光っていた

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光っていた

処理層の通路は、船のどの区画より冷たかった。
 ここでは、水も空気も金属片も、役目を終えたものはみんな細かく砕かれて、しばらくすると船のどこかへ戻っていく。
 壁の表示板には淡い文字が浮かんでいる。

──自発的リサイクル申請
 ──二次確認:親族同伴待ち

その前に、母さんが立っていた。いつもの作業服なのに、通路の空気だけ違っていた。
「……母さん」
 声をかけると、母さんは少し肩を跳ねさせて振り向いた。
「ヒロ。早かったわね」
「何してるの」
 分かっていても、聞かずにはいられなかった。母さんは、握っていた薄い端末を開いた。火傷の跡と古い傷で荒れた指先が、縁を押さえて白くなっている。
「頼みがあるの。ここに長くいるほど、借りだけが増えていく気がするの」
 母さんは端末の文字を指で示した。
「酸素も、食料も、薬も。全部数字で並ぶでしょう? このあいだ自分の行を見たら、数字がね、他の人よりずっと大きかったの」
 目は笑っていなかった。
「丈夫なだけの年寄りって、効率悪いわ。もう新しいことも覚えられない。だから、ここに返そうと思って」
 処理層の奥から、循環ポンプの低い唸りが聞こえる。
「そんなの、誰も望んでない」
 厚い壁の向こうを、母さんは見た。
「私は、望んでるの」
 母さんは端末を閉じた。
「でもね、自分ひとりじゃここを通れないのよ。窓のところまで、一緒にいてほしいの。ちゃんと見送ってくれたら、それでいいの」

      *

観察窓は、処理層の上の小さなドームにあった。厚いシリカガラスの向こうで、船団の灯りが細い列を作っている。
 白い薄手の服に着替えた母さんが、窓のそばに立っていた。係員が出ていくと、母さんは一歩こちらに戻ってきた。乾いた手のひらが、そっと僕の頬に触れる。
「ヒロ。笑って。かわいい顔、見せて」
 うまくいかない口元をどうにか持ち上げると、母さんの目がやわらいだ。
「あの人と結婚した日なの。ここで、あの人を送った日でもあるの」
 母さんは窓の向こうを見やり、空中で小さくボタンを押すまねをした。
「そのとき、もらったものがあるの」
 胸ポケットから、腕時計が出てきた。文字盤に細かな傷が走り、照明を小さな輪にして返している。
「あの人、出ていく前に言うの。『ヒロが大きくなったら、これを渡してやってくれ』って」
 止まった針を見つめて、ふっと笑う。
「ずっとしまっておいたけど……今がいいかなと思って」
 母さんは腕時計の留め金を外し、僕の手首を取った。冷たい金属が、手首のところでそっと形を変える。母さんの指が留め金を押し込むあいだ、そこだけがゆっくりあたたまっていく。
「似合うわ」
 小さくそう言って、母さんはもういちど胸ポケットに指を差し込んだ。今度は、少し小さめの腕時計が出てくる。金属の縁は丸く磨かれ、ひび割れたベルトの上に赤い糸が巻かれていた。
「これは、私の。あの人が結婚のときにくれた方」
 光を受けた文字盤が、薄く白く返す。
「ヒロ、彼女いるの?」
「いないよ」
「……そう」
 母さんは、その時計を掌に乗せたまま、しばらく黙っていた。
「いつか、できたらね」
 そう言って、時計を僕の手のひらに重ねる。
「その子にあげて」
 僕は二つの時計を見比べた。片方は手首のところで冷たく、もう片方は掌の中で体温をうつして重くなっていく。母さんは、僕の指が自然と丸まって時計を包むのを確かめると、その上からそっと押さえた。
「それから、最後のお願いね」
 観察窓の下の操作盤。小さな丸いスイッチがひとつだけ光っている。
「ここにボタンがあるでしょう。これを押すと、ハッチが閉まって、外に出るの。係の人に頼めば代わりに押してもらえるけど……あれを押して。あなたに押してほしいの」
 母さんはうなずき、僕の手首の時計と、ポケットに滑り込ませたもう一つの膨らみを指先で一度なぞると、隣室のドアへ向かった。
「行ってくるわね。ヒロ」
 振り返った顔は、にじんだ視界の中でも、いつものシフト明けと変わらなかった。扉が静かに閉まる。
 母さんの姿は、隣室の小さな窓に移った。スイッチが、ゆっくり点滅を始めた。

──射出準備完了
 ──手動開始待ち

喉の奥が熱くなって、呼吸がうまくつながらない。僕は息を吸い、吐き、指を伸ばした。手首のところで時計の重さが微かにずれる。ポケットの中でもうひとつの重みが揺れた。その重さごと、指先が前に出る。スイッチは軽かった。点滅が止まり、低いロック音が足元から伝わってくる。
 船体の外側で小さなハッチが開く。内側から漏れた光が縁を照らし、すぐに闇に溶けた。船団の灯りと遠い星の光を受けて、輪郭だけがかすかに浮かび上がる。

 母さんは、光っていた。

文字数:1906

内容に関するアピール

ラジオ番組を作っていたことがあります。その時、先輩たちから修行と称して、放送されることのない5分番組を毎週一本作らされました。
 先輩たちは深夜のスタジオに酒を持ち込み、僕が作った5分番組をつまみにしながら酒を飲むのです。
 僕が作らされていたのは、目の見えない人に向けた5分番組でした。毎週、お題が出され、それを作るのですが、そのことを思い出しました。
「海」というお題を、「海」を連想させる言葉や「波の音」などを使わずに、音で5分で表現しろ。お前の「海」を音にしろ。
頭を抱えながらテープレコーダーを抱え、マイクを持ち、街の中の「海」を探しながら「海」っていったい何だっけ? と途方に暮れたりしました。
 今回の課題でも、自分にとって「美しいもの」って何だろうって自問自答し途方に暮れました。その末に《途方に暮れるほど絶対的で逆らうことができないもの》が僕にとっての「美しいもの」だと気づきました。

文字数:396

課題提出者一覧