仮住まいの終わり
気づいたら、帰宅することが喜びになっていた。
駅から十数分歩くと、カーテン越しに少し明るい窓が見えてくる。君が待っている部屋だ。鍵を開ける。まだ君は僕に気づいていないようだ。玄関に入り靴を脱ぐ。そのときには、君はもう走り出している。リビングへの扉を開けようとすると、ガラス越しに黒くて艶めく君の瞳が見える。尾はすでに、ちぎれんばかりに振られている。
前脚を突き出す勢いで飛び込んでくるが、僕が抱きしめようとすると、すっと離れる。少し距離を置き、また飛び込んでくる。そしてまたスルリと逃げ、部屋の端にあるお気に入りのクッションベッドを掴んで振り回す。抑えていた感情が弾け飛ぶポップコーンのように、頭を振って飛び回る。 君の興奮はいつまで続くんだ?と僕が感じ始めたころ、君の熱量はストンと抜け、隣の部屋のホットカーペットへ移動して脚を舐めだした。
一人暮らしをして二十五年近くなるが、どの部屋に住んでいるときも、そこは仮住まいだという気持ちが抜けなかった。自分にとっての終の棲家を手に入れるまでの中継ぎという感覚。引っ越しのたびに、数ヶ月は異邦人のような気分を味わうのが常だった。
四年前、君がうちに来た。 君が来たことで人生が劇的に変わった!と言いたいところだが、実際は朝晩の長めの散歩によって運動不足が解消されたくらいだ。世間では、ずっとそばにいるとか、毎晩一緒に寝るといった姿こそが愛犬家だと思われているようだが、僕と君との関係は、それらに比べれば随分とドライに見えるだろう。 なにせ、君の寝る場所は常に自由だ。部屋のどこかに君が落ちているかもしれないから、僕は常に足元に気を付けなければいけない。呼んでも、食べ物があるとき以外は来たり来なかったり。こちらが寄っていって撫でても、今はそういう気分ではありませんと言いたげな無表情。本当に気まぐれだ。
散歩では、その気まぐれが存分に発揮される。 一心不乱に進み、目当ての柱や木を丁寧にマーキングして回る。行きたくないルートには絶対に従わない。見知らぬ通行人を瞬時に察知し、好みのタイプには愛想を振りまくが、嫌いなタイプには、あちらから近づいてきてもおざなりな態度だ。いつも可愛がってくれる人にさえ、気分が乗らなければ触らせずに唸ったりもする。 僕はそんな君の、自由な散歩が好きだ。散歩中、チラチラと僕を横目で振り返り、よし、ついてきているなと見守ってくれるのが嬉しい。
半年前、僕たちは引っ越すことになった。 僕にとって引っ越しはいつも憂鬱だ。各種手続き、スーパーや病院などの情報収集、生活動線の確認。すべてが煩わしい。周りに知人がいないことも不安を助長させる。
そして、君を連れての引っ越しから三ヶ月が経ったある日、僕は気づいた。 その日、友人との食事を終え、駅から夜道を歩いていた。防犯のために小さな明かりが漏れる部屋が見えてくる。 君は今、部屋のどこにいるのかな?僕が帰ったことにいつ気づくだろう?先週買ったあのベッドで寝ているのかも? そんなことを考える。気づけば足早になっていた。階段は二段飛ばしだ。鍵を探す手が、少しもどかしい。
扉を開ける。リビングに入ると、君が飛びついてくる。 その瞳は、黒くてキラキラだ。抱きしめようとすると、またスルリと逃げられる。うまく逃げおおせた君は、どこか得意満面だ。 僕は逃げられたというのに、それがたまらなく嬉しい。
また、君が飛びついてくる。 これが僕と君の、家の日常だ。 ここはもう、僕たちの家になった。
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内容に関するアピール
「美しい」はビジュアルや音楽などが、最初に思いつきますが、これを実現するのは簡単ではない。
であれば、自分が書ける「美しい」は関係性やシーンだと考えました。
実体験を踏まえて、ペットと自分の関係性をかけがえのないものを美しさの一例だとおいて、作品を書いています。
美しいとなったかはわかりませんが、関係性を描くことはできたかなと考えています。
文字数:168


