたいという気持ちが抑えられなくなって、タブレットに町周辺の地図を表示させて、川の流れをたどりながら、私は独自の捜索ルートを作りはじめた。そして地図が完成した翌日、私は小さな鞄に必要な道具をつめ込んで、ナナちゃんを探すために、家を出た。

   

 川沿いの道をひたすら下流に向かって歩きながら、ホタルは見慣れない町の景色を眺めていた。タブレットの地図に表示される映像とは違う、開けた青い空と奥行きのある街並みのなかを自由に歩きながら、久しぶりに家から出た開放感をホタルは満喫していた。
 荷物が重いのは、普段は家に置いたままのパーソナル・ナビを二人分持ってきたからで、ナナカのそばに近づけば彼女のナビが反応するのではないかとホタルは期待していた。
 地図上にはナナカの立ち寄りそうな場所をいくつか見つけて印をつけてあり、それらのポイントを順番に回りながら海のほうへと向かう予定になっていた。いったいどれくらい歩かなければならないのか予想もつかず、これまで貯めておいた小遣いをすべて小さな財布に詰め込んできたため、それを失くしてしまわないようホタルは小さなショルダーバッグを身体の前で抱えるようにして歩いた。
 最初のポイントのスポーツ広場では、広いグラウンドで少年たちが野球の練習をしていた。ベンチに腰を下ろしてその様子を眺めたり、周囲でジョギングや犬の散歩をしたりしている人々の姿があったが、そこにナナカはいなかった。
 念のためグラウンドの周りを一周してから、ホタルは野球の様子をしばらく眺めていた。ルールはほとんどわからなかったけれど、バッドに当たって勢いよく転がっていったボールを拾おうとした少年が、上手く拾えずにボールが後ろにすり抜けていくのを見て、きっとナナちゃんのほうが上手いに違いない、とホタルは思った。
 さらに川沿いに下っていくと次のポイントである小さな釣堀があって、ホタルはナナカに誘われて何度かそこに遊びに来たことがあった。ホタルは釣り上げた魚をうまくつかみとることができず、いつもナナカに助けられていたのを思い出して、その面影を探してみたけれど、まばらな客のなかにはホタル以外に子どもの姿はなかった。ぽちゃんと魚の跳ねる音がして、ホタルがそちらに視線を向けると、水面に小さな波紋が広がっていくのが見えた。ここで最後に一緒に釣りをしたのはいつだっただろうかと思い出そうとして頭に浮かんできたナナカの背中はとても小さいものとして記憶されていて、それはもうずっと以前の出来事のように感じられた。
 次のポイントとしてチェックしていた総合アミューズメント施設「ミューサイト」の前に立ったとき、ホタルはナナカと今度遊びに来ようねと約束していたことを思い出して、入口の自動ドアから少し離れた場所で足を止めた。客の出入りによって開閉する自動ドアの隙間から、にぎやかな音楽がもれてくるのを聞きながら、ホタルは一歩足を踏み入れようとして、寸前で方向を変えてミューサイトの前を離れた。
 ナナカと約束した通り、ここに遊びに来るときには一緒に来たいから、とホタルは心のなかで呟いて、背後から聞こえてくる音楽をかき消した。
 それから空気の悪い工場地帯を抜けて、少し川沿いを離れた商店街を通って市営鉄道の駅へと到着したホタルは、川をなぞるように走る列車に揺られて、海浜の遊園地へと向かった。遊園地が近づいてくると、海を背景にした白い観覧車が見えてきて、ホタルは窓に顔を押し当てるようにして遠くの空でゆっくりと回っている大きな円形を眺めた。
「海浜遊園」の駅で列車を降りたホタルは、改札を抜けて遊園地のほうへと向かった。一人きりでこれほど遠くまで来たのは初めてのことだったが、不思議と不安は感じられず、むしろいつもよりずっと気分は高揚していた。
 ナナちゃんがいなくなってから、こんなに楽しい気分になったこと、なかった。とホタルは思い、この小さな冒険が自分にいい刺激を与えてくれているのだと実感した。
 傍まで近づいて見上げた観覧車が思っていたよりもずっと大きくて、ホタルはのんびりと優雅に回る環をしばらく眺めていた。
 ホタルの目的地は遊園地ではなくて、そのすぐそばにある、川と海を隔てている水門だった。川に流されてしまったナナカの捜索で水門のあたりはすでに調べられていて、その報告をホタルも断片的に聞いていたけれど、どうしても自分の目でその境界を確かめてみたいとホタルは思っていた。巨大な水門はちっぽけなホタルの存在を拒むように、眼前に冷たく深い水を貯めて峻厳とそびえ立っていた。その門を乗り越えた先に、求めているものがあるような予感があった。

   

 でも、私の求めているものって何だろう? もう一度、ナナちゃんに会うこと? そしてまた以前と同じように一緒に暮らすこと? それが叶わないってことくらい、私にだってわかってる。
 じゃあ、どうして私は一人でこんな所に来たんだろう。ここに来て何を確かめたかったんだろう。問いかけてみても、自分のなかの答えは見つからなくて、苛立ちだけが雪のように薄く、薄く積もっていく。そしてあの日、私とナナちゃんを隔てた雪のように、次第に強く吹雪いていく。
 水門のほうへどんどん近づいて、滞留して濁った水を上から覗き込む。ずっと下のほうにある水面、そのさらに下の暗い水の奥に何が沈んでいるのか、この場所からは見えなかったけれど、私はそれを透かして切り取ろうとして、水面にタブレットを向けてその深淵をカメラで写し撮った。
 カメラで切りとった風景には、私の見たかったものは何も写っていなくて、ただ濁った暗い水のゆったりと波打つさまが、そこにはあった。川の終わりの深さを知ることができないまま、私は水門の横を通り過ぎて海岸へと向かった。まだ冷たい風の吹く冬の海は淋しく揺らいでいて、砂浜に人の姿はまばらだった。
 砂の上に小さな足跡を残しながら、私は波打ち際をなぞるように歩いた。遠くに見える水平線、その先に、もしかしたらナナちゃんがいるのかもしれない、などと考えてみたけれど、今の私がこれ以上さきに進む方法はなかった。
 広い砂浜、高い空、目の前に広がる海、そんな開放的な場所にいるはずなのに、私はもうこれ以上は決して先に進むことのできない壁の前に立っているような気分で砂浜を歩き続けた。そんな砂浜も、そのうち高い堤防に遮られるように狭められて、行き止まりになってしまった。
 ここより先に進むためには、どうすればいいだろうと考えて、私は赤いホイッスルのことを思い出してポケットからそれを取りだして、唇にくわえて思い切り息を吹き込んでみた。
 高く、乾いた音が、静かな海に響き渡った。
「ねぇ、何してるの?」と後ろから声をかけられて、驚いて振り向くと、すらっと細身で背の高い少女が立っていた。まっすぐに長く伸びた黒髪を海風になびかせながら、背筋の通ったきれいな姿勢でたたずむ少女の姿には、どこかいつも堂々としていたナナちゃんの姿を思わせる凛々しさがあった。
 フウカ、と名乗った少女に名前をたずねられて私が名乗ると、フウカは握手を求めるように手を差し出してきたので、私はその手を取ってそっと握った。
「よろしくホタル」とフウカに言われて、俯きながら「こちらこそ……」と私が答えようとするのを待たずに「どこからきたの?」と質問されて、私が自分の暮らす町の名前を答えると「そこから、一人で?」とフウカは驚いて、私が肯くと感心したようにフウカも肯いて、少し考え込むように黙ってから「ホタル、少しだけ時間ある?」と言った。
 肯いてついていく間、フウカは自分が就労児童であり、この先の海洋生物研究施設で働いているのだと教えてくれた。フウカが履修したのは最短の義務教育の通学課程のみ、それも数年前のことで、そこで教わったことは読み書きと簡単な計算以外もうほとんど忘れてしまったと言って笑った。フウカはナビによる学習を受けておらず、体内にチップを埋め込んでもいない、近頃では珍しいナチュラル・チャイルドだった。
 別に、教義的な理由とかはないらしいんだけど、とチップをもたないことに不満のある様子も見せずフウカは笑い「でも、ナビがあれば働きながらでも勉強ができたかもしれないね」と言った。
 研究施設の一部は小さな水族館として一般に公開されているらしく、出入口の付近には親子連れの姿もあった。フウカは裏口から私をなかへ通してくれた。「いいの?」と念のため確認すると、フウカは「うん、平気だよ」と肯いて、しばらく薄暗い廊下をすすんでから「実は、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど」と私を誘った真意を語りはじめた。
 明日、新しい検体の搬入があって、そのための水槽を一つ準備しておかなければならないんだけど、一緒に業務を行う予定になっていたアルバイト・スタッフから急にキャンセルの連絡があって、困っていたのだというフウカの話を聞いて「よかったら手伝ってもらえない?」と頼まれて、すでに研究施設のなかにいて、目的の水槽の前に立っている状況で断りづらくて、私はそのお願いを受け入れることにした。
「ありがとう、ちゃんとバイト代は出るから!」と嬉しそうに言って、フウカは私の手を握って、もう一度「ありがとう」と感謝の言葉を述べた。
 子ども用のダイビング・スーツのような作業着に着替えて、ゴムの手袋と長靴を装着した私は、フウカのあとに続いて水槽の内側へと入っていった。
「ごめんね、もう少し大きい水槽なら、業者にお願いしてやってもらうんだけど、この水槽は中型で特殊な設備もないから……そうだな、ちょっと広いお風呂掃除だと思って、お願いね」とブラシを片手にフウカは説明し、さっそく清掃作業を始めたので、私もブラシで水槽の底面を擦った。壁面のガラス磨き、給水口と排水口の清掃、酸素供給用の装置の動作点検や水槽周辺の備品の整理など、てきぱきと動き回るフウカのあとを見様見真似でついて回り、ようやく作業を終えたころには数時間が経過していた。
「お疲れさま」とすっかり片付いた周囲を見回しながら、フウカは満足げに言って「お腹空いちゃったね」と続けて「たいしたものはないけど、何か食べよっか?」と訊ねてきた。作業を手伝うことに精いっぱいだった私は、それまで空腹を感じていなかったのだけれど、フウカにそう訊かれると急にお腹が空いてきたような気がして、一緒に食事をすることにした。
 身体にぴったりだった窮屈なスーツを脱いで元の服装に着替えてから、フウカに連れられて施設内の食堂へと向かった。ランチタイムを過ぎた食堂には、休憩時間のスタッフが数名、コーヒーを飲んだり軽食をとったりしているくらいで、人の姿はまばらだった。
 たくさんのメニューのなかから、いま食べたいものをすぐには決められず、フウカの注文したのと同じビーフカレーをご馳走になることにした。
「ここのシェフのカレーは軍隊仕込みだから、味は保証するよ」とフウカは言って、飲料水の入ったプラスチック製のポットとグラスを二つ持ってきてくれた。
 食べ終わったら水族館を案内してくれるというフウカの話を聞いていると、先ほどから食堂の端で退屈そうにしていたウェイトレスの少女がカレーをもってきてくれた。彼女は最初にフウカのほうにカレーを配膳しながら「フウカ、その子は?」と言って「あ、彼女はホタル。ちょっと仕事を手伝ってもらったから、その御礼」とフウカが答えた。
「そう」と軽い調子で肯いたウェイトレスは「わたしはジナっていうの。ホタル、よろしくね」と言ってカレーを私の前にそっと置いてくれた。
「よ、よろしくお願いします」と私が言葉を詰まらせながら返事をすると、ジナはふふっと優しく笑い「かわいいね」と言った。それから、どうせ暇をしていたからとジナは職務を放棄してフウカの隣の席に座った。この味が癖になる、とどんどん食をすすめていくフウカの正面で、私はスプーンですくったカレーに息を吹きかけて冷ましながら、とろけるような柔らかい牛肉を味わい、このカレーはとても美味しいけれど、私には少し辛いな、と思った。
 フウカより一つ年上のジナも就労児童で、彼女もチップをもっていないとのことで、私はチップやナビによる学習について二人からいろいろと質問を受けることになった。もってきた自分のナビを鞄から取り出して、実際に見せながら機能を説明すると、二人はずいぶん興味をもってくれた様子で、ジナは「わたしもチップ入れればよかったなー」と、あたかもそれが自分で決められたことであったかのように嘆いていた。
 夕食時間のための準備があるといってジナが仕事に戻り、のんびりと食べていた私の食事が終わるのを待って、フウカは水族館を案内してくれた。薄暗い通路を照らす照明を受けてガラスの向こう側に浮かび上がる水の世界。そのなかを目には見えないルートをたどるように泳ぎ回る魚たちの動きを目で追いながら、ナナちゃんは泳ぐのが得意だったから、きっとこの魚たちのように自由に水のなかを漂って、好きな場所に行くことができるんだ、と想像してみた。目の前の水槽、その枠が消え去って、無限に続いているような広大な海のイメージが浮かび、そのなかを魚のように泳ぎ回るナナちゃんと、置いていかれないように必死にそのあとを追いかける感覚があった。
「おしまい?」というフウカの声に我に返り、彼女の顔を見つめると、フウカは不思議そうな表情を浮かべてこちらを見つめ返してきた。「いまのお話、つづきはないの?」と問われて「つづき?」と私が訊ね返すと「海を冒険する二人は、それからどうなったのかなって」とフウカは言った。海の世界を空想していた間、どうやら私はフウカに何か話を聞かせていたらしかった。それはナナちゃんが心配してくれていた、私の「病気」であり、録音して記録してくれていた物語の続きらしかった。
――それから二人はばらばらになって、離れ離れになってしまった。だから、私はこうしてナナちゃんを探しに来たんだ。
 これまで無意識のなかで語り続けていた物語の続きが、不意に口をついて漏れ出してきた。でも、それは純粋な物語の続きではなくて、現実の私の状況とつよく結びついて混ざり合ってしまっていた。
「ナナちゃん?」
「うん、ナナカ、七つの夏、って書いてナナカ。私のお姉ちゃん」
「ああ、だからサマーなんだ。ということはフェブはホタルのこと?」
 私が「うん」と肯くと、フウカは「どうしてホタルがフェブになるんだろう?」と呟いたので「フェブラリー、2月はナナちゃんがいなくなった月だから……」と私はその理由を教えてあげた。

   

 あれはアリクミシクイ・トト、あれはフダガナオオイトノボリ、というフウカの説明を聞きながら、ホタルは珍しい魚の姿を眺め歩いた。ふだん海の底で暮らしている深海の魚たちは、狭い水槽のなかで何を思っているのだろうかと考えてみたが、ホタルにはうまく想像することができなかった。
 フウカの説明と交互に、ホタルはナナカとの思い出、自分の好きな本のあらすじ、C-Taleでの創作、物語を呟いてしまう病気、雪の日の出来事、不自由になった右手、学校に行かなくなった事情、海までやってきた理由、不思議な赤いホイッスルのことを話していった。
 ホタルの話を聞いて、フウカは「もしよかったらときどきここに仕事を手伝いに来てくれない? もちろんバイト代は出るし、半分は遊びに来るくらいのつもりでもいいから」と言ってくれた。奇妙な形をした魚たちの不思議な世界に魅せられていたホタルは、その誘いにほんの少しだけ心が動いた。
「もちろん、今すぐ決めなくていいし、お母さんとも相談してみて、連絡してくれればいいから」というフウカの言葉にホタルが肯き「すこし外、散歩しようか」というフウカの提案で二人は水族館を出て夕陽に赤く染まった砂浜へと向かった。
 茜色の空を映して赤く染まった海を眺めながら、しばらく黙って歩いていると「見て」とフウカが言って、少し先の砂浜を指さした。ホタルがそちらに視線を向けてみると、そのあたりの砂がきらきらと青く輝いているように見えて、近づいて確かめてみると、そこにはホタルが川原で見つけたのと同じ、青い石の欠片が散らばり、不思議な光を放っていた。
「どこから流れて来るのかわからないんだけど、何故かこの辺りにだけ溜まっていくんだよね」というフウカの言葉を聞きながら、ホタルはしゃがみ込んで青い砂をそっとかき分けていった。
 すると、砂に埋もれた奥に、鈍い銀色のつやをもった金属の一部が見えた。指先でつまんで引きだしてみると、それは小さな鍵だった。ホタルにはその鍵に見覚えがあって、上着のポケットにしまってあった家の鍵を取り出して比べてみると、それはまったく同じ形をしているように見えた。
「これ……ナナちゃんのだ」というホタルの呟きは波の音にかき消され、フウカには届かなかった。
 どれだけ捜索しても見つからなかったナナカの痕跡が、まさかこんな形で発見されるとは想像しておらず、そして、ここで鍵が見つかったということについて、どう解釈すればいいのかわからなくて、ホタルは二つの鍵を握りしめながら戸惑った。
「どうかした?」というフウカの呼びかけに、ホタルは首を左右に振って「何でもない」と答え、鍵をポケットにしまって立ち上がった。
「フウカさん」
「ん?」
「先ほどの、あの、お仕事の、お話なんですけど、えっと、私、やっぱり、ナナちゃんを探さないと、いけなくて、だから、その……」といって途切れてしまったホタルの言葉を「うん、見つかるといいね」と補って、フウカは「今日は手伝ってくれてありがとう。ごめんね、すっかり遅くなっちゃって」とそっとホタルの頭を撫でた。
「駅まで送るね」とフウカが言って、二人はそのまま海岸沿いを歩いて水門のほうへと向かった。しばらく歩いていると、砂浜を上がった道路のほうから「おーい」と呼びかけてくる声が聞こえてきて、振り向くとジナが自転車を停めて手を振っていた。
 砂浜を離れ、海沿いの道をホタルを挟むようにして三人並んで遊園地の駅まで歩いた。目印の観覧者はライトアップされていて、夜空に白く輝いて見えた。
「疲れたー」と満足げな声で呟いたジナの仕事の愚痴や、明日の搬入作業は朝が早いというフウカのため息を聞きながら、ホタルはポケットに入った二つの鍵を指先で弄んで、これをきっかけにまた捜索が再開されて、今度こそナナちゃんが見つかるかもしれないと考えていた。
 駅に到着すると、フウカは「はい」と茶色い封筒を差し出して「バイト代、お疲れ様」と言ってホタルの手に握らせた。そっと中身をのぞいてみると、そこには数枚の紙幣が入っていて、気分が高揚するのを抑えながらホタルは封筒を鞄にしまった。それはホタルが初めて自分で働いて稼いだお金だった。
「また遊びに来てね」とフウカが手を振って「今度はわたしのおススメのクリームコロッケをご馳走するから」とジナが約束してくれたのに、ホタルは「ありがとうございました」と小さな会釈を返して、ちょうど到着した電車に乗り遅れないように、駆け足でホームへと向かった。
 閉まりかけたドアのすき間に飛び込んで、がらがらの車内を見渡して、空いているボックスの座席に腰を落ち着けたホタルは、歩き続けた一日の疲れに満たされて、ポケットの鍵を握りしめながら、束の間の眠りへと誘われていった。

   

  ようやく故郷の海に戻ってきたフェブでしたが
  海は荒れ果て誰もいなくなっていて
  きれいだった秘密の遊び場もすっかり朽ちていました。

  行くあてもなく故郷の海域を漂っていたフェブのもとに
  見慣れない魚ミミがやってきました。
  どうやらフェブの放つ光に導かれてきたようです。
  ミミはフェブを自分たちの群へと誘い
  一緒にこの海域を元のように
  暮らせる場所に戻そうと提案しました。

  しばらく経って、フェブたちによって
  ようやく海が元のように戻り始めた頃
  フェブの仲間たちが長い回遊から戻ってきます。
  そこには離れ離れになったサマーの姿もありました

   

 目を覚ますと車内には多くの人がいて、ざわめきの隙間をぬって耳に飛び込んできたアナウンスをぼんやりと聞いていると、降りる駅の名前が繰り返されていた。
 慌てて立ち上がり、乗車口付近に立っていた人の腰の辺りに軽くぶつかりながら、私はぎりぎりで電車を降りた。
 外はすっかり暗くなっていて、来たときのように、ここから歩いて家に戻るにはだいぶ時間がかかってしまうので、私は駅前のバスターミナルから家の近くを通る路線バスを見つけて乗ることにした。
 駅前広場の時計塔で時間を確認すると、私が海を離れてからまだ一時間ほどしか経っていなかったけれど、フウカたちと過ごしたのは、もうずいぶん前の出来事のように感じられた。
 バス停に並んでいる人の最後尾についてバスを待つ。五分ほどで到着して乗客の入れ替わったバスは、すぐに人でいっぱいになってしまった。何とか座席を確保した私は、窓の外を流れていく見慣れない景色を眺めていたが、数駅通過すると車内の人も減りはじめ、通学に使っていたバスが並行して走っている見慣れたルートへと入っていった。
 私は家の最寄駅の一つ前でバスを降りて、川原の公園に向かった。行きのルートでは避けていたその場所に行くのは、ナナちゃんと離れ離れになってしまったあの日以来だった。あの出来事がきっかけだったのか、いつの間にか川原のそばには申し訳程度の柵が設けられていた。
 私は低い柵を乗り越えて、光る砂のあった場所まで近づいていった。雪の日とは違い、穏やかに川の流れる音が心地よく辺りに響いていた。しばらく見ない間に、青い砂は流されてだいぶ減ってしまっていた。大粒の石もなくなっていて、普通の砂利に混じった疎らな青い粒はすっかり輝きを失っていた。きっと青い石はナナちゃんと一緒に海のほうへ向かったんだ。この場所から鍵を見つけた砂浜までどれくらいの距離があるのか、地図を見ながら測ってみればおおよその数値はわかるかもしれない。
 今日はナナちゃんを見つけることができなかったけれど、これまで何一つ発見されることのなかったナナちゃんの持ち物を一つだけ見つけることができた。こんなふうに探すことを続けていけば、いつかは会うことができるだろうか。そんな子どもじみた希望が、決して叶うことがないということを、本当は私は知っていたけれど、C-Taleと一緒に紡いでいく物語のように、もう少しだけ先のわからない冒険の行方に小さな希望を託していたいと思った。
「ホタル? ……ホタル!」と声をかけられて振り返ろうとしたところを、背後から思い切り抱きしめられて、私は温かいお母さんのぬくもりに包まれた。
「どこ行ってたの! 帰ったらいないから……心配で……」と私の髪を撫でるお母さんの言葉に「ごめんなさい」としか答えられなくて、私は強く握りしめられている手の痛みに抗うこともできず、ただ引かれるがままに家路をたどっていった。
 きれいに星の浮かぶ夜空を見上げて歩きながら、私とお母さんは短い言葉を交わし合った。

   

「今日ね」
「うん」
「ナナちゃんを、探しに行ったの」
「……そう」
「この道を、ずっと、海のほうまで、行ってみたんだ」
「一人で?」
「うん」
「危ないこと、なかった?」
「大丈夫だよ、私もう子どもじゃないから」
「でも、一人でそんなに遠くに行ったの、はじめてでしょ」
「そうだけど……」

――いつも《ナナカ》と一緒だった。

「けど?」
「もう一人でも平気だから」
「そっか。疲れたでしょ」
「うん、ちょっとだけ」
「お腹は? 空いてる?」
「うんん。ちゃんと食べたよ」
「そうなの?」
「うん。海で会った人にご馳走になって」
「そう……今度ちゃんと、御礼をしないとね」
「また遊びに行くって、約束したから」
「そう」

   

 一日のささやかな冒険が終わりを迎えて、ようやく家の前まで戻ってきたホタルは、ミナモがドアの鍵を開けようとするのを止めて、ポケットから二つの鍵を取り出して、少し汚れていたナナカの鍵をとって、そっと鍵穴に差し込んでひねってみた。ドアの鍵は何の抵抗もなく、当たり前のように自然に開いてくれた。
 玄関の明かりをつけて、ミナモは「詳しい話は明日聞くから、お風呂に入って休みなさい」と言った。ホタルは素直にその言葉に従って、一人きりで入浴をすませて、まだ慣れない一人の部屋で眠りについた。
 枕元に並べて置かれた二つのナビの電源は切ったままになっていた。
 穏やかな表情を浮かべて静かに眠っているホタルの小さな額を優しく撫でると、ミナモはそっと部屋を出た。

   

「お母さん、ホタルが、ホタルが目、覚ましたよ! お母さん」
 懐かしいナナカの声が聞こえてきて、ホタルがゆっくりと目を開けると、すぐそばにたしかにナナカの姿があった。ナナカの手はホタルの手をしっかりと握りしめていて、その指先に力が込められたのを、ホタルは感じることができた。
 慌ただしい足音が聞こえてきて、ミナモが部屋に駆け込んできて「ホタル!」と悲鳴のような声を上げながらナナカの握っていたのとは反対側の手を握ってくれたようだったけれど、ホタルにはその感触が届かなかった。
「ナナちゃん? お母さん?」自分を見下ろしている二人の顔を交互に見つめながら、ホタルはやっと長い物語を終えて、自分の居場所に帰ってきたのだと理解することができた。
「ホタル、覚えてる? ずっと、物語のなかで、私を探してくれてたこと」
「うん……何となく、私、ナナちゃんを探して、遠くまで、一人で行ったんだ」
「ホタルのお話、私、ちゃんとぜんぶ聞いてたんだよ」
「うん」
 手を握り合って、二人だけの物語について語り合っているナナカとホタルの姿に安心して、ミナモはそっとホタルの手を離して、部屋の空気を入れ換えようと窓を開いた。
 外から吹きこんでくる夜の風はまだ冷たかったけれど、そこにはほんの少し、春のにおいが含まれていた。

   

  三匹は仲良く泳いで秘密の遊び場へと向かいました。
  泳いだあとには小さな光の砂が舞っています。

   

 そうしてホタルのなかのC-Taleは最後の言葉を描出し、永遠にその機能を停止させた。

  “――Fin.”

 

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