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「グループ展A『ホンヂスイジャク』展評」

  • 講師:伊藤亜紗
  • 講師:黒瀬陽平

展示・講評会| 2020年1月12日(日)

実作提出締切| 2019年10月16日(水)

概要:

新芸術校では第5期より「コレクティブリーダー課程」を新設しました。
このコースの受講生は、それぞれグループ展のキュレーションを行うとともに、
キュレーションに参加しない3つグループ展の展評を発表します。
今回は、グループ展A「ホンヂスイジャク」展評の展評です。

■ 展覧会概要

展覧会名:「ホンヂスイジャク」
出展作家:菊谷達史 / 平山匠 / 三浦かおり / 茂木瑶 / 山﨑千尋 / ユゥキユキ

キュレーション:海老名あつみ(CL課程)
キュレーションサポート:鴻 知佳子(CL課程)

デザイン:青息

会期:2019年9月14日(土) ~ 22日(日) ※9月21日(土)は講評のため終日休廊
開廊時間:15:00-20:00

■ キュレーターステートメント

やがてくる廃仏毀釈のために
妖怪が現代日本を徘徊している、単純化という妖怪が。

これほどまでにシンプルな時代はあったであろうか。

ポピュリズムは世界を席巻し、左派・右派を問わず、複雑な問題をさも簡単に解決できるかのように喧伝するデマゴーグがあとをたたない。

結果として、彼らの存在そのものがより世界を不安定にし、事態を悪化させるのだから世話は無い。

一方で、自由と多様性をめぐる言説も混沌としている。

これらを尊ぶと称する人々のうちどれほどが、自分の価値観から遠く離れた存在でもダイバーシティのもと許容する覚悟があるだろうか。

排除された側が、別の場面では排除を行う側であったという事例も記憶に新しい。

結局、私たちはカール・シュミットの呪縛から逃れられないのだろうか。

世界は友と敵のいずれかであるというシンプルな二分法がやはり人間の本性なのか。

友でもない敵でもない中途半端な存在が傍にいることに耐えられないのか。

無論、人間には認知能力の限界がある。

ゆえに、物事を定義し類型化することで、我々は自らの認識の生産性を向上させてきた。

他方で、そうした営みは代償として世界における余白の捨象を強いる。

「家族」の再定義がその解決の糸口になるという。

他方、家族を抑圧的な存在としてしか認識できない者は、その「家族」という言葉の使い方に躊躇いを表明している。

こうした振る舞いが拙いと割り切ることは簡単である。

しかし、誰しも日々目の当たりにしている現実という重力からその思考が逃れられない存在である以上、こうした不器用さにも最後まで寄り添いたいのだ。

思い出してみたい。

かつて仏教が伝来した際、当初こそ土着の信仰との対立が生じたが、その後、仏教と古来の祭祀体系は混淆しつつ、ともに完全に融合することはなく一定の独立性と緊張感を抱えたまま社会に浸透していった。

そこでは仏を本地、神を垂迹とするという、要は土着の神は実は仏が姿を変えたに過ぎない同一の存在であるというアクロバティックな転回によって、現実の複雑さをその世界観に取り込んでいったのである。

この本地垂迹という世界認識こそ今日の私たちを隘路から解放する示唆となりうるはずだ。

そして、芸術が果たすべき役割はこうした世界認識の確立を支援することではないだろうか。

世界を多様なまま切り取って、余剰部分をも人々が負担なく、かつ深く認知できるものとして表現していく、そのような役割。

現代は、廃仏毀釈にも似た野蛮が再燃しうる岐路に立っている。

こうした状況下において、分断を乗り越え、硬直化された思考を解きほぐし、成熟の回路へといざなうのが芸術の最も大きな存在意義であろう。本展はそんなきっかけとなりたい。

(海老名あつみ)

※伊藤亜紗・黒瀬陽平の2名による講評は、2020/1/12(日)を予定しています。各受講生が出した3つの展評のうち1つをセレクションした上で講評が行われます。

課題提出者一覧