マリ

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梗 概

マリ

目を覚ました主人公Aは、そこが船の中であることに気づく。自分がどうしてそこに居るのか、全く分からないでいるAは恐怖感も覚えるが、他の乗客たちも自分と同状態であることを悟り、恐怖が少し和らいでいく。しかし、乗客や船のスタッフとの会話などから、自分が既に「現世」では死んだ存在であり、「あの世」へ向かう途中であることを気づかされ、再び恐怖感に苛まれる。船は今、三途の河を渡っている途上だったのだ。

船が向こう岸に到着し、Aも他の乗客も降ろされ、後日それぞれ裁判が行われると聞かされた。死後7日目、彼岸初等裁判所で裁判を受けるA。そこでAは、現世において『安楽死』で自ら命を絶ってきたことを知らされる。検察側はAの自死を糾弾し即刻地獄行きを求刑、弁護側は自死を選択するしかなかったAを擁護し無罪を主張した。判決は地獄行き。ただしAの自死理由が完全に明瞭とは得心できないため、23日間の執行猶予が与えられ、弁護側は控訴のチャンスを得た。

死後30日目、彼岸中等裁判所で第2審が行われた。検察側の証人としてAの夫が出廷。夫はAの死後20日目に衰弱死したという。夫をショック死させた安楽死の大罪を検察側は猛糾弾、弁護側は圧されながらも更なる状況見極めを唱え執行猶予を求めた。判決は地獄行き、執行猶予19日とされた。安楽死の不可解さに理解を示し残した判決であった。

死後49日目、終審である第3審が彼岸最高裁判所で行われた。現世に残されたAの遺族などのその後の状況が示される。遺産を取得し金遣いの荒くなるAの息子、ショックで精神を患うAの娘。Aの安楽死の様子をTV番組で視聴し、毎夜眠れぬ日々を過ごす見ず知らずの老人等々。

終審の判決は、地獄行き。ただし行先は「あの世」の地獄ではなく「現世」の地獄。Aは「現世」に輪廻転生され、全く新しい未知の命を生きながら更なる苦しみを受け続けることとなった。

 

文字数:787

内容に関するアピール

個人的に「怖いもの」を決出することができず、世間一般的に「怖いもの」であろう「死」または「死後」を選択しました。死の中でも「安楽死」に焦点を置き、それを見つめたいと考えています。安楽死は日本では法的には認められていないでしょうから、主人公Aは無国籍の扱いです。梗概には、Aや弁護側の主張をもっと具体的に示すべきでしょうが、無念ながらそれには至れませんでした。

 

文字数:179

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マリリン

 うつらうつらしつつ、目が覚めた。
(朝なのだろうか?)
そう思いながら、身体を起そうかどうしようか、いやいや、再び目を瞑ろうか、迷っていた。少なくとも、パッと飛び起きようなどという思いは湧いてこなかった。が、しかし、
(なんとなく揺れている。もしかして、これ、地震?)
ゆらゆらと、その揺れは、激しいものではなく、ゆったりとした大きな波動のように感じられたが、ともかく、揺れを感じた事が大きな原因なのだろう。意識による判断を待たずに、起き上がった。今、何とかしなければ、身に危険が及ぶのではないか、或いは今、何が起きているのか、まずは見聞きしなければ、そもそも動きようもないではないか、そう、反射的に反応したのかもしれない。自分の深層や心理から作用した意識よりも速く、身体が反応したのかもしれない。起き上がった。

(ここは、どこなんだろう?)
辺りは、全く初めて見る景色だった。初めてだと確信があるわけではない。自分でもよく分からないのだが、そう思えた。それに、何となく宙ぶらりんでいるかのようだった。
(自分は何故ここに居るのだろう? 何故ここで寝ていたのだろう?)
何の記憶も見つけられず、何の現状自覚もできず、いわば、暗闇か大海原にポツンと取り残された様な恐怖感に苛まれたが、やがて、自分が何の身体的ダメージも受けておらず、何らにも迫って来られてもいない状況を認知し、少しばかり落ち着いてみようではないかと、ごく自然に、なぜか冷静になれた。
(自分は、間違いなく寝ていた)
布団の上に身体を起していた。掛け布団を足元にはね上げていた。
(おや? あの人たちは、何だろう?)
周囲には何人かの人々の姿があり、ある者は起き上がってうろうろと動き回り、ある者は未だ布団の中で眠りについていた。
(少し様子を見るしかないか……)
この先、何が起こるか分からないので、そう考えるしか、そう構えるしかなかった。見回せば、どうやらここは、何人かが寝起きしている大部屋の様だ。そして、起きている者はただ、うろうろするばかりで、何か目的をもった行動をしているようには見えなかった。彼らの声も一切聞こえては来ず、音と言えば、時々『ゴーッ、ゴーッ』と、地響きのような物音が、おそらくは大部屋の外部を源として聞こえてくる。その音と、先程来の大きなゆっくりとした波動が重なって、大部屋は大きなゆりかごの中の様でもあり、ゆったりとした時間を刻んでいる様に感じられた。

 音の源が気になった。確かに恐いが、音源が何なのか知りたくなった。見てみたくなった。恐る恐るドアを開けて、大部屋から外に出た。
(うっ! これは!)
ドアを開けると、目の前には大海原のような水面が広がっていた。足元からは甲板が続いていた。
(もしや、ここは、大きな船の中だったのか)
どうやら大きな船に乗せられているのだと思われた。
(記憶の無い中、大型船の旅をしているのか? 船旅の途中で記憶をなくしたのか? ここは、どこの海だろう? 太平洋か? 大西洋か? インド洋かしら?)
「海に見えるでしょう。でも、これ、河なんですよ。いわゆる、大河ですね」
後ろから声をかけられた。振り返って見ると黒装束の人物であった。そういえば大部屋の中でも数人の黒装束の人物が布団を片づけたり運んだり、今思えば世話人のような動きをしていた。この黒装束の者らは、船のスタッフなのかもしれない。
(えっ? 河なんですか?)
河と聞かされて、そう応えたかったが、声に出ていなかった。自分ではっきりと分かっているわけではないが、多分、声には出ていないのだと、自覚できた。頭や心では応えているつもりなのだが、声を発した感覚感触がなかった。
「ご心配なさらずとも大丈夫ですよ。乗船客は皆、声、出せないんです」
(やはり、声になっていないのか。しかし、この人物は何故、自分の思いが分かるのか?)
「ええ、申し訳ないのですが、私らスタッフには、乗船客の思考される内容は、よく分かるんです。本当に申し訳ないことです」
(何ですって? 私の考えることが、この人物には丸わかりなのか)
驚いていると、またその人物が話しかけてきた
「この船は大型でしてね。大河を渡る大型客船、クルーズ豪華客船と言ってもいいですね。せっかく起きられたんですから、色々と見物に歩かれてはいかがでしょう。大丈夫です。安全は保証されています。この船に乗船しているのは、貴方様の様な声の出せない方々がウロウロされているのと、私たちの様な世話係スタッフです。合計で1万人くらいでしょうかね。」
(1万人? そんなに大きいのか? で、どこへ向かっているのだろう)
「この河は、昔は三途の川と言われてましてね、元々は、もっと小さな川でした。舟も小舟で、渡し船みたいなもんですね。ところが今じゃ、この有様ですよ。その川は今じゃ、こうして向こう岸が見えないくらいの大河になっちまいましてね。乗船客も膨れ上がっちまいまして。しかも色んな種類の人間が乗船してやがるんですよ。なんでも、グローバルの影響らしいんですよ。で、インバウンドで乗船客が倍増に次ぐ倍増。本当に今じゃ毎日、こんな1万人クラスの大型船が10から20は往来してるんです。お宅も多分、下界では聞かれたでしょう、グローバルとか、インバウンドとか。あっしにゃ、よく分からねえ言葉なんですが、おっと、いけねえ、ついつい昔の言葉使いになっていました。ま、とにかく、ここは旧称三途の川、現在の名前はサンズ―河です。夕暮れまでもう少しございます。大型クルーズ船の中を色々どうぞ! レストラン、バー、遊技場、カジノ、映画館、ダンスホール、図書館、何でもございますから」
(つまり、私は現世で死に、この船でサンズ―河を渡って、向こう岸へ?)
「そうでございます。現世から来られた方は、向こう岸、彼岸の地で、閻魔様の裁判を受けるんです。裁判は、現世で亡くなられてから、大体7日目に行われるそうです」
(……)

 彼岸初等裁判所の法廷が騒がしくなっていた。
「静粛に。ただいまから裁判を始めます。」

 裁判官の発声とともに法廷内は静まり返り、一同は皆、正面を向いた。正面には裁判官、その前には書記、裁判官の傍らには裁判員が座っていた。裁判官席の対面には少し離れて傍聴席、双方の間には空間があり、真ん中に証言台が置かれている。そして、その両側の端の壁際には各々席があり、一方には検察官、もう一方には弁護師が座っていた。その弁護師の前に被告者席があった。
(やはり、私が被告者、私に関する裁判なのか、あの裁判官が閻魔様か)
そう、想像するよりなかった。
「ではまず、本件の罪状を、検察官、お願いします」
裁判官に呼ばれ、検察官が立ち上がって説明を始めた
「本件は、全ての人間が死後、通例的に受ける人生の裁判です。人間には誰しも等しく、死が訪れます。独生独死独去独来、これは、人間は皆、唯1人で生まれ、唯1人で死に、唯1人で去り、唯1人で来る、という下界の人間による文字表現です。なかなか上手い物言いです。成る程、ある人間の生死について、他人が何かを為す事はできないのでありましょう。然るに今回は、この様に注目の各位も多いことです。『安楽死』の弾劾です」
見まわすと、傍聴席は満員だった。検察官が続けた。
「さて、安楽死。一言で安楽死と言いましても、実際には人それぞれです。不治の病で回復の見込み無く、苦しみに耐えられぬ為に安楽死を選択する。これは、やむを得ないことかもしれません。場合によっては、家族などが介護を行うにも多大な艱難が付きまとい、しかもそれが長い間続く、こうした場合は、いたずらに生きながらえる事に自ら終止符を打ち、安楽死を選ぶことが、本当にやむを得ないとも考えられます。しかし、本件の被告者、ここに居りますマリリンには、そうした明確な理由がありません。全くないのです」
法廷内がざわついた。
(私は現世でマリリンという名だったのか。そして、安楽死を……)
「ではまず、このマリリンが安楽死に至ったまでの、おおよその流れを映像で見ていただきましょう」
検察側の天井からスクリーンが降りてきて、映像が流された。
効果音と共に表題が現れた

「マリリンの安楽死」

出演者
マリリン
家族
その他の方々

ナレーション
検察AI音声

「これは、基本的には実写です。ここ天上界、彼岸の地、ここから下界、現世を撮影、録音したものです」
現世の場面と思われる映像が始まり、ナレーションが進めた。
……老齢を迎えたマリリンには、ある思いが沸々と沸き起こってきていました。それはどうやら70歳くらいの頃のようでした。(このまま、老人として生きていくのは、思えば非常に辛い……)このような思いでした……
スクリーンには苦悩の眼差しを湛えるマリリンの顔が映し出されていた。続いて、彼女が戸外で多くの老人を見かける姿が映し出された
……やがて、彼女は多くの老人を見かけるに当たり、そう、例えばこの様に、足の不自由な老人、手指の曲がりゆく老人、認知能力が衰え行動異常をきたす老人、皮膚がしわがれ醜い顔面となってしまった老人、脳梗塞で寝たきりの老人等々、これらの老人を見るに当たり、それがまるで、自分の未来の姿であると、彼女は強く怯えるようになってしまったのです。この先、自分がそうした老人となって、何年も生き続けなければならないかと想像すると、耐えきれなかったのであります……
多くの老人の姿を目の当たりにし、ますます苦悩の色が濃くなるマリリンの顔が映し出されていた
……(そうだ、安楽死しよう。私には、それしかない!)マリリンはそう考えました。彼女の国では安楽死が法的に認められていました。ただし誰でも安楽死できるわけではありません。厳格な審査をクリアせねばならないのです。彼女の国での安楽死に関する審査条件は、おおむね次の2点です。『治る見込みのない病体であること』または『耐え難き苦痛を抱え続けていること』。これを、安楽死しようとする本人が申し出て、認められれば安楽死が可能となります。本人が認知症などで判断能力に欠ける場合、安楽死は認められません。彼女は、安楽死の申請を行おうと決めました。そして、家族にも相談しました……
家族に相談するマリリンの姿が映し出される。
……私も70歳を超えて、生きるのが辛くなった。安楽死をしようと思うのだが。そう家族に相談を持ち掛けたところ、娘の猛反対を食らいました。娘曰く、母よ貴女は身体的にどこも悪くはないではないか、歩けるし、風呂もトイレも自分で行える、判断もできる、まだまだ死を選ぶような年齢ではないではないか、仮に突然、貴女が死んだら貴女の夫である私らの父はどうなるのか? 彼が生きていけると思うか? 私ら子供もどうなるのか? 母よ貴女は安楽死後の影響を考えたことがあるのか? 安楽死なんて完全な独りよがりだ! と……
続いて、マリリンが息子と話すシーンにカメラが切り替わった。
……お前はどう思う? これに対し息子は、母よ、お前はただただ死にたいだけなのか? 身勝手にも程がある、確かに、生きることを諦めて死にたい気持ちは分かる、しかし姉貴が言うように、心身丈夫な現状では認められんではないか、お前が自分で動けなくなり、我々の介護が必要になったりしたならば、俺も考えなくもない、それも容体次第だぞ! と。……
最後に夫との対話シーンにカメラが切り替わった。
……目を向けるマリリンに対し夫は伏し目、反らし目ながら、何も口に出せずにいる。そんな夫に対し、また子供たちに向かって、マリリンは叫びました。(このまま老化が進めば、目も見えない、耳も聞こえない、鼻も利かない、会話もできない、働くことも家事も、趣味や旅行も散歩も、空や星を見上げることも、果ては下の世話から何から何まで誰かに介助、手助けしてもらわなくてはならなくなるのです! そんな状況に自分がなってしまう事に、そんな未来に、私は耐えられないのです! 絶対に嫌なんです! ずっと前から、そう思っていました、身体能力が大きく衰えてから、他人の介助を要するようになってから、それからでは遅いのです! そうなる前に今、決めるしかないのです! 私には今、安楽死を選択するより、ほかないのです!)と……
検察官は映像を一旦止めて話し出した。
「以上が、マリリンと家族の相談シーンです。もちろん、こうした話し合いが幾度も行われたのです。安楽死に対し、特にマリリンの娘と息子は大反対でした。夫も基本的には反対でしたが、子供らほど強くは反対できずにいたわけです。しかし、この女、マリリンの意志は全く変わりませんでした。安楽死の申請を進め始めたのです。家族には、それを阻止することができませんでした。しかし、家族は思っていました。マリリンは不治の大病等ではない、客観的に見て老化が著しく進んでいるわけでもない、安楽死が公的に認められるはずはない、申請したければ勝手にするがよい、つきかえされるだけだ、と。特に娘は、そう考えていました。しかし、その意に反して、マリリンの安楽死は認められました。かの国では国に認められた安楽死を司る組織団体が安楽死の判断を行い、また、安楽死の実行を行っています。その組織団体がマリリンの安楽死を認めたわけであります。マリリンは、耐え難き苦痛状態であると、認められたわけであります。マリリンは喜んで娘に話しました。安楽死が認められたと、それを聞いて娘は激怒しましたが、結局どうすることもできませんでした。さて、いよいよ安楽死を行う日が決まり、その日を迎えました。これから流す映像が、その日のシーンです。では……」
映像は落葉も深まる晩秋の景色を映し出していました。
……この日の朝、マリリンが目を覚まして窓の外を見ると、はらはらと小雪の舞うのが見えます。マリリンは娘に話しました、とうとう安楽死の日を迎えた、今朝はなんと、まだ冬が来る前だというのに、早々と小雪が舞っている、今日は正に、安楽死に相応しい日だ、と。娘は母への怒りと、今まさに死に立ち会う恐怖とで、置き所のない心と体をもてあましていました。かの国での安楽死には、家族と安楽死を司る組織の者が立ち会うことになっています。この日の朝10時にマリリンの家に組織の者がやってきました。部屋の中にはマリリンと夫、娘と息子が、待って居りました。晴れ晴れとした表情のマリリン、黙ったままの家族、組織の者がおよそマニュアル通りにマリリンに尋ねました。ご意向にお変わりありませんか? 彼女に心変わりはありませんでした。やがて彼女は組織の者から1杯のコップを手渡されました。中には薬が溶かされていました。それは、組織の説明によれば、飲めば楽に死ねる薬とのことです。マリリンは自分の手でコップを持ち、自分の意志で、それを飲み干しました。初めの1分ほど、彼女は普通に話をしていました、今日で人生を終えることができる。めでたい、本当にめでたい……。1分が経った頃、彼女は次第に目を閉じ、首を垂れ、静かに眠るように体の動きを止めていきました。呼吸による体の僅かな動きさへ、見られなくなっていきました。薬を飲んで2分、彼女は死にました。娘は泣き崩れ、息子と夫はだんまりのままです。その傍らでマリリンは静かに静かにソファに横たわっておりました。つい昨日まで、彼女は、このソファに腰かけ、生きて元気に存在していたのです。家族とも話をしていました。テレビも見ていたのです。しかしもう今、彼女は死んでいるのです。そして、この一連の模様を組織の者がビデオに収めていきました。かの国の安楽死においては、その場面をビデオに撮って可視化することを必須としています。また、そのビデオの中で、本人の安楽死の意志が間違いのないこと、安楽死用の薬を飲むのは本人の意志であることが明確に分かる事と、定められています。そうでなければ殺人の可能性があるからでしょう、恐らくは。マリリンの安楽死が終わり、冷ややかな空気の中、組織の者はマリリンの家を後にしていきました。家外の雪は、その時は既に止んではいましたが、外も冷たい、とても冷たい空気でした……

 被告者マリリンに対して検察官の求刑の如く『地獄行き』の判決が下された。ただし30日間の執行猶予がついた。近頃増えてきた安楽死の裁判とはいえ、安楽死を受け止めるのにいまだ慣れてはいない法廷内の皆がショックを受け、動揺も著しかった。また、客観的には明確な理由を欠くものの、本人の抱える耐えがたき苦痛に対して一定の理解も示す裁判官も、今回の案件について今しばらく様子を見てみたいと考えたのかもしれない。今回は強く弁護できなかった弁護師だったが、執行猶予の機会を得たからには次の展開もあろうと、マリリンを説得し、控訴に向かった。マリリンも頷いた。
(私の安楽死を、もう少し見てみたい……)

 マリリンの死後30日目、彼岸中等裁判所で第2審が行われた。

「静粛に! それでは第2審を始めます。検察官どうぞ」
「本日は、証人を呼んでおります。こちらへ!」
証人が入廷し、証言台に立たされた。
「こちらは、マリリンの夫であります」
(あっ、先日の映像の男だ。あれが私の夫? なんとまあ、貧弱な男だろう。仕事なのか、夫婦家族生活なのか、それらに翻弄されて打ちのめされた姿なのかしら? しかし、あの男が何故ここに……)
「さて、第1審で示された様に、夫は、マリリンの安楽死の場面に家族や安楽死業者とともに同席しております。そこで、皆の前で、マリリンは薬を飲んで、眠るように死んだのであります、2分で。そして、夫は、後日、その日から20日後に、亡くなりました。いわゆる急死であります」
法廷内がざわついた。マリリンも驚いた。
(この男は、私の夫だというこの者は、私の安楽死を目の当たりにして多大なショックを受けて死んだというの? 死を見たショック? まさか、私を愛していたが故になの?)
「安楽死の当日、マリリンは75歳、夫は84歳、他の同席者は、40代です。84歳の夫が、妻の安楽死を目の当たりにして、大いなるショックを受けたことは想像に難くありません。いや、ショックは他の同席者も含めて、ほぼ等しく受けたことでしょう。84歳の夫には、そのショックからの回復と言いますか、ショック後の対応と言いますか、抵抗と言いますか、そういった力が、他の同席者に比べれば低かったのでしょう。故に、彼は、死にました。妻の安楽死の場面を間近に目撃し、そのショックから体内では心拍数の増大や精神心理の大いなる闇、それらの苦しみにさらされ、そこから回復することなく、10日で死に至ったわけです」
(うーん……)
(確かに、老齢の彼には著しくきつかっただろう)
法廷内もマリも頷いた。証言台の男は終始黙ったまま立っている。
「どうですか? これこそ、安楽死の大罪と、言えます。いかがです? マリリン」
(……、……)
うつむくのみのマリの横で手が挙がった
「裁判官!」
「どうぞ、弁護師」
「安楽死を目の当たりにした彼のショック死は、よく分かりました。なるほど、マリリンの罪と考えられなくもありません。しかし、そもそも、安楽死することは、いえ、家族の目前で安楽死することは、その当日以前に、既に決定していたことではありませんか? つまり、何度も紆余曲折ありながらも、家族で話合いを行い、最終的にマリリンが安楽死するという事で家族なりの結論に至ったのでしょう。もちろん、家族は最後まで反対するも、マリリンの主張が変わらず、いわば諦めや放り投げたような心理でもって家族の総意とし、安楽死に至ってしまったのが現実かもしれません。しかし、それが、家族の結論なのです。で、あれば、マリリンが安楽死を実行することは、何ら問題のある事ではありません」
(うーん)法廷内も再び別方向に頷く
「検察官、いかがですか?」
裁判長が問うた。検察官は考え込んでいた。マリリンも考えた。
(確かに、弁護人の言う通りだ。最終的には、家族皆の決定事項、納得事項だったのだ。私の安楽死は批判されないわけではないが、罪とまでは言えないではないか。そもそも、84歳の夫は、高齢で老化も著しく、安楽死のショックがなくとも、遅かれ早かれ、いや、安楽死の近日に、単なる衰弱死を迎えていたかもしれない。それに、夫自身、実は元々老化や死に怯えており、妻の安楽死をきっかけに、まるで、その死に乗っかるように、自ら衰弱を早めた、そんな深層心理も考えられなくはない。で、あれば、むしろ、私の安楽死は、少々言いはばったい気もするが、良き事の面もあるのではないだろうか、彼を、夫を、速やかな死に導いた……)

 第2審の判決は『被告者マリリンは地獄行き、執行猶予20日』とされた。弁護師は引き続き上告することをマリリンに進めた。安楽死について、可能な限り粘ってみたかった。マリリンも頷いて納得した。
(どのみち、私は地獄行きなのだろう、それならばギリギリまで……)

 マリリンの死後49日目、彼岸最高裁判所で第3審が開廷された。

「静粛に! それでは第3審を始めます」
「第2審では、マリリンの夫に証言いただきました。今回は、夫以外の娘と息子、そして、その他の方への影響をお見せいたします。では……」
スクリーンが降りてきた

『続 マリリンの安楽死』

出演
マリリン
家族
その他の方々

ナレーション
検察AI音声

 スクリーンにマリリンの娘の顔が映し出された
……まず、彼女です。彼女は、既に結婚して家庭をもち、実家つまり、マリリンの住居とは別な場所に居住しております。家族は夫と幼い子供2人。彼女は家庭を持った後も、時には実家を訪れ、いわば仲の良い親子関係を維持してきました。時には実家に子供を預け、時には実家で両親に食事を振舞い、時には両親とその孫、つまり自分の子供とともに旅行やドライブ、買い物をしたり。そもそも、母と娘ですから、この様に、お互い何でも言い合える間柄でした。然るに、マリリンが後年、60代後半ですね。多少の身体的な衰えを自覚し、未来には何もできなくなる状況を想像し出してからは、安楽死への希望を見出しました。彼女は、母からその事をはやくから聞かされていました。当然、自死という、それだけでも重い行動に、猛反対の姿勢をとりつづけ、母と距離を取る時期も長く続きましたが、最後には諦め含みで母の安楽死に立ち会いました。大号泣した安楽死の当日以降、腑抜けの様になってしまった彼女は、以後も、それまでのような日常を過ごせずにいます。更に父も急死し、毎日、何も手につかないのです……
現在の娘が、何も手につかない様子が、スクリーンから充分に見て取れた
(娘にしてみれば、そうかもしれない、私は、やはり罪深いことをしたのだろうか)

映像は続いた
……母が死に、続いて父が死に、子供らのショックも多大であろう事はわかります。然るに、息子は、当初こそ悲しみに暮れておりましたが、母の死、父の死と、続いた挙句、相当な遺産が入ってくる事に気づいたのです。これにより、息子の生き方が変わろうとしています。金銭面では必ずしも働く必要のないであろうことを覚ってしまった息子は、いまや放蕩三昧を始めようと計画しているのです。いまでは、両親が死んでくれてよかった、とさへ、考え始めている次第です。介護や病院生活介助等の未来もなく、早々と遺産を手にした息子が、本来ならば両親の死にもめげずに生きるはずであった息子が、母の自分勝手な安楽死を目の当たりにしたからには、俺もある程度、好き勝手に生きさせてもらうぜ、そう考えたとしても、おかしくはありません。つまり、これも、この女、マリリンの安楽死が大きな原因であると考えられるのです……
映像が止まり、法廷内がざわついた。息子の心情異変に対して、各自、様々な思いも交錯したのであろう
検察官が話した。
「そして、マリリンの安楽死は、想定外に影響を拡大しています。家族以外の者に対しても大きなショックを与えたのであります。実は、マリリンの安楽死の模様が先日、テレビで放映されました。マリリンが、家族と業者と共に安楽死を遂げたあの日の模様です。マリリンは皆の前で、薬を飲み、2分で死にます。家族は泣き崩れ、悲嘆に暮れます。業者は粛々と作業をこなします、まるで気配すら隠すよう心掛けているかのように。この模様を多くの人がテレビで視聴しました。その中の82歳の老人、男性の話です。では、スクリーンを……」
老人の顔が大きく映し出され、彼がインタビューに応えています
……先日、テレビで、安楽死の模様を見ました。私にとっては、いきなり後ろから頭をズガガーンと、強く打たれたような衝撃でした。家族の目の前で、自ら薬を飲んで、2分で死ぬんですよ! 私はもう、それを見たその日、その夜、眠れませんでした。ああ、そして今でも、この闇の様な気持ちから逃れることができないのです。私は、どうしたら良いのでしょう……
老人がそう言って、映像は終わった。
「いかがでしょう、マリリンの安楽死は、この様に、家族を不幸のどん底に落とし入れ、ひいては家族ではない、遠くで、マリリンとは縁もゆかりもない一般庶民をも、不幸の、闇の真っただ中に、落とし込めてしまっているのです。マリリン、いかがですか? 弁護師、裁判官、裁判員さん、いかがですか? 安楽死のマリリンは絶対に、地獄行きです!」

 

「判決を言い渡す。主文、被告者、マリは無罪」
ざわつく法廷内に裁判官の言葉が続いた
「ただし、現世に戻り、新たなる人生を始める事とする」
再びざわつく法廷
「以下に、裁判での見解を述べます。被告者マリリンの安楽死自体、つまり安楽死を選択し実行すること自体は、個人の自由であり、何ら批判されるものではないと考えられる。しかし、裁判でも見てきたように、家族に対する多大な影響、苦悩、ストレスを与えたこと、また、家族以外の他人にすらも大きなショックを与えた事など、他への影響は甚だしく大きいと言える。つまり、罪に問われるものではないが、更生進化が必要であろうと判断した。新たな人生を受け、新たな人生に邁進してもらいたい。

(現世に? 私は新たな人生において、現在のこの記憶はあるのだろうか?」
「被告者マリリンの新しい人生に、それ以前の記憶は、もちろんない。全く新しい人生が始まる。しかし、新しい人生を受けた者の記憶本体には届かずとも、新たな生命、それを構成する細胞のどこか等に、又は僅かに、何らかの進化の兆し等があるやもしれん。いや、おそらくあるであろう。それによって、新たな人生を歩む者が、どう生きるかである。現世の世間も、そうして全体として、僅かに何らかの進化の兆しを含んだ集合体であると言える。しかし、それによって進化した結果、世の中で別な何かも進化発展、あるいは進化による怠惰退化等をも受け、更なる、新たな艱難が待ち受けているであろうことも想像に難くはない。そうして、人類社会は歴史を築いてきた。新生マリリン、そなたの、その健闘を祈る」
一息置いて裁判官は続けた。
「さて、今回の裁判について、特に、マリリンの安楽死の模様、皆の前で薬を飲んで2分で死んだ映像、これを見てショックを受けた人物らについて、裁判員の感想が聞かれたので最後に付け加えます。ここで、彼の文章を読みます」
『彼らの受けたショックは、よく分かります。もしも自分がその当事者であれば、同じように大きなショックを受けたことでしょう。そして、そのショックから立ち直れない日々、逃れることのできない闇からも解放されることなく、場合によっては自分も死に導かれ……、そんな状況も充分に想定されます。しかし、幸か不幸か今回、私は第3者の目線で安楽死に、ライブ現場ではないとはいえ、こうして立ち会う事ができました。もしかしたら、ショックを受けた方々は、やはり、死そのものが恐い、というのが、まずもって大きいのではないでしょうか。死への怯えです。逆に、安楽死を選んだマリリンさんは、死への怯えよりも老後の生への怯えが上回った。そう思えてならないのです。今回の安楽死は、いわば公開自死であります。しかも、周囲の一応の納得済である自死。人は死に怯え、生にも怯える。そこからは逃れられないのか、と、改めて思わされたのが、今回のマリリンさんの安楽死裁判でした』
「以上です。これをもって裁判を閉廷します」
裁判官の閉廷宣言の後、法廷内にアナウンス音声が流れた
「以上をもちまして、法廷を閉廷といたします。閉廷後、2分で法廷は完全に施錠し、閉じられます。皆さま、お足もとにお気をつけの上、静かに出口から……」
しばし考えていたマリリンの瞼は次第に閉じはじめ…、アナウンスの声も薄れていく…、マリリンの意識が遠のいていく…、やがて、2分が過ぎた。

 

 

 

 

文字数:11685

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