梗 概
あまたきらめく遠い星
“史上最大の責任のなすりつけ合い”と揶揄されたヘルス・ウォーが終結して50年、国家に対する発言力を強めた世界保険機関は人間の健康を害する要因の廃絶を着実に進めていた。特に砂糖はほとんどの生産拠点が閉鎖に追い込まれ、個人や民間団体による精製・販売・所有はかたく禁じられていた。あらゆる菓子類は砂糖への中毒性を高める存在として嫌悪の対象になるよう喧伝されていた。今や人々は「甘味定義づけ(シュガー・コーディング)」を施された疑似感覚再生ナノマシン、通称「to-y」から受け取る”安全な”甘味しか味わうことができないのであった。
天木露(あまきつゆ)は、祖母の見舞いに訪れた病院で千寿庵蜜華(せんじゅあんみつか)が金平糖を食べているところを目撃してしまう。それはタブーであり、大人に見つかれば怒られるどころではすまないことは幼い露にも理解できた。蜜華は己の行為が目撃されたことにはまったく動揺せず、平然と露に金平糖を差し出す。生まれて初めて見る本物の砂糖菓子に戸惑う露だったが、蜜華に勧められるがままにそれを食べてしまう。「to-y」が作り出す疑似甘味とも、遺伝子操作によって糖度がギリギリまで抑えられた果物とも違う、強烈で純粋な甘みに露はすっかり虜になる。さらに金平糖を与える交換条件として蜜華は頼みを聞いてほしいと提案する。頼みとは「楽しい話をして」とか「またここにきて」といった他愛のないものだった。最初は金平糖目当ての露だったが、いつしか蜜華と会うことそのものが楽しみになっていった。金平糖を口の中で転がしながら蜜華ととりとめのない話をする――露にとってそれは至福の時間だった。
しかし、蜜月の日々は長く続かなかった。ある日、蜜華は露に自分はもうじきいなくなると告げる。突然の別れの宣言に露は理由を問いただす。しかし、蜜華は自分は金平糖の精だからお菓子の国に帰らないといけない、とはぐらかす。納得しない露に蜜華は小さな瓶に入った数粒の金平糖を渡す。「こんなものいらない」と泣きじゃくる露を蜜華は自室から追い出してしまう。
蜜華はこの世界でほとんど存在しない『糖尿病患者』の一人であった。「to-y」が担う役割は甘味を再現することだけではない。人間の体内ではグルコースを合成し、さらにインスリンの働きを活性化させ糖代謝を円滑にしていたのだ。蜜華はこの「to-y」の性質を暴走させる体質の持ち主だった。幼少の頃に蜜華の体内に入った「to-y」はグルコースを合成するどころか、彼女の膵臓のβ細胞を攻撃し破壊した。そのせいで蜜華は「to-y」が含まれない限定的な食事しかとれなくなり、インスリン注射を常に打ち続ける生活を余儀なくされた。自分の力ではほとんど糖代謝ができない蜜華の寿命は長くはないだろうと宣告されていた。「to-y」の摂取は蜜華の寿命を直接的に縮めるが、砂糖そのものは少量ならばあまり影響がない。そのため、蜜華には特例として金平糖の所持が認められていた。
砂糖菓子は死にゆくもののためにあった。
露は空っぽになった病室で一人茫然としている。あの日々はまるで夢のように消え去ってしまった。露は蜜華からもらった金平糖をこっそり口に含む。そのとき、露には蜜華の笑い声が聞こえたような気がした。露は急に眠たくなり、蜜華の使っていたベッドに寄り掛かる。大切な思い出にひたりながら、露はまどろみへと落ちていった。
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内容に関するアピール
甘いものが禁止されておためごかしのテクノロジーが導入されたらいやだろうなあと思いながら書きました。どれだけ遠ざけられても決して色あせることのないお菓子の魅力と危うさの両義性を表現したいと考えています。
テーマとして与えられた「驚き」とは人間を健康にするはずのテクノロジーが一人の人間を死を追い込むことと作品世界においてお菓子が持つ社会的な意味が明らかになるところです。
文字数:183