梗 概
久遠唱声
脳-機械インタフェース(BMI)の発達により、大脳の電気的化学的な状態がネットワーク越しにある程度共有可能となった数十年後の人類社会。そこでは、個々に与えられた感情譜を元に数万人が感情をシンクロ出力することで、少人数ではあり得ぬほど豊穣なBMIフィードバックを味わう参加型ライブ芸術形式「ブレインオペラ」が一世を風靡していた。
無数の感情素を巧みに綴り合わせ、エモ・スコアがもたらす感情曲線を完璧に設計する能力を持つ天才配音士マギガンは、ブレインオペラの参加=演奏=鑑賞者である「唄衆」達の深層心理を見事に彫り出してみせる作風から「鏡のマエストロ」と讃えられていた。だが彼は栄光の絶頂で、遺作「覚(サトゥル)」を残し謎の死を遂げる。死後、彼の自宅のネット遮蔽された一角から大量のBMIデバイスの試作品が見つかったことから、未だ公には完成を見ていないマインドアップロード技術を自らに試みて失敗した結果の死ではないかとも噂されたが、真相は判らぬままとなる。
マギガンと当代の人気を分け合い、コロス達を事前には想像も付かぬような熱狂へと導く作風から「炎のマエストロ」と呼ばれる配音士シェイナは、彼女と生前のマギガンとの間に存在した、敵愾心とも友誼ともつかぬ奇妙な関係性が描き出す感情の残響に惹かれる。彼女が「サトゥル」のエモ・スコアを分析した結果、この作品が自己相似構造を内包する恐るべき大曲であり、少なくとも1億人のコロスが同時に演奏しないと完全な響きを得られないことが判明する。AIへの感情実装は未だ道半ばであり、これだけの数のコロスを揃え、ネットワーク越しにシンクロさせる事は不可能と思われた。落胆するシェイナの目前に、スコアの末尾に添付された「この永劫が音になってひびくとき、人類は更新される」というコメントが浮かび上がる。マギガンは本作が演奏可能であることを確信していた。シェイナは彼が残した謎を解き、必ず初演を行う事を決意する。
五年後。ブレインオペラ「覚(サトゥル)」の初演空間に数万人のコロスが集まっている。やはりAIも通信技術の進歩も間に合わなかったが、空間を見守るシェイナの姿は自信に満ちていた。演奏が始まる。フィードバックの波動は始めは静かに、しかし徐々に爆発的に増幅され、コロス達はかつて何人も経験し得なかった巨大な”感情海嘯”に呑み込まれる――。
「サトゥル」の正体。それはマギガンが開発していた、個人の中に存在する複数の人格の断片を読み取って補間し、独立人格として展開するプロセスを繰り返すことで感情出力を爆発的に増殖させる技術を用いた、究極のブレインオペラだった。それはこの芸術形式が個人レベルでの感情解放のみならず、統合された「個人」の下で抑圧されてきた、無数の副次的な人格さえも解き放つ事を意味していた。人類は自らの人格を無数に分割させながら、進化の次の階梯を上がってゆく。
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内容に関するアピール
先生方に第一回の梗概を評価・選出して頂いたにも拘らず、力不足で期限内に実作を完成させる事ができず、のうのうと第二回の梗概を提出するのは余りにも厚顔無恥が過ぎるのではないかと思いましたが、このまま落伍してしまうのはあまりに悔しいので、第一回の作品を必ず完成させて世に出す決意を持って、「恥の上塗り」をさせて頂きます。本当に申し訳ありません。
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