極相のフェイク・プラント

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梗 概

極相のフェイク・プラント

 庭園都市国家シンガポール。そのイコンとしてのマーライオンが魚と獅子のキメラであったことは、あるいはこの都市に蔓延る遺伝子的混乱をも示唆していたのかもしれぬ。

 「シティ・イン・ア・ガーデン」の名の下でクリーンかつグリーンな市内緑化を推進してきたシンガポールは、合成生物学の導入によりその都市計画上の発展を大きく遂げた。高級ブランド・メゾンが建ち並ぶ目抜き通りのオーチャード・ロードには──かつてであれば一日あたり延べ3,000キロ分もの清掃車を走らせて回収させていたはずの──落葉を遺伝的にノックアウトされた広葉樹が、景観に色を添える。プラダ前の植木は黄金色の葉をつける。植樹コーディングによってメゾンのファサードを彩るランドスケープ・デザイナーはこの地のエリートだ。ゴミ袋をひっきりなしに交換していた深緑色のツナギ〔掃除夫〕に取って代わり、有機物由来の〈コン–ポスト〉がむしゃむしゃとゴミを食む。彼方に窺うシェントン・ウェイの金融街には、メタボリズム・リバイバルによって有機材料から構成されたポストモダン建築のスカイラインが聳える。

 ここではあらゆる生活上のガジェットが合成生物学と遺伝子操作を経た有機物としてデザインされており、そのいずれもが都市計画のマスタープランに奉仕している。市民すらその例外ではありえない。狭小な国土しか持たぬ島国の人口調整のため、子女は妊娠回数に予め限界を課せられ生まれる。のみならず、すべての胎児は〈モデュロール〉によって身体の寸法を標準化されて生まれる。それにより、衣服や設備を途方も無く節約した。子どもたちはひとつの標準身長から次の標準身長へ飛び飛びに成長する。子供服(S)、青年服(M)、紳士/婦人服(L)は年齢に合わせて袖丈から裾丈、身頃まで完璧にフィットする。サイズごとの生産量を遵守しないブランドは立ち退きを余儀なくされる。

 染色体異常により寸法の移行に際してエラーをきたし、Sサイズより「少し大きい」まま歳を重ねる日系移民のススム・コウベは、似た境遇の数人と共にホームレス暮らしをしている。少数例が報告されている〈小人症〉は政府による回収・保護の対象となっており、雇用保険と国民IDが紐付く現体制では定職にも就けず、彼らは観光客からのスリでどうにか生計を立てる。ひとり、またひとりと仲間を失うなかで、コウベはある科学者から接触を受ける。曰く、現今政府による生態系への介入によって、シンガポールの遺伝的多様性が著しく損なわれていること。曰く、それを取り戻す鍵が小人症の遺伝子検査から得られそうなこと。そのために彼らが追われていること。曰く、このままでは生物兵器によりこの都市は一夜にしてタブラ・ラサの基礎地盤へと還りうること。

 ずるずると崩落するシェントン・ウェイのスカイライン。新陳代謝を加速された植物建築は、腐葉土アスファルトにクラックを穿ちながら急速に「腐って」いく。庭園都市は、それが建設された当時の地表へと自らを還していくように、停止されていた有機体としての時間を生き直す──そんなビジョンを提示されたコウベは科学者を謀り、これまでの抑圧を精算するかのように庭園都市を野に放つ。

文字数:1316

内容に関するアピール

シンガポールにあるものは、そのほとんどが30年を経ていない。(……)自然すら完全につくり変えられているのだ。それは純粋に意志の産物である。混沌とした場所があるならそれはつくられた混沌であり、(……)不合理な場所があるならそれはそうなるよう仕向けられた不合理だ。シンガポールは、ほかに類を見ない「現代性の生態系」である。
──レム・コールハース「シンガポール・ソングライン」(太田佳代子・渡辺佐智江訳)

 以上の指摘からサイバーパンクを構想したらどうか? そしてここにリチャード・コールダーが「モスキート」で提示したアジア・サイバーパンクを接ぎ木したら?

 そのような試みとして、「極相のフェイク・プラント」は現在のシンガポールから外挿法的に導かれた未来の庭園都市を題材としている。有機物のなかに無機性を、他方で無機物のなかに有機性を見い出すのがサイバーパンクの視座であり、したがって本作も有機/無機の相互貫入を作劇上のクライマックスに配している。遺伝子操作や生物合成を施された有機物が「死せるものであること」を取り戻し、技術的に付与された無機性を食い破っていく過程がヴィジョンにおいてもドラマにおいてもカタルシスをもたらす。

 これを担う主人公が奇形としての「半端者」であることは必然であろう。彼は政府による操作を受け付けない身体を持って生まれ、結果、庭園都市から爪弾きにされているが、最終的には自覚的なフリーライドを選び取ることによって彼もまた自らの生を生き直す。

文字数:629

課題提出者一覧