梗 概
グリーフクラウド
2075年、故人が死別した後の遺族のうつ病が社会問題となっており、政府はグリーフクラウドと呼ばれる新たな行政サービスを開始した。50年前(2025年)、遺族の心の深い悲しみを癒す手段としてグリーフケアと呼ばれるカウンセリングが知られていた。2075年現在、遺族はVR装置をつける事で、まるで故人がいるかのようにやり取りができるようになった。しかし莫大なデータ量の為、数日間の使用後にデータは削除されてしまう。
主人公・坂下蓮(79)は、窓のない薄暗いプレハブで目を覚まし、メガネをかけ直す。どうしてここにいるのか分からない。認知症の影響で記憶は日替わりのように霧がかかり、名前や季節も曖昧だ。そんな矢先、無人のはずの棟にノックの音が響き渡る。恐る恐るドアを開けると、女性が立っていた。うろ覚えながらも女性の声には、どこか聞き覚えがあった。「何かやり残した事は?」と女性に問われるも、彼は取り繕う。
暗い部屋の中で、「心残りは?」という言葉が彼の脳裏をかすめ、関連した単語が次々に泡のように出ては消えを繰り返す。そんな中、「グリーフクラウド」という単語が響き渡る。亡くなった人にもう一度会えるという記憶の断片。ふと気がつくと、妻・玲の笑顔が浮かんできた。その瞬間、蓮は起き上がり、静寂の部屋で壁を叩き、周りにあるものを投げつけて発狂した。
翌日、女性が再び訪れ、床に散らばった私物を片付ける。彼女がガラスの破片を手の平に一つ載せ、じっと見つめた時、蓮は何かに気がつき外へ飛び出した。
世界は歪み、壁はたわみ、標識はぼやけ、同じ角に戻ってしまう。何を探しているのか分からず呆然とする蓮の耳には、行き交う人々の「老害」「迷惑」「お荷物」の声が刺さる。後から追いついた女性に彼は怒りと羞恥をごまかして「一緒に来てなんて頼んでいない」と吐き捨てる。それは無力さに向けた叫びだった。
部屋に戻り、二人で床を片づける。彼が本を手に取り中身を開いた時、再び外へ駆け出した。女性がその本を手に取り中を開くと、桜の押し花のしおりが挟まっていたのだ。
蓮は妻との約束の場所へ向かおうとしていた。だが膝が折れ、彼はうな垂れてしまう。すると俯いた影に小さな影が重なり、一つの影となる。蓮が顔を上げると女性が手を差し伸べ、「一緒に探しましょう」と微笑んでいた。
二人はかつて震災で流された中学校跡の桜の下にいた。一緒に植えた若木は今や満開だ。記念に二人で写真を撮ろうと女性がシャッターを押した瞬間、視界が暗転する。
画面の端末に〈稼働期間終了〉が点滅する。グリーフクラウドの残された時間が終わったのだ。妻・玲(79)はスマートグラスとヘッドホンを外し、窓の外を見る。生前の彼の徘徊は認知症状ではなく、失われた約束を守ろうとする努力だった。わずかに開いた窓から桜の花びらがひとひら、静かに舞い込んだ。
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内容に関するアピール
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