梗 概
新九相図
2020年東京オリンピック開催中に北朝鮮のミサイルが首都圏を焼土にした。私は死ぬことにした。理由は世界平和だ。私は祈りを抱いて死ぬ。
SNSの次世代を担うのは「あなたの人生の全てを記録する」と謳う「ツリー・オブ・ライフ」。私はここに自殺チャンネル「即身仏への道」を開設する。スマートビデオのパーソナルアシスタント〈モリー〉が私を二十四時間監視し、全記録を動画配信する。
あなたは山中の工房に籠もり、木食修行を行います。木の皮と根だけを食べ、死後の体内の防腐用に漆の茶を服用します。
脂肪と水分を極限まで落とした後で、房の窓と扉を漆喰で固めて自らを幽閉します。私はカメラを暗視モードに切り替えて撮影を続けます。あなたは蓮華座を組んだまま幾日も鐘を鳴らし、読経を続けます。この間に記録開始から二千日が経過しています。大戦が始まり随分経ちますが、世俗から断絶したあなたは知りません。
鐘の音が聞こえなくなります。私はあなたの死亡を確認します。
これから千日後、あなたは即身仏になる。
しかし事態は急転します。一人の兵士が漆喰壁を壊し房に侵入します。逃亡兵のようです。頬はこけ、目は虚ろで、既に半ば気が触れています。
兵士はあなたを銃剣でバラバラにして食べてしまいます。
兵士はあなたを取りこみました。それはつまり、「あなた」を内に含む「彼」が同時に「あなた」でもあるということです。
撮影対象を「彼」に移行します。今後は「彼」が「あなた」です。
終始あなたは高熱にうなされています。太腿の銃創の化膿は悪化する一方です。
予測通り、あなたは早期に死亡します。
私は撮影を続けます。
数日で、あなたの体は腐敗ガスにより膨張します。
数日で、腐敗汁が滲み出し皮膚が破れ骨が露出します。
次に、蛆が湧きます。
次に、匂いを嗅ぎつけた野犬達があなたの腐肉をむさぼります。
そして、白骨に僅かな皮膚と肉を残すだけとなります。
そして、完全に白骨化します。
それから、朽ちた房に風雨が侵入します。骨は散乱し、あなたは人の形を失います。
それから、東の空にキノコ雲が現れるのを私は見ます。
次の千日が経過します。
房も今は失われ、私は荒れ地に投げ出されています。
毒々しい薔薇色の空から、馬によく似た頭部を持つ光の巨人が幾人も降りてくるのを私は見ます。
彼らが息を吹きかけるとあらゆるものが花に姿を変え、一部のものは鳥に、残りのごく僅かなものは歌になります。
一週間が過ぎました。
戦争は彼らの出現によりあっけなく終わりを迎えました。
黒い積乱雲が上空を覆い、終わらない夜が連綿と続き、隙間から射すのは深紅の薔薇の光、そして新しい支配者達は依然狩りを続けています。たくさんの女性達が、子ども達が、歌や花に姿を変えるのを私のレンズは捉え続けました。
苦しい。
何度もあなたのことを考えた。懐かしく思い出し、その魂は天上へ昇ったとしても、肉体は地中に浸透しここに留まっているということを、感じ取ろうとした。けれども難しい、あの頃と別物に変容したこの世界では。
そして私は決断する。
私は時間を遡る。
撮りためた映像を、逆再生するのです。
光の巨人が花を鳥を歌を多様な命に作り変えてゆく。
散乱した腐肉が集まり負傷兵を形作る。
兵士の体内からあなたが生まれる。
あなたは私を従え房を後にする。
あなたは健康な肉体と心を取り戻してゆく。
春の光の中にあなたはいます。傍らには2020年東京爆撃の渦中から蘇ったあなたの妻と子ども達。
そして私は自身の望みに気づきます。私が欲しいのは過ぎ去ってしまう時間ではなくたった一枚の写真なのだと。
だから私は時を止めました。この幸福な時を抱きしめ、永遠に離しはしない。
文字数:1498
内容に関するアピール
ガルシア・マルケスは現実と幻想を重ね合わせる魔術的リアリズムを用いて世界を描きながら、「現実に根ざしていない事柄はただの一行もわたしの作品にはない」と『パリ・レヴュー』のインタビューで語っている。
このことを踏まえ、屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画「九相図(くそうず)※リンク先グロ注意」を題材に、現実のリアリティを欠いた出来事を、AIの視点に立ってただひたすらに即物的に文字通り機械的に記述していったとき、そこには魔術的な風景が立ち上がるのではないか、記述の先に、たとえば『百年の孤独』でシーツを被ったレメディオスが昇天していくような、神秘的なカタルシスを呼び込むことができるならば、この執筆に挑む価値があるのではないか。
……というようなことを考え、これをテーマに話を作りはじめたのですが、展開を進めていくうちに後半では全然現実に根ざしていない出来事も起こり始めたので驚きました。元々のテーマに則るならばここで、奇抜になってしまった中途からの展開をいったん削除し、テーマに引き返すところですが、驚いたため、今回はそのまま進めることにしました。
とはいえ作中では世界が滅亡してしまっているし、カタストロフィが大きすぎて収拾がつかない、どうしよう、と一週間くらい悩んでいたのですが、視点人物は知能を持ったビデオカメラなのだし、彼の主観においては時間は過去から未来へ一方向に流れるものとは限らないんじゃないか、というアイデアを提出前日に風呂の中で思いつきました。知能を持つビデオカメラが記録映像の巻き戻しを行うとき、そこではあたかも、個人的な時間遡行・時間操作が行われているように見えるのです。これは図らずも、「機械による機械的・即物的な現実の記述が魔術的な色を帯びてしまう」という当初のテーマをしっかり回収しているように思え、これにはとても驚いたので、「これだ」と思い、これでいくことにしました。
ちなみに、本梗概において九相図は中途でまず八番目までが描写され、九番目は飛び石的にラストに配置してあります。本来の九相図における最後の相「古墳相」は、「肉体も骨も土に帰り、そこに一基の墓が建つ」というものです。作中結末部において、AIが時間を止めることで立ち現れる、墓碑・遺影としての一枚の写真=静止画が、これに対応しています。
文字数:983