概要:
新芸術校では第5期より「コレクティブリーダー課程」を新設しました。
このコースの受講生は、それぞれグループ展のキュレーションを行うとともに、
キュレーションに参加しない3つグループ展の展評を発表します。
今回は、グループ展D「欲望の玉響 / 玉響の欲望」展評の展評です。
■ 展覧会概要
展覧会名:「欲望の玉響 / 玉響の欲望」
出展作家:足立大地 / 井上暁登 / 小山昌訓 / 倉田快晴 / タケダナオユキ / 粘土板さかき
キュレーション:瀬川拓磨(CL課程) / 山浦千夏(CL課程)
キュレーションサポート : 海老名あつみ (CL課程)
デザイン:6:30
会期:2019年12月7日(土) ~ 15日(日) ※12月14日(土)は講評のため終日休廊
開廊時間:15:00-20:00
■ キュレーターステートメント
私たちは他者を取り込み生きている。他者と自分の境界はそれほど明確ではないのだ。ましてやこの情報社会では、刻一刻とすさまじい速さで他者を取り込んでいる。社会で人々がうごめいているのと同じように、自分の中でも扱いきれない他者たちがひしめき合っている。
この複雑性のなかで、私たちは何かを選び取ってはまた複雑性に引き戻される。あまりに複雑であるゆえに、ときに自分や他者に対して雑にならずにはいられない。そのようなつもりがなくても、労働し、消費する日々の積み重ねによって、何かを無視することが常習化しかねない。だが無視しようとしても齟齬はなくならず、噛み合わなさが強固になってゆく。そうして思いもよらない自己が形成されたりする。そうなってしまうことを自らの生存のためと諦めるのではなく、むしろ生存のために、他者に対して粘り強くあらねばならないのではないか。そもそも自分自身が、いくつもの他者を取り込んでいるのだから。そのような存在としての自分と社会の関わり合い。ここは、これを探る場である。
何かと何か、自分と他者、他者と自分、もしくは他者と他者。ここでの両者は世界を二つに切り分けた二項対立ではない。世界の構成要素としての固有なものたちである。それらは非対称で、両者の間に真ん中などは決められない。だが、固有なもの同士が接近することがあり、もう一方でそれらは決して完全に融合しない。その相関関係を丁寧にみることで、自分と社会が他者を含みつつ存在していくためのヒントが得られるのではないか。ねたましい他者によって自分が形作られたとしても、社会に受け入れられない欲望があったとしても、攻撃ではない形で他者に接続しようとすること。本展示の作品たちは、このような異質なもの同士の関わり合いを試行錯誤している。自らの固有性と他者への願望を抱え込んで。
(CL課程・山浦千夏)
私たちの生と欲望の相関関係は、たとえそれが時代を経るにつれ変わっていくものであっても、それが逃れられないファクターとして厳然と存在することは認め、それが作り出す領域の中で思考し、それを凌駕する作品を創造/想像しなければいけない。
私たちの、かけがえのない身体性としての、単独性としての、つまり真に個別的たる作品とそれが集まるこの空間は、上記の言説に抵抗する。生と欲望の結びつきは確かに強く、単純にそれらを引き剥がすことはできない。それは強い粘着質の成分のように生に粘りついてくる。しかしどうして、私たちの思考はこの領域の「中」でしか展開されないのだろうか。そこに留まるもののみが真のアートを創造/想像できるのだというなら、私たちはそのゲームから降りる。私たちにとっての、生存をかけたアートとの取り組みは、上記の擬似的な限界と跳躍のように図式化できるものではない。
玉響。たまゆら。玉と玉が触れ合う一瞬のうちにたてられる音。転じて「ほんのしばらくの間。わずかの間」
私たちの空間に通奏低音のように共有されるものがあれば、それはこの言葉によって集約されるだろう。私たちにとって、欲望とは生を規定するファクターではない。そうではなく、それは生にこだわり、その内と外で悶え苦しみながら進む瞬間に立ち現れて消え行くもの、そのあわいに出現する捉えきれない微かな音のような「兆し」である。この空間に現れた作品は、その相違にもかかわらず、単純な欲望の図式を離れ、丁寧に(たとえ形式としてはそう見えなくとも)「玉響に」音を響かせようとしている。これは言葉による単純な図式化ではない。自らの内から湧出するものと社会なるものとの一瞬の、しかし絶え間ない触れ合い。その瞬間を玉響と呼ぶことができるなら、この空間に集った作品はまさにその発露として現前する。
自分自身と社会を何度でもこすり合せること。イメージと出来事をこすり合わせること。自らの欲望と社会なるものの欲望をこすり合わせること。その時、激しい音を立てるのではなく、聞き取ることも危ういほんの微かな、小さな音を立てること、その所作をもって作品に相対し作り上げていくこと。それが私たちの提示するオルタナティヴである。
にじり寄るように、私たちは自らの生をかけて、玉響に音をたて、時を刻む。
(CL課程・瀬川拓磨)
※伊藤亜紗・黒瀬陽平の2名による講評は、2020/1/12(日)を予定しています。各受講生が出した3つの展評のうち1つをセレクションした上で講評が行われます。