大国風話

梗 概

大国風話

狼山から塩海に至るまでの、広大な版図を占めた儀国王、螞帝(ばてい)。
権謀術策にすぐれた王であったと伝えられている。いかなる辺境の地でも、叛乱でも企てようものなら、あくる日には連なる者すべてが吊るされた。
狂王であったという評もある。属州から后たちを召し上げると、儀封宮とよばれる巨大な地下宮殿に集めた。皇子を産んだ后は、首を刎ねられ地上へと帰された。
ただ、それらは風伝にすぎない。王を知るものは、側仕えの丑角(宮廷道化)たちを除けば、誰も居なかったのだから。

新たに属州となった、大陸の南端にある泰越国に、第1283皇子の珀公が送られてきた。螞帝の皇子たちは、ものごころがつくと属州に送られ、長じるとまた都に戻るのが習わしであった。

珀公は、狷介な父とは異なり、臣たちとも親しんだ。
泰越王の娘である星河も、よく懐いた。星河は、頑なに王宮から出ようとしない珀公をつれ、背丈ほどもある大きな南瓜のあいだを走りまわって遊んだ。
ある日、星河は、年嵩の珀公を見おろしながら言った。
「大きくなったら都にいって、お嫁になってあげる」
珀公は表情を凍りつかせた。
「都に近づいてはならぬ」

珀公が帰り、五年が経った頃。
都から使者が遣わされてきた。星河に、螞帝の后となることを命じるものであった。
星河は、狼狽する泰越王をなだめ、その命を受け入れた。実のところ、珀公に会いたかったのだ。

だが、都に着いても珀公の姿はどこにも見当たらない。
困惑する星河の前に、黄角と名乗る、好々爺然とした道化があらわれた。珀公のもとに案内してくれるのだという。

黄角に連れられ、儀封宮を潜っていく星河。たどり着いたのは、螞帝の居室。
丑角たちに取り囲まれ、王の面前にとおされる。
そこにあったのは、異形。
皇子たちの躰が積まれ、巨大な蟻塚を成している。顔面の孔から這い出た無数の蟻たちが、塚の表面に幾何学的な模様を描き出す。蟻が分泌する化学物質によって連結された集合知性体――螞帝。
螞帝は皇子たちを各地に放ち、収集した知識を自らのなかで統合。その大知性で未来を予測演算し、国を治めていたのだ。

王に操られた黄角が、珀公の顔を這い回る蟻を払いのける。いっとき、脳同士の結合が解け、意識が目覚めた。
「星河よ、なぜ来てしまったのだ」珀公は悲痛な声をあげる。
泰越国で王宮に篭り、知見をその頭に蓄えようとしなかった、珀公への戒めだった。

だが、星河は花のように微笑んだ。
「迎えに来たよ、珀」
瞬間、天が崩れる。穿たれた狭間から、赤い大蛇がのたくるように降り、蟻塚に突入する。すくい取られる、大量の蟻たち。
大蛇と思われたものは、巨大な舌であった。狭間から覗くのは、蟻を主食とする、巨大なセンザンコウ。すべてが大きい泰越国で、山のように育っていた。

星河は珀公を蟻塚から引きずり出した。躰は退化し、枯れ木のよう。
この形では生きてはおれぬ、と嘆く珀公。
「なによ見栄をはって。細いのは昔からでしょう」
星河は、珀公をひょいと小脇に抱え、地上目指して駆け上がった。

文字数:1237

内容に関するアピール

◯センザンコウ:センザンコウ目センザンコウ科に属する哺乳類。アリクイに食性が似ており、発達した前足の爪でアリの巣を壊し、長い舌で捕食する。全身を松かさ状の鱗で覆われていることが特徴。

◯行政文書の形式すら確立していなかった古代中国で、いかにしてあの広大な領土が治められていたか。いまだ、謎が多いようです。

◯盤古から后稷まで、古代中国といえば巨人。『山海経』によれば、大人国(巨人の国)は君子国の南にあったとのこと。

◯この梗概は、ジャンルでいえばバカSFです。

◯クライマックスといえば、November Rain のアウトロ(もはや大サビ)のこと。
そんなイメージで、サビである螞帝の正体のあとに、センザンコウ登場をかぶせてクライマックス感を出す狙いです。もっとも、NRのような叙情感はありませんが。
泰越国の動植物がとても大きいということは、叙述トリック的に描写し、クライマックスまで隠しておきます。

文字数:397

大国遊記

 大行列が往く。
 漆黒の戦袍を着た士官が先頭に立ち、その後を戈を肩に担いだ甲兵たちが隊列を組み従っている。隣国に攻め入るため進軍しているところかと観ると、どうも様子が違っている。甲兵たちの後には、色鮮やかな衣装をまとった鼓吹技人たちが、筑(琴に似た楽器)を奏で、歌い舞いながら連なっている。
 華やかな音曲が流れるなかを、二頭の馬にひかれ、朱色で塗られた大きな儀装車があらわれた。車の左には黒い罕旗かんきをかかげた武人が、右には白い罕旗をかかげた武人が従っている。
 黒と白の罕旗は、儀国の王族があることを示すものであった。
 行列は、泰越へと続く大街道を進んでいた。道の傍にある鳳凰木は、花の盛りを迎えており、赤い花が樹冠を覆い尽くしている。まるで、一行の訪れを祝うようでもあったが、列をつくるものたちは眼をやっている余裕などなさそうであった。いずれも渋面をつくり、耐えるようにして歩を進めている。
 ひたすらに暑いからだ。
 先頭の士官も、着込んだ戦袍の隙間から汗が滲み出している。気をはっていなければ、熱で意識が飛んでしまいそうなほど。そのようなわけで、最初士官は目にうつった光景を幻かと思った。
 大街道の中心で、少女がぽつりと立っている。
 行列が近づいても道脇に避ける様子もない。
 さらに進んでも、幻のように消えてしまうわけでもなかった。
 先頭にあった士官は、少女の目の前まで来て歩を留めることになる。自然、行列全体の進行が止まる。音曲もやみ、熱暑の地に静寂が戻った。
 士官は暑さに崩れた顔をしゃんと正し、威厳をこめてこう言った。
「童よ。命が惜しくば道を開けよ」
 道にあったのは年端もいかない少女である。一行の安全を預かる士官とはいえど、いきなり処断するというのは気がひけたのであろう。
 だが、少女はひるむ様子もなく、
「珀公さんって人を迎えにきたのだけど。もしかして、あなたがそう?」と訊きかえしてきた。
 士官は言葉を失った。
 なぜ、この少女は珀公様の御名を知っているのだろうか。それより、辺境の地とはいえ、儀国の皇子に対してまさか「さん」呼ばわりするものが居ようとは。
 やはり、切り捨てるしかなかろう。
 士官が腰に帯びた銅剣に手をかけたとき、儀装車の中から、朗々と轟くような声があった。
儀国王螞帝ばていが第3283皇子、珀公とは余のことである。迎えにきたというのなら、童女よ、そなたも名乗るがよい」
 負けじと、少女も大声を張り上げる。
「あなたが珀公さんね。わたしは、楚繹の娘の星河っていうの。よろしくね」
 楚繹といえば、泰越の王である。
 士官は、少女にどのように対応したらよいか迷った。
 泰越の王は、首国から遣わされた皇子を迎えるというのに、この娘ひとりをよこしたというのであろうか。もしかすると、これは蛮夷の風習であって、敵意がないことを示すため、もっとも非力な親族を遣わせたのかもしれない。だが、少なくとも儀国の礼からは大きく外れる行いである。これが我々を侮ってのことであれば、許すわけにもいかない。
 士官が悩んでいると、ふたたび珀公の声が轟いた。
「星河よ、大儀である。では、これから余を泰越の王宮へと案内するがよい」
 そう言うと、珀公はみずから儀装車から降りてきた。
 星河とそれほど歳が変わらぬ子供である。絹糸で織られた黒の上衣と白の下裳には、ところどころに玉が散らされてあった。目深にかぶった冕冠べんかんのせいで、表情をうかがい見ることはできない。
 平伏した士官は珀公に進言する。
「畏れながら申しあげますが、ここは蛮夷の地であります。御身ひとつで往かれては、どんな危険があるかわかりませぬ」
「星河は、泰越王が遣わせた迎えである。なぜ、危険なことがあろう」
「ですが」
 異を唱えようとする士官に、珀公はねぎらうように応えた。
「心配は不要である。お主らも遠路大儀であった。都に戻るがよい」
 珀公のその言葉に、士官も内心ほっとしたところがあったのだろう。大行列はくるりと方向を変え、来た道をさっさと引き返していった。
 喧騒が去ると、大街道には子供がふたり残されるばかりとなった。
「では、星河よ。往くとしようか」
「ここから、ゆっくり歩いても三時間くらいだから、晩餐までには間に合うと思うよ」
「歩く?」これまで泰然とした様子をくずさなかった珀公も、さすがに少し驚いた様子で、
「車も、馬さえも無いというのか」
「なんで。もしかして、珀公さんって歩けないの?」星河は訊き返す。
「そういうわけではないが」
「だったら、いいじゃない。王宮はこっちだよ」
 そう言って、星河は珀公の手をとる。
風が吹き抜ける。路側の鳳凰木がゆれ、鮮赤の花びらがひらひらと散った。泰越国に向かう道はまっすぐに進み、その果てが陽炎のように揺らめいている。青く抜けた空の遠くでは、尾の長い縞白鷴しまはっかんが翼をひろげ、けーんと甲高い鳴き声をたてる。
 どこまでも続くその大街道を、小さな二人は手をとりあって歩きはじめた。

●○●○

 さて、二人が泰越の王宮にたどり着くまでには、まだまだ時がかかりそうである。
 その間、先ずは儀という国家と、それを統べる螞帝という王について記しておくことにしよう。
 儀国とは、狼山から塩海に至るまでの、広大な版図を占めた王朝である。その建国を成し遂げたのが、螞帝である。螞帝は、当時点在していたゆうをまとめあげ、大陸のほぼ半分を自らの勢力圏として治めた。
 儀国は、大陸に打ち立てられた初めての統一王朝ということになる。それにしても、螞帝は如何にしてその広大な領土をまとめ上げることができたのか。
 当時、最速の移動手段は馬であって、一日に十五里(約60km)も往くことができれば駿馬と呼ばれた。情報を伝達するには、通信士と呼ばれる役職のものが口述で伝える手段しかなかった。文字はあったが、甲骨や青銅器に刻まれた金文は、情報を伝えるというより呪術的な意味合いが強い。文字に刻むことにより、俗世に事象を固定するのである。
 そのような、政を執行するには厳しい条件のもと、螞帝が広大な領土を制御できたというのは、ひとえに彼の超人的な手腕によるものであったといえよう。超人、というのは大げさな表現ではなく、螞帝は当時にあっても人を超えた存在として捉えられていた向きがある。
 儀国では、幼子がなかなか寝付こうとしなかったり、子供が農作業を手伝わず遊びにいこうとしたとき、必ずこう言ってきかせたという。
「悪いことをすると、みんな螞帝様が見ているんだよ」
 子供たちはみな顔を青褪めさせ、幼子であれば失禁すらして、親の命に従うしかなかった。これは、聞き分けのない子供に対する方便でもあったが、螞帝が悪事を全て見通していたというのはあながち誇張でもない。
 儀国の都から千里あまりも離れた、辺境の村落のことである。
 あるとき、この村がはげしい干ばつにみまわれたことがあった。だが、いくら作物が不作だったからとはいえ、儀国から課される税が減ぜられることはない。このままでは、村の生活が立ち行かなくなってしまう。そこで、長老の家である密談が交わされた。儀国の支配からのがれ、対立していた羌族に庇護を求めようというものである。
 そして、翌日。長老の家先にあった花梨の大木には、密談に参加したものすべてが、鈴なりに成った果実のようにぶらぶらと風に揺れていた。
 残された村人は首をひねった。都から早馬を飛ばしても二月はかかるこの村で、なぜ企みが即座に露見したのであろうか。だが、考えこんでいる余裕はなかった。村人たちは、あわてて翌年のための種籾を倉から出し、租税を納めたという。翌年以降、その村が存続していたかどうかは、史書に伝えられていないので知る由もない。
 このように記していくと、螞帝というものは仙人か、鬼神の類であったかのように思えてくるが、そうではないだろう。あくまでも世俗の王であった。その証拠に、仙人であれば子を成すことはないが、螞帝はたくさんの皇子を残している。
 だが、子の作り方があまり良くなかった。これが、後世までその名が狂王として記憶されることとなった所以のひとつだといえよう。
 儀国とは、百を超える邑を束ねる連合国家であった。螞帝は、それぞれの属邑から数年おきに后を献上させると、儀封宮とよばれる巨大な地下宮殿に集めた。后たちは、御子を授かるまで宮殿でゆるりと過ごし、皇子が生まれると地上へと返された。
 儀封宮から出るときには、首と胴が離ればなれになっていたという。
 后たちの美貌も、首を刎ねられては台無しである。なぜ、螞帝はかようにも残酷な行為をはたらいたのか。これは、螞帝の嗜虐趣味によるものというより、彼の用心深さによるものであったと推測できる。
 螞帝は、血がつながっている皇子たちと、丑角(宮廷道化)たちをのぞけば、何人たりとも側に近づけようとしなかった。国を動かすための政は皇子たちだけに補助をさせ、身の回りの世話など宮廷内の雑事はすべて丑角にまかせた。この、螞帝の徹底した秘密主義が、子を産ませた后たちですら首をつなげては宮殿の外へ返さないという、極端な行動に至らしめたのであろう。
 ここまで螞帝にまつわる話を記してきたが、これらは正史に残されているわけではなく、すべて風伝を繋ぎ合わせたものにすぎない。もとより、まともな文献として残るわけもないのである。
 儀国の長い歴史のなかで、螞帝の側にあって命を永らえたものは、皇子と丑角たちを除けば誰もいなかったのであるから。

○●○●

 さて、そろそろ星河と珀公の二人は、泰越の都に近づいてきた。
 街道の脇に自生した樹木は次第に高くなっていき、すっかり密林のなかを分け入っている様子になっている。湿度がいっそう増し、慣れていないものには辛い気候であろうが、幼い珀公は文句ひとつもいわず黙々と歩を進めている。
 道すがら、好奇心のつよい星河は、珀公へ次からつぎへと質問を投げかけた。
 なぜ、珀公さんの着物ってそんなにキラキラしているの。
 これは、玉というものを縫い付けているからである。玉には魔を退ける力があるため、長旅で災いが降りかからぬようこのような装飾を加えているのだ。
 なんで、そんなへんてこな帽子をかぶっているの。
 これは、冕冠と呼ばれるものである。おのれの官位を示すため、皇子たるものはこの冠を着けていなければならないのだ。
 そして、星河は最後にこのような質問をした。
「どうして、さっきからずっと眼を閉じているの?」
 これまで、よどみなく応えていた珀公であったが、少し考え込むような様子を見せて、
「余がこの泰越に遣わされたのは、この地に巫呪を授けるためである。余が預かる呪能とは、神権を持つ螞帝から分け与えられているものであり、もとから己の裡に備わっているものではない。そのため、預かった呪能が散逸しないよう、眼を閉じていなければならないのだ。お主には、まだ少し難しい話かもしれないがな」
 星河は、ぷうとむくれて、「わたしが子供だと思って、そんな説明をしているんでしょ。きちんと分かるんだから。それに珀公さんだって、そんなに歳かわらないじゃないの」
 そのようなやり取りをしているうち、王宮の姿が見えてきた。

 泰越王である楚繹の王宮は、樹齢千年を超える鉄刀木で組み上げられた、高床から屋根までが百尺(約30m)を超える巨大な木造建築物である。この大きさは、威を示すためというよりも、実利的な意味合いが強かった。
 泰越国は、稲作発祥の地のひとつとして考えられている土地である。稲作が大規模化するにしたがって部族社会がまとまり、自然発生的に邑となった。そのため、王は絶対的な権力を持ち合わせているというより、生産を円滑にするための長といった性格が強い。王宮とはいっても、どこか田舎の集会場といった雰囲気が漂っており、民たちも自由に入ってくることができた。稲刈りの時期について相談したり、祭りの打ち合わせをするためにも、この場が利用されていたようである。
 そのようなおおらかさの反面、泰越は戦闘集団としてのまとまりが非常に脆弱であった。王のために団結して戦うといった気風はないし、楚繹としても自らのために死を賭して敵に立ち向かえなどと命令するつもりもない。
 争いを好まぬ楚繹は、拡大を続ける儀国の勢いをみて、とてもこれはかなわぬと早々に観念した。攻め込まれるよりも先に、通信師に命じて剃髪した髪を儀国に届けさせ、自ら恭順の意を示したのであった。
 それが、ちょうど一年ほど前のことである。
 その返書がわりに、このたび儀国から送られてきたのが、第3283皇子の珀公であった。
 儀国とは、神から与えられた王権によって属邑を従える神権国家である。螞帝より呪能を分け与えられた皇子たちは、属邑に赴いて巫呪を授ける。属邑は、その見返りとして租税を納める。これが、国家統制の核となる制度である。現代の我われから見ると、釣り合いが取れているのかと疑問に思ってしまうが、それだけ呪術の価値が高かったということなのであろう。
 そういったわけで、螞帝の皇子たちは皆が巫祝としての性格を持ち、ものごころがつくと属邑に送られ、長じるとまた都に戻るというのが習わしなのであった。皇子たちは、直接に属邑を支配するために都から遣わされてくるわけではない。巫祝として、儀国の神の威をつかってその地の祖霊を鎮め、安寧をもたらすための存在なのである。
 実のところ、儀国の皇子たちはそのような表の役割のほかに、螞帝からもっと実利的な命を受けていたようなのだが。
 それについては、また後で記すことにしよう。

 泰越の王宮に到着した珀公は、勧められるがままに玉座についた。
 その面前に、泰越王の楚繹がどすんと腰をおろし、頭を床にこすりつける。
「珀公様、こんなへんぴな邑にようこそいらっしゃいました。何もない田舎ではありますが、心ばかりのおもてなしをさせていただきますので、どうぞごゆるりとお過ごしくだしませ」
 楚繹としては、臣下の礼を取っているつもりなのであろうが、儀国風のしきたりをまったく知らないので、都会からやってきた子供を迎える田舎の親戚とでもいうような雰囲気が漂っている。
 楚繹の後ろに控えているものたちの服装を見れば、近くに居る臣たちはまだ良いとして、王宮の隅の方にいくにつけ、どう見ても野良着としか見えない布切れをまとっているようなものまでいる。都から貴人がやってきたというので、興味本位で見物に来たのであろう。
 だが、珀公は気にする様子もなく、
「いや、特段の気遣いは無用である。これから都に戻るまで世話になる。早速であるが、これから伝える要領で余の室を整えてもらいたい」と言った。
 珀公が要求したのは、生活のための居室というよりも、巫呪を執り行うための結界と見たほうが良い。
 珀公は、王宮と隣接して小さな社を作らせた。この建物には窓がなく、外から光が差し込まないつくりになっている。室内には小さな壇が築かれていて、珀公はその前に北面して座り、携帯してきた玉器を頭上にかかげて、日がないちにち祈りを捧げて過ごすのであった。

 珀公は、巫呪を行うにあたって人を遠ざけた。
 社に入ることを許されていたのは、身のまわりの世話をする童子たちだけである。童子たちは、光が届かない暗い室内をほとんど手探りで進み、清めの水を運び、食膳を下げ、馬桶(おまる)を取り替えた。
 だが、別に許されたわけでもないというのに、勝手に社のなかに入ってしまうものがひとりいた。
 他ならぬ、星河である。
「珀は、いつもこんなところにこもって、退屈したりしないの」
「退屈するとか、しないといった話ではないのだ。泰越国の安寧を願って巫呪を行うというのは、余の務めなのである」
「少しくらいさぼっても、誰も怒らないと思うよ。珀は偉いんだから、叱れるひとなんていないし」
 そう言って、星河はごろりと横になる。
「いや、お主たちが怒らぬとしても、巫呪を怠れば必ずこの地の祖霊が怒りを示す。呪とはそのようなものなのだ」
 珀公は、姿勢を正したままで応える。
「へえ。珀ってすごく真面目なんだね」星河の声は消え入りそうになっていく。
「わたしのことは、気にしなくていいからね」と言うそばから、すうすうと寝息をたてはじめた。
 星河にとって、この社はいつも涼しく、昼寝がしやすい場所なのであった。

●○●○

 平穏な日々が続いた。
 三年が経ち、四年が経つうちに、星河は健やかに育っていった。幼さのなかにも、美しさが覗えるようになってきたが、暗闇のなかにいる珀公がそれに気づくわけもなかった。
 星河は野山を巡って遊び、疲れたら気ままに木陰で眠るといった、変わらぬ日々を過ごしている。だが、その周囲は少しだけ変化を見せていた。歳を重ねるごとに、父の楚繹は婚姻のことを気にするようになってきた。王宮のものたちも、星河をひとりの王族として距離を置くようになった。ただ珀公だけは変わらず、星河の取り留めのない話に、いつでも穏やかな雰囲気をもって耳を傾けてくれるのであった。
 とはいえ、そのような日々も永遠に続くというわけではない。儀国の皇子たちには、長じると都に帰らなくてはならぬという定めがある。
 そのことを、星河も思い出したようであった。
「そういえば、珀ってそのうちに都に帰らなくてはならないんだよね」
「歳を重ねるということは、天から地に降りてくることである。天において生命を授かり、しだいに俗世に近づくのだ。巫呪をあずかるのは、まだ天から隔たっていない幼子がふさわしい。だが、歳を重ねると呪が弱まり、智が強くなってくる。そうなれば、俗世の政をおさめるのだ」
「つまりは、どういうこと」
「十三歳になると、都に戻って螞帝を支えなくてはならぬということだ」
「都に戻ったらどうなるの」星河は、矢継ぎ早にたずねる。
「儀国の政は、すべて儀封宮でおこなわれる。そこで、終生務めることになるのであろうな」
 珀公の声がわずかに翳るのを、星河は聞きのがさなかった。
「もし、都に戻らなかったら」
「戻らない、ということありえぬ。以前にも言ったかもしれぬが、余の呪能とは螞帝から預かっているものである。余が戻らなければ、王はこの地を侵しても取り戻しにくることであろう」
「そうなんだね」それから、星河は明るく言った。「だったら、いちど都に帰るまえに、外に出てみようか。泰越って、けっこういいところなんだよ」
「何を言うか」
 あまりに驚いたのか、珀公は声をうわずらせて、「余には、巫呪を行い続けなくてはならぬという務めがある。この場を離れるわけにはいかぬのだ」
「でも、珀だってご飯を食べたり、夜に眠ったりしてるじゃない。そういう時って、祖霊は怒ったりしないの?」
「まあ、余にもいろいろな都合というものがあるから、ひと時も休まずというわけではないのは確かだが」言いよどむ珀公。
「だったら、ちょっとぐらい外にでたっていいでしょ」
 星河は、さっそく腰をあげかける。
「待てというのに。それに、余は眼を開けることができぬ。外に出ても仕方ないのだ」
「じゃあ、眼をつぶったままでもいいから、ついてきてよ」
 星河は、珀公の手をにぎって、社の外へと連れ出した。
 社から出てきた珀公の姿をみて、はじめ王宮のものたちはそれが誰なのかわからぬ様子であったが、しばらくして四年ほど前になる謁見の場面を思い出すと、大慌てでその場にひれ伏した。
 さらに王宮から離れると、星河の姿をみとめた農夫たちが「星河様、今日はお友達とお出かけですかい」などと、のんきな声をかけてくる。星河は、ひらひらと手をふって返しながらも、速度をゆるめずにずんずんと歩いていく。
 目をつぶったままの珀公は、星河の手に導かれるまま、足をもつれさせぬよう必死でついていくしかなかった。
 しばらく往くと、足の裏から伝わる感触が変わってくる。踏みしめられた硬い地面が、やがて柔らかい土のようになり、足を下ろすたびくしゃりと草を押し潰す感覚が伝わってきた。道は勾配に差し掛かってきたようで、ここ数年まったく身体を動かしてこなかった珀公は、さすがに息があがってきてしまった。
 そのうち、なにやら耳慣れぬ物音まで聞こえてくるようになる。ばさばさという風切音や、がさがさと藪をかき分ける音、どすりどすりという地面を揺るがすような振動まで伝わってきた。
 星河を慕う、動物たちが集まってきたのだ。
 泰越の王とは、いわば族霊(トーテム)の王である。
 この邑が、農業が進歩するにあたり、部族社会がまとまって興ったことについては先に述べた。古来から、それぞれの部族には共同体の象徴であり、信仰の対象でもある族霊が存在していた。たとえば、虎や熊といった獰猛な動物から、孔雀や穿山甲センザンコウといった珍奇な生き物、奥地になると、象を食う巴蛇はだといった巨大な蛇や、鳴き声を聞くと邑に恐慌が起こるという酸与さんよという鳥までもが、族霊として祀られていたという。
 泰越は、部族をまとめていくにしたがって、これらの族霊を自らの信仰の対象として吸収していった。そうするうち、王宮を包む森には、泰越と縁を結ぶことになった族霊たちが住みつくようになったのである。
 歴代の王族のなかでも、特に星河は獣たちに好かれた。
 森のなかに入ると、族霊たちがこぞって星河のもとに集ってくる。このたびは、見慣れぬ男がそばにいるので、さらに気になって仕方がないのであろう。その正体を見極めに、森じゅうからやってきたのだ。
 だが、気になるのは、珀公も同じかそれ以上である。眼を閉じたままで、得体の知れぬ獣たちに身体を嗅ぎ回られているのである。姿を確かめたいという衝動が幾度となくおそってきたが、誓いをやぶらぬよう瞼に力をこめて自らの暗闇を守った。
 べろり、と。
 そのうちに、なにか巨大な生暖かいものが、頬をなでる感覚があった。
「うわぁ」
さすがの珀公も、いつもの威厳を崩し、子供らしい悲鳴をあげてしまう。
「心配しなくてもだいじょうぶだよ。このこ、珀のこと食べたりしないから」
 星河は、楽しそうにけたけたと笑ってから、
「でも、人のことを舐めたりするなんて、めずらしいね。美味しそうな匂いでもしたのかな」と不思議そうに言った。
 珀公は、いっそう力をこめて星河の手をにぎり、置いていかれぬよう一心不乱に足を進めていった。
 どれだけ歩いたか。
 ふいに星河は足を止めた。必死で後ろを歩いていた珀公は、どしんとその背中にぶつかってしまう。
「ついたよ」
 星河が声をかける。
 びゅう、と風が吹き抜ける。
「ここは双泰山のてっぺん。いちばんよく泰越を見渡すことができる場所なんだよ」
 星河は眼下に広がる自らの邑を眺めた。
 森のなかに沈み込むようにしてある、王宮の藁葺き屋根が見える。山の斜面に沿うようにしてつくられた、水を張った棚田のきらめきが見える。山の間をつらぬく街道を往く人びとは、ごま粒のように小さく見えた。
 目を閉じた珀公にも、悠大な空間の広がりが感じられた。
 強い風が吹き抜ける。
 熱せられた空気に、植物と獣の匂いが深く染み込んだ、南国の風だった。
「すばらしい邑なのだな」珀公が言った。
「いつか、珀公にも見てほしいな。泰越のこと」
 珀公は開きかけた口をとざし、しばらく吹き抜ける風に身をまかせたあと、
「そうだな」と短く返した。

 珀公が、都に帰る日が近づいてきた。
 これまでも人を寄せ付けなかった珀公であるが、身の周りの童子を呼ぶことも少なくなり、ひとり社のなかで巫呪を行う時間が長くなった。
 そんな様子を気遣ってか、星河も珀公のもとに足を運ばないようになった。なかには、二人のあいだに何か男女の機微のようなものがあったのではないか、などと噂するものもあったが、当の星河はそんな世評を気にする様子もなく、いつものように野山を走りまわり、疲れては木陰でごろりと寝て過ごしていた。
 そして、珀公は十三歳になった。
 珀公は、手探りながら、自ら社の外に歩み出てきた。
 社の前には、泰越の王族たちが、民たちが、みな平伏して彼の登場を待っていた。遠くに控えているものたちも、一張羅の野良着を洗濯して身ぎれいにし、彼らなりに礼を踏まえた格好でいる。ひとり社に篭り、民たちと交流を持つことをしなかった珀公だが、決して驕慢な態度を取ることもなく、この国のために巫呪を捧げ続けていた。そんな彼に対し、みなが畏敬の念を抱くようになっていたのである。
 珀公は、朗々と語りかける。
「これからも泰越に平穏があるよう、この地の祖霊を鎮めてある。都から遠く離れた地ゆえ、いつ次の皇子が遣わされて来るかはわからぬが、来ないとしてもそれは吉兆。この地の祖霊に対し、そして首国である儀国に対し、敬と畏を忘れずに日々を過ごすが良い。さすれば、万事うまく往くことであろう」
 その声には、儀国の王族としての威が備わり始めていた。
 いよいよ、珀公が都に戻るときが来た。見送りについてこようとする楚繹たちを、珀公は掌で制して、
「国境に、儀国の兵どもが迎えに来ることになっている。そこまでは、いちど来た道。眼を閉ざしていようとも、なぜ迷うことがあろうか。大仰な見送りは不要である」
「だったら、わたしがそこまで送っていくよ」星河が言った。
 星河はしぜんと珀公の手を取り、王宮を離れていく。しばらく往くと、辺りを包んでいた森の木々はまばらになって、かわりに小さな灌木が目立つようになり、やがて開けた草原に出た。
 かつて幼かった二人が来た道を、反対に歩んできたのだ。
「星河よ、お主には世話になったな。ここまで来れば、もう心配はいらぬ。どう往けば良いか覚えている」
 そう言って、珀公は手を離した。
「都に戻ってしまえば、とうぶん戻ってこれないんだよね」と星河。
「とうぶん、ではない」と珀公は訂正する。
 すると、星河は少し間を置いてから、言った。
「だったら、大きくなったらわたしが都に行って、珀公のお嫁になってあげるよ」
 驚きのあまり、珀公は閉じていた眼を開いてしまった。
 自分の目線より少し上、美しい星河の顔があった。だが、それは一瞬。珀公は慌てて、きつく瞼を閉ざした。
「ならぬ」珀公は、弾かれたように言った。「よいか、決して、決して都に近づいてはならぬぞ」
 珀公の顔は、いつもの穏やかな表情が消え、氷のように凍てついていた。己が仕出かしたことの意味を理解していたのだ。
 珀公が、自らの禁を破ってしまったことの代償は、しばらくして星河の身に降りかかることとなる。

○●○●

 珀公が都に戻ってから、五年が経った。
 泰越は穏やかな時の流れのなかにあり、その生活はなんら変わらない。皆で米を育てて、収穫になれば祝祭が行われ、また苗を植えはじめ、一年が過ぎていった。
 変わったのは星河である。
 背丈も大きくすらりと伸び、表情からも幼さが消えていった。星河は見違えるほど、大きく美しい女性となった。とはいえ、やることはそれほど変わっていない。気が向くと森に入り、木陰に入ってすやすやと眠る。だが、美しさはそれだけで威力を伴う。族霊たちを従えながら森を往くその姿を見ると、泰越の民たちは自然と拝礼するようになっていた。

 そんな泰越の平穏をやぶったのは、通信師が運んできたひとつの書状だった。
 書状とはいえ、今のように紙に書かれたものではなく、青銅製の酒器に金文が刻み込まれたものであった。泰越王の楚繹は、そこに刻み込まれている文字をじっと眺めてみたが、どんな意味なのか皆目わからない。その文字列を眺めていると、胃が締め付けられるような感覚がある。これは、何か重要なことが書かれているに違いない。
 そこで楚繹は、邑でいちばんの物知りだという老人を連れてきた。老人は、ふがふが呟きながら、青銅器に接するほど顔を近づけて金文を読み進めていった。
「これは慶事であるか、それとも凶事であるか」楚繹は訊ねた。
 老人はなんと応えたらよいかわからず、ふがふが言いながら、とにかくそこに書かれている文字を読み下していった。
「儀国王螞帝が、泰越王に命じる。泰越は儀国の属邑となったとはいえ、まだ関係が厚いとは言いがたい。二者の絆を高めるため、螞帝は泰越から后をとる。泰越王楚繹の娘、星河を儀国に遣わすがよい」
 楚繹は、卒倒しそうになった。
 この辺境の地にあっても、螞帝の后となることがどのような意味を持つのか、誰もが知っていた。后となったが最後、皇子を産むまで儀封宮に閉じこめられ、首と胴を繋げて故郷に帰ることはないのである。
 だが、これは首国からの王命である。拒めば、泰越の存続はない。泰越王としての立場と、親としての立場の間にはさまれ、どのような決断を下せばよいかわからず、とうとう楚繹は大声をあげておいおい泣き出してしまった。
「父上、なぜそのように泣くのですか」
 楚繹に声をかけたのは、当の星河。
「偉大なる儀国王の后となるというのに、どうして嘆くことがありましょう。星河は、慶んで都に参ります」と、落ち着いた様子で言った。
 娘の言葉を受け入れることができず、楚繹はおろおろしながら、
「しかし、星河よ。儀国に行くということが、どのようなことかわかっているのか」
 だが、星河は凛とした態度を崩さず、
「ならば問いますけど、儀国王の命を断ることが、どのようなことか父上はわかっているのですか」と返した。
 己を身を顧みようともせず泰越の行く末を案じるとは、なんと素晴らしい娘に育ったのだろう。楚繹は娘の成長に大きな感動を覚えた。だがよく考えたら、素晴らしい娘に育ってしまったから、自ら死地に赴く選択をしてしまったのであり、喜んで良いのかわるいのか、わからなくなった。
 またもや、楚繹はおいおいと泣き崩れた。
「悲しむことはありません。星河はこれから都に向かいます。どうか、母上とこれからも仲睦まじく、この泰越を守っていってください」
 そう、慰めるように父に声をかける星河であったが、頭のなかではぜんぜん違うことを考えていた。
 やっと大手をふって都の珀公に会いにいけるのね、と。

 星河が都へと向かう日、王宮の前には泰越じゅうの人々が集まっていた。いや、見送ろうとしていたのは民たちだけではない。王宮を包む森の奥から、族霊たちまでもがこぞってあらわれ、旅立とうとする星河のまわりを取り囲む。
「みんな、これからもけんかしないで、元気に仲良く過ごすんだよ」
 嫁入りの装いを身にまとった星河が、見送る皆に声をかけた。
 つらそうな様子を微塵も見せることもなく、明るく別れを告げるその姿に、楚繹たち王族だけでなく、皆がおいおいと泣き出した。族霊たちも、ぱおーん、がおー、きえー、とどこか悲しそうな啼き声をあげる。
 だが、当人は気楽に考えているようで、
「今生の別れだと決まったわけでもないのに、みんな大げさなんだから」と、ひとりごちた。
 星河と護衛をする一行たちが王宮を発とうとすると、楚繹が、民たちが、そして族霊までもが、皆ぞろぞろと後をついてくる。
「みんな、心配しなくてもいいから。見送りはもう大丈夫だよ」
 そう言われると、皆はなおいっそう星河のことを不憫に感じて、泣きながら後をついてくる。結局のところ、その大集団は国境まで一緒に来てしまった。
「みんな。大丈夫だから。なんでもいいからとにかく帰って!」
 星河はとうとう怒り出して、皆を追い返さなくてはならなかった。

●○●○

 半年の長きにわたる旅を経て、星河たち一行は儀国の都に辿り着いた。
 一行は、華やかな都の様子に、きょろきょろとあたりを見回しながら、街のなかを進んでゆく。
 まず、星河にとっては、どこを見ても木々が無いということが驚きだった。泰越ではどこにあっても森があり、建物はそのなかに点在するものであった。だが、この都ではその反対で、地面はすべて建物で埋め尽くされ、どこにも森が見当たららないのである。
 すべてが、泰越国とは違っていた。通りは祝祭の日よりもずっと賑やかであり、人で満たされていた。そして、行き交う人々も、褐色の肌をしたものもいれば、青い眼をしたもの、縮れた頭髪のものなど多種多様。服装もとりどりで、長い布を身体に巻き付けたものや、裾の広がった麻の深衣を着たもの、絹で織った衣を身に纏っているものもいた。この街には、同じ姿をしたものがいないようにすら見えた。
 だが、星河にとっていちばん異なって思えたのは、それら人々の表情である。泰越の民の顔は、どことなくゆるみがながらも、包み込むような温もりがあった。この街にいるものは、みなが猛獣に出くわしたときのように緊張し、常に警戒した様子であたりに視線を配っているのである。
 とはいえ、物珍しそうに見るのは都の人たちの方も同じであった。
 泰越のひとが、この都市に来るのは初めてだったのである。さらに、星河たちは嫁入りのための儀装に身を包んでいた。星河を護るものたちは、絹で織られた腰巻きに、大きな竜種の頭骨を被っている。星河自身も、色鮮やかな鵷鶵えんすうの羽根で全身を装飾していた。目立つのも当然であろう。
 星河たちが進むと、街のひとたちはぎょっとした面持ちで見返し、そそくさと道を開けるのであった。
 一行は、都を貫く目抜き通りを進む。
 星河は、いつの間にか行列のなかに、ひとりの男が混じっていることに気づいた。
 奇妙な男である。街往く人々と比べても、身長がその胸あたりまでしかない。顔を白く塗りたくり、目の周りは真っ赤に隈取りをしている。着ているのは、鮮やかというよりもどぎつい真っ赤な上衣と、真っ白な下裳。それだけ目立つ格好をしているというのに、誰もその男の存在を認識していなかった。
「あなたは、だれですか?」
 星河は訊ねた。
「これはこれは、星河様」その男は、首だけをくるりと星河の方に向けて、「ご挨拶が遅れてしまいました。が、よく考えてみたら、名乗るべき名前など持ち合わせておりません。丑角、とでも呼んでいただければよろしいかと。わたくし、儀封宮で働いているものであります。星河様の御一行をお迎えするよう、螞帝様から仰せつかってまいりました」
 その小男は、丑角と呼ばれる宮廷道化のひとりであった。
「星河様には、儀封宮にお入りいただくまでの屋敷を用意してございます。そちらに案内をいたしますので」
 そう言うと、丑角は見た目にそぐわぬ俊敏な動きで先頭にするすると追いつき、行列を導きだした。
 辿り着いたのは、贅を凝らした大きな屋敷であった。屋根は黒光りする瓦で葺かれており、壁は漆喰で白く塗り込められている。いずれも、泰越には無い建築様式であった。
「星河様には手狭かと思いますが、しばらくこちらでお過ごしいただきます。なにかご用がありましたら、わたくしめをお呼びつけください。丑角、とだけ声をかけてくださいましたら駆けつけて参ります」
「では、教えてほしいのですが、珀公様はどこにいらっしゃいますか?」
 星河はさっそく訊ねた。
 丑角は、くるりくるりと眼球を回転させる。
「はて、どこかで聞いたことがある名前のようですが、果たしてどこで聞いたのでしたやら。はて、はて」と首をひねりながら、どこかへ消えていってしまった。

 こうして、星河は螞帝の后として儀封宮に入るまでの間、正式な客人として迎えられることとなった。泰越から星河を守ってきた一行も、別れを惜しみながら国に引き返していった。
 星河は、ひとり屋敷のなかに残され、はじめて孤独な夜を過ごした。生まれてからこのかた、家族であったり王宮の臣といったものたちが、いつも側にいてくれたのであった。少しだけ寂しさを感じた星河であったが、いつまでも感傷に浸っているような性格ではない。
 翌朝から、珀公の行方を探しだすことにした。
 この街には、頼れるものが誰もいない。先ずは、行き交う人々に訪ねてまわることにした。
「皇子の珀公様について知りませんか」星河が訊くと、
「い、いえ。申し訳ありませんが、そのような名前は聞いたことがありませんな」商人風の男は、そう言って逃げるように立ち去ってしまう。
「逃げなくたっていいじゃない、そんなに泰越の田舎者がめずらしいかしら」
 そう星河はつぶやくが、めげずに次のものを呼び止めて同じことを尋ねる。だが、かえってくるこたえは同じであった。日が暮れるまで続けても、珀公のことを知るものはおらず、それどころか噂の一つすら捉えることはできなかった。
 少し焦るような心持ちになった星河であったが、珀公を探すことばかりに時間を費やすわけにもいかなかった。いま屋敷に迎えられているのは、あくまで儀封宮に入る準備をするためなのである。
 星河には、頻繁に食事が提供された。鶏肉や鶏卵といった栄養価の高いもののほか、扁桃や落花生などの木の実や、果ては鰐梨などの見慣れぬ食材までが食膳に並べられた。おそらくは、摂取する食物から皇子を孕みやすいよう調整をされていたということなのであろう。
 その他にも、世話役となった丑角から、宮廷内でのしきたりが教え込まれた。螞帝と謁見する際には、顔を伏せてその姿を窺ってはならないことや、宮廷では足の大きさ程度の歩幅しか取ってはならぬことなど、どうでも良いと思われる細かい規則まで覚えなくてはならなかった。
「星河様は、たいへん物覚えがよろしい。この調子ですと、儀封宮に入ることができる日も、そう遠くはないことでしょう」丑角はそう言って、ひひひと笑った。
 だが、そんな太鼓判を押されても困るのである。
 星河が都に来たのは、珀公に会うためであって、螞帝に嫁入りするつもりなどさらさらない。星河にも、はじめて不安に思うような気持ちが芽生えかけたが、生来の楽観主義により何とかなるだろうとすぐに思い直した。

○●○●

 そんな折である。
 捨てる神あれば拾う神あり、とでも言うべきであろうか。まちで珀公のことを尋ねてまわる星河の前に、ひとりの小柄な老人があらわれた。
「あなたが星河様ですね。珀公様のことをお探しだと伺いました」
 その老人は、好々爺めいた穏やかな微笑を浮かべ、星河に話しかけてきた。
「星河といいます。確かに珀公様を探しているところですが、あなたは?」
「これは失礼しました。わたしは珀公様にお仕えをしているものです。珀公様は、街で星河様が自身のことを探しているという噂を聞きつけ、案内をして差し上げるよう私に命じたのです」
「ありがとうございます。正直なところ、珀公様の行方がつかめず、途方に暮れかけていたところでした。でも、皇子様というのはもっと有名なのだと思っていました。螞帝様の息子だというのに、あまり知られてないのですね」
 とんでもない、と慌てたようにその老人は、
「市井の土民が知らないというのは、当然のことです。皇子というのは俗世から隔てられたところにある存在。もし名前を知っていたとしても、それを口にすることすら憚られるような立場の御人なのです」
 はあ、と星河が返事に困っていると、
「珀公様は、国のため非常に重要な役割を果たしておられます。やっと、星河様にお会いする時間を作ることができたので、それで私を迎えにお遣わしに」
 この老人の言うように、半月も連絡をよこさず仕事の合間にやっと時間を作ることができたというのであれば、珀公もそれは偉くなったものだ。星河は、内心釈然としないものを感じたが、やっとその手がかりがつかめたのである。誘いを断る理由はなかった。
 老人は、見た目にそぐわぬ俊敏な動きで裏路地を抜け、星河を導いていく。しばらく往くと、まち外れの開けた場所に辿り着いた。
 そこにあったのは巨大な門。
 見るものに違和感を与えるのは、その門が建物に続いていないせいであろう。土饅頭のようなこんもりとした丘があり、それを途中で断ち切って断面を覆ったかのように、巨大な扉があった。細かな装飾が施されたその扉は、星河が見たことのない黒光りする金属で造られている。それは、この時代においては過ぎた技術であるはずの、鋼で鋳造されたものであった。
 老人が門番に合図をおくると、巨大な扉は、ぎぎぎという鈍い音をたて内側へと開いた。
「どうぞ、こちらでございます」老人は、中へ入るよう星河を促す。
「珀公様は、このなかで働いているのですか?」
「もちろんでございます。お察しかと思いますが、ここは儀封宮の入口。皇子様というものは螞帝様をお支えする立場です。属邑から戻られた皇子様たちは、皆がここで政を執行しておられるのです」
 星河はためらう様子もなく、儀封宮に下る階段へと足を踏み出す。
 中の空気は、湿り気を帯び、淀んでいた。岩盤をくり抜いて造られた通路は、ところどころのくぼみに篝火が灯されていた。炎がゆらめくたび、壁面に映る先を往く老人の影が、大きくなったり小さくなったりする。迷路のように分岐した通路を、老人は迷うこともなくするすると進んだ。地下への深度が増すにつれ、通路は次第に細くなっていき、星河は身を屈めなければいけないようになった。
 ふいに空間が開け、洞穴のような場所に行き着いた。
 篝火の光が届かず、辺りは深闇に包まれている。歩を踏み出すと、足音がはるか遠くで反響する。星河の背後で、洞穴へと通じる場所にあった扉が、そっと閉められる気配があった。
「どうぞ、こちらでございます」老人はふたたび星河を促した。
 星河が進むと、周囲からかさかさと衣服が擦れる音がする。何者かが、距離をおいて取り囲んでいるのだ。星河は怯むことなく、前を往く老人の足音をたよりに洞穴のなかを進んでゆく。
 急に老人は、
「頭を垂れよ」威嚇するような大声で命じた。
「儀国王螞帝様の御前である」
 星河をひそかに取り囲んでいた丑角たちが、手に持った松明をいっせいに点火。星河は、急に広がった光に目を細めた。
 ぼやけた視界の奥に見えてきたのは、巨大な山であった。
 いや――山ではない。
 そこにあったのは、人、人、人。数百、いや数千人の躰が、山のように積み上げられてあった。よく目を凝らして見てみると、積まれた人の胸部はわずかに上下しているようである。山を成す人々は、いずれも息をしているようで、屍体ではなかった。
 だが、生きているとはいっても、およそ我われが知るところの生者というわけでもない。山を成す人々の、その顔に空いた孔――耳、鼻、口からは、無数の小さな蟲が這い出ていた。整然とした列を作り、人の躰のうえを行軍するそれは、他ならぬ蟻であった。蟻の群れは、ひとりの孔から列を作って這い出し、また次の人の孔へと続いている。俯瞰して見れば、人の躰の表面に複雑な幾何学模様を描き出しているようでもあった。
 そこにあったのは人の躰を素材とする、巨大な蟻塚。
 あるいは、蟻を媒介とし、皇子たちの脳を繋ぎ合わせて創られた大知性。
 つまるところそれは、初代儀国王にして、爾来、五百年に渡ってこの地を治め続けている、儀国王螞帝その人であった。

 その昔、小さな部族の長であった名も無き男が、治めていた領地も護るべき家族も全てを失い、曠野をさまよっていた。水も食料も尽きその場に倒れ込んだ男は、ふと傍らから自らを呼ぶ声を感じた。かすむ視線の先に人の姿はなく、あったのは巨大な蟻塚だけ。
 蟻とひとつになった男は、自らを螞帝と名乗った。
 螞帝に寄生した蟻がどのような種であったか確認するすべはないが、テレウトミルメクス・シュナイデリやストロンギログナーツスのような、寄生蟻の一種であったと推測できる。寄生蟻は、寄主から食料を恵んでもらうだけの存在ではなく、自らの生存に有利となるよう、寄主を作り変えもする。
 儀国の蟻が螞帝に齎したのは脳の変化であった。
 寄生蟻は、自らの存在からかけ離れた生物には関心を示さず、系統上近いものに寄生するといった特徴を持つ。儀国の蟻にとって、自らに近い存在と認識し依代としたのが、螞帝の脳であったということなのであろう。
 そもそも、蟻とは集団知性体である。仲間を誘導するために、道標フェロモンを分泌し、目的地の情報を伝達していることはよく知られている。女王アリが分泌する階級フェロモンは、遺伝上は同じ種である蟻を集団として果たすべき役割に応じて様々な姿に分化させる。集団としての蟻とは、フェロモンによって結合されたひとつの知性なのである。このような蟻の生態は、人間の脳と近似性が高い。脳とは、集合としての脳細胞が電気信号と化学物質によって結合された知性体であり、構造としては蟻の巣とそう変わることが無いともいえよう。
 脳の神経細胞を走る電気信号は、隣接する次の神経細胞へ伝わることができない。そこで脳細胞内のシナプス胞は、電気信号をアセチルコリンやドーパミンなどの化学物質へと変換し、他の神経細胞に情報を飛ばす。螞帝の脳内に巣食う蟻たちは、神経細胞間を行き来する化学物質を、さらに情報伝達フェロモンへと変換して、他の脳へと運ぶことができた。脳同士が結合されることにより、記憶情報を共有することができ、情報処理を広域で行うことが可能となる。
 このことにより確立されたのが、儀国の行政機構であった。
 螞帝は新しい属邑を支配下におさめると、そこに皇子たちを派遣した。皇子たちに密かに課された役割は、その土地の全てを見聞することである。軍事的な弱点であったり、穀物の生産量から、支配層の人間関係に至るまで。儀国にとって必要な情報を脳内に蓄え、都へと持ち帰らせた。
 螞帝は、都に戻った皇子の頭に蟻を住まわせ、自らの脳に連結し情報を回収する。それとともに、皇子たちの脳を結合し拡張された脳機能により、その土地でこれから何が起こり得るかを予測演算した。儀国に仇を成す行為が行われるようであれば、未然にそれを可能性ごと潰した。翌年の穀物生産を予測し、殺さぬ限りのぎりぎりの線にて税を課し、全てを搾取した。
 結果、皇子たちが派遣された邑はシロアリに食い荒らされた木造住宅のようになり、民たちは疲弊しきって生きる屍と化した。

 螞帝の支配のありかたを知った珀公は、そのような行いに加担することを拒んだのである。表向きの役割である巫祝としての役割に徹し、泰越にあっては常に眼を閉ざして、情報を一切持ち帰ろうとしなかった。
 泰越国は取るに足らぬ蛮夷であり、持ち帰るべき情報など無かった。都に帰った珀公は、連結された脳を通じて報告したが、そのようなごまかしを素直に信じる螞帝ではなかった。

 星河を案内してきた老人、いや街人の装いを纏った年老いた丑角は、蟻塚に歩み寄るとひとつの顔にたかっていた蟻をパラパラと払い除けた。蟻によって繋がれていた脳の連結が解け、意識がいっとき蘇る。
 蟻塚から浮き出たその顔は、眼を動かしてきょろきょろと辺りを見渡すと、一点に焦点を合わせた。たちまち、瞳孔が開く。
「星河よ。都に来てはならぬと言ったではないか!」
 その悲痛な叫びは、珀公のものであった。
 泰越の情報を持ち帰らなかったことは、螞帝にとって許しがたい裏切りであった。
 螞帝は、珀公に戒めを与えることにした。
 珀公が心を通わせていた星河を儀封宮に呼び、いずれかの皇子か丑角どもの子を宿らせ、皇子を産んだ後には首を刎ねて、しまいには蟻どもの餌にする。
 珀公には、その一切を見届けてもらう予定であった。

 星河を取り囲む丑角たちが、じりじりとその輪を小さくする。それぞれの手には、戈や鉾などの武器が握られていた。
 だが、星河は、
「そんなところにいたのね」
 紅蓮が花ひらくようにぱっと微笑むと珀公へ声をかけた。
「じゃあ、いっしょに帰ろうか」
 瞬間、天が崩れる。
 岩盤が崩落し、避けきれなかった幾人かの丑角がぺちゃりと潰される。
 最初の揺れが収まると、こんどは天井に穿たれた狭間から、赤色の龍がのたくるように降りてきて蟻塚に突入した。龍は蟻塚にその身を擦り付けるようにして暴れると、また天へと帰っていく。
 よく観察してみると、龍と思われたそれは巨大な舌であった。岩盤の狭間からは、水盤のような黒い眼がなかの様子をうかがいながら、積み上げられた皇子の躰から蟻を舐めとっていく。
 その正体は、山のように巨大な、穿山甲せんざんこうであった。
 穿山甲とは、全身が松かさ状の硬い鱗で覆われた、アリクイとよく似た姿の哺乳類である。その食性もアリクイと似ており、発達した前足の爪で蟻塚を破壊して、長い舌で蟻を舐めとり捕食する。泰越の森のなかにいた族霊の穿山甲は、星河のことが心配で、わざわざ都まで様子を見に来たのであった。
 穿山甲は、うまそうに蟻塚から蟻たちを舐めとっていく。そのうち、何か硬いものを口に含んでしまったらしく、ぷっと吐き出した。地面に落ちたものを見れば、頬骨が蟻の大顎のごとく張り出した、異形の人頭。
 それは、大陸のほぼ半分を占めた儀国の最初にして――最後の王でもある、螞帝の亡骸であった。
 星河を取り囲んでいた丑角たちも、あわてて彼女のことを捕縛しようと迫ってきた。だが、星河は自らの足に掴みかかる丑角を事もなげに振り払い、文字どおり蹴散らしていく。
 星河も、余人とは比較にならぬほどの背丈があった。
 泰越とは、のちに大人国とも呼ばれることになる地である。この邑に生きるものたちは、全てが山のように大きかったという。

 丑角たちを成敗した星河は、珀公を蟻塚から引きずり出した。珀公の身体は退化して、枯れ木のようになっている。
「このなりでは生きてはおれぬ。余を置いて早くここから逃げるがよい」
 星河は、力を加減しながら、珀公の頬をぱちんと張った。
「なによ見栄を張って。細いのは昔からでしょう」
 星河は、珀公をひょいと小脇に抱え、地上目指して駆け上がった。儀封宮の内部は迷路のように入り組んでいたが、地上までの道のりを全て覚えていた珀公は、カーナビゲーションのごとく最短ルートを示した。
 地上に出てみると、星河の帰還を待っていた族霊たちが、喜びの啼き声をあげる。巨大な蛇である巴蛇は、襲い掛かってくる儀国の兵士たちを、ぱくりぱくりと飲み込んでいた。
「みんな、わざわざありがとう。じゃあ泰越に帰ろうか」
 星河はそう声をかけると、珀公を抱えたまま、酸与の背中に飛び乗った。
 酸与が二回、三回と翼をはためかせると、みるみるうち儀国の都は小さくなる。
 夜が明ける頃には、泰越もすぐそこにまで近づいていた。泰越を左右から護るようにしてある二峰の双泰山は、どちらも山頂にふわりと笠雲をのせている。地上を走る大街道は、草原を抜けて森のなかへと消えていく。さらに近づくと、密林のなかに沈み込むようにしてある、王宮の藁葺き屋根が見えてきた。
「すばらしい邑なのだな」と珀公が言う。
「見てほしいって言ったでしょ、泰越のこと」
 珀公は開きかけた口をとざし、大きく息を吸い込んだ。植物と獣の香りが、その腑の奥までを満たしていった。

文字数:20662

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