《尻を掻くように絵を描く》ステートメント

作品プラン

《尻を掻くように絵を描く》ステートメント

「尻を掻くように絵を描く」

絵を描くのが好きな人がこれを見たら「尻を掻くなんて下品なことと重ね合わせるなんて,絵を描くことに対する冒涜だ」と怒るかもしれない。しかし,それほどまでに私の中では絵を描くという行為が「神聖」なものとなってしまっており,その権威から引きずり降ろす必要があるのであった。

私は小さいころからとにかく絵を描くのが好きな子供だった。学校の授業中も,家にいる時も,友達と遊んでいるときも,いつでもどこでも絵を描いていた。しかし皮肉なことに,大好きだった絵を専門的に勉強し始めた頃から,制作の時間を除けば普段の生活の中では全くと言っていいほど絵を描かなくなってしまった。

理由は簡単で,昔はただ自分が楽しむために絵を描き,絵を描くという行為それ自体が目的であったのが,いつしか絵を描くという行為が作品を完成させるという目的を達成するための手段になってしまっていたからだ。今では絵を描くことそれ自体が楽しいと思うことはあまり無い。

それと同時に,絵を描くということと,誰かに見られる(この誰かには絵を描くと同時にそれを批評する自分自身も含まれる)ということが,一体のものとしてしか考えられなくなり,絵を描くということはもはや気軽にできることではなくなった。

絵を意識的に描くようになって,確かに少しは上手に描けるようになった。作品らしきものも一応は作れるようになった。

しかし,やはり何かが間違っている。「良い絵」を描けるようになるために,絵を描かなくなるなんて本末転倒じゃないか。作品もなんだか煮詰まってきた。ここで自分がブレークスルーをするためには,絵を描くという行為をもう一度自分なりに捉えなおす必要がある。それは即ち,絵を描くという行為をその「権威」の座から引きずり降ろすことだ。尻を掻くという行為と同じレベルまで絵を描くという行為を貶めなければならない。

尻は無意識のうちに掻くものだ。尻を掻こうと頭で考えてから尻を掻くやつはいない。同じように尻を掻くような気軽さで絵を描けたなら,無意識のうちに筆を走らせることができるほど,描くという行為と一体になることができたなら,今とは違った絵が描けるようになるはずだ。

私にとって今回の100枚ドローイングは自分の中で権威となった絵を描くという行為をその座から引きずり降ろすための挑戦である。

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