「子ども」の領域
「子ども部屋」なるものがヨーロッパに生まれたのは、市民革命以降のことである。職住一致の生活から離れ、家が憩いの場となったとき、子どもたちの織りなす騒音を大人たちは常には歓迎しなかった。その結果、子どもは住居内の納屋や屋根裏にしばしば追いやられることとなる。学習机や知育玩具といった教育道具によって設えられた、洗練された子ども部屋が登場するのは、もっとずっと後のことだ。こうした追いやられた子どもたちの秘密の空間は、いくつもの物語の源泉となった。『小公女』も『赤毛のアン』も、1924年に国際連盟に採択された「児童の権利に関する宣言」以前のーーつまり子どもが「保護されるべき存在」だと認められる前に著された、屋根裏部屋を舞台のひとつとする児童文学である。
○○部屋という呼称は、良くも悪くもどこか隠微で差別的である。ある時は大人によって排除された子どもたちが集う「子ども部屋」。個人主義の時代にも密接な師弟制度が続く「相撲部屋」。極端に散らかった部屋を揶揄する表現としての「汚部屋」。あるいは○○部屋に近いものとして、「見世物小屋」「芝居小屋」といった○○小屋もあり、それらはしばしば非日常的なケガレの空間としても認識されてきた。なお最も小さい者としてのイエス・キリストが生まれた場所も「馬小屋」である。
さて本題に入ることにしよう。ゲンロンカオス*ラウンジ新芸術校第5期生による展覧会グループD「欲望の玉響/玉響の欲望」は、子どもの「部屋」「小屋」といった空間領域をめぐる展覧会であった。どういうことか。
端的に「子ども部屋」を体現していたのは、井上暁登による《美少女曼荼羅》と、粘土板さかきによる《リトル・ガール・イーター》である。
前者《美少女曼荼羅》は、女性を所有したいという欲望からの解放を絵画(曼荼羅)に求めたインスタレーション作品だ。この作品は会場内の最も奥にある、壁に囲まれたスペースを使用している。壁の内側はオーガンジーのような透ける素材の生地で覆われており、その生地越しに、壁に描かれたモノクロームの曼荼羅を見ることができる。人がすれ違えないほどの狭く細長いこの空間は、照明が一体しか設置されておらず薄暗い。仄暗さの中、御簾の向こうを覗くかのように、諸仏として描かれた幾体もの「美少女」を眺めるのである。作家はステイトメントの中で、現実の肉体の艶かしさから離れるために、人の形でありながらも人ではない神仏のような存在を取り扱った旨を記している。だからこそ神格化された「美少女」たちは、直視できないように隠されているのだ。しかしながら曼荼羅の形式で描かれたこの作品は、鑑賞者の三方を取り囲むように描かれ、またそれが狭い空間であるがために一瞥できないことによって、形式化を免れているのではないか。混沌とした欲望を整理し、悟りの境地に近づくために描かれた曼荼羅のはずが、むしろこの空間においては「美少女」たちが大量に接近してくるのであり、そこにはかえって混沌を見出すことができる。踏み出さずに欲望の中に留まることは甘美であるとジョルジュ・バタイユは言ったが、そうした禁忌を予感させる未然の状態があるために、この作品は最奧部にゾーニングされているのであるーー大人のルールから隔離された秘密の子ども部屋として。
後者《リトル・ガール・イーター》は、「女の子」らしい「かわいさ」に葛藤したインスタレーション作品である。薄いベージュのオーガンジー生地のカーテンで囲まれた小空間からは、地面に腰掛けたマネキンの脚が収まりきらずにぬっと飛び出ている。このマネキンはマネキンらしく長い手脚を備え、またレースのシャツやチェックのワンピースを「かわいらしく」着こなしている。しかし頭部に大きすぎるクマのぬいぐるみを被ったまま、疲労しているかのようにうなだれた姿勢で座り込んでいたり、手足の指に塗られたマニキュアやペディキュアがはみ出していたりする姿は、レディメイドとしてのマネキンの安定した形状や質感に伴わない。あるいは周囲に散りばめられた化粧道具や装飾品は、見栄えの良い配置を施されながらも、コンクリートの地面に直に置かれているために、投げやりに放り出されているようにも見える。「何をしているか=doing」と「どうあるか=being」の均衡が保たれておらず、歪なのである。ステイトメントによると、作家は自身を「バケモノ」と認識し、それ故「かわいい」「女の子」になろうとしている旨が記されている。しかし作品に見られるのは、その葛藤に疲労する人工的な身体と、それを優しく包みこまんばかりのカーテンである。カーテンが半透明であるのは、見られる準備が整っていないためではないか。このマネキンは、外部へ出て行くための膨大なステップの途中で疲れてしまい、部屋の中に座り込んだまま動けない「子ども」なのである。ところで、マネキンはくたびれた小さな白いウサギのぬいぐるみを膝に抱いている。ウサギは首にリボンを一本施されるのみで、眼を大きく見開いてこの部屋の中から外を見ている、まるで好奇心いっぱいに未知の世界を眺めるように。あるいは人間の手脚に抱かれリボンをかけられたペットとしてのウサギは、今まさに「女の子」らしい「かわいさ」という呪いに教育され、その野生を飼い馴らされようとしているのかもしれない。
こうしたアジールとしての子ども部屋の延長線上にありながら、よりいっそう隔絶された空間を形成していたのは、小山昌訓による《視界》である。白と薄紫の塗りムラが施されたベニヤのような薄い壁によって覆われたこの作品は、「部屋」と言うよりは「小屋」に近いものがあるかもしれない。壁には6つの小さな穴がそこここに開けられており、片目を凝らして近づけると中が垣間見える。やっと狭い視界に現れた1~2畳ほどの空間はごちゃごちゃしており、何が何とは瞬時に判別できない。6つの穴からそれぞれ覗いてみると、どうやら地面には布団かブランケットのようなものが敷かれており、その上に小山自身が座っているであろうことが辛うじて認められた。そして大量の紙、紙、紙。小山を囲むように、空間は紙で埋め尽くされている。縦横無尽に走る麻紐に五月雨式に吊るされた紙片。壁面内側に隙間なく敷き詰められた紙片。これらはいずれも小山によって描かれた漫画のページであった。更に確認できる限りでは、全ページに色塗りが施されている。こうした過剰な圧倒的密度の小空間で、小山は背を丸くし、無言でもぞもぞとまだ漫画を描き続けているようだった。
端的に「引きこもり」「パラサイトシングル」「子ども部屋おじさん」といった現象や呼称を彷彿させるこの作品について、小山はステイトメント上で「引きこもりは部屋の中から出る事ができない人のことだけではない」と言及している。特定の何かに制約を受け、そこに囚われている限り、人は皆何らかの「引きこもり性」を持っているのだ、と。それゆえこの小屋は「小山がここを出られない」という設定が設けられながら、密室にあらず、覗き穴がいくつも開いているのである。
小山の理屈では、小屋の外にいる鑑賞者も何らかの条件に縛られた「引きこもり」であると言えるだろう。小屋の外部には、壁面に絵画、離れた展示台に製本された2冊の漫画が展示されている。鑑賞者が満足に鑑賞できるのはこの3点だけであり、小屋の内部に連なった漫画を全て見ることはできない。代わりに、小山は中にいる限り、外にあるものを見ることができない。そして両者はお互いの「引きこもり性」を交換することができないのである。覗き穴の中で小山は机に向かい黙々と漫画を描いているために、こちらと視線が交差することはなく、そこには拒絶の背中が丸まっているだけであった。壁面外部の絵画には複数の眼が描かれており、そのうちのいくつかには血のようなものが流れる描写がある。本来相容れないはずの視線が交差するとき、そこには摩擦が生じ、血が流れるのかもしれない。そうした摩擦を誘引する覗き穴を備えたこの小屋は、ひとつの欲望の装置なのである。
展覧会は「欲望の玉響/玉響の欲望」と題されている。玉響(たまゆら)とは、勾玉(まがたま)同士が触れ合った時に発生するかすかな音のことであり、転じて「ほんのしばらくの間」「わずかの間」といった時間をも指すようだ。キュレーターである山浦千夏によれば、異質なもの同士の関わり合いについての試行錯誤の場として、またもう一人のキュレーターである瀬川拓磨によれば、自己と他者(社会)との摩擦の発露の場として、この展覧会は捉えられている。
井上と粘土板の作品に見られた、異質なもの・他者・社会からのアジールとしての「子ども部屋」は、摩擦ののちに発生した空間であると捉えることができるだろう。一方、小山の作品が「部屋」よりも強固な「小屋」の形態でありながら、摩擦それ自体を誘引する挑発的な装置であったことは興味深い。
冒頭に記したように、排除の空間が形成されるには、相対する外圧の存在が不可欠である。近代ヨーロッパにおいては、外に働きに出るようになった(=家に休息のために帰ってくるようになった)大人の存在が「子ども部屋」を誕生させたわけであり、井上・粘土板の「子ども部屋」にも外圧の背景は認められる。しかし小山の作品においては打ち立てられた壁が外圧の役目そのものを果たしているのであり、いわば「子ども部屋」のような排除空間の誕生の瞬間自体を表象しているのがこの作品なのである。しかも壁は内外を分断する役目を持ちながら、作品全体としては内外のどちらも内であり外である旨を示している。瞬間を表象していること、また両極端がひっくり返る性質を持つことから、「欲望の玉響/玉響の欲望」という展覧会タイトルに最も近しいのは、小山の《視線》であったと言えるだろう。
ところで、近代西洋の住居における「子ども部屋」の話ばかりしていると、では日本式の住居における空間構成で言えばどうか、中世以前においてはどうか、ということが気になってくる。この観点から留意したいのは、タケダナオユキによる《ぽかぽかてかてか》であった。木枠に張られていないキャンバス布に描かれた絵画と、その手前に点在する小さなオブジェ5点によるインスタレーションである。これらはいずれにもマル、サンカク、シカク、あるいは様々な直線や曲線から成り立つ造形やオブジェクトーー「かたち」が、時には塗りや痕跡といった質感を伴って、そこここに表出している。絵画の手前にオブジェが置かれることによって、長方形のキャンバス布という明瞭な仕切りが設けられた空間の中から、ひとつ、ふたつ、と「かたち」が思わず踊りでてしまったような想像を促す。こうした空間構成は、はるか昔、縄文時代の生活様式を予感させないだろうか。雨風を凌ぐ寝所として竪穴式住居を構えながら、食事や作業を住居の外でおこなっていたとされるこの生活様式は、どこからどこまでがイエの領域であるかを限定しない。この意味において《ぽかぽかてかてか》は、何らかの外圧を伴う「欲望の玉響/玉響の欲望」からは解き放たれているように見えるーーいや、もしかしたら外圧も欲望も、人間ではなく「かたち」に伴って発生しているのかもしれない。それにしても、この造形の数々は、フリードリッヒ・フレーベルの幼児教育用具や、ルドルフ・シュタイナーに影響を与えたヒルマ・アフ・クリントの抽象絵画をも彷彿させるのであり、ひらがなのオノマトペで表されたタイトルも含めて、やはり何かしら「子ども」の要素を備えた作品だったであろうことは特筆しておきたい。
(参考文献:「子ども部屋 心なごむ場所の誕生と風景」インゲボルグ・ヴェーバー=ケラーマン著、田尻三千夫訳、白水社、1996年)
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