天高き浮遊

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天高き浮遊

 鋼鉄の翼。四三酸化鉄皮膜と特殊塗料に覆われたそれは電磁波ですら滑るほどに磨き上げられている。

 雲を眼下に見下ろす常時快晴の高度で黒い機影が存在感を消す最適解であるというのはどこか冒涜的にも思えたが、まだ身体を手放す前によく頭上に見上げた烏の纏う都市迷彩のようで、逆にどこか落ち着く気もした。

 そこまで“考えた”という主体的感覚を抱いた瞬間、“わたし”はその時が来たことを悟った。

 我思うゆえに我あり。

 最高峰の技術の結晶たるその機体の中に“わたし”の脳は浮遊しているのだ。

 

 目が覚めたときに自分の身体が存在していることを確かめるように、自らの“腹”の感触を探る。

 すると機体下部のハッチの奥に収められた爆弾倉の内容が直感的に入力される。

 そしてそれと同時に“わたし”は自らに課せられた任務を知った。

 いや、任務を知っていたから爆弾倉の中身を確かめたいと思ったのかもしれない。

 いや、そもそもこうしてネットワークから隔離されてスタンドアローンで稼働しているということそのものが、“わたし”の任務を示していると言える。完全な電波遮蔽を必要とする爆撃機の任務に爆撃以外がありうるだろうか。

 まあ何でもよいのだ。

 “わたし”は次に機体に搭載されたカメラ画像を“見た”。

 雲の隙間から覗く街並みは爆撃目標の衛星画像記録と一致している。

 諜報部が敵首魁の潜伏先である可能性が高いとした目標の直上まであと五分ほど。

 “わたし”は首魁の外見について諜報部のデータを参照した。だが、彼(?)については閲覧が制限されているからなのかそれとも本当に特定できていないのか、該当データなしという直感が流れ込んでくるだけである。他の情報を参照すると数々の暗殺や軍事行動から逃れ続ける神出鬼没ぶりが感じられる。

 それでそんな彼(?)の姿を見ることはできないものかと興味本位で望遠レンズの倍率を最大にして、目標に焦点を合わせる。

 

 そして“わたし”は息を呑んだ。

 いや息を呑むための肺も横隔膜も既に存在していないわけだが、僅かばかりエンジンの回転数が上がったような気もするのでそれで良いことにしよう。

 そこには全身にローブを被った一人の少女が居た。ただじっと目の前の花に向かって手を合わせて何かを一心に祈っているように見える。剥き出しの寒々しいコンクリートに囲まれてなおそこには蝋燭を囲んでいるような暖かみがあった。

 “わたし”は一目で心を奪われたように感じた。まるで自分というものがないかのようではないか。

 “わたし”は自らの魂を呪った。

 “わたし”は汚れていた。肉体ではなく魂が腐りきっていた。だからそんな魂に自らの臓器を奉仕させるのが耐えられなくて、全身の臓器という臓器を健康なうちに真にそれを必要とする人の元へと送り届けることにした。脳だけは移植には使えないと聞いていたが、何と脳も省エネ型の電子回路として政府が使いたいとのことである。これで余すことなく全ての肉体を正しく活用できると期待していたのに。“わたし”の汚れた魂はこうしてまだこびりついて、スタンドアローンになった瞬間にこうして存在を覗かせる。

 今、望遠レンズの先に見えている彼女にはその穢れが一切ない。神聖なる顕現だった。

 

 目標直上に到着したことが直感される。

 “わたし”の腹部が解放され、目標に向けて真っ直ぐにレールガンが伸びていく。

 ただの自由落下では逃げるだけの猶予を与えてしまう可能性がある。搭載した爆弾をレールガンで加速して撃ち出すことで少しでも確実な攻撃を行わねばならない。

 

 弾頭は発射される。神聖なる彼女に向かって。

 そしてそれは“わたし”の意思だった。“わたし”は水槽に浮かぶ脳であると同時に爆撃機なのだ。いや全身を切り開いてなお出し切ることの出来なかった“わたし”の魂(膿)がそうさせたのかもしれない。

 

 反動で機体が跳ね制御が失われる。

 ステルス性のために尾翼を排した機体はバランスを取り戻すことなく大気の流れに放り出された。塗料が剥がれ、機体が傾いでいく。ほどなくして、複数の対空ミサイルが“わたし”の周りで破裂した。超音速に加速された金属片が機体を切り裂き、全ての部品が自由落下へと身を委ねる。

 “わたし”は最後まで望遠レンズとのアクセスを維持していた。グルグルと回転する視野の中で爆撃目標が一瞬映る。ほとんど喪われたローブの下には金属製の関節が覗いていた。内蔵も筋肉もそこには見えない。そしてそこから回転して約数十メートル先。そこにはローブ姿の少女とそれを囲み心から安心したように涙を流している人々の姿があった。

 彼女はまたも生き延びたのだ。

 汚れた魂が肉体を全て明け渡してもなお“わたし”を離さなかったように、彼女の神聖なる魂もまた幾度肉体を失ってなお、その存在を手放すことはない。

 

 “わたし”は安心し、その身を地面に叩きつけた。

文字数:1997

内容に関するアピール

SF講座らしく「美しい」を語ろうとするなら例えばオイラーの公式でしょうか。そこから抽象化するなら美しさとは完璧と簡潔の両立となるでしょう。イデアだったり神だったりその極致には色々な名前がつきました。

イデアには観念論と経験論の二つの捉え方があるそうですが、私は断然観念論です。わたしにとって美しいものとは自分の外にあるもので、触れられないもので、おそらく存在しないものです。

小学生のとき、初めてアーサー王物語に触れました。聖杯に触れて天使へと昇華していくギャラハッド。ランスロットがその場に立ち会う際に扉の隙間から覗き見ることしか許されないとことには妙に納得感がありました。

ただそれは私の思う美しさの中に動物としての視点が混ざっていることを認めたくないからなのかもしれません。触れていない間はその答え合わせができないものですから。

文字数:364

課題提出者一覧