作品プラン
≪育“画”放棄 ―手に負えないドローイングたち、私はついに匙を投げた≫ステートメント
作品は子供みたいなものだと、愛にあふれる誰かが言った。そうじゃない。これらは私とは何の関係もない。
初めから育てる気なんてさらさらなかった。いいのが描けたらいいな、なんて、寝言みたいなことを、他人事のように考えていた。
100枚、全部違う絵が欲しかった。描き終わったら、全部が同じに見えた。くり返しは悪か。くり返しは悪だ。
100枚描いて変わらなかったから、200枚は描いた。当然、200枚描いても変化はなく、300枚くらいには到達したのだろうか? 枚数は増えても、手応えとしては、どこにも到達していない。
私は放棄した。絵をよくしようとか、うまく描こうとか、そういうのは初めからなかったけれど、「いいのが描けたらいいな」と思うことすら、やめた。そして、終わりを迎えることも、やめた。
増えれば増えるほど、どれも同じに見える。いや、色も形も違うはずだが、同じ人が描いたものだということは分かる。
どうやら、100人が描いたような100枚の絵を描きたかったらしい。無理な話ではないのかもしれない。ただ、それなら100人で描けばいいだけだ。絵を、線を、色を、コントロールしようという気は起きなかった。うるさい、他人みたいなドローイングが次々と出てくる。
同じような絵をくり返し描く。くり返しは悪だ。くり返しは悪か。
これって強がりだろうか。私は匙を投げたはずなのに、ずっとずっと、描いている。
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