同窓会の二次会のダーツバーから、AIのディープラーニングによる囲碁まで、我々の世界は遊戯に満ちあふれています。当然、「遊戯」はさまざまな形で作品に表れてきました。コルタサルは「遊戯の終わり」で子供たちによる「彫像ごっこ」を描いたし、そもそも作風自体が知的遊戯に満ちている。ジャンル小説というもの自体が、一つの遊戯でもあるといっていいでしょう。
もちろん特定の遊戯をテーマにしてもいいですし、それこそ実験的な知的遊戯を目指してもかまいません。ただ、そこには「余裕」があってほしい。それこそは遊戯の肝であり、また読者が求めるものでもあるはずなのです。
期待しています!

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