帚星が墜ちた日

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梗 概

帚星が墜ちた日

豊かな金髪に榛(はしばみ)色の眼をもった標準年齢15歳の少女、ロビン。彼女は生まれながらにして大脳にインターフェイスの埋め込み処理を施され、言語、言語的なものに潜む論理構造を瞬時に分析でき、さまざまな異星の知性体とコンタクトできる特殊能力を持つ存在として育てられた。相棒のロボット、ミュンを肩に載せ、組織の任を受けて、銀河系を飛び回る。
ロビンは辺境の惑星、ハイヴへ向かう。この惑星はテラフォーミングが進行していたが、突然、大量の彗星群がガスを放出して、恒星系の外縁部、オールト雲から次々に内惑星軌道に移動、ハイヴの表面に衝突するという事態が発生し、大混乱状態に陥っていた。スタッフの救難とその原因を探るために、呼ばれたのだ。
星系に近づくと、ロビンの乗る恒星船は謎の電波妨害を受けた。それを乗り切って内惑星に近づくと、こんどは彗星がまき散らすデブリの嵐だ。
惑星にようやくたどり着き、ほとんど壊滅した地上で、ロビンは研究所に残った職員、J・Nを発見する。彼は星系外部から発信される長周期の電波になんらかの有意性があることを発見し、知的な生命の存在を推測していた。それを聴き、ロビンは恒星船の電波妨害との関連に思い至る。そして研究所の量子マシンとリンクして信号を解読したロビンは、発信源である彗星群が生命であることを知る。かれらはハイヴがテラフォーミングにより炭素生命に好適な環境になりつつあることを察知し、自らの身体を惑星に落下させ、この星に生命の種を植え付けようとしていたのだ。
それをJ・Nに教えると彼は、彗星とコミュニケーションを取って、翻意できないかとロビンに問う。しかし、それが不可能であることが判明すると、彼は突然態度を豹変させる。ロビンに襲いかかるが、ミュンの機転により、ロビンは間一髪助かる。
そのときにJ・Nの身体は、機械であることが判明した。過去の事故により肉体を捨て、脳すら量子回路に置き換えてある彼の意識は、惑星のマントルに潜む無機生命体に乗っ取られていたのだ。
無機生命体はテラフォーミングによる環境改造を察知し、そして次なる彗星の襲来に対抗して、惑星表面が炭素生命体に適した環境に変わるのを阻止しようとしていた。
J・Nの身体を借りた無機生命体は、マントルプリュームを浮上させ、大噴火を起こす。地上は有機生命体の生存不適な世界になる。その直前、ロビンは間一髪脱出したが、無機生命体と一体化したJ・Nは惑星と運命を共にする。
軌道上。大気に拡がるキノコ雲を見ながらロビンは、ミュンを相手に、とりとめない妄想を喋るのだった。かつて太陽系でも同じ事がおき、惑星が勝利したのが金星、彗星生命体が勝利したのが地球ではないか、そして地球で周期的に起こるマントルプリュームの上昇による大絶滅は、マントルに潜む生命体が起こしたのではないかと……。

文字数:1172

内容に関するアピール

ファーストコンタクトSFです。第1回に提出した梗概の講評では、キャラが弱いとのご指摘がありましたので、今回はその反省を活かしてみようと思いました。
この物語の主人公、ロビンは若きプロフェッショナルですが、しかしそのため一般人(オーディナリー)からは時に白眼視されることもある。お供のロボットは、魔法少女ものにつきものの小動物をイメージしました。
堀晃さんの「トリニティ・シリーズ」のようなテイストをジュヴナイルに移植した、星々を巡って様々な生命、知性と出会うファーストコンタクトSFのシリーズを目指したいと思います。

文字数:256

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帚星が墜ちた日

「起きて、ロビン。起きてったら」
「……んもう、わかってるわよ」
いつもの声だ。不愉快ではないが、煩わしくないと言えば嘘になる。
ロビンが目を覚ますと、そこには小型のロボットがいた。
全長は三十センチほど。大きなカメラアイが先端に、その脇から二本のマニピュレータを突きだしている。
見た目は、まるで異星のエキゾティックな小動物のようだ。
「やっと起きたのかい? まったく、こっちの身にもなって欲しいな」
「大きなお世話よ」
機械の言うことにわざわざ毒づく。が、彼女にとってかれは、単なる機械ではなかった。
かれのような存在は、恒星船には欠かせない。人間の入ることの出来ない狭い空間に分け入って、メンテナンスをするロボット。
ミュンはその一体だったのだが、制御システムのバグによって自我が生じ、なぜかロビンになついてしまったのだ。
何かと役に立つ存在ではあるから、手なずけて部品を新品に取り替えてやったりして、今では完全な相棒だ。
一回大きくのびをして、ロビンはカプセルから身体を起こした。首を軽く振ると、首筋にまとわりついていた長い金髪がばらける。
ミュンが傍らの手鏡をマニピュレータでつかみ、差し出した。
「ありがとう」
手に取って、のぞき込む。榛(はしばみ)色の眼と、豊かな金髪が映る。肩に流れる柔らかい金髪は腰までにも伸び、緩やかにカールしている。
寝起きの顔は気に入らないが、この髪は別だ。
この髪は彼女の密かな自慢だ。ギルドで同じ仕事に従事している女性は、みな頭髪を目の敵にしている。ショートカットにしたり、あるいはスキンヘッドにしている者さえいる。でも、鏡を見るたびに、この金髪にはさみを入れるなんて、出来ないと思ってしまう。
恒星船は目的地に向かって5Gで減速している。本来なら逆方向に体重の5倍の加速度がかかっているはずなのに、腕や肩は普通に動く。加速度――重力を制御するソリューションG装置は正常のようだ。
起きあがった彼女の肩にちょこんと乗った。ロビンが首を回すと、マニピュレータの先端が頬にくっついた。
何もかもうまくいっていることに軽い満足感を覚えながら、カプセルを出る。
オペレーションデッキで、ロビンは中央のホロディスプレイに目をやった。
ホロディスプレイには、灼熱する球体の像が強烈な光を投げかけていた。広くない部屋には照明が点っていたが、その輝きで充分代用できそうなほどだ。
「あれがアルシュトニスだ」
ミュンの声。
この星系の太陽であるアルシュトニスは、太陽系からおよそ500光年離れた、スペクトル型F6の恒星である。連星系ではない。伴星を持っていない恒星は、この宇宙では少数派に属するが、複数の重力源に引かれあうと、惑星軌道は不安定になる。生命の発生を可能にする環境は整いにくい。
右手の平で軽く顔をこすった。
「出航から、どれくらい時間が経っているの?」
「えーとね、標準時間で33時間48分16秒」
「そんなもの……意外に早かったわね」
時空を超越する航法の影響で、まだ時間の感覚が元に戻っていない。
真空量子エネルギードライブによって発生させた膨大なエネルギーによって空間をゆがめ、ここまでの距離を一気に飛んできたのだ。
しかし、それも彼女にとっては、いつものこと――。
「システムはオールグリーン、か。よくやっているわね、ミュン」
チェックを終えて、目の前のロボット――恒星船にねぎらいの言葉をかけた。
恒星船のAIと同じ名前であることには、意味がある。かれはロボットであると同時に統括制御AIの端末である。このふたつは一体のものだった。
彼女が搭乗している恒星船は、ギルドからレンタルされたものだった。すでに幾度かの任務を共にしている。もはや、彼女の身体の一部と言っていい。
彼女は少女であったが、すでに職業人である。
ロビンは生まれながらに、ソロモンの指環をはめていた。
人工子宮の中で脳に回路をインプラントされ、ニューロンと量子回路を一体化させた。
ロビンにとってAIは、その脳の一部のようなものだ。恒星船のAIとリンクし、人間と機械のインターフェイスとなる。そのために彼女は人工的に作られたようなものだ。
同じような境遇の人間は、恒星間宇宙が人間の行動範囲になって以来、欠くべからざる存在になった。
かれらは強大な力を持ちながらも、その力を悪用されることを恐れ、職能組合――ギルドを造り、政府機関や企業に所属することを拒否した。
ギルドの構成員たちは、固い規律で統制されている。遊びたい盛りの彼女にとっては、窮屈なこともあったが、それは生まれたときからの宿命のようなもの。
彼女がここにやってきたのも、ギルドを通して受けた依頼を分析した結果、最適だと判断されたスタッフであったからだ。
ロビンは――ロビンとリンクした恒星船のAIは、カメラアイをカットした。
恒星船は惑星の陰に入り、アルシュトニスの光を遮る位置に位置する。
目の前にあるのは、彗星だ。
数億㎞に及ぶ雄大な尾を、明るく輝く太陽と反対方向に曳いている。これほど大きなものは、そうそう見られるものではない。
よく見ると、尾は途中から二本に分かれている。太陽の反対側にまっすぐ伸びているのは、ガスの尾。そして、彗星が辿ってきた軌道に沿って緩やかに湾曲しているのは、塵の尾だ。コマと呼ばれる先端部は、ガス惑星ほどもある。
「もっとよく見たいわ」
ロビンは言う。
「分かったよ」
画像は確認しやすいように処理される。
ドット絵は次第にきめが細かくなり、厚いガスの層に隠れた彗星核が姿を現す。
初めて人類が彗星の核を目の当たりにしたとき、その形状は「殻つきピーナツ」を彷彿させたというが、今観ているそれは、まるで、虚空を飛ぶ巨大なジャガイモのように見える。
表面にはいくつものえぐれたような窪みがある。ジャガイモなら芽が生えてくる部位であるが、眼前の物体ではガスと塵の柱が立っている。太陽に炙られた表面の熱が内部に浸透し、発生したガスが表面を突き破って噴出しているのだ。
表面は黒い――というより、暗赤色だ。明るいコマを背景にしているので、なおさらその反射能(アルベド)の低さが際だっている。
ミュンと呼ばれている、恒星船のAIが解説する。
「スペクトルは、水、メタン、アンモニア、それにアミノ酸」
「――アミノ酸?」
ロビンはその単語に引っかかりを覚えた。
「珍しいわけじゃないだろう?」
「そうだけど……」
彗星に有機物があるのは、たしかにありふれたことではある。単純な有機物は、惑星や小惑星から星間ガスに至るまで宇宙に満ちあふれているのだ。
ミュンは続けた。
「現在の推測では、この彗星は標準時間で368時間54分後、第5惑星の軌道と交差、重心点と1600㎞まで接近するだろう」
「第5惑星の半径は?」
「3750㎞」
「そう……」
ロビンは会話を打ちきった。
「本当だったのね」
状況は事前にレクチャーされていたが、恒星船が第5惑星ハイヴの軌道へ接近していくと、さらに目を疑うような光景を目の当たりにする事になった。
先ほどまではほかの星々と見分けがつかなかった惑星が、目の前、キャンディドロップほどの大きさに見えている。
青く、周囲がぼやけているのは、大気がある証だ。
そして何よりも印象的だったのは、キャンディの周りを、まるでリニアトレインのようなひとつらなりの物体が取り囲んでいることだった。ハイヴの衛星と化した、彗星のなれの果て。
その中でひときわ明るく輝いているのが、彗星の核だ。大きなものは6つ。2、3の核がひとつのコマのなかに含まれているのもある。
トレインの幅は惑星本体を覆い隠すほどだが、その中心にある核の大きさは、せいぜい数キロしかないだろう。
ロッシュの限界の中に入って、ばらばらに引きちぎられた破片。
宇宙に浮かぶ真珠のネックレス。何も知らなければ、そう形容することもできたろう。
しかし、そのネックレスは徐々に狭まってゆき、母なる大地の首を今にも絞めようとしているのだ。
「あと十分で大気圏に突入するよ、準備して」
新たな情報が入った。
ハイヴの大気主成分は二酸化炭素、地上の気圧は平均300ヘクトパスカル。表面温度は平均マイナス20℃。
わずかな水蒸気はあるが、地上に雪を降らすほどのものではない。
身体をシートに固定し、ロビンは息を飲んだ。
軌道上には惑星の引力に引かれたダストが濃密に漂っている。
比較的少ない極地から突入するとは言え、通常よりもはるかに危険な状況だ。が、航法コンピュータは最善の航路を計算し、舵を取ってくれるはずだった……。
そのとき、受信データのホワイトノイズのレベルが、急激に上がった。
「……何?」
「妨害だ。何者かが、システムに割り込んでいる!」
船の挙動がおかしくなった。3Dディスプレイは異常なメッセージを映している。
「不正侵入?」
「その兆候はないよ。情報レコードに該当、及び類似の現象のデータは見あたらない……だから、判断不能」
ミュンは返した。
AIでも結局、こういうときには頼りにならない。
状況を提示させて、人間の頭で判断するしかない。
「これは……」
状況は奇妙なものだった。
力業で素数を計算して、暗号コードに片端から当てはめている。まるでネットワーク黎明期のクラッカーの手口のようだ。
一体何者なのだろうか。いや、今は考えている暇はない。
ロビンは地上基地に向けて、緊急信号を送る。
「非常事態、非常事態。現在本船に緊急事態発生。これより惑星に不時着します。適切な対応をお願いします……」
応答らしきものはなかった
「発信源は……」
続いて、不意にミュンが沈黙した。
「どうしたの!」
もうロビンには、何の手だても打つことはできなかった。シートに伏せて、無事に過ぎるのを待つだけだった。
視界がブラックアウトし、照明が点滅する。
「操縦不能」
音声がスピーカーから発せられる。ミュンの声ではない。単なるプログラムされた警報音だ。
(……もうだめなの)
万事休すか。コンソールパネルに突っ伏した。
悪夢のような数秒が過ぎる。
船体の振動がおさまったとき、ロビンはゆっくり顔を上げる。ディスプレイに映る空は、白く明るくなった。ここは惑星の大気圏だ。
成功したようだ。全身の力が抜けてゆくようだった。
しばらくして、ミュンは再起動した。
「やあ、久しぶりだな」
音声は照れたように響く。
「さっきのは何だったの?」
「わからないよ」
「あなたにもわからないことがあるの?」
「あたりまえだよ」
ちょっと怒ったように応えた。
恒星船は次第に高度を下げてゆく。眼下には赤茶けた大地が拡がる。荒々しい凹凸が、地面に深く刻まれている。
巨大な円形の窪地の上空を通過した。
クレーターだ。まだ新しい。
あの彗星の片割れが地表をえぐっていった跡だろう。
進んでいくと、その延長線上に丸いクレーターがいくつも並んでいる。
先ほど軌道上から見たような、一列に並んだ彗星の核が、次々に激突していった痕跡だろう。
進めど進めど、眼下に広がるのは荒涼とした大地だ。草も木も生えていない。もともと、この星に生命の存在は確認されていないそうだ。
恒星船は干上がった塩の平原に着地した。硬い岩塩で覆われた真っ平らな荒野は、この惑星に海があった名残だ。
逆噴射し、地面を平らにならしただけの滑走路の隅に停止する。
何もなかったが、見渡す限り、すべてが宇宙港だ。
外界に満ちているのは、二酸化炭素を主成分とする大気。むろん生身を晒すわけには行かない。
宇宙服にヘルメットをかぶり、ロビンは恒星船を離れた。
昼間である。しかし空には彗星のコマが、地球の満月よりも大きく輝いている。
色は青白く、まるで薄いもや越しのように淡い。さながら幽界からの使者のようだ。
見上げていたわずかな間にも、空には頻繁に光の筋が横切る。彗星の先駆けの流星雨であろう。
「ミュン、おいで」
ミュンはロビンの肩にぴょんと飛び乗った。
宇宙服の肩にあるプラグに装着され、ミュンはレジュームに入った。エネルギーを節約するためであるが、外界から特異な刺激が入れば、あるいはロビンが命令すれば、直ちに起動する。
ロビンは辺りを見渡した。
どこまでも真っ平らな地面に、何棟かのくすんだ建物が立ち並んでいる。ほとんどは倉庫だろうが、中には人が住むためのものもあった。
きちんとした玄関のある、一番大きな建物に向かった。
エアロックを通って、建物の中に入る。
呼吸可能な空気が部屋に満たされたのを確認して、ヘルメットを外した。ミュンはそのままだ。
「いらっしゃいましたか」
壁のスピーカーから声が響く。
「じきに参りますので、そちらでお待ちを」
程なくして出迎えたのは、すらりとした長身の女だった。つなぎの作業着を着ているが、さほど汚れてはいない。現場に立っていたわけではなさそうだ。
女は、一瞬驚いたような表情を見せた。
目の前に現れた専門家が、少女だったからだろうか。その種の驚きの対象になることだったら、ロビンは慣れっこになっている。
ロビンは女を観察する。
彫りの浅い東洋人風のマスク。背は高くない。髪を肩につくくらいに切りそろえ、丁寧にセットしている。せっぱ詰まっているはずの基地で、身なりに気を使うほどの余裕があったのだろうか。
「よくぞご無事でおられました……お怪我はありませんか?」
「ええ」
ロビンは微笑んだ、そして女に手をさしのべた。
それに応え、ふたりは握手を交わす。
「はじめまして。テラフォーミング公社のジェーン・ノウです。専門は地質学ですが、こんな小さな研究所では、よろず作業員みたいなものですよ」
「ジェーン・ノウ……さんですか?」
「J・Nとお呼びいただいて結構です」
女ははにかむように笑った。これがオリエンタル・スマイルというものだろうか。

テラフォーミング公社は、銀河連邦政府直轄の特殊法人である。
惑星の環境改造――地球化は、単独の星系国家の手に余る事業だ。ナノマシンや、自己増殖ロボットなどの最先端技術を投入しても、巨大な事業費用と大量の資源、それに長いタイムスパンがかかる。
しかし、それを必要としている星系国家は、ほとんどの場合、スペースコロニーの建造も出来ないほど貧しく、時間的余裕もない。
そこで、テラフォーミング公社が、星系国家の委託を受けて開発を行い、移住場所を提供するのだ。資金は銀河連邦政府や、裕福な星系国家の援助や借款が充てられる。
人類の居住圏拡大のために設立されたテラフォーミング公社は、星系、惑星の調査から、開発、環境整備までを一貫して請け負う、銀河系最大の建設業者であった。
ここに基地が建設されたのも、人口爆発に悩んでおり、住める地面の確保が急務だった近傍の星系国家より、テラフォーミングの依頼があったからだ。
調査の結果、テラフォーミングに生態学的問題はなく、技術的困難は少ないことが判明した。とは言っても数十年スパンのプロジェクトになるが。
正式決定後、公社はまず、軌道上に巨大な反射鏡を建造した。太陽光の制御は、テラフォーミングの第一歩だ。
惑星に降り注ぐ光を多少増やすだけで、表面の環境は急速に改善される。
技術的には、さほど難しくない。恒星をを公転する軌道上に、カーボンの上に金属の薄膜を蒸着した直径数百キロの反射鏡を設置する。材料はすべて小惑星から調達すればいい。
反射鏡の光は、南北両極に重点的に照射されていた。
極地の地下には、温暖化をもたらすメタンが、シャーベット状の抱水体(ハイドレート)の形で大量に埋蔵されていることが分かっている。
メタンガスの大気中への解放は暴走的な温室効果をもたらし、気温を一気に上昇させる。氷となって極地に封じ込められていた水は一気に溶け、大洪水となって地表を覆い尽くすだろう。
各所に設置された電気分解プラントが水を分解し、大気中に酸素を作り出す。残った水素はエネルギー源になる。
やがて、砂嵐が吹きすさぶ大地も、水と緑のあふれる沃野に変わる。
もっとも、惑星環境はすぐには安定しない。ひとびとが地上で安全に暮らせるようになるには、さらに環境の操作が必要になるのだが、そのためのノウハウは一応確立されている。
ほとんど順調にプロジェクトは進んだ。この星系の彗星が異常な挙動を示すようになった、そのときまでは。
発端は、こうだった。
標準時間で382日前、水資源を得るために、外惑星の周回軌道から曳航してきた彗星核が、突然、爆発を起こした。内部にたまったガスが表面に突出したのだ。
原因は不明だった。まだ恒星から充分に離れていて、急激な蒸発を起こすような熱量を浴びたわけでもない。
しかしそれだけではなかった。同じ現象が、彗星核に次々に起こったのだ。そして、外惑星帯にある観測拠点から、驚くべき報告が返ってきた。
彗星核の軌道が乱れているという。
はるか遠くを回っていたはずの彗星が、次々に軌道を変え、内惑星帯に落ち込んでいるのだ。
まず、空域に褐色矮星やブラックホールが迷い込んで、重力を乱して軌道を変えた可能性が検討された。しかし、それらしき重力異常はない。
それを否定するもっと有力な証拠が出てきた。同じ現象が、ガス・ジャイアントに捕らえられた軌道を回っている彗星にも発見されたのだ。
軌道を変更した彗星核には、異常な増光が観測されている。
彗星核たちは、自らの一部をジェットとして噴出させ、軌道を変えるのに必要な初期速度を得ていたのだ。
ガス惑星軌道の外縁に存在するエッジワース・カイパー・ベルト、さらにその外側のオールト雲に存在する彗星核たちに波及するのに、さほど時間はかからなかった。
恒星の重力井戸に落ち込んだ彗星核たちは、ガス・ジャイアントたちをフライバイし、次第に速度を増していった。
3000個以上の彗星核が、内惑星帯に殺到したのは、標準時間で3ヶ月前。
それからの周辺宙域は、まさに地獄だった。
凄まじいスペースデプリが宇宙空間に満ちた。そこを航行することは、間断なく機銃の火線にさらされているようなものだった。軌道上の宇宙港はすべて放擲しなければならなかった。
「これではプロジェクトは続行できるはずもありません。すべての作業は一時中止され、工事に関わっていたスタッフは、這々の体で引き上げました。現在、この星系に残っているのは、この基地に取り残された、わずかな人員しかおりません」
J・Nはかいつまんでこれまでのいきさつを話した。事前のレクチャーがあったとはいえ、体験者に目の前で話されると、恐怖もひとしおである。
「ほかの方はいらっしゃらないのですか?」
気になっていたことを問うた。建物の中に、彼しか人影は見えなかったからだ。
「みんなは、危険が去るまで、地下のシェルターに入っています」
そういってすこし心細そうな顔をする。
「お任せください……そのために、わたしを呼ばれたんでしょう?」
ロビンは精一杯胸を張ってみせた。目の前の客に安心感を与えるのも仕事のうちだ。
「そういってくれると心強いわね。まあ、よろしく頼みます」
彼は笑った。
J・Nとロビンは、廊下を一緒に歩いていく。
今度はロビンが、先ほどの状況を説明する番だった。
「そうなんですか。私は別の仕事に専念しておりましたので、まったく知りませんでした……」
J・Nは前を向きながら、それだけ応えた。
「さっそくだけど、お伺いしたいことがあります。データを調べてほしいんです。今回の異変にも関係しているはずの……」
J・Nは建物の奥まったところにある、オペレーションルームに案内する。
扉に手を触れると、埋め込まれていたチップによる認証でIDが識別される。扉は問題なく開いた。
奥に並んでいるのが量子スパコンだろう。まだ稼働するようだ。この種の研究所としては標準的な施設だった。オペレーションルームの広さは恒星船のコクピットとさして変わらない。
「データはどちらですか?」
J・Nは黙ってカードを差し出した。
「これよ。できる?」
彼女はくだけた口調になった。ロビンをようやく信頼しはじめたらしい。続いて簡単な説明をはじめる。
星系に怪現象が発生した頃、惑星内のホワイトノイズのレベルが高くなった。
発生源は彗星だと推測された。彗星は電波や磁気、それにX線を放射している。それ自体はありふれた現象だ。
完全にランダムな、単なる雑音だと思われていたが、どうも、腑に落ちない点が多い。
しかしこの辺境にある施設では、解析するにはあまりに処理能力が不足している。そこで、高度な情報処理能力を持つ、ロビンが呼ばれたというわけだ。
「このデータは知的生命体からの……コンタクトである可能性がかなり高い、と判断した」
「!」
ロビンは、虚をつかれた。そして問い返した。
「どうしてそんな情報を、黙って……?」
未知の知的存在とのコンタクトは、人類総体の問題だ。そのような動きをキャッチしたら、まず、星系国家に届けなければいけない。しかるべき分析があって、初めて事態は進行する。現場の一研究員が勝手に判断していい事態ではない。
「わたしはそう推論した、それだけです」
J・Nは平然と答えた。ロビンは黙った。
「このホワイトノイズを、もっと詳しく解析していただきたい。これが、あなたに依頼するお仕事です」
「……わかりました」
そう答える以外、なさそうだ。
その返事を聞かぬうちから、J・Nは手を動かし、セッティングを行っている。
「どうぞ」
お膳立てがそろい、ロビンは、コンピュータシステムとリンクするヘッドセットをかぶった。
「すべて、OKです」
「お願いします」
「では、ただいまから情報を処理します」
ロビンは目を閉じて、手踊りをするように腕を動かした。
ロビンの脳裏にイメージが浮かんでくる。
このデータは、乱雑度があまりにも高い。普通のコンピュータでは、ホワイトノイズとしか検知されないデータである。
しかし、彼女の脳――インプラントされたチップセットと複合したプロセッサ――を利用することによって、一見無意味な情報があたかも複雑な方程式を解くように処理され、有意な情報を検出しようとしているのだ。
アンティークドールのような無表情。しかしその五センチ奥では、激しく神経パルスが飛び交い、大量の情報が処理されているのだ。
「うっ!」
ロビンの膝が、大きく震えた。
「大丈夫ですか!?」
J・Nは肩に手をかけた。
「……心配しないでください」
ロビンは荒い息をつきながらも、微笑んでみせた。
しかし、彼女の脳裏には、これまで経験したことのないようなものが渦巻いていた。
(……何、これ?)
得体の知れないものが、彼女の中に入り込んでくる。
「ううっ!」
背筋が二度、三度と痙攣する。
ミュンがマニピュレータでハンカチをつかみ、額の汗を拭う。
なにかが、彼女を引きずり込もうとしている。
(助けて……)
冷たい手に掴まれたような感触。もがいて、闇から遠ざかろうとした。正視できないものが
やがて、不定形の恐怖に晒された時間が過ぎた。
情報処理が終わっても、しばらくロビンは動かなかった。椅子に身体を預けて、ただ荒い息をしているだけ。
「大丈夫か?」
ミュンがメッセージを送り、それでようやく正気を取り戻す。
「どうでしたか?」
ロビンはJ・Nにゆっくり視線を向ける。
「……わかりました」
ロビンは語り始める。
「あの彗星は、いいえ、彗星たちは生物なのです」
「……なんですって」
J・Nは細い眉をわずかに動かした。
「にわかには信じられませんでしょうが。本当です。しかもかなり高い知的能力と、コミュニケーション手段を持っています。だから、現在この星を襲っている彗星たちは、統率のとれた群れなのでしょう」
「……」
「より増殖に適した環境を求めて、星系外部を取り巻くオールト雲を伝って宇宙を旅する生き物なのです。外縁部のオールト雲で発生し、進化しているが、本質的には重力のある環境を求めています。テラフォーミング計画で太陽光の照射量を増やし、この惑星が繁殖に好適な環境になったのを、近傍の軌道を通過した個体の一つが察知しました……」
ロビンは一旦言葉を切った。
「もちろん、その身体のほとんどは大気との摩擦で燃えてしまうか、激突の衝撃で蒸発してしまうでしょう。しかし、ほんのひとかけらでも地表に到達すれば、惑星の上に生命の種を植え付けることが出来るのです」
「そうなの……」
J・Nは一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに冷静な態度に戻った。
「ならば、ひとつお願いがあります。彗星たちにコンタクトして欲しい。この事態を打開するために」
「本気ですか……?」
「本気よ」
J・Nは顔色を変えずに言った。
「具体的には……そう、コースを逸らしてもらうとか。可能ですか?」
「無理です」
ロビンはきっぱりと言った。
「これはかれらの本能――増殖のための衝動みたいなものですから。いったん火がついたら、不可逆的な指向。手遅れなのです」
「……」
J・Nはしばしの沈思の後、ロビンに向き直って、言った。
「そうか……こっちへ来てちょうだい」
部屋を出て、長い廊下を進む。
歩きながら、ロビンは訝った。
こんな重大な情報を、どうしてテラフォーミング公社に連絡しなかったのか。彼女は一介の研究員に過ぎないのに。そんな権限がどこにあるのだろうか。
階段を下り、地下に向かう。
突き当たりの部屋を閉ざす扉は重そうだ。それを観たとたん、嫌な予感は確信に変わった。
「……ミュン!」
ミュンは素早く扉に駆け寄った。
金髪がなびく。毛髪に偽装されていた発信器から回路にミューオンビームを照射し、鍵を開けるパスワードを読みとる。
〈……開け!〉
ロビンが念ずると、扉はゆっくり横に動いた。
灯りのない部屋へ、光が射し込む。
さほど広くない部屋では、上下の防護服が、いくつも乱雑に横たわっている。
どれも、ひとが入っているかのように膨らんでいる。そのうちのひとつに歩み寄って、ヘルメットのバイザーに触れると、ぽろりと崩れた。
「……ああっ!」
ロビンは絶句した。
ヘルメットの内側に隠されていたのは、干からびた男の顔。
ミイラ化した遺体だった。よく見ると、防護服の胸には穴があいて、その周りが焦げている。
おそらく、ここに並んでいるすべてがそうだろう。
ヘルメットをしていたものの、どこからともなく饐えたにおいが漂ってくるような気がした。
思わず嘔吐感がこみ上げる。
「まさか……!」
そのとき、部屋が不意に暗くなった。入り口から差し込む光が遮られたのだ。
ロビンは思わず振り向く。
J・Nが立ちふさがっていた。右腕に何かを提げている。小銃型のレールガンだ。ローレンツ力で弾丸を加速し、火薬式の銃をはるかに上回る速度で発射する。
部屋を動き回って、情報を収集していたミュンがロビンの肩に乗る。カメラアイのモードを赤外線にした。
かいま見た彼女の顔は、仮面のようだった。
「あなたが……」
その言葉が伝わったのか、J・Nは口元を緩ませた、が、「笑い」に相当する感情は、表情からは読みとれなかった。
銃床を腰に当てる。発射の構えだ。
ロビンは息を飲んだ。
そのとき、ミュンが目の前に飛び出した。
「ミュン、だめ!」
J・Nの顔に向かって体当たりを食らわせる。
「うわっ!」
J・Nは一瞬ひるみ、レールガンを放り出した。
ロビンは目の前に滑り込んできたそれを拾いあげる。
「やめてください! 撃ちますよ!」
銃口を天井に向け、そのまま引き金を引く。
轟音がとどろいた。指がかかっていたのはわずかな時間だったが、弾倉を空にするには充分だった。激しい反動で銃身は踊り、弾丸は広い範囲にばらまかれた。
そのひとつが、J・Nの腕を貫く。
「うあっ!」
J・Nは弾き飛ばされ、プラスティックの壁に激しくたたきつけられた。
天井から埃と建材の破片が滝のように落ちる。
その埃の中から、J・Nは立ち上がった。
服の裂け目から煙が上がっている。血は流れていない。
肩に手をかけてロックを外し、宇宙服の袖の部分を脱ぎ捨てた、ように見えた。
「……!」
その右腕は、銀色の地金が露出している。
左手で、手首をつかむ。顔をゆがめて、傷ついた右腕を引っ張った。腕は肘の関節から外れ、ケーブルでぶら下がった。
「……1000日ぐらい前の話。わたしは足を滑らせ、大地の裂け目に転落した。深い谷底で全身を強打して、生命維持装置も故障した」
J・Nは問わず語りに口にする。
「助け出されたときは、脳死寸前の状態だった。大手術を受けてどうにか助かったけど、ダメージを受けた脳をサポートするために量子回路を臓器のかなりの部分を機械にとりかえなくては生命維持が出来なくなった。再生医療で生身の身体を取り戻すことを勧められたけど、フィールドワークには、こっちのほうが何かと都合がいい」
再び立ち上がり、ロビンににじり寄った。
残った左手で、つかみかかろうとする。
ロビンはもう一度レールガンを振り上げる。すでに全段撃ち尽くしてしまってはいるが、棍棒の代わりぐらいにはなるだろう――肉弾戦の素養は、もとよりないが。
中段に構えた。そのとき、足下がぐらりと揺れ、バランスを失った。
J・Nも尻餅をついていた。床が――地面が激しく振動していた。
「地震だ!」
二人は同時に叫ぶ。
部屋の一角に積み重ねてあった荷物が、音を立てて崩れる。建物はすぐには崩壊しないとはいえ、恐ろしさは隠しようもなかった。
ロビンは建物の外へ飛び出そうとした。そのとき、足下の岩盤に小さなひびが入り、瞬く間に拡がった。
あわてて後ずさる。
めきめきめき、と凄まじい音が部屋中に響き渡る。ひびは建物を引き裂くように大きくなってゆく。
「断層……!」
ロビンは一瞬そう思ったが、違う。何かが地中からせり上がってきているようだ。
尖った先端が、黒い合成樹脂の床を切り裂いて飛び出した。
現れたのは、巨大な水晶――いや、鉱物の結晶体であることは違わないが、それとは明らかに違う何か。結晶面は異星の日差しと、照明を浴びて様々な色にきらめき、その内部からは、ちかちかと規則的な光が見え隠れする。
「うふふふふ……」
笑いのような声を上げるJ・Nの表情は、仮面のようだった。
ロビンは背筋が寒くなるものを感じた。目の前の女の表情は、人間のものではない
「誰……」
「”わたし”はこの惑星、ハイヴの代弁者だ。テラフォーミング計画を妨害するために、この女の意識を使わせて貰うことにした」
J・Nは突然声色を変えてしゃべった。抑揚のない口調で、まるで台本を見ながら棒読みをしているようだった。
「”わたし”の本体は、この女でも、いま土中から突き上がってきたものでもない。地殻で発生した情報ネットワークだ」
J・Nは結晶体に手をかける。その腕は周期的にぴくり、ぴくりと痙攣する。
彼は結晶体と交信しているのだろうか。
「この生物の言語体系、思考体系を理解するには、かなり時間がかかった。そのとき、この個体が”わたし”の情報網にかかった。一部分が珪素で構成されているこの個体は“窓口”にするには最適だった……」
「……」
「”わたし”にはこの惑星の、あるがままの環境が必要なのだ。大気の組成が変わってしまっては、”わたし”は情報を代謝することが出来なくなってしまう――きみたちの言葉を借りて言うなら「死んでしまう」のだ」
「そんな……」
ロビンは絶句した。
「だから、テラフォーミング計画を妨害しようとした、そうですか?」
J・N――いや、彼女の身体を借りた何者かはうなずく。
「だから”わたし”は、この個体を借りてテラフォーミング計画の中止を画策した。しかし、うまくいかなかった。まさか、そうしているうちに別の生命体である彗星がやってくるとは……全く予想外だった。いまからでも中止すれば、止まるかもしれないのに……」
「だから、みんな殺したって言うの?」
薄笑いを浮かべる。
「なりふり構っておれなかった。だが、それでも手遅れだ。最後の頼みは、君だけだった」
「そしてわたしは駄目だった。だから……この有様なんですね」
ロビンは真っ正面から、J・Nの顔を見据えた。
窓からびりびりと音がする。
「空震だ!」
J・Nは叫ぶ。火山の噴火に伴って生じる圧力波が、壁や窓を振動させる。
先ほどの揺れは、ただの地震ではなかったようだ。マグマが足下で暴れているのか。
はるか彼方では、火山が雄大な噴煙を上げているのが見える。
「うおおっ!」
J・Nは吠えるような叫びを上げ、胸を押さえた。顔から脂汗がしたたり落ちる。
そのとき、ひときわ激しい揺れが襲う。
壁が崩れた。屋根が落ちてきた。
この程度の揺れで倒壊するような建物ではなかったが、先ほどの乱射で脆くなっていたのだろう。
ふたりは逃げだそうとした。しかし、間に合わなかった。
さらに激しい揺れと衝撃が足下をすくう。目の前に屋根の一部が落ちてきて、視界を遮った。
「ああっ!」
ロビンは不自然な体勢で、破片に埋まってしまった。
梁との隙間に挟まったようで、押しつぶされるのは免れたが、身動きがとれない。
埃が目に入ったようで、涙で視界が見えない。
ロビンは懸命にもがいた。しかし瓦礫はびくともしない。
「ミュン、どこにいるの!」
「ここだ、ロビン、大丈夫か……」
すぐに反応が返ってきた。破壊されてはいなかった。しかし、所詮は非力なメカに過ぎない。彼女の危機を救うようなことはとても出来まい。
(わたし、どうすれば……)
「大丈夫か」
隙間から手がさしのべられる。
J・Nだった。もとよりここには、彼女ひとりしかいない。
信じられるのか。多少ためらったが、思い切りつかんだ。
崩れた屋根の下から、彼はは一足先に這い出したようだった。
「しっかりしろ、いますぐに出してあげるから」
いきみながら、屋根の破片を動かそうとする。
程なくして破片は転がり、身体の上から移動する。ロビンは自由になった。
「よし、だいじょうぶ」
「何故なの……?」
その行為に感謝しながらも、ロビンは訝った。
「早く行きなさい、あなたは……」
そのとき、もう一度大きな揺れが襲った。
「……!?」
「逃げましょう、早く!」
ロビンはJ・Nの手を取った。しかし、彼女は動かなかった。
立ちこめていた煙が一瞬晴れ、姿が晒された――梁で下半身が潰されてしまっている。はみ出た脚の部分からは機械が露出し、ところどころで青白い火花が散っている。もはやロビンの手には負えない。
「どうして……」
「わたしはこの星と、いや、この生命体と運命をともにすることになるようね……」
さきほどとは打って変わって、冷静な口調だった。一体彼に何があったのか。
「もうすぐ、あれが発動します」
「発動?」
「そう。地下奥深く、地殻を浮かべているマントルからマグマがせり上がってくる。この惑星の表面を覆いつくしてあまりあるほどの量の……地表は焼き尽くされ、水は蒸発し、有機物はすべて分解される……彗星たちの目論見は、失敗に終わるわ」
彼女は相変わらず無表情だった。感情がないのだろうか。
「あなたはどうするんですか? それでいいんですか?」
「構わない。『わたし』の意識はこの身体にはないし、それに……」
そこで息をついた。
「炭素の肉体が滅びるのは、当然の報いかもしれないわ……」
そういって、笑った。人間の意識が頭をもたげたのだろうか。
おそらく、彼女は今までも完全に意識を支配されたのではなかったのだろう。「人間」と機械――「鉱物」のあいだに引き裂かれた存在であり、それが彼女を異常な行動に駆り立てていたのではあるまいか。
再びJ・Nは目を閉じる。
ロビンは不安げにのぞき込む。
「早く行きなさい」
かろうじて動く左手を動かし、追い払うそぶりをした。
「最後にこれだけは、教えてください。どうしてわたしを助けたの?」
「それは……」
わずかに口の端を動かし、その問いに答えようとした。
そのとき、再び激しい揺れ。
「ここにいると、死ぬわよ!」
J・Nは叫んだ。
気迫に押されて、ロビンは自ら歩み出す。そのピッチはしだいに早まり、やがて駆け足になっていった。
「……さようなら、J・Nさん」
途中、一度だけ振り向いた。
そのとき、すでにJ・Nの姿は、濃く立ちこめてきた水蒸気の霧に隠れてしまっていた。
ロビンはまろびながら、怪獣の背のような荒れ地を駆けた。地面は時折不気味に震える。霧の中、見通しはほとんどきかない。
ミュンは視界を赤外線に変えて、外界の有様を彼女に送信する。彼女は二つの視界を手に入れた。
風景は先ほどと全く変わっている。赤外線による視界で、地面の凹凸がはっきりと目前に映る。
地平線の彼方がぼんやりと赤く光っている。あそこではすでに大地が裂け、溶岩が激しくほとばしっているのだろうか。
懸命に進んでゆくと、目の前に、なにかがおぼろげな姿を現す。
緩衝脚……デッキ……タラップ。
「ミュン!」
ロビンは叫んだ。
恒星船――ミュンの本体が、地上に降り立っていた。わずかな間離れていただけなのに、懐かしいような感じがした。
タラップを駆け上がる。コックピットのシートに着くと同時に、加速度が彼女の身体にかかり、次の瞬間ソリューションG装置がそれを和らげる。
恒星船はリアクターで惑星大気を熱し、ノズルから噴射させる。機は急激に上昇してゆき、わずか数分のあいだに大気圏を離脱していった。
船の中で、ロビンはふと、太陽系第二惑星である、金星の知識を思い出す。
「金星のことを知ってる?」
傍らのミュンに問いかけた。
返事は返ってこない。が、構わずに続けた。
「金星はね、地球の兄弟星と呼ばれるほど惑星自体の大きさや組成はよく似ている。でもその表面環境は大幅に違う」
金星の表面温度は400℃。二酸化炭素を主成分とする、きわめて濃い大気に覆われている。上層部の雲の主成分は、硫酸。
しかし、熱の供給源である太陽光の放射量は、ほんの数十パーセント違うだけ。理論的にいったら、ここまで環境が違うというのは不自然になる」
何故、ここまで大幅に変わってしまったのか。
「こんな説を聞いたことがある」
ロビンは問わず語りに口を開いた。
数億年前、金星で、巨大な火山活動が発生し、惑星全域をマグマが覆う出来事があったという。海水はすべて蒸発し、大気に大量に放出された水蒸気が、猛烈な温室効果を発生させた。
それ以来、金星の表面は鉛も溶ける灼熱地獄に変わったとされる。
あるいは、地球でおよそ2億5000万年前に起こったという、古生代と中生代を分かつ出来事。
地球内部のマントルの中で、スーパープルームと呼ばれるマグマの巨大な固まりが発生し、地殻を破って地表に噴出した。
それは類を見ない火山活動を引き起こした。大量に流れ込んだ溶岩と硫黄によって、海水に溶け込んでいた酸素がなくなった。地球上の生物種の数は半分に減り、海中に生息する植物性プランクトンの、およそ九九%が絶滅したという。
それは、地球史上空前の大惨事であった。絶滅の規模としては、恐竜をはじめとする大型爬虫類を地球上からほぼ一掃した、中生代末期の隕石衝突に伴う事態をはるかに上回っている。
「ひょっとしたら」
ロビンは誰に聞かせるでもなく、もう一度口に出した。
「地球の内部にも、J・Nを乗っ取った存在のような生命体が潜んでいて、炭素系生命の一掃をもくろんでいるのかもしれないわ。幾度となく試みたものの、今に至るまで完全には成功していないのが地球であり、一方、それに上手く成就しおおせたのが、金星ではないかしら。そう、『母なる大地』はわれわれ地表に寄生する生物を、人間だろうが、植物だろうが、珊瑚礁だろうが、ひとしなみに憎んでいるのではないのかしら……」
そこまでで口をつぐんだ。傍らのミュンは、相変わらず沈黙している。
惑星にひとり残された女の顔が、ふと頭をよぎった。

J・Nは、首だけを動かして空を見上げて、笑みを見せた。網膜に映るのは、虚空に浮かぶ彗星の群れ。
そのとき、轟音が襲う。
激しい空震に包まれて、聴覚を奪われる。やがて、視界いっぱいに噴煙が拡がった。

ハイヴ軌道上。
眼下には先ほどまでいた惑星が、巨大な球体の姿をさらしている。まだその表面は青い。
ロビンはしばらくの沈黙のち、口を開く。
「帰りましょう……地球へ。任務は終わったわ」
「ああ、そうだね」
恒星船はすでにハイヴから十分に離れている。もう危険はない。
程なく、恒星船は時空を超越する航法に入るはずだ。
シートに深く腰掛け、ロビンはディスプレイに視線を遣る。
虚空にはいくつもの帚星。埃とガスの航跡である尾が放つ、淡い光が天空に満ちる。
やがて惑星の一角が強烈な輝きを発した。巨大なマッシュルームのような噴煙が、赤い星の大気圏上層部に膨らんでいった。

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