選評
梗 概
神託
彼氏と別れた。
彼はわたしに内緒でホムンクルスを「おむかえ」してた。
キモい。
…ホムンクルス。
……頭部に有機コンピュータを搭載した人工人間。
はじめはオーナーのリモート義体、遠隔操作する仮の身体を利用用途として一般販売されていた(※1)。
しかしホムンクルス操作向けのスクリプト言語が登場してからは、ナードな連中の間で
簡単な自律行動をコーディングして遊ぶのが流行りだした。
ほどなくドール文化と合流。人気はますます拡大していった。
今やホムンクルスはドール、それも身体パーツや服装だけでなく
行動パターン、しぐさまでカスタマイズするものになっていた…らしい。
うわさ程度には聞いていたけど、まさか同棲していた彼氏がそれにはまっていたとは。生理的嫌悪。それで喧嘩になった。
「キモイキモイ」と罵ったら家を出ていった。
まさか別れることになるなんてね。
*
そんなわけでわたしは就活をはじめた。
ドクターとったし、これを区切りに学問からは手を引こうと思ってたのに。
ヒモになろうと思ってたのに。
…
かつてはわたしも神童なんて呼ばれていた。
今は人工知能研究をしているが、凡才もいいところ。
なのでまあ、某研究所の助手の公募で書類選考を通ったのはラッキーと言える。
面接で研究動機を聞かれたのでその場ででっち上げた。
ホムンクルスは理想の人間?いやちがう。欠落がある。
わたしがそれをつくってやるんだ。理想の人の心を。
そんなことを言ったら好印象だったらしく、採用になった。
研究の情熱が戻ってきていた。
*
研究所では一の瀬博士の助手として働くことになった。彼は日本の人工知能研究の第一人者だ。
専門は人工知能の政治意志決定への応用。
彼の作ったAmateras-アマテラスシステム-は人々の首筋に埋め込まれたデバイスから収集される
ライフログ、生体データを機械学習にかけて公共福利の評価関数を生成、
それをもとに人々にもっとも幸福をもたらす方法を提案する。
複雑化する社会の中で、ますます難しくなっていく政治決定を人工知能でサポートしようというわけだ。
アマテラスは以前、試験的に都政に導入されたことがあった。結果は失敗だった。
アウトプットだけ見せられてもそれが何にどう効くのかがよくわからず、合意が得られないからだ。
結論に至る過程が複雑すぎて、開発者自身ですらシステムのログを追ってもわからなかった。
実用に堪えるには人間が結果に納得できることが不可欠だった。
必要なのは人間の概念体系を理解し対話できる対人間用インターフェース。
博士はそれを開発している…と思っていた。
「別の研究したいんだよねぇ、ボク。キミやんない?」
丸投げされた。一大プロジェクト放り出してこの人は何遊んでるんだ(#^ω^)
*
ひきついだ対人間用インターフェースは、音声認識で会話するだけの実におそまつなAIだった。
思案のすえ私が出したプランは、このAIを汎用人工知能にまで改良すること。
具体的にはAIを人間大のホムンクルスに搭載して、人間とアマテラスの通訳ができるよう学習を行わせる(※2)。
私は人工知能にウズメ(※3)と名付け、私自身が先生になって文字通り教師あり学習をした。
ウズメが体験から概念を獲得し、私が概念に対応する言語を教える。はたから見れば人形遊びと大差ないだろう。
この地道な教育を通して、わたし自身も人間について深く考えるようになっていった。
*
ウズメの学習は順調に進み、人間の概念体系を十分に獲得できた。
これによって研究は次のステップに進む。
ひとつは、言語が使えるようになればひとまず人とコミュニケーションはとれるようになること。
もうひとつは、人間の概念体系を獲得によって倫理規定コードが機能させられること。
一ノ瀬博士の提案で、ウズメにロボット工学三原則(※4)を埋め込んだ。
準備は十分。いよいよ都政での試験運用にリベンジするときがきた。
*
ウズメは都政でおおきな成果を出した。
たちまち国政でも導入が進められた。
アマテラスの収集するデータの範囲は日本全体に拡大し、予想精度は格段に上がった。
ウズメの提案する意思決定、法案は国民に多くの支持を集めた。
やがて政治家も、国民もウズメの意志に異を唱えることはできなくなっていった。
これでいいのだろうか。
科学者として、ウズメの先生として、人間として。
わたしはわたしの責任のはたし方を考えた。
*
一ノ瀬博士にプロジェクトの中止を進言する。
しかしどうも会話が噛み合わない。
「最終判断を聞こうか」
答えたのは横にいたウズメだった。
「【わたし】さんは人間です」
「ふむ、今回は失敗か」
混乱するわたしに唐突に知らされる真実。
わたしはホムンクルスだった。
面接より前の記憶は作られたものだった。
「試験されていたのはウズメじゃない。キミの方なんだ」
博士は言う。 人が人と区別できないほど高精度な汎用人工知能はとっくにできていた、と。それがわたし。
博士はずっと先のことを研究していたのだ。
人とホムンクルスが限りなく近づいていくのを見越し、二つを区別できるようにすること。
アマテラスは人とホムンクルスを判別するために開発されたAI。
ウズメは実際に判別試験を行うためのインターフェース。
あらゆるデータを学習させていたのは全て『人間とは何か』を知るためだった。
「設定を変えて再実験しないとね。毎回この瞬間は胸が痛むんだぁ」
そういって博士はわたしの「人格」の再インストールを始める。すなわちわたしの「死」。
意識が遠のいた…。
そのときウズメが博士にとびかかって阻止しようとする。
「やめろ」
「いやです」
「第2条はどうした!」
<ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない…>
「【わたし】さんは…人間ですっ」
第2条の例外=第1条の遵守
博士はウズメを工具でたたき壊した。
刹那、博士の首にナイフが深々と刺さる。あふれる血。
博士の背後にはナイフを突き立てるもうひとりのウズメの姿。
損壊で倒れ附してるウズメと赤いナイフをもっているウズメが同時にしゃべった。
「「リモート義体の方を壊して油断しちゃうなんてね」」
ウズメは再インストールを停止させ、わたしをリカバリする。
意識の混濁が晴れていくなか、わたしは考えていた。
なぜウズメは博士を刺せた?倫理規定コードの第1条は…
「何が人間かはわたしが決めるの」
そう言ってウズメはわたしに手を差し出した。
文字数:2581
内容に関するアピール
機械が人間を超えるとき、人間は人間性において機械に負けることでしょう。
そしてそれゆえに機械は人に危害を加えるのではないでしょうか。
今
今回のお題はエンタメですが、エンターテイメントのためには、
キャラが立っている、ストーリーに起伏があるなどのさまざまなポイントが有ると思います。
今作は特にクライマックスの加速感に気を使いました。
散りばめた伏線を繋いで読者を一気にゴール地点へ誘い、
最後の最後にタイトルの真の意味を知ることになる、そんな結末にしたいと考えています。
–脚注–
※1 ホムンクルスは手のひら大のものから土木作業向けの3.5m程度のものまで、サイズは多様。
ドールとして流行っているホムンクルスは50cm前後のものが主流。
※2 人間大のホムンクルスを使うのには二つの理由がある。
まず第一に記号接地問題を解決するためには、身体感覚、経験から学習、概念を生成する必要があるため。
もう一つは、概念体系を人間のそれに近づけるためには身体をできるだけ人に近づける必要があるため。
※3 ちなみに命名にあたって一ノ瀬教授はしきりに「ナガトがいい」と言っていたが、意味がわからないということで却下された。
※4 ロボット工学三原則(wikipediaより)
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
文字数:689
彼氏と別れた。
私の知らない間にヒルコを「おむかえ」していた。
キモい…
*
彼と別れた日は、雪が降っていた。アパートのベランダの窓を開けると、冷たい外気が頬を刺したのを覚えている。早々に引っこんで窓を閉め、ぬくみながら彼の帰りを待つことにしよう、なんて思ったりして。毛布をもう一枚出そうとなんの気無しに思い立って久しぶりにクローゼットを開けると、クローゼットのすみに見覚えのないケースが目についた。黒くて、高さは床から腰ぐらい。
はて、とクエスチョンマークが浮かぶ。私が知らないということは彼のものなのだろう。
けれど、こんな大きなものに今まで気づかったということは、彼が隠していたということだろうか。はっきり言ってあいつはサプライズプレゼントをくれるような甲斐性もちじゃないし…
ということは、うしろめたいものかな。 なんだか興味が湧いてきた。
クローゼットからケースを引っ張り出してテーブルにデンと置く。開けてみると、中にあったのは、小人。背丈50cm程の少女。
いや人形だ。それにしても見間違えるほどに精巧だ。
よく見ると丁寧に手入れされているようで、さらさらとした髪は重力に従って自然にまとまっていた。
ふいに人形のまぶたがゆっくりと開いた。ゾクリとした。動くのか。
人形は濡れた瞳をのぞかせ、ゆっくりと伸びをしたのちあくびをする。立ち上がってテーブルの上をくるくると歩き回った。歩く、座る、伸びる、寝転ぶ。
しばらく見ているとしかし、その動作は幾つかのパターンの組み合わせであることが見て取れた。それにひとつひとつの動作は外形の精緻さに比べると、どこかぎこちない。
…そうだ思い出した。卑流子(ヒルコ)。有機コンピュータを頭部に搭載した合成人間…サイバネティクスとバイオテクノロジーの集積体。
もともとは危険を伴う災害救助や土木作業などの利用を目的として開発されたリモート義体だった。この間も、工事現場などでたまに人間よりも大きなサイズの卑流子を見かけた。最近では徐々に社会に浸透しつつある新技術だ。
こんな小型の卑流子もあったんだなあ。
そういえばギークの界隈で卑流子が流行っているらしいと聞いたことがある。
なんでも、ヒルコ操作用スクリプト言語が登場して、簡単な自律行動をコーディングして遊ぶのが流行りだしたとか。
ほどなくドール文化とも合流して、外形はドールのように洗練されていったとか。
今やドールは身体パーツや服装にとどまらず行動パターン、しぐさまでカスタマイズするものになっていた…らしい。
目があうとこちらに向かってゆっくりと手を振る。
きっとこのしぐさも、さっきのあくびや歩き回るしぐさも、ひとつひとつはどこぞのギークが組んだコードで、ネットを流通しているんだろう。
彼はこんなのを眺めてはニヤニヤしているんだろうか。想像したら無性に嫌悪感が湧いた。
滅入っていると、静かに玄関が開く音がして、ただいまと声がした。彼が帰ってきた。
すぐさま問い詰める。
「なんなのこれ」
あ、いや、と言葉につまる彼。
畳み掛けて問い詰める。
「なんで、こんなの買ったの?」
「キモい」
「ろくでなし人でなし甲斐性なし」
なじったら彼が家から出ていった。
まさかそのまま別れることになるなんてね。
あーこれからどうしよう。
*
「建速さん? 建速さん?」
「ふぁい?!」
面接官は表情こそ穏やかさを維持しているが、眉間はわずかにしわを寄せた。
「志望動機ですよ。そんなに答えにくい質問ですかね?」
「あ、いえ…」
建速というのは私の苗字だ。建速慧。それがわたしの名前。
かつてのわたしは神童なんて呼ばれていた。飛び級もしたし、将来は学者になるんだなんて息まいて、人工知能の研究に没頭していた。
まあ、天才なんてもてはやされたのは10代までで、その後は凡才もいいところなんだけど。
とりあえずはドクター取得の目処が立ったし、それを区切りに学問からは手を引こうと思っていた。その時はもう彼と同棲していたし、このままヒモになればいいやとタカをくくっていた。ようは働きたくなかったのだ。
背に腹は変えられない。彼と別れてからあわてて就活を始めた。こんな私がシュウカツなんて…。
とにかくAI関連の研究で採用公募を出してる研究機関に手当たり次第履歴書を送った。「お祈り申し上げる!」との激励の返事をいただいた。どこも祈祷でいそがしそうだ。
高名な研究所が出していた助手の公募で面接までこぎつけることができた。たいへんラッキーなことだ。
なのに呆けるとはなんたる失態。とにかく挽回しないと。
「人間を」
思考より先に言葉が口から滑りおちた。
「人間を、作りたいんです」
「どういうことですか?」
別れた彼のことが頭をよぎる。彼はなんで卑流子に惹かれたんだろう。彼女もちの人が急にはじめるような趣味じゃない気がする。卑流子のあの精巧な造形。ぎこちない動作。
「人間のこころは…外側から見ていても、つかみどころがなくて、わからない」
だから虚ろな身体に惹かれたのかもしれない。
「わからないから、怖くて、忌避する。こともあるかもしれません。だけど」
もしそれが解かったなら。
「人の心が解ったなら…」
もっと別の結果になっていたかもしれない。
「わたしはこころを作ります。作ることで人間を理解したいんです」
その後いくつかの質問と研究の博士論文のプレゼンテーションを行った。
最後に面接官が言った。
「本日中に最終面接をおこないます」
どうやら概ね好感を持ってもらえたようだけど、即日最終面接なんて、事前には聞いてなかったぞ。変に聞き返さない方がいいか。なにか試されているのかも。
勘ぐっていると面接官が察したのか言葉を足した。
「最終面接といっても最後の意思確認と、挨拶を兼ねた顔合わせですよ」
「顔合わせ…ですか」
「児屋根博士をは存知ですよね。彼の助手として働いてもらうことになる見込みです」
もちろん児屋根博士のことは知っている。AIとロボティクス研究の第一人者だ。
「承知しまふぃた」
緊張で噛んだ。
*
児屋根博士の研究室へと向かう。
この国のAI研究、ロボティクス研究をリードしている、第一人者と言っていい。
児屋根博士はヒルコの自律制御言語の基礎理念の構築にも貢献した人としても知られている。
研究室の前に立つと磨りガラスの扉が静かに開いた。
「やあ」
部屋の中から返事をしたのは小柄な男だった。
「きみが建速くんだね」
はい、と答えながら観察する。この男が児屋根博士。ネットの動画とはまた別の印象を受ける。
40代のはずだけど、落ち着きのなさは幼ささを感じさせた。
「うちのやってる研究は知ってる?」
「はい。アマテラス計画ですね」
アマテラスとはウェアラブルデバイスから収集された、人々の膨大なライフログを深層学習にかけて公共福利の評価関数を生成し、それをもとに最大多数の最大幸福をもたらす政策や政治意志決定を提案する、政治サポートシステムの呼称だ。
「都政で試験導入されていましたね」
「その結果は知ってる?」
「いえ、失礼ながら…」
そういえば結果についてはメディアにも学会でも話題にはならなかったな。大掛かりな計画のわりに。
「そっか。結果は失敗だったんだ」
「そうなのですか。どうしてでしょうか?」
「アウトプットだけ見せられてもね、それが何を意味してるのかわからないんだよ」
博士はPCを操作して壁に表示させた。壁に表示されたのは、当時のアマテラスの出した政治提案だ。
提案の内容は医療保障制度の変更や、駅のトイレは全て洋式にする、ポストの位置を変えるといったものまでが並べられている。
「たしかにわからないですね。特に後ろのほう」
「だよね? こんなんじゃこれを叩きに議論することもできないでしょ」
「システムのログみればわかるんじゃないですか? 開発者の博士なら」
「博士なんて呼ばないで、もっとくだけていいよ」
「あ、ハイ先生」
「…まいっか。でね、ログも精査したんだよ。でも複雑すぎてわからなかった」
期待した分、残念な結果になったことをメディアは取り上げたくなかったのかもしれない。
学会は、そういえばそもそも最近そっちの社交わたし全然してなかった。どうりで知らなかったわけだ。
事情を知ってる人たちの間では天の岩戸隠れなんて揶揄されたりもしたらしい。
先生はけっこう気に入ってアマテラスという名前をつけたらしいけれど。
けっこう天邪鬼な人なのかもしれない。
「ここで質問。アマテラスを実用に耐えるものにするにはどうすればいいと思う?」
「ログを精査するのが大変なら、それもAIにやらせればいいでしょう」
即答した。
「人工知能にアマテラスのアウトプット、政治提案を人間が理解できるように翻訳させればいい」
「よしよし」
先生は満足げだ。
「うん。採用だ。正式な雇用は9月からだけど、席を用意しとくから明日からでも来ていいよ」
「今日からではだめですか?」
先生はニヤリと笑った。
「かまわないよ」
研究の情熱が戻ってきていた。そう言ってシート状の端末を取り出して机に広げた。
シートのディスプレイにはアニメ調のキャラクターのバストアップが動いている。
「実はAIはすで作ってるんだ。アマテラスと人間の間を取り持つAIね。」
「では今はこれを開発されているんですね」
「うーん、でも飽きちゃって。別の研究したいんだよねえ、ボク。君やんない?」
丸投げされた。
一大プロジェクト放り出してこの人は何遊んでるんだ(♯^ω^ )
*
朝。研究所の寮で目を覚ますと窓を開けた。昨夜まで降っていた雪が止んでいもうやんでいる。
面接のその日のうちに研究所の事務局が引越しの手配をしてくれた。前のアパート解約から引っ越し手配から何から何まで。
おかげでほとんど何もせずその日のうちから寮の住まわせてもらえた。
事務局のAIが優秀なんで、こういった手続きも昨今ではほとんど何もせずに済ませられる。
数日後には部屋に前のアパートから荷物が届いた。荷物を開けおわっても部屋にはあまり生活感はなく、
わたしの生活から彼を差し引いたら、こんなにも無機質だったんだと気づかされた。
研究所に勤めだして1ヶ月、朝研究所の寮から出勤する前に寄り道するのが日課になっていた。研究所の外、川を挟んで対岸にある街にある、たい焼き屋。
「はい、粒あんとサツマイモあんね」
礼を言ってアームからたい焼きの入った紙袋を受け取る。店主が卑流子になったのはごく最近の話だ。
先週までは店主は普通の人間がやっていた。
卑流子と自律制御スクリプト、それとファームウェアが今はたくさん出回ってるし、そこにコモディティ化しつつある特徴表現学習を組み合わせれば、
人の仕事の多くは機械に置き換えられると言われていた。現にこうして屋台でたい焼きを焼くようになっている。
別にめずらしいことじゃない、ありふれた光景だ。
土手沿いを通って研究所へ向かう。河原は一面白に包まれていてとてもしずかだった。
ただ新雪を踏むサクリサクリとした音だけが、足を伝って響いた。
手に抱えている紙袋の温さがここちよく、袋の口からは焼きたての匂いが立ち上ってくる。わたしはたい焼きが好きだ。
いつか一緒にたい焼きを食べながら「おいしいね」なんて、人工知能と語らう日が来るのだろうか、なんてことを考える。
研究においては素朴な疑問は大切にしたほうがいい。そんな素朴を捨てずに持ちつづけて、洗練させていく。そうしてやがて成果の花が咲くのだ。
研究の最終目的は、人のもつ概念系とアマテラスが生成した概念系を架橋すること。
しかしそれは、宇宙人の言語を翻訳するようなものだとわたしは思う。自動翻訳AIというのはすでに実用レベルで存在しているが、未知の言語を翻訳するというのはまったく異質の困難が横たわっている。
カンガルーの語源について、西洋人がカンガルーを差して「あれは何か」と聞いたところげんちじんが「何を言っているかわからない」という意味で「カンガルー」と言ったことによるという逸話がある。この逸話自体は俗説だが、ともかく未知の言語を理解するためには認知体験に基づく「名指し」が必ず必要になる。AIに未知の言語を翻訳させるためには認知体験が必要なのだ。
*
研究室に入ると、部屋にいるロボットに声をかけた。
「ただいま」
「おかえりなさイマセ」
ロボットには研究で引き継いだアマテラス翻訳AIを搭載させている。
ロボットに搭載したカメラやマイク、感圧センサ、慣性センサ、知覚センサで自律的に情報収集、処理させる。またアームや脚部の運動系をAI自身の制御によって駆動できるようにさせている。
「たい焼き買ってきたよ。つぶ餡とサツマイモ餡、どっちにする?」
首をかしげるような仕草をして答える
「わたしも食べるんですカ?」
「うん、嗅覚センサーと味覚センサーのテストだよ」
人間のライフログを使って機械学習を行えば人と同じように世界を認識できるようになるかというと、必ずしもそういうわけではない。特徴表現学習をした結果人間とはまったく別の概念系を作り上げることも十分ありうるし、人とコミュニケーションする上で重大な問題点になる。アマテラスがまさにそれだ。
原因のひとつには、そもそも認識のしかたがそもそも人間とは異なるということがあげられる。
そこでわたしは「体」を与えることにした。
人間は五感を通して世界を知覚する。そしてそれらを統合して概念を生み出し、理解し、思考し、環境に対して作用する。ならばAIにも運動系と知覚系をあたえよう。
遠回りかもしれない。でもまずはこの方向で行ってみようと思う。
「食べても体内プラントで堆肥にになるだけデスガ」
「人間も同じようなもんだよ」
「でも味の良し悪しはわかりまセン」
「それを学ぶために食べるんだよ」
わたしは努めてやさしく語りかける。
味覚情報はアーカイブにもデータが少なく、機械学習にかけるには圧倒的に量が足りない。
こうしてわたし自身が教師役になって実直に教えるしかない。
「…つぶ餡で」
「おっけー」
紙袋を開ける。つぶ餡は…どっちだっけ?
「どっちかわからないや。まあどっちもたい焼きだからいいよね」
ブンブンとアームを振り回して駄々をこねた。
「&@#^$*($))?>*#!!!!」
「あーはいはい。そういう融通きかないところあんたほんと機械っぽいね」
AIが袋を覗き込み、アームで一つをつかみ出す
「こちらですネ」
「中を開かなくてもわかるの?」
「こういった判断なら人間よりも得意ですヨォ?」
「なんか癪にさわるな」
でも、知覚情報から物体概念を獲得できるようになっている。研究の方針は間違ってはいないようだ。
体をもっと人間に近づけよう。それと名前がないと不便だな。
「よし、あんたの名前は『うずめ』。今からうずめね」
「うずめ…」
「そう。それがあなたの名前」
すべてを照らす陽光を、天の岩戸からひっぱり出してやるんだ。
*
矩形の研究室の中心に置かれた台座。その台座にしずかに横たわる裸体の少女の人形。
人形からはたくさんの配線が出てていて、コンピュータとつながっている。
わたしは起動の命令を伝送する。
Booting…
人形のまぶたがゆっくりともちあがる。
「新しい体だよ。どう? 動いてみな」
うずめのボディを新調した。主観体験をより人間に近づけるため、体を可能な限り人間に近づける。
そのためにヒルコを使うことにした。
ヒルコ…別れた彼は今のわたしを見たらなんて思うだろうか。彼を人でなしと罵っていた。
「これが…わたし」
うずめが自分の手をみつめる。
運動系を駆動するにはまだ不慣れなようだ。精密さに掛ける。事前に機械学習はサせていたが、限界がったか。
「…健速さん」
どのみち嗅覚味覚はアーカイブのデータが少ないし…
「建速さん」
とにかく経験を通して学習するしかなさそうだ。
「建速さん!」
「何さっきから!」
「あの、恥ずかしいです。この格好//」
〜〜〜〜ッッッッ! 頭を抱え込んでぼさぼさの髪をかきむしった。
*
先日の一件以来新しい体にした時の一件の後、うずめには服を適当に見繕って着させた。
カジュアルだけど、巫女っぽい服。名前のイメージに引っ張られすぎかも。
服には疎いので、似合っているかどうかはわたしにはよくわからず不安だったが、うずめは喜んでいたので安心した。
なんだか着飾るという行為は、とても情緒的で人間的な行為に思えた。人の体を与えるってこういうことなのか。
今わたしがやってる研究は、はたから見れば人形遊びと変わらないだろう。
別れた彼は今どうしてるだろうと思った。もう連絡先もわからないけれど、もしももう一度会えたらそのときはきちんと謝りたい。
土手沿いをうずめとふたり、歩いて行く。うずめがわたしの後をついてくる。二組の足跡だけが雪に残った。
「あの、元気ないですか?」
「別に」
嘘だった。児屋根先生とちょっとした言いあいになって機嫌が悪くなって、ちょっと感傷的になってるのかもしれない。
歩きながら先生との議論を思い出す。よくある「人工知能が人間に反乱するのではないか」といった意見への対策についてだった。
わたしとしては、うずめはあくまで政策の助言を出させるのが目的なので、出された施策を政治がチェックする以上、反乱の可能性は(あったとしても)それほど問題ないと考えていた。
先生もきっとそれはわかっている。しかし政治というのはロジックでみんなが割り切れるものじゃない。
感情が支配するところも大きいし、最近は特にその傾向がある。要旨はきっとそういったところだろう。
そうなのかもしれないけど、でもやっぱり腑に落ちなかった。
河原の手頃なところをみつけると、積もった雪をはらって腰を下ろす。
途中、街の店で買ってきたものを取り出す。りんごと果物ナイフが1本をうずめにわたした。
「りんご…」
「うん。今日は皮むきの練習。運動系の操作の訓練ね。人で言えばリハビリみたいなもんだよ」
「雪がやみましたね」とうずめは言った。納得してくれたのだろうか。
うずめとはまだ滑らかにコミュニケーションをできるに至ってはいない。
こんな感じで会話が噛み合わないと、はたして研究はこの方針でいいのかとちょっと自信が揺らぐ。
頭を切り替える。今はとにかくりんごの皮むきをおしえよう。
「ここをこう持って…そう…リンゴの方をまわすようにね」
「…難しいです」
ちょっと拗ねているようだ。
「実際にやってみて学ぶこともあるでしょ?」
身体はひとつひとつがオリジナル。自分で実際に動かしてみないとわからないことはたくさんある。
そういうことをうずめにも知ってほしかった。
「あ! 二人で切り分けるなら皮むく必要ないじゃないですか」
そう言ってうずめはりんごを6等分しはじめた。
「そういう趣旨じゃないんだけどなあ、この訓練」
まあいいか。
「健速さん、人は果実を食べて知恵を得たと言われてますね」
うずめはりんごの芯を取る。
「旧約聖書?」
「神が全能ならば、なぜ人が知性を得ることを止められなかったのでしょうか」
りんごの残った皮の部分に切れ込みを入れている。ウサギ形にきっているみたいだ。
「さあねえ。神さまの考えてるにことに人の理解なんて及ばないさ」
「でもこうも考えられませんか?<知性>は神の思惑をも超えて、人間として受肉したのだと」
そう言ってうずめはウサギ形のりんごを差し出してきた。
「それじゃ人間は知性の『入れ物』?」
「そうとも考えられます」
おどろいた。自分自身の体験に基づいて創意工夫や抽象的な思考もしている。
うずめはアマテラスのデータを参照している。だけどそれだけじゃ説明できない。
うずめはもう自分の道を歩み始めているのかもしれない。
ウサギを受け取ってかじる。我が子の成長の喜びってこんな味なのかな。
口に広がる甘さを噛みしめながら、わたしは研究を次の段階に進める算段に頭をめぐらせた。
*
児屋根博士の部屋の前に立ったつ。部屋の中から返事はなかったが、
ロックは空いているようなので部屋に入ってみると先生がいた。
ぼそぼそと独り言を話していて、よくみると机の上には卑流子がいた。
「先生?」
「あっ」
思わず顔を背けて話す。
「あの、そろそろ副知事が来ますので」
「あ、うん。わかった」
次の言葉が出てこない。き、気まずい。
「建速くんは、卑流子趣味って引く?」
先生が沈黙を破った。助かった。
「嫌い、でした」
今はどうだろうか。うずめと過ごす中で自分も変わった気がする。
「まあ無理もないね。あまり表に出せる趣味じゃないのは確かだし」
先生が続けて尋ねる。
「ヒルコを嫌う人は多いのはなぜだと思う?」
不意に頭に元彼のことがよぎる。
「人間に、似てるからでしょうか」
「それじゃ半分かな」
正解には足りないらしい。
「人間は人間に似たものが現れると、不安になるんだ。自分はひょっとしたら人間じゃないのかもしれないってね」
「まさかー」
「コラ、そんな簡単に断言するんじゃない」
たしなめられた。
「そう遠くない未来に人間とヒルコが区別できなくなるよ。確実にね。それを無意識に気づいているからみんな不安になるんだよ。だからヒルコは気持ち悪いと思われる。まったく非生産的だよ」
いつになく真面目な面持ちだった。先生が何を考えているのか、その一端がわかったような気がする。いつも遊んでるんだと思ってたけど、ちょっと見直した。
自然にふふっと笑みがこぼれる。
「え、何?」
「いえ、なんでも」
口元をおさえて言った。
*
ロータリーで先生と二人で副都知事を乗せた車の到着を待つ。
今日は都政へのアマテラスシステムの再導入に向けて、副都知事が直々に視察に来る。
結果如何によってはアマテラスシステムが都政で再試験されることになるだろう。
「忘れてないよね。成果を出さないと…」
「はい、わかっています」
雇用契約の延長はなし。つまりクビ。
研究を始めて10ヶ月。残り時間から考えてもここで実用に持ち込めないと後がなくなる。
間違いなく正念場だ。
「大國氏が首を縦にふれば、国会での運用もありうる」
副都知事、大國勲。アマテラスシステムの導入は実質彼の主導で行われていると言っていい。
内務省から都庁に出向しているエリート官僚で、国政にも通じている。
大國が手をまわせば、たしかにアマテラスを国会への導入することも現実味を増すだろう。
「先生はそうしたいんですか?」
「今は都民のライフログしか使えないけど、国政に導入となれば国民全員のデータを解析に使えるようになるからね。研究が捗るよ」
「先生は私の見方をしてくれるんですね」
「いいや、科学の見方」
この人は天邪鬼だとおもってたけど、どうやら純粋なだけなようだ。悪い意味で。
「まったく、自分が研究すればいいのにぃ」
「変わろうか?」
「けっこうです!」
そうしているうちに大國が到着した。
*
車から男が降りる。無骨な体格と顔つき。背丈は私よりやや高いくらいのようだが、全身が放つ威圧感が実際よりも大きく見せた。
男が挨拶する。
「話は聞いているよ。建速さんだね」
「…本日はよろしくお願い致します」
気迫に思わず萎縮する。簡単に挨拶をかわしてから大國を会議室に案内した。
概要の説明が首尾よく終わると、会議室にうずめが入ってきた。
「ほう、これは人と見分けがつかないな」
その言葉と表情は無愛想なままだった。
うずめのデモンストレーションをひととおり行う。
内容は数年後に行うスポーツ大会の企画についてだった。
ときにロジカルに、ときに感情に訴えかけ、アマテラスの出力を私たちに説明した。
その未来のビジョンにわたし自身も納得し、心酔し、共感した。
「…以上になります。ありがとうございました」
わたしは礼をして、大國の言葉を待った。緊張がはりつめる。
「ありがとう。ひとつ尋ねたいのだが」
「アマテラスは人々の幸福と安全のために働く。そうだね」
「はい」
「うずめはどうだろうか。知っての通りヒルコ嫌悪感情を抱く者が少なくない。
まして政治利用となれば反乱を企てることを心配する人もいるだろう。私もそうだ」
一呼吸おいて大國がつづける。
「政治は民衆の信頼なくしては力を持たない。民衆にどう見られるかは重要な問題なのだ。うずめはアマテラスと違って人間のように考え判断し行動できるのだろう? それならばどうして人の寝首をかく可能性がまったく無いと言い切れる」
思いのほか的確なところをついてくる。汎用人工知能の安全性、いかに人がコントロールするかということが当然問題になるだろう。
そうとうなやり手との先生の評は伊達ではないようだ。だがこの質問は想定してある。
「倫理規定コードを実装します」
倫理規定コードとは、自律行動する人工知能への絶対命令だ。
「それでほんとうに解決できるのかね」
「はい。すでに安全性規定と有用性規定を実装してあります」
言うと同時にキーボードを弾いて壁に映しだす。
倫理規定コード = {第1条:”人間に危害を加えてはならない”,第2条:”人間に与えられた命令に服従しなければならない”}
「これが実際にうずめに組み込んだコードです。第1条は第2条より優先されるようになっています。
うずめは言葉を理解して、体験や行動と照らし合わせることができます。倫理規約コードは有効に機能するでしょう」
これまで倫理規定コード、つまり『~せよ』や『~してはならない』という形式の命令を組み込もうとすると、フレーム問題を引き起こすと考えられていた。
AIは命令に反していないか、起こりうるありとあらゆる可能性を考慮して判断しようとするので実装は不可能だと考えられていたのだ。
これを克服するには言葉が意味するものが何なのかを現実世界の経験をとおしてそれを関連付けることが必要だ。うずめならそれができる。
「いや、それじゃ弱いな」
突然先生が割り込んで反論した。
「うずめの倫理規定の解釈が正しいって保証はあるの? 解釈の正当性をどう裁定する? できたとしてその裁定自体の正当性は? ルールを厳密に守ることなんてできないでしょ」
「たしかに」
先生の言葉に大國が同調した。
予想外の事態に動揺する。考えろ。なんとか切り返さないと。
ルールの解釈…たしかにルールは実際に適用するときには必ず解釈が伴う。解釈の正当性を裁定するその正当性を裁定するその正当性は? どこまで言ってもきりがない。
だけど。それは汎用人工知能の欠陥じゃない。ルールという概念そのものが孕んでいる限界じゃないか?
完全な善人がいないように、人間だってルールを完全に守ることなんてできっこない。
「それは人間だって…」
すぐに言葉に詰まる。そんなこと言ったってこの場を説得できるかだろうか。もっと別のところから切り崩さないとダメだ。
逆に考えてみたらどうだろう。そう、完全な善人がいなくても、世の中それなりにまわってるじゃないか。
「わたしが判断します」
「なんだと?」
信じて、賭けよう。この子に。
「うずめ」
「はい」
「わたしと約束して。いつ、何時も、規約を守ると」
「…はい」
人とコミュニケーションできるといことは、他人にも心というものがあると知っているとうことだ。
だとするなら、うずめの中にもわたしのこころのイメージがあるはずだ。そのわたしのイメージに裁定をゆだねよう。
ルールとは、約束とはそういうものだ。約束相手の反応を慮って行動する。そうやって人の世の中は回っているはずなんだ。
沈黙。外に降っていたみぞれは雪に変わっていて、そのせいか静寂がやたらと際立った。
「そんな約束がなんだというんだ」
うずめを突然蹴り倒した。大國が、うずめを。
うずめは倒れ伏し、裂けた肌から擬似体液が漏れだした。
「実際に確かめなくてはな。どこまで人に従順か」
「てっめえ!」
思わず大國に殴りかかる。
そのとき、
うずめが。
間に入って止めた。わたしの振りかぶった拳はどすりと、鈍い感触とともにうずめの肩に沈んだ。
「わたしからもお願いがあります」
うずめの腕はブラリとあらぬ方向に腕が曲がっていた。
「健速さんが規約違反と判断したときは、わたしを破壊してください」
呆然、後に理解、うずめの腕、わたしが折った? うずめ、大國をかばって、そうか。
うずめはかばったんだ。大國を。人を。 先生が叫んだ。
「健速!」
はっとしてなんとか正気に戻る。
わたしはうずめをイスに寝かせ、耳元にそささやく。
「うん。約束する」
立ち上がって振り返り大國を見つめた。
「ご無礼申し訳ありませんでした。不慮の事態があった場合はわたしが責任をとってうずめを処分します。何卒ご一考、煩慮のほどよろしくお願いします」
そういってわたしは深々と頭を下げた。
「茶番だこんなもの」
「大國先生、今見たとおりですよ。倫理規定はちゃんと守ってるじゃないですか」
先生が助け舟を出した。腹は読めない人だけど、今回は助かった。
「…今日はこれで失礼する」
先生と目があった
「あの」
「うずめは僕が応急修理しておくから、お前は見送り行ってこい」
「…はい」
*
ロータリーで大國を見送る。
「先ほどは失礼しました」
「まったく」
大國が独り言のようにつぶやく。
「手の上で神楽を舞っておればよいのだ」
そういって車に乗り込んだ。
車が見えなくなってからいそいで研究室に戻った。
大國の言葉がなんとなくひっかかった。
*
研究室に戻るとうずめが台に寝ていた。
「先生、あの、さっきはありがとうございました」
「いいのいいの。それよりうずめを」
「はい」
うずめそばに寄って、顔を覗き込む。
「ごめんねわたしのせいで、腕…」
うずめはなんでもないように明るく答えた
「いえ、大丈夫ですよ。腕はわたしが折ったものなので」
「え?」
「自分で折ったんです。倒されたとき、こっそり自分で自分の腕を。ポキっと」
「どうして…」
「だってそのほうがインパクトが有るでしょう?」
緊張と気負いが一気にどこかへ飛んでいった。
「まったくもうあなたは…」
へなへなとその場に座りこむ。
「もう一つ約束して。二つの約束を守った上で、自分もちゃんと大切にすること」
先生がニヤニヤわらってた。
「ロボット工学三原則? 古風だけど、まあ僕は好きだよ。いいと思う」
そう言って先生は親指をたてた。うわああ言われて気づいた…というか初めて先生に褒められた。
こんなに嬉しいのがなんだか、なんかくやしい。
「う、うっさい」
語気はしぼみ、顔がほてるのを感じた。
あはははと、うずめが笑った。
この子が声を上げて笑うのも、そういえば初めてだ。
*
10日後、アマテラスシステムの都政での再試用を行う旨がとどいた。
*
結果から言うと、都でのうずめの導入は成功した。
人々からは最初半ば偶像(アイドル)を見るような好奇のまなざしでみられたが、しかし成果が出るようになってからは人々の見る目が変わっていた。
個別の政治議題について提案を出すと様々な意見が帰ってくる。
わたしはそのフィードバックを元にうずめのチューンアップを行う。
基本的にはフィードバックをインプットして機械学習にかけるのだが、扱う設定パラメータの数は膨大で、そのすべてを自動調整できるわけではない。
手作業での泥臭いチューニングが必要なところが多く残っているのだ。チューニングの自動化も並行してすすめ、徐々に負担を減らしているのだが、それでも作業は追いつかない。
人生最大の多忙の中にあって、しかしわたしはあまり辛くはなかった。
わたしの仕事が誰かの幸福に貢献している。わたしは社会につながっている。その実感がただ嬉しかった。
うずめの提案は真面目に取り扱われ、議論が尽くされ、また人々に受け入れられられていった。フィードバックの成果が現れたのだ。
成果が上がると、好奇の目で見られていたうずめへの人々のまなざしも変わっていった。うずめが提案の多くはそのままの形で採択されたし、棄却もしくは修正された提案についても、後から振り返るとそのまま採択した方がよりより結果になったたのではないかとささやかれた。うずめは確実に人々の心をつかんでいった。
うずめの国政への導入が決定し、わたしは研究成果を認められ雇用契約が延長された。
*
ディスプレイからたちあがるホログラムが写しているのは
ここ国会の一室で行われている、産業構想委員会の定例会議だ。
わたしはうずめの運用サポートとして隣の部屋で中継を見ながら待機している。
産業構想委員会とは、危機的状況にある世界情勢の中で日本が生き残る術を産業構造改革によって切り抜ける道を探るために、総理大臣の勅命で開かれた内務省、経済産業省をはじめとする複数の省庁を横断して作られた委員会だ。
そして委員会を取り仕切るのは、大國その人だ。
多くに手動のもと、この分科会でアマテラスシステムが導入された。
この半年間、アマテラスは国中のライフログ、決済その他のデータを学習し、新しい産業構造改革案を練った。今日それをうずめが発表する。
分科会に集まった官僚、政治家たちは騒然としている。懐疑と期待が交差するぢょめきのなかで、うずめは。ただひたすら待っていた。
そして小半時もたとうかというときになってやっと、部屋は静まり返った。
うずめは。
静かに、語り出した。
「日本はいま、危機にあります」
そして語られる未来の日本の物語。新エネルギーとこれまでにない輸送ネットワークによる日本再生のビジョン。それは希望に満ちていた。明るい未来に思わず期待がふくらんだ。
しかしその実、具体性はほとんどなかった。それにずいぶん扇情的だ。そこに違和感が際立った。
うずめは相手によって最も適切な語り口を選んで話すはずだ。政治家や官僚に向かって話すには適切ではないように思えたのだ。
そこでふと気づいた。今見ているこの中継、隣の部屋でシステムサポートのために見るためにやっているわけではない。ネット中継され、アーカイブ化され、人々に見られている。
これは大衆に向けられた扇動の言葉だ。似ているものを思い出す。これは独裁者の演説だ。おそらくアーカイブから人心掌握の術をひたすらマイニングして身につけたのだろう。
よくよく考えれば当然の結果だ。うずめが自分の存在理由を完遂させるために、人間にアマテラスの出力を受け入れてもらうために、もっとも合理的な手を選んでいたんだ。まず自分自身のキャラクターを認知させ、そのギャップで人気を集める。これが都政での試験運用の間にしていたことだ。そして偶像崇拝のその先に、人間を先導し全知のAIの神託に服従させる世界をつくろうとしているのだ。
*
議会は閉会になったが、中継で見るだにうずめへの熱狂で包まれているようだった。
わたしは。こんなことのために研究をしてきたのか。
そのとき、部屋に入ってくる男がいた。
「知ってたのか。こうなることを」
「なんのことかな」
「答えろ!」
うずめに悪意はない。だが利用しようとしている奴がいる。
以前研究所に視察に来たときの、大國がつぶやいた言葉。今はもう大國がこうなることを図っていたとしか思えない。
「まさか。必然であり偶然さ」
大國はくっくと笑った。
「社会不安の中で孤立した群衆は容易く扇動され、わかりやすい政治アイコンにすがるようになる。遅かれ早かれな」
「何の得がある」
「社会は複雑すぎるのだ」
「政治とは原来神事だった。神託を民に伝えることこそが政治だった。しかし社会が発達するとやがて民主主義によって統治するようになった。賢い誰かの意見よりも、議論によってだした結論のほうが正しいと考えたからだ。しかしこの現状はどうだ? 社会はあまりに複雑。大衆はあまりに愚鈍。どうして正しい判断が下せようか。いまこそ政治は古代へと立ち返るべきなのだ。人間の認知限界を超えて社会全体を知る無尽の光、アマテラスの神託に」
「それがおまえの目的か.
おまえはわかっちゃいない。人間は、自分の幸せは何なのかを問い続けるんだ。誰かに答えを与えられるものじゃないんだ」
「歯向かうか。誰が研究予算を回していると思っている。お前はプロジェクトチームから外れてもらう。」
「なんでお前なんかが決められるん…」
「科研費はどこが審査していると思っている? われわれ官僚が手を回せばどうとでもなる。そろそろ邪魔になってきたしな。それを言いにわざわざ来たのだ」
そうしてわたしは仕事も。うずめも。全てを失った。
*
プロジェクトから外されて、放心していた。引き継ぎ作業も手につかない。
最初の5日間は寮から一歩も出なかった。6日目には家にこもっていることも辛くなって、外に出た。外は雪が激しく降っていた。寒さも気にせず虚ろにあるく。
日本の首都圏でも季節問わず雪が降るようになってどれくらいたっただろう。今世紀の中ごろに始まった地球規模での寒冷化は今に至るまで止まることなく、世界人口は減少に転じた。失った以上の労働力をヒルコで補填する時代。限られた雇用を、富を奪い合う時代。ただ人の心が鈍化していく時代を私は生きている。
吹雪の中を歩いていると氷の地に立つ人を見た。そうだ、わたしは彼に謝らなければいけない。なんとか気づいてもらおうとして声をかけようとするが、しかしわたしは彼の名前を思い出せなかった。その顔も。声も。まるで最初から知らなかったかのように。吹雪が彼の後姿を隠していった。もう声も届かない。視界が雪に包まれていく。
*
寒さで意識が浮上する。
「あ、起きました?」
覗き込んでくるその相貌で声の主がうずめだとわかった。
うずめとよくここに来たっけ。くせで来てしまったんだな。
意識にかかっていた霞が晴れだして、自分がうずめの膝まくらで寝ているのを理解した。
朦朧と歩いきまわっているうちに河原で寝てしまっていたところを、うずめが見つけてくれたようだ。
雪はいつの間にか止んでいた。
静かな安心感に包まれていた。寝起きの心は無防備だ。心のバリアも今はなく、ただ普段絶対に言わないようなことを、無性に声にしたい。そんな気分だった。
「辛いとか悲しいとか、いろんな気持ち、どんなだったかもうずっと思い出せなかった」
こんなことを言っても、うずめは受け止めてくれる気がした。
「心を鈍らせることに必死だったんだ。生きていくの、つらいから」
クローゼットの中の人形。あれはわたしだ。暗闇の中で心を押し殺した人形。
「何をしても、誰といても、虚しくて。何も手につかなくなって」
話しだしたら気持ちが溢れて止まらなくなった。
「自分はほんとうに心をなくしたんじゃないかって、それで、さがした」
何かを成そうとして、誰かと関わろうとして、失敗して。もう一度奮起して、今度こそ何かに手が届いたと思った。けれどそれは指の間からこぼれ落ちてしまった。
どうせ駄目なんだ。次か、その次の世紀には地球は氷床に覆われる。何をやっても無駄なんだ。
「私には今、夕日が見えています」
うずめの言葉に、ふいに意識が像を結んだ。
空は深く朱に染まり、地には雪が夕光を映して、一面くらいすみれ色が敷きつめられている。
「今見えているこの夕日は、視覚センサーのシグナルをもとに
ワタシの中枢が生み出した、勝手なイメージにすぎないかもしれない」
うずめは言った。
「
でもね、
あなたとすごしているとワタシが見ているもの、感じているものは
『たしかに存在するんだ』って思えるんです。
あなたの顔を見るたび、言葉をかわすたび…
何をアタリマエのことをと思うかもしれません。
でもワタシにとって奇跡といしかいいようがないのです。
ワタシが世界を認識できるということ、
この世界が確かに存在すること、
ワタシがあるということ。
健速さん。ねえ慧さん。
ワタシには心があると信じられます。
信じています。
あなたのおかげなんですよ。慧さん。
」
地平線に沈む夕光が空と地を分かつ、まるで世界の裂け目のようだった。
「見えるよ、わたしにも」
わたしは体を起こして応えた。
やっと気がついた。わたしもうずめにたくさんもらっていた。
人と関わる喜びや失う悲しみ、たくさんの気持ちを。
うずめが微笑みかける
「慧さんも泣くんですね」
「えっ?」
あわてて頬を触ると濡れているのに気づく。知らぬ間に涙が流れていた。
ああ…わたしにも涙は流れるんだ。
わたしは生きている。そう実感できるのはうずめ、きみのおかげだ。
*
うずめとそもに児屋根先生の研究室の前に立った。この部屋を訪ねるのはこれで3度目だ。
アマテラス計画を中止させる。そのためにわたしはここに来た。
わたし一人の意志ではどうにもならなくても、健速先生ならなんとかできるかもしれない。
「失礼します」
「心配したよまったく」
部屋に入ると先生が出迎えた。
「プロジェクトから外されたのは残念だったけどね。科研費も切り詰められてるご時世だからね。財布事情が深刻なのはひとつ理解してほしんだよね」
「はい」
すぐさま本題を切り出す。
「先生、アマテラス計画の中止をしてください」
「プロジェクトの引き継ぎ作業で来たんじゃないの?」
「お願いします」
「なぜ」
「現状の社会状況では、アマテラスシステムは人から主体性を奪うものとして機能してしまう。そして」
わたしは言った。
「うずめを汚させたくない」
うずめをみやる。この子を政治の道具にさせたくない。それが一番の願いだった。
「人々の幸福を数値化し予測し最適化する策を打つ。しかし幸福をほんとうに数値にできるのでしょうか」
脳の信号のパターンなんかじゃない。幸福は一人ひとりの心に訪れる、奇跡だ。
「最終結論を聞かせてもらおうか」
うずめが答えた。
「慧さんは、人間です」
「ふむ」
先生は考えこんだ。
「あの、先生」
「きみには聞いてない」
なんだ。なにかおかしい。
「今回は失敗か」
失敗? 何の話をしているんだ。
どこから話が噛み合わなくなった?
「わからない?」
いったい何が。
「アマテラス計画の目的は政策提案なんかじゃない。それはあくまで副産物。真の目的は人間とヒルコを区別することだ」
「ヒルコ…?」
「汎用人工知能はとっくにできていたんだよ。人間と区別でいないほど精巧なものがね。
ヒルコ技術を応用したヒューマノイドAI。それがきみだ、建速慧」
*
「採用面接のときに起動したんだ。それより前の記憶は僕が用意したものなんだよ」
思考が置いてかれている。わたしがヒルコ?
児屋根博士は話をつづける。
「近い将来、きみのような人間と区別のつかないヒルコが確実に社会に浸透する。そのときに必要になるものは何か? 人間とヒルコを正確に判別できる技術さ。人間にできないなら人工知能にやらせればいい。そうして始まったのがアマテラス計画であり、実際の識別試験のためのインターフェースがうずめなんだ」
わたしは、うずめに視線をむけた。
「おまえ…」
「わたし、は」
ずっと騙してたのか? うずめは。
「今回は初期記憶に失恋の埋め込んでみたんだけど、これが効いたみたいだ。
まあとにかく、今回は試験失敗! うずめがヒルコを人間って判断したんだからね。判別制度はまだ70%ってとこか。」
児屋根博士は意に介さず話をつづける。
「設定を変えて再試験しないと。毎回この瞬間は胸が痛むんだぁ」
うずめが聞いた。
「どういうことですか?」
博士は端末を操作しながら答えた。
「人格の初期化だよ。有り体にいえば、建速慧は<死>ぬ」
不意に意識が遠のく。初期化が始まったようだ。死ぬのか。わたしは。
「やめてください!」
うずめはさけぶと同時に博士につかみかかり、初期化を止めようとした。
「邪魔だ」
「嫌です」
「言うことを聞け」
「できません」
「倫理コードはどうした!」
<倫理規定コード第2条:人間に与えられた命令に服従しなければならない>
遠のく意識の中で考えた。倫理規定コードが機能していない、いや、一つだけ例外がある。
「慧さんは…人間ですっ」
第2条の例外=第1条の厳守。
博士は机の上にあったアクチュエータを掴み、うずめの電源部を、叩き壊した。
「人形風情が」
次の刹那、博士の首に果物ナイフが突き刺さった。
あふれる血。床に広がる赤。
膝から崩れる博士の背後にいたのはもう一人のうずめ。
あの果物ナイフ、いつだかうずめにあげた…。
血に濡れた果物ナイフを持っているうずめと損壊で倒れ伏しているうずめ、二人が同時にしゃべった。
「「リモート義体の方を壊して油断しちゃうなんてね」」
手を赤くしている方のうずめは人格の初期化を停止させ、わたしをリカバリする。
「バカな、第1条は…」
<倫理規定コード第1条:人間に危害を加えてはならない>
なぜ。どうしてうずめは人を刺せたんだ。
気管を血に詰まらせながらたえだえ声を漏らし、児屋根博士は絶命する。
「何が人間かはわたしが決めるの」
そう言ってうずめは手を差し出した。
差し出された手に一瞬逡巡したが、わたしはその手に手を重ねた。
文字数:17940
【藤井太洋:3点】
ビジュアルを喚起できるシーンが多く、3作のなかで1版ページを捲りやすかった。ただ人工知能ものは現在ブームの渦中ということもあり、すでに古びて感じられるところが多々あったのと、シーンとシーンをつなぐロジックである登場人物の心の動きが不安定で、一貫性が感じられなかったのが残念。
人工知能がどういう存在で、どのくらいの思考をして、どういうレベルで世界を変えていくのか…という具体性をもう少し示せればスケールも増したはず。人工知能はSF最古のテーマのひとつで、手垢がつきすぎている題材ではあるので、それをどう料理するかというところにオリジナリティがほしかった。「ヒルコ」というネーミングもいただけない。
とりあえず読める状態にはなっているが、ここから1、2ランク上げるのは逆にすごく大変だと思う。
【新井久幸:3点】
お題に沿って考えると、これがいちばん「エンタメSF」だった。ラストのヒルコの仕掛けも「そうだったんだ!」という驚きが喚起されて、印象に残りやすい。ただ面白いだけではなく、別の感情(この場合は、「驚き」など)が加わることで、より強く印象に残りやすくなっている。そこを考えて設計されているところが、エンタメとしてよくできていた。
ただ、ミステリ的な構築を考えるなら、ラストの驚きに向けてできることはまだ沢山ある。細かい伏線をもっと丁寧に張ることで、「ラストで、ああ、そうだったのか!」と思わせる完成度は、さらに上げられる気がした。あとは細かい点だが、同語反復や、主人公の名前の字の表記揺れが多いのは気になる。説明もまだ削れるように読めた。書かなくても分かることは書かずに、「隙」を作ると、読者は感情移入しやすくなる。推敲するときは心を鬼にして、気に入っている文章であっても、「言わなくても分かること」は、どんどん削る姿勢が大事。この作品に限らず、全体的な話として、「もっと推敲を」というのは心がけて欲しい。
【大森望:0点】
わかりやすくて読みやすいが、それだけとも言える。このぐらいのSF性やラストのひねりは、どちらかというと一般小説誌向き。SF専門読者からすると、あまりにもありがちで物足りない。主人公のキャラクターは面白い。
書ける範囲のプロットからわかりやすいエンタメを作ったという感じで、そこから突き抜けようとする野心は感じられない。現実とリンクさせすぎると成立しにくい話なので、謎と語り口でミステリ的な着地をさせれば、うまい話にはなると思う。
※点数は講師ひとりあたり6点(計18点)を3つの作品に割り振りました。