トライアングル・エンタングル

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梗 概

トライアングル・エンタングル

”「ここがあいつの部屋か。」

岡部は初めて入るルカの部屋に漂う、甘やかな匂いを感じながら、ベッドルームのクローゼットと思しきカーテンを開けた。

そこには壁一面の本棚が隠されていた。

「あんまり服がない。そういえばあいつ、いつも白衣だもんな。」

本棚にはナノマシンやVRダイブ、脳生理学の本が並んでいる。岡部は目を上げていく。

「うわ、なんだこれ。」

棚の目の高さから上の棚はすべて、薄い本で占められていた。一冊抜き取ったその表紙には、二人の美青年が腕を絡めている。

「あいつ、こんな。」

岡部の全身が危険信号を感じていた。まずい、急がなければ。岡部は寝室を出て、居間を通り抜けた。マントルピースの上の鏡に美しい女の姿が映る。焦って目を見開き、髪は乱れているが、ルカはいつどんな時でも本当に美しい女だと、岡部は思った。”

*****

ルカと岡部は軍事技術開発の名目で、人格の入れ替わりを実現する「量子エンタングルバーストによるVRダイブ脳葉のナノ粒子コーティング」を研究しており、自らを最初の実験台にした。ところが、励起信号を送っても入れ替わりは発動しない。恋人同士でもある二人は、実験失敗の夜、やけっぱちの深酒をしたまま情熱的なセックスをする。

「私たち、入れ替わってる?」

入れ替わりは性行為のエクスタシーにより発動することが判明した。しかし入れ替わりの発動と解除を外部信号によって制御するナノ機構がうまく動いていないようだった。

お互い良く知った体なのでさほどのとまどいもなく、入れ替わり生活を始める二人。そんな中、隠れ腐女子のルカは、岡部の体を使ってゲイの友人を誘惑し、行為に及ぼうとしていた。BL体験を自分がしてみたい!それが自ら人体実験に挑んだルカの個人的な動機だったのだ。だが、すんでのところで岡部(ルカの体)に発見され、阻止される。

元に戻ろうとする二人。だが、互いに自分の体には欲情できず、どうしても行為が叶わない。

そんな時、研究室の助手、マリが志願した。3人でなら行為が可能なのではないかという提案だ。マリの岡部への思いを知るルカだったが、提案を受け入れる。実はマリが愛していたのはルカだった。3人は同時にエクスタシーを迎えるために入念な練習をした。相手と揃わないと、達してしまった者だけが昏睡状態に陥る危険があったのだ。

試行錯誤の末、3人による行為は無事に成立したが、なかなか入れ替わりの組み合わせが揃わない。すったもんだの後、3回目にしてようやく岡部だけが元通りになる。だがその過程でルカとマリは入れ替わりを経験し、マリはルカへの愛をつのらせ、ルカはマリへの愛に目覚めていた。4回目、岡部はマリとルカへの奉仕に専念し、ついに3人は元どおりになる。

しかしマリのルカへの思いはすでに限界を超えていた。マリはルカを独占するため、一人で岡部を誘惑し、岡部だけをエクスタシーに導いてしまう。岡部は昏睡状態に陥る。岡部の意識は異次元を漂い、幽体離脱してしまった。ルカは驚きつつも、マリとの日々に耽溺する。何度も入れ替わることで二人の絆は深くなっていく。

その一方で、なかなか目覚めない岡部。ルカとマリが体をどのように刺激しても反応しない。受け身ではだめなのだった。ルカはマリにBL漫画で覚えた技術を指導して岡部を「責め」させる。「受け」となった岡部はついに意識不明のままエクスタシーに到達し、覚醒する。

そのとき岡部は、物陰からマリと岡部の姿を覗き見しつつ、独りで達しようとしているルカと目が合う。ルカを止めようとして叫ぶ岡部だったが、マリが夢中で続けている「責め」に、ルカと同時に二度目の絶頂を迎えてしまう。

それぞれ単独で達した岡部とルカは、異次元時空で絡み合い、時間を跳躍する。

二人の肉体は、意識を失ってしまった。あとに残されたのはマリだけだった。マリは叫んだ。

「二人とも、あたしを置いていかないで!」

 

気づいた二人は、ベッドの上で、入れ替わった状態で我に返る。

「私たち、入れ替わってる?」

なぜか二人は驚かなかった。たぶん、互いの体をよく知っているせいだろう。

文字数:1670

内容に関するアピール

「君の名は。」の入れ替わりに隠されたエロチシズム。それは間違いなく、あれだけのヒットを記録した要因の一つだと思います。映画では隠蔽されていたその部分に、本作は焦点を当てました。

全編、ほとんど裸と性行為のシーンばかりでそれが「おもてなし」ポイントな本作ですが、男性目線だけに陥らないことを課題とします。そのために文体はサラ・ウォーターズ、アナイス・ニン、そして実作講評者である小川一水先生の『天冥の標 第4巻 機械じかけの子息たち』を参考にしたいと思います。男女を超えた愛による互いの融合、死との類似性もテーマとしています。

梗概では省略していますが、中盤の3人での行為による入れ替わりの順列組み合わせで、コメディタッチのすったもんだがあり、泣き笑いの展開で楽しませたいと思います。

SF的には、脳の後帯状皮質が”臨場感”を司っているという実際の研究からヒントを得ています。マトリクス的なVR世界へのダイビングが可能になっている設定で、VR世界のかわりに他者の脳にダイブして憑依、入れ替わりが実現されます。量子もつれを小道具としてまったく時間差のない同期、多次元空間への幽体離脱やタイムリープなどを行います。脳内に入れ替わり機能を実現するナノマシンを泳がせるのですが、そのときには「錠剤」でナノマシンを飲むようにして「マトリクス」へのオマージュとすることなども考えています。

ただし、ハードSFではなく、エロチシズムを堂々と見せるための舞台としての、ほどよいSF感とします。

短編ですのでループして終わる梗概としていますが、うまくループを脱出したり、ナノ粒子錠剤が流出することによる大団円展開なども考えられます。実作の過程でいろいろ試みてみたいと思います。

文字数:723

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トライアングル・エンタングル

ルカは思い切りジャンプし、”空中”で一回転した。運動神経がいいのですぐにコツをつかんだようだ。

「岡部!はやくおいでよ!」

インターコムで岡部を呼ぶ。

「まってまって。」

岡部は大股で飛び跳ねながら追いかけてくる。地平線の向こうに青と白に輝く地球が見える。それが自分の回転とともに視界をぐるりと回った。これは楽しい。本当に月にいるとしか思えなかった。ルカは月面を再び蹴って飛びあがり、両手を挙げた。

*****

「この旅行はバーチャルリアリティによる再現映像ではありません。まったく完全なリアルタイムの経験です。量子エンタングルメント効果を発現する光学素子を脳の後帯状皮質にコーティングすることにより極小ワームホールをみなさんの脳と、月面に待機するアンドロイドの脳組織の間で発生させ…」

白っぽいスーツを着たクオンタム社の担当者がプレゼンテーションを始めた。

モニター募集に応じてクオンタム社の広い会議室に集められた客は全部で10名ほど。これまでにない”本物の”月世界体験という触れ込みだったが、そういうフレーズはもう聞き飽きていた。”リアル”、”本物”という言葉にはもはや何の重みもない。無料で新しいアトラクションが楽しめるというので、文学部学部生である岡部と、彼のできたての彼女、ルカは仲良く申し込んだのだった。ルカは卓球部の元キャプテンで健康的でとても可愛い。岡部は少しのんびりしているがイケメンと言えなくもなく、高校時代までは陸上部にいた。二人とも運動能力を使うVRゲームが好きで、お台場にあるVRゲームセンターのイベントで知り合った。彼らにとってはちょっと退屈な説明を聞き流し、プレゼンテーションはほどなく終わった。

「では早速、手順をご説明します。」

端の席から順に何かを配っている。ヘッドセットをかぶるのかと思ったら見慣れぬ錠剤を飲めというのでちょっと面食らった。

「岡部、こんなの飲んで大丈夫かな。」

最前列に座った二人は錠剤を手渡されて顔を見合わせた。

「だよ、ねえ。あのお、危険性とかはないんですか?」

岡部は目の高さまで手を挙げ、のんびりした口調でインストラクターに質問した。

「安全性は確認されています。当社は軌道国家所属の国営企業です。ご心配には及びません。この薬の効果は24時間しか持続しません。服用後、月面のそれぞれ別々の場所に待機しているアンドロイドとペアリングを確立します。その瞬間からみなさんは月の住人です。お連れ様同士は同じ場所に2体のアンドロイドを配置していてインターコムがつながりますから自由に会話が可能です。」

ほんとかな、と岡部は思った。そういう設定のゲームなのだろうか。

「モニターはアンドロイドのペアリングを解除すること、つまり電源を落とすことで終了します。モニター中はみなさんには軽い麻酔によってリラックスしておやすみいただきます。では、こちらへどうぞ。」

半信半疑ではあったが、岡部とルカは手を繋いで立ち上がり、短い列に並んだ。ドアの通り抜けると一回り大きな部屋があり、安楽椅子のようなものが一列に並んでいる。電子装置の類いはまったく見当たらなかった。それぞれの椅子のサイドテーブルには水らしき液体の入ったコップが置かれている。モニターたちはみな椅子に横たわった。部屋は薄暗い。

「なんか気持ちいいね。寝ちゃいそう。」とルカ。

「ほんとだね。」と岡部も椅子に深々と体を預けた。

インストラクターの声が頭上から聞こえた。

「では錠剤をお飲みください。これから麻酔効果のあるアロマを焚きます。ではごゆっくり月旅行をお楽しみください。」

岡部とルカは、虹色に発光するカプセル型の錠剤を手にして横目で見つめあった。

「じゃあ、いきますか。いっせいのせ。」

二人は錠剤を飲み込み、水で流し込んだ。

目を開けた時、そこは月面だった。となりに一体の宇宙服の”人物”が立っている。ヘルメットは光を反射して顔が見えない。基地のようなものは周りに見当たらなかった。さきほどの説明が本当だとすれば、飛行する輸送装置によってここに配置されたアンドロイドが宇宙服を着て活動している状態だろうか。

「岡部?岡部なの?」インターコムからルカの声がはっきりと聞こえる。宇宙服がこちらを正面から見つめているように見えた。

「ルカ!」岡部も大きな声で答えた。二人は手を取り合った。

「よかった。さっきの説明の通りだね。」

「ここ、ほんとに月みたい。」とルカは周囲を見回して言った。

「だねー。ほら、みてみて地球だよ!」

空は真っ暗で、水平線に地球が大きく輝いている。とても美しい。

「なんか、体も軽いよ!」ルカはその場で飛び跳ねている。

「よーし、せっかくだから楽しもうよ。」

二人は最初はゆっくりと、やがてすぐに飛び跳ねながら月探検を始めた。

時間にして30分くらいだっただろうか。弱い重力を楽しんで散々飛び回った後、二人で手を取り合って丘の頂に登り、地球を飽かず眺めたのが最後の月の記憶だった。

目を開けると、そこは先ほどの安楽椅子の上である。

「いかがでしたか?皆様が今体験なさったのは本当の月世界なのです。それではこれから、体験インタビューを撮影させていただきます。順次、ご案内しますのでお待ちください。」

部屋は明るくなっており、テーブルが出されてお茶とクッキーが並んでいた。モニターたちは誰もが興奮した面持ちだった。

「すごかったね!」とルカ。

「すっごいねこれは。VR酔いみたいなのも全然ないし。タイムラグみたいなのもない。」岡部が言う。

「月面にいるアンドロイドに本当にテレプレゼンスしてたのかも。しれないね。それにしては感覚デバイスみたいなの、装着しなかったよね。すごい技術が出てきたもんだ。」ルカが応じた。

岡部とルカは感想を述べあい、やがて始まった宣伝用のインタビューでも熱っぽく月世界体験のリアルさを語った。

その日の夜、岡部はルカのコンドミニアムに寄った。事件はすぐに起こった。熱っぽく交わった行為の後、ベッドの中で荒く息をする二人は困惑しながらも事態を悟った。

「うん、これは。」

「入れ替わってるね。」

「いった後で少し意識飛ばなかった?」

「うん、飛んだ。その時だね。」

コンドミニアムの天井を見上げたまま言葉を交わした二人は、意を決して上半身を持ち上げ、互いに”自分”の裸体をみた。

「うわあ、なかなか気持ち悪いねこの状況は。」

「過去あまたの青春入れ替わり映画が作られてきたわけだけど、ないわあこれ。」ルカ(岡部の体)が岡部の声で慨嘆した。

翌日、口数も少なくいつも通り授業に出た二人は、放課後に大学の赤茶けた門で落ち合った。

「トイレ、どうだった?」

「まあ、お約束だね。少しひっかけた。」とルカ(岡部の体)。

「俺のズボン、汚さないでよ。」と岡部(ルカの体)。

「あなたこそ、うーんまあいいや。」とルカ(岡部の体)。

入れ替わりの原因はもちろん、昨日の月世界旅行体験に決まっているのだ。二人はパンツがどうのこうの、ブラジャーがどうのこうのと、それでも楽しげに話しながら、青春だね、などと小突きあいながら地下鉄に乗り、クオンタム社へと向かった。

クオンタム社を訪れた二人は事情を説明した。3回ほど同じ説明を違う人物に話し、根掘り葉掘りプライベートなことを聞かれた後で別の個室に通され、しばらく待つと白衣の美しい女性が現れた。

「アヤト・マリ博士です。月世界旅行体験の、錠剤の開発者です。わたくしがお二人のケースを担当いたします。事情は伺いました。」

マリ博士の美貌に、二人は一瞬の間、気圧されて沈黙した。

「えーと、それで、何がどうなってるんですか?」

ようやく、ルカの声で”岡部”が言った。

「原因はあの夜にお二人がなさった性行為だと思われます。」

「ええ?」

二人の顔は自然と赤くなった。

「そうなんです。何の異常もないモニターの方々にはカップルも含まれますが、当日のうちに、その、性行為をなさったのは岡部さんと木村さんのお二人だけのようなんです。」

木村というのはルカの苗字である。

「それで何で入れ替わるんです?」

岡部の声で”ルカ”が聞いた。

「錠剤の効力は24時間は持続します。もともとの仕様は、ペアリングするアンドロイド側から強力な極小ワームホールを励起して錠剤を飲んだ人間の脳と同期する仕組みなのです。それが、性行為による側坐核の興奮が、励起信号と同様の働きをして…。」

マリ博士は言い淀んだ。

「しかもそれが、至近距離で両方から同時に起こることによって同期が達成されてしまったと思われます。」

「同時に。」ルカの声で”岡部”がつぶやいた。二人は顔を見合わせて一層赤くなった。

「通常なら24時間で薬の効果は消滅するのですが、それはワームホール接続の待機エネルギーを消費するかためです。同期している間はエネルギーを使わないので効果は永続します。」

「で、元に戻すにはどうしたらいいんですか?」と岡部の声で”ルカ”が言った。

「まだわかりません。ワームホールを消滅させる何らかの脳内刺激が必要でしょう。片方が死ぬ、といったことがあれば確実に元に戻ると思いますが、そういうわけにはいきませんから。」

”岡部”と”ルカ”は目を見開いてマリ博士を見つめた。

「詳しくは再現試験を行わねばなりません。ご協力、いただけますよね。わたくしも、全力で事態の解決に当たらせていただきますのでご署名ください。」とマリ博士は言い、一枚の書類をテーブルに置いた。

翌日二人は授業をさぼり、再びマリのラボを訪れた。巨大な部屋である。壁面には大きな水槽があり、悠々と様々な魚が泳いでいる。中央部には直径4メートルほどの巨大な円筒を横にして、その中に幅2メートルほどの台を据えた形状の装置があった。台の上にはシーツが敷かれている。

「これは脳内化学作用の検知と操作を行う装置です。お二人には、もう一度錠剤を飲み、この上で性行為を試みていただきたいと思います。これによって性行為中の神経系の変化を計測させていただきたいのです。見ているのはわたくしだけです。シャワーを用意しましたので、どうぞご準備を。」

「いやいやいやいや。無理です無理です。」岡部(ルカの体)が両手を前に広げて言った。ルカ(岡部の体)はあっけに固まっている。しばらくの沈黙。

「まあ、ごちゃごちゃ言わずにやるしかないんじゃない?」とルカ(岡部の体)は言いつつ脱衣を始め、全裸になった。

「あなたの体だと羞恥心というものがなくなるんだよね。」

「ちょ、ちょっと待って。」と、自分の裸が女性の、しかも美人のマリ博士の面前になんのためらいもなく晒されるのを目の当たりにして岡部(ルカの体)は狼狽した。

「さあ、シャワーを浴びましょう。あたしの体なんだから、あたしがいいって言ってるからいいのよ。」

シャワーを浴びて体を温めた二人はようやく、装置内の台に上がり、座って向き合った。

「岡部、で、これどうすればいいの?」

「どうするって?」

「だから、どうすればおっきくなるの?触ってよ。」

「いや、無理だって。だって、俺だよ。ここ、クオンタム社の中だよ。」

「いつも自分でしてるでしょ。」

「それとこれとは違う。無理だ。触れないよ。」

二人は互いに”自分”の裸体を前になすすべもなかった。

「仕方がありませんね。実験の順序を変えましょう。性交渉は後回しにして、まず一人一人が別々に達したらどうなるかを実験します。少々、人為的に側坐核を刺激させていただきます。」

マリ博士は空中で手を左右に動かした。岡部(ルカの体)が透視され、頭部の画像が固定された。マリ博士は側坐核を示す場所に空中で触れると指でこする動作をした。装置は正確な電磁波を照射し、岡部(ルカの体)の快感中枢にコーティングされた光素子を発光させた。ルカの内生殖器を示す透視画像は、体温の高まりを検知して赤く染まり始め、いくつかの器官がゆっくりと収縮しはじめる。

岡部(ルカの体)は下腹部がじーんとしてくるのを感じた。

「ちょ、ちょっとまってください。実験てどういうことですか?」岡部(ルカの体)が身をよじらせながら聞いた。

「私は昨日、会社を退職しました。錠剤を用いた月世界体験にこうした副作用がある以上、レジャー目的での一般公開は不可能になりました。今後は軍事目的、科学目的での利用が中心になるでしょう。一方、開発者の私はテレプレゼンス技術としての権利を売り渡すことと引き換えに、入れ替わり薬として実用化する権利と設備使用権を得ました。昨日お二人がサインした書類は、私が今朝新しく設立した会社、エクスチェンジ社への協力同意書です。見返りに、会社のイニシャルステージ株をお分けします。実用化に成功すれば私たち三人は大金持ちになれます。とにかく入れ替わりの制御方法を見つけ出すのです。わかりましたね。では、いきますよ。」

「ちょ、ちょ、ちょ、ああああ。」

岡部(ルカの体)は両足を伸ばし、体をのけぞらせた。マリは台に歩み寄ると、岡部(ルカの体)の股間に手を伸ばした。

「ああああああああ」

マリの手が触れている間じゅう、その声はルカの体から発せられた。やがて大きくのけぞった直後に岡部(ルカの体)はだらんと弛緩した。意識がない。

「岡部、岡部!」

ルカ(岡部の体)は台の上に仰向けに横たわり完全に脱力した岡部(ルカの体)を揺すった。

ルカ(岡部の体)とマリ博士が見守る中、やがてルカの体はぶるんと震え、手足をバタつかせ始めた。目はうつろに開き、口をパクパク開け閉めしている。ルカ(岡部の体)はそれを押さえ込んで叫んだ。

「マリ博士!どうなってるんです?!」

三人の横で、水槽からバシャっと水音がした。マリ博士とルカ(岡部の体)が振り向くと、静かだった水槽の中で、一匹のエイが激しく泳ぎガラス面に張り付いて魚体を左右にくねらせている。マリ博士は事態を悟り、空中ですばやく十字を切るような動作をした。エイの透視画像が浮かび上がり、マリは表情を曇らせた。

「どうやら岡部さんはエイと入れ替わったようです。」

「え、ええええ!!?」

ルカ(岡部の体)は頬を両手でおさえて大声を出した。

「ここはまず鎮静しましょう。」

マリ博士は左手でルカの体を指差す。鎮静信号が脳髄に送られ、ルカの体の動きが鈍った。身をよじるような動きになる。人間の動きとは思えない、奇妙なエロチシズムがあった。

「これは、薬の開発で実験に使用していたエイです。水中では脳活動の遠隔操作がしやすいため、サイバードラッグ系の薬剤開発を行うには魚類を使うのが一般的です。エイはその中でも脳が扁平で解析しやすく、大変にタフなのでポピュラーな実験動物です。励起状態ではなかったのですが量子光学ナノマシンは神経実装してありました。ルカさんの体がエクスタシーに達する時に強いワームホールが新たに発生し、たまたま近くにいたエイと同期してしまったのでしょう。」

「もうなんだかよくわかりません!どうすればいいんです?」

台の上で裸で女子座りをしながらルカの体を押さえているルカ(岡部の体)が叫んだ。

「この場合はそうですね、簡単だと思います。エイを処分すれば元に戻るでしょう。ルカさん、そこの網を持ってきていただけますか?」

ルカ(岡部の体)はそそくさとパンツを履くと網をつかんで脚立に登り、エイを捕獲した。二人はラボの奥にあるキッチンにエイを運んだ。マリは慣れた手つきでメスを握り、ひゅっと前後に動かしてエイの尾びれの棘を切断した。左手で頭を押さえ、軟骨を断ち切って両脇のヒレを一気に切り離した。

「これはエイヒレにして食べましょう。」

ヒレをシンクに貯めた水に浸して血抜きをする。

「しっぽを押さえてください。」

ルカ(岡部の体)は目を背けながら細長い形状になったエイの尾部をおさえた。両ヒレを失ったエイはかなりグロテスクな造形だった。断末魔の苦痛からかエイは大きな口をあけている。

この瀕死の生き物には岡部の意識が転移しているのだろうか。テレプレゼンス的な動作原理を勘案すればその可能性は高いが、状況を知るには後で覚醒することを期待して岡部に聞いてみるしかない。マリはエイの後頭部にメスを突き立てとどめを刺した。

 

数時間後、三人はできたてのエイヒレを齧りながら日本酒を酌み交わした。”エイの悲劇”のおかげでチームとしての結束が生まれつつあると言えなくもない。

「エクスチェンジ社の設立に、かんぱーい。」とルカ(岡部の体)。

「ありがとう。一緒にがんばりましょう。」とマリ博士。

「それにしてもマリ博士のメスさばきはすごかったわ。岡部にも見せたかったよ。おかげで血抜きはばっちり。おいしいエイヒレができましたね。」とルカ(岡部の体)。

アルコールランプで炙ったので少々アルコール臭い。それともエイ特有のアンモニア臭だろうか。とはいえ、マリ博士の手際がよかったためにヒレの血抜きが完璧で、意外とおいしかった。

岡部(ルカの体)はいまだに顔が青ざめている。

「まさかエイと入れ替わるとは。肩から両手を切り離される感触はすさまじかったですよ。宮本武蔵に一刀両断される吉岡清十郎の気分です。」

「いやいや、吉岡清十郎は実際は木刀で倒されたのです。漫画の読みすぎですよ。」とマリ博士。

「どっちでもいいです。それにエイに入り込んだ時のあのなんとも言えない居心地がトラウマですよ。」うんざりした口調で岡部(マリの体)が言う。

「とはいえ、水中を水生生物として泳いだ経験は貴重なものだと思います。人間以外の生物との入れ替わり可能性も、この錠剤のセールスポイントになるかも知れないわね。」とマリ博士。

「あと付け加えておくと、マリ博士の指は、すご、かったです。ですです。」と岡部(ルカの体)。

「さあて冗談はさておき、二人の入れ替わりを戻す方法が見つからないと売り物にならないわね。単独でのエクスタシーは問題を解決しないことがわかったわ。やはり、入れ替わった状態で普通に性行為を行い、同時に達する実験をしてみないことには。」とマリ博士が言った。

「でもねえ、自分の体を相手に欲情するってのはいくら若くても無理ですよ。たとえば、アンドロイドを使うのはどうですか?」と岡部(ルカの体)は提案した。

岡部の心をアンドロイドに、ルカの心をガイノイドに入れ替え、そのアンドロイドとガイノイドが性行為を行なって入れ替わり、そののちに元に戻せば岡部の心を岡部の体に、ルカの心をルカの体に戻すことはできそうである。

「性的使用が目的のアンドロイド、ガイノイドはもちろん存在するけれど、地球への持ち込みは禁止されているわ。使用が許されているのはエウロパのリゾートだけ。実はこの薬のもともとの開発目的は、エウロパ向けなのよ。エウロパ旅行はお金と時間がかかりすぎるから、代替手段としてこの薬は最高よ。でもエウロパ宙域とのワームホール開設は、古巣のクオンタム社が独占しているから今は使えない。でもまあドロイド同士のセックスで入れ替わりが起こるとすれば、それを制御できる技術がない限り大混乱になるわね。エウロパで羽を伸ばしてるお客さんたちはみんな入れ替わって行方不明になってしまうわ。今頃大騒ぎしてるかも知れない。鍵は私たちが握っているのよ。がんばりましょう。」

その後も三人は大いに飲み、一升瓶を2本あけてエイヒレも食べ尽くした。へべれけに酔った三人はマリ博士のプライベートマンションに移動することにした。

酔って眠りこけた三人を乗せたマリ博士のクルマは、湾岸の橋を渡り、マリ博士のマンションに到着した。部屋のある階まではクルマで行ける作りになっている。長方形の箱状を成す一つの住戸が螺旋状に積み上がって、中央部のエレベータを取り巻き巨大なマンションを形作っていた。三人を乗せたクルマを乗せたエレベーターは音もなく上昇し、マリ博士の住戸がある中層階の東京湾側に張り出したセクションに着くと、ゆっくりとガレージにクルマを運び入れた。

「そろそろ起きなさい。」マリ博士は寝室の大きなベッドでまどろむ二人の大学生に呼びかけた。張り出したバルコニーの寝椅子に座って紅茶を飲むマリ博士の裸体に、ルカ(岡部の体)はみとれた。なんて美しい体だろうと心の底から思う。マリ博士の肉体は午後のオレンジ色の光を受けて輝いていた。自分は最初に会った時からこの人の裸が見たかったんだ、とルカは納得した。夏の空気は暖かく、シーブリーズが心地よかった。

「学校、どうしようかな。」と岡部(ルカの体)。

「学生起業により、しばらく休学しますって出しといたわ。」

「手回しいいですね。」とルカ(岡部の体)。

昨夜は酔って打ち解け、三人で酔い覚ましに一緒にシャワーを浴び、そのままブランデーで飲み直して明け方に寝たのだった。

「セックスで入れ替わるってのはいいと思うの。でもその後が問題よねえ。戻りたいときに戻れないと商品にならないわ。」マリ博士は言った。全裸のまま三人はベランダに立ち、キラキラと光るお台場の海を眺めた。

「紅茶のおかわりはいかがですか?」

フリルのついた可愛い服装の小柄な女の子がウォーマーで覆った紅茶ポットを捧げ持ってベランダを覗いた。マリ博士の身の回りの世話をしているガイノイドのベアトリスである。

「どうもありがとう。いただくわ。」とマリ博士。

ベアトリスは見た目は中学生くらいのあどけない表情だ。どういう機能が備わっているのかは、二人はまだよく知らされていない。地球での使用が禁じられている性行為用のガイノイドではないはずだが。

「さーて、まずはしばらくここに篭って、入れ替わりを戻す手法を確立しましょう。ここの寝室にはラボにあった装置と同じ仕組みが部屋自体に組み込んであるのよ。もちろんダイレクトVRも装備してる。どんなトリップでも思いのままってわけ。」とマリ博士。

「すごいですね。娼館か何かですかここは?」おどけた表情で岡部(ルカの体)が事情を知りたがる様子で聞く。とても合法とは思えなかったのだ。

「まあ、軌道国家職員の特権てやつね。あなたたちも我らがエクスチェンジ社で実績をあげれば、軌道国家移民局も注目するだろうし、私から推薦状を書くわ。さてベアトリス、薬を持ってきて。」

ベアトリスはカプセル錠剤と水を捧げ持って、ベランダに出てきた。日光を受けて、錠剤の虹色は輝いた。マリはなんのためらいもなく飲み込んだ。二人はあっけにとられた。

「さて、これで私もあなたたちの仲間よ。三人で協力すればちゃんといけるわよ。」

「えっ、でも、どう入れ替わるか分からなくなるんじゃ。」とルカ(岡部の体)。

「だからこそ、そのデータをとって制御システムを作るのよ。大丈夫。組み合わせパターンから言っても、何回めかで必ず元に戻るわ。その頃にはデータ解析ができているはず。足りなければもう一ラウンドすればいいし。」

「は、はあ。。」

なんてアバウトな。二人は内心あきれたけれど、これから三人で行う”実験”にドキドキしないと言えば嘘になるだろう。

三人は全裸で車座になり、ベッドの上に座った。互いの手を軽く握る。

「ベアトリス、はじめて。」マリは命ずる。

かたわらに立つベアトリスは、両手の指で空中に図形を描き、装置に指示を与え始めた。三人は快楽に彩られた幻覚の中に溺れていった。慣れない者同士、ましてや三人による性行為でエクスタシーに達するのは容易なことではない。装置はベッドのうえで様々に動く三人の頭部に自動追尾する照射システムを備え、脳内に分布させた量子光学ナノマシンに信号を送る。微細な光は脳内の信号伝達物質の受容体に介入する。

ベアトリスは各自の脳のノルアドレナリン受容体、オキシトシン受容体の感度を徐々に高めていく操作を行なった。同時にパソプレシン受容体にも信号を送る。この受容体は相手への愛着を高め、いわゆる「愛」と呼ばれる感情を呼び起こす。

三人は様々なポジションをとりながら互いを愛撫し、試行錯誤を重ねていく。興奮を高める三人の横で、ベアトリスは女性内性器の形状変化を見落とさないよう、絡み合う肉体の透視映像を見つめた。一人だけが達してしまうと”エイの悲劇”が繰り返されるか、昏睡状態に陥ってしまいかねない。その兆候が見られると、ベアトリスは神経の興奮をプラトー状態に保持し、時には物理的に介入して引き離した。

やがてマリ博士が、枕元に置かれた禁制品のジェニタリアノイドに手を伸ばす。女性用のジェニタリアノイドは使用者の粘膜部分に密着し、内性器、外性器の両方にフィードバックを与えると共に、突起物が受ける刺激を脳内の側坐核に直接伝える。ベッドの上ではジェニタリアノイドを装着したマリ博士、ルカ、岡部の3体が絡み合っていた。

ベアトリスはときどき手を添えながら、三人のノルアドレナリン分泌量をモニターし、ペースを揃えていく。

マリ博士が股間に装着したジェニタリアノイドはエクスタシー時だけでなく、先端からなめらかな粘液を絶えず分泌して一同の行為をサポートした。時間が経つと跡形もなく消滅する水を成分とした特殊ポリマーだった。ベアトリスは行為の合間に、ときおりその先端をコップの水につけて水分を補給した。

やがて、深く、高いピークが三人に同時に訪れた。それぞれにとって、過去に体験したことのない激しいピークが数分間持続した。

若いとはいえ、岡部の肉体の回復にはある程度時間がかかる。三人はまるまる二昼夜を費やしていくつかの入れ替わりパターンを繰り返した。ベアトリスは擬似的な依存症を作り出して三人を行為に駆り立てていく。そうするようにマリに命じられていたのだ。三人が精魂尽き果てたころ、ついに入れ替わりは元に戻った。

「ふう、やっと元どおりになったね。よかった。」

「よかったね。」

「ほんとに気持ち良かった。」

「あはははは。」誰からともなく、三人はいつまでも笑い合った。

パソプレシン受容体活性化の後遺症で多幸感にあふれた三人は、すっかり仲良しになっていたと言えるだろう。

「で、ベアトリス、解析の結果はどう?」

汗を流し、くつろいだ一同に対し、沈思黙考していたベアトリスはまなじりを決して言葉を発した。

「パソプレシン受容体とオキシトシン受容体に、カルマン渦関数によるシーケンスでの刺激を加えることにより、自認機能を混乱させ、一時的な失認状態と自他境界の融解を引き起こします。これによって入れ替わりに必要な性行為のための十分な興奮が可能となります。双方の側坐核への適時介入によって同時にエクスタシーを迎えさせ、これによって入れ替わり状態の復元を完了し、以後、錠剤の効果は消失します。再度同じ経験を行うには、錠剤の都度服用が必要です。」

「ビンゴ! ベアトリス、いいレシピよ。岡部、ルカ、お手柄だわ。」マリ博士は微笑んだ。

「ベアトリス、そのシーケンスを錠剤の配合に加えて軌道国家の特許機構にアップロードして。」

「了解。」一瞬の間。

「特許、ただいま発効しました。」とベアトリスが告げる。

「おおお!」三人は手を取り合って盛り上がる。「ベアトリス、仕事早いね。」とルカ。

「ただいまクオンタム社から特許使用申請あり。いかがしますか?」と続いてベアトリス。

「許諾。」マリ博士は即座に言った。

「了解。」一瞬の間。「イニシャル特許料、入金しました。ただいま、エウロパ公国より新錠剤の発注ありました。」

「受注。」

「了解。以後、継続的に軌道国家経由で入金予定です。」

ベアトリスは沈黙した。

「すっごい。マリ、いまので私たちどれくらいお金持ちになったの?」

「うーんそうねえ、とりあえずはこのマンション10棟分くらいかな。うふふふ。」

「おお、いいねえ。」

久しぶりに岡部の体を取り戻した岡部が、いつもの、のんびりした調子で言った。

 

一ヶ月もしないうちに、妙な噂が流れ始めた。エウロパのリゾートに、女神ベアトリスが現れ、旅人を宇宙の真実へと導くというのだ。だが女神ベアトリスとの融合に失敗し、独りよがりの快感に身を任せてしまうと宇宙の奈落に沈んで戻ってこられないという。人々は命がけでエウロパへの巡礼に旅立っていた。あるものは実際に現地へ、あるものは軌道国家占有の秘薬を使ったトリップによって。

湾岸マンションの最上階ペントハウスに引っ越した三人は、興奮して体験を語る”信者”たちのインタビューニュース映像を眺めながらくつろいでいた。

「ベアトリス、あなた、あの錠剤に何か仕込んだの?ニュースに名前が出てるわよ。」

「はい。ケースバイケースで異なるエクスタシータイミングの問題を補助するために、わたくしが、量子エンタグルメント現前し、介入して差し上げているのです。本日も朝からお二人ほど。時には失敗しますが。あまりにも性急ですと、あるいはリクエストが一時に殺到しますと介入が間に合わないのです。」

「仕事が早いベアトリスでも間に合わないくらい早いわけね。」とルカ。

「いやいや、何と言っても気持ちよすぎるんだよ。」と岡部がとろんとした目で付け加えた。

湾岸の空には涼やかな風が吹き始めていた。

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