《愛おしい気持ちから》

作品プラン

《愛おしい気持ちから》

・「アウラがない」とは、それが表現しているものの認識と、その物自体とが合致していない状況に付きまとう、物ではなく認識の状態である。複製された絵画も、プリントされた写真も、パソコンの画面も、全てが何か別の物ではなくその物として存在しているからだ。ただし、その対象が、その存在が表現しているものが何であるのか、という知識の正否は重要ではなく、肝心なのは、その物自体に注意を向ける際に機能する概念の区切りである。遠い昔の人々は月という天体を意思のある神の形として見ていたが、彼らはそのような仕方で、何ものかである月そのものを見ていたのだ。だが、月という一つの意味を負い、その他のものから隔絶された世界を作り出さないならば、彼らの認識はどこを彷徨うことになるだろうか。美が神話への扉を開き、また、神話が私たちの認識を美へと誘うのだ。

・絵画は世界を保有する。それは現実とは無関係でありつつ、一方では、私たちの現実が生じさせた現実そのものである。絵画について語ることや、完成した作品に画家がサインを書き加えることは、絵画を現実の動向の中で捉えることである。

・例えば、名前を与えるというのは一体どういった性質を持つ行為であるだろうか。

・キュビスム、「見た」という複数の経験の、一つの平面における無時間的統合。または作家の経験から描くという行為の集積による、有時間的発露。おそらくあとのものは、画家の描画という行為を想像させる近代絵画の創始に関わるものの一つだろう。あるいはもっと以前から、描くという行為それ自体が神聖な意味を負っていたのだ。

文字数:663

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