《ネクロノミフォン》

作品プラン

《ネクロノミフォン》

怪奇作家ハワード・フィリップ・ラヴクラフトの一連の作品の中に「ネクロノミコン」という死者の書を意味する架空の書物が登場する。本来はクトゥルフシリーズのみで語られてきた存在ではあったが、現代では魔道書物の代名詞的存在として様々なメディアでその名前を目にすることができる。
今自作品においてはビジュアルやバックボーンに相応しいと引用し、最後をフォン(電話)に置き換え、タイトルとした。

元来の携帯電話(ケータイ)というものは移動しながらの通話を可能とする無線通信機器の一種であったが、時代が進むにつれて通話の機能だけでなくあらゆる情報交換を目的とした多機能化を繰り返し、そしてインターネットとの融合、さらに進化し携帯情報端末(PDA)としてスマートフォン時代が訪れ2007年以降の現在では、誰もがポケットサイズの情報世界を手中に日々生活している。
技術促進と開発による発明は人々に多くの安楽を与えてきた。しかしその変化が大きければ大きいほど、当然見落とすものや衰えるものも見えてくる。没入し依存してしまう利用者も少なくない。端から見れば脳を弄られたサルのような、ゾンビのような、支配された虚ろな屍が徘徊する世界を垣間見るようでゾッとする。

そこに人としての崩壊や解離を見た時、私は自分の現状と同じものを感じた。それは「造形」である。私にとってのこの作業は頭の中にある無限の情報を組み替えたり引き出したり整理したりするためにクリエイトするゲームのようなものであるが、それは私的欲、願望が忠実なまでに過剰に反映されるため、非常に没入感が強く依存しがちである。故に物事の本質を見失い、意味も無く快楽のまま作り続けてしまうことがある。たとえ文脈があったとしても形に引っ張られ矛盾を生むことがある。かといってこれを全て否定すれば私にとっては本末転倒になる。だが、見方を変えれば、あらゆることがそういうことに向かっていて落とし込む場所がまだないだけなのではないか。スマホがもたらす影響のように、いずれ受け入れられる土壌ができるのではないか。と妄想する。そうなるために今の自分が世界に向けてやらねばならないことは、この魔法に抗うためにもあえて自虐と矛盾に追い込むことではないのか。フィギュアと彫刻の間のジャンルを模索することから始まり、ようやく本質を思考するにまで至ったが、未だに私が着地する場所は虚数である。今はその不在を強いられても、私は未来にそれを求める。
そして、単なる社会的状況のメタファや風刺でなくネクロノミフォンはそういった背景を持ちながら壮麗神々しく表現しアナログで作られる。全ての現在に対する皮肉と敬意、尊敬を込め、普段の姿勢で造形制作に望むことで、新世界に継ぐ神の片鱗の偶像を願いとともに今に立たせる。

 

 

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