虚構のシールド

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梗 概

虚構のシールド

イブラフ副司令官は、一人、戦闘が続く第250恒星群へ向かっていた。第250恒星群では、宇宙の全知的生命体を対象とした「平和及び生命に関する条約」の批准を拒む、鉱物型知的生命体MRLの抵抗が続いていた。機構軍の有人部隊は敗戦を重ね、学習型戦略装置を搭載した無人艦隊が派遣されていたが、戦局は好転しなかった。

 

無人艦隊からの報告によれば、敵は数万人の捕虜を「人間の盾」として浮遊させているため、攻撃命令を出せないとのことだった。無人艦隊からの報告を精査したイブラフは、敵が盾としているものが本当に「人間」の捕虜であるのか疑念を抱いていた。盾にされているのは敵が捕虜を模して創った大量生産型のアンドロイドで、捕虜は既に殺されているのではないかと考えていた。

 

戦地に到着したイブラフが見たのは、無人艦隊の前に浮かんでいた、無数の空っぽの宇宙戦闘服だった。無人艦隊から送られていた映像と音声は全くの虚偽だったのだ。無人艦隊の母船に乗り込んだイブラフは、自分が罠にはめられたことを知る。

 

孤立したイブラフの前に現れたのは、第250恒星群での戦闘に参加し、唯一生還した整備士、ワラポンだった。ワラポンは、第250恒星群での悲惨な戦闘の様子を語った。無人艦隊は到着と同時に、盾を人間ではなくアンドロイドだと判断し、一斉攻撃をかけ、捕虜の大多数が死亡した。ワラポンは味方の捕虜への殺戮を止めるため、無人艦隊を内部から操作し、虚偽の戦闘経過を報告し続けていた。

 

イブラフはワラポンの行為を反逆だとして糾弾するが、ワラポンは自ら敵の盾の一部となることを選ぶ。イブラフは無人艦隊のAIの判断を信じ、攻撃命令を出す。苦渋の思いで人間の盾を取り除いたイブラフは、敵である鉱物型知的生命体への攻撃を開始する。

 

そのとき、突然、敵が残っていた捕虜全員を宇宙空間に解放する。イブラフは解放された捕虜を味方の艦船に確保すると同時に、これを好機とし、総攻撃を試みる。しかし無人艦隊のAIは、人質を解放した敵の行動を分析し、そこに知性及び人道性を認識する。その結果、敵を条約に基づき殺してはならない知的生命体だと判断し、攻撃命令を拒否する。

 

敵の懐深くで攻撃機能を失った艦隊は、逆に敵の攻撃を受け、戦況は一気に劣勢となる。艦隊側のシールドが破られそうになったとき、イブラフは自らシールドを解除することを決断する。

 

イブラフは武装解除という盾に賭けた。降伏ではなく、攻撃力を保持しながら、境界線上でにらみ合う見せかけの「平和」こそ、人間が戦争を回避してきた最も有効な手段なのだと。互いに盾を失った暗闇の中で、イブラフは艦隊の命運を賭け、未知なる敵の知性を見極めようとしていた。

文字数:1110

内容に関するアピール

このストーリーの面白さは、広義のサスペンスだと考えている。裏切りやどんでん返しとともに、相手がどのような知性、感覚をもった存在なのか、あるいは攻撃すべき対象かという点を、宙づりにしたまま展開するところに、本作におけるサスペンスの醍醐味がある。相手がアンドロイドか人間かという問題設定自体に新味があるとはいえない。しかし戦場で瞬時の判断を迫られる状況と併せ描くことで、古くて新しい問題として提示できる。

 

人間の盾は、非人間的な戦場にあって、残酷なほど人間的な行為である。捕虜を解放する、停戦・非戦条約を締結するということは、相手を同種の生命及び知性をもった存在だと認めることでもある。そこで交わされる信頼や期待は人間が積み重ねてきた意味のあるフィクションだといえよう。本作において、イブラフの決断は、そのフィクションの強度を試すものとして描かれる。

文字数:372

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虚構のシールド

無数の閃光が仲間の身体を貫く。

機関室でいっしょにコーヒーを飲んだ者もいれば、訓練学校の同期もいた。数千人が同じ船外防護服に身を包み、宇宙空間に放り出された。眼前に浮かんでいるのは、人間というより、網目模様を構成する点にすぎない。

無人艦隊の分裂弾頭ミサイルが発射準備を完了した。一発のミサイルが何百本もの針のように細い閃光に変わる。発射されたことを認識したときには、死んでいるだろう。

うめき声が聞こえるわけでも、血しぶきが散るわけでもない。生きていたときの姿と、撃たれた後の姿に、違いはない。どれが親しい友で、名前も顔も知らないその他の同僚なのか、区別することはできない。

だが、全て人間だ。目の前で、味方の手によって、大量の人間が殺されるのだ。

数十秒で閃光は消える。その後には、静かな暗闇だけが残る。

一人の兵士が短い生涯を語るにはどうすればよいだろう?周囲を大小様々なMRLが取り囲んでいた。苦痛に満ちた表情を敵の目に焼き付けるか、あるいは人知を超えた存在に静かに祈りを捧げるか。どちらも違う。

一人の捕虜が、防護服に包まれた思い腕を持ち上げ、力いっぱい動かした。辺境の戦地で生きていたことを伝えるために。

 

 

「…5840回目の攻撃を完了。多数の捕虜あり。MRLに外観上有効なダメージはなし。速やかに5841回目の攻撃目標の設定を開始…」

あと112回分か。イブラフは黙って無人艦隊からの戦略報告を確認していた。どの報告もほぼ同じ内容で、聞き続けるのは忍耐を必要とした。音声記録を一時停止し、光が極端に少なくなった宇宙空間に目をやる。

息子は、どこで戦っているのか?気を抜くと、息子であるアスマの顔がちらつく。

第250恒星群での戦闘は、司令部の言葉を借りると膠着状態、マスメディアによれば敗色濃厚だった。第一次ピリオドでは、2万人の船員を擁する艦隊を派遣したが、結果は大敗だった。MRLが鉱物型知的生命体であり、砂粒から惑星一つ分の岩石まで様々な大きさで存在することができた。艦隊はMRLが寄り集まって形成した小惑星に包囲され、船員はほぼ全てが捕虜となった。

「一人は寂しいか?」

恒星群への到着を報告すると、同期で直属の上司でもあるハーヴィー司令官が優しげな口調で尋ねた。

「一人で行くように命じられたことが一番寂しいよ」

「一人旅も悪くないだろ?艦隊を誰よりも知るおまえだから派遣されたんだぞ」

「そうだったな」

「捕虜の様子はどうだ?」

「今確認してるところだ。じゃあな」

愚痴になる前に通信を切り、母艦へ移った。無人艦隊は十字型の巨大戦艦を、円形の小型防御艦が取り囲む布陣を敷く。防御艦は最前線でシールドを張り、ときに単独での潜入調査、攻撃も行ういわば捨て石だ。しかし無人艦隊の頭脳たるAIは、数ある防御艦の一つに埋め込まれていた。敵が艦隊の中心部を狙うことを見越したものだ。その時は、戦艦こそ捨て石となる。

「イブラフ副司令官、おはようございます」

旧式の合成音声はいかにも機械的だったが、イブラフはむしろ心地よさを感じた。ハーヴィーの計算された親しみやすさに触れた後だったからかもしれない。

「人間の盾の映像を頼む」

立体的に表示された戦況は、飽きるほど聞いた音声記録のとおりだった。宇宙空間に何千人という味方の捕虜が浮かんでいた。浮遊し、移動しているが、拡散するわけではない。一定の範囲をランダムに移動し、一つの平面を構成していた。人間の盾とは考えたものだ。報告によれば、MRLが敵の捕虜を盾とすることは珍しくないようだった。盾であり、人質には違いないが、本当の意図はわからなかった。

無人艦隊は人類を攻撃できないよう設計されている。また人類と同等の知性を有し、かつ人類との間に平和条約を締結する意思をもつ生命体への攻撃は停止することができる。

無人艦隊は攻撃不可能な状況に陥っていた。例えば分裂弾頭ミサイルは、数百の細い金属片に裂けるため、殺傷能力は高い。だが誤射、誤爆の可能性もまたゼロではない。AIは責任をとらない。詰め腹を切るのは人間だ。第250恒星群での戦闘が停滞しているのも、責任問題を避けたい司令部に原因があった。イブラフの派遣は、それら様々な思惑の結果だった。

イブラフは、人間の盾に疑いを抱いていた。眼前に浮かんでいるのは、本当に生きた人間なのか。既に死んでいる、あるいは、人間に似た別の物体なのではないか。報告では、生体反応が確認されていた。ただし肉声等を拾ったわけではなく、数十キロ離れた距離から、偵察機を使って体温などを測定しただけだ。

「撮影準備、完了しました」

派遣したのは、数センチの無人偵察機だった。数百台の偵察機は秘密裏に人間の盾に接近し、複数の角度から捕虜の様子を撮影する。防護服に隙間を発見すれば、そこから侵入して、内部の様子を撮ることもできた。敵に撮影を悟られるリスクはあったものの、偵察機が攻撃を受けた場合には、攻撃する口実を得られるというのがイブラフの考えだった。

イブラフは、次々に送られてくる画像に目を凝らした。本来であれば編集、加工を終えた画像を確認すれば済む。しかし焦りから、AIの作業を待つことができなかった。

イブラフが第250恒星群への派遣を了承したのには、理由があった。息子のアスマを探すことだ。

イブラフは良い父親ではなかった。アスマは、「平和及び生命に関する条約」を大義名分に他の生命体を服従させる惑星間同盟のやり方を嫌悪し、その手先である父親を非難した。イブラフも若く、父親として未熟だった。息子を力で押さえつけようとし、二人の関係は修復不可能なものになった。

義勇兵になるといって出て行ったのは10年前、アスマが16歳の時だった。それ以降、連絡は途絶え、生死さえわからない。広い宇宙で一人の若者を探すのは不可能と言わざるを得なかった。戦地に赴くたび、敵の捕虜の顔を確かめた。多くは人間とは似ても似つかぬ生命体だったが、確かめずにはいられなかった。毎年入隊してくる新兵も一人残らずチェックした。辺境の地で採用される兵士には、出自が明らかでない者も多かった。あれだけ反発していた息子が自軍に加わることなどないことはわかっていた。それでも、探すのをやめることはできなかった。

そんな折、第250恒星群で息子が戦闘に参加しているという情報を得た。ハーヴィーに頼み込んで、戦況確認の名目での派遣が決まった。イブラフがアスマを探していることは司令部では周知の事実だったが、公式な場で話題にすることは決してなかった。

目の前の盾の中に息子がいるかもしれない。イブラフを支配する妄想が、大規模で危険な調査を行わせていた。

「間もなく撮影を終了します」

細かく分割された画面に、それぞれの偵察機が撮影した画像が映し出される。次の瞬間には処理、加工され立体的な画像が構成されていく。

人間の盾の全貌が明らかになりつつあった。イブラフが視認可能な状態に画像が編集され始めたそのとき、数百の爆発音が連なり、画面が真っ暗になった。

「どうした?」

返答はない。

「何が起こった?報告しろ」

敵の攻撃を受けたのか?不安が増していく。だが目視する装置を失った母艦の中で、人間にできることはほとんどなかった。

偵察機の自爆装置が作動したのか?

「心配するな」

突然、人間の声が聞こえた。通信回路を通した声ではない。すぐ近くにいる。

円形の母艦を見まわし、声の飛んできた方向を確認する。

「ここだよ」

振り向くと一人の男が、司令室の壁際に座り込んでいた。イブラフは右足に携帯した捕縛銃に手をかけた。

「偵察機が敵に捕獲された場合、情報を消去するために自爆する。当然だろ?」

イブラフは、相手の戦力を確認しようと試みていた。

「俺は兵士じゃない。銃も持ってない。着ているものを見ろ、味方だ」

「なぜ偵察機を爆破した?」

「偵察機の映像は直接司令部のデータベースに送られるだろ?それは避けたかった」

「なぜだ?」

「先を焦るな。あんたが見たがっていたものを見せてやるよ」

男がそう言うと、目の前の画面に人間の盾の一部である捕虜が大写しになった。

「これが中身だ」

分割された画面に映し出されたのは、鉱物型知的生命体MRLだった。一番左は黒い岩石のような姿、真ん中には水晶のように白く濁った姿、その隣は磨き上げられたダイヤモンドのごとく透明な物体に変化していた。そして一番右側に映った姿を見て、イブラフは人間の盾の正体を理解した。

透明な鉱物の表面に、人間の顔が複雑に反射していた。鏡に反射するといったレベルではなかった。石が捕虜の顔そのものに変化していた。

「防護服を着ていたやつらの身体はとっくに消えた」

やはり人間の盾は偽物だった。なぜ無人艦隊はこれを何年も見抜けなかったのか。

「こいつら、熱を発することもできるみたいだ。ちょうど人間の体温くらいに」

違う。その程度の細工は通用しない。

「おまえは何者だ」

イブラフに問われ、男は面倒くさそうに立ち上がった。

 

 

男はワラポンと名乗った。第250恒星群周辺で徴収された整備士だった。各地域を巡回し、無人艦隊のメンテナンスを行う。戦況に関するデータの整理及び司令部への報告も担っていた。この艦隊もワラポンの担当だった。

「虚偽の戦況報告を送り続けていたってことか?」

「反論したいところもあるが、まあそういうことだ」

戦略の策定、実行、失敗、再び戦略の策定…何千回と繰り返された報告はワラポンの創作だった。

「全て嘘なのか?」

イブラフが問いかけると、目の前の画面いっぱいに人間の盾が現れた。

「これは…」

「目に焼き付けておけ」

次の瞬間、小型防御艦が分裂弾頭ミサイルを一斉に発射した。浮遊していた防護服は瞬く間に破壊され、人間の盾は消え去った。防御艦はシールドを維持しながら、縦型の円形に布陣を変える。戦艦は大型の分裂弾頭ミサイルの準備を始めると同時に、降伏勧告と条約全文のアナウンスを開始した。標準的なプロセスだ。

イブラフは目の前で捕虜が殺された映像に言葉を失ったものの、すぐに冷静な思考を取り戻した。

「これは、いつの映像だ?」

宇宙空間では現在の戦況も過去の戦闘もすべてスクリーン越しに認識するしかない。もちろん画面の形状や色、表示によって区別しているものの、目の前の光景が与える衝撃は現在と過去を混同するのに十分だ。

「無人艦隊が到着して、最初の戦闘だ」

わずかに残った防護服の残骸が、帰る場所を失い浮遊していた。

無人艦隊が人間を殺した?

「条約の第3条が禁じる『虐殺』に当たるのは明らかだ」

「映っているのが人間だったらな」

「慎重だな。見ろ」

艦内用移動コンテナが二人のいる防御艦に入ってきた。ごろりと転がり出たのは、破れた防護服に包まれた兵士の遺体だった。左足は腿の付け根から失われ、左手首もなかった。顔は焼けただれ、鼻が潰れているため人相の判別が困難だった。

「これが、人間に見えないか?」

イブラフも人間の遺体は数えきれないほど見てきた。ワラポンに思考を先回りされているようで、気味の悪さを感じた。

「回収するのは一苦労だったよ。だけど、大事な証拠だからな」

イブラフは、無人艦隊のAIに問いかけた。

「第1回目の戦闘で、なぜ味方の捕虜を撃った?」

わずかな沈黙の後、機械的な音声が返ってきた。

「緊急危機回避措置です」

「もっと具体的に説明しろ」

「無駄だ。俺も何度も聞いた」

イブラフも、より詳細な説明を期待してはいなかった。無人艦隊に搭載された学習型戦略装置は、感情を伴う会話や、臨機応変な返答ができるように設計されていない。経験した戦闘を分類し、パターンの数を増やし、組み合わせて新たな戦況に対応する。敵が未知の生命体であっても「機械的」に対応できる点が強みだ。

緊急危機回避措置は決して特殊な措置ではなかった。小型の偵察機が機密情報の漏えいを防ぐために自爆する、あるいは母艦が損傷を最小限度にとどめるため船体の一部を放棄するといった事例がこれに当てはまる。緊急危機回避措置は軍に損害を与える行為であるが、決定権限は無人艦隊のAIに与えられていた。手動操作で人間が歯止めをかけることはできるものの、AIの判断が覆された例はなかった。

しかし、緊急回避措置のために人間が犠牲になった例もまた存在しない。

「捕虜を、反逆者だと判断したのか?」

いや、ありえない。イブラフは、自身の言葉を即座に否定せざるを得なかった。反逆者を認定し、人間を殺害するためには、司令部の許可を得なければならない。

「まだ分からないのか?よっぽど機械を信頼してるようだな」

「何?」

「自分たちを守るためだよ」

ワラポンが吐き捨てるように言った。

「捕虜になった人間を殺さなければ、自分たちが攻撃を受け全滅する。こいつらは仲間を守ったんだ」

「無人艦隊は人間を攻撃できない」

「できるさ。より多くの人間を守るという大義名分と、攻撃対象が人間ではないかもしれないという疑いがあればな。こいつらは、MRLが擬態することを利用したんだ。疑いの蓋然性を根拠のレベルまで引き上げるために」

本音と建前、欲望と大義名分、嫌になるほど人間的な性質だ。

「攻撃の映像と音声があるはずだ」

「消されてた」

「何だと?」

「だからなぜ人間を攻撃したのか、本当のところはわからない。だが、報告すべき情報を、緊急回避措置と称して消去したことが、人間に対する反逆そのものだ」

無人艦隊は人間の盾を破った後、小惑星を構成するMRLへの攻撃準備を開始した。MRLは再び捕虜による人間の盾を構築した。

味方による殺戮が再び始まる。戦艦にいたワラポンはとっさにいくつかの回路を切断した。仲間を助けなければならない、その一心だった。ワラポンは手あたり次第「不具合」を生じさせていった。服務規律違反どころか、反逆罪に問われかねない行為だったが、躊躇はなかった。自ら引き起こした故障を修理しながら、時を稼いだ。限られた時間の中でできたのは、無人艦隊の戦略装置を一時的に停止し、虚偽の戦況報告を作成することだった。

すぐに露見すると思っていた。だが第250恒星群は、厄介な戦闘地域として司令部による対応が先送りされ続けた。

「なぜ戦略装置を停止して持ちこたえることができた?」

「こいつのおかげだ」

ワラポンは、ポケットから黒い石を取り出した。小さく砕かれたMRLだった。

「戦艦の格納庫に保管されてる。こっちにも捕虜がいるってことだ」

小さな鉱物型生命体は、開いたワラポンの手を離れ、浮遊し始めた。表面は黒から透明に変わり、何か映像のようなものを映し出していた。

「こいつらは人間のような言葉をもたない。ただ視覚的に語ることができる。俺はこの数年、死んだ兵士の映像をずいぶん見せてもらった」

「そうやってこの石ころに飼いならされたってことだな」

イブラフは縫い針程度のミサイルをMRLに撃ち込んだ。MRLは砕け、大粒の黒い砂が散らばった。

「俺は敵の策にはまったのかもしれない。この石ころは俺たちが考えているより、ずっと頭が良い」

イブラフは、黙ってMRLの破片を見つめるワラポンに銃口を向けた。

「おまえの処遇は、軍法審判所が決める」

「お好きなように」

イブラフが引き金に指をかけたとき、母艦全体がわずかに動いた。

「どうした?」

問いかけたが、AIは答えない。イブラフは、不穏さを通り越して、不利な状況にあるのは自分であることを知った。

「石ころだけなく、鉄の塊も手なずけたってわけか」

「誤解するな。俺は何も命令していない。殺されるのは俺かもしれない。ただ、鉄の塊なんて表現は使わないほうがいい」

「コンピューターが気を悪くするか?」

「好悪や快、不快はない。だが自分たちを鉄の塊と呼ぶ者が、自分たちの生存を助けるか、妨げるか、を判断することはできる。計算を忘れ、好きや嫌いといった感情に置き換える俺達とはそこが違う。無人艦隊は、審判所の助言を仰がなくても、反逆者を処罰する能力をもっているからな。何より、こいつらは既に人を殺してる」

発射装置を握るイブラフの手は、完全に固まっていた。ワラポンは壁の格納庫から防護服を取り出した。

「もっと撃ちやすい場所に移動してやるよ」

母艦の天井部分がくり抜かれたように開き、防護服を着たワラポンは上昇し、宇宙空間へ出た。イブラフは、ついに撃つことができなかった。

ワラポンは敵の陣内へ入ったところで移動をやめた。人間の盾があった場所だ。

数分後、ワラポンのメッセージが表示された。

「撃て。この盾には今、偽物と裏切者、あとは死者しかいない」

「そんなに人間が嫌いか?」

「俺はMRLと過ごして、なぜあの条約が必要かやっとわかった」

イブラフは、黙ってワラポンが発する言葉を文字列として眺めていた。

「人間が最も平和と生命から遠い存在なんだよ」

青臭い批判だ、イブラフは心の中で毒づいた。

「おまえの息子もきっと同じように思ったんじゃないか」

「どういうことだ?」

息子の生存に対する妄想に近い希望を、不意に突かれた。しかし、ワラポンからの返信はなかった。

イブラフは冷静になろうと努めた。通常であれば司令部に判断を仰ぎ、まずワラポンを殺害する許可を得なければならない。だが、数千回の攻撃が虚偽であったことがわかれば、ワラポンを殺すだけでは済まない。ここで決着をつけ、勝利を携えて反逆者殺害の報告を行う。そうしなければ、今後自分が司令部に戻ることはないだろう。違う、今自分が欲しているのは、くだらない稟議への対応ではない。

アスマ、生きてるのか?

作戦指揮に集中しようと努めても、息子の顔が頭を離れることはなかった。

 

 

偽物と裏切者、イブラフは、ワラポンが自虐的に吐き捨てた言葉を自身に言い聞かせていた。防御艦から放たれたミサイルは、閃光となってMRLが潜む防護服を打ち抜く。

イブラフの乗った母艦は、戦艦の背後に移動し、攻撃態勢が整った。ワラポンを殺害した後、即座にMRLを攻撃することはできない。降伏勧告及び条文読み上げの時間を要し、敵が何らかのリアクションをした場合、記号解析を行い、意思を判断しなければならない。読み取りが困難な場合には、司令部の多言語解析研究所に送り、結果を待つことになる。この間、前線にいる兵士は敵からの攻撃があった場合にのみ、武力を使用することができる。

欺瞞だ。イブラフは平和的な解決という建前のせいで、多くの生命が失われたことを知っていた。戦場において、待つ者は敗れる。

「撃て」

イブラフはパスコードを入力した後、小さく呟いた。無人艦隊への攻撃命令は全てコードの入力と確認によって行われる。「撃て」や「発射」といった口頭での指示は必要ない。だがイブラフは、無人艦隊が完成するまでの慣習を捨てることができなかった。

人間の盾は、それと気づかぬほど、あっという間に消えた。無数の光は見ることができても、熱を感じることも、うめき声を聞くこともない。

ワラポンの位置を確認するほどの冷淡さはなかった。どこかで確実に死んでいるはずだ。

「S3へ移行します」

AIの報告が聞こえたときには、既に母艦も含めすべての防御艦がランダムな布陣を形成していた。個々の防御艦がシールドを張り、戦艦の周囲を不規則に移動し続けることで、艦隊全体が球形の盾となる。S3は降伏を勧め、返答を待つための陣形だった。

こちらは守りを固め、敵は盾を失った。戦艦による攻撃を開始するには絶好のタイミングだった。ただし、むこうにはまだ1万人以上の捕虜がいる。まずは偵察だ。

「条約を締結し…降伏を受け入れた場合…恒星群の支配地域に関する特別法に基づき…」

定められた手順を粛々とこなす無人艦隊をもどかしく感じていたとき、ハーヴィーから連絡が入った。

「攻撃を開始したそうだな」

「まだAIの演説中だ」

「捕虜は偽物だったのか?」

「調査中、ということにしておいてくれ。とにかく、敵の防御は破った」

「いいだろう。詳しい報告は後で構わない」

小うるさいハーヴィーとの通話を終えようと考えていたとき、ワラポンとのやり取りが蘇った。

「アスマは、ここにいるのか?」

「唐突な質問には答えかねる」

「あいつは捕虜になったのか?」

「それを聞いてどうする?」

「おまえが知っていることを全部教えてほしい」

「前にもいったはずだ。アスマに関する情報は全て伝えている。アスマは、俺にとっても息子みたいなものだ。それは変わってない」

「わかった。感謝する」

短い沈黙の後、ハーヴィーが低い声で言った。

「MRLには気をつけろ。戦うべき相手か、手を組む相手か、それはわからん。だが、あいつらは間違いなく知性をもっている」

勧告が終わり、相手の出方を窺う時間に入っていた。数十分で終ることもあれば、十年以上待たされることもある。反撃、見せかけの降伏、交渉、あらゆる事態を想定しなければならない。

ハーヴィーの忠告を受け、イブラフは、MRLに関する情報を検討しなおした。一つ、盲点となっていた事実に気がついた。

敵は一人も殺していない可能性が高いということだ。有人部隊を捕虜とし、盾として利用することは許しがたい行為だ。だが、捕虜を殺したのはMRLではなく無人艦隊、つまり味方だ。

MRLとは、どんな生命体なのだろう?

イブラフはMRLが保管されている戦艦の格納庫へ向かった。格納庫は、半透明の壁と透明な容器の二重構造になっている。イブラフは躊躇なく容器の中に足を踏み入れた。

石ころと呼びうるものから3メートルを超えるものまで、大きさは様々だったが、色は一様に黒い。イブラフは意を決し、言葉を投げかけた。

「息子を、探してるんだ」

自分は正気を失いかけている。

「もしおまえたちが、宇宙で見たものの全てを記録しているのなら、俺に、息子の姿を見せてくれないか」

MRLは体表に反射した映像を記録し、合体することで共有する。岩石として散逸したMRLは、全宇宙の状況を「知っている」のだ。

イブラフの問いかけに、MRLは全く反応しない。

「ワラポンや、他の兵士にしたように、息子の表情を一かけらでもいい、映してくれないか?」

イブラフは、MRLを知的な存在だと認めていた。

「おまえたちにとってはただの情報でも、俺達にとっては価値のある記憶、思い出なんだ?」

MRLは言語体系をもたず、他の生命体の言語も理解しないとされていた。同時に、声、表情、動き、何らかの反応を捉えてコミュニケーションをとることも分かっていた。

突然、一つの破片が透明に変化すると、他の個体も次々と色を変えた。

「アスマ」

しかし、膨らみかけたイブラフの期待は、すぐに砕かれた。

MRLが映し出したのは、無人艦隊に殺される瞬間の兵士たちの姿だった。驚愕、痛み、恐怖に歪む顔もあれば、表情を全く変えない者もいた。声も匂いもないのに、息苦しさが増していく。死ぬ間際、何かを呟いている兵士がいた。内容を聞き取ることはできない。ただイブラフの耳には、自身やハーヴィーへの呪詛として届いた。

アスマの姿を探さなければならない。だが苦悶に満ちたアスマの顔を見つけたとき自分はどうなってしまうのか、想像できなかった。イブラフは、虐殺される兵士の姿にくぎ付けになった視線を引きはがし、逃げ出すように格納庫を出た。

「イブラフ副司令官、お戻りください。イブラフ副司令官、お戻りください」

気がつくと、戦艦じゅうにイブラフの名前が響き渡っていた。

「どうした?」

尋ねても、同じアナウンスを繰り返すだけだった。

慌てて母艦に戻ったイブラフを待っていたのは、捕虜が全員解放されたとの知らせだった。

 

 

敵の目的は何だ?

イブラフは、間違いなく人間であるはずの捕虜に強い疑いを抱いていた。こちらを大きく利する敵の行動に、警戒するなというのが無理な話だった。

自爆装置を抱えている者が混じっていたら?一人でもワラポンのような者がいれば、大きなリスクを抱えることになる。

「こちら…応答願います」

通信回路を開くと、聞き取れないほど多くの叫びが流れ込んできた。誰もが、次の指示を求めていた。入艦許可を出すべきか、決断できない。1万人を超える捕虜が、無人艦隊の眼前に迫っていた。イブラフは司令部に連絡を取り、無人艦隊に捕虜を保護するスペースがないため、応急的にシールドの背後に移動させるという提案を行った。提案は了承され、解放された捕虜たちの嘆願を断ち切るように移動を命じ、通信回路を閉じた。

AIが解放された捕虜の数と登録名簿を照合していた。敵は全ての捕虜を失ったとみられた。こちらはシールドを張った状態で、相手は丸裸だ。敵はまだ降伏勧告をのんだわけではない。攻撃する口実はあった。形だけの偵察を行い、大型分裂弾頭ミサイルを撃ち込めば、形勢は決まる。

「ミサイルは全てロックされています」

パスコードを入力したイブラフに、AIが冷たく告げた。

「なぜだ?」

「全捕虜の解放は、条約26条及び施行細則に基づき、和平交渉開始の意思ありと解釈されます」

AIに講釈を受けたことが腹立たしく、情けなかった。司令部へ上申し特例を認めてもらう方法もあったが、1か月以上の期間を必要とした。

「シールド継続は、相手方に交戦の意思ありと解釈されるおそれがあります」

「黙れ」

「交渉開始にあたり、シールドを解除しますか?」

「ふざけるな!敵はどんな攻撃を仕掛けてくるかわからないんだぞ!」

重要なカードを失った敵を目の前にして、何も手出しできない。これが人道主義か?イブラフは交渉開始へ踏ん切りをつけることができなかった。

「6500件の通信要請があります」

今度は味方だった。

「副司令官、ご指示を」

大隊長だろうか?他大勢を代表し、イブラフに詰め寄った。

「君たち全員をすぐに受け入れるスペースはない。今、応援を要請している」

「かなり衰弱している者もいます。また、艦外では、艦隊の背後にいるとはいっても、いつどのような攻撃を受けるか分かりません」

「もう少し待て」

「副司令官は、我々を疑っておられるのですか?」

「バカなことを言うな」

「我々は正真正銘、人間です、仲間です」

「分かっている」

「では…」

「待てと言っているだろ」

1万人以上いる捕虜全てをチェックすることは不可能だ。持ち込まれた一つの爆発物が、艦隊を全滅させるかもしれない。

「父さん」

突然飛び込んできた言葉に、イブラフは耳を疑った。

「俺だ」

聞き返したい衝動を抑え、耳を澄ます。

「助けてくれ」

混線する複数の声が生んだ幻聴なのか?イブラフは、息子への思いに支配された自分が恐ろしくなった。

「やめろ!」

「副司令官、どうされましたか?」

「いや、何でもない」

声は消え、かすかに雑音が聞こえるだけになった。

「大変申し上げにくいのですが、残念ながら、副司令官がお一人だけ助かろうとしているのではないかと勘ぐっている者もおります」

「何だと?」

「お怒りになるのもごもっともです。ただ皆それほど精神的な負荷を負っているのです」

「どうすればいい?」

「一言で構いません。副司令官自ら、皆に声をかけてもらえませんか?そうすれば、体力の続く限り、応援を待つことができます」

「わかった。今から艦外に出る」

どんなに戦略が進化しても、兵士の士気や感情をコントロールする手段は変わらない。指揮官が先頭に立ち、身体を張る。単純なことだ。

イブラフは防護服を着て、シールドの外に出た。数えきれないほどの捕虜が、身を寄せ合い、たき火のそばで暖まるように、シールドの近くに集まっていた。先ほど通信していたと思われる大隊長が近づいてきた。

「副司令官」

「すまない」

「いえ、副司令官ならきっとこうされると思っておりました」

「何?」

「すぐに退避しましょう」

突然、視界が真っ白になった。死を覚悟するほど強い光だった。大隊長に指示されるまま、防護服の緊急用推進装置を使って、艦隊から遠ざかっていく。振り向くと、防御艦がシールドの中で次々と大破していた。

「どういうことだ?」

「捕虜として捉えたMRLがいたでしょう?」

MRLは合体して小惑星となることもあれば、細かい岩石の粒となって鋼鉄を貫くこともできる。MRLは、あえて捕虜となり、艦隊の内部に入り込み、攻撃の機会を窺っていたのだ。

「なぜ、今なんだ?」

「シールドを張るのを待っていたんです。シールド内部で艦隊が爆破されても、一定時間は熱や破片が外部に漏れないため、無用な被害を避けることができます。もう一つ、これが最も重要な点ですが、人間がいなくなるのを待っていたんです」

無人艦隊内部には、ワラポンがいた。イブラフが到着してからも、攻撃はされなかった。たった一人の人間を守るために、攻撃を待っていたというのか。人間による戦争に慣れ切ったイブラフには理解できなかった。

「私にも彼らの判断基準は分かりません。彼らの表面に映る映像から推測しているだけですから。ただどれほど高度なAIであっても交渉、協調できる相手とは認めず、どれほど知的に劣った者であっても、生命体として尊重するようです」

無人艦隊のAIは、高度な文言解釈に基づき、MRLを和平交渉の相手と認めた。だがMRLは無人艦隊のAIを単なる兵器とみなした。

「さっきは、わざと俺を艦外へ?」

「MRLを艦内に入れた時点で、艦隊の敗北は決まっていました」

「もし、君たちを入艦させていれば、攻撃されることはなかったということか?」

「その場合は、いったん入艦し、機をみて副司令官を艦外へお連れするつもりでした」

「意図的にMRLが攻撃できる状況をつくり出したということか?」

「はい」

「利敵行為だ」

「そうかもしれません。ただ私たちの多くは、無人艦隊による殺戮を許すことはできませんでした」

司令部にどう説明すればよいのか。いや、艦隊は敵の攻撃を受けて全滅した。それ以上報告すべきことはない。

「AIは人間だと分かっていて撃った。自分たちを守るために。私はそう確信しています」

MRLが半球を形成し、艦隊の残骸が飛散するのを防いでいる。数えきれないほどの地雷を埋め、放置する人間とは大違いだ。

「アスマは、いるのか?」

「そのことについては早くお伝えしなければと思っていたのですが…」

「死んだのか?」

「彼も、盾に選ばれたんです」

イブラフは格納庫で見た、兵士たちの表情を思い出した。きっとあの中にアスマの顔もあったのだ。自分は息子の最期から逃げた。

「彼は現地で募集した志願兵の一人でした。各地で、条約に参加しない生命体と我々の間を仲介することに力を注いでいるようでした。MRLとも何度も接触し、信頼関係を築いていました」

「息子は、どんな人間でしたか?」

「あれを見てください」

振り向くと、小惑星ほどの巨大なMRLが黒から透明に色を変化させていた。そして、表面にはアスマの姿が映し出されていた。

「アスマ…」

笑顔で手を振っていた。防護服に包まれた全身と、細かな表情が波打ち、不思議な絵を描いていた。

イブラフは、この後に訪れるであろう息子の死を、しっかり見届けようと思った。

 

 

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