Uh-Oh, 生き馬どものゴールドラッシュ

選評

  1. 【新井素子:5点】
    とにかく勢いがよく、今回提出された実作のなかでは一番楽しく読めた。登場人物がきわめて多いが、実在の企業名を用いる「裏技」によってうまく整理できている。会話もいい感じ。ただ、どんな絵なのか、シーンをイメージしにくいかもしれない。

    【鈴木一人:3点】
    おもしろく読んだが、ここまで踏み込んだ内容だと商業出版は難しそう。企業と喧嘩するつもりで出すしかなくなってしまう。ただ、その弾け方が魅力でもあるのは確か。

    【大森望:4点】
    『TIGER & BUNNY』を想起させる内容で、アメコミっぽさがうまく活かされている。ネットで受けそう。小説として気になる点は多々あるが、挿絵をつけたり、あるいは映像化するなど別のメディアに展開すれば、はっきり固まっていきそうなタイプの作品。

    ※点数は講師ひとりあたり8点ないし9点(計26点)を4つの作品に割り振りました。

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梗 概

Uh-Oh, 生き馬どものゴールドラッシュ

 〈プレゼンツ〉達を乗せた宇宙船〈XPO〉は人類の願いとは裏腹に惨劇の舞台となる。発端はコカ・コーラとペプシのシンジケート決裂だ。コークの言い分は「XPO乗船の条件は『プレゼンツとしての固有性』だったろう。なのにどうして俺様のパクリがここにいるんだ、ペプシマン?」コークはペプシを血祭りに上げて同志達に呼びかける、「〈産業浄化(クレンジング)〉によって固有性を脅かす二流プレゼンツを粛清しろ」このときすでに気が触れていた彼は狡猾な片腕レッドブルとともにコーラを改良——原料であるコカの葉の脱コカイン処理をやめ、新たに六種のドラッグをブレンドしたコカ・コーラDOPE、通称DOPEを完成させる。数日後彼はこれを服用し、ラリって階段から転げ落ちて死ぬ。
 コークの死後、クレンジング論の同調者が船内各所で殺戮を開始する。DOPEの流行が暴力に拍車をかける。セブンイレブンはナチュラルローソンを殺し、マリメッコを人質にとり逃亡した。マリメッコの恋人リーバイスは相棒バーガーキングとともにセブンを追う。コークのシンパどもが固有性を持った唯一無二の存在となるべく襲撃してくるが返り討ちにする。ラングラー、リー、エドウィン——敵じゃない。オリジナル・ヴィンテージをなめるなよ。フレッシュネス、モス、ジャックインザボックス——笑わせる。キングの名は伊達じゃねえぞ?
 無数のコンビニが連なるニッポンのパビリオンで、二人はDOPEを投与され飼い慣らされたセブンの〈私設部隊(プライベート・ブランド)〉——ファミリーマート、サークルKサンクス、ミニストップと抗戦する。リーバイスをライバル視するエヴィス・ジーンズ、昔バーガーキングと何かあったらしいウェンディーズまで敵に与し、二人は危機に瀕するが、肉親ナチュラルローソンを殺された恨みに燃えるローソンの謀反によりセブン陣営は瓦解、辛くも勝利を収める。戦闘後、バーガーキングはウェンディーズに負わされた傷が要因となりリーバイスの腕の中で死んだ。
 ついにセブンを追い詰めたリーバイスの前にレッドブルが姿を現す。すべては彼が仕組んだことだった。コークを裏で操り皆を殺し合わせた。〈三賢人〉の一人グーグル老師から「地球は核の冬を迎えた」との通達を受けたためだ。「プレゼンツ」とは「文明報告者」の総称、使命は宇宙船XPO(エキスポ)内の展示場(パビリオン)に地球外知的生命体を招き、地球文明の豊かさをプレゼンして交流を深めること。人類が文明を失い衰退するなら、最早彼らに存在意義はない。
「俺を殺せば船全体を敵に回すことになるぞ」レッドブルは今やコカ・コーラの後継者、七色に輝くDOPEなコークで信じる者達に翼を授ける神の代理人なのだ。だがリーバイスは躊躇いなくレッドブルのこみかみを撃ち抜く。セブンイレブンも撃ち殺してマリメッコを取り戻す。あとに残ったのは殺るか殺られるかの血腥い舞台だけだ。新たな指導者を殺した非道なデニム野郎を吊し上げろと血の気の多いプレゼンツが大挙して押し寄せる。マリメッコが言う、「ねえ、なんだかあたし達ボニーとクライドみたいよ」リーバイスは不敵に笑う。思い出すのはゴールドラッシュに沸きたっていた1853年のカリフォルニアの日々だ。やれるものならやってみろ。たとえ巨馬二頭が力まかせに引っ張っても俺の魂を引き裂くことはできないぜ。

文字数:1387

内容に関するアピール

課題への取り組みについて
◆遊戯
・「登場人物が全員擬人化した企業」という実験的コンセプトのもとで知的遊戯を試みます。
・本作はいわゆるデスゲームものの側面を持ちます。〈プレゼンツ=文明報告者〉が各々の個性、特質、能力を駆使して戦う無差別バトルロイヤル。

◆不合理さ
〈プレゼンツ=文明報告者〉には一応「人工生命」という設定を考えてあるが、作中で彼らの役割・使命はしっかり書くけれども、彼らの出生については多くを説明しない。これにより、あたかも明確な姿かたちを持たない記号たちが作品内世界を動き回っているような奇妙さを読者に印象づけることを狙います。それはたとえば筒井康隆『虚航船団』の文房具たちのようにです。

◆余裕
言いたいことも言えないこんな世の中だけど、あの企業の気に入らないところとかそのお店の厭だと思うところとかそういうのを、声を大にして言ってやろうじゃないか(ほどほどに)。
 

設定
◆XPO
地球外生命体との接触・交流を目的として建造された宇宙船。広大な船内は三階建てで、国やテーマごとに様々なパビリオンに区分けされている。万博の企業パビリオンをモチーフにしており、〈XPO〉という命名の由来も「万博=EXPO」から。

◆プレゼンツ
文明報告者。「宇宙空間における地球外生命体の探索と接触」、「彼らへの地球文明のプレゼン」を使命とする人工生命体。「たとえば人ではなく一つの企業が意志を持たされ、自身の歴史を、さながら伝記に書きつけるように語ることができるようになったとしたら」という仮定に基づき設定。

◆コカ・コーラDOPE
コカ・コーラの原型である「フレンチ・ワイン・コカ」はコカインとコーラの実のエキスを調合した飲み物。「ドープ(dope=麻薬)」という渾名で人気を博したが、その後、禁酒運動の席巻によってコカイン中毒が問題視されるようになり販売が困難になった。このときワインの代わりにシロップを混ぜて売り出されたのがコカ・コーラの始まり。フレンチ・ワイン・コカと同じくコカの葉とコーラの実を原材料に使っていたことが名前の由来で、法律で禁止されるまでは微量のコカイン成分が含まれていた。
——上記の史実をもとに架空のやばいコーラをでっちあげました。コカ・コーラDOPEはいわば古き時代のアメリカへの憧憬の結晶。レッドブルとの共同開発。キャッチコピーは〈翼を授ける七色の曼荼羅〉。

文字数:984

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Uh-Oh, 生き馬どものゴールドラッシュ

       1

 コカ・コーラがペプシコを血祭りにあげたことは、言ってしまえば予想通りだった。だからコークがノースカロライナにあるペプシコのファクトリーをついに襲撃したときには、その突撃の瞬間までの一部始終がマンハッタンの世界塔に生で動画配信されることとなった。コークが〈企業浄化〉を提唱し始めたその頃からすでに、キヤノンは周囲をマークして、ずっと監視をつづけていたのだ。
 企業浄化、通称「クレンジング」——その提唱者が自らの論理を実際の行動に移したことは、当然のように大きな波紋を生んだ。現れたシンパの大半は、あわよくばシェア上位者を引きずり下ろそうと目論む浅ましい連中だった。
 それはたとえば、GAPやアメリカンエキスプレスといった輩のことだ。GAPはZARAを燃やそうとしたし、アメリカンエキスプレスはVISAの首をへし折ろうとした。
 それで二人とも返り討ちにあった。地球上とは違い、ここでは商業的な闘争など起こりはしない。だからこそ格下のプレゼンツたちは下克上を夢に見てしまうのかもしれなかったが、現実は残酷だ。シェア下位の者が上位者を討ち取るのは、容易なことではない。
「とはいえこのままじゃまずいわ。混乱は大きくなる一方よ」ZARAが言った。
 ZARAはGAPとやりあったときに負傷した右腕をギプスで固めている。
 同様にアメリカンエキスプレスとの交戦中にカードの角を欠損したVISAが言う。「迅速に、円滑に沈静化しなくては」
「どうする」
「決まってる」サブウェイが言った。「この騒動をおっ始めたファッキン・コークに死のマーチを聞かせてやりゃあいい。そうすりゃあ身の程知らずの青二才どもも、キンタマの奥まですくみ上がっちまうだろうよ」
「いいのかい?」ナイキが皮肉っぽく言った。「野心家のあんたなら、このクレンジングの波に乗るんじゃないかと思ったが」
「何言ってやがる。俺がマックを闇討ちするつもりでいるってか?」
「ファストフード業界シェア三位の座に甘んじるのにもそろそろ飽きたんじゃないかと思ってな」
 サブウェイはくつくつと余裕たっぷりに笑った。「確かにマック・ディーズは目の上のたんこぶだが、なあに、何かと問題を抱え込んだやつだ。しぶとく待っていりゃあ、勝手に自爆するだろうよ」
「はは。ちげえねえや」ドミノピザが相槌を打った。
 現に今、各国からそうそうたる顔ぶれが集まったこの世界塔にも、マックの姿はなかった。昨今地球でやたらにバズってるらしい『マクドナルド原材料偽装問題』に頭を抱え、精神的に参って寝込んでいるのだ。
「それに」とサブウェイはつづけた。「ここでマックをぶち殺したところで、それはこのXPO船内での変化でしかない。地球でのマックの天下が覆るわけじゃねえんだからな。んなのは冷えちまったマックフライポテトみたいに空疎だぜ」
「そうかしら?」ZARAが言った。「仮にこのXPOが近々、悲願のファースト・コンタクトを果たすときがきたとしたら? そのときにシェア一位のマックが不在であることは、あなたの功績にいくらかの恩恵を上乗せすると思うけど?」
「それを言うなら俺の前にそこのスターバックスに言えよ。俺よか上位のシェア二位だぜ?」
「え、あたし? いやいやちょっと待ってよ、サブウェイってばあたしのことまで悪者の仲間に引き入れないで」
 スターバックスに二の腕を叩かれ、いてえな、やめろと言いながら、サブウェイは鼻の下を伸ばしている。それを見てZARAが舌打ちした。
「ゴタクはいい」会議の進行役、ヒューレット・パッカードが言った。「なんにせよ、このままコークを野放しにしておくわけにはいかない。ブランドの多様性が損なわれることは、万博(EXPO)をテーマにしたこの巨大宇宙船〈XPO〉のウリを捨ててしまうことと同義なんだ。出航時に地球の〈三賢人〉が立ち上げたコンセプトを、コークの一存でひっくり返していい理由はない」
 これには誰も異論を唱えなかった。
 こうして、「乱心したコークを排除する」ということでプレゼンツ首脳陣の意見はまとまった。
 引き続き、実行部隊——「炭酸水災害対策本部」、通称〈炭災対〉の参加メンバーが選定された。選定は民主主義の体裁にのっとりながらも極めて迅速に行われた。プレゼンツの優劣はとてもシンプルに判定される。要するに各業界におけるシェア率がどこまでも物を言うというわけだ。
 アパレル業界からは負傷したZARAに代わりH&M、スポーツブランドのトップランカー・ナイキ、テック系からはサムスン、自動車メーカーのトヨタ、ファストフード業界から不在のマックに代わりスターバックスが選ばれた。
「あともう一人」ヒューレット・パッカードがつづけた。「リーバイス。あんたにも同行してもらいたい」
 意外な選出者に一部のプレゼンツがどよめいた。
 リーバイス自身、怪訝そうに言った。「どうして俺なんだ?」
「いわば子守役だよ、リーバイ」ヒューレット・パッカードが答えた。「あんたはコークと同じく19世紀から存続している数少ないブランドの一人だ。長い歴史の集積に裏打ちされた豊かな経験則——それによってしか切り開くことのできない局面ってやつが、いついかなるところにも転がってるものだ」
「わお、大抜擢。頼りにしてるわ、おじいちゃん」
 スターバックスが腕にとびついてくるのを、リーバイスは無言でやんわりとふりほどいた。リーバイスは不器用な男だった。
「決まりだな」ヒューレット・パッカードがまとめた。「選ばれた連中はこのあとすぐに屋上へ行ってくれ。ポートにヘリを用意してある」
 そのとき、盛大な音とともに会議室のドアが開いた。
 緊急事態だ、というようなことを、飛び込んできた三者がくちぐちに言った。
 なるほど、そうらしい。ウォール・ストリート・ジャーナルにヨミウリ、それにタイムズ・オブ・インディア。有名ニュース・ペーパー三名がそろいもそろって青ざめたツラをぶら下げ現れた時点で、ろくでもないことが起きていることは明白だ。
「何があった」ヒューレット・パッカードが聞いた。
 ウォール・ストリート・ジャーナルが言った。「全員、衝撃に備えてくれ」

 炭災対の初仕事は意に沿わず防衛戦となった。リーバイスたちは大急ぎでエレベータに乗り込み、最上階にのぼった。
 一体、そんな荒唐無稽がどうして起きるんだ。——ウォール・ストリート・ジャーナルらの報告に、先刻は誰もが耳を疑った。食い下がったのはH&Mだった。TSUNAMIだって? 冗談はよしてくれ、ここはアメリカだ。ニッポン・パビリオンじゃないぜ。
 そんなH&Mが呟いた。「ファック・ユー」
 目前に差し迫った忌まわしいヴィジョンは、確かに現実の質感を持っている。
 壁が迫り来る。真っ黒な壁。それは地上高530メートルを誇る世界塔をゆうに超える高さを持っていた。不気味な低いうめきをあげ、船全体を震撼させながら、ゆっくりと押し寄せてくる。夜みたいな闇を引き連れてだ。地球に降り注ぐ太陽光を限りなく忠実に再現したXPO自慢の人口太陽張りつく天蓋、その半面を覆い隠し、まだまだ欲張る気でいるらしい。
 リーバイスたちは急ぎヘリに駆け寄っていった。こいつはペプシ・ファクトリーに向かう重要な足だ、こんな初っぱなからTSUNAMIなんぞにかっさらわれてたまるか。
 リーバイスたちの先頭をいくサムスンが言った。「お前たち、何してる? メッセージを受信してるだろう。早く中に——」
 ヘリの前に、数人のプレゼンツがたむろしていた。ケンタッキー、アンダーアーマー、それに双子の兄弟ジョンソン&ジョンソン。
 そして。
 ヘリの背部では、虎縞模様の大男が両足を広げて自重を支えていた。
「グウウ……レイトォ! グウウ……レイトォ!」
 そのかけ声。それで虎縞が誰だかわかった。頼もしい朝食の味方、マッチョのケロッグだ。
 上腕二頭筋せりあがるたくましいケロッグの両腕、その内側で、ガリガリ、バリバリ、とヘリが異様な音をたてている。
「なんてことを! お前ら正気か!?」サムスンがヘリに駆け寄っていく。「どういうつもりだ! おい、なんとか言えチキン野郎!」
 チキン野郎と呼ばれたケンタッキーがジョンソン兄弟とともに三人がかりでサムスンの行く手を阻んだ。
「さてはお前ら、コークのシンパか!?」
 そのとき、ナイキがサムスンの後ろから駆け寄り、サムスンの背中にひっついた。
 ゆっくりと、サムスンはナイキを振り返った。
「な」、と言った。
「浴びないと」迫り来る大TSUNAMIに目をやりながらジョンソンが言った。
「この場を離れるなんてもったいない」もう一人のジョンソンが言う。「浴びないと。あの聖水を」
「そう」ナイキが静かにうなずいた。サムスンの背中を片手でとんと押し、一歩、二歩と後じさった。もう片方の手には、誰もがよく知る超有名ロゴ〈スウッシュ〉型の鋭利な刃が握られていた。サムスンの血で、それは汚れていた。
 スターバックスが悲鳴をあげた。
 状況にそぐわない落ち着いた声でナイキは言った。「俺はただ、自身の企業哲学に従っただけだ。“JUST DO IT(さっさとやれ)”」
 サムスンはその場にくずおれ、コンクリの地面にキスをした。
 グウウレイトォ! とケロッグがまた叫んだ。断末魔の叫びみたいな金属音とともに、タービンエンジンがヘリ本体からもげた。剥き出しのそれを両手で掲げるようにして、ケロッグは「コーン・フロスティ!」と言った。
 ケンタッキーが天を仰いだ。「こころは常にコークのそばに……Always, Coca-Cola」
 天蓋が暗さを増した。
 ナイキたちも一斉に天に目を向けた。
「恐れることはない」ナイキが言った。「あんたらもともに行こうぜ、コークの御許へ」
 その次の瞬間、空気が凍てつき、時間が止まった。
 男は一瞬のうちに、ベルトループにひっかけたホルスターから獲物を引き抜いていた。
 照準はナイキの眉間をはっきりと捉えていた。
「少し黙れ」リーバイスは言った。
 〈ピースメーカー501XX〉——そのリボルバーはリーバイスの長年の愛銃だった。
 逸話がある。ぶっ放したあとの銃口からあがる硝煙の香りは、ゴールドラッシュに沸き立つ古いカリフォルニアの空気のそれにとてもよく似ているという。
 リーバイスのほかは誰も彼もが動きを止めた滑稽な状況の背後で、ただ迫り来るTSUNAMIだけが、よりいっそう生命力を漲らせていた。
「サムスンを頼む」ナイキを正面に捉えたまま、リーバイスは誰にともなく言った。
 トヨタが血を流すサムスンに近づき、抱き上げた。H&Mがトヨタを手伝い、サムスンの反対の肩を支えた。
「何してる! 間に合わねえぞ!」いっこうにヘリが飛び立たないことに違和を感じて追ってきたのだろう、バーガーキングが屋上扉から顔を出して言った。
「ヘリは使えない」トヨタが簡潔に答えた。
 バーガーキングはサムスンを見、それからその後方でうっとりと天を仰ぎ見るナイキたちの異様を捉えると、頭を働かせて言った。「シット! よくわからねえがどうやらクソらしいな!」
「畜生……狂信者どもめ……!」消え入りそうな声でサムスンが呪詛を唱えた。
「サムスン、今はしゃべるな」トヨタがたしなめた。
 屋上から撤収し、扉を閉ざす手前、リーバイスは一度だけ後ろを振り返った。
 逃げるつもりなどさらさらないらしい。
 連中の目は、どれも一様に、恍惚に潤んでいる。
 待ちわびているのだ。馬鹿でかいTSUNAMIが自らを飲み込む、その瞬間を。
 最後にトヨタとサムスンがなかに入ると、バーガーキングは扉をぴしゃりと閉ざし、ロックをかけた。それから階下に向けてがなった。「全員、震動に備えろ! TSUNAMIが来るぜ!」
 次の瞬間、轟音とともに世界塔が軋んだ。嵐にさらされた華奢な小枝みたいに、ぐわんぐわんと激しく揺れる。

       

 世界塔100階会議室に、先刻とよく似たメンバーが再び結集していた。
 うんざりした顔を仕事用のそれに戻して、ヒューレット・パッカードが言った。「まずは現状の報告と確認からだ。さきほどのTSUNAMIによる被害は、みんなもう実感していると思うが、XPOが地球を発って以来最悪だ。マンハッタンの街並は軒並み水没、水面の高さは地上200メーター超だ」
 すべてが水の底へと沈んだ都市のなかで、水面以上の高さを持ついくつかの高層ビルだけが水から顔を突き出していた。それらはさながら墓標のように見えた。
「世界塔は、TSUNAMIの勢いにはなんとか耐え損壊を免れたものの、48階以下は現在全面的に窓という窓が大破、浸水を許してしまっている。また、水圧により最下階は脆くなり、ところどころにひびが生じている。今すぐってわけじゃないが、下手をすると今後、倒壊ってこともありうる」
「はて、それならさっさとずらからなくていいのかい?」バーガーキングが言った。
「可能ならば世界塔プレゼンツ一同、早急に荷物をまとめてこの場をあとにすべきだ。——なんだが、現状また一件、TSUNAMIにつづくやばい状況が立ち上がっている。ラボのシーメンスが目下調査中だ」
 リーバイスが言った。「50階以下の階を封鎖して、特別な権限を持つ者以外の外出を禁止してることも、そのことと関係あるのかい?」
「まあ……そういうことだ」ヒューは言葉を濁した。
「何があった」リーバイスが追求した。
「今は、『水質の問題』とだけ言っておこう。TSUNAMIにより押し寄せた大量の水の、水質だ。——ただ現状、共有しておかねばならない情報がそれ以外にも山積している。それらについてこれから順を追って説明する。『水の件』に関しては諸々の報告がある程度片づいたあと、じっくり時間をかけて話し合うことになるだろう」
 リーバイスはうなずいた。
「長老殿にも納得してもらえたようだ」
 ヒューの軽口でその場が少しだけなごんだ。
「ではまず、具体的な被害状況について話す。現在、多数の行方不明者が出ている。目下これに対して、ZARA、VISAたちに自由探査権限を与え、救命ボートでの捜索に乗り出してもらっている。だが現状では深刻な人手不足と言っていいだろう。ここにいる者のうち何人かには、この後彼らと合流してもらうことになる。
 また救命活動については、ワシントンのAmazonにプレゼンツ捜索用ドローンの提供を打診しておいた。二つ返事で『任せろ』なんて言っていたが、まあみんな知っての通り確約を取り付けた案件ですら平気でうっちゃるヤツだからな。本当にやってきたらラッキー、くらいに考えておいた方がいい」
「行方不明者多数ってことだけど」スターバックスが言った。「現状わかっている被害者って誰がいるの?」
「ホンダがTSUNAMIに飲まれたことが確認されている」
 これには一同が閉口した。
「そこにいる同郷出身者——シマムラが、割れた窓から放り出されそうになるのを助けて、波に飲まれたそうだ。そうだな、シマムラ?」
 シマムラが声なくうなずいた。
 ホンダ……燃えるような情熱を持った、いい男だった。
 シマムラは目を伏せた。目端に光るものが見えた。誰もシマムラを責めはしなかった。
「それから、そこにいるプーマは——」ヒューは長身痩躯の若者を指して言った。「——あの忌々しい洪水のさなか、ウォール街を自慢の健脚で全力疾走し、なんとかここに辿りついたそうだ」
 プーマは一歩前に出た。「化け物みたいな大波に追い立てられて、もう駄目だと一度はあきらめかけたんだが、塔の前で大声をあげていた彼の呼び込みに気づいてここに逃げ込んだんだ」プーマはそう言って、向かいの席に座った人物に熱い視線を送った。「あのときは助かったよ。あんたは命の恩人だ」
「いや、いやあ、別段、たたた、大したことは——」プーマに礼を言われたレゴは微妙にどもりつつ、赤面しながら目を伏せた。
「ヘリポートでの活躍、聞いたぜ」
 隣のバーガーキングが、リーバイスに小声で話しかけてきた。
「大したことはしてねえさ」リーバイスは答えた。「行動が後手にまわっちまった時点で、俺たちの負けははなから決まっていた。あの場で俺たちがやったことといやあ、自分たちのミスに対する尻ぬぐいだけさ」
「コーク・シンパは周到だと?」
「さあな。ただ、コーク・シンパどももそうだが、ピュアな連中ってのは怖ろしい。加減を知らねえからな」
「ちげえねえや」
 バーガーキングは会議机の上にどっかりと両足を乗せた。行儀の悪いやつだ。
「ところで、あんたはどう思う?」バーガーキングはさらに声を絞って、けれども例の新入りを露骨にあごでしゃくって言う。「あの、プーマって野郎のことだが」
 プーマはずっと熱っぽくしゃべりつづけている。「はっきり言って、この俺がトップ・プレゼンツたちの輪に入れるなんて思わなかった。光栄だ、正直、感激してる。トップシェア・ブランドのナイキがコークのシンパだったってヒューに聞いたときはショックだったよ。でも、だからこそ言いたい。誓って言うが、俺はちがう。コークとの接点なんて一つもない。信じて欲しい、俺はこの船とプレゼンツの未来を守るために死力を尽くす覚悟だ。そのためにここにやってきた」
 そして最後に、よろしく頼む、と結んだ。
「ちなみに俺は、饒舌な男ってやつが信用ならないタチでね」バーガーキングは独り言のようにぼそりと言った。
「スポーツブランド界シェア三位のタフな男だ。即戦力として期待できる」ヒューがプーマに太鼓判を押した。それからつづけた。「プーマ、一つ聞いておきたいんだが」
「なんだhp、なんでも聞いてくれ」
「確か、お前とアディダスはドイツの同郷出身だったと思うが……。ここへ来る途中で会わなかったか」
 リーバイスはそのとき、プーマの喉がこくりと動くのを見た。つばを飲み込んだのだ。
「さあな。見ていないが……」
 目が泳いでいる。
 それらのことが、引っかかった。
 プーマとアディダスの確執のことなら有名だった。スポーツとジーンズ——分野は違えど、同じアパレル業界に身を置くものとして、リーバイスもそれくらいのことは聞き知っていた。
 かつて、町を二つに分断して派手にいがみ合っていた両ブランドの産みの親・ダスラー兄弟——創業当時より続く確執が、プーマにさっきみたいなリアクションをさせたのだろうか。
 それだけか?
「考え事かい、リーバイスの旦那?」面白そうに、バーガーキングが言った。
「いや」リーバイスは言った。
 余計なことだ。そんなことよりも今は目の前のファッキン・コーラ・アフェアを片付けることに集中しろ。
 あらためてヒューが仕切り直した。「他に、世界塔にいたことが判明している者のなかで、現在行方がわからなくなっている者を列挙する——」
 ——ダンキンドーナツ、マスターカード、ドクターペッパー。シスコにジョニーウォーカーにFacebook……。名前が読み上げられるたびに、それらがプレゼンツ一人一人の存在を表すものなのだという実感がだんだんとうすらいでいくようで、リーバイスはそのことが癪だと思った。
「プーマの話にも出たナイキをはじめ、かねてより水面下でコークと繋がっていたと見られる連中——ケンタッキー、ジョンソン兄弟、アンダーアーマー、それにケロッグか——屋上で余計な真似をしてくれたあの連中もまた消息を絶った。だがまあ、おそらく生きちゃいないだろう」
 ヒューの視線を受けて、リーバイスとバーガーキングがそれぞれうなずいた。
 バーガーキングが言った。「連中は祈りを捧げ、それだけじゃ飽き足らず命も捧げたんだ。連中の崇める唯一神、三位一体のコーク様にな」
 大水が去ってからもう一度ドアを開けたときには、屋上はもぬけの殻だった。一人残らずTSUNAMIにさらわれてしまったのだ。
 ここで会議室の入り口が開き、ウォール・ストリート・ジャーナルが、今度はひとりでやってきた。この男が今まで階下の医務室にいたことは、ここにいる全員がとっくに聞き知っていた。だから、自然と緊張感が高まった。
「サムスンが息を引き取った」ウォール・ストリート・ジャーナルは言った。
 覚悟していた言葉ではあったが、それでも湧き上がる最悪な気分を抑えこむことはできなかった。
「畜生、糞ったれのおしゃれ野郎め!」殊更サムスンと仲が良かったLGが叫んだ。「エアマックスじゃなく、てめえの命を狩ってやる!」
 それから、誰からともなく黙祷が始まった。
 誇り高く、バイタリティ溢れる頼もしい同志たちの死に、プレゼンツたちは深く追悼を捧げた。

       

「長くなったが、被害に関する報告は以上だ」黙祷のあとでヒューレット・パッカードは言った。
「じゃあそろそろ、これからの話をしようぜ」バーガーキングが言った。
「まあ待て。その前に、あと一点だけ言っておかねばならないことがある。先刻、後回しにすると伝えておいたTSUNAMIのことについてだ」
 緊張が高まった。
「知っての通りこのXPO船内の内装は、各パビリオンごとに地球の様々な街をミニチュア化し、細部にいたるまで精巧に再現したものだ。だが、いくらリアリティを追求しているとはいえ、脅威となる自然災害まで忠実に再現してやる必要はもちろんない。実際、俺たちプレゼンツが快適に過ごせるようきっちり管理・統制された船内で、TSUNAMIなんかが起きるはずないんだ。にもかかわらず、どうしてそれは起きたのか。——結論から言おう、その原理はまだわからない」
 皆の顔に落胆の顔が浮かぶのを待たず、最後まで聞いてくれ、とヒューは断った。
「糸口は、あった」
「それはなんだ」H&Mが聞いた。
「実はTSUNAMIの発生後、キヤノン、ニコン両名に水面ぎりぎりの49階まで降りてもらい、調査をしてもらった。結果、驚くべきことがわかった」
「驚くべきことはわかってる。真っ黒の水だってことさ」
 軽口っぽいバーガーキングの物言いに、しかしヒューは深くうなずいた。
「これから彼女に説明してもらう」
 先刻からヒューレット・パッカードのそばについていた白衣姿の女性、彼女はシーメンス。普段は世界塔内のラボにこもりっぱなしで滅多に人前に姿を現さない隠遁者——そんな噂を聞いていた。だからリーバイスも、この話し合いが始まったときから彼女がヒューのそばにくっついてることが気になってはいた。
 ヒューはシーメンスに何か耳打ちをする。するとシーメンスは奥の部屋へと引っ込んだ。
 それからすぐに台車を押して戻ってきた。台車の上には試験管立てが置かれている。透明な筒が立てられている。なかの液体は、黒色だ。
「採取したサンプルよ」シーメンスが言った。ハスキーで艶っぽい声。
 プレゼンツたちは台車の周囲を取り囲んだ。
 液体を観察する。試験管のなかで、無数の気泡の浮かぶ黒い水がしゅわしゅわと泡立っている。
 リーバイスが言った。「こいつはコークか」
 ヒューがうなずいた。
 その場にいた全員がどよめいた。
「驚くのはまだ早いわ」シーメンスが言った。「見ていて」
 そう言って彼女は、台車の平台の下の仕切りからトレーを取り出した。
「オイオイオイオイ、まじかよ、ああァ〜ン??」バーガーキングが物凄くにやついて言った。
 トレーの上の包みはバーガーキングの看板商品、ワッパーに違いなかった。
「なんてデカさだ。こいつを持つには両手が必要だぜ……」
 自画自賛のバーガーキングを軽やかに無視して、シーメンスはあくまで冷静な調子でワッパーのラップを広げた。
「ワオ! 独自のブロイラーで直火焼きした100%ビーフ・パティが溢れる肉汁でギラついてやがるぜ!」
 シーメンスはバーガーキングに対してさながらドライブスルーの客のように無関心を貫きつつ、次に一番上のバンズを掴んだ。
「うーん、セサミの香ばしい香り!」バーガーキングが目を閉じ、鼻をすんすんさせる。
「悪いが少し静かにしてくれ」
 ヒューがたしなめたが、
「ものすごいエネルギーを感じるぜ……。こいつはもしかすると、マックのビッグマックを超えるカロリー量かもな……」
 全然無理だった。
「具体的にはビッグマックが540 kcal、対してワッパーのカロリーは670 kcalってとこか……」
「すごい、どうしてわかるんだろう」レゴが言った。
「馬鹿ね、わかってて言ってんのよ」スターバックスが言った。
 そんな寸劇にも一切耳を貸さず、シーメンスは手にしたバンズの上蓋を横に置き、それからピクルスを一枚つまみあげた。
「なあ、あんた、何をしてるんだ?」
 バーガーキングは愛想っぽく笑顔をつくる。それから何かに気づいたらしく、いかにも頼もしい顔つきで、秘密を分け与えるように言った。
「もしかするとあんたはピクルスが苦手なのかもしれねえ。それで今、バンズを開いて中身を取り出してるんだ。けどよ——ここで一つトリビアだ。そういうときは、あらかじめピクルス抜きで注文すりゃあいいんだぜ? バーガーキングの自慢のひとつは、客が自由に具材を選べるってとこにあるのさ。There are 1024 ways to have a Whopper ——『ワッパーの食べ方は1024通り』ってわけさ! だから、あぁオイ、アイタタタ、やめろよ! そんなっ……親の仇みてえにっ……ピクルスを細かくちぎんなくても——ダアアッ! なんだってんだ!」
 バーガーキングはシーメンスがピクルスを刻むたびに身もだえしていた。
 それからシーメンスちぎったピクルスをコーラの試験管に落とした。
「シット! 何てことしやがるこのビッチめ!」
 思わぬ冒涜行為に激昂したバーガーキングだったが、
「なに……?」
 次の瞬間には、驚きに目を見開いていた。
 じゅわ、と。
 鉄板で肉を焼くような音がした。
 ピクルスは試験管コークのなかで、即座に、あとかたもなく溶けて消えた。
「なんてこった——」
 驚愕の声を漏らすバーガーキングの唇に指をあてて黙らせ、
「まだよ」
 そう言ってシーメンスは、次にはバーガーキング自慢のワッパーそのものを試験管の先に乱暴に突き刺した。
「ファアアアアアック! 俺の、俺の、俺のボディが!!」
「だから黙ってろって言ってるの!」
 シーメンスがバーガーキングに負けず劣らずの大声でやり返した直後、試験管内に変化が起きた。
 コーラがまるで煮え立ったマグマのようにぐつぐつとたぎり——
 ——そうして炭酸が音をたて、激しく弾けた。
 噛みついた、とリーバイスは思った。
 あるいは、コークがワッパーのケツを掘ったと。
 邪悪などす黒い液体がワッパーに食らいつき、まるで意志を持ってるみたいに食らいつき——
 ——ず、ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、と卑猥な吸引音が室内にこだました。
 そうして腹を空かせた虎のねぐらに引きずり込まれるか弱い野ウサギよろしく、ワッパーはぐりゅりと無理矢理に試験管の中に引きずり込まれ、凶暴な獣性を全解放したマッド・コークの黒水によって引き回されるようにシェイクされ、肉をもがれ、カロリーを削がれ、煙をあげて溶け、どんどんぐずぐずになり、やがてすっかり、悪しき黒水のはらわたのなかで消化され個性もクソもないただの養分になる。
 そうして「とてつもなく大きなもの」を意味するワッパーが一つ、この世界から姿を消し、あとには凪の海みたいに取り澄ましたコークの平坦な水面だけが残った。
「ごらんのように——」シーメンスは言った。「——試験管のなかのコークは、こんな状態で生きてるの」
 プレゼンツたちは一様に凍りついた。
「なんてこった……」沈黙を止めたのは力なく呟かれたサブウェイの声だった。
「だ、大丈夫かい、?」レゴが訊ねた。
「わかった。これはコークロアの再現だ」サブウェイが言った。
 その目が、据わっていた。
「コークロア?」トヨタが聞き慣れないその言葉を繰り返した。
「聞いたことないかよ?」
 皆の視線がサブウェイに集まった。
「サブウェイ、いったいなんだ、それは?」ヒューが訊ねた。
 サブウェイは静かに語り始めた。
「百年以上の長きにわたり、若者を中心に多くの人たちに愛されてきたコカ・コーラ。だがその製法については、驚くほど知られていないんだ。コカ・コーラ社がコークのレシピ——フォーミュラを非公開としているためだ。コーク社はコークの販売を始めた当時から今に至るまで、この秘密を厳重に守りつづけてる。
 たとえば、コーク社がフォーミュラの文書を保管する方法について知ったとき、俺は驚きを禁じ得なかった。そいつは、かつてはアトランタの銀行の金庫で保管されていた。そして2011年以降は、同じくアトランタに新設されたコカ・コーラ博物館〈World of Coca-Cola〉の敷地内にわざわざ保管施設を造り、ここに隠しているって話だ。度を超した徹底ぶりだと思わねえか? どうだ? 俺ぁそう思うぜ」
 以来、今に至るまでフォーミュラは未だ公開されていないのだという。
「コカ・コーラ社のコークの味を再現しようと、これまで数多の企業が試みてきたが、いずれもうまくはいかなかった」
「そういや思いだしたが、昔、『オープンコーラ』ってのもあったな」ピザハットが口を挟んだ。
「なんだそりゃあ」バーガーキングが言った。
「コークのレシピをオープン・ソースのソフトウェアみたく共有しようぜっつって始まった取り組みだ。真偽不明のレシピ情報が公に発表されたが、結局はガセ。コークのそれとは違っていたらしい」
「おいおい、随分詳しいじゃねえか。ひょっとしてお前もコークの隠れシンパか」
「冗談はよしてくれ」ピザハットがむっとして答える。「ウチの店舗でもコークを扱ってるからな。それだけだ」
「……つづけてくれ」リーバイスがサブウェイに言った。
 悪かった、とピザハットが言った。
 バーガーキングはただにやにやしていた。
「そんなわけで、いついかなる時代にも、コークの傍らには常に〈フォーミュラ〉って名の謎が寄り添いつづけてきたんだ。謎は新たな謎を呼び、様々な憶測をうみ、広まり、それはいつしかより詳しい輪郭を持った『都市伝説』へと変異していった。それらは民間伝承(フォークロア)とひっかけて、今じゃ〈コークロア〉って呼ばれてる」
 それで合点がいった。
「都市伝説。コークロア。なるほど、呼び名自体は知らなかったが、聞いたことがある」レゴが言った。「『コークにはサンタクロースの衣装が赤と白なのは、コカ・コーラの広告から広まった』とか、確かそういうような噂があったよな」
 サブウェイはうなずいた。
「私も、聞いたことがあるわ」スターバックスが言った。「アレのとき白熱しすぎて熱いのを中でアレしちゃったとき、すぐにあそこをコカ・コーラで洗浄すると妊娠しないって。え? 試したことですか?」
「スターバックス」トヨタがたしなめた。「聞いてないから」
「コークロアのなかにはこんなのもある」サブウェイが青ざめた顔で言った。「曰く、『コカ・コーラの原液に誤って落ちた作業員が骨も残さず溶けた』ってな」
「つまりあんたは」リーバイスが言う。「今現在起きていることが、都市伝説にすぎないはずのコークロアの、忠実な再現だって言いたいのか?」
「言いたいとか、言いたくないとかじゃねえ! 事実だろうが!」
 男は明らかに冷静さを欠いていた。狼狽した様子で立ち上がると、ゆっくりと、数歩、後じさった。そうして全面窓に歩み寄ると、おそるおそるというように階下を見下ろした。
 夕刻が迫っていた。沈み往く人工太陽の光に照らされて、サブウェイの身につけた若草色のサマーセーターが鮮やかに萌えていた。
「妄想が過ぎるぜ、サブウェイ」リーバイスが言った。
「そうだぜ」バーガーキングが言った。「つーかよう、あんただってさっき言ってただろうが、コークロアだかなんだか知らねえが、なんにせよファッキン・コークに死のマーチを奏でて聞かせてやりゃそれでしまいさ。さっさと片付けちまえばいいんだ」
「だがよ」サブウェイが言った。「どうやらそれも無理そうだぜ」
「サブウェイ……?」
「ここで終わりだ……宇宙船XPOの楽しい楽しい遠足はこれにて終了。全員、コークに殺される……!」
 サブウェイは呪詛のように言葉を吐き出しながら、窓に張りついて地上を凝視していた。
「おいサブウェイ、あんた一体、何を見てる!?」
 バーガーキングが歩み寄る。他のプレゼンツたちとともにリーバイスも続いた。
 暮れなずむ夕暮れの色を受けて不気味に輝くコーク・シー——すべてを喰らう凶暴な黒い海から、コークと同様真っ黒な、正体不明の何者かが、次から次へと幾人も、世界塔に流入してきていた。
 ヨミウリが勢いをつけて会議室に飛び込んできた。
「階下のキヤノンから報告があります」
「どうした」ヒューが言った。
「コークの海から上陸した謎の黒い人がたたちが、最下階にいるプレゼンツを襲っています!」
 遅れて動画が届いた。
 リーバイスたちは窓の下から視線を戻し、壁に投影されたスクリーンを見た。
 黄昏の海より突如現れた黒色の影——それは全身コークまみれの液状人間だ。いうなれば、〈コークメン〉といったところか。
 コークメンはあっという間に水面上の最下階49階フロアを埋め尽くした。同フロアにいたプレゼンツたちが驚きに声を上げている。
 そのなかの一人が、当該フロアにいた一人のプレゼンツに抱きついた。
「おい、組みつかれたぞ。誰だあいつは!?」バーガーキングが喚いたが、その場の誰も答えられなかった。
 次の瞬間、全員が絶句した。プレゼンツに熱い抱擁を与えたコークメンは、電気ケトルで加熱され沸騰したみたいに、いきなり炭酸を激しく迸らせたかと思うと、次の瞬間、パン!と音をたてて爆発した。抱きつかれたプレゼンツはこれに巻き込まれ、肉片をまき散らして弾け飛んだ。強力な酸化力を持つ、たとえば硫酸かなにかにでもやられたようにぐずぐずになった男の下半身が、直立のまま地面に残った。
 男は最後に「エイサー!」と断末魔の叫び声をあげた。だからたぶんエイサーだった。
 他のプレゼンツたちが上階を目指して避難を開始する。
 コークメンたちは血に飢えた狼よろしく彼らを追いかけ始める。
 来るぞ。どうする。迎え撃つか?
 守らなけりゃならん連中が多すぎる、まずは避難優先だろう。
 脱出経路の確保は?
 つってもビルん中だぜ? その上、外に出りゃあ全部を溶かすコークの海——
 あたしたちさながら袋の鼠ってワケね。
 屋上から逃げようにも、ヘリはもうない……
「ぐだぐだ考えるより先に」リーバイスが言った。「身体を動かした方がいいんじゃねえのか?」
「ワオ。お年寄りらしからぬお言葉」
「からかってるがよ、スターバックス」バーガーキングが言った。「ビッグEの言う通りだぜ」
 スターバックスが言った。「よぅくわかってるわ、ワッパー。あたしがからかってるのはね、おじいちゃんがかわいいからよ」
「おい、おま……!」
 スターバックスがいきなり頬にくちづけたから、リーバイスは激しく動揺した。
「やめとけスターバックス」バーガーキングがにやついて言う。「小洒落たカフェ的な軽いノリは、旦那にはちと刺激が強すぎるぜ」
「とかいって、ほんとは嫉妬してるんじゃないの?」
 ちげーよ、と微妙にむきになったバーガーキングに、スターバックスはくすりと笑いかけた。
 改めてチームが再編された。今回は二つのチームに分かれて行動をする。
 H&M、トヨタ、ピザハット、LGは、救助部隊として、極力戦闘を回避し、ZARA、VISAたち先発のプレゼンツたちを追い世界塔の外を目指す。
 もう一方は武力にものを言わせてコークメンどもをいてこます荒くれもののチームだ。先の屋上での立ち回りにより喧嘩の腕をも買われることになった剛の老人・リーバイス、そのリーバイスのそばにいたいという本人たっての希望によりこちらも続投が決まったスターバックス。そして新たにレゴ、それに先刻合流したプーマもまた行動をともにすることになった。
「ちょっと待った、プッシーども。誰か忘れちゃあいねえかい」バーガーキングが言った。
「サブウェイならちょっと精神状態が悪いから、ヒューと一緒にここで待機よ。決まってるじゃない」スターバックスが言った。
「俺は仲間の戦死によって、怒りに打ち震えてるぜ」スターバックスの心ないからかいにも一切動じず、バーガーキングはにやついて言った。「アングリーワッパーと呼んでくれ」
 この熱烈な自己推薦により新たにバーガーキングもチームに加わることになった。
「き、き、き、緊張しますねえ。大丈夫でしょうか。僕、ぼ、ぼく、どっちかっていうとデスクワークメインっていうか、肉体労働はあんまり得意じゃないんですけど……!?」
 予想外の抜擢にきょどっているレゴの背中をリーバイスは思い切り叩いた。
「いくぜ」
「は、はい!」
「おほ。先輩こえー」
「お手柔らかにね、おじいちゃん」
「いいチームになりそうだな」ヒューレット・パッカードが言った。「65階のニコンから入電だ」
 壁のスクリーンに映し出された絵が切り替わる。
 赤ら顔の中年二人がバストアップで大写しになった。
「いえーいピースピース」バドワイザーが言った。
「見てるぅ〜? 最上階のファッキン・ブルジョワども」ハイネケンが言った。
 すでにできあがったバドワイザーとハイネケンだった。
「あの薄気味悪いコークメンどもに、こいつで——」
 そう言ってハイネケンは、西部の酒場のマスターがカウンターの下に隠し持ってるような薄汚れたライフルを見せびらかした。
「——酔っ払い怒りの鉄槌をお見舞いしてやるぜ」
 バドワイザーが言った。「そういや向こうにフォルクスワーゲンとメルセデス・ベンツもいるぜ。どっちかがいつぽっくり逝っちまっても後悔がないよう、今のうちにツラァ拝んどくか?」
「必要ねえ。これ以上誰も死なせねえよ」バーガーキングが言った。
「それにしても悲惨な取り合わせだ」リーバイスが言った。「飲酒運転は御法度だぜ」

       

「暢気な奴らだ、とっくにパーティーは始まってるぜ」
 ライフルをぶっ放しながら、銃声に負けぬよう声を荒げてハイネケンが言った。
「思ったよりも侵攻が早いな……」リーバイスが答えた。「悪かった。エレベーターはTSUNAMIによってとっくに電源が落ちていてな。頼りになるのは二本の足だけだ」
 世界塔65階。ハイネケンは階段の一番上にうつぶせて、階下から現れるコークメンたちを次から次へと撃ちまくる。
「さんざんな日だな、今日は」ハイネケンが言った。
「んなこと言ってる割には楽しそうじゃねえか」リーバイスが言った。
 へっ、と隣のバドワイザーが笑う。「ぶっ放す瞬間が一番気持ちいいのはアレと一緒さ」
 バドワイザーのライフルがうなると同時に階段を駆け上がってきたコークメンの頭部がはじけ飛び、踊り場のコーラ溜まりがまた一段と広がった。
「そういやバド」ハイネケンが次のコークメンをぶち抜きながら言った。「てめえの嫁さんのことだけどな」
「ああ?」
「『うちの亭主は最近弾切れでちっとも手応えがない』って、この前愚痴ってたぜ? 俺の腹の下でな」
「そういうお前は知ってるんだったっけか」バドワイザーがにやついて言った。「お前んとこのワイフのことだが、近頃俺のこの自慢のライフルにご執心でな。いつも丹念に手入れしてもらって助かってるぜ」
「飲み過ぎですよ……」レゴが言った。
「ここは任せていいな」リーバイスが言った。「俺たちは下へ向かう。極力全部蹴散らすが、もし打ち損じたやつがのぼってきたら、そのときは頼む」
「任せろ」
「おうともよ」
 酔いどれ二人は力強く請け負った。
「ところでお前んとこの嫁さんは——」
「いや待て、まずお前の嫁さんの話をさせてくれ」
 レゴは引いていた。
 リーバイスたちはさらに階下へと下った。コークの液体溜まりを踏みつけると、じゅっと音をたててブーツの靴底が少しだけ溶けた。

 階層を下れば下っただけ、コークメンの数は増えていく。
「『コーク・シー、母なる海』ってか」バーガーキングが吐き捨てるように言う。「まったく、ひっきりなしだな」
 戦闘状況はあらゆる場所に出現していた。
 コークメンたちに策はなく、単調、愚直な走りで、ただまっすぐに進んでくる——さながら走るゾンビだ。おそらくこいつらには、自由意志などないんだろう。
 それに対して、なんといってもこの世界塔にいるのは誰も彼も精鋭揃いだ。特徴がいったんわかってしまえば、そう簡単にやられたりはしない。P&G、ジレット、バーバリー。ロレアル、フィリップス、オラクルにパンパース。どいつもこいつも悪くない。いい腕前を持っている。
 ——が。
 やはりいかんせん敵の数が多すぎた。防戦一方の戦闘のなかで摩耗し始めている者も、ちらほら散見された。
 そんななか58階で合流したユニクロは、アパレル界ではGAPに次ぐシェアを持つ猛者だった。リーバイスたちのチームに合流し、ともに戦うと言った。
「どうして黙ってる、リーバイス」
 隣にくっついて、しきりに話しかけてくるユニクロに、リーバイスは沈黙でもって答えつづけていた。
「俺はあんたとは一度、話してみたいと思ってたんだんだぜ」
 しつこい物言いにリーバイスは内心うんざりしていた。
「悪いが、今は世間話をしてるヒマはないんでね」
 軽くあしらおうとしたが、
「というのも、聞いてみたいことがあってね」
 ユニクロはリーバイスの言葉を無視して言った。
「あんたはヴィンテージ・ジーンズの価値ってやつをどんな風に考えてるんだ? あんたの考えが聞きたい、リーバイス」
 挑発的な、敵意剥き出しの目。それが自分の横っ面を射つづけている。
 慇懃無礼でまわりくどいその物言いを黙って聞きつづけているあいだに、ユニクロの言いたいことの大意をリーバイスはもうとっくに理解している。
 要するにこの若造は、リーバイスの仕事を「見え透いたモンキー・ビジネスだ」と言いたいんだろう。
 ユニクロは、ファストファッション・ブランドのなかでも特に、ジーンズに力を入れてきたブランドだ。セルビッジ、赤耳、まるで長年履き込んだようなくっきりと美麗な色落ち——21世紀以降、ユニクロはヴィンテージ(古き時代)の忠実・高度な再現に加え、ストレッチの利いた抜群の履き心地というオマケまでつけて、かつ驚きの低価格で展開している。その安価で質の高いセルビッジ・ジーンズは、ある意味で間違いなく、旧来のヴィンテージ・デニム幻想に終止符を打ったと言っていい。
 それは本当に、大袈裟な話ではないのだ。事実の確かな裏付けとして、ユニクロ・セルビッジ・ジーンズの市場展開が始まった時期と、リーバイスと並んで〈三大デニムブランド〉と称されたジーンズ界の両雄——リーとラングラーがニッポンの市場を撤退した時期は完全に一致している。
 リーバイスだってもちろん知っている。デニム市場にユニクロが与えた大きな衝撃のことを、認めてもいる。だが、とっくに知っていることを今みたいにくどくどと改めて、しかもご本人様の口からさながら武勇伝よろしく聞くって状況に対しては、「悪いが勘弁してくれ」としか言いようがない。
「あるいは」そんなリーバイスのうんざりした心境に取り合うつもりなどつゆほどもないらしい。あくまでユニクロは陶然としてつづけた。「幻想というなら、それは今や個々のプロダクトに限らず、『デニム専門のブランド』って存在自体がそう呼べるかもしれないな。21世紀以降、消費者自体がすっかりそのことを看破してしまって久しいのだからな」
「デニムのブランドって存在自体が、ヴィンテージだと?」
「いや——ちと言葉が過ぎたかもしれないな。気を悪くしたなら許してくれ」
 慇懃無礼な物言いの、お手本のようだぜ。
 なるほど、こいつは血の気の多い若造ってわけだ。リーバイスに、リーバイスが築き上げてきた歴史に対する自身の勝利を、はっきり認めさせたいのだ。
「なあ、教えてくれよ」なおもしつこくユニクロは訊ねた。「あんたの考えるヴィンテージってやつを」
 仕方なく、リーバイスは答えた。「歴史さ」
「歴史、か」ユニクロはリーバイスの回答を棒読みで繰り返した。「『骨董品』って言葉があるな。古くて役に立たないものって意味だが。そいつはしばしば、実用性ってやつを伴っていない」
 大方、あらかじめ切り返し方を考えてあったのだろう。書かれた文章を暗唱するようにすらすらと物を言う。
 リーバイスは言った。「今となっては、俺のことを過去の遺物と言う連中もいる」
 ユニクロは勝ち誇ったように口の端を吊り上げた。が——。
「確かにそうかもしれねえ。それでいいんだ」リーバイスはつづけた。「いいかい。歴史ってのは、ブランド一個のなかでだけ積み重なっていくものじゃないんだ」
「どういう意味だ?」
「新しい時代を牽引する連中のDNAのなかにも、それはきっと組み込まれてるってことさ」
 ユニクロは眉をひそめた。
「たとえば、あんたのなかにもな」
「俺は何も——」
「それに」リーバイスはユニクロの言葉を制止してつづけた。「俺みたいな老いぼれでもな。ありがたいことに、こうして〈XPO〉乗船の栄誉にも預かっている。そのうえ今では、血迷ったコークが引き起こした混乱を収拾するために、若いあんたらに混ざり、汗水垂らして走りまわることまでしてる。
 いずれにせよまだ全部の役目を果たしたわけじゃないってことだ。なるほど、老体にこたえるといやあそうだが——それでもだ。案外、悪くない気分なんだぜ?」
「よう、お二人さん。ジーンズ談義に花を咲かせてるところ悪いが」バーガーキングが言った。
「いや、もう済んだよ」最早リーバイスに対する嫌悪の情を隠そうともせず、ユニクロは言った。「何も話すことはない」
「そうかい。ところでこっちは、お前の力を必要としてるんだがね」バーガーキングは不敵に言った。「そろそろ、暴力の出る幕だぜ」
 降り立った世界塔52階には濃厚な死の匂いが充満している。陰惨な光景が広がっている。床はコークで水浸し、壁や天井にまでコーラの飛沫が飛散している。天井からはぽたぽたと黒いしずくが滴り落ちる。頭にかかればそのときは、はげができるくらいじゃすまないだろう。端的に言って、危険極まりない。
 現場状況の把握も満足にいかないうちに、四方八方からわらわらと、無数のコークメンが現れる。
 20……30……40——
 ——否、50体でも利きそうになかった。
 バーガーキングが言った。「ようユニクロ。老人介護で溜まったストレスを爆発させるときだぜ」
 ユニクロはふん、と鼻を鳴らし、「言われなくてもやってやる」
「好き勝手言ってろ、ワッパーボーイ」リーバイスが言った。
「初めてその名で呼んでくれたな」嬉しそうにそう言って、ワッパーは愛用のリボルバー〈ハングリージャックス〉を構えた。「頼りにしてるぜビッグE!」
「そのこっぱずかしい呼び名は今すぐやめるんだ」リーバイスは言った。
 そしてピースメーカー501XXが、誰よりも早く殺しの鉛玉をぶっ放す。

       

 これが生身のプレゼンツ相手ならうず高い屍の山ができていたことだろう。しかし現実は違う。敵は固形の質感を持たないコークメンなのだ。
 一度は水面に限りなく近い52階まで降りたリーバイスたちだったが今はまた56階まで引き返している。屠り続けたコークメンの破裂によって、ここより下層のフロアは床がすっかり水浸しになっている。プレゼンツを溶解させる危険なコーク溜まりの拡大により、ちょっとした足場の移動すら覚束ない。端的に言って戦闘条件の悪さは極めつけで、フラストレーションをためこんだバーガーキングは、さっきからずっと、コークメンをぶち抜きながらも「ワッパーを食わせろ」だなんてがなっている。
 そんななか、謎めいたプレゼンツ・プーマがチームをさらなる窮地へといざなう。
「……どうしてお前がここにいる」
 最初それは、いったい誰に向けて投げかけられた言葉なのか、誰にもわからなかった。
「待て。そうじゃないちがうんだ。ちがう」
「何を言ってる、寝ぼけてんのか? 昨日は朝までお楽しみってか、ええ?」バーガーキングが射撃の手を緩めずに言った。
 あらゆる方向から塔の中心に位置する階段へと襲いくる、これまで以上に熾烈なコークメンたちの侵攻を、チームのそれぞれが持ち場を分担し合ってせき止めている——そんな状況だった。プーマがいま自身の持ち場を投げ出してしまえば、途端に牙城を崩される危険性があった。冗談じゃない。しっかりしてもらわないと困るぜ。
「ちがう! 俺じゃない!」
 なおもプーマは子供みたいに大ぶりのジェスチャで意味不明な主張を繰り返した。完全に冷静さを欠いていた。このままでは頼みの綱の拳銃まで、腕をぶん回した拍子に落っことしてしまいそうな勢いだった。
 動揺に震えるプーマの目は、明確に一体のコークメンの姿を補足している。
 皆同じに見えていたが、固有性があるのだろうか?——リーバイスは冷静に分析をして言った。「よせ、過度に感情移入するな。いいかプーマ。もしそいつが、かつてお前が知っていた誰かさんだったとしても、今じゃあもうコークの操り人形にすぎないんだ」
「リーバイス、だが……!」
 図星だったようだ。これまでチームの誰の声かけに対しても上の空だったプーマが、ようやく反応を示した。
「そいつを哀れむ気持ちがあるなら、さっさと楽にしてやるんだ」
 プーマは表情を苦悩に曇らせながらも、もう一度、目の前のコークメンに照準を合わせた。引き金に手を掛けた。
 が——
「うう、駄目だ……!」
 ——うめき声をあげて、拳銃を握る手を下げてしまった。
「馬鹿! 正気なの!?」スターバックスがなじった。
「歯ぁ食いしばれ」バーガーキングはプーマににじりよると、横っ面を思い切りぶん殴った。
 ぶっ倒れたプーマを見下ろして言う。「チームを乱すな。今はこのヤバイ事態に収拾をつけることだけ考えろ」
「俺は……俺はコークのクレンジング論に乗ったワケじゃない!」
「ああ……?」
 こりゃあ駄目だ。——ワッパーは独り言のようにぼそっと吐き捨てた。そしてプーマの手から拳銃をもぎ取ると、左右の手を八の字に開いて二丁拳銃の構えをとる。「レゴ。そいつをどこか安全なとこに引っ込めとけ。少しの時間ならなんとかしのぐ」
 レゴがうなずき、プーマの腕に手を掛けた。
 その瞬間、プーマが大声で叫んだ。「アディダス! 事故だったんだ!」それは懺悔だった。「あのときお前を、コークの海に突き落としちまったのは!」
「動くな!」レゴが言った。
 レゴの腕をふりほどいて、プーマはコークメンのもとへと駆けだしていく。
「悪かった、赦してくれ兄弟!」
 プーマの耳には、もうレゴたちの声は聞こえていないようだった。
「ちょっと魔が差しただけなんだ……本気じゃなかったんだよ……!」
 崩れ落ちそうになりながら、その足取りがだんだんと、駆け足からゆったりとした歩みへと、変わっていく。
「はは……いや、生きててよかったぜ……まったくよお……。えらく高いとこからの飛び込みだったな、アディダス? あのときのお前、最後にイカして——」
 かつてはアディダスだったらしいコークメンに向けて、プーマは両手を広げてみせた。愛情たっぷりの厚い抱擁を、自分から率先してくれてやるつもりらしかった。
 リーバイスはプーマの真ん前にいるコークメンに銃を向ける。
 間に合うか?
 ——なんとかなりそうだ。
 いや、だが——。
 弾けたコークをたっぷり浴びて、どっちにしろプーマもオダブツか。
「ったく、世話のかかる野郎だぜ」
 リーバイスはウエスタン・ブーツの拍車をカチンといわせて一足跳びに飛び出した。
 だが大した距離などないはずのプーマの腕を引っつかむその前に——
 ——急に、地面が目の前にアップになって現れた。
 気づけば全身の力が抜けて、リーバイスはその場に倒れていた。
 リーバイス。おい、リーバイス。
 ワッパーやスターバックスがやたら大袈裟にわめき立てる声が、妙に遠くに聞こえた。
 一体、何が起きたんだ?
 腹の真ん中あたりが、異様に熱かった。
 それで手を触れてみた。手のひらが、じっとりと紅く濡れた。
 落ち着け。何が起きたか、状況を把握するんだ。リーバイスは自分自身に言い聞かせた。
 どうやら負傷したらしい。そいつはわかった。俺は、たった今しがた、プーマの馬鹿げた懺悔を止めようと飛び出し——だが、にもかかわらず、結局は自分自身が地面にへたりこんで愛の抱擁をくれちまった。
 一体どうしてだ。
 そうだ、何にやられた? コークメンか?
 ——たぶん、ちがうな。
 今にも飛びそうな意識の糸をなんとか捕まえたまま、重すぎる頭を少し傾け、後ろを見た。
 白のキャンバススニーカーを履いた足が見えた。ジーンズを履いていた。一つ折り返されたデニムの裾の裏側は赤い糸で縫製されていた。
 そのやり方をリーバイスはよく知ってる。それは生地の端がほつれない様にするための処理だ。ジーンズ愛好者の間では〈赤耳〉と呼ばれている。リーバイスのヴィンテージ・モデルに端を発する、伝統の証だ。
 こんなたいそうなジーンズを履いてるやつは、どこのどいつだ。
 見上げた。
 ユニクロが憎悪と困惑をべったり重ね塗りした表情でリーバイスを見下ろしていた。その手にはユニクロと同じくニッポン・ブランドである無印良品の、オールステンレスの三徳包丁が握られている。刃先には、赤耳よりももっと紅いリーバイスの血液が付着し、ぽたぽたと滴っている。
「お前が悪いんだ」憎悪のこもった声でユニクロは言った。「時代遅れの……骨董品め……!」
 ——クレンジング、か。
 リーバイスは妙に醒めた頭で考えている。
 ——そういう考え方もあるか。
「大したもんだ」リーバイスは力なく言った。「そんじょそこらのヴィンテージ・デニムじゃあ、歯が立たないかもな。あんたのジーンズ、俺はヒップだと思うぜ?」
 ユニクロの表情に、はっきりと変化が現れた。狼狽と後悔。
 だが、ちょっとばかし遅かったな。
 賽はとっくの昔に投げられたんだ。
 リーバイスがそう考えたのと、ハングリージャックスがユニクロの脳みそを吹き飛ばしたのは、ほぼ同時だった。
「リーバイス!」
 バーガーキングがリーバイスの身体を抱え起こした。
 リーバイスはニヒルに笑い、そして言った。「サヴァイヴ(生き残れ)」
 直後、かつてアディダスだったコークメンが、ゾンビよろしく無謀にそいつに近づいていったプーマを抱擁した。血を分けたダスラー兄弟に端を発した両ブランドは、ひとまとめになって弾け飛んだ。そのコークメンが確かにアディダスだったことの証拠に、二人が弾けたあとの床にはアディダス・オリジナルスのロゴマーク、月桂樹の冠をモチーフにした栄光のトレフォイルを象ったピンが一個落っこちていた。
 アディダスが吹っ飛んだ拍子に飛び散った飛沫は、ユニクロとリーバイス、二人の自慢のセルビッジ・ジーンズにはねてデニム生地をいくらか溶かし、似た感じの穴あきのダメージド・デニムに仕立て上げた。
 盛大な音をたてて四方の窓が次々と割れた。飛び散った破片はワッパーの頬をかすめて傷をつけ、真っ赤な夕焼けの色を反射して光った。
 身もこころもコークにすっかり喰らい尽くされ、失くしてしまった、かつてのプレゼンツたち——コークメンがわらわらとあふれ出す。
 頼もしい飲んだくれども——バドワイザーとハイネケンが、それにフォルクスワーゲンとメルセデス・ベンツが、上の階から降りてきた。
「ここは絶賛戦闘中か!」バドが楽しげに言った。
「ヒューから連絡が来てる。確認したか?」フォルクスワーゲンが言った。
「ありがたいことに大忙しでね、そんなヒマはなかったぜ」
「今確認するんだ」
 バーガーキングは言われた通りにした。
「なるほどな。わかったぜ」にやりとした。「希望はまだあるってわけか」
 ヒューからの情報は、「コーク・シーの水位が急速に下がってきている」というものだった。ご丁寧に、ニコンとキヤノンがそれぞれの位置から撮った写真まで添付されている。直近5分間で下がった水位はおよそ5メートル。単純計算で、50分弱もあればコークの海は消えてなくなる計算だ。
 もちろん、そう単純にいくとは思えないし——
「——急にそんなことになった理由はなんなの?」スターバックスが言った。
「そこんとこについて、ヒューは何も言ってきてないみたいだ」レゴが答えた。
「どうせ、XPOの土手っ腹に馬鹿でかい風穴が空いちまったからだとか、そんなこったろうよ」バーガーキングが言った。
「え! それって超やばくない!?」レゴが狼狽した。
「あんた、ワッパーにからかわれてんのよ」スターバックスが笑った。
「ああもう、心臓に悪いジョークはよしてよ。ま、前向きにっ。前向きに行こうよワッパー」
「俺はいつだって前向きさ」そう言ってバーガーキングは、後ろを向いた。
 リーバイスを見下ろす。
「死ぬんじゃねえぞ」そう呟いた。
 まだ息はある。大したもんだ。カリフォルニア・ゴールドラッシュ期より生き長らえる、生きた化石(シーラカンス)。
「リーバイスを守るぜ」バーガーキングがデカい声を出した。
 おう、と皆が応じた。
 チームはリーバイスを取り囲んだ。
 ヒューから新たな動画が配信されてくる。
 コーク・シーの水かさは予想以上の速度で下降している。
 喜ぶべき事態だ。だが、反面——
 ——コークメンたちは、徐々に引いていく海面から、ここが大詰めとばかりに、ひっきりなしに生まれてきていた。
 ニコンを搭載したドローンがフロアの窓から飛び出して、世界塔を遠景から捉えた。
 そうして映し出されたものを目の当たりにして、その場にいた誰もが、同じ事を思った。
 ——正直、まずいかもな。
 ここまで増殖をつづけてきたコークメンたちが、世界塔の外壁を、さながら外灯に群がる蟲のようにびっしりと覆い尽くしている。
 それでも。
「よお。どうしようもねえ飲んだくれの旦那たちよ」
 絶望的な状況などどこにもありはしないとでもいうように、余裕たっぷりの調子で、バーガーキングはバドたちに語りかける。
「弾の準備は十全かい?」
「はなはだ心許ねえが」ハイネケンが答えた。
「心ゆくまで、ツイストしようや」バドワイザーが言った。
「なるほど、悪くないわね」スターバックスが言った。「この〈コーラ戦争〉に勝利するために、みんな揃って死んだペプシに願掛けするってのもまた一興」
 レゴが言った。「レモンフレイバーのペプシ・ツイストか。結構おいしかったのに。懐かしいな」
 はっ。バーガーキングが笑った。「生憎、うちの店じゃあペプシじゃなくコークを出してるぜ」
 ハングリージャックスが今一度火を噴いた。ヤワなコークメンが二体まとめて吹き飛んだ。
 じきに、夜が来る。

       

 1853年のカリフォルニアは、まだまだ一攫千金を狙う採掘者たちの熱気にむせ返っていた。1849年にやってきた初期採掘者たち、いわゆる〈フォーティナイナーズ〉はむこう6年間のあいだにのべ30万人をこえた。劇的な変化だった。インディアン部族のヤヒ族は彼らにより蹂躙され、激動の時代のさなかで絶滅した。サンフランシスコはテントの集まった小村から空前の好景気を呼び込んだ奇跡の町へと様変わりした。
 その男もまた、カリフォルニア・サンフランシスコにいた。ドイツはバンベルクにほど近いフランケン地方の寒村ブッテンハイムの貧しい家庭に生まれたリーブ・シュトラウスは、アメリカ大陸に渡ると同時にアメリカ式の名前「リーバイ・ストラウス」を名乗り、義兄とともに行商を始める。ツルハシ、スコップ、鍋、それに、テントや馬車の幌に利用する丈夫な布地——金鉱掘りの荒くれどもの要求を満たすものはなんでも扱った。
 ちょっとした機転がきっかけだった。
 あるときテント用の帆布を購入した金鉱掘りの一団が肩を怒らせてやってきた。彼らの言い分によれば、リーバイの帆布は一度の雨ですぐに水漏れがしたということだった。
「では残りの布でズボンを仕立てましょう」リーバイは言った。「なるほどデニムの生地は、テントには向かないかもしれないが、ズボンにすれば100年でも保ちます」
 かくしてリーバイが仕立てたデニム地のズボンはたちまちのうちに評判となり、カリフォルニア・ゴールドラッシュに夢を見る多くの金鉱掘りにとって欠かすことのできないものとなった。
 その後何年もかけてリーバイスのジーンズは改良を重ねていった。そしてついには、ズボンのポケットの綻びを防ぐために銅製のリベットで縫い目を補強するという画期的なアイデアを取り入れたのだ。
 こうして世界初のジーンズが誕生した。ロット・ナンバーは「501」だ。

 ……なんだ。
 今さら、ノスタルジーに浸ってるのか。そんなのは馬鹿げてるぜ、リーバイス。
 リーバイスは自分に言い聞かせた。
 あの若造の背中が脳裏に浮かんだ。
 ユニクロ。——その、ステッチのない、顔なしのヒップポケット。
 こんなことじゃあ笑われちまうぜ。あいつの言う通り、骨董品と一緒じゃねえか。
 だんだんと、周囲の風景がはっきりと見えるようになってきた。
 けれども自分が今何を知るべきなのか、何をすべきなのか、思考を整理するのには、まだ難しかった。さながら深い森のなかにでも迷いこんでしまったみたいに、散漫な意識を持てあましていた。
 甘い、麻痺のようだ。リーバイスはそう思った。ひょっとすると俺は壊れかけてるのかもしれない。えもいわれぬ心地よさがあった。たとえば氷点下の雪原で、体温を失い、眠るように死んでしまう人間は、今の自分みたいな気分なのかもしれない。そう感じた。
 夜だった。
 コークの波は、リーバイスがみっともなく伸びているあいだにどこかへ消えた。今じゃ見る影もない。どうなった。わからない。わかってることはひとつ。結局俺という老いぼれは、あの絶体絶命の状況下で、バーガーキングや他の周りの連中に、迷惑をかけちまったらしいってことだけだ。
 身体がどうしようもなく重かった。自分の死体が収まった棺桶を、引きずって歩いてるみたいだった。ユニクロに刺された腹の疵が熱を持ち、ずきずき痛んだ。あのとき応急処置をしてくれたシーメンスも、今じゃ生死すらわからない。
 のろのろとした足取りで、リーバイスは七番街を南下している。
 茫洋たる死の廃墟の通りの先に、リーバイスは、古い友人の姿を見る。
 男の名前はラングラー。ハリウッド西部劇の衣装デザイナー、ロデオ・ベンをデザイナーに起用したブランド最初期のジーンズは、なるほどヒップな容姿を持っており、しかもそれだけじゃなかった。鞍(サドル)に傷をつけないように突起を排したリベット、座った状態でも楽な姿勢でいられるように浅く仕立てられた股上、ウエスタン独特の大きなバックルが装着しやすいよう、広い間隔をあけて配置されたベルトループ。——商標「ラングラー」は、カウボーイの別称だ。その名に恥じぬ、こだわり抜かれた機能美から、多くのカウボーイがラングラーのジーンズを愛した。
「よおリーバイス」男は言った。「カリフォルニアの金鉱掘りどもを相手にしていたお前が、はるばる遠い場所まで行っちまったもんだな」
「なあに、ラングラー。別に大したことじゃないさ。人類は進歩し、科学技術は発展した。いろんなことが、以前よりずっと快適になったんだぜ? 今じゃ火星へ行くのも朝飯前なんだ。このあてどもない宇宙の彷徨だって、俺たちが生まれたあの時代、東部から西部へと命がけで幌馬車を走らせたフロンティアーズたちの辛苦には比べるべくもないさ」
 そうしてリーバイスはラングラーの隣を通り過ぎる。
 男は過去になる。男の身体が灰になり、はらはらとこぼれて消える。
「でもね、リーバイス」
 道の先の闇から、別な声が囁く。
「なんだかあなたばかり、辛い目に遭ってるみたいよ」
 また一人。
 外灯すら点灯を忘れた真っ暗闇のなかにぼんやりとたたずむおぼろげな輪郭——懐かしい、一人の女だ。
 尊敬してやまないジーンズ界のパイオニア。それが彼女、リーだった。
 彼女はジャケットとパンツをひとつに縫い合わせた「ユニオン・オール」、いわゆるツナギを発明した。馬上の激しい動きにも耐えうるタフな13オンスのデニムを用い、その後定着させた。長靴が履きやすいようにと考案した、裾の広がったブーツカット。フロントボタンのかわりにジッパーを採用したジッパーフライ・デニム——その革新性は、語り出せばきりがない。
「ねえ。もう休んでもいいんじゃないかしら」女は慈しむように優しく囁いた。
 働き通しの鉱山労働者のように疲れ切ったリーバイスの渇いたこころに、女の声は、潤いを与えてくれるようだった。
「うれしいねえ、リー」リーバイスは言った。「そうかもな。あんたが気に掛けてくれている通り、俺は少しばかり疲れちまってるのかもしれない」
 だがよ、と言った。
 そしてリーバイスは、腰の後ろの革パッチを、ぱん、と叩いた。
「二頭の馬が力任せにひっぱっても引き裂くことのできない、頑丈なズボン——腰のツーホース・マークが示す通りさ。タフネスこそが、この俺の一番のウリなんだぜ?」
 そうしてリーバイスはリーの隣を通り過ぎ、女もまた過去になる。
 灰になり、こぼれおち、跡形もなくなる。
 それはもう、とっくに終わってしまったものたちだった。だから、今さら感傷に浸るのは間違いだと、リーバイスはよく知っていた。
 リーバイスは歩き続けた。
 楽になりたい。休みたい。それが望みなら、とっくにそうしてるさ。俺の故郷カリフォルニアには、ハイトーン・ヴォイスのネズミが牛耳る、夢の国だってあるんだぜ。
 リーバイスは歩き続けた。
 そしてこの島で唯一残った、おぼろげな光のもとへと辿り着く。
 グリニッジ・ヴィレッジは東海岸におけるビート・ジェネレーションやカウンターカルチャーの中心地、「芸術家たちの天国」、「ボヘミアニズムの首都」。その一角に所在するジャズクラブは、著名なジャズプレイヤーが数々の名演を生んだ伝説の店としてその名を世界中に知られている。
 店の名前は、ヴィレッジ・ヴァンガードという。
 リーバイスは店内に足を踏み入れた。
 スピーカーから音楽が流れていた。コルトレーンがこのクラブで録った、三曲入りの例の名盤だった。無造作に並べられた丸テーブルとイスが、白熱する演奏に耳を傾け、二度とは訪れないかもしれない奇跡の夕を楽しむ熱心な客、その不在に苦言を呈するように、殺風景な空気を醸成していた。ひとりの観客もいない店内で、音楽は幽霊のようだった。
 照明の落ちたステージの上の暗がりに、グランドピアノが一台、ぽつねんと置かれている。その手前に、あぐらをかいて座っている男がいた。
 闇にまぎれて、ディテールを欠いている。男は影のようだった。
 リーバイスはステージに近づいた。そしてその男が誰なのかを知った。
「あのくそったれなTSUNAMIのあと、あんたがどこへ消えたのかってことも議題にあがってたぜ」
「そうか」
 そんなことはどうでもいいとばかりに無関心な声だった。
「あんた、どうしてここにいるんだ?」
「ジャズに目がなくてね」と男は言った。それからリーバイスに聞いた。「あの大混乱のなかで命びろいしながら、未だ尻尾を巻いて逃げださずにこの街にいるってことは——君はきっと、よほどののろまか、正義感に溢れる大馬鹿者かのどちらかなのだろうな?」
「どちらでもないさ」リーバイスは答えた。「ただ、生かされたのさ」
 目覚めたとき、リーバイスは世界塔地下の核シェルターにいた。そのときにはすでに、たった一人だった。
「〈ニューカンザス計画〉はついに始まりを迎えた。これ以上は、どれだけ状況を挽回しようともがいたところで無意味だよ」
 リーバイスのこめかみがぴくりと反応する。
「あんたは、何を知ってる」
「すべてさ」と男は言った。
「そいつはいい」
 リーバイスはピースメーカー501XXを男に向け、引き金に指をひっかけた。
「洗いざらい話してもらいたいね、ドクターペッパー」

       

 そもそものはじまりとして「カンザス計画」があった。1970年代、初めてシェア一位の座をペプシに奪われたコークが、巻き返しのために打った計画の名だ。コカ・コーラのフォーミュラを改めて検討し直し、試行錯誤の末についに完成した新たな調合のコークを、コーク社は「ニューコーク」の名で大々的に売り出した。しかしその結果は惨憺たるもので、売上が振るわなかったどころか、消費者たちからは「昔の味を返せ」と抗議が殺到した。
「結局カンパニーはコークのフォーミュラを元に戻し、ニューコークは歴史の闇へと消えた。そしてそれ以来、コークは旧来のレシピに囚われつづけることになる。ペプシからシェア一位の座を奪還しながらも、以降、コークの歴史には常に屈辱が寄り添いつづけることとなった。いわく、『ペプシの方がうまい』、『コカ・コーラ社がシェア一位の座を保持しつづける理由はコークの味ではなく、ブランドのネーム・バリューによるものにすぎない』。——フォーミュラを変えることのできないコークは、常に陰口を叩かれつづける事態を、その後ずっと甘んじて容認しつづけるしかなかったんだ」
 ニューカンザス計画では、このときの反省を活かして、一番はじめから『コークのフォーミュラを変えない』ままに改革を行う戦法をとったのだ、とドクターペッパーは言った。
「ただ、他者を喰らい、飲み込むことで、フォーミュラはそのままに、肥大化し、拡大する。すべてのブランドをコーク一色に染めあげる。……そう、いわばM&Aのようなもの」
 ドクターペッパーは陶然とした表情を浮かべた。
「そうしてコークは資本主義の頂点、〈世界企業〉となる」
「馬鹿な」リーバイスは言った。世界塔の屋上で見た、ナイキたちの姿を思い出す。「一介のプレゼンツが神にでもなれるとでも思っているのか」
「少なくとも本人は、本気でそうなれると思っていたのだよ。だが——」
 ドクターペッパーは顔を引き攣らせて吐き捨てた。
「——結果は、あのザマだ」
「何?」
「お前たちもアレを見ただろう。TSUNAMIとなり世界塔に押し寄せた、あの忌まわしい漆黒の海……」
「まさか——」
 ドクターペッパーは満足げにうなずいた。「そう、あれは、彼だったのだ。かつてコークだったものの、なれの果て」
「待て、ならば——」
「マンハッタンからヤツが消えたのはなぜかと問いたいのだろう?」ドクターペッパーはリーバイスの思考を先回りして告げた。「簡単なことだ。ここいらの『エサ(プレゼンツ)』を喰らい尽くし、また腹をすかせて、次なる食料を求めて移動したのだ」
「お前は何をした」
「さっきも言ったことだがね」そう断って、ドクターは先をつづけた。「ヤツはずっと恐れていたんだよ。ニューコークの失敗は、まだ若かったコークに強い強迫観念を植えつけた。『決してレシピをつくりかえるわけにはいかない』とね。しかしそれでは、いつか時代の波に淘汰されてしまうかもしれない。二律背反に陥ったコークは、さんざん悩みまくった結果、ようやく、もっともシンプルで純粋な答えに辿り着いたんだ。コーラは、子供みたいに怯えた目をして私に言ったよ……」
 ——生き長らえたい。他のプレゼンツたちの、生き血をすすってでも。……とね。
「私はコークの願望を叶えるために、ほんの少し手を貸してやったにすぎない。というのも、私が考えるに、ヤツはもともと異形へとその身を堕落させるための素養を立派に備え持っていたのだ。……ああ、コカ・コーラ。あまりにも罪深い、秘密の砂糖水」
 最後の言葉を独り言のように、ため息みたいに、ドクターペッパーはひり出した。
「その始まり、大衆に華々しい歓待を受けた19世紀末から、コークは腹ん中にずっと巨大な謎を抱えつづけてきた。人類はもっと早くに、その謎についてしっかりと考えるべきだった。
 まことしやかに囁かれるコークロアのひとつ、『コカ・コーラの原液に誤って落ちた作業員が、骨も残さず溶けた』
 ——実はね、それは何も、事実無根の話というわけではないのだよ」
 実際、1970年代から80年代にかけて広く流布されたこのうわさ話を、当時のコカ・コーラ・カンパニーは事実と認めている。コーク社はご丁寧にも魚の骨を用いての自社実験まで行い、「確かに魚の骨をつけておくと溶けてしまう」との旨をパンフレットにまとめて公表した。
「このことが、私に強いインスピレーションを与えてくれた」
「何をした」リーバイスはもう一度問うた。
「なに、ちょっとばかりコーラ・シロップの調合割合をいじって、調整を施しただけだよ。そう、それはさながらコークロアの再現のように——プレゼンツの身体を溶解させる悪魔的な液体に、コークを変容させる……思いついてから実際に実験を開始するまでに、長い時間は要さなかった。ヤツがかねてより抱いていた潜在的な恐怖感情を軽くつついてやったのだ。たったそれだけで、コークはすぐに実験に協力する気になってくれたよ」
 そう言ってドクターはくつくつと笑った。
 ようやく、リーバイスはすべてを理解した。今目の前にいるこの男こそが、このXPO未曾有の災厄を引き起こした元凶なのだ。
 それでいて、こいつ自体は取るに足らない小物だ、とリーバイスは思った。他者のこころを掌握し、操ることに酔って、善悪も損得もわからなくなってしまっているんだろう。
 まだだ、まだ感情的になるな——自分に言い聞かせて、改めてゆっくり、口を開いた。
「理由を、聞かせてくれるかい。——コークの苦悩のことじゃあないぜ。あんたのことを。あんたがどうして、コークをそそのかしてこの船に混乱と破壊を呼び込んだのかってことを」
「簡単さ……要するに、もうヤケクソなんだよ」
 ドクターペッパーはどう見たってマッド・サイエンティストのそれでしかない笑いを浮かべた。
 どういうことだ、とリーバイスが訊ねて促す必要はもうなかった。ドクターは昂揚を押し隠さずに語り始めた。
 それは驚くべき報告だった。
 ワールド・ウォーⅢ(第三次世界大戦)が、ついに地球で始まった。平和なときが終わりを告げると同時に、宇宙開発の夢もまた頓挫した。このXPOの共同スポンサーであり、プレゼンツたちの間でも〈三賢人〉としてよく知られる三社、すなわちアップル、グーグル、そしてマイクロソフトは、「憎むべき資本主義の権化」と見なされ同時多発的な空襲の標的となって一挙に壊滅——なお、これが大戦開戦のきっかけとなった。また他方で、XPO計画を発案し、三賢人を言いくるめることでこれを夢物語から現実へと昇華する奇跡の辣腕をみせた件のスペースX社は、自ら建設した船を〈方舟〉と名づけ、大戦が始まるや否や早急に火星に逃亡したそうだ。
「これでわかっただろう? もう終わりなのだよ。私たちは地球に見放されたんだ。本来、プレゼンツの至上命題は、地球外生命体を発見し、接触し、連中と地球との架け橋となることだった。地球が既にそれを求めていない以上、最早私たちに存在理由などないのだよ!」
「もう一つ聞かせてくれ」リーバイスはあくまで平静を保って言った。「どうしてあんたがそんな情報を知ってる」
「軍からのリークだ」
「なんだって?」
「アメリカ軍さ」とドクターペッパーは言った。「コークが兵士の士気高揚という役割を担う軍需品として認定されていることは知っているだろう?」
 リーバイスはうなずいた。
「何を隠そう、今ではドクターペッパーも、同じ栄誉にあずかっているのだよ。あまり知られていないがね、長きにわたる熱心なロビー活動の結果、軍の側がようやっと折れたのだ。22世紀も半ばを過ぎてからのことだ。そしてコークと私との親密な関係も、そのときに始まったのだ」
 そう言ってドクターペッパーは片手サイズの四角い端末を懐から取り出した。往年のスマートフォン〈iPhone〉みたいな、前時代的なデザインだった。アメリカの軍隊じゃあ昨今、レトロ趣味が横行してるのか?
 ……まあいい。
「色々とご丁寧にありがとうよ」リーバイスは言った。
「これでわかったろう。言葉もないかね。無理もない、このXPOはもう終わりだ。コークはこれからも着々と膨張をつづけるだろう。そして近い将来、船内全体を飲み込むくらいぱんぱんに膨れあがり、すべてのプレゼンツを飲み込んでしまうだろう。そのときがくるまで、君も私もせいぜいお互いに、最後の時間を満喫——」
 ——。
 銃声が、くだらないおしゃべりとコルトレーンのサックスの音をまとめてかき消した。
 ドクターペッパーの頭が吹き飛び、後方のピアノの白鍵盤を赤くした。
「お前みたいな悪党に、最後のときを楽しむ猶予なんてあるわけねえだろ」
 リーバイスはリボルバーをホルスターに戻すと、ステージに横たわるドクターペッパーのそばに腰を下ろした。
 デニムのフロントポケットから煙草を取り出して火をつける。ゆっくりと息を吐いた。クラブ内にたちこめた紫の煙は、コルトレーンの名演が放つ永遠の輝きを微塵も曇らせはしなかった。
「コークよ」リーバイスは独りごちた。「俺には、あんたの気持ちはまったくわからないぜ」
 進化も、上達もなく、私腹をこやしながら、ただ生きつづけることのためだけに生きる——そんなことになんの意味がある。
 リーバイスにはそれがわからない。
 みっともなく生き恥をさらしつづけるくらいなら——それこそあの若造、ユニクロの言うところの「骨董品」に成り下がるくらいなら——いっそ潔く、時代の表舞台から消えちまった方がいい。そんな思想が、リーバイスの考えの根本的な部分にはあるのだった。
 転がりつづけるしかないんだ。石ころみたいに。抗えない運命ってものがある。どんなにもがいても、結局受け入れざるを得ないことがあるんだ。
 地球に見捨てられたXPO。
 存在理由(レゾンデートル)を失ったプレゼンツ。
 ドクターペッパーがさっきまで意気揚々とほざいていたことが全部事実だとすれば、M&Aを繰り返したコークはこれからXPO全体を飲み込み、逃げ場はどこにもなくなってしまうだろう。
 それがどうやらこの船とプレゼンツの末路というやつらしかった。
 リーバイスは老人だ。もうずっと、終わりの向こう側に立っている。だから、癪なことには違いないが、目の前の事実を受け入れることに大した抵抗はない。
 いや、少しばかり、虚無的になりすぎているかもしれないが……。——そんなことを思った矢先に。
 ドクターペッパーの例のレトロな通信端末が、ヴヴ、と震えた。
 今頃になって通信だと?
 それも。
 秘匿回線、だった。
 端末がコルトレーンの熱演に合わせて、死体のそばの地べたを這いずり回っている。リーバイスはその様子を、しばらく胡散臭そうに見つめていた。
 どうせ近々の決着は見え透いている。何事もあるがままに受け入れりゃあいい。そうだろう? ええ、おい。
 何度目かの煙をため息のように、うんざりと吐き出すと、しつこく震えつづける端末を引っつかんだ。
「聞こえるか」
 回線の向こうで、理知的な声が言った。
 それは「運命」が再び投げた賽が弾き出した、なんともアクロバティックな抜け穴的啓示だった。コルトレーンの向こう側から、スターバックスの声が聞こえた気がした。
 がんばってね、おじいちゃん。

       

 リーバイスはヴィレッジ・ヴァンガードを出てもと来た七番街通りを再び引き返す。道がヒューストン・ストリートと交わったところで、東西に走るその通りの先に、顔を出したばかりの人工太陽を見た。
 朝の到来とともに目を覚ましたように、反対の西側——光に照らし出されて煌めくハドソン川の水底から、ぬぼぼ、とデカブツがその醜悪な姿を現した。
 まるでドームだ。あるいは、独特の弾力を持ち、たゆんたゆんと揺れる超巨大なスライム。それが狂気の胡椒野郎に魂を売って久しいコカ・コーラの今の姿だった。
 そいつがゆっくりと川から這い上がる。全容を晒す。さらにサイズ・アップして、朝の到来などなかったと言わんばかりに、七番街を影のなかに沈めてしまう。
 炭酸の気泡が弾ける音。機銃掃射の雨のように、弾けるコークの飛沫がマンハッタンの街に降り注ぐ。
 ——そら、おいでなすったぜ。
 無数のコークメンどもが、そこかしこで産声をあげ始める。悪夢のように無限に増殖していく。
 リーバイスの姿を補足したその連中は、ありあまった元気を発散するように、我先にとこちらへ向かって走り出す。
「やれやれ」思わずつぶやいた。
 わずかに希望が見えたと思った矢先に、このザマか。つくづく神様ってやつは俺のことが気にくわないらしい。
 リーバイスは次々押し寄せる数奇な試練、どこまでも老体を鞭打ちつづける悪趣味を呪い、しかしちょっとだけ愉快に感じる。
 どうしてだろうな。予備の弾もない。孤立無援。おまけに腹にはあの憎たらしい若造にやられたたいそうな疵までぶらさげてる。
 にもかかわらず。
 リーバイスはどうしても、ここで自分がのたれ死ぬとは思えないのだった。
 そして案の定、救いの手は差し出される。
 野太いエンジンの音が徐々に大きくなり、隣のキング・ストリートからハーレー・ダビットソンの無骨なボディが現れる。
「ヒーハー!」
 テンションの高い叫び声が早朝の七番街にこだました。
「お気楽な野郎」リーバイスは言った。
「しぶといジジイ」ストリートと同じ名前を持つ男が言った。「よう、いい朝だな、ビッグE」
「その呼び方はよしてくれって言ったはずだが?」
 そう言いながらリーバイスは、強面のプレゼンツ、ハーレー・ダビットソンから拝借したという単車の後部座席に飛び乗った。
「お客さん、行き先は?」バーガーキングが言った。
「あれさ」そう言ってリーバイスは南の空を指さした。
 バーガーキングは、ひゅう、と口笛を吹くと、得意の決めゼリフを吐いた。「HAVE IT YOUR WAY(お好み通りに)!」
 南の空に得体の知れない物体が浮かんでいた。それは人工太陽の光を受けててらてらと輝きを放っていた。
「運命ってやつはとことんまで皮肉なもんだよな。コーク・パニックにやられて今や船全体がクソな状況だってのに、なんだ畜生、XPO悲願達成の瞬間もまた、目と鼻の先に迫ってるってか!」
「楽しそうじゃねえか」リーバイスは言った。「なんなら、コークで祝杯といくか?」
 バーガーキングは未知の飛行物体をじっと見つめながら言った。「なあ。あいつはどっか、ワッパーに似てねえか?」
「自分のブランドに誇りを持つことはなるほど大事なことだと思うがね。あんまり強すぎる自己愛ってのは、ヒップじゃないぜ?」
「うん、そうか? ワッパーっぽいと思ったんだけどな。俺のワッパー愛が強すぎるのか? うむ、まあそれはあり得るな。肝に銘じておくか」
「そろそろ出してくれ」リーバイスがつっついた。
 ワッパーのことを考え始めると夢中になりすぎて他のことを忘れてしまうらしいバーガーキングは、「おっとすまねえ」と我に返った。
 コークメンの群れが、間近に迫ってきていた。
 バーガーキングは二、三度エンジンをふかして、獰猛な獣の咆哮を轟かせると、蹴りつけるみたいにアクセルを踏んでハーレーを目覚めさせた。
 さっきたしなめはしたものの、リーバイスは内心、バーガーキングの言ったこともあながち的外れではない、と感じている。
 連中の船の外観は、XPOを含めた地球製の宇宙船とはまったく様子が違っている。その表面を彩る質感は、地球の金属のそれとは遠くかけはなれている。極めて有機的なものたちによって構成されているように見える。特に、上蓋と下蓋に挟まれた中間部分を覆う青紫色の苔のようなものは、生命の活力を感じさせ、まるで植物のように見える。
 その植物っぽい部分が、総合的な船の印象を規定している。さながら、人のこころに畏怖と神秘を抱かせる、古い森のようだった。
 そして、仮に植物部位を「はみ出したフレッシュ・レタスのようだ」と捉えるならば、多少苦しくはあるが確かにまあ、バーガーキング自慢のワッパーに例えられないこともない。……のかもしれない。
 ハーレーの速度に対して何の恐れも抱かず、通りの左右から躊躇なく飛びかかってくるコークメンたちに、残り僅かな最後の銃弾の雨を浴びせながら、リーバイスは先刻ヴィレッジ・ヴァンガードで起きたことをバーガーキングに伝える。ドクターペッパーが地球のアメリカ軍との交信のために使用していた端末——これをクラックして、未知の知的生命体がリーバイスに語りかけてきたこと。接触を求めてきたこと。
「連中、世界塔のてっぺんに乗りつけるそうだぜ」
「なるほどそれでとんぼ返りってわけだ」
 ハングリージャックスが、ハーレーの行く手を塞ぐへっぽこコークメンどもを次々と亡き者にしていく。
「他に生きてるやつは?」リーバイスは聞いた。
「さあな。途中でちりぢりになっちまったからな」バーガーキングはからっとした調子で答えた。「どうせ大半は生きてるだろうぜ。腐ってもプレゼンツ、どいつもこいつも、タフネスはゴキブリ並だからな」
 きっとそうなんだろう。リーバイスもそう思った。
 世界塔に降り立つあれを見たら、生き残ったプレゼンツの残党たちもすぐに集まってくる筈だ。そのあとどうなるかについては、それこそ神のみぞ知るって話だが、どんな選択肢であれ、このまま狂ったコーク・シーに沈みゆく泥船に乗っかって暢気に死を待つよりもクソなことはないだろう。
「残弾は」
「驚くほど心許ねえ、とだけ言っておこうかね」
「俺もだ」リーバイスは言った。「というか、正直に言えば、さっきので最後だったわけだが」
 バーガーキングは黙りこんだ。
 エンジンの音が、気まずさを紛らすように、うなりをあげている。
 それからバーガーキングは、堪えきれないというように笑い出す。マクドナルドも真っ青の、パーフェクトなスマイルだった。
 リーバイスもこみ上げてくるものを抑えきれず、思わず噴きだした。
「絶体絶命だよな、ビッグE。俺たちゃさながら、ブッチとサンダンスみてえだぜ」
「ちがいない」とリーバイスは言った。「だが、栄光の船は目の前だ」
 ハーレーはチェンバース・ストリートを南下してロウアー・マンハッタンに。このXPO内でのみ世界塔と呼ばれる、超高層のツインタワーが正面に現れた。
「よう、聞いていいか」バーガーキングが言った。「あんたは初めての地球外生命体相手に、何をプレゼンする?」
「決まってるさ」リーバイスは答えた。「二頭の馬に引っ張られても裂けない、とびきり頑丈な手製のジーンズを紹介するぜ。カリフォルニア・ゴールドラッシュに熱をあげる、口は悪いが目利きは確かな金鉱掘りたちのお墨つきの代物さ」
「そいつは大したもんだ」ワッパーが言った。「宇宙人が二本足だといいが」
 これにはリーバイスも苦笑した。
 それから言った。「リーバイスはいついかなるときも、変化しつづけることを絶対に恐れない」
 創業から第二次大戦期にかけて、鉱山労働者やカウボーイ、農業者はこぞってリーバイスを履いた。50年代には機械工やバイカー、ギャングたち、反逆的な若者連中のユニフォームになった。60年代から70年代にかけては、モッズやヒッピー、ロッカーどもがリーバイスにパッチを縫いつけ、ペンキを塗りたくり、自己表現のキャンバスにした。80年代にはスリムストレートがスタイルに。90年代はラッパーたちがオーバーサイズで履きこなした。
「創業者リーバイ・ストラウスの理念は、『人の声に耳を傾けること』。長い時代をサヴァイヴしてきた、最大の秘訣さ。必要とするヤツがそこにいるなら、俺は八本足の501だって仕立ててやるぜ」
 世界塔の先端に今、ワッパーみたいな形状の奇妙な宇宙船が降り立った。
 どけ、道を開けろ、ファッキン・コークの小間使いども。俺たちはしぶとい死に損ないの生き馬だ。新天地(フロンティア)を目指して走る二人組の行く手を阻む輩にゃあ、ゴールドラッシュの香りの硝煙を嗅がせてやるぜ。

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