瞳の奥の怪物

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梗 概

瞳の奥の怪物

周囲を森に囲まれた、静かでどこか奇妙な町、芽無町(めなしちょう)。ここで生まれた多くの人間は、一生の大半を芽無町から離れずに暮らす。芽無町で老い、死んでいくのだ。

 

昭和5☓年。

十四歳の少年・空士(そらし)は、町に一つしかない全寮制の芽無中学校の生徒である。自立心を養うため、中学になると寮暮らしに入ることが町のしきたりだった。空士は寮暮らしが苦痛で仕方ない。人見知りが激しく、他人と目を合わせることさえ困難な性格だからだ。

中学ではあるゲームが流行していた。それは「瞳ウィルス」と呼ばれるものだ。瞳ウィルスは、感染者と五秒以上目を合わせると感染する。誰が感染者で、誰が非感染者かは分からない。感染者に目を五秒以上合わせられた人間は、耳元で「あなたは感染した」と告げられる。そのことにより、初めて自分が瞳ウィルスに感染したことを知るのだ。誰が言い出しっぺかは分からないが、その人を感染源として、このウィルスはどんどん広がった。生徒たちの話題は、このゲームで持ち切りとなった。

ある時、空士はクラスメイトの沙樹に顔を掴まれ、無理やり五秒目を合わせられる。そして沙樹は「やっぱりあなたは仲間だね」と安堵した。沙樹の話では、もう空士と沙樹以外の生徒全員が瞳ウィルスに感染したらしい。だから二人で共闘して生き残ろうと言われた。沙樹は空想癖が強く、瞳ウィルスというものを本当に信じていた。

空士と沙樹は他の生徒によく絡まれるようになる。感染者たちは目を合わせようと、あの手この手を使ってくる。二人は人との関わりを絶ち、下を見て歩くのが癖になった。

ある時、事件が起こる。全校朝会で瞳ウィルスが禁止されたのだ。その理由を聞いて空士は驚愕する。十年前にも同じゲームが流行り、ある内気な少年が最後の非感染者になった。その少年にも感染させようと生徒たちは躍起になった。だが少年はそれを拒み、徐々に疑心暗鬼になった。正気を失った少年は寝静まった寮に火を付け、二十人の生徒を殺した。そして放火犯の少年は行方不明となった。このような惨事を繰り返さないため、ゲームは禁止されたのだ。

これで感染者たちの攻撃は止むかと思われた。だが止んだのはあからさまな攻撃だけだ。攻撃はより巧妙になった。たとえばある少年は、空士に親しげに話しかけてきて「話してるんだから顔上げろ」と言った。信じて相手の目を見そうになるが、空士は罠だと思い相手を拒んだ。沙樹に相談すると、どうやら彼女も同じ状況にあるらしい。空士は他の生徒たちのゲームに対する執念に驚き、他人が得体の知れない存在に見えてくる。

二人は教員に相談する。だが教員からも「目を見て話さないのは失礼だ」と叱られ、目を合わせることを強要される。二人は教員までもがウィルスに感染しているのだと思う。

夏休みになり一時帰宅すると、驚くべきことに家族もウィルスに感染していた。空士は絶望する。地獄の夏休みが明け、沙樹と再会する。もはや町全体にウィルスが広がっていることを、二人は疑わなかった。

二人は、行く宛はないが一緒に町を出ることにする。バスに乗って駅に行きたいが、二人にはできない。バスの中も電車の中も、あまりに人の〝目〟が多すぎる。二人が徒歩で山道を進んでいると、後ろから町の警官が追ってくる。こちらを向いて走る警官は、明らかに感染者だ。二人は森の中に入り込み、逃げる。

警官はまいたが、森の中で迷ってしまう。途方に暮れていると、汚いやせ細った青年が現れて「逃げてきたのか? こっちに来い」と言う。青年は地面ばかり見ているから非感染者だ。信用できると思った二人は青年について行き、森の奥にある青年の住処に入る。

どう見ても精神を病んでいるその青年は、瞳ウィルスの正体について語る。瞳ウィルスは地球外寄生生物である。それは人間の瞳から入り、その人を乗っ取る。乗っ取られた人間は、普段は人間の姿をしているが定期的に〝本来の姿〟に戻る。青年はその場面を撮った写真を見せてきた。何やらよく分からない画質の粗い写真には、赤黒い泥のようなものが写っていた。

このままでは世界は寄生生物に乗っ取られてしまう。防ぐためには、寄生生物の感染源を潰すことだ。感染源を潰せば、そこから分裂した固体も弱体化する。感染源は、寮にいる生徒のうちの誰かである。寮に放火する以外策はない、と青年は言う。冷静に考えれば理屈も通らない荒唐無稽な話だが、空士と沙樹はあっさりと信じ、青年に協力する決意をする。

だが放火をする当日、三人は町の警官に見つかってしまう。そして青年が、十年前に寮に放火し失踪した少年だったという事実が発覚する。森の中に逃げ込み、十年間一人きりで妄想を膨らませ続けていたのだ。青年はどこかへ連れて行かれ、空士と沙樹はそれぞれ隔離されて尋問を受けることになる。空士は下を向いたまま黙秘し続けた。十数時間後、心身ともに限界となり倒れた。

町の病院で目覚めると、そばに沙樹がいた。今まで決して前を見て話さなかった沙樹が、まっすぐこちらを見ている。

沙樹は言う。自分はもう人と五秒以上目を合わせたが、何も起こらなかった。瞳ウィルスなどただの遊びだ。自分たちは、周囲の人間とうまくやっていくのが苦手で、他者を恐れていた。だから他者を拒むための言い訳として、瞳ウィルスを使っていた。それがいつしか妄想のように膨らんだ。このままではいけない。いつかは他者と向き合わなくてはならない時が来る。だから顔を上げて、まっすぐにこちらを見て話して欲しい。

空士は顔を上げ、沙樹の目を見る。今更ながら沙樹が綺麗だと思い、空士は沙樹に恋をしている自分に気付く。

そして五秒経つと、沙樹は空士の耳元で「あなたは感染した」と囁いた。空士の自我は死に、別のものが取って代わった。空士と沙樹の目が穴になり、そこから赤黒い泥が出てくる。町のすべての人間の目からも、その泥は出てくる。最後の非感染者であった空士が消え、寄生生物は〝本来の姿〟を隠す必要がなくなったのだ。

町中の泥は人体を脱け出て、一つに集まっていく。そうして巨大な塊となり、完全な融合の快楽に酔った。

しばらくすると泥はそれぞれの人体に戻り、人間の生活に戻る。そこには何一つとして不自然さのない町の営みがあった。

 

芽無中学校の生徒の間では、まだひそかに瞳ウィルスが流行っている。そこには堂々と顔を上げ、多くの仲間に囲まれて笑い合う空士と沙樹の姿があった。

文字数:2619

内容に関するアピール

短編でSFエンタメということなので、即物的な考えではあるが、オチで読者をびっくりさせることが大事だと思った。

目指す方向性は、乙一さんの『ZOO』や恩田陸さんの『月の裏側』、デイヴィッド・イーリイの『タイムアウト』といった、奇妙でゾッとする感じの物語だ。日常に起きた、ほんの少しだけ奇妙な事件が物語の発端となる。それがエスカレートしていき、最後にはあっと驚くオチが待っている、という構造。これをどうにかして再現したい。

物語の発端は、全寮制中学で流行するゲーム。周囲と溶け込めない主人公・空士は最初、またくだらないゲームが流行りだしたと斜に構えた態度で見ている。が、空想癖の強い沙樹と出会うことでその心情が変わっていく。ゲームがエスカレートするに従い、空士は被害妄想じみた感情を周囲に抱き、沙樹と二人で心を閉ざしていく。そのことによって被害妄想はさらに膨れ上がり、森に住む浮浪者の青年と出会うことでピークに達する。

物語の中盤までの肝は、空士と沙樹が被害妄想をエスカレートさせていく過程を書くことだ。この時点では、読者にこの物語の意図を勘違いさせておきたい。空士と沙樹が馬鹿げた妄想の結果大きな誤ちを犯してしまうのか、それとも妄想だと気づき回避するのか、という物語なのだと思わせるように書く。

そしてオチでこの認識がひっくり返る。実は妄想と思われていた荒唐無稽な地球外寄生生物が実在し、この町全体を飲み込んでいた、という結末である。ここに自分の考えるセンスオブワンダーがある。それは、当たり前な日常が信じられなくなるような感覚だ。

結末部分では、読者に二重の驚きを与えたい。一つは前述のとおりだ。もう一つは、ストーリーが進むに従い、空士と沙樹の間に淡い感情が芽生える過程を書いておく。そのため、最後のシーンは二人の初恋が残酷な形で破られたことも意味する。そういう意味で、二重の驚きのあるオチにしたい。

文字数:795

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