「共感」って何でしょう? あらためて考えると、たいへん難しい。
そもそも「共感」という語で示される意味だって、相当幅があります。
主任講師のさやわかさんからは
「読者に寄り添ったり、強い共感を生み出すフックを仕込むこと」
「作者(受講生)が「描きたいこと」自体を、読者に届かせるべく、登場人物に強い関心を持たせること」と、説明されました。
この時点で受講生のみなさんにとっても難題だと思いますが、これを課題にまでブレイクダウンするのも難題です。
だいいち、同じシチュエーションや展開でも、ある読者は強烈に共感をするが、別の読者はまったくなんにも感じないなんてことは、普通にあります。
そこで「共感」と呼ばれてる様々な心の動きのうち、あるものを選んで、できるだけ条件を絞ってみました。これなら、なんとかなりそうです。
みなさんは「共感性羞恥」という概念をご存知でしょうか?
他人が恥ずかしい思いをしていたり、強く叱責されたりしているのを見たとき、失敗しているのを見たとき、自分のことでもないのに「あたかも自分のことであるかのように」恥ずかしくなったり、つらい気持ちになったりすることです。
ここで重要なのは、羞恥心ではなく、マンガのなかの出来事に対して、登場人物に生じた感情・気持ちなのに「あたかも自分のことであるかのように」感じられるという点です。
これでも、まだ幅があるので、もっと対象を絞りましょう。
「どんな感情、気持ち、情動でもよいので、あなた自身にとって『身に憶えがあるもの』を、なにかひとつ選んで、それを読者が『自分のことであるかのように』感じられる場面を含むマンガを描いてください」
「身に憶えがあるもの」は、それこそ自分の身に憶えのあるものならば、何でもいいです。
たとえば
「自分が何かとんでもないことをしでかしてしまって、相手に謝るときの気持ち」
だったり、そのもっと手前の
「ぐるぐる考えて考えた末に、謝ろう、と決意したときの気持ち」
だったりするかもしれない。
いずれにしても、「~した(~する)ときの気持ち」という構文で書き表されることです。
それが何なのかは、みなさん自身が経験したことや、記憶に依ります。
「身に憶え」なのだから、当然ですね。
もっとも、その「気持ち」が生じるシチュエーションや、物語の世界設定には想像が加わっても構いません。
だから、「気持ち」を自分の経験から選ぶときには、上の例に示した程度に抽象化してください。
これならば、たとえば、異世界ファンタジーの世界の出来事でも展開できます。あるいは、受講生のなかに人を殺した経験のあるひとはいないと思いますが(いませんよね……?)、そういった極端な設定・シチュエーションもありえます。
ではそれを、どうやって読者が「あたかも自分のことのように感じられる」ように描くか?
私なりに考えた方法論はありますが、まだ仮説的なもので、検証が必要だと思っています。
いちおう記しておくと、この「気持ち」を描く場面でもいいし、他の場面でもいいのですが、マンガの中の人物の身体的な経験と、現実の日常の身体との間に、何か「つながり」が生じるようなものを仕込んでおくこと……がそれです。「身体」がミソです。
これまた抽象的な言い方で恐縮ですが、ヒントにしてください。
(もしかすると、第3回の師走の翁さんの課題と関わってくるかもしれない)
では、みなさんと共に「マンガと共感」について考えることをたのしみにしています。
(伊藤剛)