梗 概
太陽を創った女
少し未来。ロケットが今より身近になった世界のおはなし。
鹿児島県沖の湯勢ノ島は「高校生ロケット甲子園」を控え熱気に満ちていた。5連覇を狙う地元・湯勢高宇宙学科ロケット部が挑むのは、大会初の有人月面着陸船。開発は学生だが、宇宙に飛び立つのは部員を見守る顧問のヒトミ先生だ。彼女に想いを寄せる開発部長のハジメは、打上げを成功させた後、月に降り立つ先生に告白しようと決意する。
ロケット開発は最終段階へ。3D成形でプラモデル同様に組立てられる外装。わずか15メートル一段式の機体に搭載した高ベータ小型核融合推進エンジンは、信じられない軽さと抜群の比推力を実現する。電装系には高性能スマホを利用して低コスト・軽量化を果たす。サブロケット燃焼実験での爆発事故で、ヒトミ先生は生徒をかばい大やけどを負うが、何事もなかったみたいに笑った。
「湯勢ロケットまつり」の夜。ハジメは、ロケット部の部長と先生のキスを目撃する。プログラム担当のレイナが彼を慰める。「黙ってたけどさ」彼女は打ち明ける「ヒトミ先生、他の部員とも寝てる」信じられないハジメだったが、ヒトミは彼にも迫る。
「怖いの…怖くて一人で眠れないの」
結局ハジメは彼女を受け入れられなかった。打上げは成功し、ヒトミは月へ向かう。ハジメとレイナは、空高く昇るロケットを見上げて手をつなぐ。
―次の瞬間、まばゆい光が二人の視界を満たした―
🚀 🚀 🚀
「将来の夢 希土ヒトミ
わたしの夢は、迎撃ミサイルになって、こわがりのお母さんをまもってあげることです。お母さんはミサイルのJアラートを聞いてから、こわくて地下からでてこれなくなりました」
誰もがその夢を嗤い、憐れんだ。だが彼女は諦めなかった。十代でMITを卒業し、ITER(国際熱核融合実験炉)で核融合炉の小型化とロケット推進への転換を果たす。だが、2040年の世界では宇宙開発は停滞していた。北朝鮮危機以来、宇宙ロケットは弾道ミサイル開発と同一視され、国際的な制限化にあるからだ。資本と技術は、どうにか許可された民間小型ロケット分野に流れた。
湯勢高教師となったヒトミは、ロケット甲子園をカムフラージュにある計画を進める。最終フェイズ、月面飛行のその日、湯勢ノ島は核ミサイルにより消滅した。彼女のロケットが実際はICBMだとする非難声明。その真相は、複雑な核保有国の勢力争いの中、日本を十三番目の核武装国とするための茶番だった。
雷雲を理由に出発を早めたことがヒトミを救った。月の溶岩洞に潜み、予め送っておいた自動工作センタでミサイルを造る。月は静かで、母から受継いだミサイルへの恐怖もなく、一人でも安眠出来る。最初のプランでは単に世界を脅すつもりだった。けれど一つまた一つとミサイルが完成するうち考えが変わる。母の抱いた恐怖を完全に拭う冴えたやり方は、おそらくただ一つ。
核融合推進技術は、純粋水爆の起爆装置そのものだ。材料のヘリウム3は月面に溢れている。月面に並ぶ100機のミサイルが、全ての核保有国を狙う。最後の一機に彼女はその身を横たえた。
「母さん、私、迎撃ミサイルにはなれなかった。でもね、でも」
こうして彼女は夢を叶える。
いつ落ちるか分からないミサイルに怯えることなく、誰もが安堵して外を歩ける世界。
―それは、核なき世界―
文字数:1388
内容に関するアピール
「驚き」は物語の外の現実からやってきました。8月29日に日本上空を通過した弾道ミサイル。12道県に響いたJアラート。僅か2週間でそれが遠い過去だと感じるような平穏な空気にも驚きます。もちろん、毎日ミサイルに怯えては生活が出来ない。専門家識者はこう語ります。
「驚いてはいけない。その過度な不安は無知からくるものだ」
原発事故のことも思い出します。知識の役割は人々を落ち着かせること。
「しかし、それでは私たちの恐怖はどうなりますか?」
これはそのときの驚きを忘れられなかった母娘の物語です。
本作は映画『太陽を盗んだ男』の変奏でもあります。劇中、沢田研二演じる理科教師は原爆を一人で作り上げ、日本と対決します。その行動が狂気に見えたとしても、彼のキャラクターは人間的で、身近に思えるのが印象的でした。本作の主人公も、核を無くすため核を用いるという矛盾した計画に取り憑かれています。最初は理解不能に思える彼女の狂気や、その元となる恐怖が、実はごく普通の人々の中にもあるということ。その発見に「驚き」、それを読者へ伝えることを、課題への解答にできればと思います。
梗概では物語の筋を前に出しましたが、実作では野尻抱介さんをお手本に、工学的描写をしっかり魅せていきたいです。最新技術を元に未来を妄想し、現実の科学ルポのような説得力を持たせることが目標です。前半のロケットはもちろん、後半の純粋水爆のDIYも丁寧に妄想・構築します。
文字数:611
太陽を創った女
1
たとえば北の果、ぎいぎい部室のドアを閉め、手をかざすストーブは骨董品、凍てつくナットを祈りを込めて機体ににねじ込んだのに、熱膨張を見誤って燃焼実験は大失敗。なのにはじける笑い声。あるいは西の海岸沿い、季節風ひどくクリスマスにずれ込んだ打ち上げ(ローンチ)、燃える液化酸素が創り出した波が、昨日の粉雪溶かし数十秒の早春を呼ぶ。
その冬は長かった。ロケット少女とロケット少年にとっては特に。だのに待ちわびた夏が近づけば、ただもうせわしなく、空見上げる暇も惜しんで、議論を交わし、ボルト締め、モニターの隅々にらみつけ、VR-CAD(コンピューター設計)こねまわし、炭素繊維強化プラ(CFRP)を支持体にぐるぐると巻きつけ、マシニングセンタのアームが踊る精密なダンスがブレ無いか見守り続けて、ああ、時計の針が加速したみたいに日々が過ぎていく。
今夜だ。どこの部室でも、こらえきれなくなった最初の一人がささやくと、作業の手が止められ、ひとり、またひとりと集まってゴーグルを被り、すっかり酸化したコーヒーwを回し飲み、南の島からの放送を待つ。
「湯勢ノ島ゼロラジオ! 今夜もお相手はDJゼロだよっ☆ 2040年8月1日水曜日、湯勢ノ島の夜空は快晴、『星の島』の二つ名にふさわしい最高の星空をシェアするね」
ロケットの髪飾りをつけた少女のアバターがステッキを降ると、背景に広がる天の川、南十字星も少し顔のぞかせる。AR(拡張現実)ゴーグルが見せる高画質の立体映像(ホロヴィ)、放送って分かっててもため息出そう。
「あらら、視聴者数すっげ。みんなインドオリンピック観てて過疎るかと思ってたのに。ねえ、今年度からのパワードスーツ競技やばいよね。まあみんなは準備でそれどこじゃないだろうけど、『バードマン』はチェック必須だよ。あの姿勢制御機構って、ロケットに使われてんのと同じアルゴリズム」
競技映像が一部引っ張られ、ジェットグライダーに乗った選手が視界を飛び回る。制御部門担当者は慌てて動画検索、タグ付けに必死。
「さあ夏だ、8月だ、いよいよだ。言うまでもないが『ロケット甲子園』は今月末。湯勢ノ島中が浮足立ってゼロもそわそわ止まらないんだ。高高度バルーンの気象計測が開始され、そのデータの公開が……そら来た! ちょっとみんな落ち着けよ、サーバー落ちるだろ?」
今度も悲鳴を上げたのは制御系。だが推進や機体系の担当はジリジリが限界、噛んだ唇に血滲ませ、胸の前で手をわちゃわちゃ、呪文でも聞こえてきそうなジェスチャー入力で画面端のコメント欄を溢れさせる。
「みんな待ちきれないみてーだから、そろそろゲスト紹介するね! 湯勢高校航空宇宙学科、ロケット部の開発部長、水無月ハジメくん!」
拍手のエフェクトがきらきらと仮想ステージを埋め尽くした。この丸顔、この童顔、この野暮ったい太リムの黒メガネ、どの教室にも居そうな少年が、だれにも思いつかないアイディアを次々と実現して、ロケット狂(ロケッティア)の王子様になった。
「いまさら必要無いかもだけど、初見さんのため紹介するね。ハジメくんは湯勢ノ島イチ、いや日本の誇るロケット・ボーイ。高度100キロ童貞は低学年でとうに捨て、高学年では小型人工衛星(キューブサット)、2年前に企画した『月面廃墟探検隊』は大ニュースだったね。建設途中で廃棄された月面ホテルにドローン送り込んで高精度マッピング。VRツアーには今でも年間5000万人が参加してる」
少年の頬がかっと燃える。予想してなかった。こんな恥ずいとか。頭から冷却材ぶっかぶりたい。先月の宇宙学会より先週のテレビインタビューよりもずっとヤバい。日本中のライバルが見てんだろうな。そしてきっと、ヒトミ先生も。嫉妬羨望応援罵倒、視界の端っこコメント流がウイルスみたいに感情に侵入してくる。DJゼロがウインクすると煩わしい文字が消えた。援護に感謝。ハジメは一歩踏み出して語りかける。そうだ、僕は語るだけだ。僕のロケット。僕の夏について。
「こんばんは、全国のロケットファンのみなさん。水無月です。自己紹介はもうしてもらったので、早速僕達のロケットについてお話したいと思います」
まっすぐな筒状ロケット、もっこりとふくらんだ先端部分の形状は、お上品にいくなら「きのこの山」だけど、コメント欄には遠慮なく「おれのペニスよりでかい」「どうみてもチンポです」書き込まれた側から規制くらって砕けていく文字。
「これがツクヨミ号、名前の由来は、日本神話に縁ある九州代表ということもありますが、なによりも今年僕達の挑戦する場所―」
3Dプレゼン空間の球面ぎりぎりに、白い球形がぽっかり浮かび、「有人月面着陸」の文字がエフェクトと共に流れてく。拍手とコメント弾幕がやむまでたっぷり1分。
「ロケットの打ち上げ自体はさほど難しいことではありません。2017年には既に、カリフォルニアの十三歳の女の子が高高度気球で高度30キロに到達していました。同じ年に、日本では廉価な弾道飛行を実現したmomoロケットのローンチが開始。アメリカのRocket LabのElectronは3Dプリンタ部品を使用して、僅か5億円での衛星軌道への足がかりを掴みました。けれど、月へ到達するには単なる弾道飛行ではなく、第二宇宙速度、マッハ33への到達が必要になります……」
「ハジメたん。すとっぷすとっぷ」
「たん?」
「そんな分かりきった話待ってたんじゃないんだよね」
「……そうですか。じゃあ少し端折って」
残念そうな表情少し。ハジメが手を触れば、ロケットや宇宙飛行士がせわしなく空間を飛び回る。それは何倍にも加速されたこの20年の宇宙開発史だ。見慣れた鉛筆の形をしたロケットが現れる。
「よく驚かれますけど、ロケットの構造ってほんとはむちゃくちゃシンプルです。8−9割が燃料タンク。先っちょの部分に積荷(ペイロード)、人工衛星とか物資とか人間とかを載せます。なので15メートル級のロケットでは小型衛星を数個打ち出すのが精一杯でした。けれど、僕達の―というより、希土ヒトミ先生の技術が、この問題に革命をもたらしました」
ああ、その名前を口にするときの少年の夢見るまなざし。ゼロは一瞬アバター同期を切って、少年の背中にべぇと舌出す。荒らしのクソコメントも待ってるのにさ、先生を揶揄なんておまいら冗談でも出来ないってか。
「―それが、水素核融合エンジンによる核パルス推進です。厳密にはオリオン計画のように船外でペレットを爆発させる『核パルス』とは異なり……っと、この辺は省略しますが」
ゼロのステッキに小突かれてまた数枚のプレゼン資料が飛ばされた。巨大ペニス―失礼、ツクヨミ号の断面図が大写しになり、日本中のロケット部員たちがスクリーンショットを乱写する。
「ご覧の通り、ツクヨミ号では先端部分のくびれも利用し、全容量の30%、理論上では2トンの積荷(ペイロード)を可能にします。今回の打ち上げでは、有人ということもあって、月面活動関連の機材を含め1.3トン程度と余裕を持たせています」
「乗務員の体重が700キロくらいなきゃだいじょうぶだねっ!」
少女―ゼロが割って入る。少年の口から再びその名が出るのは、嫌だ。
「最初はハジメたんが乗るって騒いでさー、湯勢高のブチョーさんも乗りたいって色々もめて、でもさすがに学生はまずいっしょー、ってことで結局顧問のヒトミ先生が搭乗することになりました。ババーン!」
結局意味なかった。先生の立体像(ホロスタ)がくるくる回れば、ハジメの意識は成層圏越え。年増、と心で毒づいても馬鹿らしいくらい彼女は少女みたいな容姿。身長あたしより低いし。中性子放射は僅かでどうとか、いらんことを説明するハジメを蹴飛ばして、
「詳しい構造については、『甲子園』終了後にロケットピアで共有しまーす」
と強引に締めた。
北、西、東……小汚い部室から、頼んで間借りしてる工場まで、大騒ぎになって、それから討論会が始まった。親たちは「今夜は帰れない」短いメッセージを受け取り、ロケット熱に浮かされる我が子にため息だ。明け方頃、部員たちは硬い床の上で眠り、空高く昇るロケットの夢を見るだろう。夏が来たのだ、ロケットの夏が。
🚀 🚀 🚀
「おつかれ」ハジメはペタン、座り込む。星空の映像(ホロヴィ)が解除され、DJゼロは見慣れた幼馴染、澤井レイナに戻った。彼女の正体を知る者はごく僅か。リスナーたちは、JAXAかPSC(民間宇宙開発企業)のプログラマ、でなきゃロケット甲子園実行委員会の中の人とか噂してるけど、実際はハジメの同級生で、湯勢高ロケット部の制御電装系主任。いままでゼロラジオを収録していた彼女の部屋、ファンシーなAR背景が剥がれれば、女の子らしさの欠片なく、冷蔵庫サイズのワークステーションだけがルームメイト。コンピューターが手のひらサイズになった今日では珍しいこのマシン、唸りを上げながら今も無数の打ち上げシミュレートを行っている。
「はい」
差し出されたスポーツドリンクをごくごく飲み干す少年の喉仏に光る汗。じっと見つめるレイナは、さっきとは別人のような無口。大体普段から口をきく相手も片手ほど、作業指示も「メールの方が早い」と言っちゃうくらいで、DJゼロの秘密は三年間、部員にさえ秘密のまま。誰が呼んだか「液化酸素の王女」マイナス百度越えの冷たさ冷静さと揶揄される少女はいま、人参型のロケットにしがみつくウサギのぬいぐるみを撫で撫でしてて、その揺らぐ瞳に気づくのは、いつだってこの少年だけだった。
「レイナ、どうしたの? 僕、なんかバカ言ったかな」
ううん、そうじゃない。そうじゃないから、そうなんだ。
レイナは泣いたことが無い。こんな無情の時代に。通りを歩けば赤ん坊ばかりでなく大人もわんわんそこかしこで泣いてる世界で。ママが死ぬ前の日に言った「泣くのは嬉しいときだけにしな!」
ぬいぐるみを撫でるレイナを撫でる少年に、子ども扱いしないで、と上目。瞳の奥の「もっと。やめないで」を見抜かれてる。でも先生からヴィジがかかってきて、彼女を幸福にしてくれる地球唯一のデバイス―少年の手は彼女から離陸してしまう。
「ハジメくん、頑張ったねぇ、とってもカッコ良かったよお」
「はい、精一杯、やりました」
「説明もとても良かったね」
「レイナにだいぶ邪魔されちゃいましたけど。あはは」
(死ねっ死ねっ、ばかハジメ、べぇっ)
「明日からまた忙しくなるから、早く寝るんだよ」
数秒のその会話で、少年は地面から舞い上がる。ロケットいらないんじゃ? 恋をしているならどんなことでも許されるだろうか? 事もあろうに、この少年は、彼に想いを寄せる少女の目の前でこんなことを言い放った。
「僕さぁ決めたんだ。打ち上げ成功させて、月に着いた先生に、告白する」
レイナはやっぱり、泣かなかった。
2
『このロケットを打ち上げた人は、こんなロケットも打ち上げています』空港降りて、ゴーグルonにした側から広告まみれ。さすがはロケット島じゃーん。山田さんは汗を拭う。ジャーナリストの山田さんは2017年生まれ23歳双子座のO型。高卒でカメラ一台ひっつかんで働き初め、今年で7年目のベテラン。189cmの長身に中高ラグビー部で鍛えたパチンとはちきれそうな筋肉あだ名はクマ。物思いにふける性質で濡れたタオルを床に置きっぱなし新婚2年目の妻によく怒られる一面も。まだ幼い長女、山田アリスちゃんの待受ホロ見てにやけていたら、その顔真っ二つに割って現実の空にロケットの煙が昇っていく。
民間ロケット打ち上げ代行サービスが隆盛だ。株価上昇が止まらず、うなぎならぬ「ロケット昇り」なる表現が生まれた。視聴者ニーズに応えるべく、工学科卒の妻に基礎知識を叩き込んでもらい、ドキュメンタリー製作のため湯勢ノ島にやってきた。別名ロケットの楽園。旧JAXA(宇宙航空研究開発機構)が払い下げた発射場には最新設備が整い、気候観測データも盛り沢山。今や日本のみならず海外メーカーも乗り込みロケットバブルの様相だ。
「しかし、そんなPSC (民間宇宙開発企業)をぶっちぎり、最新技術のロケットをローンチしているのはなんと高校生、湯勢高校ロケット部です。では早速向かってみましょう」
360°撮影ドローンでのんびりとした風景を収めながらアナウンスを入れる。あ、牛だ。電動バイク二人乗りで通学する湯勢高生を見て静止画パチリ。青春だなあ羨ましい。イモ畑を横目にウトウトしてたら、ゴーグルになんか表示が出たぞ。さっきの写真が、有名人チェッカの顔IDに引っかかてんだ。
あ、今の高校生、水無月ハジメじゃん。
🚀 🚀 🚀
「これが『むくむく』ですかぁ。撮影OK? 機密とかじゃない?」
「山田さん、ベテランライターじゃないんすか?」
取材に応じたのは、イケメン爽やかなロケット部部長。フミヤくんだった。
「こういうの初めてで。いつもは芸能とか起業家とか」
「『むくむく』なんて、日本中どこでもあるから大丈夫すよ。これだけデカい専門的なのは珍しいかもだけど」
「で、なんで『むくむく』なんでしたっけ」
「そこからですか?」
「いやあ、一応勉強してきたけど、視聴者のみなさまに説明ってことで」
アストロラーベ、天球儀を見たことあれば説明しやすい。ある? ないよね? 直径2メートルほどの大きな鉄のフラフープが三重に組み合わされ、その中央にプロダクト、いまは鉄で出来たスカートみたいなエンジン・ノズルが支えられている。3方から伸びるロボットアームがなめらかな動きで組み立てや溶接を進める。
「MCMC(むくむく)ってのは、マシン・センタード・マシニング・センタの略です。前世代の数値制御工作機械(マシニング・センタ)もいろんなパーツを造れたんですけど、細かい組み立てとか他の部品との組み合わせは人間中心、ヒューマンセンタードでした。むくむくの場合、やってることは似てるように見えるけど、設計思想が全然違うんです」
ノズルが一度床に置かれ、円筒型の別のパーツがフラフープの中心に拾い上げられる。
「いまこれ、こっちから出てきたけど」
「マルチ素材3Dプリンタですね。家庭用のと比べると、ナノスケールの配列がより細かく出力ができます」
カルピスのような乳白色の液体がたっぷりのガラスケース。山田家にある熱帯魚用水槽とそんなに見た目変わんない。この液状樹脂にレーザーが当てられれば即座に硬化し「鋳型」ができる。テトラポッドのような形状の鋳型はとなりのブロックに移され、ニードルの先から銀色の複合素材が注入される。
「今作ってるのは、リフトオフ時に使う個体サブロケットの燃料容器(モータケース)周りですね。素材は炭化ケイ素複合セラミックス」
「全然わかんないんだけど」
「まあ、ロケット花火の容器造りと思ってもらえば」
「そのなんとかセラミックスってのは高くないの? 最新素材っぽいけど」
「昔は焼き入れが必要で高級素材だったんすけど、3Dプリンタがナノスケールに対応するようになって価格破壊起きましたね」
「ナノスケール」
「電子顕微鏡とかで見ると、ほら、こんな感じで模様できてるんす」
「へぇなんか植物みたいだね」
「そうそう、オーガニックデザインってやつで、耐熱効率メチャいいんすよ。こういうランダムな模様を造るのに、昔は高温で焼き入れてたんです。刀鍛冶がジュワーって刀冷やしたりすんのもそれで」
「刀鍛冶とか知らないしなぁ。フミヤくん時代劇好きなの?」
「いや実はそんなに、偉い人に説明するときはこれで喜んでもらえるんすけどね。そういや山田さん見た目と違って若いんでしたか」
「失礼なやつだなあ。よく言われるけどね。あはは」
「俺も失礼ってのよく言われます。ははは」
気が合うらしいこの二人、笑っている間にロボットアームが最初の部品を運び出し、重厚な装置に移す。
「こいつは家庭用の3Dプリンタにはついてないですね。実際にできたパーツを、いろんなスキャナにかけてデータを取ってるんです。どうぞ」
差し出された業務用ARゴーグルをかけてみると、パーツから数値が溢れ出てくる。耐熱、耐衝撃、耐引っ張り力。数字の渦は螺旋を巻いて制御盤へと吸い込まれる。ちょっと演出過多じゃないかい?
「データはうちのプログラマのワークステーションに送られて、実用に耐えるかシミュレートします。耐熱性能が2500℃。やっぱKurmanさんのレシピは良いなあ」
「Kurmanさん?」
「アリゾナ州の材料工学の専門家です」
「その人と業務提携でもしてるの?」
「はは、山田さん、俺ら学生ですよ。レシピはオープンソースでロケットピアに公開されてんす。パーツ組み立てだけでなく3Dプリンタ、シミュレートを行うワークステーション、それからロケットピアみたいなデータ共有ネットワークがぜーんぶ合わさって『機械中心(マシンセンタード)』、それで『むくむく』なんす」
ロケットピア。ゼロラジオで聴いたぞそれ。訊き返そうと口半開きの山田さんに、どっすん、誰かがぶつかった。
「あーっ! 部員みんなのお昼に準備した安納芋おむすびがっ!」
「貴重な個体燃料〜推進班、全員で確保確保!」
「ばか、床にチタン削り屑散らばってんだぞ!」
「それよかおれのφ6レンチドリルどこ〜〜ロボットのシール張ってあるやつ」
「ごめんごめん、弁償するよ。弁当ドローン配達の注文しようか」
「ノズルスカートきゅっ、と絞った方が推力あっぷでは?」
「ねぇ燃焼シミュレーション64掛けで殺しといて」
「いまからこの仕様変更って納期間に合うわけないだろ! 機体班殺す気かよ?」
「レイナ先輩起床!」「すぐ二度寝防止のコーヒー補給して」「姿勢制御班5分後にミーティング!」
「合宿初日の晩飯は伝統的にカレーって決まってるんだよ。準備開始」
「固形燃料の準備、OKです。第一次燃焼開始」
「燃料ってこれ、木炭じゃ……それにロケット燃焼用ベンチ使っていいの?」
「侮るな、ちゃんとARゴーグルを装着しろ、玉ねぎの汁も防げて一石二鳥だ」
「……さわがしくてすいません」
「いやー、いいよね、青春って感じする」
目移りしまくり山田さんのコマンドを受け、撮影ドローンはせわしない軌道で飛ぶ。いいよなあ、みんな120%の力で頑張ってる。山田さんは汗を拭い、キリッとした顔つくって部員にインタビューしていく。
「将来の夢は?」
「自分、いまはこのロケット飛ばすことに命かけてますから。その後のこととかはなんにも考えてないっす!」
うん、俺だってそうだ。こんな混乱した時代。明日どうなるかなんて分からない。だから自分の今やりたいことを精一杯やって生きてたい。勉強なんて待ってらんなくて、大学進学率は大きく下降してるらしい。AIの発達で仕事はずいぶん減ったけど、代わりに人々の瞳に夢が輝いた。一億総青春時代。俺たちの生きてる時代。
🚀 🚀 🚀
「膨らますよ〜」
一片わずか3メートルほどの立方体が瞬く間に三階建て家屋ほどに膨らむ。資材を抱えた部員たちが素早いネズミみたいに内側に入り込んで柱と床を組み立てていく。どこに何をセットすればいいか、ゴーグルに全部表示されてる。アメリカのホテル王ビゲローが開発した宇宙仕様の居住ユニット。2010年代の開発当初は骨組みごと打ち上げていたため膨張率はそれほどではなかったが、内部構造を3Dプリンタで自製出来るようになり、宇宙での活動スペースは一気に広くなった。素材は成層圏飛行船にも使われているポリアリレート繊維で、耐久性も申し分ない。災害時の仮説住居とか、難民キャンプにも流用されたとか。
月面ホテルとして十数個打ち上げられたが、その後宇宙開発が滞って廃棄。2年前、ハジメが月に送り込んだドローンが探検VRを作成した際、在庫品の一つが気前よくプレゼントされた。それ以来、ローンチ前の合宿用宿舎として、湯勢高の夏の風物詩となっている。
青空の下膨らむ真っ白な巨体、ぽかーん、と眺めている山田さんのゴーグルに新しく通知。また有名人チェッカの反応だ。『希土ヒトミ』えっ、どこどこ?
「作業進捗70%! みんなぁ、あと少し頑張れぇ!」
部員と同じ青いツナギ。小柄で童顔、ぼさっとした髪と野暮ったい眼鏡。生徒にしか見えない彼女こそ、熱核融合炉の小型化を実現し、それを宇宙ロケットの推進エンジンに応用した革命児。「影響あるイノベーター」ランキングでここ数年一位を譲らない。
「いやいや、私ゃそんな大層なもんじゃないです。ほんとにいつも、その、こまってしまって、あの、高ベータ炉だって、MITのみなさんの長らくの積重ねと、たまたま私がいたチームの運が良かったっていうか、ああっもうっ恥ずかしいったら」
まあ、その、既に知ってはいたんだよね。国民栄誉賞の挨拶もこんな感じだったしな。知ってはいたが想像以上、山田さん、苦笑いを隠さず世間話の体でインタビューを初める。
「推進エンジンは先生開発でしょ? あっち手伝わなくていいんですか?」
「あ、いえ、その、あの」
話かける度アタフタして、なごむけど取材がすすまねぇな。そこで山田さん、こんな時のための作戦を実行に移すことにした。ハンドジェスチャーでこっそり短いメールを送り、十秒待つとヴィジがかかってくる。
「ちょっとハニー、今ね仕事の真っ最中……そう、希土博士。え? 挨拶したい? いや、ダメに決まってるでしょ…?」
我ながら猿芝居、不必要に大きな声で妻とやり取りを続ける。案の定、ヒトミ先生がチラチラ気にしはじめてる。
「……あのですね、希土先生、実は俺の嫁さんも工学分野で仕事してまして、ぜひ先生にご挨拶したいと」
快諾いただきグループヴィジに追加。第一声、
「かっわいい〜!」
赤ん坊の「可愛らしさ」特徴の根源とされる「ベビー・スキーマ」容姿、その最大化のタイミングである生後十ヶ月の長女、山田アリスの微笑みに、ヒトミ先生は予想通りノックアウトされたようだ。おっと、だがこれは諸刃の剣、山田さんも表情が溶けきって、インタビューのことを忘れかけてしまう!
「ほんとかわいい、女の子ですよね? 何歳です? もうお喋りできます?」
立て続けに質問したと思ったら、今度はじっと黙りこみ、どうしたかと顔を除けばうっすら涙を浮かべるその顔はまるで少女。結局妻の挨拶なんて形ばかり。
「ロケット甲子園の当日には、アリスと一緒に応援に行きますね!」
ほら、ヒトミ先生にばいばいしようね、ばいばーい。ヴィジが切れた後も、彼女は宙に向かってひらひら手を振り続けてた。
「ごめんなさい、赤ちゃん見たの久しぶりで」
「いや、俺も嬉しいですよ、最近は子どもにいい顔しない人もいますから」
出生率はがくんがくんと急降下が止まらない。
「こんな時代ですもんね」
「ねえ」
どこか遠くを見る表情。それも生半可な「遠く」でなく、地球重力圏内を飛び越え、真昼の空にぼんやり浮かぶ上弦の月辺りまで。
「あの生徒たちが、私の子どもです」
「みんな楽しそうだ。宇宙学科っていったらエリートでしょう? なのに気負いがなくて、いい笑顔。どれだけシャッター切っても足りませんね」
青いツナギが走り回る。宇宙開発のトレードマーク。いや、デザイナーが手を抜いただけかもな。
「あそこで指示出してるブロック塀みたいなでっかいのが五十嵐くん、隣のトカゲみたいなのが九十九くん、茄子のヘタみたいな髪型の子が七堂さん、それぞれ機体、推進、制御のサブリーダーなんですよ」
指差しながら教えてくれるその眼差しは、山田さんの妻が娘を見るのとそっくり同じ。
「三人ともすごいアイディアマン。ハジメくんに対抗意識燃やして、去年は勝負を挑んできたんですよ。ビーム推進でロケット打ち上げようって無茶して大事件になって」
「湯勢ノ島停電事件」
「そう!」
はにかみ転がる笑い声。自分のことはシドロモドロでも、生徒を語れば饒舌だ。山田さんは彼女の話すに任せる。推進技術の話ならウェブに載っている。俺が捉えるのは彼女の思考や実績じゃない。人間的な側面だ。
「五十嵐くんは小さな犬を飼ってて名前はクドリャフカ。趣味のギターはへたっぴで、デヴィッド・ボウイの『火星の生命』しか弾けないの。九十九くんは宇宙航空史オタクでツナギの下にはいつも絶対にNASAのTシャツを着ている。火星開発を掲げる民間事業団からスカウトを受けたけど、実はSFが好きでホロムーヴィーの監督になりたいんだって。七堂さんはロボット製作がしたかったけど、二人に頼み込まれてロケット開発に関わり始めた」
なにかしらのパーツの洗浄作業、ホースから吹き出した水をかぶりはしゃぐ部員たち。虹。
「風の強い早朝が好き。サーフィンの良い波が来るから。ぐったりした身体、バスの車内で居眠りしながら学校に来るの。レンガ堂のロケットバーガーが好き。ピアノの音が好き。英語は苦手だけど勉強会するのは楽しい。洋服は見た目よりも実用性。これは部員みんなそうだけども。ふふっ。たまに鹿児島の天文館に買い物しにいくのが好き。その時入ったアンティークカフェが素敵だった。でも本当は楽しくお喋りできれば場所はどこでもいい。五十嵐くんは七堂さんが好き。九十九くんも七堂さんが好き。七堂さんは、ふたりとも、選べないくらい好き。みんなで夜の散歩をするのが好き。棕櫚の茂みに隠れてキスをする。セックスが好き。月の無い夜にはロケット公園で3Pをするの。九十九くんは感動的なくらいに声を上げる。五十嵐くんが、ペニスを『俺のロケット』と呼んで、七堂さんはフェラチオの最中に笑いだしてしまう。何度も何度も朝までする。避妊マイクロチップ入れてることが家族バレして気まずかった。今が好き。今この瞬間だけを生きている。もし明日死ぬことになっても後悔しないように」
カレーが煮えるスパイスの香り。いつのまにか夕暮れ近づき涼しい潮風。
「あそこにいるのは開発部長のハジメくんと、制御系リーダーのレイナさん。ハジメくんの全身は様々な実験で火傷まみれ。額にも大きな傷があって前髪はいつも伸ばしたまま。レイナさんは小さい頃に事故で両目を失った。神経接続義眼をインプラントして、ゴーグル無しでARを使える。それが能力を引き上げたけど、代わりに彼女は現実感を失くし、自分を繋ぎ止めてくれる何かを探してる。DJゼロというアバターを演じているのもそのせい。レイナさんはハジメくんが好き。歪な愛。己の全てを捧げたいと夢見ている。でもハジメくんは……」
夕暮れの中、無邪気に笑う二人が見えた。
「二人は一種の希少種。余人とは異なり、直情的に世界と関われない。今だけでなく、未来を見ている。未来を想えば、不安になることは避けられない。けれどその眠れない夜が、二人に力を与えた」
不意に鳥の声が止み、さっきまでそよそよ、潮風がやさしく揺らしていた南国の植物たちを不安の振動が襲う。慌ただしい足音の中動けずにいるジャーナリストの耳に、教師の小さな、けれど強い声が届いた。
「私は二人に、未来をあげたい」
🚀 🚀 🚀
夜。焦げたカレー。緊急停止された機械達。製作途中で半分潰れた宇宙ホテル。ロケット照らす月明かり。部員は変わらず笑顔。
「山田さん」
この暗がりの中震えているのがはっきりと分かる。ヒトミはさっきとは別人だった。
「今夜、お時間ありませんか?」
迷う片手が彼の汗ばんだシャツを掴もうか彷徨っている。
「あ、今夜は、そのこれから、宇宙開発業者のみなさんとの会食が、遅くまで。たぶん」
逃げるようにして校門を出た。
3
―湯勢ノ島ロケット音頭―
はぁ〜、南の海の湯勢の空に
はぁ〜、ペイロードには希望をつめて
(右手・左手を交互に上げもう片手を添える)
ロケット ロケット 飛んでゆけ
ロケット ロケット 宇宙まで
(三度手拍子した後、手を空に伸ばす)
そーれ ロケット音頭で3・2・1・リフトオフ!
(両手を頭上で合わせ、ロケットになった気持ちで高くジャンプ)
「あんたさぁ、なにマジで踊ってんの?」
グレイ型エイリアンのお面を被り、全力で盆踊る彼。一年ぶりの憎まれ口に振り返れば呆れ顔の彼女。だが何か違う、浴衣姿に髪を結った少女の愛らしさに不意打たれ、赤面した少年はお面に感謝した。
「ノシロ、おまえさ、なんか変わったな?」
そういや過去2年は開発がデスマ、島に着いたのは当日未明、前夜祭のロケットまつりには不参加だった。
「そういうあんたはどこも変わんないね、タイキ」
互いの拳を打ち鳴らし、最後にロケットサインのハンドシェイク。
「「打倒九州! 打倒湯勢高!」」
調子が出てきた。二人ともにロケット部の部長。少女は東北地区、少年は北海道地区の代表で、湯勢高を加え「3強」と呼ばれる強豪だ。
「今年はヤバイぜ。アメリカ企業にも負けねー最高効率のハイブリッドエンジン持ってきたからな。湯勢の不安定な核融合推進に最高の安定性能を見せつけてやる」
「悪いけど、うちも負けないからね。完全樹脂材料で相場を遥かに下回る二桁万円での衛星軌道投入ロケット。度肝抜いてやるんだから」
ふふふふ、顔見合わせ笑い、余裕を交換する二人。ようやくお面を脱いだ少年の無邪気な顔に、今度は少女の目に星が飛ぶ。LED提灯の薄暗がり、お願い、気づかれないで。
「お腹空いちゃった! なんか食べに行こ?」
誤魔化そうとしたけど、食いしん坊だと思われて失敗? 少年はといえばそれどころじゃない。袖を引く小さな手、うなじ、髪飾り。
「見てみて、ロケットイカ焼きだって」
「げっ電子マネー使用不可? 現金持ってねえよ」
「ここは毎年そう。仕方ない、おごったげるよ」
嬉しそうに巾着を開いたのはいいけど、心が弾みレトロながま口財布を取り落とす。側にいた少女が拾って差し出した。
「あ、どうもありがとう……って、あんたっ! 澤井レイナ!」
「ここのイカ焼きはお薦めできない。ロケット型というのは名目でエンペラを取っただけ」
いつもの無表情。ムカつく。あたしなんて眼中にないってこと? 少女―ノシロも制御プログラム担当。3年間レイナをライバル視してきた。
「レイナぁ、そりゃないだろ。刻んでもち米と中に詰めてんだよ。知ってんだろ? ほいイカ焼き二つお待ち! レイナの友達ならサービスで一つ百円にまけとこう」
「そこは無料にするところ。パパはケチ」
「パパ?」
「フランシスコおじさん、僕にも一つ」
「水無月ハジメ!」
タイキが踏み出て睨み合う少年二人。ARゴーグルが彼らを識別し、お祭り客たちも立ち止まる。ライバル同士宿命の対決? 黙ったまま動かない二人を香ばしいイカの匂いががくすぐった。
「いつまで見つめ合ってんのよ」
ノシロが二人の口にイカ焼きを突っ込む。金縛りが解けて。
「ひっさしぶりだなぁ、元気かよぉ。ところでロッキード・マーティンの新オリオン計画の論文読んだ?」
「当然でしょ。それより中国の宇宙ベンチャーに火がついてきて、最近チェックしてんだけどさ」
親しげに肩を組んで話し始める男子二人、「ロケットオタク……」と呆れた顔をしていた女子たちも、すぐロケット談義に加わり機体設計が推進機構が、と賑やかだ。また知り合いの生徒たち、宇宙ベンチャーの技術者もそこら中にいて、アマチュアロケットファンも入り乱れてそこら中でロケット・トーク。AR空間のホワイトボードが設計図とデータと企画書で埋まる。飛ぶように売れるイカ焼き。居合わせたライターが撮った静止画がウェブニュースのアクセスを稼ぐ。いわく「ここには日本の未来がある」
🚀 🚀 🚀
突発星空カンファレンスを中断させたのは子どもたちの行進。編笠に陣羽織、肩にはミニチュアの火縄銃。どんだん太鼓を鳴らしながら、祭りの広場に行軍だ。厳かな様子に人波は割れた。
「ありゃあなんだ?」
タイキにとっては初めての光景。
「昔々の十六世紀」それに答えて、レイナのパパ、フランシスコが語りだす。「ポルトガル人が火縄銃を伝えたのは、種子島より湯勢ノ島が先だった。起業家マインドあふれる島主は、そいつを量産し本土に売ろうと考えて、西の村に住む刀鍛冶にコピー品製作を命じる。ははー、と承る刀鍛冶だが、その息子はもの狂い、今で言うならサイコパス、実の父を撃ち殺し、銃を手に北の森へと姿を隠す。困ったのは村人たち、冷酷社会不適合な刀鍛冶の息子に、日頃から辛く当たって、恨まれる覚えある者ばかり。自分がいつ撃たれるかと気が気でなく、外出時には全身を鎧で多い、しまいには皆、家に閉じこもり出られなくなった。島主が様子を見に来たところ、村人全員がその冬を越せず餓死していた。もの狂いの息子はどうしたかと探してみれば、森の入り口で早々に首を吊っていた」
ステージ上でも同様のストーリーが演劇化され、子どもたちによって演じられている。恐れた人々が家に閉じこもり震えながら飢えていく、静かで異様なシーン。屍横たわる村を眺めて島主役の子どもが語る。
「銃は十を殺しうる、しかし真に恐るるべきは、狂気と凶器のこんびねいしょん、恐怖は千も万も殺しうる」
銃は海へと投げ込まれる。
「こうして、鉄砲伝来の歴史的舞台は、種子島へと移されたのです」
まばらな拍手。毎年のことで司会役の女性も慣れているのだろう、最高のタイミング、最適なテンションで場の雰囲気をひっくり返した。
「それでは、次のコーナーです! ロケットピア・スペースチャレンジ・コンテスト!」
お祭りの参加者全員がステージに押し寄せ人口密度がひどい。さっきまで餓死していたステージ上の子どもたち、ゾンビのように起き上がってゴーグルを被る。
「さあ、今年もやってきました。湯勢ノ島ロケットまつりのメインイベントです。解説にはロケットピア管理人のひとり、ラムダ河童さんにお越しいただきました」
「よろしくお願いします」
「早速ですが河童さん、ロケットピアについて、そしてコンテストの概要について教えていただけますか?」
「はい。ロケットピアは、元々は個人や小規模なグループがロケット開発の知識をシェアするために立ち上げたデータ共有サイトでした。気象条件やロケットエンジン作成の工夫とかを書き込んでましたね。みんな低コストで製作してたんで、『A社の水道用のパイプが燃料の配管に使えるぞ』とかね。
複合素材の3Dプリンタ、それから『むくむく』が出てくると、それらの出力データも共有されて、簡易なものなら、エンジンから機体までロケット全部をホームメイドできるようにもなりました。それから、国家規模の宇宙開発に規制がかかって、開発者が民間に流れたおかげで、限定的ですけど企業もロケットピアを利用するようになりましたね。ロケット開発というのは、何しろ前例がほとんどない世界です。個人のアイディアがすごいブレイクスルーを生むことも珍しくはないんです」
「明日開催されるロケット甲子園もロケットピアの後援ですね。こちらの設計データは大会後にロケットピアに共有されます。高校生たちの考えた設計や機構が、民間企業に取り入れられることも良くあるそうです」
「ただし、安価になったとはいえ、ロケットの打ち上げはやはり一大事業。おもしろいアイディアがあったとしても、検証には時間とお金がかかります。そこで造られたのが、ゲーム『スペースチャレンジ』です」
ゴーグルの中にずらりとロケットが並ぶ。スプートニク、ボストーク、サターンV、ソユーズ、H-2A、イプシロン……
「ゲームには色々な目的がありますが、基本は自分だけのロケットを組み上げ、宇宙に打ち上げて、そのコストや性能・効率を競うものです。特徴的なのは『リアルローンチ』で、高精度の物理演算エンジンを用い、高高度観測気球や、世界中の打ち上げデータを元に、可能な限り現実の打ち上げに近いシミュレーションを行います。当然ながら、このシミュレーションには莫大な演算が必要になりますが、『スペースチャレンジ』を遊んでいる全ての端末から少しづつ演算リソースを借りることで処理を行います。そして、シミュレーションをクリアしたデータを元に設計した機体は、実際のローンチでもなんと90%の成功率を収めています」
「つまり、このゲームで遊ぶだけで、現実のロケット開発に関わることが出来るんですね!」
人混みに押し出され、ノシロとタイキ、そしてハジメ、レイナの四人は後方からステージを眺めてた。コンテストに出るのはロケット部一年というのが通例だ。後輩を応援するだけの気楽な立場。優勝賞品の開発チケット1000万円分は魅力だけど、世界中のアマチュアたちが参加するだけあってレベルは高く、ここ数年は海外の工学系大学のチームに奪われている。さすがにMITには負ける。
「よぉ、ハジメ。やっと会えたな」
これだけの人でも、ARタグを登録してる同士なら相手を探すことは簡単だ。数人の高校生、全員が「九州ロケット部連合(KRCA)」のロゴ入りTシャツを着ていた。ツナギと同じスカイブルー。
「先月分のパーツ、全部が最高精度でした。ありがとうございました」
「そりゃあつまり、飛ばなかったら設計が悪かったってことでいいんだな?」
一人の生徒が意地悪く笑い、ハジメの肩をばんと叩いた。
「なあ、ノシロ、この人たちってさ」
「うん、湯勢高のサポートチームだよね」
ロケットピアを支える重要なシステムがクラウド・マニュファクチャリング。『むくむく』を持ってなかったり、大型設備が置けない場合でも、ロケットピアに加盟している工場にデータを送り、開発費を支払えばパーツ製造を行ってくれる。この仕組み、最初は自動運転車の普及に伴うカスタマイズ・カー事業と共に発展していたが、ロケット開発に応用されて広がっていった。
ロケット甲子園においては、地域ごとの高校が協力体制を作り上げる。部員数や設備、予算規模に応じて、実際の打ち上げを行うフロント校をサポートする。電子会議を重ね、制御プログラムは共同開発、シミュレーションを行い、時には燃焼実験もして、完成したパーツをドローン輸送船で湯勢へと送る。複数の学校がチームとして動く。湯勢高のツクヨミロケットは、決してハジメたちだけのものでなく、「九州ロケット部連合」の開発というのが正しい。北海道や東北地域でも事情は同じだった。
「部長さんは?」
「最近僕も会ってないんだ」
「打ち上げ直前のこの時期に、部長がそんなんでいいのか?」
事情を知らないタイキが割って入る。
「いいんだよ。うちの部長は交渉が専門で、ロケット開発にはノータッチだから」
三年前、九州のあちこちの高校にロケット部を設立させ、既存の部に協力をもとめ、民間企業も引き入れて、日本全国から湯勢高のためにファンドを取りまくってきたのが、ハジメとレイナのもう一人の幼馴染、フミヤだった。
「おおーーっと! 内之浦高校ロケット部の『ミニプシロン』が、300キロのペイロードを高軌道に投入成功! 予選を通過しました!」
ステージで歓声が上がり、ハジメを取り巻いていた学生たちは人波をかき分け前列へ。取り残された四人の手の中で余ったロケットイカ焼きが冷えていく。四人はなんとなく連れ立って、ステージから遠く、閑散としたお祭り会場を歩いていった。高台に登れば、ロケットが収められた倉庫や、明日打ち上げを行う発射場が見えた。太陽が登れば付近の半径3キロは立入禁止、彼らだけの聖域の出来上がり。本番はなんといっても明日で、祭りは少し賑やか過ぎた。高校最後の特別な夏。
「こんな風に」感傷に襲われノシロが言った。「みんなと会えるのも今年が最後なんだね」
「最後じゃないさ。開発は続けるんだろ? カンファレンスとか、ロケットピア会議でだって、きっとまたあちこちで顔合わせるって」
言いながらタイキも分かってた。レイナとハジメは少し先を歩いている。少年は思い切って少女の手を握った。拒まれない。ARゴーグル越しに、コンテストのロケットが輝きながら夜空に昇っていくのが見える。1機、2機、3機……不意にノシロは涙を流し、慌てたタイキの方も泣いていた。見つめ合えば、無敵。いつか聞いた恋の歌がリフレインする。安い一節であっても、一瞬の出力さえ大きければいい。ロケットと同じだ。二人の青春はバシューンと銀河まで浮かび上がる。たとえ明日が来なくても。恐れるものは何もない。
だから、耳慣れた、しかし決して耳慣れることのない不快な音が鳴り出したときもすぐ気づけず、ゴーグルの端に出る赤い点滅もスルーして、ハジメとレイナに突っつかれて、ようやく状況を把握した。ステージを見下ろすと人々は既に整然と動き始めている。
四人も急いで高台を降りる。まだ上の空でいたノシロが石段で転びかけ、下駄の鼻緒がすっぽ抜ける。少年は少女を素早く背負う。「メンテナンスが足りねーな」軽口が不安をほぐした。広い背に彼女は頬をこすりつけ、再び「たとえ明日が来なくても」と強く思い微笑む。
不意に音が止み、怖ろしい程の静寂に少年は立ち止まる。近道をしようと林の中を横切る最中。ヤブ蚊にさされた足が痒い。
「ね、タイキ、降ろして?」
耳元に届いたささやき声には魔力があった。
🚀 🚀 🚀
後ろで二つの影が重なるのを見て、ハジメとレイナはそっとその場を離れる。
「誤報だったみたい」
ARネットワークが回復し、周辺情報が更新されていく。ぴぴぴ。通知音に顔を上げると、20メートルほど先に、さっきまでは見えなかったパーソナルタグが表示される。緊急モードになったゴーグルが、プライバシー機能を一時的にオフにしたのだろう。良く知る二人、湯勢高ロケット部の部長フミヤと、もうひとりはヒトミ先生。二つのタグは、ぴったり、同じ位置に重なっていた。
「なんだ、部長、湯勢に戻ってきてたんなら、顔見せてくれればいいのに」
ハジメが二人に向けて一歩踏み出す。
「ダメ、見たら」
レイナが浴衣の裾を掴んだ。暗い場所もクリアに見える彼女の義眼。ハジメは一瞬、顔に疑問を浮かべ、そして荒っぽく彼女の手を振り切った。「カメラ起動、拡大、輝度最大」ざらついた画面の中、肌色がもつれ合っている。繁みを揺らし、唇を押し付け合う二つの顔。レイナは後ろからそっと、彼のゴーグルを外す。暗闇となった視界の中、先生のか細い声が聴こえた。
「怖い……怖いの……」
4
2010年代まで、ロケットの打ち上げ準備には秒単位のスケジュールが必要とされていた。数週間前からの運搬・組み立て作業と、ボルト一つに至るまでの点検確認、天候判断、幾層にも設けられた安全対策。
日本のイプシロン・ロケットがその歴史を変える。プラモデルなみに簡易化された組み立て工程、知能化されたロケットによる自律点検、コンピュータ一台のみで行うモバイル管制により、準備作業は革命的に簡略化される。2020年代には飛行安全、追跡管制も機体へと組み込まれ、打ち上げのコンパクト化がさらに進んだ。
ロケット甲子園で打ち上げられるのは、最大15メートル長、多くて二段式であるため、組み立てや燃料注入作業も自動化されており、90分程度で準備が完了する。とはいえ、今年の湯勢高が行うのは最高難易度の有人飛行、前日より厳重なチェック作業とシミュレーションが続いていた。
午前九時、湯勢高ブラスバンドのファンファーレで開幕したロケット甲子園は、ロケットピア理事長や後援PSC(民間宇宙開発企業)の代表挨拶もそこそこに、第一陣の打ち上げを開始。「リアルフライト・シミュレーション」の通過が参加条件の一つとなっていることもあり、打ち上げの成功確率は例年高いが、それでも毎年数校が予期せぬトラブルに見舞われる。意欲的な学生たちは奇抜なアイディアや新技術による革新を目指すが、代わりに安定性は犠牲になる。今年は二校目の東近畿代表が涙を飲んだ。完全円錐型、ペイロード室を大きくすることで、前述の膨張式居住ユニットのような軽量高容積の資材を運搬を目指したが、姿勢制御の演算処理が追いつかず、くるりと反転、湯勢湾に着水する。
ロケット組立棟の中、湯勢高のクルーの緊張は限界だった。目を赤く腫らしたハジメの指示が鋭く飛ぶ。「あの開発部長でも眠れないことがあるんだな」「そりゃあ大事なヒトミ先生の安全がかかってんだ」後輩たちの都合良い勘違い。愛しの彼女は既に宇宙服をまとい、ロケットのコクピットの中で発射を待っていた。
「湯勢ノ島南西沖40キロ地点に雷雲発生、時速15キロで接近中。2時間後に湯勢ノ島上空を通過する確率が80%」
周辺の観測ドローンがデータを送ってきた。雷はロケットの大敵で、発射地点や航行進路の周辺に雷雲がある場合、発射は中止される。ツクヨミ・ロケットの打ち上げまでちょうど2時間を切ったところだった。
「湯勢高の順番を繰り上げよう」
次回発射予定だった東北と北海道地区の代表、ノシロとタイキはそう決断し、5分の名演説で自校と地区連盟を説得した。2人の人望ももちろんあっただろうが、それ以上に、誰もがそのロケットを待ち望んでいたのだ。初のアマチュアによる月面着陸船、革命的な水素核融合推進ロケット。少しでも早く。予定繰り上げがアナウンスされる間もなく、ゼロ・ラジオで見たキノコ型のロケットが射場に姿を表し、見学者たちは歓声を上げた。
スタッフは管制棟に移動し、最終確認を行う。
『最新気象情報を取得するぜ―射点半径20kmに降雨無し、南西の風秒速9メートル、雷雲は南西沖30km地点、気象状況は条件つきグリーンだ』
「発射シーケンス続行。GO/NOGO判断、GO」「GO」「GO」『……GO』
レイナのアナウンスに、部長、ハジメ、遅れてロケット内のヒトミ先生の声が続く。
『Xマイナス600秒に設定、全電装系再点検―オールグリーン。周辺高高度ドローンの気象状況との同期―正常。周辺スマートSatからの情報同期―正常。NFE(核融合推進)レーザーテスト―正常。姿勢制御系確認シーケンス開始―――終了、オールグリーンSRB(個体ロケットブースター)への散水開始。Xマイナス520秒』
「ねえ、ところでこのキャラクターは何なの?」
「京たん」
ノシロのつぶやきにレイナが答えた。ディスプレイの中で、赤い特攻服を着た少女がロケットにまたがり親指を立てている。
『おれに任せれば、最速で宇宙まで連れてってやるぜ』
「自律飛行AIインターフェイス……ツクヨミのメインシステムは8台のμPCだけど、処理能力を合わせれば昔のスパコン『京』に匹敵するとかって。そのキャラはアニメに出てくる『京』を擬人化したやつで、まあ、レイナの趣味」
「ぶふふ…京たんはかわいくて最速…」
「ごめんね、みんな、レイナって割とこういうやつなんだ」
肩をすくめるハジメ
「お前、やっと笑ったな」
タイキにそう言われて気がつく。少年の肩の力が抜ける。
『Xマイナス150秒。ランチャ固定アーム解除、ロケット内部電源へ切替。最新気象状況からフライトデータ微調整―完了。コクピット確認よろしく!』
『コクピット異常なし』ヒトミ先生の声。ゴーグルの片隅に操縦席の様子が見えている。『フライトモードオン、手動制御系すべてグリーン』
『全システムオールグリーン、気象条件は依然条件付きグリーン。Xマイナス80秒、最終判断頼むぜ!』
「最終GO/NOGO判断、GO」「GO」「GO」『……GO』
「ヒトミ先生、気をつけて行ってらっしゃい」
『……行ってきます。ハジメくん、みんな』
『Xマイナス10秒、9、8、SRB点火、5、4、3……』
「管制よろしく!」
「おいっ! レイナ、ちょっと待てっ!」
唐突に部屋を飛び出した少女を少年が追いかける。
「いくら自律管制だからって」
「だって飛ぶとこみたいんだもん」
管制棟の屋上のドアを開くと、熱と轟音が波となって押し寄せてきた。真夏の太陽の下でもなお眩しく輝く燃焼の光芒。ハジメはレイナの手を引き、防護ガラスの陰に引っ張りこんだ。ロケットは飛ぶのが当たり前だ。なのにハジメにはいま、それが遠ざかっていくことが信じられなかった。夏、恋、青春、少年期、そうした全てが今、ロケットと共に遠く離れ、二度と戻ってこないんだと痛烈に感じられた。
「ごめんね、ハジメ。私、言えなかった。ヒトミ先生、部長だけじゃなくて、もっといろんな人と寝てたの。ゼロラジオに時々相談が来て、知ってた」
「うん。いいよ。もう、大丈夫だから」
レイナは泣いたことがない。神経接続義眼には、潤滑液を流す機能はあるけれど、それが涙だと思うことはできなかった。でも。
「どうしたの、レイナ」
ハジメが気づいてくれるから、それで良かった。ARでも見えない私の涙に。むしゃぶりつくようにしたキスはドリンク剤の味がした。少年は邪魔なゴーグルを外す。ロケットは真夏の空をどこまでも昇っていく。西に見え始めた雷雲の中から細い何かが飛び出した。少し前から鳴っていたアラートはロケットの爆音でかき消されていた。床に落ちたゴーグルが警報通知で真っ赤になっていたけれど、気づいたところでどうせ遅かった。
Xプラス132秒、湯勢ノ島上空に小さな太陽が輝いた。
前日から撮影スポットを探し歩いて寝不足になったジャーナリストの山田さん。撮影はドローンにまかせ、日陰の妻の元へと急ぐ。手にした冷たいジャスミン茶のカップが揺れて少し溢れる。あ、いたいた。ベンチまであと30メートル。妻はそれにまだ気づかない。10ヶ月たってようやく生え揃ってきた長女の髪の毛を撫でる手のひらがくすぐったい。ロケットの轟音にも驚かずに楽しそうに笑ってた山田アリスちゃん、さすがに疲れちゃったのかな。今は静かにお母さんのおっぱいを飲んでいる。
管制棟の中は、湯勢高の部員たちの拍手と涙と握手と抱擁とで満ちていた。散々喧嘩したあいつ、昨日まで沢山迷惑かけられた後輩、全て水に流そう。五十嵐の大きな太い腕が、九十九と七堂を抱きしめる。来年は、俺たちの番だ。そうだね、アレを超えるってことは、火星とか目指しちゃう? でも、とりあえず今夜は朝までヤリまくりたいですね。三人頬をこすりつけ笑った。ノシロとタイキは拳を打ち鳴らし、ロケットの再調整を行うために倉庫に走っていく。「雲が行ったらすぐ打ち上げだ」「私先でいい?」「いや元の順番俺たちでしょ?」「バレた?」「今日はちゃんとメンテしてんだろうな?」「当然!」嬉しすぎて、みんなが見てるのも構わずキスしちゃって大騒ぎになった。レイナのパパは大声を張り上げてロケットイカ焼きを売っている。日本中のロケットファン、PSCの社員たち、夏の太陽の眩しさ手にひさししてロケットの煙をじっと見つめたまま。
めでたし、めでたし。
ある素晴らしい瞬間に、そう耳に囁かれたとしたら、君は頷いて、人生という名の物語を閉じるだろうか。お話は、ここでおしまい。続かない。今日を生きて、今を生きて、後悔しないように毎日を送っていたのなら、それで納得できるだろうか。そのとき湯勢ノ島にいた人々は、押し寄せる光の中、一人残らず笑っていた。
5
地球のすべての住人は、いずれこの星が居住に適さなくなってしまう可能性に思いをはせるべきであろう。
老若男女あらゆる人が、核というダモクレスの剣の下で暮らしている。
世にもか細い糸でつるされたその剣は、事故か誤算か狂気により、いつ切れても不思議はないのだ。
―ジョン・F・ケネディ
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しょうらいの夢 希土ヒトミ
私の夢は迎げきミサイルになることです。ミサイルになって、怖がりのお母さんを守ってあげたいです。お母さんは、このあいだのJアラートが鳴ったあと、ずっと地下から出てこれなくなってしまいました。スマホでずっと北朝鮮のニュースを見て、怖い、怖いと泣いています。私とお父さんにも地下で暮らして欲しいと言います。私は学校に来たいので、嫌だと言ったら、とても怒りました。この間までのお母さんとは別人みたいです。
昨日、戦りゃく研究所の人がお父さんを訪ねてきました。お父さんはロケットを造っています。今あるロケットを軍事転用すれば、すぐに最新の核ミサイルになって、防えいに役立つと言いました。お父さんは、お母さんと私を守りたい、と答えました」
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湯勢ノ島上空900メートルほどで爆発した水素爆弾は、小型核弾頭3つを搭載したクラスター核で、爆風による殺傷範囲は半径およそ25キロ、島をまるごと覆い、そこに居合わせた生命活動を小さな虫に至るまでことごとく破壊した。市街地から湯勢湾は大きくえぐり取られ、僅かに北東部の丘陵地帯が三日月型に残るばかり。爆発の瞬間、希土ヒトミの乗るツクヨミ・ロケットは既に上空90キロ、湯勢ノ島から南東800キロほどを航行しており、衛星大気軌道(パーキング・オービット)へ向かっていた。
衝撃は音速超で広がったが、既にマッハ5程度に加速していたロケットに影響は無かった。ヒトミは既に当初の予定から切り替え、南太平洋の中央、スマートSat網の薄い空から大気圏を離脱し、月への楕円軌道へ入るコースへと機体を載せた。高度1000キロを超えた地点で、地球との交信を断ち、信号を擬装したスマートSatを太陽方向へと射出する。元々故障に見せかけるプランだったが、あの爆発の影響という要素もプラスに働いてくれるだろう。
地球の自転が追いついてきて、ヒトミは遠ざかっていく地上を見ることができた。湯勢ノ島上空に円型の雲が浮かんでいる。地図がまた書き換えられる。目を少しずらすと、20年前にえぐり取られた東京湾、不自然な丸い海岸線も見えた。
液体燃料の百倍もの比推力(コストパフォーマンス)を持つ核融合推進にとっては、これまでの宇宙ロケットがひたすらに避けてきた「無駄」もささいなもの。速度を秒速27キロまで上げ、月近辺で減速を行う。アポロや衛星かぐやが4日かかった工程を僅か9時間で。
すべきことは山のようにあった。秘匿通信回線を開き、今年始めに打ち上げておいたスマートSatを踏み石に地球通信網にアクセスする。今や国連の主導的グループである核保有国連合(NP11)が公式声明を発表していた。そこでは奇妙な理論が繰り広げられていた。ロケットピアは秘密裏に民製の水爆を開発しており、今回のロケット甲子園もその実験過程に他ならないという。だが、それに対し水爆を打ち込んだのは、「北朝鮮か、ロシアか、インドか、アメリカのどこか」の国であると要領を得ない。それにも関わらず、日本は見えない相手に対しての「抑止力として」、十二番目の核保有国になることが認められたという。ICBMとして宇宙開発凍結前のプサイ・ロケットを転用、業務用むくむくは既に外殻部分の製造を開始し、保管されたプルトニウムの濃縮再処理が済む72時間以内に核配備は完了。順次サイロや原潜への配備も行われる方針。
船内に異常感知アラームが鳴る。
「自己診断シーケンス」
『ちょっと待ってろ、おれがすぐに解決してやる』
「ナビ人格オフ」
『ナビ人格を停止しました。自己診断シーケンス――完了。ノズルスロートの耐熱タイルが35%劣化』
「エンジン出力を一時停止、慣性飛行に切り替え」
到着は少し遅くなるが仕方ない。
ヒトミはヘルメットの気密を解除して、生徒たちに持たされた安納芋おにぎりを頬張る。脳を突き刺すほどに甘く感じた。感情を無視して涙が流れた。けれど感傷は湧かず、頭の中はこれからの計画に埋め尽くされていた。
🚀 🚀 🚀
船体頭頂部360度カメラからの映像がゴーグルに映し出され、ヒトミは月の空をグライダーで滑空しているような気分になる。広大な黒暗色の月の海、月面最大面積の玄武岩地域である嵐の大洋西部、マリウスの丘付近。着陸予定地点にタグを打ち、オートパイロットを再確認する。
「スラスタ確認。ローバーと同期」
『補助スラスタ正常駆動。月面ドローン・ローバーSORATO-IVとの同期確認、周辺部1500メートルに障害物無し』
「自動着陸」
『着陸シーケンスに移行。身体を固定してください』
月面には大気がほぼ無いため、計算結果がかなり正確に反映される。無数のジャイロと自己診断機能で自分の落下軌道を把握したロケットは、10センチのずれもなくローバーの上へと着地した。ジェットで巻き上げられた砂嵐が落ち着くまで、しばしの休息。
「アームとシステム接続。ロケットを固定」
『固定』
「マリウスホテルへ移動開始」
歯車型の車輪が地面に轍を刻む。安定剤を飲み込み少しだけ目を閉じる。発射からまだ半日強、ヨーロッパへの出張とさほど変わらないじゃないか。
🚀 🚀 🚀
「ドローンのシグナル確認」
『シグナル接続確認、M-Yuse探索ドローン、1-17号まで全て正常稼働』
スロープの端でローバーが止まる。与圧服のヒーティングと酸素ベストを確認し、彼女はロケットのハッチを開ける。昇降ケーブルを往復させ、積荷を降ろしていく。地平線に青白い地球が転がっている。ホロヴィのシミュレート画面と、あんま変わんないや。
「月。月にやってきた。それが何? 私はただの怖がりの女で、この一歩は」
ローバー台から飛び降りて月の大地に小さな足跡が着いた。
「私にとっても、人類にとっても、くだらないただの一歩」
地面は50度を超える熱さだし、早く移動しよう。呼び出しておいた二輪のボードに飛び乗る。
目の前に口を開けているのは天然の溶岩洞。入り口はやや狭いが、中は幅65メートル、高さ35メートルの巨大な空洞となっている。洞窟内に光はない。ボードは各所に付けられた測位センサとやりとりしながら危なげなく進んでいく。位置情報をヘルメットに表示させると、百メートルも行かないうちに居住スペース群にたどり着いた。
2020年代後半、民間宇宙開発のSPACE-Xや、宇宙ホテル開発のビゲロー社などが共同で創立した月面ホテル。その後核ミサイルの緊張状態が進み、全長15メートル以上のロケット開発が禁止されて廃棄を余儀なくされた。2年前のロケット甲子園、湯勢高はここへ観測ドローンを打ち込み、VRツアーを企画。その際に施設運用に必要な情報を得ていた。
『マリウスホテル制御システムの管理権限を移譲。新規管理ユーザ名』
少しだけ迷った後、ジェスチャ入力で打ち込む。
「Thirteenth」
十三番目の核保有国。国民はたったひとり。
🚀 🚀 🚀
宇宙ホテルは湯勢高の校庭に立てられていたものと同じ構造だ。サイズは3階建て幅50メートルの巨大なものから、プレハブ小屋程度の小さなものまで17張。月砂(レゴリス)を樹脂パテと混ぜて固めた資材を利用し、内部構造を組み立てている。ヒトミは小型の居住スペースへ。膨張式エアロックをくぐれば、部屋の中は既に与圧され、洞窟外にある太陽熱を利用した抽出炉から得られた酸素で満たされている。
『安全確認完了』
ヘルメットを脱ぎ、与圧服を月砂吸引機にかける。採尿パッドを投げ捨て、汗ばんだ保温用下着も脱いで裸になる。月砂を固めたベッドは硬いが、重力が小さいおかげでさほど気にならない。
そうしてやっと、静かになった。
6
希土ヒトミは2010年、鹿児島県種子島に、ロケット開発技師のひとり娘として生まれる。母親のお腹にいる時からH-IIAロケット発射の振動を聞いて育った。ヒトミは母に抱かれ、やがて自分の足で、種子島宇宙センターや内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられるロケットを見て育った。ヒトミが七歳のとき、希土一家は北海道へと移住した。父親が民間宇宙開発会社へ引き抜かれたためだ。その夏、2017年8月29日午前6時2分。スマートフォンから合成音が鳴り出し、ヒトミの母親はコーヒーサーバーを取り落とした。
『ミサイル発射。ミサイル発射。北朝鮮からミサイルが発射された模様です。建物の中、又は地下に避難してください』
ミサイルが東北上空を通過したのはこれまで2回で、1998年と2009年。目に見えない脅威に対するリアリティの感じ方は人によってまちまちだ。ある電車の中では中々鳴らないアラートに笑いが起き、一方である人は恐怖に数分間指先ひとつ動かせなかったという。
彼女の家には広い地下室があった。父の転職した民間開発会社はまだ小さかったため、簡易な加工機を置いたり倉庫として使おうと選んだ物件だった。ヒトミの母はその時から地下に閉じこもる。医師が原因に挙げたのは2点。転居したてで知人が少なかったこと。夫のロケット開発を見続けたことで、ミサイルの現実感が強かったこと。ネット上に公開された朝鮮中央テレビの発射の様子は、確かにロケットのそれとさほど変わらないようにも見える。赤い爆炎を引いてまっすぐ雲の中へと吸い込まれていくミサイル。
診断は不安障害。抗うつ薬を処方されたが、母の言い分は違った。
「怖い。怖いのよ。どうして怖くないの。どうしてみんな、平気な顔をして生きて、当たり前のように外を歩けるの。狂っているのは、私ではなく皆の方よ! みんな、あす死ぬかもしれないのに! ヒトミも、お父さんも! 明日!」
ヒトミがその言葉を聞いた翌日、9月15日、再び火星12号が撃ち出される。
母の日記。
「どうやっても、アラートが消えない。
耳に、残り続けるのだ。
原発事故の折、メディア疲れを起こした私たちはテレビを消した。どれだけの欺瞞があっても、『ただちに』健康被害が無い、という未来から垂れる蜘蛛の糸にしがみつけたから。同期の友人に子どもが生まれようとしていた。彼女から唐突に電話があった。放射性物質を恐れて東京を『脱出』するのだという。かつてのクラスメイトひとりひとりに電話をかけて、自分と一緒に逃げようと泣いた。クラス会で私たちは彼女を笑った。それは制裁だった。かわいそうに。無知な彼女と、理知的な私たち。ある者は憤ってさえいた。恐怖を煽り、社会をかき乱し、余計な混乱を生むのはああいう輩だ、と。冷静で理知的な人々は環境要因のデータを集めて、様々なリスクとシーベルトの量を比較してそこに留まり、偶然みたいな水爆で蒸発した。生き残ったのは彼女の方だった。
恐怖とは、我々の無知が見せる幻影に過ぎない。印象によってリスク計算を狂わされた特殊な精神状態の産物である。前近代の社会でお化けが恐れられたように。データのトリックに落ち込み、反証不可能な陰謀論を信じてしまうように。近代社会においては、「分かる」ことで常にギャップは解消され得る。憑物落とし。プラズマと人魂。説明という特効薬。
いや、そもそも恐怖という感情が、進化上与えられた目的が異なるのだ。それは恒常的な状態と異常事態とのギャップに過ぎず、本来ごく短期的にしか感じることができない。例えば大江健三郎の賞賛した『快復する人間』存在というのも、恐怖感情の麻痺という必然的プロセスの結果では? 私たちは毎朝ロシアンルーレットを回しながら生きることはできない。毎日ノストラダムスの預言が更新される中では。ハイデガーの予言は誤っていた。我々が対峙させられているのは死の不安ではなく、消滅の不安だ。死は我々の生と続いた部分にある。しかし消滅は時を遡り生を消し、時を駆け抜けて未来も消す。ひとたびアラートが鳴れば、五分後に消える可能性を誰も否定できない。五分後の存在を確信できない世界。まるでSFだ。奇妙な世界よ、消えてくれ」
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こんな風に安らかに眠れたのは久しぶりだった。おそらくはあの幸福だった七歳のとき以来、すやすやとそれこそ幼子のように。よだれに濡れたマットレスを見て嬉しくなる。ずっとうまく眠れなかった。ミサイル・アラートが鳴った日には怖くて、狂いそうで、誰かの胸にしがみつかずにはいられなかった。そこまで考えてようやく、自分を抱いてくれた多くの生徒たちが、もはや地球にもどこにもいないことに思い当たった。プライベート回線で見た湯勢ノ島後の画像は、海と僅かに残った岩。
無感情。いつかジャーナリストに聞かれて、生徒に「未来をあげたい」などと答えたけれど、あれは欺瞞だったのだ。いや、そのとき確かにそう祈る自分がいた。だけれど、あんな風に全てが消えてしまっては、あの夏の日々それ自体が疑わしく思える。
洞窟を出れば空には地球。スキップで駆けた。青い球体に向け手をのばす。通信、検索、こちら月面、こちら月面、今日も地球はミサイルの雨ですか? どうぞ? こちらはとても静かです。アラートなんて鳴りません。怖くないんだ。もう怖くない。くるくる、ヒトミは回転するだけのダンスを始める。くるくる。笑う。ロケット部のことも、ハジメやレイナのことも、もう記憶の彼方だった。
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そして作業に取り掛かる。まずは「むくむく」のアップデートが必要だ。一番大きな居住スペースを作業場として、足場を取り払い、別棟のむくむく、工作機械をリフトローバーで運び込む。地球から持ってきた部品がいくつかあるが、すぐに原材料が必要になるだろう。月面には十分な資源があるが、それを取り出す精錬の工程が必要だ。まずは電気炉を大きなものへアップデートする。
溶岩洞入り口付近にも居住スペースが一つ。側に据え付けられた宇宙建築用の3Dプリンターは、月の砂レゴリスを材料にブロック材を出力する。稼働を確かめて、ヒトミは洞窟天井部にある太陽炉と石英ガラスを確認した。電子部品は地中の僅かな部分にしか使われていないシンプルな作りだ。太陽の光をレンズで集め、岩石の化学分解を行って酸素と水素を得、ヒートパイプで熱を居住区へ送り込む。メンテナンスを終えて入り口に戻ると最初の石材ブロックが出来ている。ローバーに載せ作業場に戻ると工場の隅に設置する。一日目が終了。
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日記は彼女が書き継いだ。そうする中で、母の恐怖はゆっくりと彼女のことを冒していった。
「またホテルから銃弾が降って、単独犯による最大死者数が更新された。次の方法はもっと効率的になるだろうか? 無差別に100人を殺した彼が、核爆弾を作らなかった理由は、プルトニウムがドラッグストアで買えなかったこと以外にある? それがやがて、3Dプリンタから出力される日は来ない? ホームセンターの部品を組み合わせ、高校生が飛ばせるロケットの高度と飛距離は年々伸びていく。
都市にいれば、あなたの近く半径30キロには間違いなく殺人犯がいるでしょう。それならば忘れることができる。20キロ圏内にいる爆弾を持った男は? あるいは100キロ圏内にいるテロリストやカルト教団は? 1300キロ圏内にいるICBMを持った独裁者は?
ここに「比較的」合理的な独裁国家が核兵器を保有している。
一方では「非合理的な」人物が無差別に銃弾をばらまいている。
二人の差は未だ技術力で隔てられている。けれど、やがてそれが臨界を迎えないという保証はある? やがてその時が訪れて、地球の裏側にいる大学院生が打ち出した飛翔体が、東京の半径3キロメートルを焼いたりして、そうした世界で狂わずにいるにはどんな風に心を変化させればいい?」
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眠りは深い。彼女は微笑んで固形食を食べコメディ番組の配信を見る。日本のどこかに出たアラートが画面に示されても、月は静かに眠っている。夜半に電気炉のブロックが出力し終わる。居住スペースの一部を解体し、ヒーティング用に縫い込まれた電熱線を取り外して炉にセットする。鋳造用電気炉の製作は、簡易むくむく自作の人気トピックの一つで、ARゴーグルにダウンロードされたマニュアルが手順を事細かに教えてくれる。
彼女のいる嵐の大洋、月の「海」と呼ばれる黒い部分は玄武岩質岩石で、チタンの含有量が4割と高い。自作電気炉の制御は居住スペースの電子回路を流用し、むくむくと一体稼働させる。溶融したチタンが鋳型に入り板状に伸ばされる。月面環境でのシミュレートは行っていたが、玄武岩の性質がまちまちで失敗を繰り返し、三日目が終わる頃にようやくチタン板を作成できるようになった。
ホテル内の食料を確認する。劣化したものもあったが、ひとりがしばらく生きられるには十分な量を見つけた。
むくむくは自分自身をアップデートしていく。μPCを作業場の各所に配置して、レーザー測位は正確に。ローバーはコンベア代わりにシステムに組み入れられて、電気炉からチタン板を運び、折り曲げ加工の後にフラフープ状のホルダーに固定、プレス加工、穴あけ加工、一時間ほどで3メートル程の円筒形が作られる。
シンプルなペンシルロケット。あの懐かしい夏。けれど生徒はいなくて一人きり。燃料にはアルミニウムの金属粉を用いた。月面からの打ち上げは地球のそれに比べて圧倒的に簡単になる。振り払う重力は6分の1と小さく、風や雲も、大気圏の摩擦も存在しない。姿勢制御ジンバルは簡略化したもので十分だ。月の第一宇宙速度、すなわち衛星が軌道を周回するために必要な速度は秒速1.7km、地球の4分の1でしかない。ペイロードに積んだスマートSatは問題なく切り離され軌道周回を始める。
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スマートSat。スマートフォン市場がやせ細った際に、当時のメーカーが飛びついた新分野。スマートフォンにアタッチメントを接続し、小型人工衛星として運用する。人々が狂ったように次々軌道へ打ち上げ、ロケットバブルを膨らませたペイロードがこれだった。複数台を連結し、局地的な私的ミサイル早期警戒網を作り上げる。実効性に対して疑問の声は大きかったが、少なくとも「何かする」ことが人々の安心に寄与した。最初は数台程度の蜘蛛の巣、それがネットワークが広がって立体的な全天監視に結びついていく。
では次の商品に、ミサイル防衛などいかがでしょう? 99万円から購入できるプライベート・パトリオット・ミサイルを、企業や自治体も購入配備して「ミサイル安全都市」をうたいはじめる。連動してロケットは普及、安価となり、ロケットピアへ流れる資金も増えた。
ミサイル側も知能化して、結局ミサイルは東京を含むあちこちの都市を毎年抉っていった。新型ミサイルに対応するためにはアップデートが必要です。OS開発は安全保障そのものになる。
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月を周回するスマートSatが大量の情報を伝えてくる。
「分析開始。優先はロケットの位置。次にヘリウム3の高含有土壌」
『地図データ分析開始』
午後からは資材の回収にお出かけしよう。この2年間の間に、ヒトミは3機のロケットを月面に運んでいた。ロケット甲子園のコンテストと、その準備として民間宇宙企業に依頼したもの。1機は宇宙ホテルのVRツアーのためのもので、すぐ近くに発見できたが、他2機は少し離れた位置に落下していた。どの機体にも秘密のペイロードが積まれていた。核融合エンジンの内部構造はヒトミの管轄するブラックボックスで、都合良く余剰スペースを作ることができたからだ。
この時を待ち続けていた。計画は遥か、母が恐怖に押しつぶされて自分の生命を断った日から。
運転をオートドライブにまかせ、宇宙放射線の被爆も構わずにローバーの荷台に寝転んでみる。居眠りでもすれば太陽の熱で焼け死ぬかもしれない。でもここには動くものもなく、頭上の青い星よりずっと居心地が良い。秘匿衛星からの通信を捕まえる。また核が落ちた。日本はあっけなく加害者に回った。報復する相手もよく分からないままに。人類の絶滅までの時間を示す「終末時計」がまた少し進んで、23時59分59秒を指したらしい。次は10分の1秒単位になるのだろうか? その針の位置に意味などないことを既に私たちは知っていた。
日記。
「かつては誰もが未来のために生きていたらしい。明日は今日よりも良くなっていく。ドストエフスキーに曰く、人生を愛することと子どもを愛することは等しいものである。子や孫たちのために環境や経済状況を守り、未来へのバトンを受け渡す。自然科学者たちにとっては積上げた実証の山こそが真理への道だったし、俗世を離れた神秘家でさえも、「いつか」神と一体になるといった期待を胸に歩いてしまう。資本は未来へと投資され、共産主義国家も弁証法の階段を無限に登って行く。
子ども(みらい)が愛されれば死者(かこ)はないがしろにされる。だが、ひと度悲劇が起きればそれも入れ替わる。例えば大戦、例えば震災の後に、死者にはウェットな意味が持たされる。犠牲、身代わり、神、幽霊、あの人は未だ私の中に生きています。
生が確率的なものとなるとき、未来は揺らぐ。生−権力は欺瞞のヴェールを剥ぎ取られ、むき出しの不安が吹きつける。もし繋いだ手が反対側であったなら、もしあの電車に乗っていたのであれば、もし右の道を進んでいれば、天使のようなあの子は生き延びて代わりにこの愚かな私が生き延びていただろうに!
東京が消えたときのことを覚えていますか?」
ヒトミはローバーの中に戻った。
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資材を回収して基地に戻り、三週間目が始まった。ロケットからの資材をもとに「むくむく」は2台になり、スマートSatを追加で2機打ち上げて鉱物資源の位置を特定する。月の土壌には太陽風由来のヘリウム3が含有されている。地球上には珍しいこの同位体を利用すると、熱核融合反応のハードルは大きく下がる。
百キロ地点に見つけた採掘候補地。レゴリスに豊富に含有されるケイ素でレンズを作り、太陽炉を量産して抽出作業を行う。600度まで熱したレゴリスから得られるヘリウム3をタンクへと詰めていく。採掘ローバーを製作するのに時間を取られ、被曝量も予想よりずっと大きくなった。首にかけていた線量計を投げ捨てる。
溶岩洞の中には無数の円筒が並び始める。ロケットと呼ぶべきか、ミサイルと呼ぶべきか、ちょっと迷うなぁ。機体は炭化ケイ素セラミックを焼成したものとチタンの組み合わせ。ノズルにはレゴリスブロックを断熱パネルとして貼りつけた。電装系のケーブルはロケットや居住スペースのものをリサイクルする。雨もないのに月面にむくむくと生えるキノコ。
ヒトミの毎日は充実して幸せだった。微笑みは心から。あのジャーナリストが生きていたなら、その横顔を撮影出来ないことを悔やんだだろう。今が彼女の夏だった。
「ロケットの夏だ。青春だ」
つぶやけば月面の海を渡る月砂の潮風。誰も答えない静かな青春だった。
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ひと月後にはロケット工場も軌道にのり、難問であった小型核融合炉のリバース・エンジニアリングに取り掛かる。核融合炉とロケットエンジンには幾つかの共通点があり、要件も似ている。共に超高温・超高衝撃・高圧に耐えうる素材。基本構造にロケット外壁と同じ炭化ケイ素プラスチックを用いる。球形の炉心の中に、マグネット・コイルを巻き付けたチタン合金のドーナツが入り込む。一体成型を行うことでコンパクトなプラズマ閉じ込め装置が出力される。
核融合炉とは、水素爆弾の点火装置そのものだ。エネルギーを制御すれば発電装置になり、解き放てば連鎖反応で爆発する。ロケットとミサイルが原理的には同じものであることと似ている。そもそもアメリカの宇宙開発を牽引したフォン・ブラウンからして、史上初のミサイル、V2の開発者だ。アメリカのアトラスロケット、ロシアのドニエプルロケットも原型は大陸間弾道ミサイル。ペイロードの人工衛星と核弾頭を入れ替え、誘導装置を取り付け一丁上がり。
でも大丈夫。
怖くない。
「抑止力」の主語はいつも主権国家! 分かるでしょう。国家はあなたとは違います。個人よりも遥かに客観的で理知的で複合的な存在であるため、まさかまさか、核のスイッチを押すことはありません。あんな威嚇は屁と同じだ。核が70年間使われなかった事実だけでは不満ですか? 歴史を修正しておいたほうがよい?
キューバで起きた狂乱? 何のことですか?
専門家の解説を聞いてみましょう。
『北朝鮮も国家にほかならず、その核実験やミサイル発射も、外交的なある合理性に基づき捉えうる。戦略核弾頭を取り付けた弾道ミサイルが日本の都市部に落とされる可能性は、無視してよいほどに低い。それは国家を崩壊させる自殺行為であるから!』
その解説が限りなく正しかったとする。
「しかし、それでは私たちの恐怖はどうなりますか?」
私たちの怯え。
私たちの不安。
幼子を抱いて眠れずに震えて過ごした夜。
「あなたがその恐れを忘れたとき、同時に未来も少し忘れているのではありませんか?」
7
ソ連の中距離弾道弾がトラクターで島中に配備されていた夜、キューバの首都ハバナでは夏祭りの花火が空を彩り、人々が踊り明かしていた。ヒトミは地球を見上げる。今も子どもたちは踊っているだろうか。ヒトミも踊っていた。月面の低重力で弾むスキップ・ダンス。
青春とは、今を生きることに他ならない。未来を忘れ、過去も忘れる。人がロケットに魅せられる理由は、衛星の有用性などではなく、それが究極の浪費だからだ。怖ろしい程の未来(エネルギー)を犠牲に打ち上げる。何もかも全てを失ったとき、どこか清々しさを感じたことはない? それは昨日までの全てを、この夏を、一瞬にして燃やし尽くす。青春はそれが終わる瞬間に最も輝く。
未来は疎まれた。過去は忘れられた。子どもは疎まれた。死者は忘れられた。今ここにいる私たちが全てになった。あの星では誰もが今を生きている。その心地よさをようやくヒトミは知った。
永遠の夏。私も、ここでこうして、いつまでもロケットを作り続けていたい。
そう思った途端、耳の奥でアラートが鳴った。とうとう月まで追いかけてきたんだ。
嵐の大洋に100機のミサイルが並んでいる。ツクヨミ・ロケットと同型だが、固形ブースターは不要。月の重力圏からの離脱にはメインロケットだけで十分なのだ。十分高く飛び上がれば、あとは地球の重力が捕まえてくれる。新月の月面は暗く冷えて、代わりに地球の照り返しが辺りを染めていた。
核融合炉がロケットに取り付けられ、ペイロードにはヘリウム3の詰まったタンク。地球から乗ってきたツクヨミ1にだけは、人ひとりがようやく滑り込める操縦席がついている。そこに身を滑り込ませ、純粋水爆の一部となって、ヒトミは、レイナの組んだデブリ回避プログラムを迎撃ミサイルの回避シーケンスへと書き換えていた。目標は日本を含む世界十二の核保有国。その領土の全て。
「母さん、私、迎撃ミサイルにはなれなかったけど、でも、でもね。きっとこれでもう、怖くないよ」
こうして彼女は小さな頃からの夢を果たす。
点滅するデータのように、人間が突然に消えることのない世界。
警報に怯えることなく、空の下を歩ける世界。
当たり前に未来を待つことのできる世界。
核なき世界。
文字数:32408