引用の誘惑
ホンヂスイジャク展のテーマは同調への抵抗であるように思えた。
カール・シュミットの呪縛から逃れたとしても、自らに内面化され規律訓練された同調への抵抗。その印象を特に受けた二つの作品に言及したいが、具体的な言及に入る前に、同展から受け取った同調への抵抗について触れておきたい。
1.ロジカルシンキング
世界の複雑性を圧縮し選択肢として提示する技術は、即時かつ的確な意思決定が求められる際に有効である。
例えば企業経営の場において。
複雑に変化する状況から抽出・整理した情報をもとに決断し、実行する。情報の抽出→整理→決断→実行。各段階において、論理思考・論理的思考という思考法が用いられる。読者によっては、ロジカルシンキングと言った方が耳に馴染んだ言葉かもしれない。
「ロジカルシンキング=論理思考・論理的思考」と、「論理学」は似て非なるものである。
論理学は、哲学・数学などの分野で古くから研究されてきた分野であり、ここで言うロジカルシンキングの和訳にとどまる論理思考・論理的思考とは関係がないことを断っておきたい。
経営で用いられる言葉には軍事用語が多い。戦略、情報はその代表的なものと言える。
経営の勉強をするために物流の専門書を開けば、『物流とは、原材料調達から生産・販売に至るまでのモノの流れ、またはそれを管理する過程。ロジスティクス。』のように、解説の最後に同じ意味を指す米軍の軍事用語が書かれていることをしばしば目にする。日本語でロジスティクスに該当する言葉、兵站、ではなくロジスティクス。戦略ではストラテジー、情報ではインテリジェンス、インフォメーションといった具合に。部門をマーケティングに絞るともはや対応する日本語は出てこない。ターゲット、インパクト、キャンペーン。和製英語になっている。
ロジカルシンキングもまた和製英語である。
ロジカルシンキングは米国のコンサルティング会社、マッキンゼー・アンド・カンパニー(以下、マッキンゼー)のメンバーが使用し、部下やプロジェクトメンバーに伝えたノウハウの集合である。ノウハウのひとつひとつ、MECEやロジックツリー、フレームワークなどはそれぞれ関連する部分はありながらも独立したものである。それらが、日本では2,000年前後にマッキンゼーの出身者によって、『ロジカルシンキング』(照屋華子・岡田恵子, 東洋経済新報社, 2001年)などの書籍にまとめられ紹介された。同時期に出版された書籍として、『考える技術、書く技術』(バーバラ・ミント、グロービスマネジメントインスティテュート,1999年)、『マッキンゼー式 世界最強の仕事術』(イーサン・M・ラジエル,2001年)などがある。ここで紹介した2冊もまた、マッキンゼーの元社員が著した書籍ではあるが、先のそれと異なり、この2冊には米国で出版された原著がある。さらにこの2冊には「ロジカルシンキング」という言葉が出てこない。米国および英語圏では、ロジカルシンキングという言葉は用いられず、「thinking」という言葉に、論理思考・論理的思考という意味が内包されている。改めて、「ロジカルシンキング」は和製英語なのである。
2.閉じられた円環
第一次大戦後の1920年代以降、未曽有の好景気に沸いたアメリカにおいて、ヴェルサイユ条約、世界恐慌、ニューディール政策を経て第二次世界大戦に至る過程で、政府と二人三脚で国策を進めたのは金融業界の人材であった。第一次世界大戦以降、尾を引き続ける戦後賠償金においては他国の、工場の生産数と販売数においては一企業の、返済能力と金利を算出するために金融業界の要人が政府に協力した。その後、大恐慌によって多くの銀行が倒産し、金融業界のプレイヤーが整理されたことにより、生き残った金融機関とより距離を近くした政府は、不況下、購買力を失った農民貧困層への保証額算出など社会保障法の整備を行う過程でも金融人材を登用し国を支えた。そして政府で鍛えられた人材が企業に戻った際には、実業家を国際感覚で管理した。工場の安定生産、在庫管理と全米物流網の管理、さらに不明瞭になりがちな研究部門の進捗を監視する仕組みを洗練させた。研究機関の可視化については、ハーバード大学をはじめとする教育機関からの若い人材の安定供給、教授・スタッフなど、専門人材の流動性を高めたことも政府・企業間との組織化に寄与した。こうした官学民の三位一体を支えたのは二大政党制であった。定期的に政府官僚がまるごと入れ替わる二大政党制の仕組みが、政治におけるステークホルダーを認めず、ステークホルダーは常に在野にいる環境が敷かれた。こうして、在野での成功に集中する環境が整っていたことが第二次世界大戦での勝利にも直結し、更に大衆文化が生まれる60年代からはマーケティングと心理学での、インターネットが勃興する90年代からはプログラミングと情報工学での成果につながった。マッキンゼーが1926年に会計事務所として創業し、60年代にマーケティングを中心とした戦略系コンサルタントとして国際展開をはかり、2000年前後に日本の第一次IT世代がその書籍をバイブルとした。
失敗から学べることを知っていたとしても、日本人は日本軍が蓄積した経験や言葉を引用することができず、兵站の代わりにロジスティクスを使う。日本人に米国式戦略思考を説明しようとするときカタカナが増えるのは、日本人が日本語で軍事用語を使いたがらないことに起因すると推測する。それは戦争に負けた、使えない戦略に基づく言葉だから、という理由ではない。戦争について話すこと自体、考えること自体から遠ざける規律訓練の成果であると推測する。ロジカルシンキングという外来語を作ったこともまた規律訓練による賜物ではなかろうか。そこまでする必要があるほどに、米国式戦略思考を輸入するに際して、戦争の臭いを脱臭する必要があったのではないか。
そして、本地垂迹もまた、神道の国に興隆した仏教を定着させようとするチカラが作り出した規律訓練の賜物と思えてならない。
新芸術校第5期生グループAによる展覧会名「ホンヂスイジャク」は、本地垂迹をカタカナにすることで、規律訓練に対する抵抗を可視化する試みと私は捉えた。そして、この展覧会は「カール・シュミットの呪縛から逃れ」る試みとしてではなく、ミシェル・フーコーが『性の歴史Ⅰ 知への意志』において提示した「抵抗」の試みとして捉えたい。
3.規律訓練への抵抗
映画『ザ・ウォーク』(ロバート・ゼメキス,2015年)は、1974年にニューヨークのツインタワーで綱渡りをしたフランス人大道芸人、フィリップ・プティを描いた作品である。1973年にオープンした、7棟からなるビルディング・コンプレックス、ワールドトレードセンターの目玉は2棟の110階建オフィスビル、ツインタワーだった。ツインタワーは世界で最もフロア数の多いビルで、411mというその高さもオープン当初は世界一だった。記録こそあれ、オープン当初はまだまだテナントも十分に入っておらずオープン後も工事が続く状況だった。映画では、そんな少し冴えない武骨なビルに命が吹き込まれる過程が描かれる。やがて28か国から430のテナントが同居し、銀行・金融機関・保険会社・貿易会社・政府機関などが同居し、アメリカの経済の象徴となるこのビルに命を吹き込んだのはフランス人の大道芸人だった。2つのビルの間に張ったワイヤーを無事渡り切った。しかしフィリップ・プティは綱渡りを終わらせない。45分間8往復の綱渡りを披露したプティは待ち構えていた警察に捕まる。周囲からは「なぜこのようなことを?」との質問が飛ぶ。
それにプティは答える。「理由などありません。だから美しいのです。」
フランス人大道芸人によって、記録の塊だった巨大建造物に物語が付与された。そしてその27年後、ビルは崩壊する。映画は2001年の14年後に公開され、アメリカを効率や記録の呪縛から解き放ち、娯楽を教えたのはヨーロッパであり、フランスである、と語っている。
そしてそれは公を介さない、私的な趣味であり狂気であるとも。これは典型的な「抵抗」である、と私は捉える。
友-敵理論を批判しようとするとき、すでにその批判は友-敵理論に奉仕してしまっている、というジレンマから逃れられない。友-敵理論が論じられるとき公を避けることはできない。そして公を志向したその瞬間に、政治が発動され、友と敵が生まれる。たとえ友-敵理論を批判した論考であったとしても。
そこでとるべき「抵抗」は、公を志向しないこと。または共通の目的を志向する組織や企業としてではなく、私として、美的判断をすること。そして事後的に公共性が生まれる。
そんなことが可能なのだろうか。
そんなことも可能かも知れない、と、ホンヂスイジャク展に展示された作品たちが教えてくれた、気がする。もちろん私的判断として。(以下、作家名は敬称略)
TUNNEL
山崎千尋
小説『こころ』(夏目漱石,1914年)において『精神的に向上心のない者はばかだ』はKと先生、二人の人物によって発せられる。世界の変化と自らの変化のズレを浮き彫りにするこの言葉が二人を追い詰める。二人にとってのTUNNELは「明治の精神」だったと言えようか。遺書に書かれたその言葉が実際に何を意味するのか正確なところはもちろん分からない。しかし、確かにそれは「明治の精神」であったのだろう。それは映画『Helpless』(青山真二,1996年)の天皇と秋彦の間にあったTUNNELと相似形であったかも知れない。そして現代のTUNNELは、より広く、遠く、ゆえにともすると独りよがりにも見える複雑さを持つ「世界平和の精神」。そういえば、トイレで聞こえてきた『we are the world』のたどたどしいピアノの気まずさは、「世界平和の精神」という言葉のきまずさそのものであった。
Sense
三浦かおり
兄と相部屋だった私は、大学を卒業するまで兄の寝息にペースを乱され続けた。人の寝息というのは厄介なもので、無視しようとすればするほどペースを乱された。同調圧力の独り相撲。特にイラつくでもなく、そういうもんだと思っていた。
ほとんど忘れることすら忘れていたその記憶に、この作品が触れた。展示会場中のどこにいても聞こえる鈴の音に、そういえばもう秋だななどと思ったが、それもまた作品によってそう思わされたのか、私が作品と関係なくふと思ったのかわからなくなり、興奮した。
電池で動いていることが時間/命の有限性を意識させた。壁に貼られた電池たちが未使用なのか、使用済みなのか気になったところで、この作品全体に残された時間/命において、壁に貼られた電池は過去なのか未来なのかが不明であることに不安を覚えた。自分の年齢が分からないために残された寿命が分からないことを想像すると同時に、いつだっていつ死ぬかなんて分からない事実に考えがぶつかると、見えなかった生命の檻にぶつかった気がした。そして諦念に至り、『生命と記憶と時間とは、すべて人間が勝手に名付けて3つに分けているだけの実は境界線のないものなのかも。もしかしたら虫は、そういう意識を生きているのかも』と思ったところで、この作品タイトルがsence(意味)も連想させるsense(感覚)であることを発見し、自由に空想の遊覧飛行をしていたつもりが、作家の檻の中に最後までいたか、と恐れ入った。
4.カール・シュミットからミシェル・フーコーへ。
事態の複雑性を圧縮し意思決定することが日本人は苦手という。しかしそれは、日本人が論理思考を行うにあたって、自国が蓄積した経験や言葉を避けた迂回路を通らなければならないためである。であるとすれば、現代の国際競争下では不利にあると言わざるを得ない。しかし一方で、かつては経済大国と言われた成功体験が、この不利な競争から降りる道を選ぶことを困難にもしている。結果、別の道を選べず、かと言って不利な競争から降りる決断も出来ないまま、今年も日本の新卒高学歴層は外資系コンサルティング会社への就職を希望している。
彼ら彼女らと事後的に公共性を生むことを願って、まずは私的判断に従い、作品を作り、作品が届く場を作る。
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