地球内生命

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梗 概

地球内生命

 朝永和花ともなが わかは幼いころから哲学的だった。「戦争がなくなって平和になるといいね」と言われれば「ヘイワになったらどうするの?」と聞き、「世の中不景気で困るわ」と言われれば「ケイキがよくなったらどうするの?」と聞き、大人を困惑させた。同級の友達がおしゃべりするアニメやゲーム、おしゃれや恋の話にはまったく興味がわかなかった。「将来の夢は?」と聞かれると「いのちの研究」と答えた。

 和花は脳科学者になり脳波からその思考を再現するアルゴリズムを開発した。まだ実証段階のその技術は政府機関や企業から熱烈なオファーを受けたが和花が興味があることはただ一つ「思考は何のためにあるのか」であり人間そのものは関心の外であった。

 あるとき和花はアルゴリズムを地球外知的生命探査SETIの電波解析に使いたいという依頼を受ける。電波天文学が始まって以来成果のないSETIで、生命が発する波形そのものを捉える和花のアルゴリズムを使わせてほしいということだった。

 アルゴリズムが電波解析に使われるようになった数か月後、アルゴリズムを共有していた共同研究者から地磁気データの解析で知的生命の検出アラートが出たと連絡があった。和花は耳を疑ったが他の観測地点データで追試が行われ、地磁気が何らかの生体思考に基づく波形を示していることが確認された。地球核生命Core Lifeform(CLF)が発見された瞬間であった。

 その後の検証によりCLFは次のように解釈された。地磁気を生み出しているのは地球の外核、約2200kmもの厚みを持つ溶融した鉄の海における熱対流である。外核では5000℃の鉄が数百メートル単位で電流渦を形成し地球磁場を作っているが、その膨大な集合体がCLFの思考回路を形成していると考えられた。CLFは40億年以上前に誕生し、身体を持たず、神経を持たず、他者と死を知覚することなく、以来思考のみ・・・・をし続けている存在と考えられた。

 CLFとの対話は地磁気干渉によって可能とされたが、その実現には40年を要した。南極に建設された直径200kmの地磁気干渉リング。核融合電源と超電導コイルで地磁気に干渉しついにCLFとの対話が実現した。

 CLFは40億年間、ただ計算していただけだった。何の目的も持たず、何の希望も、絶望も感じることなく、ただただ計算し、その孤独に秘めた公理系を拡張していた。人々は大いに失望するが和花はその純粋さに生まれて初めて心を動かされる。

 西暦2110年、人類は時空の構造が素数の分布、すなわちランダム・エルミート行列の固有値分布に依存していることを見抜き、ついに万物理論の完成に迫っていた。老いた和花がその成果をCLFに報告すると、CLFは驚くべき応答を返した。数十億年にわたる計算の末、素数の分布であるリーマンゼータ関数の非自明なゼロ点が、複素平面の無限遠において予測と異なる挙動を示していると告げたのだ。それは宇宙の秩序にパターンがあり、しかし同時にほころびがあること、すなわちこの宇宙が完全でないことを意味していた。

 生命とは不完全な宇宙に発生し、なおその構造を超えようとする現象である。それが人間であり、地球内生命である。それでも世界はすぐに変わるわけではない。人々は日々の暮らしを続ける。和花は生命の神秘に一人静かに満足しようとする。

「おばあちゃん」そのとき孫娘のれいが和花に話しかける。
「わたしたち、今度CLFと一緒に歌をつくるよ」
 和花はCLFの存在を自然に受け入れている黎を見て人は変わっていくと思った。生命の意義は、いつのまにか黎たちの世代のなかで音楽のように溶けあっていた。

 

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内容に関するアピール

第1課題「『これがSFだ!』と思う短編を書いてください」の提出作のリライトです。

https://school.genron.co.jp/works/sf/2024/students/palebluedot/8533/

本作ではこの宇宙において生命にどんな意味があるのかということ、またそれが一人の人間である主人公にどう作用するかを書きたいと思います。

SFでは地球外知的生命ETは普遍のテーマですがETも原始生命から進化した身体を持ち、他者と関わり、生と死がある点では人間と同じだと思います。本作では身体性がなく他者や死という概念を持たない純粋な思考存在として地球内生命を描いてみます。

第1課題のときは地球内生命の発見とコンタクトまでしか描けなかったので、その先のコミュニケーションとこの宇宙に対する描像の更新、それを踏まえた人間の価値観変容を書ければと考えています。

文字数:385

課題提出者一覧