梗 概
歌のうまい女
歌のうまい女がいる。
彼女の歌を聴くと、俺はなぜだか涙が止まらない。俺の仲間もそうだ。
彼女は、はるか頭上に輝く月のコロニーに住む。そして毎晩、データ中継で地球に「降りて」きてくれる。俺たちのためだけに、歌を歌ってくれる。
地球は荒廃してしまった。いつからだろう、俺たち地球人の心は、むなしくて、空っぽのままだ。
彼女の歌は、かつてあった地球の温かみを思い出させてくれる。地球人である俺たちのことを豊かに歌い上げてくれる。
今夜も、ホログラムマシンに映る彼女の歌う姿に、俺たちは夢中になる。
そもそも彼女に声をかけたのは俺だ。
繁栄を極める月面コロニーで、歌の名手として評判だった彼女。幼少期は苦労が多かったようで、両親は地球で死に、熱心な仏教徒である中国人にコロニーで育てられた。
彼女の名声を聞きつけた俺は、彼女のプライベートアカウントにアクセスして、地球にいる我々のために歌ってほしいと頼みこんだ。
地球からの連絡はめったにないのだろう。発信元を見て彼女は驚いていた。
最初の晩は最高だった。次の晩も、その次の晩も。
ある晩、待てども待てども彼女は「降りて」きてくれない。
連絡を取ろうとホログラムにアクセスすると、呪文のような文字があふれ出てきた。それは俺に耐えがたい嫌悪感を抱かせる。
一晩たりとも彼女の歌を我慢できない仲間のため、俺は、ひとり月へ彼女を迎えに行くことにする。
宇宙を漂い、月面のコロニーにたどり着いた俺。
小高い丘にある彼女の屋敷を訪れる。仏寺のようなその家のなかは、暗く、ひと気がない。
とある座敷に入ると、部屋の中央に、かわいらしい耳がふたつ、宙に浮いていた。
彼女を連れて帰れない俺は、せめてこの耳だけを地球に持って帰ろうと思う。耳をつかむと、かすかな息づかいが聞こえた気がした。
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内容に関するアピール
戦争で地球が滅亡していて、「俺」を含め、地球人はすでに死んでいるというオチにするため、伏線を張りたいと思います。
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