「誰もいない街で−それでも鈴を鳴らすことの−」

「誰もいない街で−それでも鈴を鳴らすことの−」

グループ展A『ホンヂスイジャク』展評

 

「誰もいない街で−それでも鈴を鳴らすことの−」

 

CL課程瀬川拓磨

 

分断の時代で、複雑性を受け入れること。「世界を多様なまま切り取」り、(世界から?)溢れる余剰部分を認知のフィールドに浮上させ表現すること。そして「世界認識の確立を支援する」ことに芸術の意義を見出す。海老名氏の言葉を借りて展覧会の本筋を構成し直すと、こうなるだろうか。

複雑性を受け入れることと、しかしそれと「世界認識の確立を支援する」ことはどこか齟齬をきたすように見える。本展覧会に関する私のしこりは、このような言葉の選択から生まれてくるのだろう。言葉の選択に拘泥しては、しかし展覧会全体と個々の作品の個別性、それらの交感という側面から目を背けることに繋がるから、必要以上にこだわることはできないだろうか。必要以上に?いや、この言葉の選択をそれとして放置することはできない。はっきり述べると、この展覧会は誰もいない街のようである。複雑性というタームで支持されるアートの形態が「世界認識を確立」させる、しかしその結果この展覧会ではその乱れる複雑性を構成する個別のフレームも存在も遠くへ押しやられてしまった。つまり作品の切実な個別性がこの展覧会から捨象されたように思われるのである。個別性のない複雑性。それは網の目のように構成される都市の内と外で、構造だけが生産される空疎なイメージを喚起させる。複数のメンバーで構成される展覧会は一つの街である。誰かと誰かが、何かと何かが息づいているのだから。しかしこの街には、息づくものが存在していない。その代わり、誰もいない街の隅から、鈴の音だけが聞こえてくる。三浦氏の作品だけが、ここで人工性を最大化し、逆説的にテーマに沿っている。その理由を最後に述べたい。その前になぜ人がいないのか、諸作品に言及しつつ説明したい。

まず茂木氏の作品は、イスラエルの風景を自身の経験をもとに描いている。ここでポイントとなるのは、その風景が「キャンプ」の様子であることだろう。自身が見た現地の人々の様子を作品にした背景に、「イスラエルで自身の価値観では割り切れないことを現地の人々から感じたこと、自分たちから離れた人々との対話として自分が(現地の作家から?)材料として受け入れられていたこと、それに対するアンサー」であると茂木氏は述べた。もし自分がその場所に歓迎されず、現地の人々から材料として見られていたのなら、作品はどうしてキャンプを中心の表象として招来したのだろうか。茂木氏にとっての理解の地平から越えいく出来事があり、それを作品として提示しようとしたことは理解できる。しかしそもそもどのように思考しても、たとえそこに何かポジティブな感情や思考が生じる瞬間があると想定しても、その場所を描くことにはどこまでも慎重にならなければいけないのではないか。ここでも「複雑性」というタームがこの展覧会で機能していない現状を見て取る事ができる。茂木氏にとって世界やイスラエルや訪れた場所が複雑であることと、そしてだから世界を複雑に描くのだというのは、文法的には素通りされる出来事かもしれないが、しかし一つの芸術的実践としては立ち止まらなければならない実践ではないだろうか。そこに、本当に複雑性があるのだとして、そこに留まる切実な理由がないのに、むしろ不明確さによって肯定されるかのような動機は、ここでは何ら複雑性と交わっていない。だから、絵の中に描かれるイスラエルの人々は、ただ作家のイメージが仮託されただけで、複雑性という一つの主題との接点と齟齬をきたしている。テーマのレベルで街から人がいないように、作品のレベルでも人がいない事が、ここから分かるだろう。

紛争鉱物をテーマにした山崎氏の作品では、人の存在よりも一種の時間性のようなものが際立っているように感じた。4つのスクリーンで提示される涙を抽出する作業は、何かが、存在か、時間性か、出来事か、分裂しているのか、それともタイムラグとして退けられるのだろうか。それを考える補助線は、次のフェイズで描かれるフェイクのニュース映像と、トイレに展示されるネックレスと実際に涙を出している本人の映像に幾分かは求められるだろう。本人がいうように、トイレは一つのプライバシー空間を構成する。そこでは誰でもない自分として作品に対峙するが、しかしその行為を行う誰かは自分だけではない他者でもある。結末の匿名性を支える「情報」とは、しかしここで単一の時間軸に回収されることを拒むだろう。つまりそれがそれとして存在する工程の一貫性が乱れていること、それゆえに閉鎖された空間で出会う作品が不動なものとして、しかし涙を流す瞬間というある特定の時間を持つものとして、立ち現れてくる。工程の意味性を問いに付すこと、それを経て初めて作品に到達すること。だから最初の4つの画面は分割されていなければならない。なぜ私はこういった行為を行うのか?という疑問への懐疑として。そしてその懐疑を問いに付す先に何があるのかについて、しかし作家は明瞭に答えているようには思えない。それが「トンネル」という言葉を自ら出してきた理由の一つだろう。そのためこの作品も、やはり「人」がどこにいるのか明確ではないのである。

「戦争画のDNA」が広告とゲームに継承されていると述べる菊谷氏の作品が、キュレーションのテーマとどう関わるのかという椹木氏の問いは、それが他の作品にももちろん同様に問われるものだとしても、この作品が本展覧会の中で表象として一番人を描きながら、それが最終的に作品として菊谷氏が語る作品のテーマ的レベルと一致しない要因になっているのではないか、と私は考える。つまりこの作品の個別性・テーマ性が戦争画というジャンルに挑戦しながらそれにうまく適合しない試みになってしまったことは、複雑性という一つの主題の変奏になっていない、矛盾する言い方になるが世界を解釈する枠組みの提供というレベルに幾許か沿っていないところにあるように思われる。茂木氏の作品にしても(茂木氏の場合は描いたものがある個人性に関わるものだから強くいったが)菊谷氏の作品にしても、絵画のレベルの高さとテーマとの間に有意な接続がなされていないように見える。菊谷氏の作品において描かれる個人の匿名性は、それがある意味で反オリンピック的現在の言説状況と交わる可能性を残しながら、しかしそれがあまりに実直に(戦略的にも)広告の形式をなぞり過ぎているから、そこに描かれるはずの複雑な個人という側面が全く捨象されてしまっている。なぜ同じ方向を向いているのか、なぜこの人々がこの表面へと浮上してきたのか、この背景のグラデーションはどのような目的で描かれたのか、仮に戦争画が広告とゲームによって拡張され拡散されたのだとしたら、それはどのように「細部」にまで浸透してきたのか?そもそもそれを収奪することとこの作品の形式はどこで交差するのか?作品形式と設定のレベルにおいて、しかしこの作品はこれらの問いに有意には答えない。複雑なグラデーションは、これら問いとの齟齬と人のいない街の中に置かれた作品の暗示のように、私には見えてしまう。

ユゥキ氏の作品は、展覧会の中で人外の生命(のようにオープニング映像からは見える)を提示した唯一の作品である。この作品を人のいない街という主張に連なるものとして解釈できるのか?三浦氏の作品へと到達する前に本論が向き合う問いは、この作品が投げ出すそれとの応答になるだろう。イニシエーションを繰り返す、しかしその円環をずらしていくこと、その苦しみは、他者に到達しつつしかし同時に完全に解釈することのできない苦しみとなる。何が口で何が顔か判然としないものに対して食べ物を与える。生存のための所作とも、ある意味での親密性を形成する所作とも取れるその行いは、私たちに理解できない他者(この状況とは何か?そして私たちが向き合う他者とは何か?)を想起させる。ステートメントやプレゼンを聞けば、私たちは作家の意図なるものを理解することはできる。そして映像の前に置かれた生き物の柔らかな抜け殻は、何かが完了したことと、それでも何かが続く現実を、私たちに届けるようである。私たちはこの作品について何かをいう事ができる、しかしその応答の果てに何があるのかは、イニシエーションの円環をずらすという大きな未完の試みに仮託されている。そして、この作品には生命がいるのか、という問いにずれていく。母とは、私とは、一瞬の親密な瞬間と繰延べられる苦しみは、易い回答を与えない。この作品に人はいるのか、しかしそれは断定できない、としか今はいえない。

少し最初の主張を修正しよう。この街に人はいない。しかし人ではない何かは存在する兆しがある。その点でこの展覧会は人のいない単純性に回収されることはない。しかしやはり、先述したように複雑性と世界の確立という危ういフィールドを立ち上げる展覧会の構成が解消されるともいうことはできない。この修正された視点をもとに、最後に三浦氏の作品を分析したい。

三浦氏の作品は、本展覧会においてテーマ的に最大化されたものであると私は考える。鈴という所作、鈴という信号。それは展覧会のテーマと作品単一のテーマを有意に混交させる。有限で限定化された状況において、鈴はムーヴメントの動きにしたがって音を出す。その音は会場の中に響き、作家のプレゼンの際にも、誰も言葉を発せず集中して見ている時も、途切れることはない。なぜ、誰がこの鈴の音を出しているのか。その人工性にもかかわらず、私たちはその音を共有している。それは誰にも還元されえないメッセージであり、環境と交わらない背景であり、闇を祓う魔除けである。人のいない街に響くのは、人による音ではない(人がいればそれは人のいない街ではなくなる)。起源を辿れず、しかし社会的な抑圧のフレームだけが可視化される。しかし鈴はその限定性から離れていく。等間隔の音は、それがメッセージに還元されえないその一点において、人工の街に鳴り響くメッセージになるのである。ここで作品とキュレーションが混交する。

以上、グループ展A『ホンヂスイジャク』を、人のいない街という視点から考えてきた。これもまた矛盾するかもしれないが、この街に人はなくとも作品は存在する。この鈴の音がとまる前に、この街に誰かが来る可能性は、依然として開かれている。

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