反復の誘惑
あいちトリエンナーレ2019が終幕した。様々に物議を醸したこの芸術祭がどのような問題を含んでいたかについてここで詳しく議論するつもりはないが、各々が各々の「正義」を唱え対立を激化させていく様は、過ぎ去った冷戦の時代を彷彿させた。かつて世界を二分していたヘゲモニー争いは、形を変えて再び駆動する。個人に割り当てられた過分な「自己責任」を「正義」に代弁させるためだ。ここには過去の反復がある。
新芸術校第5期グループ展Cは、「おどりじー々々々ー」と題された。展覧会ステイトメントによれば、「々」というそれだけでは自立することのない文字は、弱い個人に見立てられている。この文字の直前に置かれるはずである代替不可能な参照点としての過去を、作家各自が見つけだそうという試みだ。それゆえこの展覧会は、どこか「懐かしさ」の感じられる作品がいくつか見られた。参照点としての過去が思い出される際に生じる郷愁が見られたのである。
神尾篤史による《第2回 片田舎凡芸術協会展》は、そうした郷愁を端的に湛えていた。地方都市のアートシーンをパロディ仕立てにしたこのインスタレーション作品では、キャンバスではなく紙や段ボールを支持体とする小型の絵画群が所狭しと掲示されている。これらは付属の擬似キャプションや「第2回 片田舎凡芸術協会展」「市美術賞」「お金券」といった掲示物と同等の扱いで掲示されることで、常に他者に判定されてきた美術作品の「価値」を漂白する。しかしこうしたパロディは冷笑に陥っているわけではない。作品内に挿入された「おまえは死んだほうがいい」「絵、好きだな。」といった自虐的な文言は、インパクトのある絵柄と色彩を帯び、熱を持って訴求してくるからだ。ここには福島県出身である神尾が、都会(東京)への憧れによって地方都市が位置付けられることに憤りを覚えながらも、同時にそんな故郷への屈折した思いを募らせていることの分裂が表れている。会期中Twitterでは神尾の作品画像を付したツイートが散見され、また講評会の中継時には「俺たちの神尾」といったコメントが流れていた。そうした反響を見る限りでは、この《第2回 片田舎凡芸術協会展》は人気を博していたと言える。己の出自に愛憎を持ち、外部に羨望と嫉妬を抱いたことのある者にとって、この作品は馴染みの深いものだったであろう。しかしながら、そうした在りし日の思春期を思い返すように郷愁を誘うことの深刻さをもこの作品は含んでいる。地方都市が都心に代わって基地や原発を請け負い、観光や「ふるさと納税」等への依存によって生計を立てている以上、都会/地方の対立的な構図は未だに解消されないのであり、この問題はあまりにも現在進行形である。
対して、紋羽是定の《それ・ぞれ》と、小笠原盛久の《息子》は、静的な過去へのアプローチをめぐる作品であった。
《それ・ぞれ》は、紋羽の身長をも越える高さのガリレオ温度計だ。細長い筒状のガラスの中には水が張られており、その水中をコアと呼ばれるマリモのような小物体が上下することで、温度を測ることができる。この堅牢そうに見える装置のそばで、紋羽は運動していた。照明と繋がれたペダルを漕いで発電したり、紋羽自身が筒に抱きついたりして、水温を随時調整しているのである。震災で亡くなった友人に見立てられたコアを、己の体温と同等の温かさにするためだ。金属、ガラス、水といった涼しげな質感の装置を前に、汗を掻きながら忙しなく動く無様な肉体がそこにあった。亡くなった友人を思い、コアを温めようとすればするほど、紋羽が動的であることとコアが静的であることの対照が証明される。あるいは、コアの変化は紋羽に依存していたし、また作品はそうしたコアの変化に依存していた。伴う対象を求める「おどりじ」とは、時にそうした不平等や依存関係を指しもするだろう。
小笠原盛久は、静的な過去を、絵画の記録機能へと還元させた。亡くなった自身の子息と、その持ち物を描いた作品《息子》は、小笠原の過去を絵画として定着させることで代替不可能なものにしたのである。しかし、複雑で精緻な塗りを重ねた肖像画と、曖昧でやや乱暴な背景の上に描かれた靴やシンバルは、同質ではない。こうした描写の相違は、代替不可能なはずの記憶に対する揺らぎを予感させる。そんな揺らぎを打ち消すかのように、肖像画のそばには子息の皮ジャンやギターやキーホルダーといった実物が置かれていた。しかし、むしろこれらは置かれない方が「おどりじ」という本展の問題提起をより複雑化できたのかもしれない。絵画上で新しく創造された参照点に、実物というエビデンスが加わることで、視点を再び過去に追いやってしまうリスクがないだろうか。
ヘーゲルは対立によって異なる二者を世界に位置づけることができるとしたが、そこにはアンチテーゼを対立関係に回収し、抵抗したいはずの対象が持っている権力をかえって肯定してしまう欠陥構造があった。紋羽・小笠原の作品はそうした構造の反復とも捉えられる。死者を思えば思うほど、死者は懐かしく遠い存在として離れていく。死が絶対的に立ちはだかる仕組みによって両者の作品は支えられていた。今あえてこの反復をおこなうことは、対立するヘゲモニーという現状へのアイロニーであるとも捉えることができる。しかし、この繰り返される反復から脱出するためのヒントおよび解答は示されない。
この対立自体を保留したのは杏子の《座ってもいいですか?》であった。椅子に変身してしまった女の子を描いたというこの絵画作品では、四つ脚の椅子の座面と背面あたりに女の子の顔が一部埋め込まれている。岡本太郎がかつてデザインした《坐ることを拒否する椅子》を彷彿させるこの奇妙な絵画は、しかしながら太郎のプロダクトとは異なり、平面作品である。眼が生じることによって椅子は能動を帯びたように見えるが、その能動が動かざる平面世界に収まることによって、閉鎖空間に閉じ込められた存在の窮屈さが描かれようとしているとも捉えることができる。では、そうした閉鎖空間からの解放を訴えている作品であるのかと言えば、そうとも捉え難い。椅子の座面にはさらに小さな椅子が埋め込まれており、その小さな椅子にも女の子が埋め込まれている。椅子と女の子がマトリョーシカのように入れ子状に描かれているのだ。この椅子は「坐ることを拒否する」という強固な意志を訴えているのではなく、「座ってもいいですか?」という問いの反復それ自体なのである。よって「座ってもいいですか?」という問いはこだまし、質問者と回答者の役割は宙吊りにされることになる。この絵画の中では、見る/見られる、問い/答え、あるいは主体/客体という対立関係は保留され、「々」という文字がそれ自体で成立する。現在形の反復に郷愁は伴わない。
あるいは藤井陸の《呼び名》もまたそうした問いの中に留まろうとする側面が見られた作品であった。《呼び名》は狭く薄暗い小部屋のような空間の中、モニターやiPhoneに映し出された映像、音声、絡まり合ったケーブルやLINE画面をプリントアウトした紙といった複数の要素により構成されている。作品中では、藤井の名前を取り巻く「藤井隆」という誤読や、同姓同名の他者に付けられたニックネーム、旧姓等をめぐり、固有名詞に対して発生するアイデンティティの揺らぎが取り扱われた。しかし揺らぎは都度寄り戻され、映像内で藤井は結局のところ自身の名前に帰ってきてしまう。そうした藤井自身がこの小部屋に立ち、白い壁に黒いマジックで延々と文字を書きくだし続けるパフォーマンスもおこなわれていた。このシニフィアンとシニフィエを行ったり来たりするパフォーマンスは現在形の反復であり、それ自体では意味を持たない「々」と最も親和性の高い作品がこれであった。
椹木野衣は著書『日本・現代・美術』の中で、歴史を忘却し繰り返す日本を「悪い場所」と捉えた。「おどりじー々々々ー」では、例えばそのような「悪い」特性に対するアプローチとして、「々」が付随する対象=参照点をまず自身で設定することが試みられたと言えるだろう。しかしながら先述したあいちトリエンナーレ2019をめぐる騒動を見る限りでは、1998年に出版された『日本・現代・美術』でなされた批判は未だに解消されていない。そのことの深刻さのほうがリアリティを持ってしまった現在においては、展覧会ステイトメントに記されていた「分断された『私』たちと『世界』を再統合しようとする試み」という言葉は空転する。そうした無力感への静かな抵抗として、杏子の《座ってもいいですか?》や藤井のパフォーマンスは機能していたのではないか。あるいは、神尾の作品が人気を博したことや、紋羽の作品に見られた肉体と物質の非均等、小笠原の作品が含んでいた記憶の揺らぎといった、本来作品が訴えたかったことではないイレギュラーな事柄こそが、むしろ「分断された『私』たち」の姿として真に迫るものがあったのかもしれない。
最後に、本展のキュレーションについて追記しておきたいことがある。キュレーターを務めた須藤晴彦・鴻千佳子・鈴木杏奈の3名のうち、須藤がこのサイト上に今回の展覧会に関する文章を寄稿している。このサイトは展評を投稿するものであり、また展評は当該のキュレーターが書くものではない(キュレーターの批評は事前のステイトメント上でおこなわれる)。事後、展覧会がどうであったかのジャッジメントは鑑賞者に開かれるべきものであり、キュレーターはそうしたジャッジを世に問う側の存在でもある。よってもしキュレーターが何かをオープンに寄稿するのであれば、それは他者の展評に対する応答になるのではないだろうか。しかし須藤が寄せている文章はそうした他者への応答ではなく、ステイトメントには書けなかった各作家の事情や、展覧会を振り返るかたちでの熱のこもった私見である。他者に開かれるべき時点において自己語りをすることは全てを網羅したいというキュレーターの欲望が肥大した結果であり、また作品や展覧会が会場で表しきれなかった裏の事情を展評と同列に並べようとすることは鑑賞者への裏切りである。こうした須藤の関係者に対する慈愛の眼差しによってグループ展Cの穏やかな展覧会会場が作られることになったのかもしれないが、一方で、過去の参照点を強調することで生じる「懐かしさ」もまた誘発されたのではなかろうか。とはいえ、展覧会がどうであったかの検証の手段は定かではなく、オルタナティブな美術の現場においては特にそうした検証を手助けするアーカイブの機能が充実していないことは明白である。この問題については、引き続き考えていく余地があるだろう。
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